2012/10/14

男が男についていきたがる時。

『負けて、勝つ』第5回を参考にすると、男が男に向かって、
「どこまでもおともする♪」とか、
「一生ついていく♪」とか、
「いつも貴男のことを一番に考えてる♪」とか言い出した時は、
裏切るフラグなのね (´・ω・`)

ドラマ中では、次郎は本当に他と取引したことを吉田に見抜かれて言い返せなかったのか、本心から彼の運が下り坂に向かう前に引退させてやりたかったのを曲解されて憤ったのか、どちらとも取れる描き方になっていた(と思う)けど、どっちにしても、言われたほうが「この男、急に何いってんだ」と訝しむようでなければ男同士としてはおかしいってことだ。

男は互いに滅多なことで言質を取ったり取らせたりしない。いつでも反目と裏切りの可能性と腹の探り合いの中で生きている……というのが大体フィクションにおける男同士の世界観だ。

あるいは発言キャラクターのあぼーんフラグか。「一生おともします」「どこまでも二人で行こう」と言った途端に一生が終わったっていうのはありそうな話だ。

映画『上海陸戦隊』では「私も連れてって下さい!」という負傷兵がいたけど、やっぱり途中で倒れちゃったな。

もっとも男と女の話でも「かたく誓ったはずが」っていう『金色夜叉』のパターンはよくあるから、誓ったところで「ドラマ自体が終わるフラグ」として、ハッピーエンドにするのが良いのだろう。っていうか、
ここで終わらないとハッピーエンドではないのだろう(´・ω・`)

若いイケメンをそろえ、(たぶん)女性が脚本を書いた今年の大河ドラマ『平清盛』は、基本的に「男性キャラクターが(作家・視聴者の)女心を代弁する」「不幸な結末は分かってる」というメロドラマなので、男同士で「ついて来てくれ」とか「ついて行きます」とか「登ってこい」とか「待ってて下さい」とかプロポーズ大作戦ばかり繰り返していてもいいんだけど、男のドラマに本来あるはずの「あいつ絶対裏切る」「やられる前にやれ」という緊張感に欠ける。

「平安のゴッドファーザー」って言葉で「平安時代のキリスト教徒」を意味したいのではなく、コッポラの作品をイメージしているのなら、あれはマフィアであり、アンチヒーローであり、互いに腹の探り合いと裏切りまくりの物語だった。

『負けて』のメインテーマは映画『3:10 to Yuma』(のリメイク版)のテーマと似ていた。「荒野に独り佇み、夕陽に向かって顔をあげ、戦いに赴く孤独なガンマン」みたいなイメージだったのだろう。

小りんや和子のように女性キャラクターが内助の功的な働きしかしない、男のナルシシズム的ドラマに辟易としているという女性視聴者も大勢いるはずだから、『清盛』のように美しい男たちが泣きながら愛しあい求め合うドラマが働き疲れた女性たちを慰めてくれるために存在したっていい。

問題は、日曜8時にそれを流したら「意味が分からん」と思われたことだ。

「くノ一」の入浴シーンを売りにした長寿時代劇がついに終了したので、男性向け時代劇がウケなくなった時代、といってもいいのだろう。じゃこれからどうするか。歴史キャラクターの名前を借りた一部女性向け二次創作みたいなドラマをまた流すのか。

来年は若い女性が主人公で、有名人の「妻」であることが決定しているので、心配していない。女性が主人公で、きちんと嫁ぐ話はウケがいい。

再来年の黒田官兵衛は男性ながら「内助の功」的なキャラクターだから、それを男性脚本家が描くとどうなるのか、興味深い。来年のことを言うと鬼に笑われるというのにもう再来年の話。

2012/10/28

『雷電』見てたら能と歌舞伎ってどう違うのって中学生にきかれたから

とりあえず「能の人は化粧しない」と言っといた。

面をつけてるのが能で、「隈取」という化粧をしてるのが歌舞伎だ。面をつけないでやる能もあるが、この時もドーランは塗らない。能の女性役は白い顔の面をつけるが、「その下の顔にもおしろいを塗って面と首との境目を隠す」ってことはしない。

能は女性らしい作り声にもしない。肩幅をせまく見せる・背を低く見せるなどの工夫もしない。基本のポーズは男女役共通で、その点ではバレエと近い。朗読劇のような長い語りと象徴的なパントマイム・抽象的なダンスをメインとするのが能で、比較的リアルな会話による演技・女性らしい「くねっ」とした動きを大事にするのが歌舞伎だ。

歌舞伎の男性はスタスタと大股で、かつ胸を張って歩いてくる。時代劇のお侍さんとそっくりだ。っていうか昔の時代劇スター=歌舞伎役者だった。

能では独特の前かがみの姿勢と「ハコビ」と呼ぶ静かな足の進め方がある。これはそのまま撮ってもテレビドラマにはできない。まずは非日常的な「舞踊」であることが前提で、その意味ではバレエ・ダンサーが爪先を開いて踵から柔らかく着地する独特の進み方をするのと同じだ。

能の役者は男女どっちの役も演ずる。女性役専門の人が日常的にもどこか女らしい……ということはない。あえて言えば、おっさんくさいのが能役者だ。男の「素」を残したまま非日常を舞うのが能で、日常と地続き感があって具体的に女になりきろうとするのが歌舞伎だ。なぜそうなのかについて、成立当時の社会状況や世界観など研究・説明しだすとたいへんな(退屈な)ことになるので、とりあえず見た感じそういうことだってことでいい。

着るものについては、とくに狂言と「勧進帳」では見分けがつきにくいかもしれない。女性の衣装のほうが時代を反映しており、違いが大きい。能の「道成寺」と歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」はかなり違う。能の秘曲「鷺」と歌舞伎(日本舞踊)の「鷺娘」もだいぶ違う。念のため、どっちの道成寺の白拍子もいわゆる(巫女さんみたいな白い水干に赤い袴という)白拍子スタイルではない。

京都の町衆、江戸の町方。歌舞伎には江戸時代の洒落っけ、柔らかさ、粋が生きている。能は……平安時代の大鎧や戦国時代の陣羽織が近いかもしれない。公家の豪華さに近づこうとした武家の、気を張った感じ、尊大さ、金ピカの威厳。それを野暮に見せないために、能役者は極端なハイテンションを求められる。

そのくせ、舞台は歌舞伎のほうが豪華だ。大勢の庶民を相手に、ある程度リアルで分かりやすく華やかなものが追求され、町人の発明力・経済力の高まりを基盤に舞台機構が工夫された。能は今でもお城の中に座敷舞台が残っているように、比較的せまいとこで限られた階級が観るもので、元が語り芸でもあり、聞いてわかる人がそろってる条件だったので、見た目に大掛かりにならなかった。

……っていうのは見りゃ分かることなんだが、逆にいうと見ないと分かりにくい。口で説明するにあたっては、プロレスとK-1の違いとか、ラグビーとアメフトの違いとか、オペラとミュージカルの違い……などと類推を広げてみると、やっぱり発生時期の新旧と、支持層の違い、ルールの説明あたりが入り口だろうか。と考えつつ、

「むしろどこが同じに見えるんだ」と聞き返してみた。
「同じような舞台でやっている」そうだ。

たぶん鏡松のことだろう。世話物のセットと能舞台では全然ちがうのは一目瞭然だから、松羽目物が話をややこしくしているには違いない。

舞台そのものは間口が違う。形も違う。横長に広がってるのが歌舞伎で、正方形のが客席まで突っ込んで来ているのが能だ。歌舞伎で役者が登場するとき歩いてくる「花道」と能の「橋がかり」では、舞台に接続する角度がちがう。

舞台そのものに柱がなく、ミュージカルや歌謡曲のコンサートなど他の演芸で使う「ステージ」と同じ形をしてるのが歌舞伎で、角柱があって屋根がのってるのが能だ。野外公演では屋根がないが、柱は必ずある。演技の目印になるから。面を掛けた役者は視界がせまく、舞台の端っこを示す目印がないと、落ちる危険が本当にある。(落ちた人もいたらしいんだ)

あと、能の舞台は回らない。せり上がりもない。したがって奈落がないので能楽堂には怪人は住めない。足拍子の響きをよくするために埋めてあるという床下の瓶の中に小人が住んでいたら、うるさくて眠れないと思う。(トムジェリにそんな話があったな)

客席と舞台を仕切る幕もないので、幕を引いている間にセットを変えることもない。役者が衣装を変えてくるだけだ。念のため、衣装は「装束」と呼んでほしいことになっている。

時々大道具が後から追加されることがあるが、これをセットするのは黒子ではなく紋服姿の役者で、客からよく見えるが、それでいいことになっている。客もその間は休憩時間ではなく、静かに待つ。昔はお殿様の前で演じたので、そのほかの客はお相伴に預かる形で、お行儀よくしていることになっている。(本当の江戸時代の町入能を描いた絵を見ると町人はケンカとかしてるんだけど)

構造的な違いは大きいが、テレビや写真などカメラを通して舞台の上だけを見ると、そこまでは分からないのかもしれない。歌舞伎が新派演劇やドリフのコント、ミュージカルなどともつながっていることと、能がそれとは違う独自路線を保っていることを理解させるには、若い人を「能楽堂へご招待」がいいかもしれない。

あとは?

「どっちも言葉をきいても分からない」

そりゃしょうがねぇな、歌舞伎は300年前で能はさらに300年前だ。と答えておいた。これは大人も充分に分かる人のほうが少ないから気にすんな。

……といっても、歌舞伎の言葉はわりと聞いて分かるはずだ。演目・役者にもよるが、時事問題を取り上げたアドリブを入れて笑いをとるようなこともある。映画・テレビの時代劇と直結してるのが歌舞伎だ。
能がアドリブを入れることは絶対にない。というかアレンジはあり得るんだけど、客を笑わせるためではない。

能は古代ギリシャの仮面劇と比べられることが時々あるが、時代劇→歌舞伎→能とさかのぼって、いかに能が原始的な形態・神秘的な儀式の雰囲気を残しているかを感じるのがいい……んじゃないかな。逆にたどるとなると、能から始めるべきか、平安時代の今様・小歌あたりから始めるべきか、奈良時代の雅楽の興りから始めるべきか、雅楽と散楽のもととなった古代中国の音楽のさまざまを孔子の時代(以前)から説き起こすべきか、ちょっと迷う。じっさい雅楽と能楽を勘違いされたこともあるので、そっちの混同もただす必要もあるんだけども。

能が600年(以上)前のものをどれだけ残しているのか、江戸時代の間に、また明治時代から今までの間に様子が変わったという話もあるが、ともかく庶民が人形浄瑠璃に夢中になり、その動きを取り入れて芝居(歌舞伎)の演出に工夫を凝らす間、それと並行して武士階級(以上)は独自に能を洗練させてきた。

かつては武士の必須教養として、謡は師匠について覚えるものだったので、武士であれば「分からない」ってことはなかった。方言の通じない地方出身の侍どうしが能の言葉で会話できたっていうくらいだ。

明治時代に武士階級がとくべつなものでなくなって、能も庶民に開放されることになり、歌舞伎のほうで能に近づいたので、現代人が見るとややこしいことになっている。

逆にいうと、昔は能が分かんない人は芝居を観に行けばよかったので、「伝統芸能として日本人なら一度は観ておきたいものなのだが、せっかく観ても分からん」っていう状況は戦後のものなのだろう。

もっとも江戸時代に町人の間で謡曲を習うこと(=立って演技をしないでセリフだけ暗唱するようなもの)が流行り始め、昭和の中ごろまでは嗜みの一つとして広く根付いていた。企業のなかにも謡曲クラブがあった。小説のなかに比較的若い世代が「同僚と誘い合わせて教室へ通う」という姿が描かれていた。1962(昭和37)年の映画『切腹』では傘張り浪人が娘の結婚式に「四海波」を謡う場面があった。当時の観客は晴れやかかつ厳粛な場面として感動を共有できたはずだ。

昭和の終わりから平成のはじめにかけて、なんかいろいろと壊れたのだろうと思う。1988年に秘曲「道成寺」を殺人事件にしてしまう小説が出たのが象徴的なような気もする。

あと重要なのは、あるいはまず最初に、音楽が違う。謡曲と長唄は、ジャズとブルースロックくらいには違う。どっちがジャズかとは言わないけど。これも聞けばわかるが聞かないと分からない。あと楽器の編成がちがう。たぶん詞章の似ている曲を続けて聞いて、歌舞伎では三味線が重要であることを感じられるといいかもしれない。

やってみよう。

能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」は見た目も似ているが詞章(歌詞)がそっくり同じところがある。どっちも上演回数が多いので、これは比較しやすい。
安宅の有名なとこの謡だけ 
連吟は謡曲を(伴奏なしで)何人かで謡うこと。連吟として謡うべき箇所は決められている。歌詞(詞章)はこちら。装束はこんな感じ
どちらの先生もドすっぴん。素顔で勝負する男たち。サブキャラは鬘もつけないので現代人の髪型では少々装束と合わない感があるが、気にしないのも能の特徴かもしれない。この能では義経は子方(子役)が演じる。小っちゃくてキュート。 

長唄の「勧進帳」はこっち。「旅の衣は」と「時しも頃は」がいきなりくっついてイイトコ取りになってますね。メロディーは現代人の耳にはこっちのほうが馴染みがあるかもしれません。装束の違いは「勧進帳」で検索かけるとよく分かります。歌舞伎(とくにこの曲)では後見も町人髷の鬘をつけますね。

能の謡だけを楽器つきで披露することもある。能の楽器は笛と大鼓と小鼓が一人ずつが基本。太鼓はついたりつかなかったり。お雛様の五人囃子がじつは能楽バンドの編成。三味線は伝統的には絶対つかわない。若い先生はときどきコラボするかもしれない。

これは歌舞伎(長唄)とも違うので更に困るんだけど、山田流箏曲による竹生島。歌詞を能から取っている。能の歌詞はこっち。「頃は弥生のなかばなれば。波もうららに海のおも。」

シテサシ一声というのは能の主役の最初のセリフ。能の謡い方では、これ↑よりずっと単調で、その分荘重で神秘的なわけだけど、男声が面でこもって聞き取りにくい。
確かに能のほうが「ここでこう言う」と知っている人でないと全く聞き取れないということはある。

なんで謡曲と長唄・箏曲の歌詞が似ているかというと、能を知っている人(エライさん)がお座敷で三味線や箏に合わせて唄わせるために自分で作詞することが江戸時代に流行ったから。二次創作ですな。


2012/11/07

悪魔の花嫁と清盛はちょっと似ている。

天パ、赤い鳥の羽根、おとぎ話の一節など、ちょっとしたアイテムを生かして皮肉のきいた一話完結ストーリー、短編をまとめるのは上手いんだけど、皮肉をテーマにしてしまうと長編は収拾がつかない。ちょっと似ている。

男性が決断力と勇気を示すことによって、姫と世界が救われる……というタイプのおとぎ話を否定するところから入ったのが、悪魔の花嫁だ。

男は弱い。必ず裏切る。だから女は捨てられる前に、みずから愛する男を手にかけてしまう。それが女の哀しさ。
っていうストーリーは悪魔の花嫁によくあるパターンのひとつだ。

デイモスも(本人が言った通り)ヴィーナスにやきころされりゃいいんだけど、彼はもともと神様で不死の存在なので、話が終わんないのである。
あれはいっそ昔のファンを納得させるための「最終章」を諦めて、いまの読者のための新章を始めちゃえば良かったと思う。

いっぽう清盛は、若い頃の友愛と平等の精神を忘れ、保身に汲々として子供を私刑に使い、友人を裏切って反省せず、また別の友人を裏切る。
こんな人物のどこが、若一神社でご神体同様にあがめられる出世の神様なのか。

……おかしくない?

出世なんかしたってろくなことないよ?
人間の心を失っちゃうよ?
こんなやつ滅ぼされて当然だったんだよ。

ドラマ全体が視聴者への皮肉になってしまっている。

もともと作劇が「清盛って本当はいい人だったかもしれない。私の筆で描き直してあげたいな」という作家の内的衝動にもとづいていない。さんざん調べた挙句に「清盛の国づくりって何だったん? この人けっきょく復讐心で動いていただけじゃない?」というのが、重盛と西光の口を借りて出た、作者の結論だ。

あのドラマはもともと「前を向き、上をめざす」という男らしい生き様を否定したい気持ちがベースにある。
「忠盛の出世欲が家盛の命を縮めた」という宗子のセリフが象徴的だ。

だから清盛は「ここにみんなが安心して使える港をつくろう。百年先、千年先まで残る大事業を成し遂げよう!俺に命を預けてくれ。きっと報いてみせる」というふうに周囲を説得しない。
「千年先とは大きな夢をみせてくれるものだ」と感じいった男たちが続々と福原に集結する……というようには描かれない。

もう、そういうの見せられても嘘っぽい。体よくおだてられて働かされたって、結局その時だけ。働いたほうが負け。
現代っ子の気分をあまりにも的確に表してしまっている。

そうは言っても少しはオブラートに包んで、視聴者の気に入るようなドラマをつくるのがプロの脚本家の仕事……かもしれないんだけれども、「作家自身の疑念・信念を赤裸々に表現してしまった」という点では「芸術的な傑作」とも言える。

元々「オブラートにくるんで、余人の納得するものを提供する」っていうのは男の仕事だ。男の作家が、男の客を相手に失礼のないように体裁を整え、「なんだ、こんなもの」「金が出せるか」と言われないために工夫を凝らし、自尊心をくすぐり、しゃれを利かせ、「不器用なやつですが、ひとつ良しなに、お手柔らかに」と上演する。

女性は「そんなの欺瞞よ、偽善的よ、男は嘘つきよ」と叫ぶ、あるいは鼻で笑ってみせることを、1980年頃から始めたってわけで、悪魔の花嫁はそのころの作品だ。

どうもね、清盛を見てるとそういう「いっけん新しいようで実は主張が古い」って感じが、最初からしているのである……

もっとも、ヴィーナスはデイモスがとっくに自分を裏切ったことに気づいていながら、彼にこだわり続け、美奈子はエクソシストを呼んでデイモスと対決しない。

私のせいじゃない、私には何もできない、しょせん女の分際で何もしないほうがいい……

そういう気分が当時の読者である女子中高生を安心させたわけで、でもみんな大人になってしまい、結婚するにしてもしないにしても、何かしら人生を選び取ってしまった後だから、迷い続ける彼と彼女たちをもう一回読んでも、物足りないのは当然だ。

そこいくと、ふてくされて開き直った清盛、あるいはふてくされて引きこもる頼朝の周囲には、「あなたは私の光る君」といってくれる時子がおり、「ともに参ろうぞ」っていってくれる政子がいる。

一歩進んだってところ。


2012/11/13

能と歌舞伎とバレエの違いを感覚的に。

もちろん「個人的な感覚を述べた小稿に過ぎません」と前置きして。

実はですね。

近所のコンビニのレジ奥に虎徹さんのフィギュアが一体飾ってあるですね。夏にやってた一番くじの景品の残りらしい。その立ち姿が気になるのですわ。

腹を突き出したS字曲線を形作っており、腹筋・背筋が弱いように見える。ヒーローの立ち姿ではないように見える。アメコミのヒーローはもっと肩幅があり、じゃっかん前かがみの姿勢でそれを強調するですね。

夏といえば、剣心くんの映画宣伝ポスターなども相当気になった。首と腹を前に突き出した立ち姿は、現代っ子の姿勢、モッズ系・モード系モデルの姿勢で、武道家の姿勢じゃないですね。(腰が前に出ていたら刀身を抜ききることができないでしょう)

それらが人気なのは、女性の感性(ナルシシズム)が反映されているからで、それはそれで「女の時代」ってことでいいんだけど。

ふと思ったのが、「肩幅を強調するために肘を張り、じゃっかん前かがみの姿勢になる」っていうのはボディビルダーのポーズでもあるし、能の「構え」とも似ている。ああやっぱり能は男の芸だ、武士の芸だ、と。

逆三角形で、さらにいうと腰の位置が低い(=足が短い)日本人の男の体がカッコよく見えるようにできている。闘争モードに入った牡牛のように、のめるように前へ前へ進む姿に、男の心意気と美を見る、というようにできている。

少し前に「若手お笑い芸人が能楽師に一日入門」ていう教育番組があったんですが、細っこい現代っ子の彼らも能の構えをとるとキリッと見えるですね。でも彼らはその姿勢が「きつい」っていう。(背筋が弱いからだ)

逆に歌舞伎は、元が女性(出雲の阿国)によるショーだった雰囲気を残していて、女性的なS字曲線を追求する。

もちろん揚巻などの衣装(の重量)を支えるには男の筋力が必要ということがあり、どちらも男の芸として洗練されてきたんだけど、追求する方向が違った。(現代の観客にとっては単に「どっちが好みか」って問題になるかと思う)

さらに、どちらも「上から糸で吊られた感じ」を大事にするんだけど、その重力から解放された感じを極端に追求したのがバレエで、これはロシアバレエ団の中に(皇帝ほかの目を楽しませるための)サーカス的、アクロバット的な要素があったんでしょう。

空を飛ぶことを本気で追求したのが西洋人。彼らは体が大柄だったからこそ飛びたかったのかもしれないし、筋力があって或る程度「飛ぶ」ことができるから、その先を夢見たのかもしれない。

2012/12/30

仮面劇をミステリの素材にすれば。

「仮面」という素材を強調したいなら、すりかえトリックしかありえない。

もう2年くらい前になるかもしれないけど、NHKのドラマで“京都在の女刑事&骨董屋の娘で鋭い鑑定眼をもつ女性のコンビが骨董品にまつわる事件を解決する”っていうのがあった。

京都が舞台という風情と、中年女性ふたりのコンピというアイディアが面白かったんだけど、肝心の骨董品のあつかいが浅薄だったのと、事件がありきたりな男女の痴情のもつれによるものだったのが残念だった。

なかに能面打ちが能楽師の舞台(と生命)を乗っ取って、女房を寝取られた復讐を果たすってのがあった。能面そのものも“中の人”もすりかえだったわけだけど、むかし稽古を受けていたからって体を壊して十数年も舞台から遠ざかっていた人が急にプロの舞台を乗っ取れるほど甘かない。

能楽師は仮面をつけて立っているだけではなく歌手でもありダンサーでもある。劇団という考え方はしないが同じ師匠の元から巣立った役者たちは、講というかコミュニティというか、そういうものを形成している(同人と呼ぶ)

同じ師匠の元から巣立っても、同人それぞれの声質・体格・人間性の違いから芸風の違いが生まれるのは素人目にもすぐ分かる。通い慣れた客なら「今日のシテは誰々だから見に来た」と楽しみにしているのだから、別人が出てくれば橋掛かりの段階で気づくだろう。

だいたい、鏡の間は無人じゃない……。

仮面とくれば、ふつうは“中の人”が意外な人物だった、という展開を考える。面白さを求めてミステリーがつちかってきた手法と、素材とする世界が合わないってことがあるのだろう。(能面も中の人もすり替わりはしなかったからこそ悲劇がおきた『天河伝説』は上手かった、ってことになる)

ちなみに“恋愛などにかまけている暇はない”という世界にあえてロマンスを設定するのがBL(やおい)だ。

戦争中やスポーツの試合中にはラブラブしてはいられないから、作戦または作戦会議が終了したあと、二人だけの夜または休日の様子ばかり丁寧に描くことになり、戦争や試合の成り行きを早く知りたい“硬派”な読者・視聴者からすれば「くだらない話ばかりしている」という印象になる。

女性の一部がなぜ男同士のくだらない話を好むのかについては深入りしない。ある人物があるものをなぜ好きなのかを追求すれば、その人の個人史・家庭環境・友人関係・トラウマなどをほじくり返すことになり、プライバシーの侵害ってことになるからだ。「私はこういう経験があったので」と自ら語りたい人は語ればいいけれども。

(「よくぞ聞いてくれました」と女性の社会的不利を訴える契機とされたのが昔の“やおい論”だ)

話をもどすと、映画『オペラ座の怪人』(ミュージカルを映画化した2004年版)は、一度も表舞台には立ったことのないはずの怪人が、いきなり堂々と歌手顔負けに歌ってしまった。愛ゆえの奇跡というか暴走というか、大勢の観客の前で緊張することもなかったようだ。

無理がある設定は、そんなファンタジーにするしかないのだろう。

無理を承知で、硬派な世界にロマンスを持ち込む。清楚なお嬢様学校に「巨大ロボット科」が創設され、少女たちが戦う……なんてのも面白いかもしれない(すでにあるかもしれない)

無理を承知で作者自身も楽しんでいることを表現し、娯楽作品であること・ジョークを理解してくれる仲間の閲覧に供する。ジョークであることの表現手法として、コメディ調であったり、シニカルであったり、極端にロマンチックであったりする。

であるべきなのに、どうもNHKはときどき変に真面目で、分かっててやってるのかどうかはっきりしない……という不安に叩きこんでくれることがあるね(・e・)(← これを使いたいばかりに移転検討中)


2014/07/01

【広義の第二次ベビーブーマー】

第二次ベビーブームというと、1972年前後に年間出生数が200万人を超えた驚異的な時期を指すが、じつはその数年前から、年間出生数が190万人内外の年が続くという、現在では考えられないような現象が起きていた。

三島由紀夫は「男は27歳くらいが一番いい」と言った。20歳の若造よりも、少し世慣れて遊び方もスマートになり、しかもまだ中年太りはしていないからだそうだ。

かつて男性は、その27歳くらいで見合い結婚して、29歳頃に第一子を得るのが理想的とされていたろうか。

少し遡って、1955年に29歳だった人を考えてみると、1926年の生まれで、終戦の年には19歳だ。残念ながら、復員してきて、人の親になることのできた人は、多くはなかったのかもしれない。1950年代は、出生数が少ない。

逆に時間を進めて、1975年になると、出生数が激減する。理由はオイルショックとされている。

「ひのえうま」の明けた1967年から、1974年の間が、その前後に比して、赤ちゃんの人数がひじょうに多かった時代だ。

彼らは「団塊ジュニア」なのか?

もっとも出生数の多かった1973年には、団塊の世代は26歳~24歳だ。やや若すぎる。男性なら、学生結婚した人と、フリーセックスで出来ちゃった人をのぞいて、親になっていないだろう。

女性なら、18歳で高校を卒業した後、おつとめを始め、数年後に(お相手の)上司の媒酌を得て、26歳までに二人の子を産んだということがあったかもしれない。

だから、この時期の出生数の多さを支えたのは、「戦中に生まれて、食糧難に耐えて生き延びた人のほとんど + 団塊の世代の一部で、早めに結婚・出産した人」だ。

前者の戦中派は、兄弟の数が多い。彼らが数年おきに結婚し、「兄が第一子を得て数年後に、第二子を授かったのと同じ年に、弟に第一子が生まれる」ということが繰り返されれば、出生数の多い時期が数年間続くことになる。

だから、ごく大雑把に言うと、前者を育てた大正生まれの人々の「見合いさせて独立させるのが当たり前」という価値観に基づいて、戦中派によって戦後のベビーブームが形成され、それがもう戦後まもなくに生まれた団塊の世代からは崩れたことになる。

彼らが結婚適齢期というべき28歳~26歳だった1975年以降、出生数は回復しない。不況を背景に、結婚・育児を見合わせる人が出始めたのが、この世代で、今年、全員が65歳以上になる。

話を戻すと、1967年生まれが18歳で、1974年生まれが11歳だったのが、1985年だ。

その前後の時期に比べて非常に出生数の多かった時期の子供たち全員が、ティーンエイジャーとしてスッポリ収まってしまう年が、1985年だ。

この子たちの一部は、おニャン子になった。より多くは、そのファンになった。82年組と呼ばれるアイドル歌手や、ジャニーズに所属する男性タレントに歓声を送り続けた子も多かっただろう。

別の一部は、漫画を読むことと、みずから描くことに夢中になり、「やおい、ロリ」などという言葉を流行らせていた……




2014/07/02

【失われた80年代】

1970年前後に生まれて、1980年代を十代の少年少女として過ごし、バブル景気のおこぼれに預かって、(その一部が)豪華フルカラー同人誌などを目にしてきた人々は、1990年代初頭に成人すると、みずからの人数の多さによって、就職氷河期の当事者となった。

1969年生まれは、大学入試の「足切り」を経験している。入試で得た点数が合格ラインに達しながら、人数が多すぎて入学させてもらえなかった。翌年に入試を受けなおし、新入生となったが、数年後には、自分たちより人数の多い1970年生まれと一緒に新卒者として就職活動せざるを得なかった。

1971年生まれ、1972年生まれ、1973年生まれと出生数≒新成人数は増え続け、就職活動における不利は、それ以前から挑戦している者にとっても、新卒者にとっても、増していった。

彼らは、企業において即戦力となる能力を、高校・大学のうちに身に着けていただろうか。英会話。国際的に通用する論理的な思考。商習慣を支える社交術。パーソナルコンピュータには、いち早く着目していただろうか。

何割かは確実に国家公務員となって、今も国境線と市民の安全を守っているんだけれども……

この人数の多い世代に、医療・看護・介護などの資格を取得させておけば、人手不足の分野へ配置することができていただろう。

バブル景気を奨学金という形にして、国家有意の学生に投資しておけば、いろいろと違っていたような気もするけれども、どうなのか。


2014/07/07

【74年組。】

出生数の多かった時期のトリとなる、1974年に生まれた人が、今年40歳になる。

きりがいいので、(無理やり)振り返ってみようと思う。 ※一消費者による回想で、業界の裏話は聞けない。

彼らは、宇宙戦艦ヤマトが発進した年に生まれた。ピンクレディを盛んに歌真似し、ファーストガンダムの玩具を買ってもらったはずだけど、実はほとんど覚えていない。

小学校に入学したのは、1981年。

この頃から、すでにアニメは子供達への訴求力をなくしている。

合体ロボットアニメ人気の終焉は象徴的だろう。ゴッドマーズとJ9シリーズは、すでに大きいお友達ご用達だっただろう。

世間的に、アニメよりも重要なのは、ザ・ドリフターズから「ひょうきん族」へ人気が移ったことと、ビデオゲーム流行の開始だろう。

1974年生まれは、小中学校時代を通じて、ファミコンでよく遊んだ人々のはずだ。保護者の方針で触らせてもらえなかった人を除いて。

(※ ファミコン発売は1983年で、9歳のとき。サンタさんにもらったかもしれない。 ゲームボーイ発売は1989年で、15歳のとき。スーパーファミコンは1990年で、16歳のとき。これ以後もゲームファンを続けた人と、そうでない人に分かれるかもしれない)

『キャプテン翼』の連載開始は1981年、アニメ放映開始は1983年だ。男児の何割かは、サッカーを始めただろう。

シブがき隊の歌手デビューは1982年。チェッカーズは1983年。女児の何割かは、すこし大きい人と一緒に、彼ら男性タレントグループへ声援を送っただろう。(女性タレントで女児に一番人気だったのは誰だろう)

アニメ分野で80年代に印象深いのは、ラムちゃんとケンシロウだろうか。いちごのパンティを連呼していた少年もいたような気もする。

ロボットの硬質さよりも肉体の線、その露出的表現が愛された時代だったか。キャッツ・アイのコスチュームは、ハイレグ型ではなかったが、エンディングにおけるエアロビクスダンスは印象的だった。

もうこの頃から、アニメは性的刺激・バーチャル恋愛を求める15歳くらいの人に向けたものだったのかもしれない。

それでもアニメを視聴した小さなお友達の中には『ぼくパタリロ!』と『ストップ!!ひばりくん!』の放映を見た人もいたかもしれない。ボーイズラブ的な描写に、ほとんど違和感がないだろう。

「女言葉を使う男性(の二人組)」という描写から、「ゲイ=女性的=面白い人たち」という印象を抱いているかもしれない。

彼らが大学・専門学校へ進んだのは、満19歳の年として、1993年。ダブル浅野も遠くかすんで、80年代の影響から脱したい頃だったろうか。

テレビアニメで人気だったのは「セーラームーン」と「クレヨンしんちゃん」、レンタルビデオも普及していた。

学生は課程によって忙しさにバラつきがある。時間に余裕があると感じられた人の何割かは、ビデオ鑑賞の楽しさと、いろいろな意味における二次創作の可能性に気づいたかもしれない。

耽美専門雑誌『JUNE』は、この頃から勢いを失くす。少女小説レーベルからBLレーベルが独立する(それだけの読者が見込めた)一方で、粗製濫造された(と言ってもいいだろう)漫画としてのボーイズラブが目立ち始める。

いま現在の世間に人気のある作品を見かけると、つい「最近のアニメは」などと口走ってしまうが、コナン・エヴァンゲリオン・剣心は、90年代に始まっている。学生の何パーセントかは、その初期の人気に寄与しただろう。

なお、プレイステーションが1994年に発売されている。彼らは20歳だった。時間に余裕があると思った学生の何割かは、改めてゲーム攻略を始めたかもしれない。

彼らは1995年に新成人にカウントされ、多くは1997年に社会人デビューした。何人かは、お笑いタレントとなっただろう。

彼らは先輩コミックバンドの弟子として、舞台コントに参加するのではなく、コンビ漫才師として若い内にデビューさせられては、ひとつところに集められて、バンジージャンプなどに挑戦させられる……

世の中いろいろあったんだけど、ことテレビ的な娯楽に関しては、この世代の時代から、ほとんど変わっていないような気もする。



2014/07/09

【お手伝いさん要請講座が必要だろうか】

サウジアラビアの女性は元気だそうだ。

女性専用商工会議所があって、男性ガードマンに警護されており、中は受付・メンバーである経営者たち・会頭まで、すべて女性。女性だけだから、女性が働きやすい職場ができる。

静岡新聞7日付け夕刊のコラム欄『窓辺』(静岡銀行社外取締役、藤沢久美氏の担当回)による情報だ。

文章は「日本でも、男性がつくった職場を女性向けに改造するのでなく、まずは、女性による女性のための、女性が働きやすい就業制度と職場環境をつくってみてはどうだろうか。」と締めくくられている。

が、この話、「お手伝いさんが一杯いるから」という落ちがついている。

日本でその要素を取り入れて「女性による女性のための就業制度」を構築するなら、「職業上の知識と責任感にあふれた家事代行者&ベビーシッター養成講座」の創設が急務となるだろう。

かつて大学出の優秀な女性が「私は酌婦ではない」と主張したわけだけれども、女性のすべてが大学出でもなければ、総合職採用されるわけでもなく、大学教授になれるわけでもない点がすっ飛ばされていたのに似ている。

読み書きは苦手、数字は苦手、コンピューターも苦手、でも料理は得意。家庭菜園なら任せて。

企業経営者よりも、経理担当者よりも、システムエンジニアよりも、家事代行に向いているという人は必ずいる。眠れる人材を掘り起こすことになるだろう。

外で働くというが、実際には社屋の中だ。

他人の「うち」に入るというより、「外の住宅」を職場ととらえればいいわけで、内と外、奥様と社会人、女性向けと男性向け……という二項対立も解消されていくだろう。

問題は、「職場」にいる男性によるセクハラであるとか、同じ女性同士による身分的差別、学歴差別であるとかだ。

いま現在、在宅介護の支援などで各家庭を巡回する人々が、似たような問題を抱えているだろう。

『ハリスおばさんパリへ行く』という、ロンドン下町在住の老家政婦が、テレビで見たディオールのドレスに憧れて小銭を貯め、ついに……という児童文学があった。

あのおばさんは、各家庭の鍵を預かっておいて、その家の人が不在な間に掃除をして、黙って帰っていくという就業形態だった。

その家で侮辱的なあつかいを受けたなど、おばさん自身の一存で納得できないことがあれば、鍵を鍵束から外して、ポストに入れて帰る。「もう参りません」という合図だ。

あれも当然、文芸だから美化されているんだろうけれども、だいたい日本の女性は(英国と同じ島国なのに)黙って我慢しすぎるので、そんなふうにうまく行くといい……