2012/03/31

そして『理由なき反抗』には理由がある。

Please relax!

1955年ですよ。オーバーロード作戦(1944年)から11年ですよ。
ヒロインのジュディが16歳になったばかりらしく、プラネタリウム見学へはジュニアとシニアの2学年が行ったので、チキンレースに関係した全員が16歳か17歳って設定。戦争中には5~6歳の子供ですね。ほぼ、戦争を知らない世代といっていいでしょう。
10年前の若者は英雄。50~53年の朝鮮戦争に出たお父さん、お兄さんも英雄。じゃあ、革ジャンとジーンズと9年落ちのフォードでいきがってる俺らは? なぜ生きている? なんのために生まれてきた?

……といっていた人たちが、2012年の今年には73歳~74歳という勘定です。
古い映画?
いや、ここからまっすぐ精神を受け継いだ作品が今に至るまで山とある。
観ながらいろいろな作品を思い出すのは、これも順序が逆でしょう。これへオマージュを捧げることをモチベーションに、凄まじい数の作品が生まれたのでしょう。

基本的には、すきあらばゴロゴロゴロゴロ寝っ転がるジェイミーの可愛らしさを愛でる映画。
って言ったら世界中のファンに叱られるかなぁ。
いや、大丈夫だろう。
ああいうたぶん脚本には指定されていなかった動きを、たぶんふと思いついて実行できてしまうところがディーンの才能だった。
垂れ眉の情けない表情とあわせて、本人はむしろカッコ悪く見せようとしてるんだけど、それがカッコいいんだよね。(可愛く見えることは分かっていたような気がする)

タイトルバックがいきなりアレなので、『エデンの東』で目立ったディーンの可愛らしさを前面に押し立てた一種のアイドル映画だと思いました。
……ら、最初のオファーは別の人にいったそうで、ディーンを迎えて彼のカラーに塗り替えられたのですね。

前半の甘ったれた「動」の動きと、後半の友人を説得する「静」の対比も見事でした。彼が大人になったという感じがした。脚本自体には、まさかの主人公交替!?( ゚д゚) ってちょっと驚いたけども。

あのプレイトー君は、つまり『glee』のカート君にまっすぐつながっている。
ロッカーに男の写真を飾り、鏡に向かって髪に櫛を入れ、いつもネクタイで、油のつかないスクーターに乗ってるモッズ系おしゃれな彼は、つまりジムに一目惚れしたわけだ。これは言っちゃいかんことになってるのかなーと思ったけど最初の脚本ではキスシーンまで用意されていたそうだから、やっぱそういうことでよろしいのだろう。
男と女のペアに置いてけぼりにされたことがすごくショックだったのだね。
55年の時点でこの要素を取り入れるアメリカ映画は大したものだ。
(そこからが長かったんだけどね)

ところでアメリカ映画を見るといつも思うんだけど、高校生といいつつ男も女も体格がいいのであんまり子供という気がしない。いい年して何すねてんだ、みたいに思ってしまう。あの体格の不良を抑えねばならない教員たちも大変だ。警官が積極的に実力行使に出るのも分かる気はする。また父親たちは気を張って大人の威厳を醸しださなければ対抗できないのでしょう。

娘の胸が大きくなって女の匂いがし始めると父親が遠慮するのは、もちろん彼のほうで性的接触を避けようとするからなんだけど、それが娘をいじけさせるってことは、やっぱり眠り姫みたいに16歳になったらさっさと見合いさせて縁付けてしまうほうが揉め事は少ないのかもしれない……

彼女がふんわりしたスカートをなびかせて、チキンレースの合図を送る場面は、強烈な印象を当時の世界の若者に残したのでしょう。「彼女の左右を車が抜けていく」構図はシネマスコープならではかと。
シネマスコープ初使用は1953年だそうで、まだいくらも経っていないので「おお、シネマスコープってこんなことができるのかぁ!」と驚いた観客もいたのでは。

アメリカの10代は皆それぞれに自分の車を持っている件。一般生徒はまだチノパンで、不良だけがジーンズを履いている、という描写。
映画自体は「豊かさの陰で苛立って、変な格好してバカばっかやってる若造たち」として描いてるんだけど、その豊かさに世界が憧れたのでしょうね。

『エデン』の変わった構図や影の濃さに比べると撮り方は至って普通、音楽は時代性なんだけど無駄に大げさ、また「理由なく」反抗しているはずのジムはやや自らの気持ちを自省的に語りすぎ、テレビドラマを引き伸ばしたような冗長感がとくに序盤で感じられたところですが……
色がきれいでした。
セピアと赤が効いていました。夜に入ってライトが使われるようになると絵的にも素敵。話もそこから抜き差しならないところへ急展開。夜明けのまだほの暗い中のラストシーンも素敵。
プラネタリウムの建物が豪華で羨ましいです。あの「伝統」の陰の若い悲劇が際立ちました。

んーと後は……レイ刑事がいい顔だった。ジム父の情けない演技が逆に光った。
『エデン』とどっちと言われたら……迷う。
2012/03/30

そして『フル・モンティ』を観て泣く。

1997年、アメリカ。20世紀FOX。

『エクソシスト』もそうだったけど映画の前評判や煽りって実際の作品の本当の見どころと違っていることがあって、
これは確かに粗筋を言ってしまえば「失業の苦しまぎれに男性ストリップに挑戦する素人どもを描くコメディ」なんだけど、
実はそんなに笑い転げるようなナンセンスギャグやブラックジョーク的なものではなく、じんわりハートフルホームドラマなのでした。

音楽がノスタルジックでカッコ良かったと思います。以下、ネタバレを含みます。

☆☆☆

25年前は鉄鋼で栄えた街。今はさびれて登場人物はみんな失業者。妻に言えない、子供の養育費を払えないと切ない様子が静かに描かれます。
中の一人がどうしても早急に現金が必要で。よそから来たプロのストリップショーに街中の女たちが行列を成すのを見て思いつく、俺たちもやろう。チケットを売ろう。レッスン期間は2週間。指導者も素人。たるんだ腹を女たちが笑うぜ。……マジ? 本人たち同士でツッコミつつ。

似たことを『glee』が最近やったわけだけど、あれではテンポよく端折られた素人たちのレッスンのおぼつかない様子がここではもっと丁寧に描かれます。
俳優さんは他で聞かない地味なメンバーで、実はすごく良い体ってこともなく、いかにも素人の初挑戦という心もとなさに、観るほうもすっかり同情。自分が急に同じことをやれと言われても……と我が身に引き比べ、一緒になって尻ごみしてしまいます。

それが遂にステージに立って照明を浴びると、ああやっぱり気持ちいい。いいぞ、乗ってきた、という彼らの気持ちに同調できるのは、曲のテンポと動きがゆっくりしているので「これなら何とか素人にもできそう」という説得力があるせいと、じっさい素人くさい動きのまま、無理やり盛り上げようとしていないせいで、かえって好感度大でした。

元管理職のジェラルドが結局ごく自然にリーダーシップを発揮する様子が素敵でした。『ホット・スタッフ』に合わせて肩が動いてしまう場面と、警察署でビデオを巻き戻す場面は頼もしく、楽しかったです。

しょっぴかれた事がかえって宣伝になる筋、デイヴの夫婦生活の悩みが山場をつくり、逆転を呼ぶ展開。デイヴ嫁には泣かされました。あげくに楽屋まで来ておいて「さぁ後は演じるだけ」で済ませない、最後にもう一ひねり、言いだしっぺが最初に腰砕け、どうなる。

こういうのは、最後は公演が成功してハッピーエンドになるに決まってると思いながら観るわけですが、派手な事件も急展開もなく、いかにもありそうな日常的エピソード、素人なら当然な心の動きをつなげた上手さに感心して、引きこまれて楽しく1時間半を過ごしました。

まさかのカップル成立と、それを苦笑しながらもあっさり受けとめる仲間達もあったかい感じでした。
みんな幸せになるといいね。

逆に考えるとプロのプロ根性ってすごいんだなぁと別方面で感心したり。

「フル・モンティ」はすっぽんぽんという意味ですが、その姿は一瞬だけ効果的に使われており、むしろ品良くまとまっていると思います、と申し添えます。

フラッシュダンスは懐かしいですな……
2012/03/26

貝殻は盗ませないわ。『007/ドクター・ノオ』鑑賞記

盗まれてもいいです。
てかタランチュラになりたいです。もうガラス越しでもいいです。てかワルサーPPKになりたいです。いや、PPか?

……いや、これはもうキャアキャア言えばよろしいよね。世界中の男と女を疼かせた、ショーン・コネリー様のジェームズ・ボンド様ですわ!

熱心なファンが拾い上げたこぼれ話や薀蓄がネットにも一杯。大事な銃器の間違いはご愛嬌ですが……なぜあの程度の映り方でお分かりになるの皆さま。

1962年度作品。監督はテレンス・ヤング。ブロンソンとドゥロンと三船の『レッド・サン』も撮った人でした。あっちも大好き♪ 
味わいは同じで、荒唐無稽な話なのに造りが丁寧なので引きこまれてしまうという。そして男のかっこ良さを嫌味も照れも言い訳もなく撮りきる事ができる人だと思う。

この007シリーズ第1作1本からだけでも世界中で一体どれほどのオマージュ作品が生まれたことか。実は私は初見ですが、やたら懐かしい感じがするのは、それらの後発作品によって間接的に雰囲気を知っているからなのですわ、きっと。

そして後発はいろいろとひねりをくわえてくるわけですが、これはコネリー自身の「何も特別なことをしないのにかっこいい」というストレートパンチっぷりが爽やかなのでした。

名乗りのシーンの決まりように感動。タキシードの後ろ姿、長い指、銀のシガレットケース、くわえ煙草で「Bond, James Bond」 すべてはここから始まった。……若い! 顎細い! 下まつ毛長い! 口元の皺が激セクシー。
ジャマイカのホテルに至ってソファに座り、リビングテーブルに踵を乗せる、その椅子とテーブルの間の遠いこと(笑)
とても『史上最大の作戦』でギャグ担当だったフラナガン様とは。
いや、質は同じなんだけど。
一歩間違えばB級になってしまう娯楽作品を辛口で勢いのあるものにしているのは、コネリーのテンション高い熱気あふれる演技。彼が大真面目であるとこがいいのですわ。
公開年に32歳なので撮影時は31でしょう。ぴっちぴち♪

さすがシリーズ一本目というのかエピソードの豪華詰め合わせ、盛り沢山で展開が早くサービスショットも満載で飽きる暇がない。サービスショットってのはあれですよ上着脱ぎとかベッドとかシャワーとか殴られシーンとか。巻き戻しましたともええもうほっといて下さい。

世界征服を企むマッドサイエンティストにたった一人で挑むという荒唐無稽冒険活劇なんだけど、秘密兵器のご紹介・観光案内など後のシリーズに取り入れられた要素がまだなく、ジャマイカの観光案内にもなってはいるんだけど、そこに淫しない。あくまで背景としてさりげなく映す中でボンドのリアルな単独行動を徹底して撮ることでシンプルかつ骨太な話運びが際立つのは、フェアバンクスが『バグダッドの盗賊』で七つの門を単独踏破したのと同じで、やはり強い男には孤独が似合う。
低予算といわれれば確かに豪華な装備などはなかったわけだけど、かえってそれが1本目としてボンド自身の魅力を披露する結果になっており、笑いを誘う恐れもないので緊張感が持続して、良かったと思います。
ジャマイカの海という金のかかりようのない「大道具」を存分に生かしていたし。

とはいえ、後半に実現した三人組の、水色と赤と白の衣装がジャングルの緑に生える場面は綺麗でした。白いビキニにナイフつき太ベルトは暴力的に魅力的。
「君の貝殻を盗まないって約束するよ」嘘つけ(笑)
貝殻は女の象徴ですな。海辺にふさわしく、なにげにセクシーな洒落た台詞です。

登場が前後しますが、東洋系のボンドガールは私的にはシリーズ最高の美女でした。と思ったらご本人はナイロビ生まれなんですって。
女と楽しんだ後、またスーツに装うというのがかえってエロティック。

ドクター・ノオはいい顔をした俳優さんで、ご本人はカナダ人、東洋的なのはメイクだそうですが、神秘的でノーブルで説得力あり、しかもいち早く逃げるのでなく自ら立ち向かうとは、たしかに出色の敵役。手袋をはめた義手というのも色んな作品で見かけるような気がしますね。

ボンドガールは皆ふっくらした美人で魅力的でした。この頃の女優さんは頬に明るい艶があって女性的でよろしいです。最近の人は……ダイエットのしすぎなのかなぁ。

ラストは……もうあんな奴回収しなくていいです(笑)
さて、スミノフ買ってくるか。ドライヴェルモットが要るね。
2012/03/26

1955年アメリカ映画『エデンの東』視聴記。

初めて観ましたごめんなさい。
子供のころテレビで観た『なつかしの映画音楽』みたいな番組で、若い男と女が顔をくっつけてるような絵が映って、ノスタルジーな音楽が鳴って。なんか首筋がかゆくなるような恋愛映画だと思ってましたごめんなさい。
でもおかげで何の前情報も入れずに今回ぶっつけ本番状態で観たので良かったです。
キビキビとサスペンスタッチで刺激的で面白かったです。

『イブの総て』が1950年。
『裏窓』が1954年。
『渚にて』が1959年。
『史上最大の作戦』『アラビアのロレンス』『007ドクター・ノオ』が1962年。
この間にはさまるわけだけど。撮り方はどれよりも過激で鋭いと思う。ヒッチコックが近いかな……

ときどき画面が斜めになるの。不安感を駆り立てる、すごい構図でした。
光じゃなくて「影」の使い方。
ディーンの演技が凄まじいのは今さら申し上げるまでもないけど、ボーッと立ってる兄ちゃんが意外にいい感じ。あの野暮ったさが小技のきいたディーンとの対比になって。

ナレーションなし。役者の存在感と日常的な会話のテンポの良さと、切り取り方の鋭さだけで魅せる緊張感の持続。
この撮り方で1955年てことに驚けばいいのか、
1917年を舞台に女性がこれだけ自由に、しかも自省的に生きている姿を描いたことに驚けばいいのか。
女性と若者の自立、このテーマは1955年の時点でも衝撃的ですね。

シネマスコープとワーナーカラーの誇らしさ。フェアバンクス主演作品の素晴らしさを観れば、画面の間口の狭さやモノクロ撮影であることが決して劣るわけではないのだけど、アメリカの広さと空の色、調度品の独特の色合い、和服にはない女性のドレスの透け感が見られることはやはり印象的でした。レタス畑、広!!

アメリカ映画の基本にしてお手本がここにあるーーと思いました。古い映画、外国映画って「話法が違う」と感じることがあるわけですけども。古いと感じられない、というよりは、こっちがその後に受け継がれたこの撮り方に慣らされているのでしょう。

戦争の陰にあった一家族の小さなドラマ、には違いないのだけどね。
兄ちゃんの嫁。
『マイ・ブラザー』(原題 Brtherhood )って映画を思い出してニヨニヨしちゃいました。
(順番が逆)

ディーンの演技には『ブロークバック・マウンテン』で受賞したヒース・レジャーを思い出しました。
なんでアメリカのいい役者って早く逝っちゃうかな。
合掌。

さて……さらに古い映画いっぱい観なきゃ。
2012/03/24

『バグダッドの盗賊』3本。

24年フェアバンクス版、40年 Sabu 版、61年リーヴス版。
バグダッドの街を観ると「グライドで飛んだっけなぁ」と『キンハー』を思い出します……

バグダッドの街でコソ泥をして暮らす若者が、宮殿のお姫様と互いに一目惚れ、魔法の宝を手に入れて、彼女と父王の危機を救う。『千夜一夜物語』のエピソードを自由に組み合わせた物語。それぞれの味わい。

【24年フェアバンクス版】
面白かったのよ! 続きが気になって気になってさ! 見入ってしまいました。
サイレント映画なので「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」と日常会話など端折ってどんどん話を進める、昔話の語り口の意外なテンポの良さってありますわね。あの感じです。紙芝居的に大胆なのです。

昔のカメラのせまい間口に合わせて、セットは上へ上へ積み重ねたようにできていますが、その麓にいる人間の小ささとの対比に衝撃を受けます。
しかも、その壁や屋根に「空飛ぶ絨毯」の影が映ったのよ!
つまり書割じゃなく実際に立体が組んであって、人を乗せた絨毯をその高さまで吊り上げたのよ!

モノクロですが衣装も豪華なことがよく分かります。実際、1920年代の映画として最高ランクの制作費がつぎこまれたらしいです。
特に素敵なのは宮殿のお姫様の寝室のアール・ヌーボー調の装飾と、お姫様自身の造形。膝まである長い巻き毛とたっぷりしたヴェイル。アルフォンス・ミュシャのイラストそのままで泣けます ・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・

モンゴル王子の扇さばきも萌えでした~~
悪役扱いは人種差別的なんじゃないかとか、そもそも植民地時代の脳天気な娯楽とか、言えば言えますが、ここは野暮は言いっこなしってことでよろしいのでしょう。

フェアバンクスは男盛りの41歳、見事な肉体美。大正時代に観た大和撫子たちも「あら~ん♪」と思ったかしらん。
大きな身振り手振りによる演技はバレエのようだと思いました。ちょうどロシアバレエ団が世界中をまわっていた頃です。
遠くから望遠するような撮影は当時のカメラの限界なのでしょうが、逆にそれを活かしてオペラ的な(またはバレエ的な)セットの中で体の切れを見せるフェアバンクスは表情も明るく、ところどころに「ここで笑」とト書きに指定してあるような可愛いギャグも効いており、彼のプロ根性によって、バレエとコントとアクションを一度に観せてもらったお得感満載でホクホクします♪
昔の人は贅沢な娯楽を楽しんでいたのですねぇ。

【 Sabu 版】
1940年。戦中。フルカラー。遠い目になってしまいますわ。
透明感のあるブルーの効いた背景が素敵です。セットくささ満点ですが、かえってそれがいいのです。サルバドール・ダリの夢の風景画を思い出します。当時流行っていたのでしょう。

街の盗賊がぐっと若くなり、16歳のインド人少年が演じます。Sabuは彼の芸名。どう考えても彼が主人公。
黒ずくめの奸臣ジャファーの陰謀により、青年王アフメッドは体ひとつで宮殿を追い出されてしまいますが、街の盗賊アブー少年の機転に救われ、バスラの街へ逃げて、姫に出会います。アブーは途中から主人公としてジニーに出会い、洞窟で怪物と戦って秘宝をゲットし、魔法の絨毯で姫たちの危機に馳せ参じます。

これはイギリスの企画。
戦争が始まってしまったので途中からアメリカで撮ったそうです。
なまじトーキーの時代になってしまったので、フェアバンクスのダンサブルな演技は受け継がれず、突っ立って喋ってるだけ、という場面が増えて、やや冗長ですが、ジニーが出てきた頃から少年冒険活劇として面白くなります。

『宝島』の国、イギリス。少年を冒険に出す国、イギリス。ラストは青年王が「アブーに教育を授けたい」というのを本人が嫌がって逃げ出します。ハックみたい?
当時の英米の子供達がこれを観て明るい気持ちになれたのなら良かったです。
その一部は、ディズニーに入って『アラジン』を創ったのですね♪

【リーヴス版】
主人公が盗賊に戻ります。世界で最もゴージャスな男(の一人)スティーヴ・リーヴス。アメリカ人。筋肉増強剤を使わないナチュラル・ボディビルディングの創始者にしてカリスマ。お顔も理知的な美形。
50年代から60年代にかけてイタリアで映画に出ました。彼の肉体美に寄りかかった企画が多く、あの胸板ならリアルに寄りかかってみたいですがそれはともかく、映画としては脚本がだるいとか演出がぬるいとか編集がたるいとかまぁ色々とあれなんですけども、彼自身は常に誠実に演じていたと思います。素人くさい照れや衒いがなく、好感度は高いです。見つめられることに慣れていたのでしょうね。

これもイタリア企画。ロケ地はチュニジア。イタリアからひとっ飛び。
ストーリーはフェアバンクス版を踏襲していますが、リーヴスがフェアバンクスほど吹っ切れたパフォーマーではないので、雰囲気はまったりしています。いいんだ彼はそこが味だから。触手プレイや着衣の乱れも楽しめたし。

フェアバンクス版にも、少年が主人公の英米版にも勿論なかった、魔女が寝そべる横に立たされ、配下のおねえさん達のダンスを見せられる場面は、他のリーヴス主演作にもあったので、女王と愛人という図が何かイタリア人スタッフの男心を刺激するんでしょう(笑)

ラストはやっぱりフェアバンクス版にはなかった騎馬隊の激突になったので、これも史劇好きなイタリアらしいところだと思いました。

日本でやったらどうなるんでしょう。和風に翻案して、かぐや姫や竜宮城と混同するのも面白いと思います。
2012/03/21

1955年イギリス映画『暁の出撃』視聴記。

クレジットに習って実在の第617中隊と御遺族の皆さま、あわせてルール地方の皆さまに哀悼の意を捧げます。総力戦はどちらにとっても悲惨です。
映画評だけど事実に基づいているので面白かったで終わらせるわけにいかないです……

「でっかい反跳爆撃でルールのダムを壊し隊」
実施部隊の指揮官による手記に基づくドキュメント。
英空軍全面協力により当時の実戦機を使用した長く美しい空撮と、風防越しに回転する風景の臨場感。

……なんて観たことのある方には申し上げるまでもない傑作なわけですが。

古い映画の感想、それも戦争物って難しくて、マニアックな方はとっくに観ておいでだろうし、興味のない方は何と言われても一生ご覧にならないでしょうし。
こう読んで「面白そう、観てみよう」と思って頂ければ真に幸いですが、それにはあまりネタバレしないほうがよろしいでしょうし、といって何も知らないよりはコメディなのか残酷シーンもあるシリアスものなのかくらいの心の準備はあったほうがいいしね。

邦題がまた曲者で、『戦略大作戦』ときけば『史上最大の作戦』と似たドキュメントなのかなと思うとトンデモだし、この『暁の出撃』はヒロイズム満載のアクションものみたいだけど、実際には設計技師の苦労を描いたヒューマンドラマみたいなところがあるし。

と、さらっとご説明しつつ、前置きした上で個人的な感想として「こういうところが面白かったー!」と言い散らかす感じでよろしゅうございますか。

さて。それでは以下はネタバレです。

最初にして最終的な感想は「イギリスだねぇ」

『史上最大の作戦』で「フラナガン様のお戻りだ」とギャグ(?)をかましたのもイギリス、前線にペットを伴う指揮官がいるのもイギリス、バグパイプを先立てて、匍匐前進なにそれ状態で堂々行進する精鋭コマンド部隊もイギリス。

全くあのままのクールかつリラックスした雰囲気で困難な極秘任務に当たる面々。
爆撃隊隊長が連れ歩く猟犬は、基地内のみんなの人気者。士官室は優雅で個室も広いし皆おしゃれで髪型が粋。日本軍なら長髪といわれるところ。

タイトルは『暁の出撃』だけど、出撃までに一時間。
交戦国の工業地帯に打撃を与えるために、上流にあるダムを支える厚いコンクリート壁を崩したい。そのための爆弾造りが、思いついたはいいけど難しい。
資材も時間も足りない、斬新すぎるアイディアに理解者はいない。わずかな人脈を頼りにこぎつけた実験は失敗続きで皆あきれて帰っちゃう。
その様子が丁寧に映されるので、研究者の助手になって現場にいあわせ全てを目撃している気分。実験結果に一喜一憂する博士にすっかり共感しちゃうのでした。
直接的な対人兵器でないのがせめて気分的に救い、なんていうのは甘いんでしょう。

イギリス人俳優が皆若干ハイトーンの早口でよく喋るのはシェイクスピア以来の伝統かしらん。
アメリカ映画は短い台詞がポンポンやりとりされるのが多いような気がするんだけど、もしかしたら「あんまり口達者なのは男らしくない」という意識があるのかも。

爆撃中隊は出撃30回以上のベテランを揃えた新編成、極秘任務を帯びて極秘夜間超低空飛行訓練ばかりやってるから他の中隊には昼間あそんでる奴らだと思われていて、からかわれる。
ついに隊長から「次に言われたらやり返せ」とお許しが出て大乱闘。でも楽しそう。

日本の海軍兵学校にいたイギリス人教官は「イギリスの士官学校の生徒は上流階級出身に限られるが、日本はその点平等だ」と書いた。
逆にいうとあの二つの中隊の士官たちは、昔っから顔見知りのような連中なわけです。ホグワーツみたいな寄宿学校で幼年クラスから一緒だった、なんて人達もいたかも。
萌えてる場合ではなく(いや萌えてもいいんだけど)彼らの中には今夜にも出撃して帰ってこない者もあるかもしれない。偵察機だって撃たれるし、訓練中の故障もあり得る。そんな中でのひと時の気晴らし、スキンシップ。

ほんの一瞬だけ乱闘に参加したギブソン隊長(リチャード・トッド)のネクタイひん曲がった姿には「可愛い~!」と喜ぶしかなかったと白状します。
あのシーンは誰が観てもそういう場面だからよろしゅうございますね?

実は個人的にはトッドのほうがノーマークで、『バルジ大作戦』つながりでロバート・ショウ目当てで借りたのでした。実質彼のデビュー作、隊長機の副操縦士というチョイ役ですが、トッドのマスクの甘いのに比べていい面構えで印象的でした。
で、今やっと『史上最大』にもトッドがいたことを思い出したり(ノ´∀`*) もう一度観たい。透明感のある綺麗な眼が印象的。

出撃から爆撃成功までは、前半の研究に同席したのと同じ体感。せわしない編集がなく、ひとつひとつの作業がたっぷりと時間をとって描かれ、機内に同乗しているかのような時間感覚。鳴り続けるエンジン音。
片や司令部は時計の音も響かない重い沈黙の中、報告を待つばかり。静中動。観る者の掌にもじんわりと汗がにじむのでした。

緊張感でガチガチの司令部へココアを配りに入ってきた若い女性の兵かな?士官かな?がいました。甘いもので少しでも気分をほぐしてもらおうと彼女なりに気を使ったのかもしれないと思うといじらしいです。

タイトルは『暁の出撃』なんだけど、満月の夜中を目がけて出撃し、暁には帰投しています。たぶん「特攻」をイメージして邦題をつけたんでしょうね。原題は『The Dam Busters』です。そのまんま。

作戦成功して終わる映画は多いけど、印象的だったのは帰投した後の隊員の様子まで丁寧に映されていたこと。個室に戻り、同室者と無事を祝いあうでもなく、無言でそれぞれの寝台へ背中をのばす二人。緊張の大きかったことが伝わります。
7人乗りの四発爆撃機、撃墜は8機。持ち主のいなくなった時計、手紙。
対空弾幕の厚さを知っていれば出さなかったと言い訳をする博士に「それでも皆行っただろう」ときっぱり言いおいて、また次の任務が待っているであろう少佐の背を見送るのは、もはや自分の足で彼を追うことのできなくなった愛犬の視線なのかもしれません。

終戦から十年。『史上最大』より更に7年も早い1955年の公開。まだ記憶の生々しかった頃、『ライアン』のような受傷描写はとてもできない。でもうちの子はどう戦ったんだろう、知っておきたいと思う人たちへの共感と戦没者への尊敬を込めて、「こんなに頑張ったんだ」という様子を丁寧に撮る。

合掌。
2012/03/20

1970年アメリカ映画『戦略大作戦』視聴記。

これはいい! Σd(゚∀゚d)イカス! たぎった!!! 
テリー・サバラスだけに、かっこいいとはこういうことさ!!!

アメリカ視点で観れば。以下、ネタバレ一杯です。

***

独立 愚連 小隊、金塊強奪の旅。
基本的には連合軍上陸後のフランスで、戦場を舞台にした「なんちゃってアクションコメディ」なんだけど、その「舞台」の造りようがすごい。
オープニングから迫撃砲の雨あられ、大掛かりな街頭セットはガラガラ崩れるし、火の手は上がるし。
シャーマンが吠える! タイガーが奔る! 
大量の軍用車両と人員と火薬を投入。ちょっとだけど超低空飛行の戦闘機編隊も観られる、ロケット弾発射シーンも操縦員席から観られる。わーい。

アクションの勢いだけで持っていくおバカ映画かというとそうではなく、そもそも金塊強奪に行くのか? 危険はないのか? 着けば着いたでタイガー戦車がいるのに、どう攻める?
丁寧に話しあい、じっくり行動する男たちの姿が静かに描かれます。

訓練を受け、苛酷な上陸作戦をきりぬけ、銃器と通信機と戦車のあつかいに習熟し、自主的に判断して動ける優秀な小隊が、その技量と度胸と団結心をもって、命令によってではなく超個人的な動機で自発的に動く。

とんだ皮肉でもあり、真摯なオマージュでもある。ヒッピー時代の いかれた いかした戦争映画の料理法だと思います。

『バルジ大作戦』からサバラスつながりで借りたのですが、イーストウッドの若くて綺麗なことに参りました。そして声は山田康雄じゃなく(苦笑)線の細い声をしているのですね。
クールでインテリっぽく、一見もっとも冷静そうな彼が実は一番キレちゃっている。ダーティハリーのキャラそのまんまですのねw

対するサバラスは叩き上げの軍曹、金塊ときけば「ッしゃあ!」言いそうな熱さなのに実は部下思いで慎重派。
二人の対比がいいところへ、サザーランド(父)、ヒッピー代表戦車分隊長いい感じすぎ(ノ´∀`*)
脳天気なだけかと思った彼がタイガー戦車には顔色を変えるところも説得力あって素敵。

兵の自発行動のたび重なる成功に、戦況が読めず浮き足立つ司令部と、我が手柄のように独り興奮する司令官の滑稽さ、これが俳優がいいので安っぽくはなく、まったくいい感じに皮肉が利いていますね。

今回はタイガー戦車隊長の黒服が決まってるカール・オットー・アルベルティとの対決(?)シーン、西部劇ばんざい!! スパゲッティ・ウェスタンばんざい!! これは燃える……!!

残念というべきなのはドイツ兵があまりにもショッカー扱いで簡単に倒れていくところ。『ライアン』『エル・アラメイン』のような「本当の戦争の痛み」を追求する作品ではないので、ショッカーだと思って観ればいいんですが、「俺のオヤジは国防軍だ、国を守ったんだ」という方には辛いかも。
つまりヨーロッパでは上映しにくい、アメリカならではの娯楽なのでしょう。

ラストのアルベルティとの挨拶の応酬もいいですな……・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・

邦題がつまらなすぎ&的外しすぎで損をしていると思います。戦略でも戦術でもない。単に現場だ、戦闘の現場。
原題は『KELLY’S HEROES』
ケリーはイーストウッドの役名。彼の呼びかけに応えて活躍した奴ら、という意味だけどまぁ直訳はしにくいですね……

他にもニヤリとするシーン盛りだくさんです。是非一度ご覧ください。
2012/03/16

2002年イタリア映画『炎の戦線 エル・アラメイン』視聴記

イタリア映画は戦場リアリズムも粋。

ロンメル戦車軍団じゃないのです。彼が撤退する前後の、別の戦場におけるイタリア歩兵の砂まみれの苦闘。
炎の戦線ていうか、炎天下の飛び陣地orz とっくに補給が途絶えて水も食料も弾薬もorz
観客の口の中にまで砂が入ってくるような大ロケ敢行。

その苛酷な条件下で戦闘を演じた役者さん達は、『プライベート・ライアン』の時も思ったけど、リアルにトラウマになってしまうのじゃないかと心配です。
ハリウッドだったかブロードウェイだったか、俳優が役から戻るためのセラピーがあるそうですね。

砂色の濃淡、ゆったりと大きなカメラ使い。
エジプト戦線なので現地の民族音楽がBGMに使われており、その他にチェコ・フィルによるオーケストラ・サウンドはゆったりと控えめな旋律で、じんわりと情感を盛り上げてくれます。
どうも同じイタリアだと思うせいか、雰囲気が似ているのか、『カオス シチリア物語』を何度も思い出すのでした。
水もなく顔も洗えない兵たちの薄汚れた黒髭面のせいだったかもしれません。イタリア人俳優はみな男ぶりが良く、セクシーです。
ダイナミックな肉体表現と、遠近法による大胆な構図を生んだルネサンスの国には脱帽するしかありません。

「クロサワを土台にアメリカ西部劇というクリームを掛けて、イタリア独自の苦味走った辛口スパイスを振ったら最高にオシャレな大人のデザートができた」みたいのが『荒野の用心棒』なわけだけど、
『ライアン』より後発なこれも、あのような戦場リアリズムをイタリア流に料理したらもっとドライ、かつ味わい深くなったぜっていう、薫製肉を辛口の酒で頂くような、そんな感じかも。

ラストシーンは忘れられないでしょう。大理石の国なんだなぁ……
2012/03/13

合言葉はアイラブユー 『007は二度死ぬ』視聴記。

懐かしい(*´∀`*)

1967年度作品。シリーズ第5作。生まれる前なのでこれ自体を観るのは初めてなんだけど「総天然色」な色合い、手作り感あふれるセット等「子供の頃こういうの観ていたなぁ」としみじみ。

現代は You only live twice 意訳:「三度目はないぞ」

終盤近くまで顔を出さない敵の首領は白猫の頭を撫で続けるマッド・サイエンティスト。
詰め込み過ぎのなんちゃって観光案内はご愛嬌だけど、一つ一つは変じゃなかった。武道家はなんちゃって忍者ではなく、ちゃんと武道家の格好をしていたし、技を披露していたし、カッコ良かったし、ロケ地はきれいだった。
総じて日本人エキストラ、スタント頑張った。

日本人女優の綺麗さはあの時代の欧米女優と比べても特筆ものとしていいと思う。やはり日本の女は黒髪がよい。役者それぞれの日本語なまりの英語もいい雰囲気だった。言葉についてはロシア側はロシア語で喋ってて、気が利いていたと思う。
「山へ突入する前に服を着せてやれ」とか「女に機銃掃射はひでぇ」など女性の扱いにモニョる場面がいくつかあるのはまぁ時代性と「男のための娯楽」である点をかんがみて、やむを得ない。
(そういうことへのアンチテーゼがBLであるというのはずっとしている話である)

宇宙シーン、空中戦の模型撮影は可愛らしく、面白かった。真似してロケットなど作った少年は大勢いたのだろう。組み立て式小型単座ヘリは男のロマンだと思う。

男といえば「ゆうべ女と楽しんだ男」であるボンドが何度か映された(=何度も女と楽しんだ)が、色気を感じた。

ぶつ切りといえるほどテンポの早い編集は気軽な娯楽らしさ満点。秘密基地は広いセットで比較的長回しな撮影。火薬炸裂。贅沢なつくりだと思った。
CGとか要らないよ、これくらいでいいよと思ったけどその「これくらい」が難しい現代なのでしょうね。カーチェイスのための道路封鎖とかヘリのチャーターとか、いちいち人件費も物価も上がっていそう。

赤の効いたオープニングが素敵。シナトラ娘の主題歌がややノスタルジーな感じでそれもまた日本ぽいのかもしれない。あの時代の映画には「赤、青」が原色で多用されており「カラーで映画が撮れる楽しさ」に溢れていると思う。また「肉眼で見たまま撮りっぱなし」ではなく前衛的な色合い、アニメーション効果を試していた時代なのだと思う。サイケにつながっていくのだろう。

『M:I』『トランスポーター』など直接この系譜に連なる(または同じグループに属する)と思われるアクション映画や、『太陽を盗んだ男』『西部警察』など日本の刑事もの、東宝が協力していることからいって当たり前だが円谷特撮、さらに『パタリロ!』『クレヨンしんちゃん』映画版など色々思い出してしまうのであった。

ステアのウォッカマティーニとサントリーオールドが飲みたくなり、銀のシガレットケースが欲しくなるのはお約束。
合言葉に関しては、もうちょっと萌えさせてほしかったです丹波さん。

ラストは粋なので敬礼しておきました。興味のない、または関わってはいけない女性には徹底的にクールなボンド、いいですね(*´∀`*)
2012/03/08

鐘から出た蛇は哀しいものだ。

「じゃ」と読んで下さい。

紀伊國屋書店発行の能ビデオを拝見した。↓

平成12年に収録された三人の名人による道成寺ばかり、三本。二枚組からのダイジェスト版でお買い得。
お正月特価だったのだが今みたら密林のほうが更に安かった。そんなもんだw

最初(現・観世宗家)と最後(喜多流の塩津師)がかなり乱暴なダイジェストで、赤頭(赤い髪)、
まんなかの梅若玄祥(当時は六郎)が替装束といって、白頭。
宗家の舞はいつもキビキビしていて、声も甲高く聞き取りやすい。初めてのかたにおすすめ。
六郎師はまろやかな動きだった。塩津師は、ああ塩津師だなぁと(体の小さいかたで愛らしく、独特の動きをなさる)

白頭がすごかった。黒地の装束も鐘から出た後は白地に替わってた(鐘の中のせまい空間で手伝いもなく着替えるのである)
巨大な白蛇のイメージがだぶって見えた。その化身としての人間の姿は、総白髪の老鬼女なわけだが、これが不思議と、なんというか白い梅の花のようなというか、まろやかで甘やかな女性性を最も感じさせるのである。ご本人の元からの持ち味でもあるとは思うのだけど。

能というのはどういうわけか、直線的な動き・声の低さ・肉体の筋骨の量感など男性の特質を保ったまま、「気持ち」だけで女性に見せる。見えるんだから不思議である。面の力と装束の力があるには違いないが、「いま女を演じています」というシテの気持ちがテレパシーのように観客に伝わるのかもしれない。能役者は、何よりも「気」を操る。

彼らは男性としての人生の先輩である師匠(の師匠の師匠の師匠の師匠……)から受け継いだ、男性の尊厳を保ったまま女を演じる、という不思議な離れ業をやってのける。

文楽の太夫は人形を扱うから、自分が女になりきる必要はないだろう。歌舞伎は女役を専任にし、庶民が納得できるシナシナとした女性らしさを男性の筋力をもって演じきる(肩甲骨を寄せたりなどして女性らしさを維持するらしい) 現実的には女歌舞伎と若衆歌舞伎が禁止になったから、野郎歌舞伎になったんだけど、女性らしい可愛らしい動きの参考に、文楽の人形振りを取り入れたのだろう。……てことは能と文楽の間に女らしさ表現の断絶があるってことになるけど……(素人がぼんやり思ってるだけなので読み流してね)

ところで男が脚本を書いて男が舞って、男が観ることが前提の能でなぜ女の悲しさを表現するのか。
単に男性客がそこに「萌え」を観たって可能性は高いけど、ちょっと思うに、
初演当時の脚本家兼俳優は、その立場が権力者のご機嫌しだいだったから、辛さや不安を感じていたはずで、そんな気持ちを打ち捨てられた女性の身の上に重ねたのかもしれない。

元清は男と女が一体となった美貌の人物を描いた。庇護される存在である自分を美化せずにいられなかったということは言ってはいけないか。
信光は「女がじつは鬼でした」という作品をいくつか描いた。「なめんなよ」という気持ちはなかったか。

もちろん彼らはプロだから、そんな個人的なモチベーションで作品を書かない、観客の求めに応えただけだろうとも考えられる。でも彼らだって他人から100%「こういうキャラで、こういうプロットで」と指示を受けたわけでもないはずで、やっぱり自分の中にあるものをジッと見つめて作品を書き、それが時代の気分に一致すれば人気が出て残り、「意味わかんない」と思われれば廃れた、ということじゃなかったか。

ともかく道成寺のシテが最も凛々しくカッコ良いのは鐘入り直前、白拍子姿で鐘を睨む時。
白拍子とは男装で、男らしい毅然とした態度で女が舞うものである。
それを男の役者が演じると、逆に不思議と「ああ女だなぁ」と感じさせる。
そして鐘が上がって現れた蛇体は、どうにも哀しい。
妖怪がついに姿を表したのだから、「こえ~~」と言わなければいけないところなのに、哀しい。

リアルなことを言うと鐘の中で独りで装束替えという大技をこなしたシテが精も根も尽きかけているってことはある(汗) 観るほうの頭には「本当は好きな人に抱かれたかっただけの可哀想な女なんだ」というストーリーが入っている。シテもそのつもりで気持ちをつくっていて、それが身構えに表れるのだろうけど、何をどうするというわけではなくて、ただ鐘の下にうずくまっているだけなのに、振り乱したような赤や白の長髪の陰にある般若または蛇の牙を剥きだした顔は、泣いている。

能は「女の欲求不満」という最も厄介な陰のパワーを美しいものとして取り込むことに成功した。そして男の理性=仏法によってそれを鎮める。
ワキ僧との対決は、映画でいえばクライマックスにおける、最もスリリングな暴力的な場面のはずなのに、えらくしっとりと物悲しい。
男が勝手に女を醜い怨霊として描いて、それを女が美しいの哀しいのと涙ぐんで観るんだから、不思議な世界ではある。
2012/03/07

目を閉じて私の胸を思い出して 『プライベート・ライアン』視聴記。

1998年。もうそんなになるのか~~

「リアルなものを観たい」って言えば、こうなるよね。

『史上最大の作戦』では冒頭でロンメルに部下が「海岸に地雷を400万個敷設しました」って報告する。それが上陸した連合軍の足元で爆発した描写がなかった。だから当然「現実はもっともっと悲惨だったんだよな」と想像される。ただ、あの頃はそれは描けなかった。記憶に生々しすぎて。

二等兵ライアンもすっかりじいちゃんになった今、戦争を映画でしか知らない世代のために、ひとつリアルなところを観せておいてやろうと思えば、こうなる。特殊メイクやモデリング、爆発の調整など特殊効果の技術も上がった。画像を全体にブルーグレーがかった色調で統一して、天然色すぎない血の色を表すことも可能になった。

苦味がよい。

作戦そのものの「どうなの?」「司令部の自己満足・罪の意識逃れに過ぎないんじゃないの?」ってテーマに関わる不条理感も、准将一人守るための鉄板が仇になったエピソードも、これでもかの肉体描写・擬似痛覚刺激に「お前らこういうのをリアルとか言って観たかったんだろ?」と観客として突きつけられる苦さも。

どっかの島国はB-29を竹槍で落とそうとし、対空弾幕を練習機で乗り越えようとしたが、『史上』『バルジ』『ライアン』と観てきて、連合軍はタイガー戦車を体で止めようとしたんである。航空機が到着するまでの歩兵の苦労ってなんなのよ、って感じだ。
戦法は19世紀と変わらないまま武器の殺傷能力だけが上がっちゃって……嗚呼。

映像については「スタンダード」と感じた。こっちがスピルバーグの手法に慣らされているってわけなんだけど、俳優視点の手ぶれカメラによる臨場感とか、大事な話はあえて遠くから撮るという演出とか、それが顔のアップに切り替わるタイミングとか、BGMの使い加減(あるいは使わなさ加減)とか、ふと耳が遠くなって現実感をなくす心理描写とか。
何度か『平清盛』を思い出した。清盛がハリウッドの手法で撮ってるってことなんだろう。

面白いのは『上海陸戦隊』『切腹』など古い日本映画が似た呼吸だったことで、文法が違って退屈な感じがしたのは60年代のスペクタクルだった。
70年代にテレビドキュメンタリー出身のフリードキンが手ブレ、ぶっつけ本番によるリアル路線を採用したのが今のところの私の認識。50年代フィルム・ノワールは実はまだ観ていないのでこれからの課題(そのうちレンタル予約したのが送られてくる)

色調が全体にブルーグレー、全体にセピア調、など調整された感じになったのはいつからだろう、と思う。80年代に『ランボー』を観ていた頃は、まだいかにも「総天然色」(肉眼で観るのと同じ色調)、撮りっぱなし、という感じだった。

『史上最大』は各戦線の動きをみっちり詰め込んで忙しかったんだけど、こっちは同じ部隊の一日に密着、戦闘のない時のまったり感、音が聞こえれば「仕事だ」って感じで立ち上がる人物たちの臨場感が、まぁ……よかったといえばよかった。臨場感が好きなら、ってことだ。

遠くから聞こえるドイツ語が高める緊張感、という演出は好きだ。大暴れするタイガー戦車の迫力、せまい街なかにたった一台あれがいるだけで感じるプレッシャーの大きさ。キャタピラが動くときの金属音をBGMなしで聞かせてもらえたのは、面白がるとこじゃないが、やっぱ良かった。

ドイツ兵の表情は、撮られていないことはない。黒服の突撃隊については容赦ないようだけど。全くドイツ軍の重機関銃は厄介だ。でも国防軍は普通の青年達が徴兵で集められたもので、なんとか助かりたくて降伏したのに、でも上陸側もあれだけあった後ではねぇ……など、納得できないといえばそもそも戦争に納得できないのだから、戦場の描き方として特にどちらかに偏っていたってほどではなかった、と思う。六芒星のペンダントを見せつけるシーンは、同民族の監督ならではか。

「兵士の友情」という言葉を兵士が冷笑する場面が序盤にあるとおりで、戦場にヒロイズムやロマンを見ないドライさにできるだけ付き合って観るほうも淡々と観たが、最後の敬礼で泣かされるあたりは、『シンドラー』と同じで、やられた感なのであった。
2012/03/03

Petrole is blood 『バルジ大作戦』視聴記。

1965年12月16日公開(米)

60年代らしいスタジオ撮影と野外撮影を合成したスペクタクル映画、若干気だるい。
アクションは豪華で大胆だが構図が平板とか編集のタイミングが遅いとか潔くカットできていないとか。
脚本には少々ロマン入ってしまっている。リアリズムと緊張感は低い。
のべつまくなしダラダラ鳴ってるオペラっぽいオーケストラ音楽がやかましい。
大作っぽさを追求してうっかりしてしまった感じ。

主にヘスラーの美貌に舌鼓をうつ映画。思っていたより若かった。
『史上最大の作戦』プルスカット役のブレヒ(従卒コンラッド)が今回も味わい深い。
フォンダとライアン、おっさん二人の掛け合いは息があっていて良い。
若いヘタレ中尉と律儀な軍曹のエピソードにはとりあえず萌えておけ。
その軍曹、彼らをだました偽MP隊長など、なにげに色男が多い。
お調子者と思われたガフィが野戦でがんばってからが面白い(2時間ほど待たされるが)

チョイ役と思われた中尉の成長物語でもあるというストーリーの流れは、その伏線が回収されるまでが長かったが、よくできていたと思う。サラサラ透明なペトロールは勿体なかった。日本軍に下さい(違)

肝心のドイツ軍戦車がなんちゃってなのは有名な話だけど、まとまって動くとやはり迫力はある。
大戦中の実用車を回収した本物には違いないらしい。クライマックスでは500台動かしたらしい。壊滅的打撃を受けたアンブレーヴの街は50万ドルかけて再現したセット。野外撮影は、暑さ寒さと戦車の居住性の悪さにより、やはり大変だったらしい。(DVD特典のインタビューより)

戦争自体については、1944年12月、アルデンヌの森。6月に連合軍がノルマンディーに上陸して以来、仏独国境まで押し込んでおり、終戦気分が漂い始めた頃で、独側は制空権が無いとか、「Petrole is blood」とか、古参兵すでになく子供のような新参兵ばかりで最後の大奇襲作戦に打って出ねばならないとか、色々と身につまされる。有名な Panzerlied は、その若年将校達が出撃前に歌うのであった。てっきりカッコいい場面かと思っていたが、切なかった。

そのわりに独戦車隊は砲撃の腕が良かったが、あれは指令車がやられて先任下士官に指揮権が移ったからということでよろしいのか。

ラスト近くで Panzerlied が戻ってくる場面は、断じて他のBGMを消すべきだった。ヘスラー大佐ばんざあああい。

キリー中佐:ヘンリー・フォンダ(1905 公開時60歳)
グレイ将軍:ロバート・ライアン(1909 同56歳)
ヘスラー大佐:ロバート・ショウ(1927 38歳)
その従卒コンラッド:ハンス・クリスチャン・ブレッヒ(1915 50歳)
偽MP隊長シューマッハ:タイ・ハーデン
歩兵隊隊長:カール・オットー・アルベルティ(1933 32歳)
燃料集積所で大活躍、ウェーバー中尉:ジェームズ・マッカーサー(1937 28歳)
ヘタレ中尉を助けた軍曹:ジョージ・モンゴメリー(1916 49歳)
「ランチは終わりだ」ウォレンスキ:チャールズ・ブロンソン(1921 44歳)
ガフィ:テリー・サヴァラス(1922 43歳)