2011/05/25

『晩春』

やっと観ました。宇佐美 淳(服部役)と能シーンという萌え基準だけで知らずに選んだのですが、小津安二郎と原節子が組んだホームドラマのお初、日本ホームドラマの原点(このへんウィキペ)だそうで、結果オーライ。やっぱ能の神様は導いてくださる。

昭和二十四年完成、とオープニングに出ます。外人さんが観たら(聽いたら)チャイナと区別つかないんじゃないかという微妙なBGMから始まります。
(以下、古い名作なのでご覧になったかたも多うございましょうから、ネタバレ全開で参ります。)







北鎌倉駅の絵が長ェ! ……。
これ、アレかしら、無声映画時代に活弁士が生でナレーションする時間を確保するために風景カットを入れたという名残かしら(検索で答合わせするとつまらないので敢えて確認してません)

1969年生まれは『世界名作劇場』を観て育ったもんですから。ハイジ冒頭「山が映ってスクロールダウン↓」および宮崎つながりで『パンダコパンダ』冒頭、赤屋根の駅舎が映って階段をミミ子が降りてきてカメラ寄る、というテンポ以上に風景カットに間がとってあると、「長い」と感じるらしいです。

茶湯の待合シーンから始まるのは今や日本人が観てもエキゾチック。同時に「これが敗戦わずか四年後か!」と衝撃を受けた私は戦争を知らない子供たち。

だって鎌倉から東京へ電車はちゃんと動いていて、乗って銀座へ行くと和光の時計塔があり、「第三回」の美術展も開かれている。
なんたって女はパーマネント・ウェイブをあてた頭をして唇は真っ赤に塗ってあってワンピースを着てハンドバッグを持っている。若い男と喫茶店だかフルーツ・パーラーだかで音楽会の相談をする。
手作りショートケーキにはバニラを入れすぎてしまい、お紅茶には砂糖山盛り二杯ずつだ。
山積みの洋書にはポスト誌が読みさしで伏せてあり、海岸沿いには「Drink Coca-Cola」の看板。
自転車並走の表情は明るく、ブラジャー(かシュミーズ)の線が透ける卵色のセーターと、男の着た赤いカーディガンが青松白砂に美しい。(モノクロ作品なので色はイメージです)

米英に染まるまいと銃後の守りで頑張った人たちはどこ行った。あの戦争はなんだったんだ。昭和二十四年ならまだこの頃やっと復員した人や引き揚げてきた人もいたはずだけど、「ああ、世の中こんなに変わっちゃったのか~~」と思ったかも。
田舎の観客も「都会の若い人はおしゃれだね~~」と思ったのでしょうね。占領下の憧れがいっぱい詰まってるのですね。

戦後四年の世の中で「いまの若い人にはびっくりしちゃった」というセリフがあったり、せいせいと離婚して働いてる女性がいたり、男の悪口言い合ったり、というのも面白かったです。
女子挺身隊が「欲しがりません勝つまでは」の精神でがんばり、焼け野原を見た時代から、どんだけの勢いで世の中は「びっくりするような今」になったのでしょうか。

個人的な話をすると、私の母は戦中の生まれですが、戦後に東京の学校へ通っている時分に同級生と「タカノ」フルーツ・パーラーでお茶したことを懐かしがってました。
私的には、畳の和室にカーペット敷いて籐の椅子を置く、という生活スタイルが懐かしかったです。茶箪笥に小瓶が飾ってあったりね。洗面台の下に木製の扉があったり。

戦後四年の曽宮家から二十年~三十年ほど経過した私の子供時代まで、そんなに変わってないように思われました。
てことは、たぶん戦争中から、というか空襲を受けずに残った戦前から、昭和が終わる頃まで、街のようす、庶民の生活はあんまり変わらなかったのでしょう。

逆にアヤさんちみたいなバリバリの洋館の生活は、立ち行かなくなっちゃったのかな。今では市に寄贈されて観光資源になってるなんて洋館、多いですね。芦屋あたりには現役もあるようですが。ま、それはともかく。

小津作品/原節子をちゃんと観たのは実はわたくし初めてです。子供の頃『東京物語』をテレビでちらっと見かけて「無理!」って思って以来なの……。この歳になって、きっかけがあって良かったです。能の(以下同文)

原節子が開始からしばらくニヤニヤ笑ってばかりいるのが不気味でした。こんなブリっこの大根だったのか? と思いました。
そしたら、親戚や父親、その助手の手前、ほんとうにブリっこしていたらしいです。

物語すすんで居間のすみ、茶箪笥の陰から、ハッと父をにらむ怒りの表情は素晴らしいですね!
洋風にしつらえた自室で同級生のアヤに「自分は結婚しない」と白ばっくれる時の妖しい挑戦的な目つき。
そして能楽堂で、嫉妬にうつむきながら、ゆっくりと口角を上げて歪んでいく赤い唇。
ああ、能面のように表情が豊か。

だいたいアヤ役の月丘夢路のタカラヅカ娘役の理想像ともいうべき、目が丸くておちょぼ口で顎の細いレモン顔と比べて、原節子は目も鼻も口も横幅が広くて能面に似てるんだ。顎もやや張ってて男性的なんだ。この映画に本職の全面協力を得て能舞台をフィーチャーした小津監督は、つまり能が好きで、あの顔が好きなんだ、きっと。

能といえば、あのシーン、「色はいずれ、似たりや似たり、花あやめ杜若」と謡われるときに美女二人が互いを意識するようにできてるのですね。いずれがあやめ、杜若。でも、なんでそんなに嫉妬するの? 

七歳か十七歳ならまだしも、二十七歳にもなって「再婚反対、お父さま不潔」って、ちょっとこの子ヘンなのよやっぱり。戦時中の、きっと満足な検査もできず、薬も足りなかった時代に病を得たから、「ああ私はこのままお父さんの娘として、清い体のままで天国へ召されるのね」みたいに思っちゃったのかもしれないね。

最近は結婚年齢が上がってるとはよく言われるけど、戦争中も先行きが不安だから結婚年齢は実は高かったんだそうで、戦争がやっと終わって、「芋を五、六貫もかついで」帰る物不足の時代が一段落して、病状もやっと落ち着いたばかりで、ここまで父が嫁入りを考えなかったことはそんなに不自然ではない。

でも「いきたいけどいけない」んじゃないんだな紀子。はっきりどっぷり父との暮らしに人生埋めるつもり。
「お父さんが好きなの。お嫁にいってもこれ以上の幸せはないと思うの」
なんと男冥利なセリフでしょう。

「いま」風の意思のはっきりした女性の話かと思ったら、トウの立った娘にややあり得ないセリフを言わせて男性キャラ達がカッコつけてみる話だった。

「女の子はつまらない」
これが日本の男の愛情表現。

「パパは世界で一番お前を愛してるよ」「手放すのが寂しいな」とは絶対に言わない。

「いてもしかたがない」
「つくらなきゃよかった」
「生まれてこなくてもよかった」
「男の子のほうがよかった」
そう言われながら育つ娘の身にもなって欲しいもんですが。

「仕方ないよ、我々だって育ったのをもらったんだから」
「そりゃそうだ」
憎まれ口をたたきながら、自分を納得させて、送り出すのですな。

その送り出されるべき娘のほうはというと、
あのムチムチ色っぽい紀子と父が同室で寝るのは、やっぱアヤシイ。彼女は杜若(か花あやめ)の浴衣を着ている。
から衣着つつ馴れにし妻しあれば。
紀子はてっきり「馴れ親しんだ妻」長年寄り添った夫婦の気分だ。

ウィキペで読んだところによると、壺が映るカットの意味で論争があるそうだが、私も意味深だとは思った。
まァ「空っぽの飾り物の壺」=「満たされない女の肉体」と見ちゃっていいと思うけどね。パパ、先に寝ちゃうんだもの~~ 

父の眠る横顔を見た彼女は、ふてくされたような顔で眠りにつけずにいる。「やだわ、お父さんも歳とっちゃって」でもないし「京都じゅう歩いて疲れたからアタシも早く寝よっ」でもない。
本気で「やって」と覚悟があるわけじゃない(ありゃ先に襲ってる)はずだけど、ともかく恋愛に近い気分を彼女は持ってしまっている。

ということは、監督と脚本家は男だから、男というのは本当は俺が嫁にしたいと、娘にそんな気分をもっているものだと、娘の側からもそのように思っていてくれれば嬉しいと、現実にはなかなか無いことだから「男のロマン」として映画でそれを描く、という逆の象徴でもある。……と私は見るですよ。

『杜若』の小書き「戀の舞」には、橋掛かりから下を見下ろす型がある。実際には白洲しか見えないわけだが、そこに物語の舞台である八橋の池があって、杜若の紫の花がいっぱいに咲いており、その中央の水鏡に、女の面を掛けて、男の冠を掛けたシテ(杜若の精)の姿が映り、うっとりと自分で見とれる、という演出。

愛するものと愛されるものが一人のなかで一体になってしまっている、幻想の恋。

(……残念ながら尺の関係でその型は映画中ではカットされちゃったらしいのですが)

鏡といえば、姿見のなかで微笑む花嫁は死に装束。だって着物が右前に映るから。空になった鏡は「この家に女性がいなくなった」象徴でもあり、彼女の心がからっぽになった隠喩でもある。夫がその空白を埋めてくれるかどうかは示されない。

ところで笠智衆の大根っぷりは、癖になりますね(笑)
役者がカメラのド正面で妙に強い眼差しをしてセリフを言う撮り方は、ちょっと異様な感じがしました。
私は、でもああいう短いセリフを、ぽっぽっぽっと掛け合うのが大好きです。
(逆に苦手なのは日常的でない長セリフです。)

歌舞伎とも新派ともオペラとも違う、能とも違う、あまりにもリアルなセリフのやり取り。
敵討ちでも心中でもない、ちょっと前までやっていた戦意高揚映画の勇ましさもない、『加藤隼戦闘隊』みたいな円谷による特殊撮影もない、李香蘭の歌もない。

ただ普通の「今」の日本の女どもが勝手な悪口を言い合ったり、くだらない噂話をしたり。ニヤけた色男がインテリぶって「なんら有意義な連関」とか言ってる。

当時あれが「リアリティ尊重、庶民の心を描く」ってことで斬新だったのでしょうか。ある意味アナーキーであったり、労働運動の高まりなども影響していたのでしょうか。
それとも当時の人も「つまんね~~」と思ったのでしょうか。

小津論/映画『晩春』論て一杯あるでしょうけど「答え合わせ」しちゃうとつまらないんで、自分の感じたことだけをいったん書いておきます。
2011/05/04

映画の話 「俺は犬だ」

俺は犬だ。30年間、体を張ってこの街を守ってきた犬だ」('79年映画『太陽を盗んだ男』)

……ジュリー(沢田研二)演じる爆弾脅迫犯の「権力の犬」という言い方に対して、山下警部役・菅原文太が‘犬上等'と言い切る名セリフ。しびれます。
けど、……いや、兄ィは30年間極道だったんじゃないんすか? と思ったので確かめてみました。私自身はトラック野郎の印象しかないんですが。赤字はリンクになってます。

1956年(昭和31年)東宝『哀愁の街に霧が降る』が映画初出演。
※『哀愁の街に霧が降る』= 山田真二・青山京子のコンビで描く甘美な恋の歌謡メロドラマ。キャスト・スタッフ一覧 まだチョイ役ですね。
ラジオで流れて大ヒットした(らしい)主題曲はこちら。哀愁の街に霧が降る カバー(作詩:佐伯孝夫 作曲:吉田 正 オリジナル歌唱:山田真二 昭和31年)

1958年(昭和33年)新東宝へ入社。『白線秘密地帯』などに出演。そもそも当時は映画会社が俳優と直接契約して育てていたのだ。

1961年(昭和36年)松竹へ移籍。『香華』などに出演。
※『香華』=有吉佐和子の同名小説が原作。キャスト・スタッフ一覧はこちら。 

1967年(昭和42年)に東映へ移籍。『網走番外地 吹雪の斗争』(高倉健主演、石井輝男監督作品で助演)
1968年(昭和43年)『兄弟仁義 逆縁の盃』(北島三郎&若山富三郎主演、のちにトラック野郎を撮る鈴木則文監督の作品。巽一家代貸・中井役で助演)
1969年(昭和44年)『現代やくざ 与太者の掟』(降旗康男監督作品)で主演。

1973年(昭和48年)より東映『仁義なき戦い』シリーズ
1974年(昭和49年)末より東映『新・仁義なき戦い』シリーズ
1975年(昭和50年)より、東映『トラック野郎』シリーズ ♪主題歌『一番星ブルース』

'70年代を通して極道ものとトラック野郎を並行して年に10本近くも撮るハードスケジュール。

1979年(昭和54年) キティ・フィルム 東宝『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦監督、10月6日公開)にて、山下警部役(これにより日本アカデミー最優秀助演男優賞)

1980年(昭和55年)NHK大河『獅子の時代』主演。これにより映画『トラック野郎シリーズ』は打ち切り。
1981年(昭和56年)東映『青春の門』(五木寛之原作、蔵原惟繕・深作欣二監督作品。伊吹重蔵役)、同年 大和新社 東宝『炎のごとく』(加藤泰監督作品)に主演。
以降は『ビルマの竪琴』『鹿鳴館』など年に1本くらい出演。

<当会的まとめ>

1 ムード歌謡は好きです。

2 『香華』江崎役が加藤剛はハマリ役だけど、す、杉浦って誰だっけ!?(汗) 
神波伯爵びいき(ご高齢キャラ好き)としては、神波役の宇佐美淳也が『晩春』(1949年 小津安二郎監督)に出てるので、『晩春』を(能シーンだけじゃなくて)最初から観てみよう! と、やっと思った。(だって日本映画って暗い感じがして避けて通ってたんだもん…)

3 『トラック野郎』筆者が6歳の年に始まった(と今わかった)このシリーズは、'79年まで、毎年の盆と正月に新作が公開されるスケジュールで、10本続いた。小学生の夏休みと冬休みにあたるわけで、筆者は死んだじいちゃん(母の実家)に連れられて、何作かをスクリーンで観た覚えがある。

4 '68年がヤクザ映画出演の最初、'69年が主演のようなので、30年間じゃなくて10年目の警部役でしたね。
当時として「ついこないだまで極道映画やってた人」だから、やはり意外性のあるキャスティングで、しかもその極道路線で鍛えた&観客の記憶に植えつけた迫力を秘めてこその抑えた演技(とクライマックスの執念の爆発)……渋いです~

5 『黄金の日日』(城山三郎原作、1978年1月8日~12月24日放送)は覚えていて川谷拓三の処刑シーンがひどいトラウマになっていますが、『獅子の時代』は観ていませんごめんなさい。この頃(11歳)から家族そろってTVを観なくなったように思います。

6 ブルースというとスティーヴィー・レイ・ヴォーンとジミ・ヘンドリックスとリッチー・ブラックモアが好きです。