2012/10/09

大河ドラマ『平清盛』第39回「兎丸無念」

抱っこ(*´∀`*)

見応えのあるアバンタイトルでしたね……。アクションシーンは吹き替えなしのように見えましたが、お疲れ様でした。お見事でした。長刀を頭上でまわすのカッコ良かったです。「欄干に乗る」も再現してくれて嬉しいです。
「髪型からいってどう見ても禿じゃない件」とか「何をしたいんだ禿たち」とか「見たとこ明るいようだが見物人はいないのか」とかノリノリでツッコミたくなる程度に楽しかったです。

世紀の対決がアバンタイトルに突っ込まれて終わりというのにはやや面くらいましたが、ピリッとまとまっていたし、このドラマらしい味付けになっていて良かったとおもいます。禿をきっかけに会話が始まり、ほぼ自然な流れで素性が分かる。幾つかのエピソードをまとめる手腕がここのところ冴えているようです。戦いながらしゃべるマンガ演出も、それはそれで良いです。「フィクションならではの楽しさ」は追求されていいと思う。

残念なのは弁慶のキャラがかつての清盛とそっくりなことですね……かぶり過ぎでしょう。一人の作家から出てくる球はそんなに何種類もないってことですが、輪をかけて残念なのは、松ケンより青木さんの芝居のほうが自然なことだ(´・ω・`) いや松ケンは悪くない。彼はがんばっている。(というか第三部に入って謙虚にがんばっている)
第一部ではちょっとりきみ過ぎただけだ……。声が軽いのでちょっと強い芝居をしようとして頑張ると怒鳴り声になっちゃう。舞台の経験など積んで喉を鍛えるといいと思う。

オープニングを見てやっと気づきましたが、国松とき松たちはずっといたのですね。

さて、福原。おお、まったく歳を食っていない義清がいる。今更。あんたに言及しなければ保元の乱の描写はもう少し分かり易かったと思う今日この頃。

「泊の普請」と字幕が入った。現代人が耳で聞いただけでは分かりにくい単語を(下手な)ナレーションがつるっと言って終わりにしてしまうので、「字幕があるといい」とかねがね思っていた。いろいろ今更だが最後まで無いよりはよい。今からでも前半に字幕を重ねることはできまいか。

この作品は「日曜8時」の枠が取っ払われると再評価される可能性があると思っている。オンデマンド視聴やDVD発売をにらんで手直しするのも悪くないと思う。

兎丸に関する「先週の回想」は、いわゆるフラグなのでしょうが、話はどんどん進めて下さい(´・ω・`) 

こんな文句を言ってると禿(と時忠)が瞬間移動してくるのかもしれません。床下にいたりするのかもしれません(笑) 御所に入れなさんなよ!

松殿と九条殿の兄弟漫才は好きです。べつに萌えないところがいいです(笑) 忠実と忠通と頼長のトリオ漫才も、もっと一杯あれば保元の乱前史がもう少し分かりやすかったかもしれない。

あくまでテレビドラマだから映画のような大掛かりなセットばかり造れないし、エキストラ動員の手間とかもあるので、映っているのは基本的にメイン俳優の顔ばかりで「そのほかの世間はだいたいこんな感じで動いていたんですよ」っていうナレーションと台詞による説明で終わらせちゃうのは、物足りないけど間違いではない。

ないから……それでも支持が低いとしたら、あとは何がいけないんだろう……とずっと考えながら見ている。私自身もモニターではないが観ている人(しかもオンデマンドで)なので、数字に表れない支持は確実にあると思うんだけど。「マンガタッチ」「歌わないけどミュージカル調」と割りきって観れば楽しい作品だと思う。

加藤浩次はうまいと思う。よく雰囲気を出していると思う。体格もいいし声も個性的だ。わりと好きだ。

おお、久しぶりに穀物粉が匂い立っているw 実は1月8日に放送が始まって、10日に例の知事のクレームが発表されたが、その後の一ヶ月間、第四回までは平均視聴率は第一回の水準を維持しているのだ。第一回を見た人は「汚いから、粉っぽいからもう見ない」とは思わなかった。それなりに面白い、続きが気になると思いながら見たのだ。

第六回の鳴り物入りの大海戦が、裏番組に惨敗したが、実は既にその前の第五回でちょっと落としている。個人的には鳥羽院がナリコさんを押し倒したのがまずかったんじゃないかと思っている。逆に言うと「だからこそ面白い」と思える大人向けにアプローチし直すと再評価されるんじゃないかと思っている。

(そのあとまた院や左府が活躍する回は数字を少し戻しているので「第六回は見なかったが、また見てみよう」と思った人もいるわけで、「暗い」「分かりにくい」と言われた宮廷ドラマ部分も、それでも見るという人もいたことになる)

で……六波羅の几帳が真っ赤っ赤になってる。やや目に痛い。長たらしい官職名も字幕が入った。いい感じである。
宋からのお手紙はなんか素直に嬉しかったです。おめでとさん。贈り物を並べた朝廷の撮影もお疲れ様でした。公卿たちが短いセリフで状況を言いついで行き、院の「先例が大事」の言葉でまとめ、成親と西光が側近として進言する。人間関係もそれぞれの立場も分かりやすく描けていて、本当に良くなったと思います。基本的に史実に沿っているから話運びにも無理がないですし(それが一番の要素かも)

相変わらずナレは無くても分かるような感じで微妙。

思うにあのナレは視聴している女性が頼朝くんを相手に「あ、そーなんだーー」と会話している気分を味わうために必要なんじゃないかな(逆にいうとそれだけなんじゃないかな)

普請はえらい狭いとこでやってますが、それをちゃちなセットっぽく見せないための「汚し」の工夫は、よろしいんじゃないかと思います。

対決シーンは見応えありました。ずーーっと細かく手ブレしてるカメラと、じっくりした中にも緊張感が持続するのが、柴田さんらしかったと思います(坂の上の雲とか思い出してみる)BGMひかえめだったのも良かったです。決定的なセリフが吐かれた瞬間の落雷など、ベタなとこがいいんですな。で、やっぱり加藤浩次は良いと思う。そして誰もいなくなった福原御殿の豪華な赤が切なさを増す……

それでも残ってる盛国、千両役者でございます。初めてかっつーほどの長台詞。アイ狂言かっつーほどの好まとめ。この人の声でナレーションを聞きたかったとだいぶ前から思っております。

清盛すねちゃった。

五条大橋の下でキャンプする兎くんたち。馬で一日の道のりを怪我人を担いで歩いてきたんか。嫁もまとめに参加。初めて「妻がまともに夫をはげます姿」を見た気がする。桃李ちゃん好き。明らかに日本人でないお顔立ちが画面にアクセントをつけてくれていると思う。海外ドラマと違って日本ドラマは金髪や黒人、アジア系入り乱れてってことがないので、俳優・女優の見分けがつけにくいのが最大の難点。

第5回、第6回の海賊シーンと同じ演出家さんで、締めくくるというのか決着をつける形になっているわけですね。そうだよく言った兎丸。平家がのし上がることしか考えてなかったんだ。あの時はそれしか出来なかったんだけどな。これは脚本の自分つっこみなのか当初からの予定なのか。

ラストにかけては全編中の白眉としたいです。同士討ちを乗り越えるのはマフィアの基本。構図もテンポも照明(の暗さ)もよかった。朝になって白茶けた周囲の空気感が利いていた。俳優陣の顔の演技も、それを一瞬かすめるように撮った(使った)のもよかった。一門が脇役・背景に徹していたのも非常によかった。

盛国が締めてくれて本当によかった。西行でもフラ~ッと出てきたらぶん殴ってやるところだった。やっと「徐々に盛り上がった果ての男泣き」という芝居が見られた。こっちも泣けた。文句言いながら付き合ってきて良かったありがとう。柴田さんお疲れ様でした(まだ終わってない)

経石に至る話のつなげ具合もお見事でした。今回は後白河さんが笑かしてくれたっていう部分もなかったし……あとで蒸し返したくなる疑問点もなかったように思う(禿の瞬間移動っぷりについては問答無用)兎丸が多少短期なようだけど「平家は世のため人のためになっていない」というのは第1話で父親を「退治」されてから彼がずっと持ち越してきた気持ちではありましたから瞬間沸騰してもよいのではないでしょうか。

「始末」とはきつい言葉ですね。関係各位の血の涙のようながきいていましたね。

あれだな、清盛は他人の言に左右されて動くが、その素直さが良いところっていうようなキャラ性ですね……。成り行き……? 歴史にかんがみた脚本家による人物解釈? 兎丸は庶民代表、一般視聴者の感性代表で、清盛の良心なわけですが。盛国は清盛の「心の声」なわけだし。彼らにしゃべらせて視聴者に伝わりやすくしたぶん、清盛はあやつり人形的ではあるかもしれません。

それにつけても最近ふつうに真っ当に面白いと思うんだけど、どうでしょ。

さァ次回はやや盛りだくさん気味、建春門院なくなって急展開の気配(といいつつ急展開自体はその次に持ち越しといういつものパターンかも) 厳島ロケが楽しみーー
2012/10/10

顔をみれば分かる。

最近は早めにやってしまうところも多いようだが運動会シーズンである。体育の日だし。
学校行事などで親子が連れ立って歩いているのを見ると、ゾッとするほど、あるいは笑っちゃうほど顔が似ているものである。

赤ん坊の顔はみな同じなようだが、よく見ると他所の家の子は他人の顔をしている。
新生児の両親(母親も)はまだ実感が薄く、新生児室に並んでいる赤ん坊の中から自分の子を見分けられないことはある。

が、一人一人見つめていくと、「これは明らかに他人の顔」というのが分かるものだ。消去法で自分の子を見つけると「そういえば目が自分に似ているような……嫁(夫)に似ているような……」というので、少しずつ実感が湧いてくる。

見舞いにきた親戚のおばさんは一目見て「○○くんの小さい頃にそっくり!」などと叫ぶ。

面白いのは、父方の親戚は新生児の顔をみて「お父さんに似ているね」と言い、
母方の親戚は「お母さんにそっくり」ということだ。
ミックスなんだから両方の特徴を備えているのは当たり前で、人間の目は自分の見たいものだけ見て取る。

『犬神家の一族』事件の肝は「神主の娘がじつは」だった。

佐兵衛から見れば「愛した女性にそっくり」である娘が、はたから見れば「誰が父親か一目瞭然」だった可能性はある。サスペンスのトリックは意外と綱渡りだったりする。

(事実は小説よりも奇なりということがあって、本当に誰も気づかなかったってこともあり得るけど。)

だから「高平太って白河院にそっくりじゃね?」と思った人がいた可能性もある。

テレビのなかった当時の庶民は、院のお顔なんて知らない。が、両方のはざまにいた家成卿はゾッとしたかもしれない。

やせても枯れても女性関係がえげつなくても、院は元・天皇であり、神の子孫である。その血を享けたとすれば、ギリシャ神話でいえば半身の英雄であり、死後は星となって天上に列せられるべき存在だ。日本史上に輝く赤い巨星ではあるかもしれない。

ともかくそういうわけなら家成さんは「ゆめゆめ粗末に扱ってはなりませんよ」と従姉妹の宗子さんに言ったかもしれない。

だからこそ平太に要職を与えなかった、出仕させなかったと考えるのも面白い。皇子として担ぎ出され、あるいは政治家として実権を持つことを恐れられた……「うちで唐菓子でも食べてのんびりしていらっしゃい」と家成卿は言ったかもしれない。だからこそ忠盛も四位以上に出世させられなかった、落胤の後見が参議となって院とガッチリ手を組んでは朝廷貴族はたまらない……と考えるのも面白い。

逆に言うと、そういう子にありがちなように「寺へやられる」ってことがなかったんだから、ふつうに忠盛の子だと思われていたのかもしれない。祇園女御による特別な計らいは、単に白河院と忠盛の関係を強調するための演出だったかもしれない。そう考えりゃ清盛も、彼の馬のくちとりをさせられた子も、いい面の皮といえなくもない。

実父より位の高い家の養女にされた上で嫁入り(入内)させられた少女たちも含めて、子供たちはそんなふうに大人の政略の道具にされていた時代だ、といっていいだろう。

そう考えてもなお、忠盛を参議にするわけにいかない。院とガッチリ(以下略)

要するに忠盛(平家)は、武力とコネと金で昇れるところまで既に昇りつめてしまったのであり、どっちにしてもそれ以上の出世の望みのなかったものが、後白河院というイレギュラーな存在によって覆された。

近衛帝が早世なさったのが多くの関係者にとって計算外だったわけだけど、そもそも近衛帝をむりに即位させないで、崇徳帝を長生きさせて差し上げれば、あの騒ぎにはならなかった。鳥羽院が「私なき後は皆で顕仁を盛りたてるように」っていえばよかった。院が彼を「自分の種ではない」と信じて遠ざけたがったのがいけない。白河院が最初の駒を倒したドミノが廻り廻って平家を頂点に押し上げた。

70~80年代のテレビでは「ドミノ倒し」が流行った。三角錐のふもとから頂点へ向けて駒を並べると、勢いのついたドミノは重力にさからって上へ上へと這い上って行く。最後はロケットが上がったりしたものだ。面白かった。

ドミノの向きを変える回転盤のようなものがあったが、保元の乱(またはその前史)でその役目を果たしたのが信西だったのだろう。

やがて正三位となって正装した清盛を見て、昔を知る高位高官たちが「白河院のお若い頃にそっくり」とゾッとした……なんていうのは、やっぱり面白い。

(ついでに殉死というのは美福門院みたいに残された者が権力をもつことを防ぐためだったのかもしれない、と思うなど)


2012/10/12

悪の帝王と不遇な皇子さま。

と、悪の帝王を倒すことを誓い合った若者が二人いたら、不遇な王子様を仲間にして悪の帝王を倒すってもんである。

現代人は「庶民が団結して国王を倒した」ということが実際にあったのを知っているので「義と悪をひっくり返す!」と宣言されたら「さっさとやればよろしがな」と思う。

清盛くんがさっさと家出して兎丸を脱獄させ、再び宋船に乗って院の所領を荒らし回り、やばくなったら比叡山に逃げ込んで、明雲と三馬鹿トリオを結成したら楽しかっただろう。

諸悪の根源が白河院の院政だったとするなら、その跡をついでソックリ同じまねをし、当たり前のような顔をしている鳥羽院(と美福門院)を蹴倒して、不遇な崇徳院(と重仁親王)をお救い申し、若者だけで庶民のための政治を行う独立国を打ち立てればいい。

後白河帝を操って実権を取り戻そうとする信西は、ジャファーのイメージ。主人公たちとはあくまで対立の方向で。最後はとうぜん清盛くんと信西の一騎打ち(!)で、もちろん清盛くんの勝ち。ラストは時子ちゃんとのキスシーンかな。明子が生きていたって脚色もいいかもしれない。

……少年漫画調、ミュージカル調に始まったなら、そのまま追求していけば、こうなるべきじゃなかったか? と思った。

実際にはそうはいかないので、グッとねじ曲げざるを得ず、清盛くんは革命の同志である友人と、親戚でもある不遇な皇子様を裏切らざるを得ず、そこんところの説明は「自分の読みの甘さを指摘され、信西に頭を下げた」ってことになってしまった。それなりの苦悩はあったわけで、俳優もよく演じていたと思うが、いかにも残念である。

清盛くんは「身内をころしてこい」と言われるという凄まじいイジメを受けたわけだが、「いつか天皇より偉くなってやる、後白河をぶっとばす!」という少年漫画らしい方向へ行かない。「あんなにがんばったのに何にもならないのはなぜ!?」とスネた挙句になぜか「あたしも後白河さんみたいに偉くなりたい! その一歩手前で充分だけど!」で終わってしまう。実際に命令を下した(であろう)信西については、さらになぜか「あの人には負けたわ。一生ついていく♪」と新妻のようなことを言い出す。

少年漫画調にはじまって、女性物語調でしめくくる。タッチの不統一が戸惑いを呼んだってことはあった……ような気がする。

やせても枯れても四男坊でも今様が下手でも(うまかったとは言われていない)天皇は神の子であり、日本人はその身体を、生命を手に掛けることを想像もできない……という説明は、あっても良かったかもしれない。

神としての力を宿しているからこそ天下を乱す怨霊にもなる。一般人が「うらめしや」と出てきても枯れ尾花と間違えられるのが関の山である。

「天皇を大事に考えるからこその、臣下たち同士の微妙な権力争い」っていう説明が最初からスッポ抜けているように思う。(だから『負けて、勝つ』が「おかしいとお思いでしょうが」とフォローしたり)

2012/10/17

今ごろ気づく清盛くんの和歌の意味。

和歌どころか都々逸にもなっていない、「息子たちをみんな平等に愛してるぜ」という例のアレだ。

父親が正当な権利者である長男をうとんじたことから、兄をおしのけて帝位に昇った、という経過をもつマサヒトさんの前であれを披露するのは、彼の家族関係に皮肉を言い、部下(朝臣)たちの前で赤っ恥をかかせることになる。

逆に朝臣たちにとっては「これからは同じ白河院の血を引く俺と新帝とで協力していくから、お前ら笑っていられるのも今のうちだぜ」と挑戦状を叩きつけられた意味になる……はずだ。

清盛自身は帰宅して、ホームドラマでほのぼのしていてもいいが、その裏でもう「あいつをつぶせ! 図に乗せるな!」という陰謀が始まっていた……っていうふうでないとおかしい。少なくともドラマとして面白くない。

後白河帝は、のちに清盛に身内ごろしを命じ、「面白い世の中だな」と言ってやったことで溜飲をさげたわけで、こっちは何とかドラマとして収まってるけど、他の朝臣たちの動きは、史実(とされている記述)をみても、どうも早々と清盛をおとしいれようとしたとか、そういうふうでない。

ひどく難しい課題を与えたとか、遠方の討伐を命じたとか、讒訴したとか、呪詛をでっち上げたとか、そういうことがあったようじゃない。彼らは清盛が出世していく様子を、ただ手をこまねいて見ていたのか。陰謀好きの貴族たちとしては生ぬるいじゃないか。

あるいは陰でそのように動いた者と、それを阻もうとした者(かつての院近臣)の間で政争があり、清盛の知らない内に政敵が失脚していったのか。だったら面白いけど。

清盛は、急に思い立って手勢を率いて山から京へ攻め上った、というタイプではない。木曽の生まれでもなく、伊豆の流人でもなく、鞍馬の天狗でもなく、尾張の大うつけでもない。六波羅で生まれ育った都会っ子である。祇園女御の後見を受け、院近臣の従姉妹を継母にもつ大金持ちのボンボンである。宮廷で、よその貴族の家の客として、ごく普通にふるまえたんじゃないかと思う。

ぶっちゃけ、お金や女を使って周囲と上手につき合っていたんじゃないかと思う。

で、そういう「当時としては普通」な人物は、ドラマにするには元々大して面白くないんだと思う(´・ω・`)
それを無理やり混ぜっ返して面白い人物として描こうとし、騒ぎを起こすのに、史実がそれに呼応してないから、周りがボンヤリしていたみたいになってしまって、面白いドラマにならないんだと思う。

2012/10/18

プータローとワルはちょっと違う。

(どっちも最近じゃ聞かない言葉かなァ。)

「家成さんちの辺り」だったら他にも院近臣の権力にあやかりたい若者がウロウロしていたんじゃないだろうか。

訪ねてみたけど門番が怖くて入れないとか、紹介状をもってきたけど「主人は留守です」とアッサリ言われてショボーンとしてる人とか。コネがあれば明治時代の書生のように住み込みになっていた人もいたかもしれない。

清盛くんは、そういう若者を訪ねて一日じゅう碁を打ったり、下働きの女性をからかったりしていたかもしれない。飽きたら昼寝していたかもしれない。彼は「白河院の落胤にして平家の御曹司」と認められていればこそ、「実力をつけさせるとまずい」というのでわざと無職状態におかれた可能性が、なくはない。といって「面白くねー!」とチャブ台を引っくり返すような手合いでなかったことは、平治の乱のときに「私はどうすればいいかな」と一族郎党にきいてみるあたりからもうかがい知られる。

あるいは、そんな行く宛のない若者と連れ立って、高下駄で街をほっつき歩いていたかもしれない。かもしれないが、博打と喧嘩ざんまいだったとは限らない。

NHKだから「悪所通い」だけは描かれなかったが、十二歳で元服すると同時に「嫁はどうする」って話が出る時代である。乳母が性の手ほどきまでしたという説もある。十五歳くらいまでには「筆おろし」が済んでいたと考えていいだろう。
だから女の許に入り浸ってタダ飯を食わせてもらっていた可能性だってある。

「清盛は高平太と呼ばれていた」というエピソードから「とんだワルだったんだな! 街でさんざん暴れていたんだな!」と考えてしまうのは、考えてしまう研究者・ドラマ制作者自身が、そういう元気のいい不良が街にいた時代を生きてきた世代だからかもしれない……と、ちょっと思った。

『ヒカルの碁』で藤原佐為が「私はもっともっと碁を打ちたかった」といったのを読んで「あんたそれ今だったらゲーム廃人て言われる」と思ったことがある。

清盛くんは平家の武力と財力をたのんで以仁王のように挙兵したわけでもなければ邪魔な公家を処刑・廃絶に追い込んだわけでもない。保元の乱でも平治の乱でもどっちにつくか迷った挙句に「じゃあ俺が天皇になる」って言ったわけではない。彼は無理をしなかった。正盛以来の財産を無駄にしないことを一番に考えただけで、あとは「出る杭は打たれる」「空気を読む」ことを知っていた都会っ子だったような気がする。わりとのんびりしていたような気がする。

だーいたい皆そんなふうに思っていたから、ドラマの解釈を見て「は?( ゚д゚)」と思ったんだ。

2012/10/18

俺はいったい誰なんだ。

白河院の落胤である。

どっちみち忠盛が乳父として面倒を見ていたであろう子供である。

「取り入るためにもらい受けた」というのであれば、面識もない下っ端だった者が、不倫の子をかかえて困っていた白河院(笑)を救ってやった、ということでなければならない。それによって忠盛はどんどん出世したってことでなければならない。

実際のところは、仕事(=出世のチャンス)をまわしてもらえるという引き立てはあったが、位でいえば白河院のなくなる時点で四位であり、のちの清盛自身の大出世に比べりゃ大したことはない。

彼はその後も(他の貴族ではなく彼のみに可能な)武力によってコツコツと手柄を立てることによって正四位上までやっとの思いで昇るのであり、「娘を入内させて皇子を産ませ、おじいちゃんいきなり一位」みたいには、赤ん坊(清盛)のおかげってわけじゃない。

「すでに取り入っていたからこそ、ごほうびとしてもらい受けた」「信頼の証として預けてもらえた」ってところだ。

たとえ院の末子として正式に「認知」されていたとしても、今さら立太子とかあり得ないし、うっかり独立させて貧乏な公家にするよりは、既に金持ちである平家に頼むほうが安心で、親心としてむしろ正しい。手に職をつけさせてやってくれ、院の家来として働けるように武芸を身につけさせてやってくれ、ってことになっていただろう。儂も(自分の息子に苦労させないように)末永くお前さんを保護するよ……ってことで、そう考えりゃ赤ん坊は二人の父に愛されたのであり、結構な話だ。

というわけで清盛くんは「誰なんだ」と言われりゃどっちにしても「最初は白河院の子、今は忠盛の子、将来は平家を継ぐ子、そのことを院もお認めになっている子」ってことでべつに間違いではない。

本人が気に入らないことがあるとしたら「自分で決めた運命ではない、親の敷いたレールには乗らない」ってことだが、もちろん当時の人間の考えそうなことではない。現代人の観るドラマだし、その反骨精神によってこそ大事業を成し遂げられたのだと話がつながっていくところだから、それはいいとしても……

清盛くんは自分が忠盛の実子ではないことに気づかされたからこそグレて家出したのだが、それにしちゃ思い切りが悪い。しかも家令の家貞も継母の宗子も、彼を嫡男として受け入れようとしている。うるさいこと言ってんのは叔父の忠正だけだが、彼自身は「平家の存続のために清盛を廃嫡すべきだ=兄の家長としての判断が間違っている」と騒ぎ立てる正にそのことによって、いま現在の一門に分裂の危機を招いていることに気づいていない。

彼が騒ぐのは「義姉がかわいそうだ」という心理によるが、義姉と不倫してるわけでもないし、それを狙ってるわけでもない。じつは家盛は彼の子ってわけでもない。「下の子として生まれた俺の苦労、甥っ子への同情」を語ることで言い訳としているが、不倫を疑われる恐れがあることに気づかない。彼は最初っから良い人あつかいになっている。一門の信頼が厚いことになっている。だったら尚さら分裂の危険がある。彼は少なくとも人前では黙っていなければならない。演技は面白かったけどねーー

義姉は「私の代わりに夫と喧嘩してください」と頼んだわけではない。彼は勝手に察して、勝手に喧嘩してくれる。黙っていてもジャスト誕生日にネックレスをプレゼントしてくれて、しかも「あいつとうまくやれよ」などと微笑し、決して「俺とホテルへ行こう」などとは誘わない男みたいなものだ。

いっぽう清盛くんは、乳父の盛康以下、自分の味方になってくれる郎党を糾合して忠正と対決姿勢をとるわけでもない。判断を忠盛にあずけている格好だが、あの養父には揺らぎがない。

それでも清盛くんがグレているわけは、つまり「子供のころ異母弟にケガをさせたので継母にひっぱたかれた」ことを根に持ち続けているからであり、表面的には「父をなくしたのでグレた」「後継者にふさわしくないと言われたのでグレた」と主張するが、実際には「本当のお母さんを知らない」ことをずっとスネているのである。そしてこれが五十歳過ぎてから寸白の熱に浮かされて妖しい夢のなかでついに母の遺体を確認するまで続く。

つまり「生みの母の影響力はそれだけ大きい」という女性の自己満足が真のテーマである。

それを強調する必要があるので、彼らは男として行動しない。うるさい者を黙らせ、迷う者を説得し、そのために必要な実力を身につける努力をしない。山にこもったり寺にこもったりしない。

白河院の落胤であることを誇りとし、あるいは鼻にかけて、家成を通じて運動し、親王宣下をせまるわけでもなければ、天一坊のような事件を起こすわけでもない。

武士にふさわしくないと言われたら、そんなことはないと武芸の稽古にはげめばよい。兵法を勉強し、一門を率いて戦のできるところを見せればよい。その対抗者は「兄の判断が間違っており、弟の俺のいうことのほうが正しい」というなら、いっそ自分の子を次期棟梁に推せばよい。

清盛と忠正が騒ぐのは、それによって宗子が毅然と「清盛も私の子です」といってのけるための布石であり、男二人は宗子の引き立て役である。で、それ以上の意味がない。

「清盛くんが傷ついた→義母は反省した」という流れにしたいので、清盛くん(7歳)は街のいたずら小僧にひとこと言われただけで彼を信じてしまい、それまでの家族への信頼をかなぐり捨ててしまう。えらい簡単であるのは、その前提に「そういえば昔お母ちゃんにひっぱたかれた」ってことがあるからだ。

つまりテーマがズレており、真の主人公が清盛じゃないので、エピソードが男のドラマとしてはつながっておらず、どっかで聞いたような話の寄せ集めになっており、違うほうへ違うほうへ展開していく。

2012/10/28

第四十回「はかなき歌」

やっと観た。兎丸無念の回はできが良かったと思うので、しばらく余韻にひたっていたのと、滋子ちゃんが出てくるといつも若干テンションが下がるので放っておいた。

なんであんなに蓮っ葉なキャラクターになっちゃったんだ、たまきはる建春門院(´・ω・`)

撮影は細野氏だったので期待した。期待をうわまわる美しい画面だった。演出は中島氏だったので情感あふれるゆったりめの話運びに期待した。期待通りの物柔らかな中にも緊張感を保った展開だった。

脚本は「すごろく人生」(お前ら本当にそれでいいのか)な二人だけが相変わらず言わなくてもいいようなモノローグを垂れ流しているが、そのほかは余計なセリフがなくなり、時空間を異にする場面をザッピングしたまとめ方も効果的で、本当に肩のちからが抜けてきたと思う。

今回は(というか今回も)脇固めの男性陣がいぶし銀の光を放った。信西の時代を思い出して「すまいせちえ」(懐かしいね)の計画に浮き立つ西光の、にじみ出るような嬉しさの表現がよかった。いい俳優さんだ。

成親の目のちからと、顔筋の動きとしてはわずかなのに確実に心情を伝える表情の変化も刺激的。じきに見られなくなってしまうかと思うと残念だ。

北条エンケンと三浦殿もすてきだった。杏ちゃん 政子も「川から拾ったばかりでまだ泥で汚れているが磨けば光る水晶」みたいな硬質な輝きが心の清涼剤だ。

ナレーターは、しゃべらなければ非常にいい。藤九郎がやや落ち着きのない従者らしい動きをするのに比べて、ゆったりとした佇まいが(後の)大人物らしさをよく表している。

ナレーションだけは何度きいても「要らないだろう」と思う。語り口のまずさからいっても、必要性からいっても。そもそも「地の文による状況説明がないと、祝典の挙行によって支配者と側近のつながりが一層強まった」程度のことを理解させられない(かのように視聴者に提出する)ドラマも他にあまり見かけないんだけれども……

伊藤五の見せ場があったのが嬉しかった。抑えめな演技と、不安な緊張感を保った撮り方は、福原に引っ越してからこっち、どの人物・場面の描写についても冴えている。ホームコメディ的なギャグがなくなったのも本当にありがたい。「もうじき終わるんだ」という粛々とした雰囲気が現場にあったのかもしれない。宇梶頼政はあれだけの出番というのは勿体ないですな(´・ω・`)

楽や舞の使い方は的確だったと思う。長すぎず、脳天気すぎず、余計なBGMも重ねなかったし、華やかさの陰に先行きの不安感。撮影と編集の工夫が光っていたかと思う。

というわけで「フラグ」は立ちまくりだったので予想はできたが、とつぜんの訃報には、とくに歴史ファンというわけではなく観ている人(なんて既にいないのかもしれないが)には納得がいかなかっただろう。まぁ昔のことで何にしても死因ははっきりしない(急死するほどの腫れ物って)のを、あえて病状などを描写せず、きれいに終わらせたということだろう。クドクドと遺言を述べるなど、別れの場面を演出しなかったのは良かった。セリフは少ないに越したことはない。

深キョンは本当に良い顔をするようになった。背中から撮ったのもいい。ここんとこ沈みがちな時忠の知力は、しかし衰えていないという描写、抑えた演技もツボだ。そこから清盛の決意表明へつないでいくのもいい。かつてのように話があっちこっちしなくなった……が、清盛の言は、先見の明があるというよりは、結果を知っている現代人の目で先走って予言のようなことをいわせているのがやや鼻につく感じだが、後白河院の感動的なようで後づけの言い訳がましい述懐と合わせて、いつものことなので仕方がない。

全体に清盛の出ていない場面の出来がよいのも、いつものことなので仕方がない。松ケンは足元の弱くなった五十八歳らしさをよく演じていると思う。五十歳の誕生日は覚えていなかったが五十八歳は覚えていたのと、保元の乱から年数をかぞえられるようになったのが「お利口になったねぇ」としみじみした。さがり眉毛に白いものが混ざっているのはメイクさんの工夫だろうけども、遠くを見るような俳優の表情も雰囲気もいい。ただちょっと声が軽いのも、いつものことだ。なんか舞台の仕事とかするといいと思う。厳島ロケは美しかった。清盛の着た赤と盛国の黒が利いていた。

というわけで全体に良かったんだけどもう一回観たくはない。なにせたまきはるちゃんの一人学芸会っぷりが……

2012/10/28

第四十一回「賽の目の行方」

面白かった。一気に観た。

佐々木氏の演出回はいつも面白い。時空の違う場面を字幕で説明しながら交互に映し出していくのがうまい。ワクワクと盛り上がっていく登り坂な気分がすごくいい。音楽の使い方がダラダラとのべつまくなし鳴っているふうでなく、緩急を心得ているのも嬉しい。愕然としたキャラクターの周囲に自然音が冷たく寂しく響くのが渋い。

でも勿体ない。

つまんないナレーションがなければ、もっと盛り上がったのに。「まだ子供が生まれなかった」なんて、その直後に「厳島へ願をかけろ」って清盛がいってるんだから前もって言う必要ないだろう(´・ω・`) 視聴者は清盛のセリフから「徳子は健気にもがんばるって言ったのに、なかなか生まれないからじいちゃんもイライラしてるんだな」と理解するばかりだ。
「西光が都へ帰ったら問題が持ち上がっていた」っていうのも「陰謀がはじまっていた」っていうのも余分だ。

山寺の坊主ふぜいが(作中の役割としても俳優としても)いい芝居を見せた末社の件は、西光の息子自身の口から「実は先日」って語らせれば充分だったし、小競り合いが発展して神輿がハリネズミ状態になり、松殿が「やっぱ武家は武家」と結論的なことを言うまで、ナレ無しで一気に持っていって欲しかった。神輿をみつめる成親の顔の演技は良かったぞ。神輿のそばでひざまづく行綱の高さから、院側近である彼を仰ぐような構図も良かった。

俳優と撮影ががんばってるのに「この大事なときにこんな騒ぎが起きて、一体どうなっちゃうの!?」っていうドキドキ感が「なんでも知っている」状態のナレーションによって水をさされるんだ。「大ヒットした海外ドラマや受賞した洋画にも劣らない」と絶賛したい刺激的な展開と美しい画面を、毎回毎回余分なナレだけが減点させてくれる……

伊豆でふてくされて心まで引きこもっているような男が、すぐ次の場面では京都の様子によく目を配っていて、なんでも知っているかのように語るのは変だろう。

照明さんはすごくいい仕事した。サイコロの音が響き渡るサイコホラー調にもゾクゾクした。

大人向けに耽美的な雰囲気で見せたいのか、子供にもわかる程度のドキュメンタリーとしたいのか、放映開始当初から悩まされているがいまだに分からない。ハキハキしたアバンタイトルも本編とのバランスが悪い orz

構成は、伊豆で「清盛は恐ろしい」と言い、(ここで視聴者は「そんなに怖かったっけかな」と考えこんでしまうのだが)息子さえも騙して比叡山をうまく使う清盛の恐ろしさを語り、伊豆へ戻ってきて可愛い娘に「巻き込まれるな」と釘を刺すサンドイッチなわけで、うまかった。鞍馬と伊豆をフェイドアウトしながらつないでいくのは美しかった。弁慶との会話が遮那王の回想になってるのも収まりどころがよい。神木くんの龍笛の構え方のやや硬いとこが萌えだ。余談。

時空を超えてバックギャモンな二人が緊張感を高めていく描写もすてきだったし、重盛が入ってくると黙って席を譲りひざまづく盛国を後ろから撮る、という構図・タイミングは垂涎の名場面だった。

おおそうだ、明雲が清盛の肩越しに目だけでニヤリと笑ったのは最高だった。なにせ画面づくりはすごく工夫されていたと思う。赤い坊主が三人もいてややアレだけど。

公卿は「三悪」状態になっており、楽しい。傷ついた神輿をめぐって福原の思惑と貴族の採決、院御所の対応を次々に述べていくのも面白かった。このような政治劇は、人数が少なくなったのと、描写の力点を置くところを間違わなくなったので、分かりやすくなった。ぽつりとこぼれた「面白うないのう」はイカしていた(・∀・)

私欲にかられた悪役のような描写になりつつあるタイトルロールについては、寸白の病に倒れたときの姿が回想されたが、あの乱れ髪はセクシーだった。あの頃から俳優自身が何かふっきれたような感があり、長いセリフもスラスラと出てくるようになった。今回の、常に苛立ち、それを抑えつけて成り行きを見守る顔はよかった。第二部ではニヤニヤ笑いが鼻についたが、今回重盛の前で笑ってみせたのは決まっていた。

問題は、そもそも「ちから比べ」に何の意味があるのか、滋子がなくなった途端になぜ院は平家をうとんじるのか、たとえば『負けて、勝つ』における国防のような当面の話題・争点がなく、清盛は新しい国づくり・豊かな国づくりをしたいというなら周囲を説得して協力を仰ぐ努力をするってわけでもなく(西光へは暴言を吐くし)、逆に院は清盛から権力を奪い返して何がしたいのか、よっぽどヒマらしくてバックギャモンばかりしているが、君主として庶民のため、せめて貴族のために経済を発展させたくないのか(といいつつ院自身が貴族とは対立しているわけだし)、摂関家の代わりに平家がえらいことの何がそんなにマズイのか、そこんとこがスルーになってしまっており、本当に「個人的なプライドの勝負」「どっちが勝つか」だけが自己目的のようになってしまっているのだけども、そこに賭ける男たちの、高貴な身分にもかかわらず修羅の形相、という演技と演出はよかった。

これは……あれだな。もういっかい観てもいいな。ナレーションがなければ。

それにしても面白い回に限って数字が低いのはなぜだ(´・ω・`)

2012/11/03

第四十二回「鹿ヶ谷の陰謀」

草深い伊豆にもほどちかい駿州の片隅から遅い感想をお送りします。

撮影は細野氏、演出は渡辺氏。映像は相変わらず工夫がきいており耽美的、選曲は小粋で大人の味わい。伊豆の事情で京の事情を(ほぼ)サンドイッチする構成も、お約束になってきたらしく、話の流れが頭に入りやすくて良い。

行綱役は裏切り者にふさわしい面構えをした、いい俳優だった。これは俳優にとっては誉め言葉になると思う。
「頼政のターン」も嬉しかった。清盛は色気を増した。

清盛と西光の直接対決があるので、赤坊主が二人では……^^;という配慮だろうか、あるいは西光に信西の面影をまとわせようというのか、衣装の色がいつもと変わっていたのも気が利いていた。伊藤五の兜姿のアップもファンとしては嬉しかった。

雨降らし隊スタッフの皆様、お疲れ様でした。いきなり嫁にふられたカネタカ殿がお気の毒ですな……^^;

と楽しく拝見した上で、明雲捕縛のあたりが紙芝居すぎるのも、ナレーションがないと理解させられないらしいのも、物語が穴だらけなのが気になるのも、まぁいつものことだ。

清盛はのんびりと我が世の春を楽しんでいたからこそ熊野詣としゃれこんで、信西をみすみす討たせてしまったのだし、信西も恐れをいだいていなかったから清盛に護衛を頼むでもなく金勘定に夢中になっていたわけで、あの時点で「いやな感じ」を味わっていたのは作者と視聴者だけだ。

行綱は「摂津源氏の自分がこの場に呼ばれた意味」をまったく理解していないし、頼政は頼政で平家の何を知っているというのか。経子はあの程度の用で院御所まで押しかけてくるのが異常で、兄ちゃんに手紙でも出せばいいじゃないか(その後の二人の述懐を引き出したかったんだけどね)

清盛は「様子がおかしい」と気づいているなら時忠でも使って情報を集めるべきだし、盛国は下命がなくてもそのように動けばいいし、院は院で気取られるようじゃ意味がない。

麗しのごっしーは、要するに下手を打ってばかりいるわけで、清盛の政敵足り得ていない。乙前は「駒が減るのは当たり前」って思い上がったようなことを言ってないで鎮魂の舞でも舞ったらよろしい。
どいつもこいつもテレパシー使いすぎで先を見通しすぎなくせに間抜けだ。

そもそも最初から大穴が開いている。

清盛を出世させたのは「誰」なのか? 彼は直接的な武力(暴力)で位や官職をおどし取ったわけではない。武士にとって越えがたい垣根だったはずの四位と三位の間の一線を、清盛に限って越えることを許したのは誰だったのか。第二部では説明されなかった。保元の乱と平治の乱で功績を上げた結果、なんとなくいつの間にか三位になっちゃいました、と取ってつけたようなナレーションが聞こえただけだ。教科書に書いてある程度のことが確認されただけである。

公卿たちの合議の結果だったのか? 信西が演説をぶったのか? 後白河の鶴の一声によるものだったのか? 清盛が賄賂を送りまくったのか? 女を使ったのか? 誰かを暴力で脅したのか? 

すでに忠盛が昇れるところまで昇ってしまっていたので、「功績を上げた者には位を与える」というシステムが機能しただけなのか? どうも脚本はそのように思ってしまったようだ。教科書に書かれた裏で、当時なにがあったのか? そこは問い返されなかった。

かろうじて、先例大事の公卿たちを牽制するために、後白河(信西)が平家の財力と武力を必要としたという説明はなされたが、公卿たちが運営する「出世システム」が、その意味では平等に働いて、すでに四位だった清盛を三位に押し上げてしまった……とするなら、信西たちは「しまった」って言わなきゃいけないところだ。

ごっしーは五節の夜をほっつき歩いて「清盛を太政大臣にしてやるが思い通りにはさせない」と啖呵を切ったが、高官を任命する権利を彼の手に残しているのでは意味がない。

なぜか、天皇も院も信西も公卿たちも為す術がなく、あるシステムに従って清盛が出世していくのを指をくわえて眺めており、後になってキレる……というふうになっている。

まるで「GHQには何を言われても逆らえない」と最初から諦めている戦後日本の無力な民主主義のようだ。「お父さんの決めたことだから仕方がない」と最初から諦めている女子供のようだ。

この傾向は第一話から顕著で、忠盛は白河院へ人情と平等な扱いを要求するが、本人は一門にむかって威圧的であり、「陰陽師など信用するな」「俺は正体不明な女を嫁にする」と一喝するだけで、じゅうぶんな説明・弁明をしない。

「清盛が傷つく」ことが前提されてしまっているので、彼は街の子供(うさぎ)に一言いわれただけで、それまで七年間一緒に暮らしてきた家族への信頼をかんたんに捨ててしまう。

「清盛がもっと傷つく」ことが前提されているので、(養子を嫡男とする棟梁の判断力に疑義を呈する)忠正の主張こそ平家の団結を危うくするものである・彼こそ自重すべきだ、と諫言する者がない。逆に彼へ同調して反乱を起こす者もいない。

いつも何かが前提されており、予定調和のなかにあり、ある「お約束」に従って、ストーリーの進んでいく方向があらかじめ決められている。

その代わり常識的な行動をとるキャラクターがいない。エピソードは史実を無視した思いつきの寄せ集めであり、史実との整合性が悪く、したがってどのキャラクターも頭が悪いように見える。

同時代だからというだけで清盛と信西の間に濃い友情を演出するべきではなかった。清盛は権力を手にしてからも科挙を実施しないし、遣宋使を派遣しないし、税制を見なおして庶民の負担を減らしてやるわけでもなければ都を改修して庶民の暮らしを衛生的にしてやるわけでもない。羊の病は流行り放題だ。

それをいみじくも、というか、あざとくも西光の口から「復讐にすぎない」と言わせたが、あれは話がこんなことになってしまったことへの制作陣の言い訳だ。清盛はそれへ言い返すことができない。

彼は宋銭の価値の理解者である西光に手を出してはいけなかった。僧体の身でさらし首となった彼を見て世人はどう思うか。「清盛のいうことを真に受けて宋銭なんか使うと祟りがあるぞ」だろう。清盛自身のもっとも望んでいない結果になってしまう。彼はまったく先が見えていない。信西の遺志を実現するどころじゃない。

信西との友情を設定したことが西光との友情の描写を導き、それが鹿ヶ谷の陰謀に西光も与していたことと合致しない。結果は清盛の言動不一致、口先三寸の言い訳、信用できなさ、愚かさを描き出す……ということになってしまう。

どんなに時代が変わっても臣下は臣下であり、法王その人の身柄に手をかけるわけにはいかないので、その代わりに側近を失脚させて牽制するというなら、すでに失点のある成親を一気につぶすべきだった。重盛が真っ青になるかもしれないが、まぁいつものことだから気にするな。

しかもこのあと承久三年のクーデターってものが控えており、結局法王その人に手をかけてしまうのだから、最初っからそうすりゃよかったじゃないか、なに考えてんだ清盛って話になる。あまりにも成り行きがおかしいから「鹿ヶ谷の陰謀・陰謀説」まで提出されているわけだが、それじゃ絵にならないから「あった」こととして(ホラータッチで)描いたわけだが、辻褄があってなさすぎだ。

盛国は先走って「修羅の道ならおともします」って話をまとめてしまったが、兎丸をうしなった清盛は「もう友人を裏切ることはしない、一門を言い訳にしない」と決意してもよかった。兎丸との対立は、ばんやむを得ない仕儀というほどではなかった。清盛は単なる「発注者」ではない。現場監督に無理な注文をつけるだけではなく、盛国に命じて人足を召集し、三交代にさせるなど頭の使いどころはあったはずであり、残念な結果になってしまったことをじゅうぶんに反省すべきだった。それをしないから、反省しない人物である、そのていどの頭の持ち主である、という結論になってしまう。

身寄りのない子供を密告役にするのは、現代人が見ても、当時の庶民から見てもえげつない仕業であり、だからこそ平家物語の中に語り継がれてきた。「これも人助けのうち」という強弁は時忠の言であり、清盛自身がどう思っていたのか、彼のアイディアだったのか、描写されなかった。何もかも「いつの間にかそうなっていた」のであり、「軍記物に書かれている通りです」ってだけだ。

「犬と呼ばれていた我々が今こそ巻き返す時」というようなことを口走ったが、では彼を「差別によって復讐心で凝り固まってしまった哀れな男」として描きたいのか。せっかく位人臣を極めながら、後世に響きのよい名を残すことも、神仏の祟も恐れぬ成り上がり者、乱世の奸雄、悪役ということでよろしいのか。アンチ・ヒーローに新たな光をあてるのではなかったか。「復讐心によって度を失い、先を見失って、滅びるべくして滅びた」ということでまとめるのか。

「頼朝に髭切を与えたのは、逆らえるものなら逆らってみろ、俺に天誅を与えてみろという意味だった」というようなことが示されたので、どうもそういう方向のようである。

絵的にはいいんだけどねぇ(´・ω・`) では次回は、重盛がんばれ。



2012/11/05

第四十三回「忠と孝のはざまで」

イラストとしては評価できる、というべきか。平家物語を紙芝居にしてるだけだから。
紙芝居だから、下手でもなんでもナレーションも必要ってものである。

「このようなことがありました、哀れなことでございます」という語りものの伝統を踏襲しているというべきか、
すでに流れを知っている歴史ファンの‘観戦’を念頭に、消化試合をこなしているに過ぎないのか。

たとえばの話、重盛が成親へ文(和歌)を送っても届かない・遠路はるばる面会にいっても断られる・彼に与えたはずの衣類を他人が着ている……などの描写でスリルを徐々に高め、視聴者をして「成親さん一体どうなっちゃんだろう。すごい不安。他の番組も気になるけど、ついこっちを見てしまう!」という気分にさせるってことではないんだな。

映像としては相変わらず見事だった。成親の悲惨な最期は、歴史ファンなら‘話には聞いていた’わけだが、どのように撮るのかと思っていたところ、凄惨描写に手をゆるめていないところが立派だった。彼はここのところのメインキャラだったわけで、チャチなセットまたはナレーションだけで終わりにされるべきではなく、あれだけ凝ったこしらえものの中で、俳優渾身の涙をみせたのは「終わりを飾った」というべきだ。

一般的には「やりすぎ」「きもち悪い」という評価だろうけど、そう思う人はすでに見ていないだろう。

本当いうと、現代っ子は3分一本勝負のミュージック・クリップやMADを見慣れているから、短い場面を矢継ぎ早に編集して見せられるのは、苦痛でもないし理解不能でもない。ただ時々ちょっと「総集編じゃないんだから少し落ち着け」って言いたくなるだけだ。

六波羅の夜っぽさと、伊豆の朝っぽさの対比は効果的だった。伊豆はまさに雨降って地かたまった感じ。藤九郎がいいこといった。男は「信じて任される」ことに弱い。それをサラッと言ったのは、飄々とした役作りが生きたわけで、俳優と脚本家の相互作用みたいなこともあるんだろう。

平家一門にはシンボルカラーである赤色の照明をあて、華麗さと同時に不吉さを高めていた。
遮那王の周囲には緑色をあしらって、若さと爽やかさを表していた。神木くんは充分に男らしい風貌なのに、髭の剃り跡が目立つようになる直前の、少年ならではの美そのものだ。

乙前の周囲は白で囲み、臨終の静けさと同時に、今様を愛した後白河院の心根のピュアさを表していたかと思う。

ハイビジョンテレビの間口と解像度を生かした、奥行きのある構図も見応えがある。いつも人物の背後で几帳が風に揺れている。暗がりの奥まで居並んだ一門会議の迫力、宝物が山積みにされた福原の庭の豪華さも、そこまで映せるからこそだ。

「クレーン撮影は柴田さんらしい」っつー言い方もある。冒頭の清盛と重盛の対決、画面が手持ちカメラによって細かく揺れていたのも効果的だった。

というわけで、見ているぶんにはいいんだけど、何も知らずにこの回だけ見たら、主人公は頼朝で、若い二人のさわやかな夫婦愛と、舅との擬似的な親子愛を軸にした気持ちのよいドラマを期待するだろう。重盛と協力して清盛を討つ、という展開を期待するかもしれない。
重盛は父親を裏切ることに苦悩しつつ、世のため人のために若い反乱者と手を結ぶ、義の人だ。病をおして秘密会議に出席するが、志半ばにして倒れてしまう……てなところかな。

つまり清盛はすでに「典型的な悪役としての脇役」、助演になってしまっており、「タイトルロールとして、残忍な命令の裏にあった苦悩、リアルな人間像を表現する」ということになっていない。

彼は神仏を畏れなかったのか。祖霊に顔向けができるつもりでいたのか。友人たちが夜ごと夢枕に立って、うなされていたのではなかったか。

吉良上野介のような人物は、忠臣蔵では悪役だが、地元では名君だったとされる。歴史上の悪役に別の光を当てる、評価をくつがえすとなれば、そのような捉え直ししかあるまい。清盛なら「部下には優しかった」という説がある。

しかしドラマでは、(当たり前だが)脚本家も清盛も、急な宣言をして周囲を驚かせることを面白がってしまっているような風情があり、部下・同僚の義理と人情、責任感と倫理観に訴え、言葉を尽くして説得し、納得させたうえで協力させる……ということができていない。つまり、リーダーシップが発揮できておらず、人望があったように見えない。

彼は若い頃に受けた差別によって、心の冷たく凝り固まってしまった哀れな男だったのか。差別をくつがえすにあたり、暴力と威圧という手段しか思いつかなかったのか。

たしかに清盛は世のため人のため、庶民のためになる行政改革などおこなっていない。要するに自分の金儲けのために船を通したかったのが、現代人にとって「港を造っておいてくれて良かったなぁ」というだけであり、当時の人にとって有難かったのかどうか。宋銭が流通したことによって破産する貴族もおり、ということはそれによって職と居場所を失う家人もいたはずだが、救済策など取っていない。取ってりゃ滅ぼされていない。

重盛が「あれもやった、これもやった」と教科書を読むように並べ立てた挙句「父上の国作りってなんすか」と繰り返したずねる通りである。この疑問は、脚本家をはじめ制作陣すべてと視聴者すべての中にあって、要するに歴史家にきいても分からない。昔の人が彼を乱世の奸雄というようにあつかったのなら、やっぱりそうなのかもしれない……というようにしか描けない。やはりもともと、取り上げにくい人物だ。

その取り上げにくいものの描き方にやや難があり、ややこしさに輪をかけているわけで、清盛の理屈はつねに「もうこういうことになっちゃったんだから、今更ガタガタ言ってもしゃーねーじゃん」という不良小僧のようなものである。

これは信西など他のキャラクターも同じだ。「どうせ保元の乱は起こるんだよ、悩んだって遅せーんだよ、とれーんだよ、さっさとやれよ」常にこの調子である。上つかたの不条理に憤ったはずの彼らが、次のターンでは自ら威圧的・高圧的になってしまう。そして反省しない。それが「歴史の常道」とされ、「歩まざるを得ない修羅の道」とされ、かっこいいこととされている。

しかもそのかっこよさの中で涙し、刺し違えあうのは男同士だ。女はつねに冷静な立場におり、美化されている。

池禅尼が決して裏切ってはいけないはずの高貴な養い君を裏切ったことは描写されなかった。建春門院を目立たせるために姉の時子(清盛夫人)が宮中で暗躍し、ほかの女たちを追い出した……という説もあるが、採用されなかった。

美福門院は私欲にかられて大乱を起こした女怪であり、じつは信西とデキていたなどというフィクションがあってもよさそうなものだが、なかった。嫉妬にかられて待賢門院を追いつめた(なんか難しい理屈を言ってたが要するに嫉妬だ)が、彼女の美しさ(ふくぶくしさ)を損なうことはできず、その負けを素直に認め、かつてのライバルのために手を合わせる度量の広さがあるというように描かれた。(松雪泰子はそれにふさわしい女優だった)

義朝は最高にかっこいい男だったという扱いだが、由良と常磐は彼をめぐってつかみ合いのケンカを演じたりしない。

女は強く、男は弱い。泣きながら傷つけあう男たちを女性視聴者が左うちわで見物する。女は毅然として運命にさからうが、男は自分で立ち直ってこれない。女がはげましてやらないとダメだ。杏ちゃん政子がんばれ。
そういうふうにできている。

歴史絵巻から抜けだした躍動感……というのは、(パイカリのパロディが演じられた通り)アクションものの洋画や海外ドラマのような刺激性を言い表したかったんだと思うけど、そのわりに、オープニングの舘野泉のピアノがずっと続いているような、物悲しいシットリ感にあふれている。

一週間の始まりに「出世街道驀進中♪ 清盛もがんばるから、お前らもがんばれ!」と男たちを励ます血沸き肉踊るドラマではなく、一日の終わりに大人の女性を慰める時間、淑女のお楽しみタイムになっている。

それはそれで、そういうドラマが放映される時代になったと思えばいいんだけど、しかもクランクイン前のインタビューで、松ケンは「笑いがテーマ。お茶の間に明るさをお届けしたい」といっている。

なんか企画段階で一致していなかったらしい! そのチグハグさをずっと引きずったまま、ついに四十三回なわけだが! このまま「美しい消化試合」なのか……? 
いや付き合うけど。美しいから。

松ケンは面白い俳優で、「不良小僧」といわれりゃその通り埋没的に演じるし、「悪役の涙」といわれりゃ悪役らしく泣いてみせる。「徳子、ようやった」と叫ばずに落涙したのは良かった。

たぶん、何も考えていないことが大人物の証とされている。そして松ケン自身が、そんな俳優なのである。たぶん。

そうだ、「源三位」にはおめでとう存じます。ハッと目を見開いた宇梶氏の演技は良かったです。
男が一生の約束をするときは、裏切るフラグ。

扇の芝へ Let's go!