2017/04/10

漫画・アニメバッシングの根本。

「汗水たらして働く」という言い方がありますが、国会議員・官僚・事務員・教員などの多くは、汗だくになって働いているわけではありません。

汗水たらして働くのは、端的には農業従事者です。また漁業・林業・建設業・運搬業などです。

つまり、食糧獲得および獲得した食料を運搬することは、ひじょうに賛美されるわけです。人間も動物ですから、食べることが最も重要だからです。

いっぽう、飲酒・賭博・歌舞音曲・性的娯楽など、一時的に興奮しただけで食糧備蓄として残らない活動というのは、賤視されやすいのです。

それを専業とする人々は「きれいな着物を着て、遊びながら暮らしてるんだから、いいご身分だ」とか言われちゃうわけです。

若者がそういう遊びに夢中になったり、都会へ出てそういう遊びがしたいという夢を持ってしまうと「汗水たらして」働かなくなる。ばかばかしいとか言うようになる。遊興産業は若者を誘惑し、堕落させる。

そういう危険視は、洋の東西を問わず、ずっと昔からあるのです。

映画産業も、ありていにいって、なくてもいいものをわざわざ作っている。人間が映画フィルムそのものを食べないと生きていけないということはないのに、わざわざセットを建てて、衣装をそろえて撮る。

それは根本的に無駄なものであり、文化史的に見て「遊び」であり、食糧生産に対して余暇活動です。映画人は「好きなことだけして暮らしている」と厭味や皮肉を言われやすいのです。

だから、映画監督は芸妓として生きる女性に共感し、その苦労を描き出したのです。

能楽師も、うんと昔は「河原者」と呼ばれて差別されていたという話がありますね。それが時の権力に気に入られ、それを理解できると出世につながるということになると、我も我もと謡を覚えようとする。これが現実。

だから麻生さんが漫画好きだというと、漫画ファンが歓迎するわけです。

つまり漫画家も、その読者も「自分の好きなことだけして暮らしている」連中として差別されやすいのです。

それが小説よりも、映画よりも新しいという理由によって、よりいっそう差別されやすいのです。

昔は小説も低俗なものだと思われていたらしいです。時代とともに技法が鍛錬され、精神性が高まると、評価も高まるんだけれども、低俗な娯楽小説も存在し続けますね。

けれども映画というものが登場すると、相対的に古い小説のほうが高級なように思われる。時代とともに映画もレベルアップするけれども、ピンク映画も存在し続ける。でもテレビドラマに対して「映画を撮る」というほうが、なんか高級っぽい感じがする。

漫画もレベルアップするけれども、低俗な娯楽漫画も存在し続ける。

もともと「コミックマーケット」はオリジナル漫画同人会の集合体で、そこに出展されるものは(今さら確認しなくていいですけれども)当初から玉石混交だったのが当然です。すべての同人は平等であり、アマチュアそれぞれの自発ですから、一定の編集方針・審査基準というものがない。

現在でもその通りだから、コミケというところは、最も後発の漫画という表現分野の中でも、最も低俗なものが集まる場所として差別を受けやすいのです。

厄介なのは、ほんとうに農業・漁業の人が「俺たちを見習って働け」と言って来るのではなく、都市部で会社員として暮らす人々が、自分ではデスクワークしているだけで「汗水たらして」働いていないのに、他人に向かって汗水たらして働くことの尊さを知れとか言っちゃうことなのです。

ここに「ルサンチマン」という言葉が浮かんで来るわけで、働けど働けど我が暮らし楽にならざる一億総中流庶民の不景気に対する不満が、弱い者イジメとなって、漫画の自由を抑圧しようとしているという構図。

それ自体は、いまさら申すまでもありませんけれども、厄介なのは「新しいもの=伝統的なものより低レベル」という差別意識が、ギリギリで1990年代まではそのまま通用したのです。

けれども漫画・アニメファンが中高年に達してしまったので、バブル崩壊後の不況しか知らない世代が、バブル時代を自慢する中高年漫画・アニメファンに対して強い怨嗟の念を持っているという、逆転現象が起きているのです。

したがって、伝統的な年長者による漫画の異端視と、若年世代の復讐心が、1980年代に急成長した「二次創作」および同類の市販漫画を挟撃している。これが現状。

だから、同人側は、つねに二面作戦・三面作戦です。

あちらを立てればこちらが立たず(著作権問題でいいこと言ったつもりになると、青少年健全育成問題で墓穴)ということになりやすいので発言には注意しましょう。

(現状について来られず、「1980年代にはうまくやっていた」という昔話しか出来ないのであれば、無理しなくていいです)



2017/04/10

女性の社会進出の保障が、表現規制の原動力。

ひらたく言うと「母親が働きに出ている間、子どもになんかあったら困るので、性的な刺激を防ぐ」ということです。

これを政府が後押しするのです。なぜか? 労働力不足と税収不足を補うために、すべての女性に働きに出てほしいからです。

だったら保育所や学童保育を拡充すればいいのに、すでにそのカネが無いもんだから、サブカルバッシングに論点をすり替えて自己満足しているのです。

国会だって地方自治体の議会だって、一日運営するごとに人件費がかかります。いろいろな係の人がいるわけですから。電気代だってばかになりません。そこで漫画の話をしてないで、安心して子どもを預けられる場所を確保する話をすればいいのです。

全国の母親たちは、漫画がなくなっても保育所が足りないままなら、結局働きに出ることはできないのです。

なお、「漫画を取り締まることに警察の活動費や人的リソースを浪費するべきではない」という点をあまり強調しすぎると「じゃあボランティアで対応しよう」という話が浮上するだけです。

重要なのは、サブカル側が冷静になって「論点をすり替えるな」と言い続けることです。


2017/04/10

「いやなら読むな」という問題ではないです。

創作側は表現上の好ききらいの問題として論じたがるんですけれども、規制側の意識は「真似して実行する奴がいると困る」です。

だから「いやなら読むな」とか「そっと本を閉じればいい」という問題ではないです。

「私自身はいやだから二度と読まないが、これからも読む連中のなかに真似して実行する奴がいると困るじゃないか」と考えるのです。

そもそも描いた人間自身が描いた対象について強い興味を持っているはずだと考える。うまければうまいほど、実物をモデルにしている・写真を所持しているはずだと考えるわけです。

同人側は「落書きレベルならいいが、うまいのは禁止」と言われると「はァ?」と反応するんですが、もう「はァ?」じゃ闘えないです。

とぼければとぼけるほど態度が悪い・なにか隠そうとしていると思われるだけです。

「リア充」な人々は、あくまで現実に立脚しているので、実在被害を想定しているのです。

なにしろ自分自身がテレビを観れば観光地へ行ってみようと思い、映画を観れば主人公の真似してバッグや車を買おうと思うんですから、創作物というのは実行するためにあると思っているのです。

テレビCMなどというのは「他人が飲んでいる姿を見ると自分も飲みたくなる」ことが大前提ですから、現代市民の多くは創作物によって「実行しろ」というサブリミナル教育を受けているのです。

だから「読めば実行するはず」と考えるのです。

「真似するといっても絵を描くこと自体を真似するだけ。それをまた読んでもらいたい」という、サブカルワールド内における自給自足・自己完結を想定できないのです。

この「やらかすに決まってる」という先入観を突き崩すのはものすごく難しいです。だからといって同人・サブカル側が興奮して叫びだしてしまえば「ほら見ろあぶない連中だ」ということになるのです。

ここでものすごく迷惑なのは、1980年代に「アニパロ」の名前で小説同人誌を出展したり購読したりしていたタイプで、自分が漫画同人ではないもんですから、自分のことを二次元コンプレックスではないと思っているのです。だから「誰もキャラなんか好きじゃないよ! 最初から金目だよ!」って言っちゃうのです。

だったら漫画じゃないものも売る連中だということになってしまいます。

著作権問題と青少年健全育成問題がベッタリ貼り付いているという現状を認識できないなら、黙っててくれていいです。



2017/04/10

「二次元にしか興味ない」は、両刃の剣。

漫画・アニメ・ゲームのファンが危険視されるのは「ほんとうに二次元にしか興味がなく、現実社会のルールを理解することができず、リセットボタンを押せば死んだ子どもが生き返ってくるから大丈夫などと考えている」と思われているからです。

正確に言うと、そう思うことによって自分自身のストレス発散にしているという人が、あるていど存在するのです。

「サブカル許すまじ」と怒りの感情を捏造し、バッシングの声を挙げることによって、自分の職場・家庭などの日常的ストレスを発散している。いわば、反サブカル主義。

国家レベルで見ても、不景気対策・少子化対策が手詰まりなので、国民の不満を逸らす必要があるという事情です。

これに対して、二次元ファン側が興奮し、けんか腰になって怒鳴り立てれば、相手の思うつぼです。

「そら見ろ、二次元コンプレックスの奴らは口の利き方も知らない。モラトリアムとかいって甘やかされて育ったから危険な連中だ」ということになるのです。

すでにサブカル系イベントの参加者は、駅のホームで物を振り回すだの、駅構内を走り回るだの、自分たちで決めた「徹夜で行列しない」というルールさえ守ることができないだの、醜態をさらしてしまっています。

けれども、それは、出展したい同人にとって、迷惑です。

出展するためのルールを守り、粛々と搬入作業をする同人たちにとって、一般参加者の興奮は、当方としても申し上げにくいことながら、迷惑です。

どうか、年に一度か二度のお祭りだからといってヒャッハーするのは会場の中だけにしてください。会場の外で「東京へ来たぜ! イエ~~イ」と興奮してしまわなくていいです。

また、昔「同人やっていた」と称する中年が、他人の話にすぐ興奮して悪態をつくことは、周囲に「同人やっていると、ああなってしまう」という危惧を生じさせます。

とくに、インターネットは国会議員も、警察も、公安も、PTAも、海外の上院議員も利用しています。早いうちに同人活動そのものを規制したほうがいいという結論を呼んでしまわないように、サブカルファン各位において、厳重に自戒なさってください。

このくらいの長文を読める人は、もともと危ないことをしない(ろくすっぽ他人の話を聞かない中年ほど、すぐ興奮する)というところが難点。


2017/04/10

コミケを他の場所で開催するために必要なこと。

もしもサブカル系イベントが開催されなかったら何兆円の損失ということはできるんですけれども、そのン兆円は、地面から生えてくるわけではありませんね?

もともと誰かが(お給料を貯めたものとして)持っていたものです。少なくとも何割かは、もともと国内にあったお金です。

だから、サブカル系イベントが開催されなければ、若い人がそこで使おうと思って貯めておいたお金を持って、ほかのテーマパークへ行くかもしれないし、公式グッズを買うかもしれないし、映画を観に行くかもしれないし、お洋服を買うかもしれないし、海外旅行へ行こうと思うかもしれません。

各企業としては「経済効果」をアンダーグラウンドへ流してやる必要はないのです。

国家的には、なにかしらの企業活動によって法人税が入ればいいだけのことです。あとは、セミプロ同人から回収できる(はずの)所得税の合計と法人税では、どっちの金額が大きいか? というだけの話です。

同人・サブカルファンは、おカネの話(経済効果)をすれば、世間様が「すげーー! じゃあサブカル系イベントを開かなきゃ!」と思ってくれると甘い期待を抱いてしまいがちです。

けれども、おカネの話だけでは通用しません。ほかの業種に持って行かれるだけです。

どうしても「二次創作でなければダメなんだ。コスプレを楽しむ場所が必要なんだ。オタ芸を披露したいんだ。だから、どなたか会場を貸してください。周辺の公共交通機関利用のマナーは守ります。徹夜で行列したりもしません。いい子にします。だからお願いしますお願いしますお願いします」という、サブカルの主張が必要です。

くれぐれも低姿勢で。言葉使いは丁寧に。(もう騒いじゃいましたか?)


2017/04/11

サブカル側の人の良さが、裏目に出るのです。

サブカル側は「いやなら読むな」という。それで済むと思っている。規制側は「実行する奴がいると困る」と思う。

この意識ギャップは、まさにサブカル側が「実行することをまったく想定していない」ことによって生じるものですね。

自分が疑われているなんて思ってもみない。ポカーーンとしてしまう。

それが規制側には「ほんとうに何も考えてないから危険な連中だ」というふうに映ってしまう。責任感がないとか、地に足が着いてないとか。これだから家庭を持ってない連中はダメだという非婚者バッシングにも通じていくわけです。

なんというか……やっぱり、サブカル側が若いわけです。

世間を知らない。「自分はこれが好き」といえば通用すると思っている。その能天気な感じを、人によっては「田舎くさい」という言葉で表すのです。

基本的に中流家庭で愛されて育って来ているのです。テレビを観ることと漫画を読むことがいちばん好きで、悪いことしようなんて思っていない。暴走行為も喧嘩もしたことがない。おとなしい中高生だったのです。

おそらく映画『乾いた湖』のような新安保反対時代の若者たちのほうが、よほど「発展」的です。だからこそ「今の若者は酒も煙草も女もやらなくて情けない」なんていう年長者もいるのです。

(新安保時代の学生は今年77歳前後です)



2017/04/11

TPPの目的は、ファンアートの撲滅ではありません。 ~まずは、おさらい

まず山田さん他が頑張ってくれたおかげで基本合意ができたので、今からまた心配しなくていいです。今回は「おさらい」です。さて。

TPPによる著作権保護強化の件は、アメリカの意図が奈辺にあるかを見極めることが重要(だった)のです。

かの国は、たとえば『スター・ウォーズ』のコスプレをして映画館に並ぶ若者たちから「1ドルずつ徴収しろ。誰に断ってコスプレしとんじゃゴルァ」と言いたいのか? ルーカスがそう言ったのか? そうではありませんね。

アメリカ国籍の映画会社の意図は、海賊版や違法ダウンロードによって正規版が売れなくなることを防ぐこと。

また、テーマパークの開設など、巨額の契約料が動くはずのキャラクタービジネスを管理すること。

つまり、もともと支払うことに決まっているものを支払わずに済ませる者があるから、窃盗と同義ということになるのであって、それを取り締まるというのは当然なのです。

けれども、いままで「1ドルずつ徴収しろ」と決まっていなかったものを徴収することに決めたとか、素人の仮装パーティーを禁止し、衣装を没収したいということではないわけです。

それはおおいに楽しんでもらい、映画を愛し続けてもらいたいわけです。

だから、日本の一般国民が「コスプレやばい! 二次創作やばい! この機会にサブカルを血祭りにあげろ!」と興奮してしまうことではないのです。

インターネット上で無料公開されているコスプレ写真や似顔絵イラストを強制削除祭りにする必要はないのです。

それらは、バブル崩壊以来、親のリストラによって大学進学・上京を断念し、地方で非正規雇用労働に耐えている人々にとって唯一の心の支えということがあります。身体障碍・病気療養・高齢者介護などによって遠出できない人々にとって、わずかな娯楽ということもあります。

そういう本当に弱い立場の人々から、幸福追求権を奪う権利は、少なくとも著作権者ではない第三者にはないのです。

第三者が国家・政府であっても同様です。

独裁国家ではなく民主国家においては、国民の権利と自由は国家の権利に優先します。(ここを外すと総理大臣が「お国のため」と言えば徴兵制を復活して海外派兵ということが可能になってしまうので、建前は大事です)

もし、第三者が著作権者にしつこく電話をかけて「早く削除させろ」と脅すのであれば、自分が脅迫罪です。

いわゆる「日本のサブカル」の表現はひじょうに特徴的なので、それが好みでない人には目障りに感じられるでしょう。当方としても手放しで歓迎するものではありません。稚拙だと感じる時もあります。もうちょっと練習しろと思う時もあります。

けれども民主国家の法律とは、一部の国民の「サブカルをやっつけてやったぜ」という攻撃的な自己満足に利用されるために制定されるべきものではありません。

海外が提案してきた法案の本義がファン心理表現の撲滅ではないことが理解されれば、日本政府がその範囲を越えて、日本国民の自由を制限するべきではありません。

当方として、以上のように申し上げることができます。今後とも、ご参考になりますれば幸いです。


2017/04/11

自分の権利は自分で証明しましょう。~依存性同人には困る

同人誌即売会というのは、同人誌を即売する会ですから、同人誌を即売していることは一目瞭然です。

その即売品の一部が法律に抵触しているので摘発するという当たり前の話であれば、抵抗勢力が言うべきことは「売ってるんですよ!」ではありません。

そんなもん、一般国民も警察官も「分かってるよ」と答えるだけです。

最初から「カネが絡んでいないなら素人の遊びで済むが、カネが絡んでいるなら遊びじゃ済まない」という話をしているのです。

ですから「カネが絡んでるんだよ! そんなことも知らないの!? もっとよく調べてから書いてよね!」とか威張っても無駄なのです。

えらそうに「カネが絡んでる」といえば「教えてくれてありがとう。じゃあ売ってもいいよ」と答えてもらえるわけではないのです。

「カネが絡んでる」といえば許可してもらえるのであれば、海賊版も危険ドラッグも実在児童の盗撮写真も人身も「カネが絡んでる」と言えばいいことになってしまいます。

「わ、私だって人身や盗撮写真や危険ドラッグを売ってはいけないことは分かってるわ。でも二次創作なら売ってもいいのよ」というなら、なぜ二次創作ならいいと思うのですか?

海賊版や、危険ドラッグや、盗撮写真や、人身と、二次創作は、どこが違うのですか? それを自分で書けばいいのです。それが自分で自分の権利を証明するということです。

当方は、ほんとうに上京するおカネもなく、身体障碍・病気療養・高齢者介護を担当しているなどの理由によって自由行動がむずかしく、インターネットだけが頼りという弱い立場の人々のためなら一言を呈するものです。

はばかりながら日本政府・一般国民の皆様に向かって「アメリカの意図はファンアートの撲滅ではありません」と申し上げ、冷静な対応をお願いするものです。

けれども自分から「商業的規模である」と名乗り出た挙句に、他人に向かって「私の有利になるように書いてほしい」では、お話になりません。

まして、人にものを頼む時の言葉使いも知らない無礼者に肩入れする義理はございません。その程度の覚悟で「同人やっていた」なら、人気をなくして当たり前だというだけです。(どうも甘ったれた人がいて困るのです)

【女の子ごっこでは政府も困る】

甘ったれた人は1980年代を引きずっていて「弱者特権」などという言葉を信じており、女性の口から「女の子は弱いんだから配慮しなさいよ!」と言えば法律違反も大目に見てもらえるとか思っているのです。

けれども、そういう世代が40代以上の中年になってしまったので、自分の権利も自分で証明できない程度では、かえって「いい歳して子どもっぽくて我がままで危険な連中だから早く取り締まれ」という話になってしまうだけなのです。

そろそろ時代の変化を理解しましょう。

もともと法律の話をしてるんですから「なんとなく同人だけは可哀想だからOK」というわけにはいかないのです。法律の条文として整合性が取れる必要があるのです。

たとえ「生きていけなくなる」と言ったところで「じゃあ麻薬や盗品を転売して生きていってもいいよ」というわけにはいかないのです。同様に、二次創作が「悪い」ことであれば、いいよというわけには行かないのです。

ほんと言うと「読みたい人がいる」というだけでもダメなのです。なぜなら「待っててくれる人がいる」と言えばいいなら、麻薬や盗撮写真を待ってる人だって大勢いるよということになってしまうからです。

だから、二次創作それ自体が「悪いものではない」ことを証明する必要があるのです。

つまり「それ自体が実在の人間の生命・身体を損なうわけではない」とか「原作の売上を阻害しない」とか「日本国内の著作権者からは一斉取り締まりの要望が出ていない」とか、理屈を言う必要があるのです。

そして「国民の権利として、無用な法案の通過に反対します」で、いいのです。

(※すでにこの言い分が認められたので、もう一回心配しなくていいです。これは「あわててクレームする前に、このくらいは自分で考えましょう」というお話です)


2017/04/11

ラディカル・フェミニズムぶりっこ中年の母親依存。

当方のもとへは、数十年前に同人やっていたと称する人物が「同人のなかには脱税で逮捕された奴もいるから、よく調べてから書いてほしい」と言ってきたことがあります。

「そういう連中だから早めに規制するべきだ」と書いてほしいのではないようです。

「同人活動というのはそれくらい金回りがいいので売れなくなると困るから営利派同人に有利なように書いてほしい」と言いたいらしいです。

その言葉使いがひじょうに悪くて、赤の他人にものを頼む態度ではないのです。

他人を怒鳴りつけたり、厭味をいったり、下品な渾名をつけて人格攻撃したりすれば、自分の言うことを聞いてくれると思っているらしいのです。

同人ってのは、みんなこんな連中……ではないです。この人だけが自分を甘やかしているのです。

表面的に気が強いように見せかけて、言葉使いだけは暴力的なんですけれども、根本的に発想が受身で、解決法が依存的なわけです。「このままじゃ規制されちゃうから、あなたの口から説明してやってよ」というわけですからね。自分で「規制派の論理をどこから切り崩すか?」と考えるという、自分の問題にする気持ちがないのです。

こちらは「取り締まり対象は商業的規模の違反だから商業的規模でないものは取り締まられない」という当たり前の理屈を言ってるんですから、自分から「私たちは商業的規模です!」と名乗り出た以上、自分の権利くらい自分で証明すればいいです。

これはやっぱり、実家で母親に甘えていたタイプだと考えることができます。

「お母さん、やって!」とか「やっといてって言ったでしょ!」とかいって、親を顎で使えるつもりで、怒鳴りつけて威張っていた内弁慶です。それが社会へ出てからも「女の子には配慮してくれるもんでしょ、ふつう!」という態度を続けているわけです。

少女のフェミニズム

まさに、これこそ1980年代二次創作BL同人の典型なのです。

正確にいうと「二次創作BL同人とは母親との葛藤をかかえた少女だ」というフェミニズム批評的BL論に完全に一致するタイプなのです。もともと依存的・責任転嫁的なお嬢さんが、他人の書いたものを真似すれば簡単にお小遣いになると思って同人活動に参加してしまい、フェミニズム批評の理屈も知ったので「それでいいんだ」と思っちゃったのです。

それっきり情報更新も自分自身の態度の見直しもできていない。思い込みの強いタイプです。

これが学生運動に関わっていれば「プロレタリア人民のため」と言われて真に受けて爆弾作りに加わったり、新興宗教に関わっていればサ(以下略)

実際に母親が「学生運動・新興宗教に関わるな」と厳しく言ったのであれば、本気で心配してくださったのです。その有難みも分からずに「学生運動と新興宗教を禁止されたので同人誌即売会へ行く他なかった」とか、わけのわからない言い訳するのです。それが自分の努力不足で売れなくなったのを「M事件」のせいにしたり、プロ漫画家の悪口を言ったりするのです。(そういう人なのです)

それが「ともだちと長電話しながら書いていた」というなら、他人のアイディアに頼っていたのです。それを「個人的に出品するのが当たり前」と称するなら、他人のアイディアに頼っていたことに気づいていないのです。

だから大学を卒業し、同級生が地元就職してしまうと、一人でやっていたはずの「同人誌」が売れなくなったのです。だから、それ以後の出展を断念したので「同人やっていた」人なのです。今はやってないのです。

でも「M」のせいで売れなくなったというなら、自分の実力不足ではなかったという意味ですから、今でも書いて売ればいいのです。委託販売でも通販でもすればいいのです。

何もしない人が他人を頼るのです。しかも、なぜ悪いほうの話を聞かせようとするのか?

もし、現代の中年同人が本人と同じく就職氷河期に巻き込まれた第二次ベビーブーマーであるから格別の高配を望むということであれば、自分でそう言えばいいです。なぜ直近の出来事ではない悪い例を挙げて売上自慢するのか?

復讐です。「自分の時代はすごかった」という自慢をしたついでに現役の首を絞めたいのです。本人に意識されていない憎悪ほど強いものはないのです。

「調べて書け」というなら、このくらいの人物描写は調べるまでもなく書けるのです。本人の発言をつないだだけです。すべての背景に見えてくるのは母親依存。濃厚な母子共依存的核家族世帯が想定されます。

本人が「大学の先輩が出版社に就職したので便宜を図ってくれた」と自慢するんですから、親のカネで大学へ行かせてもらったのでしょう。それが今ごろになって、他人を実家の母親とまちがえて依存したのです。

都会の大学へ出してやった娘がこんなふうになっちゃうんだなァ……と思うと、若い人に言っといてやったほうがいいなと思う次第です。

【次世代への注意】

男女とも、あまり軽い気持ちで同人活動に参加し、うかつに「濡れ手で粟」という経験をしてしまい、もうそれで一生食って行けるように勘違いしてしまうと、なんの資格試験の準備もしないままに新卒就職の機会を逃してしまい、生涯賃金を棒に振ることになります。

二次創作同人としての人気はテレビ番組に左右されるとともに、無審査で新人がどんどん参加して来るので、よくて3年くらいです。誰を恨むこともできません。自己責任です。

ほんとうに昔の先輩は「親を泣かせることになるからやめておけ」と言って、とめてくれたものです。

そもそも脱税する(=課税される)ほどの大成功というのは、バブル時代およびごく一部の才能ある人物の武勇伝です。現代に、またあなた自身が再現できる保障はありません。

コミケは1975年に始まったので、1985年頃に世代交代があって、説教してくれる先輩が少なくなるのと入れ違いに、アニメそのものの流行とバブル景気に乗って、軽い気持ちの中学生の「自称同人」の個人参加が増えてしまったのです。その成れの果てです。

この件は(すでにお気づきのように)腹に据えかねるとともに、危惧の念も深いのです。


(なお、脱税したことが悪いのであって、きちんと納めればよいのです。二次創作そのものの是非と議論を混同しないようにご注意ください。

また、当時はまだ「二次創作BL」という言葉がなかったですけれども、当方は隠語・略語を全般に好みませんことと、多義性によって議論が混乱しやすいので、公平を期して「二次創作BL」という単語を採用いたします)




2017/04/13

夜間走行の基本は、ハイビーム。防衛運転いたしましょう。(オンライン的な意味で)

夜間は視野がせまくなり、判断力も低下します。

防衛運転の基本は「たぶん大丈夫」ではなく「危ないかもしれない」と考えることです。

つねに視野を広く持ち、遠方まで照射し、危険を予測して、必要な時はすぐ停まれるように、安全速度を守りましょう。

ほんらいは実際の自動車運転上の注意ですが、そのままオンライン利用の注意にすることができます。

当方は、朝になってメッセージを確認したら、夜の間に暴言を連投して来ていた人があって、驚いたことがあります。

なによりもご本人のために「これをオンライン的に最も人目の多い夜間に、自分のフォロワーさんたちの前で叫んじゃったのか……」と。

とくに他人の話に触発されて、昔の恨みを思い出してしまった時は、それ以外のことを忘れてしまうことが多いので要注意です。

いわゆるトラウマを刺激されたんですが、それをトラウマだと思って、かかえ込んでいることに決めたのは自分自身です。

「トラウマを抱え、それを慰めてほしくて今日もタイムラインをさまよう私」を自分で甘やかしてしまってはいけません。

【同人は自分で選んだ道】

1980年代の若者たちの中にも、警察官になった者もおりますし、弁護士になった者もおります。会計担当の事務員などとして、それらの業界に関わるという道もあったでしょう。1980年代に少女だった人が「二次創作BL小説同人として生きる以外に道がなかった」ということはありません。

同人誌即売会は、昔の女郎屋ではないので「親に売られた」ということはありません。「面白そうだからやってみよう」と思ったのは自分です。

「売れなくなったから面白くないので、やーーめた」と決めたのも自分です。

「M事件のせいで売れなくなった」という人は、自分の実力不足ではなかったという意味ですから、そんなに自信があるなら、また書いて売ればいいのです。インターネットが使えるなら「新刊できました」の告知をすればいいです。委託販売も利用できます。

同人・BLの世界に関わり続けていれば、非婚のお友達も大勢できるでしょう。それをしないのは自分の責任です。

【バブル時代の後始末】

「二度と二次創作BLなんか書くもんか。あのころ同人やらなければよかった。先輩にだまされた。資格試験の勉強でもしておけばよかった」と思うなら、今からでも取り組めばいいです。アクセサリー作りなどの新しい趣味が副業に結びつく可能性もあります。

現在の大企業の窮状は、バブル時代に企業倫理を喪失して営利性を最優先にした結果です。後始末に追われているわけです。個人レベルでもそういうことが起きているのです。

これから若い人が「五月病」などということを起こしやすくなります。日本の大学の教養課程は、事実として高校のやり直しで面白くないということがあり、目標を喪失しやすいものです。

そこで、プロパガンダを真に受けたり、昔の武勇伝を真に受けたり、行かなくてもいいところへ誘われたり、始めなくてもいいことを始めちまったりするのです。

くり返します。同人活動は自己責任です。誰のせいにもできません。昔の愚痴を言っている先輩を見かけたら、可哀想がってやる必要はありません。

先輩チームは、防衛運転を心がけましょう。本物の現役同人は発言が慎重です。言葉使いも丁寧です。SNSで空威張りしているのは、終わっちまった中年か、インターネットしか知らない若い世代です。