2011/12/30

『源氏将軍神話の誕生―襲う義経、奪う頼朝』 (NHKブックス)

やっと読み終わった……前半を読んで書いた記事は7月のものだった……

末っ子に頁を引っ張られ。カバーは破かれ。何読んでるのとばかりに顔をつっこまれては頭突きを喰らい。長い道のりだったなぁ(;´∀`)

ソフトカバーですが、一次資料と先達の研究成果に丁寧に言及した力作です。

前半は、清和源氏の一分派にすぎなかった河内の武士団が、奥州討伐(という名の一方的な侵略)の成功によって武威を高め、武神・応神天皇=八幡神を祖神としてたてまつるパフォーマンスを繰り返し披露することで、皇孫の血統を誇示しつつ、八幡神の娘とされた「若宮」をまつる渡来系職能民の心を掌握し、朝廷に対して大きな対抗勢力になっていく様子、
後半は、頼朝がそれら父祖の戦略を継承発展させ、ついに藤原摂関家(九条家)に膝をつかせる様子、
その鎌倉と九条の裏取引の陰で義経がスケープゴートとされて追い落とされていく様子が細やかに一歩ずつ描かれます。

テーマは鎌倉殿・頼朝の輝かしさと、美形ヒーローとされた義経の虚実を暴くこと。

神威を奉り、人心に配慮しつつ、そのいずれをも踏みにじって権力掌握の道具とするような頼朝の冷酷さ・政治家としての器の大きさぶりと、その陰で同族殺し・部下殺しの罪の意識におののいていた姿、
少年時代の美しいイメージ・青年時代の活躍ぶりに反して、政治的な野心を持ちながらも自分からは一歩踏み出しきれず、支持をなくして西へ東へ逃げるしかなかった義経のみじめな姿、
その陰で家系の繁栄を願って右顧左眄・右往左往する北条家・九条家、
そして、そのような権力者たちの浅ましい姿を苛烈な乱世の底から物も言わずにじっと見据えていた民衆。

暗い炎が華麗な装束姿の貴顕淑女を取り囲んで熱しているような、不気味なイメージが浮かびます。

強引な手法で急激に権力を拡大した頼朝の家系が三代で絶えたとき、世人は乱世への恨みを込めて、それを義経の怨霊の報復と見なし、畏れました。
義経の美しい物語が語り継がれたのは、彼がそれだけ心を込めて慰めるべき、強い怨霊とされたからでした。ついに戦国時代には、彼は魔王とされ、応仁の乱を引き起こした管領・細川家の者によってまつられました。応仁の大乱・戦国時代は義経の祟りという考え方があったとも言えるのです。

文章は断定を避けてややまわりくどいですが、それだけに「先生様のお説拝聴」というのでなく、安楽椅子探偵もののミステリを読むような、史料の山を前に「歴女」的な大胆な想像をくりひろげる楽しみを著者とともに味わうような、楽しい錯覚を覚えます。

義経を追い落とした一派である藤原摂関家の菩提寺である興福寺、および春日大社につかえた猿楽者の末裔によって、今も彼の物語が伝えられ舞われているのは感慨深い、というのは私の個人的な感想。
2012/04/29

行かずして名所を知る 『宗像教授異考録』第5巻 拝見記。

ゴールデンウィークの予定は、ないです。
いいの何処いっても混んでるし暑いし子連れで渋滞はまると困るしトイレとか。
積ん読本と仲良くするってもんです。

ビッグコミックは購読しておりませんで『異考録』の連載は存じ上げませんでしたが、道成寺伝説を扱った回の収録にひかれて第5巻だけ購入して積んどいたものです。

スキンヘッドに太い口髭の教授はどんなタチ兄貴かと思ったら可愛いインテリおじさまでした。
今時ボウラーハットにインヴァネスはないだろう!とツッコミたいようなレトロキュートな出で立ちで、各地の遺跡発掘現場へフラリと見学にあらわれるらしい。
そこで民俗学の知見を生かして歴史の裏舞台を大胆に見抜くという、ホームズとドルリー・レーンと金田一耕助をミックスしたような印象のミステリー。『マスター・キートン』がこんな感じだったけど、あれよりもっと大胆ですね。

マンガで歴史を読むのは、衣装・建物など当時のイメージを得やすい上に、描かれた地図をじっくり見たり、ナレーションを読みなおしたり、ときに他の本を参照して理解を深めるということができるのがいいですね。(テレビだとできない)

魏志倭人伝、日本書紀など正史の記述と、民間説話の類似点を指摘し、まとめあげる手法は小説的想像力としてたいへん面白く、お見事。まるごと信じてしまいたい♪

旅の道連れとして毎回ちがう美女が登場するのも男性誌らしいお約束。007と違って教授はお色気方向に走る気が全然ないようなので、どちら様も安心して御覧いただけます。

歴史の謎解きだけならマニア向けの薀蓄たれなんだけど、彼女たち現代女性が家庭、恋愛などに事情をかかえており、味わいのきれいなメロドラマとして、しっとりした終わり方を見せるのもお上手。

観察者としてのレトロ親父は読者に既視感・安心感・信頼感を与える風貌で、彼と(助演でありながら)自分の人生を問いなおす主役としての現代的・活動的な若い女性の「同行二人」。エロでもお涙頂戴だけでもない知的な遊び。
現代の(と言ってももう6年前の掲載なんだけど)娯楽ってこういうものなのでしょう。

あとはもう少し細かいネタバレです。



道成寺伝説、じつは髪長姫と紀道成の物語だった、といった後でそれが安珍清姫にさしかわった肝心の経緯はすごいあっさり飛ばされましたね^^;
その点は「安珍清姫」の初出文献を挙げるという地味な作業になるので当然ですか。

ダイナミックな展開をもつ星ノ平の話は映画化したらいいんじゃないかと思ったけど仮説の大胆さに信じちゃう人続出だと困るのかも。でも信じたい。争いに岩船で蓋をした空海の心に感じ入りました。
でも隕鉄採取できなくなった職能民は困ったかもね。

小アジアか黄河流域か分かりませんが、どこかにいたはずの、隕鉄を「煮てみようぜ」「溶けるんじゃね?」と最初に思った人がスゴイと思いました。

『虫愛ずる姫』では玉虫をつかまえて彼女に見せてあげよう!という教授の笑顔が可愛かったです。悲しいお話ですが、美しい小品でしたね。

個人的には、道成寺ときけば小鼓方の掛け声が脳内に響き渡り、岩船ときけば赤頭のシテが「えいさらえいさ」と舞ってしまい、四国の地図を見れば『屋島』など思い出し、マンガ画面で神社めぐりをするのと二重写しで舞台を観るという豪華な経験をしたような気がしました(ノ´∀`*)
2012/05/11

絵本『ヘリオット先生とドノバンおばさん』を読みました。

翻訳絵本じゃないのですなこれ。リアル獣医師ヘリオット先生による短編の、日本人画家による絵物語化。
1950年代の映画を観ているような、古き良きイギリスの街を行く紳士淑女(と飼い犬をはじめとする動物たち)の様子が、サッとデッサンしたところへ軽く水彩をはいたというタッチで描かれ、とてもロマンチックです。

原題を直訳すると『ドノバンおばさんと彼女の犬』
獣医師さんから見た、街の世話好きおばさんのエピソード。
子供には(大人にも)ややショッキングな場面が詳述され、その後、おばさんと犬が救い救われて爽やかなハッピーエンドを迎える。

読後感は『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン)に似てます。あれと同じくらい文章量があるので、子供に「読んで」って差し出されたら、腰をすえて下さい。たぶん大人のほうがジンワリ。
うちは次女が幼稚園で借りてきたのですわ。よくぞ見つけた。以下は細かいネタバレです。



ヘリオット先生は街の獣医師さんです、と始まるので、この人が犬を救う物語かと思うと、違うのでした。彼はワトソン役なわけで、絵本には珍しい「額縁」構成と思ったら、手記的なシリーズ小説の一貫なのですね。

ドノバンおばさんはイギリスらしい噂好きの小柄なおばさんで、動物好きで、彼ら用の傷薬やシャンプーまで独自調合し、治療にも口を出す。ヘリオット先生はまだ若い男性として描かれており、この人から見ると厄介な素人のはずなんだけど、飼い犬を連れて街行くおばさんを見守るこの先生の、優しい温かい眼差しが良いです。

犬と人との支えあいに加えて、世代と性別と立場を超えた人と人の友情。
……震災後に出版された(2011年5月)にふさわしい物語かと思いました。

リアルなようでリアルだけでは済ませない、動物たちのおちゃめな様子を描いた、絵的なイタズラがもう一つの見どころです。
手にとって御覧ください(*´∀`*) 
2012/05/22

犬ではあるが狼ではない。久しぶりに『緋色の研究』

誰かが古い本棚から引っ張りだしてきたらしくて部屋の隅にころがっていたので読んでみた。
延原謙翻訳の新潮文庫版。どうもこの戦前の知性によって書かれた「僕にして誤りなくんば」など漢文調・擬古調・美文調の文章が好きだ。好きだっていうか体になじんでいて、どうかすると現代の散文のほうが違和感がある。それはいいとして。

なんて観察眼にすぐれ、記憶力がよく、冷静沈着で、頼もしい男なのか、ワトスン。
そして感情の起伏が激しく、おだてがききやすく、扱いやすく、可愛い男なのか、ホームズ。
全くいいコンビである。221Bよ永遠に。

ドラマなどではカメラが語り手の役をしてしまうので、ワトスンには実は「役」がない。横で見てるだけの人になりがちだが、原作で読むと実に彼の人柄が生きている。ホームズの心の支えとして。



世界に冠たる大探偵のデビュー作だから、どんな大事件の刺激的な描写から始まるのかと現代的・映画的な導入部を予想して読み始めると、「?」ってなる。

「元陸軍軍医 医学博士ジョン・H・ワトスンの回想録再刻」という凝った仕掛けである。当時はフィクションを語るに際しこういう言い訳をした。当時はっていうか中世以来の伝統だ。パロディにしたのが『薔薇の名前』、ホームズも次の『四つの署名』になると手法が変わって、いきなり映画的にホームズの行動描写から始まる。それはいいとして。

「1878年にロンドン大学で医学博士の学位をとった私は」とワトスンの自己紹介で始まり、えんえん30頁にわたって彼自身とホームズの人物描写が述べられる。

彼自身のってとこがみそで、実はここが「叙述」って観点でいうと一番面白いところでもあり、ワトスン先生、ホームズを詳しく語ることで、自分自身がなかなかに医者らしく観察眼が鋭く、軍人らしく落ち着いて状況を整理するに巧みで、しかも驚くべきことには素直に驚き、(スタンフォード君と違って)受けない冗談で失地回復を狙おうなどという変な見栄のない実直な人柄と、彼本人は隠し立てすることの何もない性根の明るさ・育ちの良さなどを語ってしまっている。
いよいよ事件現場に到着してからも、この観察眼は発揮されるので、凶行のおこなわれた室内の様子や、猟犬のように動きまわるホームズを描写することで、図らずもワトスン(ちなみに延原訳ではワト「ス」ンである)自身の真摯な目つき、またホームズを疑ったり、失敗を期待したりしない、しかもそれを人前で誇ったりしない人間性の良さを表している。

作者ドイルは勿論「地の文」として読者が状況を理解するために必要な描写を展開しているにすぎないのだし、だから余計なジョークなども言わないのだけど、それが全てワトスンの視点てことになってるので、ワトスン自身の寡黙で実直な人柄が行間から浮かび上がってきちゃうのであった。

ワトスンはドラマ・アニメでは中流紳士代表として、ふっくらした白髭のおじさまとして設定されることが多いが、この幻のデビュー作ではアフガン帰りの病み上がり、「からだは線香みたいに痩せてるくせに、顔や手は胡桃のように焦げてる」。
そういえばシドニー・パジェットの挿絵では、ワトスンも割にスラっとした姿で描かれていたような気がする。
そして1878年に学位取得後すこし研修医として働き、すぐに1880年の「マイワンドの戦い」で受傷して復員しているので、実はまだ若い。

思い描くに、『暁の出撃』などを参考にすると、イギリスの士官は丸坊主にはしないから、髪型はふつうに七三分けなどだ。日本人と違って、少しフワリと波打っているかもしれない。口髭などは、おしゃれして出かけるような生活をしていなかったので、あってもあまりきれいに整えていないかもしれない。日焼けした顔は、まだ若く、細かなシワやたるみはないが、げっそりと痩せて、目元も頬も落ちくぼみ、体力が回復していないので、やや猫背気味で、大儀そうにゆっくり歩く。ホームズの研究熱に当てられて軽くのけぞるが、軽口をいう元気はない。

ホームズはこの寡黙な男が一目で気に入ったらしくて、スタンフォード君の証言によると割と誰が相手でも気ままに振る舞うようだが、それにしてもワトスンの前では一段とのびのびとするらしい。よくしゃべる。んで出馬要請がくると「でも警察に手柄とられちゃうからなー」とすねて見せ、ワトスンがその実直な人柄にふさわしく、「僕にゃ関係ない」という顔をせず、ホームズの手腕を既に買っているからこそ真剣に外出をうながすと、機嫌をよくして支度をはじめる。一生やってなさい。

肝心の事件のほうは、メロドラマタッチで割と好きなんだけど、リウシ(ルーシーなんだが延原父訳ではこう)嬢が気の毒すぎる(´・ω・`)
彼女が子供から女へ花ひらくあたりの描写なんか、作家自身がまだ若いとも思えない書きっぷりだし、大陸を股にかけた冒険活劇はロマン派の先行作品のお約束でもあり、遜色もない。なにげに医学の知識が披露されてるところも当時の読者をうならせただろうし、何よりイギリスにいて、まだ西部劇映画もなかった時代に、あの雄大かつ陰惨な西部の様子を描けたのはすごいと思った。大した医者である。なぜこの第一作は人気がなかったんだろう。
ま……少々陰惨にすぎたかもしれない。事件の顛末そのものの後味はよくない。子供に観せられるあれじゃない。
そしてホームズの推理については、やや本人だけが悦に入ってるところがあり(この後も常にそうなんだけど)「読者に挑戦するタイプの推理モノ」として読むと、ずるい感じがするかもしれない。



ドイルはあれだけ推理の理論を語ることができた(ホームズに語らせることができた)のだから、自分自身を天才探偵としてレストレードあたりを相手に高説をぶつように描いてもよかったが、そうではなかった。警察どころか探偵に花をもたせて自分は記録者にとどまったのが、実に功を奏した。

ホームズの個性に憧れた読者によって、似たような探偵は大勢生み出されたんだけど、実はこの「記録者も魅力的」という組み合わせが他にほぼ見当たらない。

ここでドイルに「ワトスン自身の魅力を描き出そう」という意図があったかどうか、今ふうに言うと「ワトスン萌え」が発生していたかどうかが鍵になるわけだけど、そういう二重意識が当時の作家にあったのかどうか……いやなかった、単に自分の代わりとして「素顔」で語らせたことの、意図せぬ結果だったといっていいんじゃないかな……

つまり恩師ベル博士の異能力に驚嘆した素直さがドイル自身の天分であり、これはベルとドイルの出会いという奇跡が生んだ稀有な化学反応といってよろしいのでは、というか言いたい。
2012/05/23

反応するホームズ先生が面白い。

今日は『四つの署名』♪

ドルリー・レーンにも神津恭介にも、ついでに神恭一郎にも、彼らの活躍を伝える語り手である友人というのはいるんだけど、彼ら自身はいつでもクールで知的だ。

ホームズ大先生だけが、ワトスンの一語一語に反応し、赤くなってみたり、ふてくされてみたり、ムキになって反論してみたり、知恵だめしに乗ってみたり、調子にのりすぎてみたりする。
またそれをワトスンがいちいち真摯に受け止めて、「こいつ背負ってるな」とムッとしてみたり、「兄を人格攻撃することはない」と憤慨してみたりする。
んでまたそれをホームズが真正面から受け止めて「調子にのって悪かった」と素直に謝る。

この感情のやりとりが、ほかの探偵にはあんまり見られないところだ。

有栖川有栖はかろうじて「いつも一緒」という形が似てるんだけど、本人があまり感情的にならない。風変わりな友人を肩をすくめて見ているだけ、というところがある。読者もそのクールさ、あるいは白けムードが、かえって現代人として感情移入はしやすいんだけど、すごく盛り上がるって気分にはならない。

ホームズだけが、叙述の面白さからいってもホームズ自身の気分の問題からいっても、ワトスンがいるといないで大違いという様相を呈する。だから他の探偵は途中で語り手がいなくなったり交代したりする。

んでこのホムワトコンビ、つまり互いの間で隠し立てがないのである。女だったら身内のことをきつく言われてムッとしても、本心を見せないで、「貴男の推理術ってほんとうにすごいのね」とおだててやるのが婦徳ってものだ。またホームズのほうも「ここで謝ったら男がすたる、以後なめられると困る」などと計算しない。素直である。

ここらへんが「男の友情はうらやましい」って女に言わせるところなのでしょう。



……ちなみに「叙述担当=攻め」というお約束からいうと、このコンビの表記は「ワトホム」が正解ですな……
(この二人の関係のあやしいことは100年前から世界中が取りざたしてるから言っちゃってもいいと思う)
(20年前だけどスラッシュ小説の翻訳も出たし)
(『ブロークバック・マウンテン』を考えると、男の同居に関する英米の温度差の違いも不思議な感じ)
(やっぱカウボーイだからなのか田舎と都会の違いなのか)

あ、ちなみに神恭一郎の友人として和田慎二自身がカメオ出演(?)するのが大好きです。
2012/08/01

川勝平太『文明の海洋史観』

中央公論社、1997年11月初版、1998年11月6版。 1年で6刷!? Σ(゚д゚lll)

駿河湾を見おろす山間で、蝉の声を聞きながらユルッと一気読み。今回も泣けました。いま正にこの筆者が「富国有徳」をかかげて太平洋沿いの海洋県にあって、県政の要にいてくれることに改めて感動し、感謝しつつ、膨大な引用と多岐にわたる博識に呆然としつつ。

文体が論文らしくなりました。「起の章」はNHKブックス『日本文明と近代西洋』の第1部の復習のよう。実は論文として発表されたのはこっちのほうが早いんだけど、ドライな短いセンテンスで重要な話題を次々に述べていくので、先にこっちを読むと「いいいいきなり何いってんだこの人!?」ってなるかもしれない。英印貿易を中心に数字をあげて丁寧に解説してくれるNHKのほうをやっぱり先に読んでおくといいと思います。

「承の章」は、マルサスの人口論とダーウィンの進化論がいかに根拠薄弱だったか、そのことにマルクスも気づいていたか、エンゲルスとの手紙のやりとり等を例示して明かしていくのが地味に面白い。
そして彼ら人間中心・理論優先・進化上等の世界観に対抗する、フィールドワーク重視・分化と多様化を標榜する世界観として、京大学派をしみじみと深々と紹介していきます。

生死一如の西田哲学が吹く笛に乗って、痩男の面を掛けた三木清の怨霊が暗く舞うのを背中に感じつつ、続く「転の章」では今西錦司の暖かい太陽に照らされて、梅棹忠夫とともに大陸へ旅して乾燥地帯を見渡し「海が見たい」と叫ぶ。(※ イメージです)

梅棹文明地図を「理系らしい天才的作図」と充分に誉めた上で、おもむろに海の色を塗ってみる。線を引いてみる。叙述は至って冷静なんだけど、男の子らしいイタズラっ気を感じないでもない。でき上がった図では日本と西欧が北緯45度線を境に見事な対称をなしています。

寒冷な地方で海に囲まれた西欧なかんずくイギリスは、大西洋を股にかけて産業革命をなしとげ、温暖な地方で海に囲まれた日本は、海外雄飛と敗戦と鎖国を、倭国の時代から繰り返し、独自の文化を発展させてきた。

唯物史観も生態史観も陸地に視点を限っていた。陸地内の階級闘争、あるいは陸地内の遊牧民の移動を文明変遷の原動力とした。が、それでは海洋国家イギリスと日本が産業革命を成功させたことの説明ができない。
海における人と文物の移動・交流こそが辺境にインパクトを与え、文明の変革を生んだことを見逃してはならない、と説く。

「結の章」では、江戸期日本の農村の手入れの行き届いた美観が、いかにイギリス人を惹きつけたか、百万都市江戸がいかに緑にあふれていたか、それを見慣れていたからこそ、イギリスの資本家たちが郊外のマナーハウス周辺に好んで維持した自然美を、岩倉使節団が無視し、「我が国に足りないものは工業都市だ」と即断してしまった皮肉、それが尾をひいて戦後の海浜地区に工業ベルト地帯が建設された環境上・安全上の弊害を述べ、自然景観を活かした国土再建、「庭園の島」づくりを提唱します。

なにしろ前へ向かって希望のある論文て珍しい。1997年だから世界はこの後おそろしいことをいろいろ経験するわけですけども、自然淘汰は根拠薄弱であったことを指摘し、進化論的歴史観はすでに破綻したと言い切り、今西自然学と松井地球学をベースに、百五十億年前のビッグバンより後、宇宙は銀河を、太陽を、地球を、生物を、人間を、次々と分化させ、多様化させてきたと説き、地球自体を宇宙に対して小さな一つの「鎖国」・箱庭と見なし、その七割は海であり、三割の大陸は、七割の海に浮かぶ島々に過ぎず、島々は海でつながり、人々は海を通じて交流し、協力し、住み分けることができると説く、いずれ「東洋」「アジア」という陸地的地域概念が消失し、日本は「西太平洋地域」の要となると予見し、鎖国時代の知恵を世界の指針とすることができるとする、それが説得力を失ったとは思われません(涙)
2012/08/19

『経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書』 山田 真哉

面白かった!(*´∀`*)

タイトルが「清盛の成功の秘密」ではなく「失敗」であるところがニクイ。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の歴史学科出身の会計士さんが書いた、清盛の経済政策。その先見性、本質的にはらんでいた矛盾、それによる栄達と滅亡。

「モノ」の価値は、それを使う文化によって変わる。

政治権力の駆け引きを叙述する歴史観だけでは説明しきれない藪の中へ会計士の足で踏み入って、キラキラ光る玉を拾い上げ、「ほら」って見せてくれた感じ。

文章は「ですます調」で柔らかく、語り口は軽妙で、非常に読みやすい。一般向け生涯学習企画って感じだ。ソフトカバーで持ちやすく、表紙と章ごとの扉に例の平家の蝶紋が印刷されているのも目に嬉しい。楽しく一気読みできた。

清盛は日宋貿易で巨万の富を得たといわれる。教科書にも書いてある。テレビでも言ってる。みんな信じてる。
でもちょっと待て。なぜ貿易するともうかるのか? 彼はどこから中間マージンを得たのか? また、それは何によって支払われたのか? コメか? 農作物は長期保管=蓄財に向かない。

清盛は宋銭を導入して日本を貨幣経済に導いたといわれる。

でも外国貨幣っていきなり流通するか? 例えば硫黄を売った代金を宋人が「これでいい?」と宋銭で支払おうとした時、日本人が「いらないそんな汚い色の金属板。もっときれいなモノをちょうだい絹とか翡翠とか」って言ったら? あるいは例えば和同開珎が流通している国で他の通貨を「これで払える?」と見せたら? お店のご主人こまるでしょう。怒るかもしれない。

それとも既に日本に宋銭の流通する貨幣経済が成立していたというのか? 話がニワトリが先かタマゴが先かみたいになってないか?

そしてなぜ平家はその巨万の富を使って敵を懐柔する・兵員や物資を集めるなどして、戦争に勝つことができなかったのか? ふつう、金が続いたほうが勝つものだ……

当然の前提とされているものを問い返し、「なぜ?なぜ?なぜ?」とたたみかけ、読者がタジタジとなった辺りで「いいかい?」と、オセロの駒のようにパタンと世界観をひっくり返してみせる。貨幣を貨幣だと思うからいけない。

「モノ」の意味合い・価値づけは、それを使う文化で決まる。川勝平太もいった通りだ。

南宋では「貨幣」だった小さな丸い銅板は、日本では「銅そのもの」、手工芸品の素材として、ある勢力から非常に求められた。

交換価値を保障してくれる勢力があるなら、他の人へ物品や労働力の対価としてこの金属板を支払い、「あっちへ持っていけば、あんたの欲しい絹や米と交換してくれるよ」と教えてやればいい。
清盛はそのようにして、意図的に宋銭を決済の手段として用い、半強制的に(しかし要領よく)流通させた。

ブログ主はここんとこ「大輪田泊などの改修工事の人足に支払った給料は何だったのか、古代ローマじゃあるまいし、塩ってこともないだろう、まさか一日に『米をひと枡」』とか?」と気になっていた。
また、黄金は主要な輸出品だったが、その見返りが白磁器で、自宅で使う(福原の居住地跡から大量出土した)だけでは儲けにならない。赤字貿易だ、と気になっていた。それらの疑問が氷解した。

つまり、黄金を売って銅を買い、その銅を国内でコメに代わる決済手段とした。中納言・大納言時代には、行政官としては大したことをしていない清盛だが、ここで確実に社会変革を起こしている。

しかし銅銭の普及は、農本主義の荘園領主たちをおびやかした。彼らが決済手段としてきたコメや布帛がそれ自体では意味を失ったからだ……

清盛の人間性の特異さ・傑出ぶりをあくまでベースとして、当時ならではの迷信気味な信仰心が舶来品に独自の価値を認めていたこと・日宋貿易が季節風の風向きに支配されていたこと・当時世界的に襲った気候の寒冷化を視野に取り込み、物価の急激な上下動による平家の栄達から滅亡までを一気に説き明かすのは雄大で、爽快だ。読んどいて良かったブローデルって気分にもなる。

富士川の合戦に、なぜ平家は人員をそろえることができなかったのか。そのわけを解明することは哀れを誘うが、しかし逆に、治承・寿永の乱を通じて、兵力が少なかったにもかかわらず、源氏がたを何度も敗走させた平家の武士としての底力、勇猛果敢さを明かすことでもある。ちょっと身震いが出る感じ。

そして歴史に「if」はないといいながら、もし平家の経済力に影がささず、政権を維持できたら、日本が海運業でアジアに雄飛する通商国家として世界史に登場していたら、いろいろな価値観やその後の歴史がずいぶん変わっていたであろうと空想することは、とうぜん、現代の問い直しともなる。

たまに図書館へ行くと、いいことがあるものです。