2015/05/22

同人・BL関連記事の意図と、用語の確認。

当ブログにおける、耽美・BL・同人・LGBTに関わる記事は、面白おかしい暴露話ではありません。すでに普及してしまっている偏見について苦言を呈するという性質のものです。だいぶ辛口に感じられると思います。

創作物の作例については、ひじょうに有名と思われるプロ作品のみ題号を引用しました。一般読者様が内容を確認しやすいからです。

いわゆる「同人誌即売会」に販路を限定した自費出版物は、バックナンバーを入手しにくいこと・その著者が一般公開を望まないことが多いので、一方的にあげつらうのはフェアではないと信じます。

インターネット掲示板に匿名投稿された文章も、個性的な作品の体裁を取ったものには著作権があります。無断転載した書籍が発刊されてしまったこともありましたが、最初から差別的な意図をもって同人のやることなすこと面白おかしく紹介するというのは、不適切です。

なお、どの業界にも言わないほうが良いことがあり、言わないことは知らないことを意味しません。遠慮して言及せずにいることを「あら、知らないなら私が暴露してあげる!」という義侠心は、本っっ当に困りますので、ご遠慮ください。

【BLという単語】

このブログにおける「BL」という単語は、1990年代から使用されるようになった「ボーイズラブ」という和製英語の略表記であり、女流が男色を主題に創作した作品の総称として使っています。同じ概念を示す単語はいくつか提案されてきましたが、それぞれに不具合を抱えています。

耽美」というと、谷崎潤一郎とはどう関係があるのか? といった混乱が発生します。

JUNE(ジュネ)」という呼称は、専門誌のタイトルによるもので、端的にはその掲載作を指し、それ以外の作品を指すのか指さないのかという混乱が生じがちです。

やおい」というのは、一説に「山なし落ちなし意味なし」の省略形とされますが、端的にはアマチュアによるパロディ作品を示す隠語であって、ボーイズラブの一分野に過ぎません。

作風で分類するという考え方もありますが、実際には「耽美、JUNE」の名でコメディ性を追求したものもあれば、後発の「やおい、ボーイズラブ」の名で叙情性を追及したものもあり、一概に前者が古風でロマンチック、後者が現代的でギャグタッチと言えたものでもありません。

総称として最も適切なのは「女流男色創作物」かと思われますが、いくらなんでも重たい感じがいたします。

正確を期すためには「1960年代に発表された森茉莉作品の一部」とか「1970年代後半に流行した美少年趣味の女流漫画」とか言えば良いのですが、それを毎回くりかえすわけにも参りません。

悩んだ挙句に、BLです。

作風がコメディかシリアスか、恋愛描写がポルノグラフィの域へ踏み込んでいるか、純文学的・プラトン的言及に留めているかを区別しません。便宜的に用いる包括的名称・記号的表記であって、その点では常に多義的です。

なお「女流」という単語は、個人的に「女性作家」というよりも風情がある感じがして好きなので使っています。対義語として「男流」も定着するといいな、と思っております。

【GLBT】

GLBTとは「ゲイ」を先頭に立てた言い方で、ゲイ当事者が好んで使うものですが、ここでは「BL」との(視覚上の)語呂合わせによって採用しております。

ここにLGBTの話題が加わってくるのは、1980年代以来、ゲイコミュニティから「BLを読んで興奮した女性がゲイバーまで押しかけて、プライベートに介入するなど同性愛者に対して人権侵害を働くので困る」という苦情が挙がっているからです。

また、トランスゲイと女性同人の混同という重大な過誤が発生した経緯もございます。

したがいまして、創作物と現実の混同を反省する・社会通念としての差別を創作物に反映させない心がけ……といった話を、ときどき致します。

また「ストレート」とは異性愛者のことです。現代の英語的常識では「ゲイ」に対して「ストレート」です。そのつもりで「ヘテロ」という単語を用いると、対義語が「ホモ」になってしまいます。

ラテン語圏では、ごく当たり前に「同じ」という意味で「homo-」という接頭辞を使うようですが、日本においては「ホモセクシュアル」を勝手に省略して蔑称としてきた経緯があり、すでに当事者から苦情が挙がっている以上、無視して使い続けることは本意ではありません。

彼らは彼らなりに愛する人へまっすぐに向き合っているだけで、べつに異性愛者が素直(ストレート)で、ゲイがねじくれている(スパイラル)というわけではないので、これも便宜的通称です。

【今更やおい論批判】

「やおい論」というのは、1990年代を中心に、当時すでにボーイズラブという総称的単語が提案されていたにもかかわらず、ひと昔前の同人作品をあげつらって、予断と偏見に満ちた自主研究結果を発表した人々があったものです。

ワールドワイドウェブは、奥付の明確な書籍とちがって、いつ挙げられたものか分からないHTML文書が最新情報のような顔をして罷り通ってしまうところです。

不適切な言説の再生産をふせぐため、ときどき思い出したようにクレームしておくと良いんじゃないかと思います。

なお、クレームとは元来の意味が「主張」であって、誰でも何でも主張してよいというのが民主主義における表現の自由です。主張された側は、べつに何も強制されたわけではありません。他人の主張を無視することも自由です。

「意見を押しつけられた!」という被害妄想・過剰防衛意識は、対抗策のつもりで過剰な暴露・言葉の暴力を生み、かえってお友達を窮地におとしいれることもあるので、ご注意ください。



2016/03/01

【ルサンチマン同人】【BLの本質】【BLの自戒】【明日のために】

以下は以前に用いていたカテゴリ名ですが、「同人・BL論」として発表年順に編成し直しましたので、カテゴリ名としては表示されなくなったものです。けれども、基本理念としてご一読頂けますれば幸いにございます。

【ルサンチマン同人】

一時期「同人誌即売会」に出展していたのに、人気をなくして、不良在庫と赤字を抱えて撤退し、今でも同人の世界全体に対して恨みを持っている人。

「同人」という言葉を眼にしただけで興奮してしまい、恨みごとを並べ始めるとともに、業界の裏事情を暴露し始めてしまいます。もちろん現役同人を困らせてやりたいからですが、本人は無意識的です。

自分が人気をなくした理由を分析できておらず、まだまだイケたはずなどと思っているので、時期的に一致した刑事事件や、就職氷河期といった社会情勢、さらには母親に責任転嫁していることもあります。

【BLの本質】

1960年代・70年代に発表された、日本におけるBL分野としては最初期の作品群から、共通する要素を抽出することにより、そこに表現された女流の意識(半意識)の解説を試みたカテゴリ。

「作家は同じ演技をくり返すわけにはいかない」とは、永井荷風が言った通りで、時代をくだるにつれて、ここから離れていくのは当然です。

とくに1990年代以降は、申すまでもない大不況でした。不況のときにはポルノグラフィを売るのが出版界の鉄則です。だから「ボーイズラブ」の名で赤裸々なものが売られたので、偏見が生まれているわけですが、思い切って50年前までさかのぼって源流を訪ねると、こういうことだという話です。

くれぐれも「私はエロしか読んだことないんですけど!」という自分中心のクレームは、ご遠慮ください。

【BLの自戒】

BL読者による社会批判・男性批判が度を越えることがあるので、自戒を促すために、あえてBLの欠点をあげつらっておくカテゴリ。

べつに誰にも失礼なことを言うつもりはないから、夢を壊さないでほしいと仰る方は、お読み頂くにおよびません。

また、これに基づいてBL読者をからかうことは、ご遠慮ください。誰しも、誰からもからかわれたり脅されたりせず、好きなものを好きなように読んだり、夢を見たりする権利がございます。

【明日のために】

過去に投稿した同人論・BL論を総括して、未来への提言とする記事群。やや長文です。

基本的に、サイト運営者などのアマチュアを含めて、研究者に向かって「問題の立て方」の反省を促し、政治家へ向けて柔軟なコンテンツ産業政策を提言し、教育関係者へ向けてあるべき人権教育を問いかけ、同人活動志望者に向かって失敗しないための心得を説くものであって、「同人活動は危険だから全滅させろ」と要求するものではありません。

同人関係者は、被害妄想にかられて、あわてて自己弁護するつもりで一般国民の皆様の敵意を強めてしまうような暴露話を始めてしまうことのないように、くれぐれもご自愛ください。

2016/03/08

同人・BL論の意図と、日本の研究者の難点。

当ブログの同人論・BL論は、もともと研究者に向かって、研究の基本姿勢を問い直すものです。ひらたくいうと「大学の先生のくせに、言ってることがおかしい」と指摘するものです。

「同人活動を禁止させろ」と言っているのではなく、同人に突撃インタビューしているのでもありません。

にもかかわらず、同人活動経験者が被害妄想にかられて、自己弁護するつもりで暴露話を始めてしまい、「語るに落ちる」ということが時々あるので困るのです。

もっとも、その自己中心的なクレームのつけ方自体が、一体どういう人が勘違いしたまま同人活動を始めてしまい、人生の道を誤るのかというサンプルの一つではあります。

栄光ある現役同人の皆様には、あわてて墓穴を掘ってしまうことのないように、くれぐれもご自愛ください。

【研究者の場合】

海外の最新学説を翻訳紹介することを自らの責務と心得てきた日本の学者は、その輸入物の鋳型に日本の現実のほうを押し込め、はみ出した部分をカットして、見てみぬ振りをしてきました。

また仲間による翻訳の間違いに気づかぬまま「この語句はどういう意味か」と長いこと議論するということも、やらかしてきました。

一つには、ドイツ語・ロシア語を読める人が少なかったので、自分の眼で原典を確認できなかったということがあります。また一般人の中から「マルクスを原語で読んでみたが、そんなことは書いてなかったぞ」という指摘があることは、全くの想定外でした。

だから、外部から批判されるということに慣れておらず、自己批判も下手なのです。

ここの趣旨にそって例え話をしてみると、大学の社会学ゼミで現代の市販BLを題材にして「なぜ昔の女性はプロ作家まで自分の作品を『ヤマもオチもイミもない』などと自虐したのでしょうか?」という問題を出す。

これに対する正解は「昔の女性は差別されていたので自虐せざるを得なかったが、いまの女性は社会進出がすすんだので、自分から堂々とボーイズラブというようになった」です。一種の誘導尋問です。でも、そもそも問題の立て方が間違っていますね?

プロが自虐したことはありません。編集部がせっかく原稿料を支払って出版権を押さえたのに「当社が自信をもってお勧めするヤマもオチもない駄作」などと宣伝することもありません。

また「少年・愛」を直訳した和製英語である「ボーイズ・ラブ」も女流作家が自分から言い出したのではなく、男性の編集長による命名とされています。

「ヤマもオチもイミもない」というのは、アマチュアが著作権問題を隠蔽するために用いた隠語です。

用語の定義を確認せず、前提を間違えたまま問題を立ててしまい、それに対して正しい解答を出したつもりで内輪ウケする。日本の学者にはよく見られる態度です。

そして、その態度は大学へ通っていたという同人にも受け継がれてしまっており、その口癖は「だってみんながゆってたもん」です。

自分の頭で考える学生を育てることができなかった。これは研究者の怠慢です。もとより学業に落ちこぼれたから学生の分際で同人活動を始めてしまうわけですが、研究の道に進んだ者もおなじ迎合性を身につけたままなのです。でも、学者が学生と一緒になって「少女ごっこ」していた時代は、終わったのです。

(第一、大学生なら18歳以上だから少女じゃないですね。)

2017/04/18

同人・BL論の目的は、偏見の解消と、実在人権被害の防止です。

当方の同人・BL論は、1:プロ創作家の名誉回復、2:実在同性愛者の人権被害防止、3:若者のニート化防止、4:若いBLファンが先輩ぶった中年によって差別されることの防止という目的を持っています。

逆にいえば「プロ作品の価値を誤解しないでください。実在の同性愛者の皆さんにご迷惑をおかけしないでください」と呼びかけるという目的を持って、BLという特殊な創作分野を論じております。

若い同性愛者も、若い同人も、誰からも偏見・差別・実在セクシュアルハラスメントに悩まされない、自由で平和な社会が願いです。むずかしいから諦めてもいいのではありません。「がんばらないけど諦めない」がモットーです。

もともとは「同人・BL関連記事の意図と、用語の確認。」にもあります通り、公平を期して1970年代プロ作品を書評していたものです。

すると「同人の話をしてみろ。知らないならこっちから言ってやる」と脅しをかける女性が現れたので、「だいぶ勘違いしてるようだから少し説明しておこうかな……」という新たな動機を生じたものです。

自分が悪いことをしていた自覚があるなら、原作者に迷惑がかからないように作品タイトルを挙げないくらいの心遣いは当然です。

自己正当化するつもりで他人を侮辱するべきでもありません。自分が辞めたからといって昔の仲間の悪口を言うものでもありません。

一般論としても、そのくらいの「仁義」は心得ておくものです。

巨大な密室に引きこもって自分を甘やかした挙句に仲間からも見捨てられてしまい、今ごろになって荒れる「もと同人」という哀れな存在。これは、これから増える可能性があります。

1980年代に「同人誌即売会」を急成長させた第二次ベビーブーマーまでの世代(1974年以前の出生者)が、今年で全員43歳以上になるので、10年前には「負け犬よりマシ」といって笑っていた人々が、本気で焦り始めるからです。

(もちろん、焦ったあまり不適切行動に突っ走る人が増えないことを願って書いております)

したがいまして、まず同人活動・BL鑑賞に関する基本的な心構えを説き、次に勘違いしている同人の例を挙げ、若い人は真似しないでくださいと結論する構成になっている記事が多うございます。お含み置きください。

異論・反論は各位において記事の形にまとめて、ご自分のブログへアップロードなさってください。ただし当方が偏見の解消・被害防止を意図している以上、うかつな反論は「偏見を助長し、被害を拡大したほうがよい」という意味になってしまいますのでご注意ください。

理があれば、義に感じてくださる方もありましょう。助太刀は各位の自発により、少しずつ増えるものであって、あまり自分から「だってみんなゆってるよ」などと他人に責任転嫁するものではありません。

以下、論点を列挙し、要点を述べます。長いことかけて考えながら書いてきたので、主張が多くの記事に分散しておりますから、この機会にまとめて記しておきます。ご清覧を賜れば幸いです。

【1.プロは自虐していません】

ある時期から、プロ創作家に対して、パロディ作品と混同したかのような「山も落ちも意味もない」という語義のレッテル付けが成されるようになってしまいましたが、不適切です。

レッテルを眼にした人の中には「こういう特殊なものを描いた場合は、プロも自虐していたというのもやむを得ない」と即断してしまう人もあります。おおきな間違いです。

プロは自虐していません。出版社も、そのような隠語を用いたことはありません。プロはお客様に対して「どうせ下手だから読まなくていいです」なんて自虐することはありません。

創作家生命を賭して、作品を丁寧に仕上げ、勇気をもって一般公開したプロを侮辱する必要はありません。

一部に「少年愛」を描いた作品に対して差別意識を持っており、それを紹介した文章に隠語を書き加えたい人もあるようですが、プロに対して失礼です。

自虐したのは、一部のアマチュアです。プロ作品との混同を避けるためです。自分の作品が著作権法に抵触する可能性を自覚していたからです。

それがまたプロと混同されて、社会学研究者・一般メディアなどから注目されてしまうのでは意味がないのです。混同は同人と呼ばれる人々にとっても迷惑なのです。

にもかかわらず混同したのは、1980年代に入ってから「コミケ」に参加した若い同人および読者です。当時の中学生です。

世間知らずだったので、著作権法に対する自衛手段の一種であることに気づかず「男同士は異常だから、異常なものを描いた場合は自虐する必要がある」と思ってしまったのです。自分で自分の差別意識に気づかなかったのです。

なお「団鬼六が書いたなら自虐しなくていいが、女が男同士を描いた場合はプロでも自虐しろとゲイが強制する」のであれば、これは女性差別であると言えるでしょう。(ここ重要)

【2.トランスゲイが差別される必要はありません】

上記に関連して、特殊な作品を制作する女性は「もともとトランスゲイだが、そう言うと差別されてしまうので自虐せざるを得ない」という説明があります。

周囲も「それじゃ仕方がないね」と納得してしまいがちです。でも、よく考えてみると、そこで納得してしまうのはおかしいです。

「トランスゲイだからといって自虐する必要はありません。いままでトランスゲイを差別していた私たちが間違っていました。堂々と自己表現なさってください」とお答えするのが本当です。

最も恐ろしいのは「差別がある」と聞かされて、「じゃあ仕方ないね」と納得してしまう日本人の心です。自分の差別意識を容認してしまう「甘えの構造」です。

【3.創作物から創作物】

もともと、二十四年組などが描いた作品は、実在のお店を取材した結果を漫画にしたものではありません。

古典文学・歴史上のエピソード・明治期から昭和前半にかけて発表された文豪作品・その映画化を下敷きにしたものです。

その意味では、女流自身が著作権を有するオリジナル作品といえども、成り立ちからいって、すべて翻案と言ってもいいものです。

それは、たとえば昭和初期の自伝的小説を大胆に翻案することによって「仁侠映画」というカテゴリが成立したことと似ています。

つまり、創作の技法としては、一般的なものです。

そして、仁侠映画が1960年代の実在暴力団に取材した結果ではないのだから現代の実在暴力団に対して「あれは本当にあったことか」などと質問しに行かなくていいように、現代の実在ゲイバーに対して「漫画に描かれたようなことは本当にあるのか」などと質問しに行かなくていいのです。

性的な話題は、それを相手も面白がってくれて、会話が弾んだ時だけ、ジョークとして認められるものです。相手がいやがるのであればセクハラです。後をつけて歩くことはストーカーです。いずれも犯罪です。無警告で刑事告訴されるかもしれない事態です。

女性には「大目に見てもらえる」などという特権はありません。親告罪が親告されなければ、またやってもよいのでもありません。

もし「同人やっていた人は、親告罪を大目に見てもらうことに慣れているから、他の場所でも犯罪者になってしまう」ということであれば、同人活動を規制しなければならないことになってしまいます。

1980年代に「同人やっていた」人は、1990年代には成人しました。成人が「自分の心はまだ幼児だから善悪の判断がつかない」と主張するようであれば、ほんとうに危険です。

身に覚えがあるようなら、母親に責任転嫁する前に謝りましょう。アダルトチルドレンだから謝らなくていいということはありません。子どもでも「ごめんなさい」と言うことは可能です。

(なお「同人やっていた」と称する人は、その言い方が下品であることに気づきましょうね)

【4.若い人には自由に書く権利があります】

1980年代の差別意識から自由な現代の若い世代からは「1980年代ふうにはついて行けない・せっかく書いたのに山も落ちもないなんて言いたくない・BLはポルノだと思われたくない・エロは要らない」など、さまざまな声が挙がっています。

でも、同人はもともと表現の自由を追求する活動です。すべての同人は平等です。若い人には書きたいように書く権利があります。書きたくないものを「書かない権利」もあります。また、好きなものを選んで読む権利もあります。

なのに、なぜ、わざわざこのようなことが言われているのか?

誰かが「1980年代ふうだけが正しい」と信じて、若い人を差別し、若い人の自由を抑圧しているからですね。

1980年代に十代・二十代の「ヤング」だった世代というのは、現在では四十代・五十代ですから、出版などの業界において支配的な立場にあるわけです。

そういう人々が「私の言うことだけ聞いてりゃいいのよ。さからうなんて生意気よ。エロは要らない・書きたくないなんて遅れてるわ。子どもね」といって、若い人々を侮辱するのです。

それに対して、被害者たちから抵抗の声が書き込まれたり、つぶやかれたりしているのです。

【5.弱者特権の勘違い】

1980年代は「フェミニズム」が急成長した時代でした。女性が従来の社会の差別性を克服するためには、従来のルールやマナーを無視する必要がありました。

「女は25歳までに結婚すべきだ」とか「夫唱婦随」とか。そういう偏見を打ち壊すために、わざと反抗的な女性・風変わりな女性らしく振舞うことが正当化されたのです。

事実として、著作権法に対してさえも「女性が男性漫画家の権利を侵害した場合には、これを大目に見てやらなければならない」という弱者特権意識が(無意識的に)主張されたのです。

百歩譲って、それが同人界における「表現の自由」であって、プロ創作家も(自分の身に覚えのないことでもないし)承知しているということであれば、第三者たる一般国民が、代わりに訴えてやる! と息巻いてしまうことではありません。

けれども、その特権意識が他のコミュニティに対して適用された時には、人権侵害となります。

すなわち、BLまたは二次創作BLで読んだことが本当かどうか確かめたくて、新宿二丁目という行政区に押しかけ、実在の男性に対して、女性の口から性的な質問をするという行動。

これが1980年代から、まかり通っているのです。

これについては、男性の同性愛者ばかりでなく、女性の同性愛者からも、自分たちの居場所を侵害する行為であり、不快であるという主張(クレーム)が挙げられています。

念のため、同人界は、その1980年代以来「ぜったいに本物を怒らせるな。会いに行くな。ホモという言葉を使うな」という約束です。

けれども、バブル期以降に急増した参加者には、この上意下達が伝わらなかったのです。まことに残念です。

その当時、1970年代以来のベテランサークルが(高校・大学を卒業したことによる自然解散によって)形骸化し、もともと特に熱心に描いていた者だけが個人的にイベント出展を続ける傾向が強まっていたので、それを見て最初から個人でやるものだと勘違いした世代には「先輩から教わる」という意識が低いのです。

したがいまして、当方は、わざと古い話をしています。古い約束の復活を願うからです。それはもともと同人自身の表現の自由を守るためだからです。

現在の政府は、オリンピックの無事開催が優先事項です。人権問題によって日本国のイメージが低下することを恐れるものです。ここで創作物が人権侵害の原因になっていると思われれば、かんたんに表現規制が始まります。

悪いのは同人ではありません。わざわざゲイバーまで行って、人権侵害する人です。

もし、あなたがコミケ仲間から「二丁目にも行ってみようよ」と誘われたら、お断りしてください。いつも「みんな」と一緒に行動する必要はありません。

通ぶって「ニチョ」などという略語を使う必要もありません。BL好きなあなたは単なるストレート女性であって、性的少数者ではありません。

もし、勘違いした中年女性がゲイバーからSNSへ「皆さん私がうらやましいですか!?」と投稿していたら、くやしいので私も行ってみようと思ってしまわないでください。

【6.30年前の自慢話は無用です】

当方は「新しい時代を迎えよう」と願うものです。古い常識の悪いところを見直し、偏見と差別意識を解消し、若い同人も、若い同性愛者も、誰からも傷つけられない自由な社会を望むものです。

が、これを「自分に対する攻撃だ」と勘違いして、30年前の自慢話を始めてしまう中年も実在します。

「BLにエロは要らない」と聞けば「でも30年前に私の同人誌を買いに来た子はみんなエロが目的だったよ!」という具合です。

でも、もともと「現代は30年前とは様子が変わってきた。若い人からは新しいものを求める声が挙がっている」という話なのですから、30年前の話は参考になりません。昔はそうだったかもしれませんが、今は違いますというだけです。

時代が変われば人心が変わり、「同じようなものばかりで飽きた」という声が挙がり、流行が変わるのです。

けれども、それは「古いものを全滅させろ」という意味にはなりません。

自分なりに良いと思うものをほめること・推すことは、ほかのものを抹消することではありません。

BLも長いことやって来たので、1970年代ふうを守る人・1980年代ふうを守る人・1990年代ふうを守る人・2000年代ふうを守る人・2010年代ふうを守る人……

という具合に流派に分かれて、そのそれぞれを推すことによって、それぞれの価値が再発見され、新たなファンを獲得し、時には互いのいいところを取り入れつつ、それぞれに再生産されて行くという時代に入ったのです。

そうです。もともと自分自身が「私のやり方だけが正しくて、ほかのものはぜんぶ差別してやる。笑いものにしてやる。やっつけてやる」という危険思想を持っている人だけが、逆に自分も攻撃されるという被害妄想を持ってしまうのです。

気をつけましょう。