2012/12/31

相棒みた。

掃除の合間に亀ちゃんがいた頃のを(・e・)

最初に挙がる犯人はストーカーを返り討ちにしたシングルマザー。真犯人は別にいるタイプのストーリー。相棒ではおなじみの二段構え。

美人シングルマザーの災難に若いタクシードライバーが同情して巻き込まれるが、それとは全く無関係に彼自身が別の事件に偶然まき込まれる。ふたつの事件をつなげて一石二鳥を狙った悪知恵は、一度はベンチャーとして成功した男の頭脳から生み出されたものだった。

今は世過ぎのためにタクシードライバーをしている彼は、一度は成功しながらも、大手に人材をヘッドハントされて転落した。つまり、やや脇が甘い。そのような者が思いがけず手にした大金に目をくらませるが、優しい心も残っている。その優しさがシングルマザーの娘に折り紙をおってやり、その素材が(専用の折り紙ではなく)高級ホテルのパンフレットであったことが右京の注意を引く。折った後でパズルのように形を変える“帆掛け舟”は、右往左往するドライバー自身の人生の象徴でもあった……

チッと舌打ちしたい感じに上手かった。

で、前稿で言ったのはちょっと間違えた、と思った。事件の原因が男女のもつれだからつまらない、のではなく、それによる事件の顛末がありきたり・単線的だと、ドラマとしてはつまらないってことだ。犯人の動機のかわいそう具合を強調しても、しょせんはフィクションであって本気で同情してもしかたがないし、視聴者は慣れっこになってしまっている。「くさい」と感じるだけだ。わざわざドラマとして見たいものは脚本の“ヒネリ”であり、小道具を上手にあしらう技術だ。(だからドラマや映画のレビューも脚本のアラを探すものが多い)

相棒は、お茶の間で見るミステリードラマの面白さを追求した挙句にこの始末、という状態で、犯人探しはいつも二段構え・三段構え、時事問題・社会問題にふれた多くのエピソードを挿入し、四本くらいのドラマをいっぺんに見たような重層感・お買い得感を味わわせてくれる。一時間が長いようでもあり短いようでもある。スコッチに複数のスピリッツとリキュールを混ぜてビターを振ったカクテルみたいなもんだろうか。

犯人の描写がやや甘いのはドラマだから仕方がない。ふつう一石二鳥を思いついても夜のあいだの気の迷いとして忘れることにするだろう。実行にはかなりためらうだろう。映画だったら犯人を主人公に、その心理を丁寧に描くかもしれない。自白だって簡単には取れないはずだ。筆舌に尽くしがたい怒り・悲しみ・責任転嫁・自己欺瞞、いろいろな感情がないまぜとなって犯行に及ばせるので、理性的に状況を整理して説明できるほどの知性の持ち主なら、むしろ実行犯にはならないともいえる。が、お茶の間でそこまで追求するのはちょっと重い。ステレオタイプな悪役といわれても、軽やかな味わいのほうがいい。ペラペラと喋ってしまっておしまいにすればよい。お茶の間がもっとも恐れるのは「ふつうの人もいつでも犯罪者になり得る」ということで、だから逆に犯人は極端に自分勝手な人、どっかオカシイ、という設定であれば安心する。それを右京さんが叱り飛ばしてくれるから溜飲をさげる。肉体的な暴力ではなく知性で得手勝手な正義感を叩きつぶすドラマが成功するのと反比例して、「やっておしまいなさい」という時代劇は衰退した。うまくできてるのだ。

にしても亀ちゃんなぁ……スーツの隣にブルゾンの男が立ってるだけで(そしてその間に被疑者の美女がいるだけで)絵的にバランスが取れていて良かったのだけど。演技も演出もいらなかったんだけど。俳優にやる気があり過ぎたか(・e・)




2013/01/02

闇に咲く花。

いや泣かされた。上手かったねぇ……。

『相棒』お正月スペシャル版。日本中の多くの人が感動をともにしているはずだから「脚本がよかった」「小道具がきいていた」「第5課や捜一トリオの使いどころの妙味」「悪役(出店)のキャスティングも魅力的」などとクドクド言うこたあるまい(←言ってる)

以下、ベタ誉めが続きます。よろしければ余韻をご一緒に。




時間があるだけにいつもよりゆっくりめの展開、少しずつ話が見えてきて、ふいに「闇に咲く花」の意外な謎がとけ、アクションに持ち込む“序破急”な運び、右京にもナイフ投げなど腕の立つところを披露させつつ、音楽などで無理には盛り上げないドライな演出、いずれも素敵だった。朝方にはFMラジオで宝生流の素謡を聞いたが、あんな感じだ。低い声で喉にちからを入れず淡々と謡うのだが、ちゃんと盛り上がるんである。

旧家の風情・山の景色が美しく、どこで撮ったのかと思ったら富士山が見えた。御殿場だった。わりとご近所だった(←ちょっと嬉しい)
まだまだあんなロケができるところが残っているのである、というか寄棟造の立派な日本家屋が「空き家」ってリアルだ(・_・)

個人的には『負けて、勝つ』の印象がまだ残っているのと、去年の大河のせいで「武士の時代とは何だったのか」ってずっと考えていたものだから、吉田内閣の裏話は感慨深かった。「また警察自体が悪役か、これだからあさh(ry)」って言う人もいそうだけど、「(国の)命令を受け入れる」ことの是非、明暗、個人の葛藤というテーマでうまくまとまっていたと思う。「それが、敗戦だったのです」

この時期にあの時代をとらえ直す試み、しかしその証拠は(当時を知る人が朋子のように世を去るのと同じに)時に負けている……というのは見事だった。大人の世界へ足を踏み入れつつある十七歳、まだ彼女に憧れていただけの十三歳、おなじ当時の少女といっても少し世代がずれているところが効いていた。

華族のお嬢様を演じた若い女優はとうぜん現代っ子なのだけど、クラシックな雰囲気で説得力があった。ホテル主の末裔である現代の少女も清楚だった。悲しい話なのだが単純な色欲や金に目がくらみ、という話でなかったので後味が非常に良い。途中から「骨董品なんか預かるだけ預かったって(換金しないことには)意味ないだろう」と思い始めたのだが、ちゃんと種明かしがあった。

ポーターを演じた若者も、とうぜん俳優本人は現代人なのだが、当時の若者らしい初心な表情をもっており、よかった。よく見つけてくるもんだと思う。

役のうえの彼は、お嬢様をいきなり襲ったりせず、「ホテルを救うために協力してください」と頼めば展開がちがったかもしれない。が、“女なんかちょっと脅せばすぐ口を割る”という短絡は当時の若者らしい。また教養の低い下働きにふさわしい。それが彼女の抵抗を引き起こし、だからこそその放棄を生じさせ、それが(身分のちがう)彼にはまた違う意味に受け取られる、という……よくできてる。ピアノのフレーズが変化しながらつながっていくみたいだ。

あるいは、頼んでいても結果は同じだったかもしれない。彼女は“自分”を捨てることを恐れ、ポーターに協力はしなかっただろうから、やはり最後は暴力でいうことをきかせよう……ということになったかもしれないからだ。

奢れる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

ところで、実は甲斐くんを初めて見た。(ふだんは夜9時頃というとまだ家事にかかわっている)

“スーツの隣にブルゾン”じゃなくて、ノータイの今どきの若者だった。見た目と軽薄な口調が右京と好対照だが、目つきにちからがあり、“勘がよくて右京の言葉の裏をすぐに読み、先へ先へと話をすすめる”という役によく似合っている。話運びも彼のおかげで生き生きとしていた。ちょっと体に無駄な動きが多いけど、まだ肩にちからが入っているのかもしれない。またそこが若者らしくていいともいえる。「おとなはおとな、自分は自分」というふてぶてしい雰囲気がちょっと松ケンに似ていないこともない。今時の俳優なのかもしれない。

それはそれとして、日本のドラマ・映画は若い俳優を重用しがちで、年配者は“脇固め”あつかいだが、今回は銀髪の俳優に重要な仕事をさせたのも後味が良い。ふいに立ち上がり、黙って床にかしこまる姿には泣かされた。

そもそも還暦に達した水谷豊の魅力爆発である。二役にはやられた(・e・)



2013/03/29

黄金の日日 第四回 第4話 北征前夜

しまった面白かった。書かずにいられない気分。




1978年放送のNHK大河ドラマ。本放送時はちっちゃかったのでよく覚えていない。川谷拓三の処刑シーンがトラウマになっている(後半のどこかにある。今でも怖くて確かめたくない)

ほかの作品について調べている途中で部分的につべで引っ掛けた(なんて言っていいのかどうか)のが、この回の能をフィーチャーした場面だった。NHKオンデマンドで単品購入して通して見てみた。便利な世の中になった。

市川染五郎(当時。現:松本幸四郎。まだ少年という設定のようで、若い演技に徹しているが、ささやくような独特のセリフまわしが変わってない)演じる水夫が信長の朝倉攻めにとつぜん巻き込まれる……という回。

船も街もセットと模型がちゃちくて可愛いのだが俳優たちは生き生きしている。染五郎のウブっぽい演技と五右衛門役:根津甚八の危険な色気の対比がよい。宣教師フロイスの持つ地球儀が見たくて司祭館にしのびこんだ二人、帰りがけの駄賃に銀の燭台をもらっていくかどうかで突然おおだちまわり。楽しい。展開は早い。セリフは短い。けっこうなことである。

信長が(いつぞやの近江方面のお姫様の話のときのような色っぽい妖怪みたいなカリスマではなく)武人として先見の明があり、果断にして寛容な政治家でもあり、商業政策にも長けており、堺の商人を心服させていた様子が具体的に述べられている。さすが城山三郎。

梶原四郎のややハイテンションなナレーションは内容が盛りだくさんで「もう一回いって」と言いたくなるが、耳に心地よい。プロの語りはやはり良い。

海外に憧れる主人公へ、宣教師がイタリア都市国家の繁栄を語って聞かせる。視聴者としても「そうか、同じ時代か」と歴史知識の再確認ができ、興味深いところ。ヴェネチアと堺はいずれも商人による自治国家と聞かされて、日本の若者の胸にわき上がる誇りとさらなる憧れ。

そんなヴェネチアも、いまは他国に支配されている……信長の専制への不安が聞く者の胸をチラッとかすめる。しかし信長の船に乗り込むと、彼の近代的な戦法に感服するばかりである。

主人公は歴史上の有名人たちの陰にあって、やや印象が薄いが、いざ登場したときはしっかり視聴者とシンクロし、見る者に臨場感を与えて目を離させない。

市川の演技は抑えめだ。彼は胸の中できもちが動いていることを感じさせるのがうまい。

二条城のセットは、ちょっと気合い入れた感じ。中庭に能舞台がフルサイズで再現されている。並んで能をみる足利将軍(松橋登が美しい)と信長(高橋幸治も美しい)。

銕仙会の皆様の実演(とうぜん撮影スタジオで生本番)による鬼退治を描く能と、若き将軍による信長退治の陰謀が水面下で動き始めている描写がザッピングされる。“鬼神のまんなか刺し通す……たちまち鬼神を従へ給ふ”という詞章に合わせて将軍・武将・商人役の俳優たちが意味ありげに信長へ目線を使うところと、最後に囃子の音を響かせる効果がにくい。

なんで四月に『紅葉狩』やねん、とはちょっと思うけど、信長公記(現代訳)(原文)第三巻に観世・金春立合能の記録があり、番組の半分が秋の曲になっているようだ。なぜかは個人的に調べられない。

1970年頃は、まだ企業の中にも謡曲クラブがあった。部下が毎週同じ曜日になると早めに帰るので何かと思ってきいてみたら「お稽古に通っている」というので俺も始めてみた……なんて話もこの頃のことだ。リアルでも小説でもそういうエピソードがある。ドラマ制作にも能が生きていたようだ。

その能舞台の見学を許された堺衆の一人に密命を帯びた者(今井宗久)があった。鉄砲五百丁、木下藤吉郎へ届ける。その荷駄隊の指揮をまかされた息子:兼久は(信長に肩入れする)父親への反発心から酔いどれていた。先発隊には五右衛門が加わり、主人公は友人として万が一にそなえて金を預かってくれといわれ、状況を知って、木下(という面白いお侍さん)にまた会いたさに荷駄隊に加わるが……

か黒い上層部の政治・陰謀と、根が素直だからこその若者の反発心、もっと若い者のキラキラした好奇心が不意に出会って一つの新しい道へつながる。できた展開だなぁ!

これはご都合主義といわない。この一点へ向って根回しがなされてきた。プロットはこうありたい。

酔った勢いで思いつきを言う林隆三の演技の、一人芝居に近い気合いがすごい。酔っぱらいなのに。言われてためらう染五郎のギャグぎりぎりっぷりも可愛いし、上手い。

セットは若干しょぼいが芝居で見せる。なお、女性陣の着た小袖がじつに華やか。栗原小巻の巻き毛はご愛嬌だが顔立ちに似合っているし、男性陣も70年代当時に流行った長髪の印象を残したまま時代劇を演じている。当時は考証にこだわるよりもこっちのほうがカッコよかったのだ。そして夏目雅子はやっぱり美しい。

もしかしたら坂妻や千恵蔵を知っていた世代は「なんだこれは」と思ったかもしれない。染五郎は大根あつかいだったかもしれない。でも光ってる。リアルでは1978年だからオイルショック後なんだけど、新しい時代・新しい世界を求めて飛び出していく若者のさわやかさ・勢いでドラマ全体が光ってる。脇固めもいいし、皆かっこいい。なんせ信長かっこいい。太閤記の頃より明らかにうまくなってる高橋幸治。今回は石坂浩二はいないのねw

たぶん続き(とここへ至るまでの三回)も見てときどきレビューすると思います。

2015/06/24

【ドラマ『相棒』で印象的だったお話。】


season9、第14話「右京のスーツ」。

女性テーラーが客の個人情報を利用したのか? というお話。

容疑者が何人も用意されており、それぞれに秘密を抱えているのが少しずつ明かされていくという、二段・三段構えの密度の濃いお話。もの哀しい後味も良く、印象的でした。

脚本、富永徳彦。監督、東伸児。

ネクタイにウェストコート姿で職務に励む若き女流テーラーがカッコ良かったです。脚本が女性ではないことにちょっと驚きました。(まさか女性のペンネームでしょうか。)

店主役の小松政夫の芝居が良かったです。加齢によって滑舌が怪しくなってるんですが、そこが良いです。役者には長生きしてほしいです。

右京さんは妙にウキウキとスーツを話題にしてましたが、もしかしたら水谷さんが素で男のお洒落の話題がお好きなのかもしれません。

女装者が悪役になる話でなくて良かったです。


【season9、第14話「ボーダーライン」】

就職難で、日銭欲しさに名義貸しに関わり、それもうまく行かなくなった青年のお話。

脚本、櫻井武晴。監督、橋本一。

不運な青年「柴田」を演じた山本浩司がいい俳優だと思いました。

いかにも一般的な日本人らしいというのか、ひじょうに地味な顔をした人で、ご本人もスターになれるつもりで演技の世界に入ったわけではないと思いますが……

あまり動かない表情に内圧を秘めた名演技でした。

クライマックスのビル屋上、“社会にころされ”る瞬間のリアル演技は、閃光を放ったと思います。


【亀ちゃんがいた頃のお話。】

サブタイトルも知らずに途中から鑑賞した回。老映画監督を手にかけたのは、往年の名女優なのか? というお話。

客足の途絶えた映画館の閉鎖と、ベテラン監督の最期を重ねた味わい深いお話でした。

夢やぶれた中年女性の悲哀と優しさを事件の動機とし、誰も悪い人がいないという、ひねりがないようで実は最もひねってある脚本は、女性の仕事だったと思います。

昭和中頃の映画への愛と追憶が全編に横溢しており、ラストシーンでは亀ちゃんたち出演者の名が、みごとに当時を再現した劇中劇の出演者の名として懐かしい字体で表示されていたのが憎い演出でした。(たぶんseason5。)


【season2、第18話「ピルイーター」】

これはちょっとひどい話で、「ゲイは女をだます迷惑な連中なんだぜ」という印象を生んでしまうので、いかがなものかと思います。

だました男が悪いにゃ違いありませんが、勝手に興奮して刃物を振りまわす女も悪いです。なんでゲイが死ななきゃならんのか。

「ばれたらまずいんじゃないですか」って、おいおい亀ちゃん亀ちゃん亀ちゃん。

シリーズ初期のエピソードなので、まだそのへんの配慮も浅かった時代ということでしょうか。


【違うドラマですが。】

「あんたの子がうちの子をいじめたから、あんたが女装バーへ通っていることをばらしてやる」

という話があったのです。めまいがしました。

父親の趣味と子どものいじめは関係ありません。これじゃ大人のいじめです。


【時代劇が衰退したわけ。】

インターネットに客を取られたという、テレビ界に共通する原因はあるんですが、だからといって誰もテレビを見なくなったわけではありません。

アニメ番組の中にも、刑事ドラマの中にも、長寿を誇るものがあるわけです。

都会の片隅で懸命に生きる善男善女を悪い奴が利用する・秘密を握って追いつめるというのは、時代劇でも刑事ドラマでも、刑事ドラマに準じたアニメ番組でも同じです。

時代劇では、お家騒動・幕府の転覆・抜け荷・阿片くらいしか悪事が描けないわけで、とくに若者の就職難や女性の就職差別といった現代の社会問題は取り上げることができません。

敗戦直後には、封建主義を思い出させるという理由で、占領軍によって時代劇の制作が禁止されたこともあったんだそうで、その後になって解禁されたときには、逆に時代劇を作ることが自由の象徴だったのかもしれません。

勧善懲悪のステレオタイプとしては、刑事ドラマにバトンタッチして、その役割を終えたわけですが、国際化時代だからこそ『ハリー・ポッター』のように民族の伝統に根ざしたファンタジーが流行るわけで、若い人の間には母国の歴史を見直す動きも盛んかと思われます。

ときどきバラエティ番組で紹介してるような、新しく分かった事実を取り入れた、一種の情報番組・再現ドラマとしての時代劇なら、あり得るのかもしれません。

だいぶ前になりますが、確かTBS系で「ポンペイ最後の日」をドラマ化しており、ジローラモ氏が一家の父親役を好演していたのが印象的でした。

大河ドラマは小道具や衣装に発揮する最新の考証を、物語にも取り入れると良いだろうと思います。


2015/09/10

今さら電車男。

もはやネット的にはタブーな話題かもしれませんが、思い出したのでテレビドラマの感想として。

まず、テレビ番組は独身男性の意識で出来てます。

地元に残って親の畑や工場を継ぐ人は、中央へ進出しないからです。東京都でも周縁部の住宅街に住んでいるだけではテレビマンになれませんから、夢を抱いて赤坂方面へ進出してくるわけです。

だからどこかに「とめてくれるな、おっかさん」という肩で風きるような意識があって、任侠とか刑事ドラマに見られる男の野心・友情といった話が好きです。その彩りとして、女性にはグラマラスなサブキャラクターという役割を期待するわけです。

ここまではいいです。

入社試験という難関を突破したのだから、自分の好きなものを撮る資格があります。ここで電車男。

あれは良家のお嬢様と、もともと接点のないフィギュア系男子が恋をするという話だったはずですが、テレビドラマ化の際は奇妙にセクシーな女性が登場していました。

あれは、テレビマンからフィギュア系・引きこもり系男子に向けて「リア充の良さを教えてやるぜ」という揶揄だったのだろうと思います。

テレビマンは明らかに都心部の在住者であるのに対して、ネット住民は都会人とは限らないという要素もあったでしょう。

それが一般男性の支持を受けて更なるヒットに結びついた……わけではなく、何かおかしいと気づく人が増え、底が割れてしまって、人気が終息したんじゃなかったかと思います。

うかつに差別意識を表現したために、テレビマンが自分で人気コンテンツをつぶしてしまった例だったんじゃないかと思います。

主演俳優はいい役者さんで、我修院が「キボンヌ!」ってやっていたのも熱のこもった楽しい演技でしたし、ミーナちゃんの造形も良かったのですが……もったいないことをしたような気がします。


2015/10/26

闘犬とライオン。


犬の散歩中にライオンに遭遇させたらどうなるかって実験するテレビ番組を拝見しました。有吉さんがホスト。

オーナーに連れられた犬たちに指定コースを歩かせて、コーナーを曲がったら、進路をふさぐ大きな檻の中に雄の成獣が2頭いる。

土佐の闘犬が前のめりになって、無言で正面からにらみ合った挙句に、自分より大きい百獣の王を屈服させました。戦いを仕事と心得た男の攻める姿勢にしびれたです。

あれは、まずは「互角」と認めるから睨みあいが発生するんでしょうねェ……往時の剣闘士などもあのようだったでしょうか。

ポメラニアンやトイプードルは、自分の小っちゃさ顧みず、激しい威嚇をくりかえしました。ライオンのほうが猫っぷりを発揮して、大きな掌でつかまえようとする仕草が可愛かったです。

ドーベルマンはライオンの姿を見る前から腰が引けていたんだそうで、番犬にするくらいだから匂いに敏感なのかもしれません。

また『銀牙』とか読みたくなりました。好きなキャラクターですか? 紅桜です。アニメ版では淡海悟郎の音楽も泣かせましたね。



2015/10/26

別れたのは携帯電話のせいではありません。


他人の携帯電話を無断チェックするという、自分の人間性が否定されたのです。

それを「携帯電話のせい」というなら、「私が怒りたくなるようなメールを携帯電話に受け取っている男が悪い」といっているわけで、要するに責任転嫁です。

どの芸能人の件とは申しませんが、トーク番組でネタがないからといって、なんでも暴露すればいいってもんじゃありません。

もし最初から「なんちゃって」と付け加えるつもりか、慌てて「普通やりませんか~~?」と周囲に同意を求めたくなる程度であれば、そもそも言わずにおきましょう。

【類例。】

「彼氏ができたとツイートしたら、一週間で別れようと言われた。次は三ヶ月くらい付き合ってからツイートする」

ラジオで聞いた、リスナー投稿。それは、プライベートなことをTLに流してしまう女だから危険だと思われたのです。

三ヵ月後にツイートすれば、三ヶ月と一週間後が、終わりの時です。

気をつけましょう。



2015/11/17

マツコさんとリカちゃん。


在野コレクターを紹介する例の番組。遅れていなければ11月10日放送分。

リカちゃんの彼氏人形を紹介されて、女装家が「もっと男の子と女の子の人形に区別をつけたほうがいいんじゃない?」と言えば、知的なクレクター男子が「そこはファンタジー」と答えるという。不思議なやりとりになってましたね。

イサムくんの顔は、個人的にキサラで認識してました。女の子なのにあの顔というところが魅力的でした。

相対的によりフェミニンになったレンくんも可愛いです……が、男の子人形は髪型のバリエーションが少ないので、こういうのはやっぱり女の子がいいです。

リカちゃんの顔は、眼を除光液で消してアクリル絵具で描きなおすというのをやってみたことがあるのですが、デフォルトの偉大さを思い知りました。

悲しそうなような、はにかんだような、誘っているような、あの表情は絶妙です。

日本人は昔から、そういう人形の顔を作るのが上手なことです。

面打師も文楽人形の制作者も雛人形の顔を描くのも伝統的には男性で、あの微妙な女性の表情には彼らのファンタジーが籠められているに相違なく、ドレスのデザイナーにも男性が多いことを思うと、ほんらい人形遊びは男性のものなのかもしれません。もちろんジュモーも四谷シモンも男性です。

目玉が横を向いているのは、もともとバービーさんから来ているはずで、イメージモデルはオードリー・ヘップバーンなのかなと思いますが、1950年代には日本で生産していたバービーさんが正面向きに変更された後も、極東に生き続けているのは不思議な感慨です。

なお、マツコさんが番組を盛り上げるつもりで「ほぼ変態ですね!」と言ったことに、コレクター男子が一歩も引かず、調子を合わせて自虐もせず、「どういうところが変態だと思われますか?」と静かに問い直していたのが印象的でした。

若い世代には「お約束」は通用しないようです。



2015/11/18

マツコさんとチャーハン。


板橋トーク炸裂。マツコさんの熱意がリカちゃんの時と違うw 小さな町の食堂のご主人たちへの尊敬の念を感じました。

映像学科出身者による見事な写真集(板橋区の中華店ガイドブック)が印象的でした。自費出版にもいろいろあります。

この番組は何が嬉しいって、マツコさんの年齢が自分と近いことで、懐かしいと思うポイントが似てるですね。出演者が極少で、騒がしくないとこも魅力です。(他人の話の途中で自己主張するガヤ芸人は苦手です。)

ゲストの経営する店や、話題に挙がった駅の様子を分割画面に挿入するさりげなさにも、制作陣の心遣いとセンスを感じます。

それにつけても黙々とチャーハンを喰らい続けるオッサン達を眺め続ける番組ってのも奇妙なものではあります。

顔ハメ看板のほうは、エンジニアらしいデータベースが印象的でした。自撮り棒装備で表情を確認する熱心さも、技術者魂の一端なのでしょう。

マツコさんご自身や、番組スタッフまで含めて、特技を活かし、わが道を行ってしまったというか来てしまった四十代たち。自己表現にもいろいろあります。

2015/11/19

右京さんとジェイムズくん。


「私、わざとあの人の家に電話をかけてたんですよ」

こ、こんな女と浮気しちゃいけませんよッ(怖)

というのは置いといて……。

孤独な女の少年趣味。

なぜに名前がジェイムズくん。日本で悪者退治(犯罪捜査)に当たるなら「桃太郎」とかにするといい。

作り声による美少年ボイスを担当したテアトルアカデミーの声優さんはどちらでしょう? 液晶画面にキャラ画が表示されていなくてよかったことです。(追記:声優事務所の名称を勘違いしたと思います。お詫び申し上げます。)

ケバい浮気相手、偽善的な嫁さん、やな感じの上司。

典型的な人物たちで脇を固めて、もはや誰を真犯人にしても陳腐なわけですが、人工知能は結局のところデータを与える人間しだい、という当然の限界を逆手にとった徳永と、端麗な演出を加える橋本のゴールデンコンビ回だったかと思います。

「作品」に愛着する女の自滅的末路は身につまされます。見おろす男たちの痛ましくも厭わしげな表情がじつに良かったです。

近未来というか超現代なコンピュータルームと法務省の赤煉瓦の対比も美しい回でした。

バーチャルリアリティに浸る最先端女子と、職権濫用して生々しい情欲を押し出す男の古典性の対比も、ポイントだったでしょうか。

常にエレガントな右京さんに対して「チョイ悪」で役作りする冠城くんは、「いなくても展開上さしつかえないが、存在感を出さなければならない」という難しい役回りを、抑えめな演技でよく勤めていると思います。中年に達した反町の顔の皺がじつにセクシーでよろしいです。

「コンピュータが母性を利用する」

ファンタジックな推理をさらりと述べる奇抜なキャラクター性もさりげなく示されたかもしれません。右京さんは論理派なので、あまりそういうすっ飛んだことは言いませんから、二人の掛け合いの今後に期待……とか言わずにおくほうがよろしいでしょうか。

(プレッシャーかけられて困るような脚本陣でもないと思いますが。)

ジェイムズくんは、ネットで育つとどうなるんでしょうか。まさか吝嗇家にはなりますまい。もとが犯罪捜査用だから、悪意のウィルスとかと戦ってくれるといいです。

なお「バグを深読みして負けた」というのはじつに人間らしいエピソードで気に入りました。

2045年まで、あと30年。永遠の少年ジェイムズくんと、90歳の右京さんとの対局を拝見したい気も致します。(歴代の相棒が勢ぞろいして観戦。)

妙な脳内映像に浸りつつ……。