2012/10/11

ジェリー・ブラッカイマーのローン・レンジャー・:*:・(*´∀`*)・:*:・

先日ポータルサイトで「意味のわからない昭和の流行語」っていう記事を拝見しました。1位はキモサベでした。私も昭和の子ですが知りませんでした。ローン・レンジャーのお友達のトントが使った言葉だそうですね。

その記事で、ついでにジョニー・デップ主演でリメイクされるって読んだのですが、我が家には映画『ヴェロニカ・ゲリン』つながりで借りた映画『キング・アーサー』のDVDが郵送で届きまして。
視聴前に改めてブラッカイマーさん調べてみました(調査先はウィキペさん)

そっかー『ザ・ロック』も『コン・エアー』も作った人かーー。面白かったなーー
(※パイカリは観てない人)
そして2013年にはローン・レンジャー。え。

昔は諸般の事情により「誰が出ているから」「誰が作ったから」といって、思い立った時に映画館に行けるとも限らず、最近「ネットで予約、郵送で届く」というサービスを利用するようになってから、「出演者つながり」「製作者つながり」「監督つながり」等で選んで立て続けに観るようになりました。

なんか御縁があった気がして嬉しかったです個人的に。

デップはトント。今度はどんな凝ったメイクを……と思ったらこんな感じ

トレイラーからして綺麗で楽しそう。女性のドレスが時代考証よりもファンタジックさを強調しているようでいい感じ。「キモサベ」ってチラッと聞こえましたね。

トム・ウィルキンソンも気になるーー(ノ´∀`*)
2012/10/23

2004年『キング・アーサー』

「客を笑わせよう」という意識が無いのは爽やかでいい。

撮影地はイギリスとアイルランド。俳優もそちらの人ばかりで、ハリウッドの皆さんと違ってなじみが少なく、一見すると地味なテレビドラマのような雰囲気だが、そこがいい。

俳優は男も女も若者も中高年も、みな良い面構えをしている。泣かせる男の友情と、活目すべき女の勇気があって、魔法はない。 

アーサーを帝政ローマ末期に実在し、苦悩しつつ離反した外人部隊隊長として描く。ずっしりドキュメンタリー調。生きるか死ぬか、やるかやられるかの実感が胸にせまって、地味に怖い。

ところどころに野暮ぎりぎりのベタさは見られるが、やってる本人たちに観客を笑かそうって意識はない。アーサーの権力への怒りと決起を導くために、庶民の苦難を描くが、その演出も過度でなく、お涙頂戴ってふうではない。

DVD特典のメイキングでは、声を張り上げて陣頭指揮をとる若き黒人監督の勇姿が映っていた。

イギリス人は「近代世界システム」の発明者として、アフリカに住む人々をアメリカに運び、奴隷とした張本人といっていいわけだけど、その心の宝石のような英雄が描かれるにあたり、ユダヤ系ドイツ移民のプロデューサーが、アフリカ系アメリカ人監督を起用したのを迎え、撮影地と出演者を提供したというのは、もはや改めて言い立てるべきことではないのだろうけど、やはり意義深いことなのだろうと思う。

そういう制作の背景と「人は生まれながらに平等であり、自由意志で進む道を決めるべきだ」という映画の主張が重なる、ような気がする。

女性の描き方も、リドリー・スコット作品ではまだしも「女のわりには頑張っている」というふうだが、こちらではもっと積極的だ。といって、揶揄するふうでもない。

じゅうぶんに映画らしいカッコ良さ、物語らしい「あり得なさ」を追求した娯楽作品でありながら、全編を通じて、からかいようのない真剣味、気品、清潔さ、そのようなものを保っているように感じた。

撮影準備は非常に凝っており、メイキングによると、決戦の地である「ハドリアヌスの長城」は4ヶ月・のべ250人を費やして実物大のセットをアイルランドの平野におっ建てた。俳優たちは乗馬と殺陣の訓練に数週間を費やし、侵略する異民族役のエキストラ400人も、軍事トレーナーによる訓練を受けた。氷上戦の水中シーンにはダイバーが投入されたらしい。

「今どきアホか!」と叫びたいほどのマジっぷりである。その「まじめに遊んでる」感じがいい。国の、あるいは母校の威信をかけたスポーツの試合みたいな爽やかな感動がある。

白兵戦の最前線同士が本当に体と体でガツーンとぶつかるのを真横から撮った、というのはなかなか見られない。長尺の西洋チャンバラは思わず正座して見入ってしまった。

今どきといっても既に8年前。VFX(CG)にはそつがなく、見応えがある。しかしそれがメインになる直前の肉弾戦の迫力、最後の打ち上げ花火みたいなものか。

オープニングは、いわゆるアバンタイトルがなく、いきなり「キング・アーサー」と画面中央に表示されるところから始まる。すでに正統派の予感。

「15世紀に成立したとされるアーサー王物語は、その1000年ほど前に実在した人物をモデルにしている」と最近の学説らしきものを簡単に紹介した後、舞台は帝政ローマの末期であることを、地図を使ってかいつまんで説明する。カーク・ダグラスの時代かとツッコミたいほど正統派な語り始めである。

プロのアナウンサー調のキビキビしたナレーションは、帝政ローマによる東欧の異民族征服を語る。あれ、イギリスの話じゃないの? と思ったところで「征服された民族の若者はローマの兵役に就き、遠方へ派遣された。それがこの私、ランスロット」という具合にナレーターが顔を出す。キュッと焦点が合う感じが気持ち良い。そして15年。早いな!

ランスロットはブリテン島の守備隊に組み入れられ、そこでアルトリウス(=アーサー)を隊長にいただき、トリスタン、ガラハッドなど錚々たる面々とクツワを並べ、すでに円卓の騎士として名を馳せている。彼らが15年もの年季奉公を勤め上げ、明日は退役して、ついに故郷へ帰れるという日、ローマ中央から派遣されてきた司祭によって、最後にして最も危険な任務が与えられる……

ローマはすでにキリスト教化されており、キリスト教はすでに権威主義となって退廃しかけている。辺境を守る外人部隊の隊長であるアルトリウスは、中央によって異端とされたペラギウス派を信奉しており、人は生まれながらに平等であり、自由意志によって人生を決めるべきであると信じている。円卓も彼の発案になるものだ。

彼らの当面の敵は、ブリテン島の先住民である「ウォード」(顔を青く塗ったケルトの戦士)だが、北方から更にサクソン人が侵入を開始しており、こちらも金髪を三つ編みにして、異民族ロマンをかきたててくれる。

ローマは退廃した貴族によるキリスト教国家として、先住民を異教徒として迫害し、小作人として痛めつけ、しかも彼らを守らず、サクソン人との正面衝突を避けて退却する。

アーサーは、ローマ軍人を父にもち、ブリテン島の先住民の女性を母にもつ。ローマ軍と一緒に東へ帰るか、母の血に従ってブリテン島にとどまり、北方からの侵入者と戦うか。

敵味方は四つ巴なわけで、やや複雑だ。

「主人として仕えていた偉大なローマが、辺境の庶民をいじめているのを見てしまい、ローマと戦う」なら単純なわけだが、ローマとは戦わない。その代わり、辺境の庶民(を代表して戦う青い化粧の戦士たち)は、ローマ軍にいる間に指導力を鍛えたアーサーを大将に選び、ローマとの戦いの間に覚えた彼らの戦術=「豚の脂肪を燃やす煙幕」と、それを盾にした連携プレー、さらになんと攻城兵器まで利用する。

苦難の歴史は、単に否定されるのではなく、いろいろな形で受け継がれていく。「ローマと戦う話だと思ったのに残念」という肩すかしではなく、うまくまとめられていると思う。

対して、寄せ手であるサクソン人は先進的な武器・戦法を知らず、歩兵による猪突猛進型の戦い方しか知らないが、単なるやられ役として揶揄されているのではなく、勇猛果敢として描かれているには違いない。全員が黒い装束で決めて、こっちはこっちでカッコいいのだ。王と王子の性格の違い・微妙な対立が描かれており、こっちはこっちの深みもある。サクソン王がここで倒れちゃったらイングランド王家はどうなっちゃうのという件は、まぁ気にするなってことだろう(^_^;)

というわけで、話は「アーサーがローマ軍から離れてブリテン王として決起するまでの、ほんの一週間ほど」に絞られており、そのぶん緊張感が高い。四つ巴の成り行きを分かりやすくするために、アーサーの人物・心理描写は単純化されている。ランスロットはもちろん仲間を代表して、アーサーに反対意見をぶつける役だ。

しかし決して出しゃばらない。任務の、決戦の危険さに関して、他の仲間の前では黙っているが、二人だけになってからアーサーと喧嘩する。隊長の顔を立てることを知ってるわけで、観客にはそれだけ二人の絆の強いことが分かる。

「やめてくれ、死にに行くだけだ、友情にかけて頼む」
「友達だからこそ邪魔をするな。俺のぶんもお前が生き延びろ」

別れのセリフは泣かせる。

2012/10/27

2008年『パニッシャー:ウォー・ゾーン』

これはいい(・∀・)

マフィアの造形が安っぽくて怒りっぽくて、そこがいい。老ボスのしゃがれ声はドン・コルレオーネへのオマージュだ♪ と言っていいよね。アクションでスリラーでやや猟奇的、その代わりエロと中途半端なギャグはない。ある意味さわやかに、安心して観られる。あえて言えば『イベント・ホライゾン』に似ている。

個人的にはもう明らかにレイ・スティーヴンソン目当てで借りている。(ずいぶん前に予約したので届いた頃には動機を忘れているが、この作品については他に考えられない)

体格がよく、暴力性を秘めていて、粗野な無精髭がセクシーでよく似合うが、女子供に優しい役がまたよく似合う。1964年生まれ。2008年公開映画だから撮影は前年として、43歳。男盛りっぷりが目に嬉しい。日本映画はアクション俳優が若すぎてつまらないのだ(個人的感想)

というわけで原作マンガを知らずに借りているからクレジットを見て「マーヴェルかーー」とのんきに思った。コマ割りを意識したオープニング、悪役たちの誇張した演技のマンガっぽさにニヤニヤしつつ、なめてかかったら良作だった。

徹底してマンガ調に誇張しているところと、「特殊部隊の教官」という設定が説得力をもつリアリティ感の両立がいい。ワイヤーアクションは(ほとんど)ない代わりにアクションには肉弾戦の迫力があった。下手な笑いを取りにいかないとこもいい。
「1,2,3」だけは大笑いさせてもらったが、その武器屋など脇固めも女優も子役もみんないい顔をしていた。全く怖がらない娘は純真すぎてファンタジーな存在なのだが、これもそこがいい。

画面はあるときはセピア調でノスタルジック、あるときは青灰色でSF調、あるときは手持ちカメラで追っかけたドキュメンタリー風。工夫がきいていて飽きなかった。
「地上の片隅のできごと」だから別に空撮は必要ないわけだが、時おり空撮による夜景が挿入されて、濃密な閉塞感と同時に壮大な空気感も感じられた……と思う。あのNYの夜景が「近未来」ではないという現実のほうが現実感がないわけだが、日常的すぎて逆に存在感の希薄な回想シーンのはさみ方も上手かった。
“徴兵”の際の「背景の星条旗とかすかに流れる国歌」は小説ではできない手法。映像ならではの効果で楽しかった。YAKUZA にも声かけて欲しかったけど、やられ役だからなw とんだ自由と独立の国もあったもんである。

ストーリーは「長いこと活躍してきた仕置人の最後の仕事」=家族を奪った“本丸”への復讐 vs. 顔を奪われた復讐に絞り込んでおり、クライマックスへ向けて一気に語る緊張感を保ったと思う。『キング・アーサー』もそうだったけど、かつてのようにヒーローが生まれる過程を描き、「彼の戦いが始まる」というふうに「引き」にするのではなく、キャリアの終わり際、引退試合、千秋楽、そういうところへ焦点を当てるのが最近流らしい。

生物兵器・ロシアンマフィア・アラブテロと今っぽい要素をちょっとずつ取り入れつつ、「司法取引による免罪」という法の抜け道も皮肉りつつ、当たり前のように裏切りを描き、しつこく演出せず「お約束感」で押し切ったのは娯楽作品らしい軽快さを保ってよかったと思う。『相棒』(東京マラソンのほう)みたいに途中から話がお涙頂戴に変わってしまうなんてこともなく。

唐突な教会の場面も、フランクの過去と人間性を知らせて充分だったし、しつこくもなかった。原作を知らないと分からない話ではなく、この一本だけ観て彼の人生を理解し、ファンになることができる。原作のファンにしか分からない謎かけのような場面があると、原作を知らないファンは鼻白んでしまうが、それはなかった。詰め込むにしても、初心者向けの味を上手にひと口ずつ詰め込んだ「デザート・ディッシュ」「当店自慢のおみやげセット」みたいだったと思う。

レイは「基本」のオールバックと黒革の衣装も、資料写真中の海兵隊制服姿もカッコよかったし、パパ時代の長髪もすてきだった。彼の魅力満喫でごちそうさまと思っていたら、コリン・サーモンという美味しいおまけがついてきた。白人のほうがキレていて、黒人のほうが理知的というキャラクターの振り分けは最近ときどき見かける。似た体格の二人の格闘戦は楽しませてもらった。仲良くなりすぎてバディものとなり、コメディ臭が漂ってしまう手前で踏みとどまり「一人で戦うと決めた男」の話に終始したのはよかった。

いっぽう、二人の間で落ち着きなく首を振り続けるプロファイル屋ソープの役作りが秀逸だと思った。トリオ漫才でシリーズ化してほしいような気もする。

悪役は『オペラ座の怪人』そこのけの見事な造形で、舞台だったら彼がカーテンコールで出てきたらスタンディングってところだ。ジェイソン、フレディなどとともに悪役スターの座を与えたい。毛皮の襟のコートもマフィアらしくて素敵だったし、ラストで着ていたパイソン模様の詰襟スーツ(軍服ふう)はイカしていた。

……とはいえ彼自身はじつは(それほど)残虐なことをしているわけではなく、一見(それほど)キレてない弟との良コンビぶりが面白いわけで、兄ちゃんのために体を張って鏡を割るのにはちょっと泣けた。

クライマックスは要するにドンパチなわけだが、弾(と火薬)を消費するばかりでなく、主人公の「特殊部隊の教官」という経歴を活かして、少ない弾数で遠距離から確実にしとめるという様子をテンポよく描いて、これも飽きなかった。悪者退治が途中で腰くだけになる作品は多いが、盛大にやってくれて楽しかった。

復讐が終わり、彼はいずこへともなく姿を消した……と西部劇ふうに終わるとカッコ良かったのだが、言うまでもなくラストで台無しにしてくれたwww 復讐だからこそあんなに頑張ったんだという話をしてきたのに、ちょっと脅せば逃げていくようなチンピラの脳みそスプラッタしてはいかん。

十字架が半分消えて「自ら助く」状態になったシャレと、レイの体格の良さを活かした立ち姿のシルエットのカッコ良さ、エンディングのメタルサウンドが決まっていたので許す。

面白かったのでちょっと覚えておこうと思ったスタッフたちの名前。
監督:レクシー・アレクサンダー 撮影:スティーヴ・ゲイナー 編集:ウィリアム・イェー

興行収入が製作費を下回っちゃって残念な結果だったようだ。原作ファンには「謎かけ」のようなところ、マニア心をくすぐる部分がなかったところがつまらなかったのかもしれない。でも映像にもストーリーにも演出にもまんべんなく目を配った良い作品だったと思う。個人的には98点。おちいりがちな失策をすべてうまく回避したのに最後に余計な落書きをしたので減点、というところw

それにしてもロシアンマフィアのじいちゃんカッコええ脇汗出た。(←お年寄りキャラ好き)


2012/11/05

1958年東宝『無法松の一生』

一の谷の戦やぶれ討たれし平家の公達哀れ
暁寒き須磨の嵐に聞こえしはこれか 青葉の笛

更くる夜半に門を敲き我が師に託せし言の葉哀れ
今際の際まで持ちし箙に残れるは 花や今宵の歌

……若くして討たれた公達の歌を子供の声で聞くと、また真に迫って泣けますな
(´;ω;`)ブワッ

いや、平家つながりではなく。運動会つながりで借りました(*´∀`) シーズンだったので「確か徒競走の場面があったよな」と思い出して。

冒頭、俯瞰から屋根越しに宿屋の土間へカメラが移動するのがいきなりすごいです。宿屋では女将の芝居と背景に見とれました。ああ、明治三十年にはまだこんなに江戸情緒が残っていたんだ……

って、ちょっと待て。落ち着け私。カラー映画だからええと……(あわてて調べる)1958年=昭和33年には、まだこれだけ違和感のない撮影ができたってことだ。ないと思う。

歌舞伎の女形の芝居をそのまま移したような芝居のできる女優がいた(※ 飯田 蝶子、1897年生ー1972年没)ってことだし、吉岡夫人や「ぼん」の顔立ちも着物が似合っているし、撮影場所も確保できたし、有島一郎ほか説得力のある脇役もそろえられたってことだし。それにしてもすごい数のエキストラだったね!

どうも時代劇を見ているのか、現代劇を見ているのか、現代というか明治三十年に実際に連れていかれたような気がして混乱しました。しかも1950年代、カラー時代らしい大胆な構図、カメラ移動、色調、特殊効果などが見られて、密度の濃い1時間43分でした。

構図といえば、吉岡邸の門の屋根越しに斜め下の玄関を撮る構図は面白かったです。車輪が半分だけ映るのが重なった絵は、前衛的なようでもあり、手ぬぐいの柄にあるような感じでもある。日本的かもしれません。

金獅子賞おめでとう。むべなるかな。

てーきはいーくまんあーりとてもーすーべてうーごおのせーなるぞーーうーごおのせーにあらずともー♪

運動会は工業高校のもので、通学者とその保護者以外の町の住人も、お祭り気分で見物にいっていたようです。着物と洋服、日本髪と束髪、大きなリボンのお嬢様など入り乱れている風俗がすてき。海軍兵学校と同じ棒たおし!の場面で楽隊がすごいテンポで生演奏していたのが↑ 当時らしさがすごく出ています。かえってこっちのほうが検閲削除されそう。戦後に撮り直せて本当に良かったですね。

宿屋の二階でうなされる三船の登場シーンは、彼らしい体当たり演技で「菊千代だーー(*´∀`*)」
個人的には彼の男の色気を見る映画……というか三船の映画はすべてそんな感じ。車屋らしい前かがみな姿勢、女性の前で落ち着きなく肩を揺らす仕草、「ただ者ではない」と思わせる低い声、老け役、愕然と寂しそうな表情、なにもかもいい(*´∀`*) 

「祇園太鼓を打ちきる」ってのもカッコいいセリフで、あのむっちりと色気走った肉体を魅せつけた直後の、嫉妬と劣情に悶え、わななく演技は見てる女も胸苦しくさせてくれます。

奥さん鈍すぎ。そこがいいんですな。吉岡家は、あの門構えだと元々武家で、いま士族なのでしょうし、奥さんもそれにふさわしい良家の子女で、シュッとした旦那に本気で惚れていたのでしょうし、なくなってからは本当に息子のことしか念頭になかったのでしょうし。二人が互いの気持ちに気づきながら耐えていた……って話も、それはそれでいいけど、爽やかさがなくなっちゃうからね。

で、結城の親分さんカッコ良かったです。この役を月形龍之介が演じたバージョンはレンタルになかったので思わず注文しちゃったので感想はまた後日。



2012/11/06

1998年『リプレイスメント・キラー』

かっこいいなぁ(*´∀`*)

『キング・アーサー』から、フークア監督つながりでさかのぼりました。チョウ・ユンファ主演なのでキャッキャして見ました。キャッキャッ♪

公開が1998年だから撮影はその前年のはずで、監督は31歳。若い勢いとアイディアが詰まってると思います。

はるか低いところから睨め上げるようなカメラの動き、
どこから撮ってるんだ!?∑(゚Д゚)と言いたいような大胆な構図、
フェチっぽい極端な接写、銃器の機構の描写のかっこよさ、
スローモーションのきかせ具合など、
映像(と音楽)の工夫で「見せる」「見る」作品なので、あらすじをツラツラ述べても仕方がないし、もともとアクション映画なので倫理観を問題にしたり、脚本の細部に突っ込んでもしゃーないです。

ま多少アラはあるけど、単純な制裁劇と思われたのが、後から「そうだったのか……」と過去をしのばせるような仕掛けもあり、なかなかに味わい深いと思います。

女性と二人三脚ですが、お色気はなし。血糊は大盤振る舞いですが、ホラー作品のような肉体損壊もなく、あるていど安心して見られます。

基本的には(というか最初から最後まで)ユンファらしい火花は散る散る、相手はワイヤーで吹っ飛ぶガン・アクションで、彼自身がチャイニーズマフィアの「臨時雇い」スナイパーであると同時に、彼に制裁を与えるためにまた別の臨時要員が雇われるわけですが、つまりユンファが勝っちゃうわけで、これは香港映画ファン、ユンファファンが「彼らしい活躍を外国を舞台に見せてもらえた」「ハリウッド進出おめでとーー!」と陽気な祝杯を挙げるための作品ということでよろしいかと思います。

人間一人にどんだけ弾が当たらないのか!(笑)

「東洋の神秘」的なユンファの男の色気は全開。「たばこの煙を吐く」仕草にこれだけの時間をかけ、色気を込めた作品を他に知らない(今のところ)

女子キャラの扱いもこの監督らしいというのか、女優が撃つ! 走る! 転がる! 叫ぶ! 爽快でした。
ほっそりした女性が胸元をきつく締めてるのがお好みらしいですな(*´∀`)

犠牲となってしまった市民、警官、僧侶などはやや血糊多め、残酷ぎみに描かれ、これは犠牲の大きさを示し、「アクション映画でやってることは、あくまで悪いことなので憧れないように」という配慮ではないかと思います。

悪役も魅力的でした。いろんな人種・民族が混ざってるとこがアメリカらしく、ハリウッド進出っぽくてよろしいかと思います。洗車場、ゲームセンター、映画館など遮蔽物の多い都会の「市街戦」の緊張感もよく出てましたし、クライマックスも華やかでした。チャイニーズマフィアの最期には「爆竹」がよく似合う。

ああ面白かった(*´∀`*)

はい公式予告編:


これを見て期待する通りのできばえです。
2012/11/07

ミュージック・クリップみたいな映画。

『リプレイスメント・キラー』の感想、その2。

「物」の大胆な接写は、TVコマーシャルを連想させる。CMはもちろん商品を大写しにする。
また、セリフのない長いアクション描写は、「MTV」みたいだ。

音楽プロモーション用ビデオは、当然、新曲を聞かせなければならないから、ドラマ仕立てでもセリフもナレーションもない。ひと目みて状況が分かるように悪役は悪役らしい顔つき・衣装をしている。演技はパントマイム的に派手だ。主人公が家族の写真など眺めていれば、視聴者は「いまは一緒に暮らしていないってことだな」と理解し、「過去にいろいろあったんだな」とてきとーに想像する。

画面の色使いは刺激的で、場面の切り替えはすばやく、音楽に合わせてスローやストップモーションが利用される。ラストはてきとーに笑って別れる。「to be continued」など、続きがある保証がなくても、カッコよく終わる。

なんかそんな感じ……と思って、改めてフークア監督のプロフィールをざっと読んだら、やっぱり音楽ビデオをやってた人だった。

『フレンチ・コネクション』と『エクソシスト』を見た時には「ドキュメンタリーっぽいよね」と思った。フリードキン監督は、テレビでドキュメンタリー番組を撮っていた人だった。手持ちカメラをかついでブッツケ本番、生録り、ということに慣れており、映画でもその手法が使われた。

だから「フレンチ」の街頭シーンにはエキストラがいないそうだ。街行く人はみんな「本物」である。
さすがというか、アメリカの都会人はカメラを指さして笑ったり、立ち止まって見物したりしない。知らん顔して通り過ぎていく。

面白いのは、同時期に撮られた日本の映画『桜の森の満開の下』で、都大路を歩く大量のエキストラは、きちんと平安当時の扮装をしているが、みんな一方向へ横目を使って、にやにやしている。つまりカメラを意識しているw

これは『ゴジラ』などのパニック映画でも見られる現象で、子供の頃は「逃げる人がみんな笑ってる(´・ω・`)」と残念な思いで鑑賞したものだw

クロサワ映画ではそんなことないわけだから、作品によって、エキストラの動員のしかたに何か不慣れがあったのだろう……

ここで大雑把なことをいうと、日本人は「他人のすることを見て見ぬふりできない」ので、逆に「自分も他人から見られているという意識が強い」のかもしれない。

そんなわけで、大勢の人間(とくに欧米なら様々な民族)が関わって作られる映像作品にも、意外と監督個人のそれまでの人生、その国の文化の一般的な性質なんてものが反映されちゃうらしい。

また「映画とはこのように撮るもの」「映画人になりたいなら、それなりの修行をするべき」という型が、1970年代ころに崩れた、ということもいえるのだろう。

2012/11/26

1949年松竹『破れ太鼓』

見てよかった(*´∀`*)

無法松つながりで阪妻めあて。美しい……! 

映画は、唐突に長台詞をまくしたてる文学座女優の演技から始まる。不自然この上ない。ああ、この頃は舞台劇をそのまま撮ったようなところがあったなァとじゃっかん引いた気分で「古い映画はここが我慢のしどころ」と進展に付き合うと、カメラがずーーっとブレている。

『安城家の舞踏会』でも「酔う(-_-;)」と思ったけど、70年代のドキュメンタリータッチの演出とは違い、狙って揺らしているわけではなく、この頃のカメラの性能的にしかたがないんだと思う。

長男役・森雅之は『安城家の舞踏会』でも弱さとふてぶてしさを兼ね備えた暗く難しい役を演じていた人で、背が高く顔立ちがよく、品のよい立ち姿に高い学歴をにじませ、風采の上がるいい男なんだけど、うわずったような独特のセリフ回しと、やや不器用な顔の演技が「大根 ^^;?」と思わせてくれる変な俳優である。

で、その彼が「今日こそ頑固親父に逆らう」というのと、見事な洋館に住んでいるとは思えないパタパタと忙しげな母親(村瀬幸子)を中心に、異様なテンションの演劇系俳優たちによって目くるめく冒頭シーンが繰り広げられ、「ど、どうなるんだ、ずっとこのままいくのか?」とひきつったような笑いが視聴者の顔に浮かび始めた頃、阪妻登場。

スーーッと腑に落ちる芝居のちからというものを思い知った。

身のこなしが美しい。目線の使い方が美しい。わずかに傾けた顔の角度が美しい。ゆったりとまろやかな演技のすべてが美しい……! いい香りが漂うようだ。
あのドカタ上がりの頑固親父のどこから!? ってことではなく、役者の風情とか品格とか「花」とか、そういうものだ。

森雅之ほか若手俳優のもっていた、西洋劇を演じるための独特のテンション、早口なセリフまわしは、演劇に新世代らしさをもたらし、またそのために必要だったのだろう。いっぽう阪妻自身は歌舞伎の世界が好きじゃなかったということだ。けど、彼のすべてから、やはり伝統芸の豊かさを感じると言いたくなってしまう。

ストーリーは他愛もない(しかし上手い)というべきで、あらすじは言ってしまわないほうがいいだろう。戦前からがんばってきた頑固親父と、自由を求め、戦後を生きる子供たち。テーマは分り易すぎるほど分かり易い。先行きどうなるのか、何か展開があり得るのか、いまいち不安なドタバタ気味のホームコメディが、少しずつ焦点が合っていく、その語り方がうまいったらない。

カレーライス、オルゴール、肩パッド大きすぎのスーツ、人の頭を押さえつけるように差し挙げた“独裁者”の手、ブーローニュの森、きかせてよ愛の言葉を。

小道具と小技が散りばめられている。モテそうにもない火の見櫓番のじいさんのほうが、女といる時の“エチケット”を知っているのも洒落ている。絵かき一筋の若い男は、つまり、女のあつかいを知らない。そんな男が、そんな男だからこそ、男の情念を象徴する赤い星を見ながら気障なセリフを舌に乗せるが、それも清潔で誠実に聞こえる。すべてがそんなふうだ。

絵描きの両親のまろやかな演技もすてきだ。また、あの脳天気ぶりは、戦争でしばらく中断していた西洋への憧れをまたストレートに表現できる時代になった、良かったねぇ……という喜びにあふれている、と素直に考えていいのだろう。

舞台は田園調布と藤沢で、町並みと自然の風景が美しい。『晩春』とちがって戦争の影も占領を示す看板もない。唯一、末っ子役の少年だけがキビキビと軍隊式に階段をのぼる身ごなしが「訓練を受けていたんだな」と思わせるだけだ。

どのカップルも女性に主導権、発言権がある。あるいはそれを追求する女性を描いている。「人権」とか「(キリスト教の)神の教え」を女性が口にする。旧来の日本式男性社会へのアンチテーゼを提出する役を女性に担わせているといえばそうなんだけど、欧米の監督が女性キャラクターをあつかうと、どこか冷笑的な、「女はこわいねェw」という部分が表れてしまう。

こちらは、もっと愛情と共感にあふれている。亭主関白ではどこの文化にも引けをとらなかった日本の男性が、女性の芯の強さ(その代わりブチッと切れてしまう時がある)と、対照的な若い男性のもの柔らかな打たれ強さ、さりげない気のきかせ方を共感をもって描けるのも、不思議なものだが、これも能楽以来、あるいは「男もすなる日記」以来の伝統なのかもしれず、そのように周囲に気を使って生きてきた、軍隊でも苦労してきた「まだ若い男性」ならではなのかもしれない。(監督、このとき37歳である。セクシャリティが関係していたかどうかは即断しないほうがいいだろうけど、ちょっと考慮したくなる)

そのぶん、中高年男性キャラクターには評価が厳しいわけだけど、冷めた目線で見つつも愛惜してるってとこがある。笑えるけど泣ける。じっさい泣けた。皺を刻んだ肌をつたう阪妻の涙は美しい。ばかやろう、自分の子供をなんとなく好きな親なんかいるか。いいセリフである。

苦労してきた男は、他人を信じることができず、そのぶん自分の子供たちへもお節介を焼きすぎ、独裁者となり、破滅していくが、こんなこたァ昔っからよくあったことなんだよウン、っていう男性らしい明るい諦念みたいなものがあるわけで、これを見てしまうと、要するに同じことを語っている清盛は、やはり女性目線の同情票あつめ過ぎ、不幸に自己陶酔しすぎかなァと思わないでもない。

映画に戻ると、撮影がいちばん大変だったろうと思われる回想シーンの惜しげない編集ぶりは贅沢だった。阪妻は大勢に追いかけられるのが似合うなぁ(*´∀`)

顔立ちで異彩を放つ大泉滉のこなれた感じ、リアルで作曲家が本業である次男の素人らしい朴訥さ(素人が気取らない芝居をできるって案外むずかしいものだ)、それらが長男の、役としても俳優としても正統派だが生真面目で不器用な感じといい対比になっていた。

一見地味だが名優総出演の豪華さと彼らの爆発力、セリフと小道具に洒落をきかせた脚本・演出の技の豊富さ、じっくり構える(ブレてるけど)カメラ……と、三位一体のすごさを見たと思う。

いやぁ日本映画ってほんとうに素晴らしいですね!(*´∀`*)


2012/11/30

1992年『パトリオット・ゲーム』

リチャード・ハリスかっこええ……!(まずそこ)

アメリカの核家族は豪華なおうちに住んでいる。もしも我が家にロイヤルファミリーを迎えても、どんな料理を出したらいいかも分からないし、立派なカットグラスのセットも銀のティーポットもないや(次はそこ)

萌えたり憧れたり恐怖してみたり。面白かったです。『トータル・フィアーズ』がアレだったんで、さかのぼってみました(ノ´∀`*)

冬のロンドン。ベルファストの昔話。海辺の一軒家。海からの冷たい風がずっと吹いているような薄暗い画面と、悲哀を帯びたBGMが暗い緊張感を高めてよかったです。

基本的に「よかったです」しか言わないレビューになると思います。引き締まった編集・誇張しすぎない演出・ごく短いセリフに込めたキャラクターの心情と状況説明。文句つけるところがなかったと思います。

女性の髪型から、もっと古い(1980年代)作品かと思いましたが、かろうじて90年代。滞英中はキリッとスーツを着ていたライアン夫人が、アメリカの我が家へ帰ったとたんにモサッとしたシャツとジーパン(あえて古めかしく)姿になったのが、かえって洒落てました。全体にそんなヒネッたセンスの良さ、ひかえめな小技がきいていたと思います。

語りかたは、手際のよい第三者目線というのか、各陣営をちょっと撮ってはスポスポと次へ移るドライさがまた容赦ない感じ。

ストーリーのネタバレ的には、あやしい奴がやっぱりあやしい、という話でしかないんだけど、その説明しすぎない見せ方が上手い、と。

夫婦のラブシーンも短く済ませたし、講義シーンの終わり際にもう(次の屋外シーンの背景音楽である)軍楽隊の演奏が響き始めている、というように、全体に展開が早く「面白く撮れている」ってことと、「でも、こんな話題を面白がっちゃいけないんだよね」という自省・自己批判のバランスがとれていたかと思います。

民間人や、ほんの「その日の当番」にすぎなかった係官など、犠牲者の多い作品ですが、血糊をあしらって残酷さを強調したのは事故直後の女子供だけという演出にこめられたメッセージ性。

ラストはホラー気味になっちゃったけど、お父さんの孤独ながんばりぶりは、同じ俳優による『エアフォース・ワン』より説得力ありました。元海兵隊員で、CIAで、分析官という文武両道の、でもなんだか地味なヒーロー。

ハリソン・フォードは『ナヴァロンの嵐』のときの「生真面目なだけが取り柄の青年士官」という人物がそのまま中年になりました、っていう硬さ、ちょっと根暗な感じが、そんな「身ごなしが華麗すぎる歴史の先生(笑)」という、一歩まちがえればファンタジーというかギャグというか、そのようになってしまう役柄に、重みと実在感、観客の共感しやすさを与えていて、よかったです。

テロリストのリーダー役、地元ベルファスト(ダブリンでした申し訳ありません)出身のパトリック・バーギンには、個人的にお久しぶり。『Mountains of the Moon』のバートン卿、お髭が似あって素敵でしたわ。ギラギラした目つきを持ちつつも、忍耐強く、洒落もわかる骨太な男でした。

今回も比較的冷静なリーダー役で、キレた金髪とのコンビが絶好調(『Mountain』もそういう組み合わせだった)

事件を「キレた金髪」ショーン・ビーン(いま調べたけどボロミアははまり役ですな)の私怨に帰してしまい、IRA関係者については粋に描いたことと、エンディングテーマがケルト系だったあたり、「べつにアイルランドが悪いって言ってるわけじゃないです」という配慮なのでしょう。民族の誇りを歌う音楽バンドの描き方にも揶揄は含まれていなかったと思いますし、アメリカ人にとっても(というか、とってこそ)アイルランドには思い入れがあるのでしょう。

かつての有名テロリスト役フォックス、出世しましたね(笑) 横顔の品のよさがロイヤルファミリーにうってつけでした。
秘書は知ってる顔なんだけど……と思っていたら、あああヘイスティングス大佐でした。外人俳優さんは時々こういう「誰だっけ」なことがあります。

この丸い目の女優さんも……おお、アッティアでした。相変わらずというか(逆だ)可愛い顔して気が強そう。悪い女がよく似合う。そしてやっぱり赤毛。

ブルネットと金髪と赤毛(とハゲ)がそろった悪役の造形は、見分けもつきやすく、上手かったと思います。

「女の髪の揺れ」が最初から映しだされているあたり、観客としても「おや、女が関与しているのか」と意識させられるわけですが、それが単に「美人がいたほうが絵的に豪華だから」という理由ではなく、ちゃんと展開のターニングポイントとして機能しており、しかも「事件の影に女あり」という伝統を踏まえ、さらに(おそらく)リーダーに惚れてしまったせいで活動に身を投じてしまった女と、妻として母として生きるライアン夫人との対照にもなっている……とまぁ、上手くできている、と言うしかない。

無理やり難癖をつければ、本来は黒髪なのだから、赤毛のかつらはわざと印象づけて捜査を撹乱するためなんだろうけど、それが何の役にも立たなかったってところでしょうか^^;

それにしてもアナポリスの歴史の先生の動体視力はすばらしい!(笑)

コンピューターの性能が(いま見ると)まだまだで、顕微鏡で写真をのぞくシーンは隔世の感がありますが、それだけに捜査陣の執念を描き出すにはもってこいだったようです。「女=胸」なのには( ̄ー ̄)ニヤリとさせて頂きました。

「何かがおかしい……」と気づき始めるあたりの描き方、かっこ良かったし、面白かったです。フォードは黒でもない、灰色でもない不思議な眼の色をしていて、それがガッとまぶたを見開くと「四白眼」になってしまうのだから恐ろしい。深いシワが刻まれた皮膚の内側で動く「そうか……」という心の動き、すてきでした。

恐ろしいといえば「ライブ中継」が感じさせる恐怖は、それを「恐怖」として感じることができる先進国の余裕……のようなことまで考え込ませて、圧巻でした。考えても仕方ないんだけどね(´・ω・`)

あの重さが個人的には「クライマックス」と感じられてしまい、ラストのガチンコ対決はむしろ付け足しのように感じられてしまいましたが、もちろん水しぶきだらけのハイスピード格闘技は見応えありました。

決着の鍵となる「凶器」の意味ありげな映し方。観客がこういうアクションホラーの展開に、もう慣れていることを見越して、おさまるところに(正に)おさめるラスト。また、「そこでカット!?」と笑わせてくれるエンディングというか、エピローグ。

そしてハリスの他にも「脇固め」というには贅沢すぎる共演陣。あ、アナポリスの空撮かっこよかったです~~
いやもう何だか、大人の仕事を見せて頂いてありがとうございました(*´∀`*) 
2013/01/06

1967年『冒険者たち』

公開年には、監督アンリコ36歳、主演ドロン32歳。ヴァンチュラ48歳。シムカス24歳。いいバランスですな!

DVDに収録された予告編には「TRES PROCHAINEMENT」とある。生き急ぐ三人、て意味だと思う。複葉機の曲乗り、バカッ早いクルマのエンジン、女だてらにガスバーナー。自由と冒険を求めて刹那的に生きる若者たち……なんて言えば煽り文句によくありそうだけど、狂騒的なように見えて、自暴自棄ではない。人生をまともに楽しんでいるからこそ、それがついえた時、さびしい。そういう浮き沈みを、皮肉やルサンチマン・社会批判の意図を込めて……というよりは、もっと素直に(娯楽作品として)描いている……と思う。しかも手際はよく、ドライだ。くさくなる一歩手前で引き上げている。

『タクシードライバー』ほど痛くない。フィルム・ノワールの雰囲気を残しているけど、もう少し明るい。フランスらしいお笑い、かけあい漫才の要素があり、フッと笑える。

フランス映画は編集に乱暴なところがあり、急な場面展開に「?」という気分にさせられる時がある。最近の作品でもあんまり変わってない。男女の距離感も日本とは違うようで、すごくあっさりと車に誘ったり乗り込んだり、仕事を手伝いあったり、一緒に住んだりする。男ふたりと女ひとり。まだ学生のようなウブっぽい若い女と男たちよりも、機械いじりに夢中で婚期をのがしたっぽい男ふたりの関係のほうが妙にセクシーなようでもある。まるでキスシーンのような構図もあった。制作陣はちゃんと分かってるんだろう。(実は彼らは……ってことじゃなく、その志向の観客が見ても楽しめるように“公平”にできてるんだと思う)もはや誰と誰が恋人で誰と誰が友人なのか分からない。フランス映画にはよくあるパターン。

ヒコーキ野郎の挑戦を延々と描くのかと思うとそうじゃない。自動車の開発に人生を賭けた男のドラマ……かというとそうじゃない。若い女性の成功と、翻弄される男たちの三角関係の泥沼メロドラマになだれ込むのかと思うとそうじゃない。日米のドラマ作りとは何か根本的にちがうようだ。ストーリーは次々に移り変わっていく。

別につながってないわけじゃなく、きちんと伏線は張られている。ただ、あまり説明しないのがフランス流らしい。

宝探しの協力者もギャング達も急に登場する。地元の地回りなのか評判をきいてパリから乗り込んだ大組織なのか、さっぱり分からないが、まぁ気にすんなってことのようだ。先行作品からステレオタイプを選り出してカッコいいところだけつないだら、ちゃんとカッコいい作品ができたってところ。何を着ても何をしても無精髭を生やしてもサマになる世界一カッコいい男優がいて、世界一カッコいい街並みと美しい海がそこらへんにあるんだから仕方がない。若い女性が「う・ぷち、う・ぷち」ってフランス語をしゃべるのもまた、たまんなく可愛い。もはやずるい。

飛行機と車と美女と海とヨットと宝探しと昔の要塞と戦争ごっこだから男の子の夢がつまっている。夢は咲いては消える。ちょっと(だいぶ?)悲劇的なのがいい。でもメソメソ泣いたりしないのがいい。ドロン(とヴァンチュラ)、あんたの時代はよかった。男が無口でキザでいられた。

演出はほぼ無音で淡々としている。口笛をフィーチャーした気だるいテーマが耳と心に残る。地味にかっこいい。波の音はいつから聞こえていたのか……というラストがいい。海の色とともに胸の宝石箱にしまっておきたいような作品。

ちなみにドロンはジャン・ポール・ベルモンドと組んで「若いときに宝探しで見つけた財産を元手に成功し、そのころ(ベルモンドも一緒に三人で)住んでいた女の娘が“あなた達のどっちかがあたしのパパなの”といって訪ねてきたので“じゃあまた三人で住むか♪”」っていう日本人的には開いた口がふさがらないような映画に、年食って銀髪になってから出演している。(Une chance sur deux,1998 ルコント監督)この作品の仇を取ったってところだろう。カッコ良い(・e・)




2013/01/11

1977年『戦争のはらわた』

なんでこんなゾンビ映画みたいなタイトルになっちゃったんだ……(・e・)




なぜ正月から戦争映画かというと去年の大河のせいでサム・ペキンパー作品を観たくなった(たぶん間違ってない)のでオンラインレンタルに予約しておいたのが順に消化されてやっと届いたというだけで、このタイミングで戦争映画である意味は特にない。

ああ面白かった!

……と、まずは言っておくべきだろうと思う。負けの込んだ戦場で見られる(であろう)様々な場面を工夫を凝らして再現し、それをいろんな方向から、いろんなズームで撮っておいて、キビキビと短く編集した作りに「贅沢なアクション映画だなあぁ」と思った。

テンポは非常に軽快で、まずは血沸き肉踊る娯楽作品なのである。銀髪と灰色の眼が美しいコバーン演じる主人公シュタイナーは、有能で、度胸があって、反骨精神にあふれ、(自分の力量を買ってくれている)上官に向かって「戦争も軍隊もあんたも大っきらいだ」とうそぶき、しかも同僚のために最前線に戻る。「一人にはしない」と言い切る。弱きをたすけ強きをくじき、女にもモテるが決して溺れることはない、立派な西部劇のヒーローなんである。東部戦線だけど。

負傷した彼が病院で見る幻影のフェチっぽい描写はすごかった。そんな彼は、つまり自分だけ女といい思いをして人心地ついたので、仕事を思い出したんですな。

セリフは最低限で、ほぼ無言・無BGMで進行する。どいつもこいつも主人公側も悪役も、時々キラっとカッコいいことを言う。ぶっちゃけ「なぜここでこうなるのか」よく分からない展開もある。

たぶん男性観客の視聴を意図して男性作家が描く世界は「男ならこの時の気持ちはクドクド言わなくても分かるよな?」っていうふうにできているのである。んで客は「分かるぜ」と泣くのである。たぶん。

対して女性客が念頭に置かれている、または女性作家が描いた作品では「つまりこういうことでしょ?」と説明してしまいたがる。

「女性にはよく言ってやらないと分からないだろう」と男性脚本家が思うのかもしれないし、女性自身が「男の考えることなんてお見通しよ」と鼻の高い気分を味わいたいのかもしれない。(それが前面に出て、ペキンパーリスペクトな演出と齟齬をきたした、あるいはクドくなり過ぎたのが去年の大河だった)

というわけで男による男のための娯楽作品かっけーでいいんだけど、テーマはやはり重い。英独合作ってとこもすごい。というかドイツが噛んでるところがすごい。エンドクレジットの中には苗字に「von」が付いてる人もいた……

これが仮に日本軍の話で、タイトルが『金鵄勲章』だったら、その意味合いの皮肉さはよく伝わったはずなんだけど。伝わりすぎてマズかったかもしれないが、個人的には「最後の西部劇監督ブラッディ・サムらしい残酷さ」を強調しすぎ、意訳しすぎてスベった邦題だと思う。

さらに、子供の頃にTVで観てトラウマになっていると言ってもいい非常に痛いことで有名な場面があるので、息継ぎしながら3回くらいに分けて観た。完走には数日を要した。でもやっぱり観て良かった。面白さと深刻さ、作りの贅沢さと、それを見せすぎないドライさが両立した傑作だと思う。柳ジョージが「北方謙三を読むと男ってものが分かる」って言ってたけど、映画なら「ペキンパーを観れば」だろう。

公開当時に観た人の反応は(ついさっき)ウィキペさんで読んだけど、まさにその通りだろうと思う。古きよき西部劇を好む人がきらうのも分かる。一方で、これ以後のアクション映画(およびハードボイルド小説)で影響を受けていないものなんて皆無といってもいいだろうとも思う。

展開が早すぎて見切れない部分もあるし、音楽の上手さ・銃器のホンモノっぷりなど、繰り返し観ては確かめたい・味わいたい作品だと思う。とりあえず返却しますけども(・e・)

そうだ、ジェームズ・メイスン万歳って言っておこう。彼の止め絵から始まるラスト部分はカッコ良かったですね……!

ちなみに個人的にはジェームズ・メイスンは『地中海殺人事件』で初めて、コバーンは『シャレード』がお初だったのでした。ミステリーを映画で観ておくのも俳優つながりで世界が広がるからいいよね(*´∀`*)