2017/01/19

「LGBTは生理的に無理と言えばいい」の真意。

某市長さんのお話。これは「もっともらしい理屈をいって、おためごかしをしてないで、俺は差別したいとハッキリ認めればいい」ってことなのです。

某市長が「LGBTは生理的に無理と言えばいい」と発言したと報道されると、「言えばいいんだ」という脊髄反射が生まれがちですけれども、そこじゃないですね?

言い訳するな」が本当の意味です。

同性婚について「少子化が進むから良くない」と言うなら「孤独死を防げるから良い」と言い返すことができます。

同性婚を禁じられたから異性婚するということは起きないのですから、同性婚を禁止することによって、少子化は、良くも悪くもなりません。

少子化は異性志向者が結婚しなくなったことによるものであって、同性志向者のせいではありません。

そもそも同性志向というのは生まれつきであって「最近の若者はみんなオシャレで、なよなよしているから、ほっとくと全員ホモになってしまう」ということではありません。

ここまで説明した挙句に「しかし……」という人は、自分の中に「差別してやりたい」という気持ちがあることを認めましょう。

「あ、俺は差別的な、いやな人間だったんだ。いま、周囲の人からそう思われるようなことを言ってしまったんだ」と気づきましょう。

認めることが第一歩です。そこから反省して、差別しない人間になるもよし、あくまで差別人生を貫くぞと宣言してもよし。決然として選ぶ権利はあなたにあります。

自分自身の親御さんに対して、お子さんに対して、お孫さんに対して、配偶者に対して、親友に対して、恥ずかしくない生き方はどちらですか? そういう話です。

自分の中に、差別したい気持ち、言い訳したい気持ち、責任転嫁したい気持ち、「みんなそう思ってるだろ?」と他人に甘えたい気持ちがあることを認めましょう。くりかえしますが、それが新たな第一歩です。



2017/03/13

同性婚を容認しても、子どもは生まれます。

「差別的な人ほど被害妄想を持ちやすい件」の、別の例。

「同性婚を認めると、男がみんなホモになるから、子どもが生まれなくなるじゃないか!」という人は、ご自分もなるつもりですか?

じつは「俺はもう子どもを作ったから大丈夫だが、いまの若い奴らはみんなナヨナヨしているから信用できない」ということですね。

ほんとうは、性的な問題以前に、自分自身が若い人に対して疎外感を感じている。ついて行けない、理解できない、相手にされない……。

わが身を「おちこちと飛び散らう落ち葉かな」と感じているのです。だから焦りがあるのです。

自慢する人には劣等感があります。もともと優越感を持っていた人は、それと同じ強さで深い劣等感を感じやすいのです。「みんなが俺を裏切って、つぎつぎと白が黒に変わってしまう」という、リバーシのようなイメージを持つのです。

実際には、もともと異性志向だった人が同性愛に「転ぶ」ということはありません。

憲法の一部改訂、または法律の整備ができれば、瞬間的に「じゃあ我々も結婚式を挙げよう」と名乗り出る人が増えるので、急に増えたように見えるかもしれませんが、かならず止まります。

あとは、つねに一定の割合(総人口の一割とみればいいでしょう)で共存し続けるだけです。

あとの九割は異性志向ですから、子どもは生まれます。生まれないとしたら異性志向者の社会の問題です。同性志向者に責任転嫁してはいけません。

ようするに母親サポートの不備であったり、就職難であったり、住宅難であったりということです。

つまり、それについて「打つ手なし」という絶望感があり、「若い奴らが俺の言うことを聞いて結婚しようとしない」という無力感があると、他コミュニティのせいにしたくなるのです。

それは、あえて申しますが、自国の問題を外国を占領することによって解決しようという発想と、根っこにおいて同じです。ご自戒ください。

【自称ノンセクさんへの注意】

同性志向者たちにとって「お前らのせいで少子化になっている」と言われることがいちばん不愉快で、困るわけです。

だから彼らにとって理想的なのは「同性婚が認められ、しかも異性婚する人も増えて、少子化が解決し、みんなハッピー」という状態です。

したがいまして「私は産みたくないから同性志向の皆さんの陰に隠してもらいたいわ」という弱者同士の連帯ごっこは、彼らにとってご迷惑です。

自分だけの価値観で「彼らを利用できる」と思ってしまうことは、控えましょう。



2017/03/17

男同士にも育児と職業の両立の苦労をさせてやればいいです。

1980年代の若いゲイカップルを撮影したドキュメンタリー映画を観て、当時のフェミニストが怒ったんですって。

「この男どもは本当の育児と職業の両立の苦労も知らないくせに、お互いをパパ・ママと呼び合って、ままごとしている!」って。

もちろんパパが居間の中央で新聞ひろげてる役。ママがごはんを作る役です。そういうステレオタイプが再生産されているせいで、本物の女である我々がどんだけ苦労してると思ってんだ! って。

だったらゲイカップルにも育児と職業の両立の苦労をさせてやればいいです。男同士で養子をもらえるように法律を改正してやればいいです。

彼らが差別されているのは、我々が差別しているからです。

そのうち彼らは「おなじ男なのに、一方の負担が大きいのは不公平だ」って言い出すでしょう。そしたら、男のパパと男のママは家事を分担するようになるでしょう。

「でも、女のママは今までどおり一人でやればいいじゃん。母性本能があるから出来るでしょ」って言うでしょう。

そうです。彼らに育児を禁止しようが、解禁しようが、女性にとってなんのメリットもありません。

それでも本人たちがやりたいというものは、やらせてやる。それが多数決上の強者が少数者に対して責任を持つということです。

「なんのメリットもないのに、どうして私たちが彼らのために法案を挙げてやる苦労をしなきゃならないの!?」というなら、一般男性だって同じことです。

男たちが女性に協力したがらないのは、ようするに自分の家事負担が増えるのがいやだからです。



2017/03/17

古い新宿二丁目ガイドは、差別意識に基づいていることがあります。

1990年頃から「ミスターレディ」と称して、女装の上手な男性または性別適合手術を敢行したトランスMtoFが、テレビのバラエティ番組にゲスト出演するようになりました。

同時に、番組MCなどの芸能人が、新宿二丁目(に多いとされるゲイバー)の客になった時の様子を面白おかしく吹聴することが増えました。

本人たちは、ゲイバーを宣伝してやり、応援してやっているつもりだったのかもしれません。実際に「いい宣伝になった」と思っているマスターさん・ママさんもいらっしゃることと思います。

けれども、同時に「同性愛の男性は、男心と女心が両方分かるから、異性志向者の無料人生相談相手として使える」という、上から目線の先入観も広まってしまいました。

当時の異性志向者自身は、これが上から目線であることに気づかなかったのです。

それまで「存在しないもの」とされてきたゲイの存在を直視し、おともだちにしてやったという意識だったのですが、それが意識されていなかったのです。

本当は、「水商売」の人が世間を知っているのは当然なのです。

ふつうの女のホステスさんだって男心を知ってます。小説家・漫画家・作詞家なども異性の心理を上手に描くものです。

にもかかわらず、同性志向者・異性装者・性別違和者だけを狙い撃ちに利用する風潮が広まってしまったのです。1990年代の日本社会の黒歴史です。

で、その利用者意識がそのまま観光ガイドに反映されてしまうこともありました。

若いみなさんは、昔の本に書いてあることが本当かどうか疑いながら読むという姿勢を身につけてください。

雑誌・単行本とも、まず「奥付」を確認しましょう。何年に発行された本か確認するのです。

むしろ若い人のほうが、生まれた時からネット社会なので「リテラシー」が高いこともあります。中年が古いデマを信じたまま出かけてしまうことのほうが多いかもしれません。

他人の人権運動を自己満足のために利用することは自粛しましょう。弱者同士の連帯ごっこは歓迎されません。ゲイバー自体は(先方もご商売ですから)行って悪いということはありません。

けれども「女性もどうぞ、ノンケ(同性愛ではない人)もどうぞ」と言ってくださるお店に甘えさせて頂くだけにしましょう。ご遠慮くださいというお店に無理を言ってはいけません。

そのうえで、親切に迎えてくださったお店の人に自分の愚痴ばかり聞かせたり、周囲の素人さんに余計な質問したりする野暮な客にならないでください。



2017/04/14

映画『ブロークバック・マウンテン』の評価に見る彼我の差別意識。

アメリカのゲイコミュニティは、映画『ブロークバック・マウンテン』を長いこと「ぼくらが選ぶ映画」のランキング1位に置き続けたそうです。

日本では「ただのメロドラマ」として、一蹴してしまいました。

その差異は、キリスト教的タブー意識が強いはずのアメリカのほうが同性婚の法的権利の保障が早かったという結果の違いになって現れたのでした。

【あちらの事情】

欧米の同性愛忌避意識というのは構造が単純で、もともと宗教的戒律自体がストレート男性の本能に基づいて設定されているわけです。

世界宗教は、すでに人間社会が重層化・異質化した後で、旧来の社会に対する抗議として広まったものですね。

古代における美少年趣味の実態は、権力・財力のある成人男性によるパワハラでしたから、それを戒めることは、奢侈や傲慢の戒めに通じるのです。

すなわち、庶民的ストレート男性の「金持ちは許さん」という復讐心と、「俺は真面目に働くぞ」というナルシシズムと、「男同士はきもち悪い」という本能が完全に一致したので、強力な戒律となり、だからこそ、それを単純にひっくり返すという発想も生まれて来るのです。

【我がほうの事情】

日本には「衆道の契り」と称して男同士を美化する伝統があって、女性もこれを美的なロマンスとして消費してきた伝統があるのです。

それはやっぱり権力者が弱い立場の者を搾取するというのが実態だったわけですが、これがややこしさを生むのです。

社会の支配層である男性が「美童最高・女形最高」と言ってるんですから、女性がそのお相伴に預かることは、むしろ男性に対して抵抗的ではなく、順応的なのです。

日本では、男性と一緒になって「美少年最高」という女は、世間馴れしたおとなの女なのです。衝撃的ですよね。

でも、これがなかったら森茉莉の作品が三島の推薦を受けて新潮社から発行されることもなかったし、二十四年組作品が男性編集長の宰領する編集会議を経て小学館から発行されることもなかったのです。白洲正子が時折その話題に言及しつつ、高尚な美学を理解する女性として執筆を続けることもなかったのです。

また、栗本薫が同性愛者の権利を代表しているつもりになって、かえって実在同性愛者から「一緒にするな」とクレームされることもなかったのです。

【婦徳と自立の一致】

日本の女流は宗教的禁忌(に基づく市民道徳)によって断罪されたことがないのです。男性自身がそれを持っていないからです。

いわば「殿様と一緒になって、殿様のご寵愛にふさわしい美童を選び抜く女執事」というのが日本の女性の役どころであり、BLの本質です。

BLの構図は、日本の伝統的な婦徳と矛盾しないのです。(!)

執事として働くこと・BL創作家として自立すること自体は女性の社会進出ですが、そのことと男性が美童を搾取すること(の描写)が矛盾しなかったのです。

女性が男性のやることを応援することが日本の女性の社会進出であり、女を捨てて男として生きるということなのです。少なくとも「だった」のです。

これが評論家などが「BLは男性中心社会を肯定しているのか否定しているのか?」と首をひねった所以です。

どっちかってェと全面的に肯定しているのです。男性中心社会ありきで、その隙間に女性が自分の居場所を見出すのです。

これを新宿二丁目へ持ちこむと「ゲイバーに居座って見てるだけでいいと称する女性客」になるのです。

【日本的LGBTの困惑】

当然ながら、日本のゲイコミュニティとしては、これには困るのです。

彼らが「ぼくらのためのメロドラマが海外からやって来た(嬉しいな)」と言う前に、女たちが紅涙を絞ってしまうわけです。「男心の切なさが分かるわ~~」って。

日本では女性が「同性愛の男は神にさからう罪びとよ!」と糾弾するのではないのです。だったら「差別するな!」と叫び返すことができるので、人権運動の構図が単純なのです。

じゃなくて、日本では女性が同性愛の男と連帯できているつもりになってしまっているのです。

実際には「ストレート男性の鬼の霍乱」というべき創作物と、先天性の実在同性愛者を混同して、娯楽として消費しているだけという、特殊な差別構造なのです。

だからこそ実在同性愛者は「女が喜ぶものと一緒にしてもらっちゃ困るぜ(女は先入観だらけで迷惑だ)」と言いつづける必要があるのです。だから女性と連携が取れるようで取れないのです。取りたくもないと思ってる人も多いのです。

これが日本のゲイリブ運動のややこしさ。

2017/04/27

まだ、その話ではない。~ポット出版『「オカマ」は差別か』再考

『週間金曜日』という会員制雑誌が東郷健という人物の半生を紹介する記事に「伝説のオカマ」というタイトルをつけた。

これに対して、ゲイリヴ団体の一つが「オカマ」という言葉を使うなとクレームした。すると他のゲイが新宿ロフトに集まって討論会を開いた。

世紀の変わり目に起きたことですから、すでに古い話ですが、今なお示唆的です。以下、個人的考察です。

まず「すこたん企画」(当時)としては、「当事者が自称してるからって、他人が真似しちゃダメだろ」って言っただけなのです。

たとえば「うちの愚妻です」と言われて「皆さん、こちらは部長の愚妻です!」って紹介しちゃいけませんよね?

「不肖の息子です」と言われて「皆さん、部長の不肖の息子さんです!」って紹介しちゃいけませんよね?

じゃ伏見憲明以下、ロフトに集まった人々は?

「私たちが自分でオカマって言うのも禁止されちゃうの!?」という被害妄想を持ってしまったのです。まだ誰もそこまで言っていない。

伏見たちは「ディスクールの権力」とか生々しい言葉を使って危機感を表明してますけれども、まだ誰もそこまで言っていない。

確かに「すこたん」は雑誌社に対して「オカマという言葉の用法を教えてやる」と、やや高圧的にレクチャーした。だからといって仲間の用法を禁止するとは言っていない。

ほかの人が「私はまた別の意味で使ってるわ」と言いたきゃ言っていいのです。今ならツイッターで言える。

けれども当時は、まさにそこが波紋を呼んでしまった。すなわち「怖くて言えない」という人がいる。

仮に、出版社が再度のクレームを恐れて過度に自主規制すれば、他のオカマ自認者が『オカマの一生』という自伝を出版したいというとき「その題名ではお引き受けできません」と言われちゃうというわけです。

「でも私はどうしてもこの題名で行きたいんですよ」と言えば、出版社としては「じゃあ『すこたん』さんと話し合ってください」ということになります。

すると「だって、そんなことしたら私が叱られちゃうわ」と女性的なゲイ(またはトランス)が怯えてしまうというわけです。

ここから「前々から思ってたけど、ゲイコミュニティの中でも男っぽい人が威張っていて、女っぽい人を差別しているのは許せないわ!」という話にずれて行ってしまったのです。

つまり「女性的な被害者の主張」大会になってしまったのです。誰が誰を差別するのか!?

本人たちにとっては切実なんだけれども、残念ながら、論点のすり替えです。

ただし、伏見ほかが立派だったのは、話がズレていることを理解していた。「これがいい機会だから、コミュニティ内部の問題を洗い出そう」という意識を共有していたのです。

すなわち「今までコミュニティ内部でこういう話し合いができていなかったこと自体を反省しよう」という意識を忘れなかったのです。

そのうえで伏見は「弱者の連帯とか、マイノリティの連帯というのは、どうかと思っていて」(p.88)という。

だから「この機会にオカマが団結して『すこたん』と全面戦争だ!」とはならなかったし、男女差別が根底にある問題だとはいっても、フェミの姐さん達に援軍を頼もうとも思わなかった。

じつに冷静です。

彼らの口から最後に出た「個別対応」という言葉は、じつは自分たち自身に言い聞かせた「冷静に対応しよう」という確認ですね。

そのいっぽうで、伏見は個人的見解として、当事者が言っている以上、編集者が引用するのは当然であって、謝罪には及ばない旨を寄稿したのでした。

論理が一貫して見事だと思うのです。見習いたい態度なのです。

2017/05/17

若い同性愛者の皆さんは、中年ストレートの質問に答えてやる必要はありません。

「特殊な創作物が好きすぎて、ふつうの異性と交際・同居しても面白くないので結婚しなかった」というのは、その人の自由意志です。

その権利は、すでに憲法によって保障されています。皆さんが慰めてやる必要はありません。まして、性的な質問に答えてやる義務はありません。

とくに質問者が女性の場合、本人が女性として男性と交際したくないこと(自称ノンセク)と、男の同性愛に興味があることを混同するのは、BLファンの悪い癖です。

実際には、男の同性愛者の性行為について何も知らなくても、独身女性としての人権運動はできます。皆さんのための署名活動やビラ配りに協力することもできます。

だって、もし他の人権運動(たとえば身体障碍差別、自閉症差別、難病差別、前近代的階級差別に反対する運動)にボランティア協力する時、まず最初に性的な質問しますか? 絶対しませんよね? 失礼であることが分かってますよね?

では、なぜ皆さんの人権運動にボランティア協力したいという人だけが、まず最初に性的な質問をするのでしょうか? それは失礼ではないのでしょうか? なぜ皆さんに対して性的な質問することだけは失礼ではないのでしょうか?

なぜ人権運動に協力したいというおとなが、皆さんに対してだけは、他の人権運動に対する時と態度を変えるのでしょうか?

もし、変なおばさんがいたら「今、あなたがしていることが差別です」と言ってやっていいです。

本人が「BLでは物足りないので本当のことを教えてほしい」と言っているのですから、厳しい現実を教えてあげましょう。

【ゲイ雑誌が読めないという女は危険です】

「ゲイ雑誌は生々しいから読めない」という女が、現実のゲイバーへのこのこ入って来る必要はありません。

そういう女は自分に都合のいい創作物(BL)しか読んだことのない人です。実際の人権運動には関心がありません。ゲイ側が「弱者の連帯」ということに乗り気ではないことも知らない程度です。

ゲイ雑誌というのは、表紙を見ただけでも分かるように、人権問題に関する記事を含んでいます。

こころない行政や医療関係者から失礼なことを言われたという被害報告。それらに対する訴訟の経過報告。海外のヘイトクライムの犠牲者を追悼する集会やパレードの開催告知。エイズの正しい治療方法や受診の呼びかけなど。

生々しい現実が苦手という理由で、ゲイ雑誌を閲覧したことがないという子どもぶった女は、そのような情報も得ていません。たんに「BLみたいなことを本当にするのかどうか」という漫画と現実を混同した好奇心を満足させるために訪ねて来ただけです。

なお、わざわざ人権集会に出席して「ゲイ雑誌ってすごくエロいですけど、ゲイってポルノのことしか考えてないんですか~~?」と質問する女は、その女自身がポルノグラフィックなグラビアにしか興味ないだけです。

人権集会を開催している時点で、ポルノ以外のことも考えているのは明白なのですから、その女自身が、そんなことも理解できないほど頭を使っていないか、わざといやがらせしに来たのです。

人権運動の仲間に入れてもメリットはありませんし、悪質なセクハラだと思えば、しかるべき筋に引き渡しても構いません。もし警察が取り合ってくれなかったら、その時点で警察が差別加害者です。最終的な責任者は、国家です。

【中年LGBTの皆様へ】

中年LGBTの皆様は、1980年代に「アニパロ」が流行したことと、それがきっかけの一つとなって変な女性客が増えたことを重々ご承知のことと存じます。

が、この4月に上京したばかりという若者たちは、親切ぶったストレート中年にだまされてしまう可能性があります。

とくに、表面的には進学・就職のための上京でも、自分の性的志向と将来について保護者の理解が得られず、家出同然に上京してきたという若者の場合「うちのオカンと同じくらいの歳の人のなかにも僕らの味方がいた」と感激し、信じ込んでしまう可能性が高いです。

申すまでもなく、実在の性的少数者の皆様は、アニメキャラクターではありません。ストレート女性の玩具ではありません。都合のいい情報源でもありません。「ゲイバーで遊べる私は負け犬よりマシ」という優越感の道具でもありません。

【非婚者の会を結成するのが先決】

現代の職場において「私以外に独身が一人もいない」ということは少ないと言えるでしょう。

ですから、まず身近な独身ストレートに呼びかけて「既婚者から可哀想と言われたくない。いい人いないの? 紹介してあげようか? などと、優越感ぶって世話を焼かれたくない」という気持ちを共有すればいいのです。

「独身でも性的体験の自慢をするからいやだ」という場合も、それを回避する方法はあります。

世の中には本当に虐待被害の記憶に悩んでいる人、それほど深刻ではないが性的な話題は苦手だという人がいるのですから、そういう人々を見つけて「性的な話題を出さないルール」を決めて、スイーツ食べ歩きの会を結成したり、一般的なミュージカルを観に行ったりすればいいのです。インターネットが使えるなら尚さらです。

それでは物足りなくて、「直接ゲイの口から男同士のエロの話が聞きたい」という人は、もう単にその人自身がそういう趣味だというだけです。

LGBTの皆さんが慰めてやる義務は、ありません。