2015/04/15

【著作権の件① ~二次創作は著作権法違反か。】

以下は、渋谷達紀『著作権法の概要』(経済産業調査会、2013年9月初版)読了にもとづく個人的理解です。

渋谷自身が大学の研究者として、実際の判例にツッコミを入れるという要素のある本なので、実際の裁判官の考え方は違うこともあります。なお念のため、日本限定です。

【例題】

ある男性漫画家の作品は、少年漫画らしい眉毛の太い少年たちが「運動部における特訓の成果によって強敵に勝つ」という物語を演じるもので、読者の心に残るのは「努力は必ず報われる」という学童向けの教訓を含んだ感動です。

ある女性漫画家の作品は、少女漫画に登場する少年のような繊細な若者たちが「愛した人には過去があった」という恋愛物語を演じるもので、読者の心に沁みるのは「愛を得るための努力が実るとは限らない」という大人向けの苦味を含んだ感動です。

両者に共通するのは、前者の脇役と、後者の主人公の人名だけです。

この人名は、商標登録されていません。

なお、前者の人物は黒い眼をした日本人として描かれていましたが、テレビアニメ化の際に青い眼になりました。後者の主人公の遠い過去に向けられた眼は、澄んだ青色です。

また、両作品の題号(タイトル)は、まったく違います。後者には原案者・共同著作者などとして前者の著作者の人名が表示されているわけではありません。

さて、両漫画作品には著作権の侵害にあたる関係があるでしょうか。


【疑わしきは罰せず】

一般人が「こんなのパクリに決まってるじゃん!」という個人的感想を、ただちに「禁止しなきゃだめだよ!」という断罪へ飛躍させることに対して……

法律家は「疑わしきは罰せず。証拠が必要だ」と考えます。

まだるっこしいようですが、法律家の「なんとなく俺もやばいと思う」という一存だけを基に次々と断頭台送りというのでは、一般国民としても「明日はわが身」という不安が生じるわけで、やっぱり困るのです。

たとえ著作権侵害が非親告罪となっても、証拠を提出しなければならないのは検察にとっても同じことです。裁判となれば、弁護士が検察の不備を突くでしょう。

【複製権、翻案権、人格権】

複製とは、もちろんコピーのことです。著作物を複製できる権利は、著作権者=原作者自身が専有します。これに基づいて、著作権者から許可を得て、特定の著作物をそのまま印刷・頒布する権利が「出版権」です。

(頒布という言葉を使えば、販売とは見なされないというわけではありません。)

「版権」とは、明治20年に制定された版権条例に基づく言葉で、明治32年に旧著作権法が制定された後では正式には使われなくなったはずの言葉であり、かなり古いです。

この「出版権」を、著作権を意味する古い言葉である「版権」と混同すると、出版者/社が著作権を持っているかのように勘違いすることになります。

(出版社が著作権を持っていることはあり得ないってわけではなく、著作権者から著作権の譲渡を受けていれば、出版者が著作権者です。)

翻案とは、原作を踏襲して、形を変えることです。漫画がアニメ化された時点で二次的著作物です。

アニメを鑑賞して得た印象をもとに、新たに作成された漫画は、三次的著作物であって、原作漫画から見ると「孫」に当たりますが、ここまで来ると原作者の権限が直接に及ぶとは限りません。

上に挙げた架空の例のように、客観的に共通している・依拠しているといえる部分がほとんど無いということもあるものです。

キャラクターの名前は「たまたま同じだった」「憧れに基づいて命名させてもらった」などと言い張ることができます。自分の子供に有名人の名前をつけるのと同じです。

表現の自由は、保障されています。行動の自由は、もちろん保障されています。誰も誰かに対して「貴様は何も描くな」と命令することはできません。できるのは「俺の名前を勝手に使うな」ということだけです。

著作者人格権というのは、著作権者の名において、なんでも命令できる権利ではありません。著作権者が自分の作品に関して、「自分の名前」を管理できる権利です。

自分の作品が売られているのに自分の名前が表示されていない。他人の名前が表示されている。自分が苦労して生み出した作品なのに、他人の手柄にされている。あるいは、他人が書いた差別的な文章に、文責者として自分の名前が表示されており、自分のところに苦情がくる。

こういうとき、「すぐにやめてください」または「やめさせてください」と訴え出ることができます。「お詫びの印にお金をよこしなさい」と云うこともできます。

逆の立場からいうと、他人のネームバリューを利用して、自分の作品を宣伝してはいけないのです。「有名な○○先生の作品です」と紹介しながら、一部だけ自分の書いたものであってはいけないのです。歌謡曲の歌詞改変は、これにあたるでしょう。

でも、歌詞全体が変更された替え歌で、替え詞の作者名がきちんと表示されていれば、元の作詞者の人名(にともなう権威)が勝手に利用されたというのとは、別の問題です。

いっぽうで、いわゆる「薄い本」に、原作者と二次創作者の名前が連名で表示されていることは少ないものです。また、原作の絵に余分なものを描き加えたという例とも違います。それは、あくまで二次創作者自身が(腱鞘炎も覚悟で)描いた、その人自身の作品です。

さらに、もともと漫画・アニメの形だったものが、小説の形になっていれば「画像を無断使用された」とは、まったく言えません。

【アニメの著作権】

アニメ作品の複製というのは、もちろんダビングです。複製されたものが無許可で頒布されれば海賊版です。

翻案といえば、アニメのノベライズです。アニメのタイトルと、原案者として監督の名前を表示しておきながら、似ても似つかぬストーリーであった場合には、アニメ監督は差し止めを要求できます。

が、監督の名前が無断使用されたわけではなく、内容的にもあまりにも一致する部分が少ない時は、かえって「侵害された」とは言えなくなります。

似ていない物真似は、誰にとっても意味がありませんが、原作アニメとはストーリー性の違う「二次創作」は、少なくともそれを好む鑑賞者にとって意味があります。

それは、若い運動部員というキャラクター特性だけにインスパイアされた新作であり、二次創作者自身の腕だめしであって、少なくともアニメの「開始から何分の場面を品位を欠くものに変えてしまった」とは言えないのです。と、すると?

【二次創作の矛盾】

似ても似つかぬ「二次創作」(じつは二次でさえなく三次)が問題視されるのは、じつにそれが「二次創作である」ことを明言したことによってです。

似ても似つかぬのに、わざわざ「これには依拠した原作があります」と自己申告しているのですから、「権利者様は権利侵害の有無を各自で確認してください」と言っていることになります。

後難を避けるつもりで、わざわざ「○○先生とは関係ありません」と注意書きしておいて、かえって論理のパズルみたいなことになっちゃってるのが、現状の「二次創作」です。

また、他人が「それは二次創作なのに派手に宣伝しちゃダメじゃないですか」と指摘した時点で、それ自体が問題を起こしたことになります。

じつはアニパロという言葉が盛んに使われていたのは、1983年頃までだったと思います。以後「やおい・ロリ」といった隠語に置き換わっていきました。

コミケは、本来がプロを目指して独創作品を描いていた同好会の集まりですから、それに対して「こっちはパロディだ」と言ったのでしょうが、それが目立つようになって、問題性が認識されたのでしょう。

【冤罪】

2006年に「同人誌とはアニパロです!」と言ってしまった書籍が登場しましたが、この言い方は、同人誌全体を著作権侵害物として告発したという意味を持ちます。

実際には、今なお同人誌の中には独創作品もあるのですから、かなりの部分で「冤罪」の可能性があります。

その後、2008年に「二次創作は出るところへ出れば黒」と紹介するウェブ記事が挙げられましたが、親告罪なので「出るところへ出ることに決まった」(=告訴された)時点で、権利者によって黒と見なされているのは当たり前です。でも争うことはできます。

上述のような具合で、著作権法を「厳密に」適用すればするほど、侵害とは云えないということもあり得るので、こちらも二次創作全体について根拠なく偏見を助長する言説であるということになります。

べつに個人的に二次創作を弁護したくなくても、法律がそういうことになってるなら仕方がないわけで、誰よりも国民自身のために「疑わしきは罰せず。予断しない」という原則を尊重するならば、いきなり「黒に決まってる」という言い方をしないほうが良いのは当然です。

「だからこそ」と続きます。

【道義的責任。】

告訴できる条件を満たさないからこそ、原作者は「お願い」することがあります。芸能人が「子供の運動会など、プライベートに関わる取材はご遠慮ください」と言うのと同じです。

裁判所を通じていなければ、法的な強制力はありません。だからこそ取材陣は「人と人との約束を守れるか」という道義的責任を負います。社会が証人となります。

これに対して、創作者側が「どうしても他人の作品から発想した物語を、その旨を明示して発表したい」と思えば、「表現の自由」を主張して、裁判で闘うことになるでしょう。

べつに、二次創作者が裁判に出て悪いことはありません。判断基準である法律そのものの改訂を訴えて大論争を巻き起こしても構いません。むしろ、闘う権利があります。

でも、それを避けたいので、意味不明な隠語を使ってまで身を隠そうとしてきたのが「同人」です。

【対応】

「二次創作は人気のバロメーター」というのは、その人自身の考え方であって、創作者全体の意見を代表しません。

そういう人は、自身のブログなどで「私の作品は二次創作フリーです」と宣言するか、全作品にCCライセンスを付与すればよいのです。今まで遠慮していた天才が奮って登場してきて、出版界・購読層を喜ばせるとともに、原作者の地位をおびやかしてくれるかもしれません。

「二次創作はうまくやってくれ」というのは、ガッポリ稼いでくれという意味ではありません。絶対に見つからないでくれという意味です。たとえば刑事ドラマなどで犯人グループが「うまくやれよ」「うまくやりますよ」と言えば、「ツイートしろよ」「拡散します」という意味ではありませんね。

親告罪であることが理解されたからこそ、原作者のところへは「放っておいていいのか?」といった質問・苦情が殺到している可能性があります。

非親告罪になれば、壁サークルを密告する必要はありません。警察が内偵を進め、イベント会場を封鎖して、一斉検挙するだけです。ダンスクラブはやられました。

そもそも、イベント主宰者が規約の冒頭に「違法な商品は出展できません」と書く他なくなるのですから、非親告罪化が決まった時点で全滅です。

「俺だったら密告するから、その前に許可してやろう」というので始まったのが二次創作許可マークですが、これは常に二次創作物とともに原作を携帯しなければ疑いを晴らせないことを意味します。

複製でも翻案でもなく「二次創作」だけを許可してやりたいという気持ちは分かりますが、そもそもその程度なら著作権侵害にあたっていないとも言えます。

また、すでにCCライセンスがあるのに話をややこしくした恨みはあります。

世界共通のCCライセンスではなく、日本国の知的財産として、日本人にのみ二次創作を許可したい・外国人からは守りたい(関税をかけるのと同じ)という考え方もできますが、漫画の発表自体がデジタル化されたので、手を打たない限り世界同時公開となるわけで、アニメ化を待たない二次創作も国際的に多発するでしょう。

(海外では「ファン・アート」といいます。)

技術の進歩によって、デジタル漫画へ勝手に音声をつけた動画というものも考えられます。重大な複製権侵害とも言えるし、声優の卵・映画音楽作曲家の修行場所と考えることもできます。

……やっぱり、このへんは著作権者自身が裁量する権利を確保しておくのが良いのだろうと思います。

2015/04/15

【著作権の件② ~二次創作許可マーク。】



複製権を無償で手放すと、海賊版売り放題なわけで、正規品は売れなくなります。

翻案権を無償で手放すと、映画化し放題なわけで、著作権者は莫大な権利料を受け取れなくなります。

キャラクター商品についても、いちいち権利料を受け取りたいです。

が、「二次創作だけは無償で許可してやりたい」というので考え出されたのが二次創作許可マークですが、それはもともと著作権の侵害に当たっていない可能性もあります。

原作者とは別人による仕事であることが一目瞭然な、似ても似つかない作品に原作の題号(タイトル)が表示されていれば「許可とったの?」となるのは当然ですが……

いわゆる二次創作に原作の題号が明示してあることは少ないものです。このへんの機微は、もうずいぶん前から「同人」に理解が共有されていたように思われます。

著作権法は、そんなに難しい決まりではありません。もともと創作同人というものは、最低でも字が読めるわけで、その何割かは進学を機会に上京した優秀な青年たちですから、法律の勉強だって、やれば出来ます。


【連想。】

では、明確に「あれのパロディです」と宣言していないものが、なぜ一部の人には「それだ」と分かるのか。

先に「あれ」を知っているからです。いくつかの要素の組み合わせによって「ああ、あれだ」と連想されるからです。

この、人間の脳に備わった「連想」という機能を利用した、分かる人には分かるという現象の面白さは、アニメ版『妖怪ウォッチ』が駆使しております。

根本的なことを言うと、人間には海馬領域が刺激されることを好むという性質があるんじゃないかと思います。アハ。


【運用上の不便。】

で……許可マーク。

じつはCCライセンスもそうなのですが、これは「許可マークを掲載した原作をつねに携帯しないと疑いを晴らせない」というものです。

二次創作を置いた展示台の隣に原作本(のマーク掲載頁)を展示し、問題ないことをお知らせする、という必要があります。

本当は、駐車許可証・入園許可証のように、二次創作物のほうにハンコを押すとか、許可証をプリントアウトして貼り付けるとか、創作者自身にカードを携帯させるとかでないと意味がないです。

ハンコ・印紙はもちろん検閲の意味を持ってしまいます。各自許可証を必携のこととなれば、原作の数だけ首にぶら下げることになるでしょう。


【BLであること。】

もう一つ、意味合いのちがう問題があって、これを提唱した人は男性です。

彼自身が二次創作畑出身であることを認めた上で、後輩にも認めてやると言い出したわけです。

彼が「BL化へのフェアユース概念の適用は無理でしょう」といえば?

フェアユースとは、一般社会によって、使用の公益性を認められることです。たとえば法律の条文などは、いちいち関連省庁へ許可願いを出さなくても、誰でも参照し、引用することができます。

BL化のフェアユースは無理といえば、ある作品の登場人物(の名前)を自作BL作品の主人公として使用した場合、一般社会がそれを認めないという意味です。

おそらく、彼の描いたものは、BLに分類されるものではありません。どちらかというと、「ロリ」とか「百合」とか言われるものであるでしょう。「残虐」かもしれません。

……それらは、一般社会によって公益性を認められるつもりでしょうか?

「いや、そのつもりはない」と言うならば、なぜ「およそ全ての二次創作は、公益性を認められない」(だから特別に原作者権限によって許可制を確立しよう)という話にならないのか?

ひらたく言うと、「ロリなら良いが、BLは無理」という個人的嫌悪感を表明してしまったのでした。

これによって偏見が助長され、BL派がひじょうに困るという事態が起こるわけです。

ここでBL創作者みずから「元々やばいし~~」と笑ってはいけません。

“表現の自由が自主検閲されるべきであると事実上強制されている件”について、創作者自身はあくまで「憤懣やるかたない」という言い方をしておくものです。


2015/04/15

【著作権の件③ ~パロディ推奨の思い出。】



1970年代の学童雑誌には、すでに掲載されたプロ漫画作品から1コマだけが抜き出して掲げてあって、そのフキダシの中がまっ白くなっており「ここへ自由な台詞を入れてみよう」と読者投稿を募る頁がありました。

『笑点』の大喜利みたいなもので、投稿者によって言うことが違うから面白いわけです。

編集部の意図としては、郵便葉書に台詞だけを書いて送ってくれればいいわけですが、中には画像そのものを丁寧に模写したものへ台詞を書き入れて送ってきた投稿者もあっただろうと思います。

ありていにいって、記憶にある「お題」は、藤子不二雄(当時)『ドラえもん』の一場面だったのですが、ドラえもん自体が駄洒落のセンスで秘密道具をデザインしており、このアイディアは現代の『妖怪ウォッチ』にまで受け継がれています。

アニメを下敷きにするまでもなく、漫画家(の卵)の世界では、何かを基にして「もじる」といったことが当たり前に行われていたのでしょう。

当時の編集部が、プロ作品をそのように利用することについて、原作者に了解を取っていたのか、特別料金を支払っていたのか、そのへんは分かりません。

日本の作家は出版社の下請けのように見なされている性質もあり、とくに了解もなく実行されていたのかもしれません。

子供たちに頭をひねってもらえば、明日の漫画家が生まれてくる可能性が高まるのですから、大義名分は立ちます。

ただし、作家のほうとしては、若いライバルが増えることになるので微妙です。このへんは、どこの業界にもあることでしょう。歌真似に点数をつけろといわれたテレビ芸能人なども、苦労していると思います。




2015/04/15

【著作権の件④ ~出版社の権利。】



引き続き、渋谷達紀『著作権法の概要』(経済産業調査会、2013年9月初版)による個人的理解。実際の裁判官の判断とは違うことがあります。


【出版権。】

著作権者が設定すれば(つまり許可すれば)出版者/社は特定の作品をそのまま複製し、頒布する権利を専有します。

他社が勝手に特装版を売り出していれば、やめさせることができます。コピーを大量にばらまく人がいて、正規品が売れなくなれば「ああいうの逮捕してください」ということができます。

知らない内に原作者が他社と契約していて、二重に印税を受け取っているようなら「話が違う」と言ってやることもできます。

「そのまま」が重要なので、編集員が勝手に台詞を替えてはいけません。自分の絵を付け加えてもいけません。有名作家の名前を使っておきながら、中身は新人の作品というのもいけません。読者をだましたことにもなります。

著作権法というのは、もともとそんなに難しい話ではありません。

例えば子供が同級生のテスト解答用紙を盗んで、その名前を消して、自分の名前を書いて提出し、自分は合格して同級生は落第したなどという時は、誰が聞いても「そういうことしちゃダメでしょ!」って言うでしょう。

その程度に常識で判断できることを、わざわざ言葉で書いたので、ややこしいように見えるだけです。


【翻案権。】

上記のような話は、要するに複製を売った「お金」を誰が受け取るかという話なので、財産権といいます。これは著作権者から他人へ譲渡することができます。

譲渡がなされると、翻案権というのもくっついてくるので、出版社は「小説を漫画化、漫画をアニメ化、アニメを実写映画化またはミュージカル化」などというとき、いちいち許可を与えて、利用料を受け取ることができます。

この場合、原作のストーリー性を変えないことが重要です。新しい要素を付加することは認められます。

たとえば「奇妙な薬を飲んで小児になってしまった青年が、小学生としての夏休み中に、新たな事件に遭遇する」という話はできます。

でも、アニメ監督と脚本家だけで、原作者へ相談せずに「愛する少女の接吻によって青年が元の体に戻ったことにして、めでたしめでたしにすれば『感動の完結編』ってことで興行収入が伸びるぞ」と決めてしまうのはダメです。

だから、アニメ映画のシリーズは、良くも悪くも進歩のない話を繰り返しているわけです。


【人格権。】

これは著作権者だけに一生ついて廻ります。他人に譲渡することはできません。本人がなくなった時も、遺族が継承することはできません。

逆に言うと、出版社には「BLは気分が悪いので許しません」という権利が、ありません。

また、出版業者の立場として「BLであること」を理由に創作を禁止することはできません。創作者の「表現の自由」を、表現業界みずから否定した、というわけには行かないからです。

業界同士の仁義としても、同業他社がBL分野の雑誌や文庫を市販しているのに「それはやばいです」と言ってやるわけには参りません。

いずれ自社からBL雑誌を出版する可能性もゼロではないことを考えると、自分のためにも「BLはやばいっすよ」とは言えません。

「俺は男としてBLだけはいやだ」と言い得るのは誰か。原作者ただ一人です。


【一蓮托生。】

長年に渡って同じキャラクター作品を出版し続けている業者にとって、そのキャラクターが会社の顔のようになってしまうこともあるので、こうなると原作者と出版社は一蓮托生で、不愉快な改変には団結して当たっていこうという姿勢が生まれることはあり得ます。

でも人格権の名において正式に訴えを起こすことができるのは、あくまで著作人格権を有する人、すなわち原作者ただ一人です。

(共同著作者がいる場合は、もちろん合議の上です。)

実際の告訴に関わる事務仕事は煩瑣なので、出版社が「それはこっちでやりますから、先生は連載の続きを描いてください」ってことはありそうです。


【依拠の程度。】

たとえ非親告罪化されても検察が証拠を提出しなければならないのは同じことです。

ある原作と、その二次創作であることをわざわざ自ら名乗る「同人誌」を比較検討した結果、法律に定めるところの侵害が認められない、という結論が出る可能性はあります。

それでも原作側が命じることができるとしたら「○○の二次創作である」とわざわざ名乗ることをやめろ、ということのはずです。内実は素人の独創作品であるものを、有名作家の名前(または作品の題号)を利用して宣伝していることになるからです。


【噂。】

こう見てくると、出版社が「同人」に協力してくれたというのは話がおかしいのです。

出版社は、たとえ著作財産権の譲渡を受けていたとしても、最初から複製でも翻案でもないものを告訴する権利がありません。

人格権が無いのですから、人格権に基づいて「不愉快な改変を禁止する」とも言えません。

ということは?

「出版社がバックについているから大丈夫」というのは、どこがどう悪いのかも自分でよく分かっていないからこそ不安に駆られた人々による噂だった可能性があります。

もうひとつの可能性は?

著作権者が人格権に基づいて「不愉快な改変を禁止する」と宣言する意向を示したのに、出版社が説得して翻意させたという意味になります。

佐藤秀峰は、この読者との関係における主導権を出版社が握っているかのような業界の慣例に対して、強烈な皮肉を言ってやったということになるのでしょう。


【法律家の悩み。】

もともと法律というのは、大勢の人から意見を聞いて、間を取って常識的な範囲で決めてあるだけで、また、そうでなければなりません。

独裁者が極端な法律を通すようでは、恐怖政治が始まってしまいます。

だから現実の事象をすべて反映しているとは言えないし、特定の業界の意見はもっと先鋭的だ、ということもあり得ます。

世の中には、危険ドラッグや人身を売りたい業者もいるわけです。地上げしたくてたまらない業者もいるでしょう。

「売れるんだからいいじゃねェか。かたいこと言うな」といいたい人は、結構いるのです。

(だから「売れる」を言い訳にすると、印象が悪くなります。)

著作権法の解説書に、条文の説明とは別に著者の個人的意見として、パロディは○○権の侵害と見なす「べきである」といった文章がみられることがあります。

法律家としても、パロディの流行には頭を悩ませているみたいです。

法律があるのに守られていないとなると、遵法精神をそこなう、誰でも何でもやったもん勝ちという世界を招来してしまうからです。

だったら、いっそ不便な法律のほうを撤廃すれば良いという考え方もできますが、著作権法そのものは、書いた人が正当な利益を得る権利を守るためのものであって、べつに悪法ではありません。

二次創作者がオリジナルを書いた時にも関わってくることですし。

これは日本だけの現象ではなく、インターネットの普及によって、世界的に「ファンアート」が人目につくようになったので、よくあることですが、法整備が追いついていないのです。

なお、法整備とは「これを禁止する」と決めることばかりではありません。「これを保障する」というふうに決まっても良いのです。



2015/04/15

【著作権の件⑤ ~ドロロンえん魔くんのユキちゃんから考えてみる。】



ずいぶん昔のテレビアニメの話題で、まずは単に「好きだった」という話です。

永井豪(とダイナミックプロ)原作アニメにおける主人公少年のパートナーで、番組の「マドンナ」として、白い振袖を着た少女が登場するのですが、その裾が短くなっていて、ミニスカート状態になっているのです。もちろん生脚むっちり。

振袖で女らしく装うことと、動きやすさが両立されていて、子供心にも素敵なアイディアだと思いました。

現実に真似する人がいたら、さすがに奇抜すぎるので、こういうのはアニメならではの醍醐味だな……と、幼いながらも感得した覚えがあります。

その後、同じようにミニスカート状の振袖を着た魔法少女キャラクターが何人かテレビに登場したので、原作漫画家かアニメ監督の誰かの心に、同じユキちゃんの印象が残っていて、今度は主人公として活躍させてやりたいと思ったのかもしれませんし、逆にまったく昔の作品を知らない人でも、いつかは思いつくアイディアなのかもしれません。

こういう「誰でも思いつきそうなアイディア」というのは、それ自体では権利を主張できません。でも新しいほうのキャラクターの名前が「ユキ」だったら、昔を知っている人は「ピンと来た」ということになります。

でも、髪の色が違えば、別人と見なされるでしょう。

逆に、髪の色も目の色も、髪に花を飾っている(飾っていたと思います)ところも、全てあの頃のユキちゃんにそっくりというと……?

でも、吹雪を自在に操る日本版「雪の女王」で、雪をイメージさせる白い髪をしているといったキャラクターは、他にもいます。女性だから髪に花を飾るのは当たり前ともいえます。

(じつは『妖怪ウォッチ』の「ふぶき姫」を見て思い出したのです。)

コンセプトが同じだから、デザイン結果が同じになるのは当たり前と見なすか?
 
それとも「意図的に他人のアイディアを盗用して、よぶんに稼ごうとしているから、人道にもとる」というべきか?

「ユキ」または「雪子」という、どこにでも実在しそうな名前についてはどうでしょうか。

原作者は「その名前を最初に使ったのは俺だ。俺に権利がある」と申し出ることができるでしょうか。

申し出ること自体は自由ですが、おそらく裁判所で認められることはないでしょう。商標登録もむずかしいと思われます。名前としてはありきたりだからです。

やはり、そのような「トリビュート」を権利の侵害として告発するためには「○○(作品の題号)における、特定の少女を指示する人名で、たんに雪子ではなく「雪子姫」であり、その容姿も酷似している(ように思われる)」という複数の要素を総合的に判断するということになるのでしょう。

もちろん素人は一瞬にして、そのへんを見抜くので、即座に「面白い」と思う人は思うし、「やばくない?」と思う人は思うということになります。

ただ、この「やばいに決まってる」という感じを、法律に着地させるのは難しいのです。

また「判断する権利」ということも考えられます。

著作権者が「新人育成のために何でも描けばいい」と思っているのに、警察が片っ端からしょっぴいて行ったというのも、逆に「著作権者の意に反する」ということもできそうです。





2015/07/04

【著作権法を厳密に適用すればするほど。】


二次創作を立件することは難しくなります。

原作への依拠性を証明する証拠をそろえることが難しいからです。たとえ非親告罪になっても、検察官が証拠をそろえなければならないことは同じです。

【そもそも裁判とは。】

じつは被告を守るためのものです。

「悪いに決まってる」と思い込んだ一般市民による私刑のほうが、エスカレートしやすいからです。その前に第三者が割って入って「万人が納得できる証拠を見せてください」というのが裁判です。だから時々、一般人には理解不能な判決が下ることもあるのです。

これは裁判の本質であって、私が道理をまげて二次創作を弁護しようとしているわけではありません。

【二次創作の依拠性。】

未来の猫型ロボットや電気ネズミなど、ひじょうに特徴的にデフォルメされた動物キャラクターであれば、誰が見ても「あれだ」と気づきます。

でも、原作少年漫画とは似ても似つかぬ少女漫画ふう美少年たちが、サッカーせずにデートしているだけなら、知らない人が見れば、ただの新作漫画です。

世のなかには反感を持つ人もいて「どうしてこれをわざわざ二次創作として出すのか分からない」ということもあります。が、両刃の剣です。まさにその疑問を利用して「二次創作ではありません」と言い張ることも可能だからです。

同人の中にも長年続けている人気者と、すぐに淘汰されてしまう人がいるということは、上手い人とそうでもない人がいるわけで、購読者からすれば、二次創作なら何でも良いわけではなく、「あの有名な同人作家が新刊を出したから買いに行こう」ということであるはずです。

つまり、原作とは別の独自価値があると主張することが可能です。

じつは著作者人格権というのは、原作者の名において何でも命令できる権利ではありません。自分の名前および作品の題号を使われない権利です。

二次創作者が注意書きのつもりで「○○先生とは関係ありません」と名前を出してしまえば、かえって、それ自体によって宣伝効果(検索ヒット効果)を持ったことになり、権利者はここを突くことができます。

でも「△△物語のパロディでございます」とは言っていない作品において、登場人物の名前が同じというだけでは、その人名を商標登録しておかない限り、現実の子どもに人気スポーツ選手の名前をつけるようなもので、「憧れているので独自作品の主人公名として使わせてもらった」ぐらいのことは言えるのです。

そして「パロディでございます」と宣伝することを、同人はもうずいぶん昔からやめているのです。だからこそ、一見すると意味不明な隠語を使ってきたのです。

【裁判とは、その2。】

日本の裁判は、洋画やテレビコマーシャルのように派手ではありませんが、ああ言えばこう言う主張のぶつかり合いであることは同じです。

裁判とは、証拠をそろえたと信じる人と、断固たたかい抜くぞと決意した人がいるから成り立つのであって、控訴を棄却すれば終わる道理です。

いきなり罪を認めてしまえば、和解・示談といったことで終わりです。逆にいえば、たたかい抜く所存であれば、なんとでも言ってよいのです。それこそ表現の自由です。

じつは著作権に関わる裁判はたくさん起こされており、当然ながら、どの被告も「依拠性はない」と言いぬけようとします。それが被告の権利です。

【だからこそ。】

倫理観が問われるのです。

法律というのは、人間社会で生起する全ての現象を網羅しているわけではありません。経験にもとづいて「やらないほうがいいよね」「やる人がいると迷惑だよね」と多くの人が認めたことだけを、わざわざ禁止しているのです。

それを「金目だからいいじゃん」「みんなやってるからいいじゃん」と言えば、その人自身の人間性、ひいては同人全体の人間性が問われるということになります。

百歩譲って「二次も含めた表現の自由(≒フェアユース)」を主張された時だけ、一般社会としても、法曹界としても「検討してみる」と答えることができる……でしょう。たぶん。

出版界は「青田としての価値がある」ということで、事実上、これを主張しているわけです。が、個々の原作者が認めているかどうかは、また別です。

彼らも著作者人格権においてさえ、正式に告訴することが難しいからこそ、実際に裁判を起こす前に「原作者の意向」を発表するという形で倫理観に訴え、社会的制裁を期待するわけです。

言ってしまえば、原作者がどんな意向を示そうが、それを無視することもできます。でも、一度原作者が「やめてほしい」と言えば、多くの同人がそれを尊重することになっています。

大学の先生も「出版界が認めているから」ということはできますが、「自分の意見ではどうなんだ」と問い返されることはあり得ます。