2011/12/30

1962年松竹映画『切腹』観ました。

昭和三十七年(1962年)松竹
監督:小林正樹
原作:滝口康彦『異聞浪人記』
脚本:橋本忍
撮影:宮島義勇
題字:勅使河原蒼風

仲代達矢 1932年生。→30歳 (・。・; 1954年、俳優座養成所2年生のとき『七人の侍』で映画デビュー(22歳)
石浜 朗 1935年生。→27歳
三國連太郎 1923年生。→39歳
丹波哲郎 1922年生。→40歳

仲代さん(というか津雲さん)、孫も生まれた役で、あやす姿など良く似合っており、「老人の繰り言」って台詞もあったんだけど。髭で人相が半分隠れてるとはいえ、何という説得力と重厚感でしょう。まぁあの眼のギラギラした光は30代なのかもしれない……うーーん。

甘さと弱さを漂わせた「求女」役の27歳は妥当。いじめられる役は若くて綺麗な女、でなければ若くて綺麗な男。うまくできてる。名前も「求女」だし。

三國39歳の中年の色気は納得だけれども、丹波40歳もなかなかに驚き。お肌ツルッと色悪っぽくて良かった。

海外公開時は失神者も出たという冒頭の残酷シーンが強調されますが、勿論そこで失神しちゃいけません。
確かに特殊メイクとCGに慣れた現代人の神経を逆撫でするような、首筋に血をのぼらせてくれるような、胃をキリキリさせてくれるような、想像力と痛覚を異様に刺激するシーンですが、がんばって下さい。本当の見どころは、そこじゃありません。

「みんな貧乏が悪いんだ」という時代劇にも西部劇にもありありな筋立てではありますが、ゾクッとさせる脚本の巧さと、BGMを殆ど使わず仲代と三國の声の芝居をがっつり聴かせ、喋ってる間はビクとも動かない彼らをやや遠くから撮るカメラでじっくりと観せる重い演出で、凄まじい緊張感。カラー撮影でないのは時代の制約でもあるのだけど、こういうのは着物の色が鮮やかに映りすぎると逆に艶消しになってしまうもので、荒いモノクロが痛ましい悲劇感を高めます。時おり鳴る琵琶による曲ともいえない暗く不気味な音楽は、武満徹。

まずはセットが豪華!というべきかもしれず、半分影に沈んでるような広い玄関式台、長い廊下、畳の続き間、20人近いご家中が等間隔に居並ぶ広い中庭が、引き気味のカメラで惜しみなく映されます。
横長な歌舞伎の舞台を眺めるようでもあり、中庭を囲む建物の欄干と屋根のある形からして能舞台を観るようでもあり、その前で一見抑揚の少ない芝居をぶつけ合う二人も、モブであるご家中も、板の間に正座したきり身じろぎもしないんですから、これぞ日本の美学。

テーマは重いですが、最後まで観ると、ちゃんと時代劇らしい虚構っぽいアクションもあり、娯楽作品になってます。
いわゆるハピエンじゃないですが、「こういう落とし所しかないよね」というように収まるところに収まってはおり、後味は悪いけど納得感はあるという……なんか胃がねじれるみたいな。苦いアテをつまみながら美味い酒を飲んだみたいな。褒めてるのか。
大人になってから観ることができて良かったです。
2011/12/30

『源氏将軍神話の誕生―襲う義経、奪う頼朝』 (NHKブックス)

やっと読み終わった……前半を読んで書いた記事は7月のものだった……

末っ子に頁を引っ張られ。カバーは破かれ。何読んでるのとばかりに顔をつっこまれては頭突きを喰らい。長い道のりだったなぁ(;´∀`)

ソフトカバーですが、一次資料と先達の研究成果に丁寧に言及した力作です。

前半は、清和源氏の一分派にすぎなかった河内の武士団が、奥州討伐(という名の一方的な侵略)の成功によって武威を高め、武神・応神天皇=八幡神を祖神としてたてまつるパフォーマンスを繰り返し披露することで、皇孫の血統を誇示しつつ、八幡神の娘とされた「若宮」をまつる渡来系職能民の心を掌握し、朝廷に対して大きな対抗勢力になっていく様子、
後半は、頼朝がそれら父祖の戦略を継承発展させ、ついに藤原摂関家(九条家)に膝をつかせる様子、
その鎌倉と九条の裏取引の陰で義経がスケープゴートとされて追い落とされていく様子が細やかに一歩ずつ描かれます。

テーマは鎌倉殿・頼朝の輝かしさと、美形ヒーローとされた義経の虚実を暴くこと。

神威を奉り、人心に配慮しつつ、そのいずれをも踏みにじって権力掌握の道具とするような頼朝の冷酷さ・政治家としての器の大きさぶりと、その陰で同族殺し・部下殺しの罪の意識におののいていた姿、
少年時代の美しいイメージ・青年時代の活躍ぶりに反して、政治的な野心を持ちながらも自分からは一歩踏み出しきれず、支持をなくして西へ東へ逃げるしかなかった義経のみじめな姿、
その陰で家系の繁栄を願って右顧左眄・右往左往する北条家・九条家、
そして、そのような権力者たちの浅ましい姿を苛烈な乱世の底から物も言わずにじっと見据えていた民衆。

暗い炎が華麗な装束姿の貴顕淑女を取り囲んで熱しているような、不気味なイメージが浮かびます。

強引な手法で急激に権力を拡大した頼朝の家系が三代で絶えたとき、世人は乱世への恨みを込めて、それを義経の怨霊の報復と見なし、畏れました。
義経の美しい物語が語り継がれたのは、彼がそれだけ心を込めて慰めるべき、強い怨霊とされたからでした。ついに戦国時代には、彼は魔王とされ、応仁の乱を引き起こした管領・細川家の者によってまつられました。応仁の大乱・戦国時代は義経の祟りという考え方があったとも言えるのです。

文章は断定を避けてややまわりくどいですが、それだけに「先生様のお説拝聴」というのでなく、安楽椅子探偵もののミステリを読むような、史料の山を前に「歴女」的な大胆な想像をくりひろげる楽しみを著者とともに味わうような、楽しい錯覚を覚えます。

義経を追い落とした一派である藤原摂関家の菩提寺である興福寺、および春日大社につかえた猿楽者の末裔によって、今も彼の物語が伝えられ舞われているのは感慨深い、というのは私の個人的な感想。
2011/12/26

『3時10分、決断のとき』を観ました。

25日にレンタルDVDにて。

タイトルで損をしてるような気がする。原題は『3:10 TO YUMA』
アリゾナ州ユマ郡ユマ市には歴史あるユマ準州刑務所があるんだそうで、
それを知っていてタイトルを聞けば、例えば『網走行き3時10分発』って聞いたような、そういう話かと感じるものがあるはずなんである。日本人がユマを知らなきゃしょうがないけれども。私も知らなかったし。

たぶん「キャプテン・アメリカ」ピーター・フォンダの最近の作品と聞いて借りたと思う。(レンタル予約したのがずいぶん前なのでモチベーションを忘れている)
最初は「決断のとき」が「アニメンタリー決断」とかぶって太平洋戦争映画と勘違いしていたくらい。
西部劇でした。今どきコテコテの。1957年版のリメイクだそう。
衣装がつくる褐色の濃淡が美しいです。
アメリカ映画は天然光と焚火と蝋燭の照り返しを使うのがうまい。
基本的にはアクションもので、登場人物は全員ラウンド髭面でほこりっぽく小汚く、ライフルとピストルで簡単に人が吹っ飛ぶ世界。男二人のバディものと言っていい……のか?

荒野で小さな牧場を営む貧乏な家族のぎこちない暮らしぶりから始まります。
訳あって街へ出かけた一家の若きパパ、クリスチャン・ベール演じるダンは、ラッセル・クロウ演じる極悪人ウェイドの逮捕劇に巻き込まれ、彼をユマ刑務所へ運ぶ汽車に乗せるため、最寄りの鉄道駅まで護送する任務を買って出ます。
というか買われて出たので、借金で悩む彼は報酬の金が欲しかったのでした。南北戦争で傷ついた脚を引きずりながら、連隊一を謳われた狙撃の腕をひっさげて。かっこいいのか悪いのか。

金もない名誉もない、嫁にも息子にもバカにされ、身体にも心にも傷を負ったダンの、生活と誇りを賭けた崖っぷちの挑戦。基本的にはこの悩めるクリスチャン・ベールの美しさに見とれる映画。

悪いやつほど色っぽいというウェイドを演じるクロウは、いつも通りというべきか、はまり役。こいつも護送に成功されれば刑務所へ送られて絞首刑だから、どこかで脱走しなきゃいけない。崖っぷちは崖っぷち。

車がない時代だからこそ成り立つ護送劇。
後ろからはボスを取り返そうと容赦ない一味がせまる!
途中には獰猛なアパッチが!
道中さまざまな危険にみまわれながら、一路コンテンション駅を目指す……

西部劇の王道「道中もの」なんだけど、一行の一人が逃走の危険(それに先立って一行を皆殺しにする危険)のある極悪人なので緊張感が。一行は「逃亡者」ではなく正義の側なのに追い詰められてる感。

しかもアメリカらしいところは、相手が犯罪者だからといって殴りつけて黙らせる、一言も返事をしてやらない、なんてことはなく、ちゃんとコミュニケーションを取り、なんだかんだとプライベートに関する会話を交わしてしまうところ。
ダンとウェイドもいつしか息が合ってきちゃうわけで、観てるほうも変な一体感。
でもだからって駅へ送らず見逃すわけにいかないし、落とし所をどーすんのこれ!? 
という先の見えなさが面白かったです。
正義と悪の対決なら、要するに正義が勝つに決まってるので見続けるモチベーションが下がるわけですが。
↓ネタバレ反転。

クライマックスは映画史上もっとも長い(当社比)800メートル、俺とお前で死出の道行、相方(?)の男の誇りを守ってやるために俺も命を掛けてやる……ということなんだけど、いやそうなの? そうなっちゃうの?
疑問符を脳裏に浮かべつつ、男気にも色々あるなぁと呆れつつ、応援。
プリンスにしてみりゃ兄貴を助けようとしただけなんだけど何故撃たれる……とここで一言も発しないところがよかった。しかも馬は耳が良い。
ウェイド、いい奴なのか身勝手なだけなのか、最後まで不分明。ブラヴォ。


ピーター・フォンダは不死身すぎ。かっこいい爺さんになった。
なぜ男達は無駄に互いを挑発しあうのか。闘争本能かい。
手配犯が一人来た途端に街中撃ち合い。こんなん巻き込まれたくないなぁ。本当に西部の男たちご苦労様という話でした。

音楽かっこ良かったです。

リメイク前はこんな感じ。 やっぱキャスティングのせいで随分色っぽくなった気がする。


ベン・ウェイド:ラッセル・クロウ
ダン・エヴァンス:クリスチャン・ベール
バイロン・マッケロイ:ピーター・フォンダ
音楽:マルコ・ベルトラミ
監督:ジェイムズ・マンゴールド
2007年 20世紀FOX
2011/12/19

トンボと翔とハク。

宅急便のキキは、
「魔女なんかに生まれなければよかった、普通の女の子に生まれて遊んで暮らせればよかった」みたいなコンプレックスにちょっととらわれちゃった途端に魔力を失い、
でもトンボを救いたい一心で自分を信じたら、魔力が戻った。ちょっと暴走したけど。

トンボのほうは助けられた後もべつに冒険魂を反省するでもなく、相変わらず空と飛行機が好きな男の子。

『アリエッティ』の翔が「滅び行く種族なんだよ」とのたもうたとき念頭に置いているのは自分のことで、
弱い体で生まれてきたことが僕にとっての自然なら、それを人間の知恵(医療)でいじることは自然に逆らうことだ、それはたいがい良い結果を生まない。運命に従ってみんな滅んでしまえばいい、的な。

そんな彼が、小さな女の子が頑張ってる姿に感化される。

思い出すのはニギハヤミ・コハクヌシ、現世の「肉体」である川をマンションのせいで埋め立てられてしまい、魂の宿る場所を失くして怨霊となっていたのが千尋に会って自分を取り戻した。

彼は神様なので「その後」って想像しにくかったんだけど、もしかしたら川があった土地へ戻って、マンションで育つ子供達を見守る守護神様になったかもしれない。一緒に遊んでいるかもしれない。

ひーらいた~~ひーらいた~~♪

なんて古い遊びを教えてやっているかもしれない。

↓ お母さん達の会話。

「あら、もうこんな時間。おうちへ入るよ」
「あら、あの子は?」
「誰?」
「さっきまで、平安時代みたいな変わった着物を着た子が確かにいたのよ」
「どっかの神社の子かしら」

↑ 神社の子でもそんな格好はしない。

みたいな。
2011/12/19

翔くんは。

アリエッティの思い出を作品にして絵本作家になったりするかもしれない。
古い屋敷を守るために一級建築士になったりするかもしれない。
公務員になって街の景観を守る仕事をしたりするかもしれない。

アリエッティを探して、自分の家と同じような自然に囲まれた古い屋敷を訪ね歩き、紀行文を書いたり写真を撮ったりする人になるかもしれない。

アリエッティはスピナーとうまくいくかと思いきや、新しい土地で新しい小さい男の子を見つけたりするかもしれない。
スピナーは彼らの横のほうでブンむくれていたりするのかもしれない。

夢が広がるのであった。
2011/12/19

翔くんの胸を切るのは。

湯婆婆の居室やハウルの寝室の調度もずいぶんと描き込まれていましたが、アリエッティになってあの部屋べやを探検するのはすごく楽しいかもしれません。

頼もしいお父さんに先導されて、相手の命を叩きのめす「狩り」ではなく、相手の生命と生活を尊重して、必要なものだけちょっと「借り」る。そして小さな世界をそっとしておいてもらう。

女の子の理想かもしれません。

翔くんという男の子の独善によって、その小さな世界は崩壊させられてしまったわけですが、といってアリエッティは彼に飼い殺しにされるわけではない。
自分の仲間のいる新しい世界を探しに出かけていく。それも、そこまで翔くんの肩に乗って連れてってもらうわけではなく、自分の足で歩いていく。家族と共に。お母さんをいたわりながら。

で、残された翔くんには、自分の闘いがある、と。

彼の手術を執刀するのは、たぶん大人の男性でしょう。医師は、男達が数百年をかけて築き上げた「医療」という知の代表である。
そして手術に成功して元気になれば、「子供のころ心臓が弱かったんで」という言い訳も通用しない、勤勉と自己犠牲を要求される男の世界が彼を待っている。

そこへ向かって旅の第一歩を踏み出すには、小さな女の子の頑張ってる姿と「頑張ってね」の声と、涙が必要だった、と。

これが「病気の大きな女の子を小人の男の子がはげます」という話だったら? たぶん、ジブリではやらなかったでしょう。ジブリ(宮崎)アニメでは、世界を変革する力を持つのは常に女の子だから。
2011/12/13

映画『イヴの総て』

……と思ったらマーゴの総てだった。
ビルはいい男だった。
背の高い優男のロイドは私の好みだ。

カレンは清純で人のよさそうな役そのまま、
肝心のイヴは最初からあまりにも美しすぎて、かえって怪しいという。
役の雰囲気をたっぷり醸した演技派俳優たちは本当に舞台出身らしい。

そして「マリリン・モンローみたいな子が出てるなぁ」と思ったらマリリン・モンローだった!(・∀・)

1950年、アメリカ。
主役の一人であるベティ・デイヴィスは映画中で「もう40歳よ」というシーンがあるが、失礼ながらお面がそれより歳いってるように見えた。
調べてみたら1908年生まれで、この時42歳。リアルだった。ごめんなさい。

「舞台女優の光と影」みたいな話で「イヴの演技は素晴らしかった」という台詞が頻出するが、実際に本舞台そのものの様子は映らない。
映画の観客を舞台劇シーンの豪華さで圧倒するのではなく、舞台裏の人間関係をミステリーっぽくじっくり描くものである。
暴力的なシーン、あまりにも痛いエピソードってのはない。
基本は男女愛・夫婦愛。
男と女の駆け引きな部分はあるが、さすがアメリカというかこの時代に既に女が男に一人前以上の口をきき、それを男がしっかり受け止めて相手するのでケンカのシーンも逆に気持ちがよい。

ストーリーはドンデン返し的な部分があって、ネタバレしないほうが面白く観られる。
賞を一杯とったらしい。(参考:goo映画

それにしても煙草と酒が香り立ってました。
夜の外出には男たちはシルクハットにホワイトタイでステッキ携えてるし、女たちはアレキサンドラ女王っぽい豪華なローヴと毛皮のコートでパーティーに出席。
しかもそんな衣装で個人の家の階段に座り込んでしまう。
古き良きアメリカ ・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・