2012/04/29

行かずして名所を知る 『宗像教授異考録』第5巻 拝見記。

ゴールデンウィークの予定は、ないです。
いいの何処いっても混んでるし暑いし子連れで渋滞はまると困るしトイレとか。
積ん読本と仲良くするってもんです。

ビッグコミックは購読しておりませんで『異考録』の連載は存じ上げませんでしたが、道成寺伝説を扱った回の収録にひかれて第5巻だけ購入して積んどいたものです。

スキンヘッドに太い口髭の教授はどんなタチ兄貴かと思ったら可愛いインテリおじさまでした。
今時ボウラーハットにインヴァネスはないだろう!とツッコミたいようなレトロキュートな出で立ちで、各地の遺跡発掘現場へフラリと見学にあらわれるらしい。
そこで民俗学の知見を生かして歴史の裏舞台を大胆に見抜くという、ホームズとドルリー・レーンと金田一耕助をミックスしたような印象のミステリー。『マスター・キートン』がこんな感じだったけど、あれよりもっと大胆ですね。

マンガで歴史を読むのは、衣装・建物など当時のイメージを得やすい上に、描かれた地図をじっくり見たり、ナレーションを読みなおしたり、ときに他の本を参照して理解を深めるということができるのがいいですね。(テレビだとできない)

魏志倭人伝、日本書紀など正史の記述と、民間説話の類似点を指摘し、まとめあげる手法は小説的想像力としてたいへん面白く、お見事。まるごと信じてしまいたい♪

旅の道連れとして毎回ちがう美女が登場するのも男性誌らしいお約束。007と違って教授はお色気方向に走る気が全然ないようなので、どちら様も安心して御覧いただけます。

歴史の謎解きだけならマニア向けの薀蓄たれなんだけど、彼女たち現代女性が家庭、恋愛などに事情をかかえており、味わいのきれいなメロドラマとして、しっとりした終わり方を見せるのもお上手。

観察者としてのレトロ親父は読者に既視感・安心感・信頼感を与える風貌で、彼と(助演でありながら)自分の人生を問いなおす主役としての現代的・活動的な若い女性の「同行二人」。エロでもお涙頂戴だけでもない知的な遊び。
現代の(と言ってももう6年前の掲載なんだけど)娯楽ってこういうものなのでしょう。

あとはもう少し細かいネタバレです。



道成寺伝説、じつは髪長姫と紀道成の物語だった、といった後でそれが安珍清姫にさしかわった肝心の経緯はすごいあっさり飛ばされましたね^^;
その点は「安珍清姫」の初出文献を挙げるという地味な作業になるので当然ですか。

ダイナミックな展開をもつ星ノ平の話は映画化したらいいんじゃないかと思ったけど仮説の大胆さに信じちゃう人続出だと困るのかも。でも信じたい。争いに岩船で蓋をした空海の心に感じ入りました。
でも隕鉄採取できなくなった職能民は困ったかもね。

小アジアか黄河流域か分かりませんが、どこかにいたはずの、隕鉄を「煮てみようぜ」「溶けるんじゃね?」と最初に思った人がスゴイと思いました。

『虫愛ずる姫』では玉虫をつかまえて彼女に見せてあげよう!という教授の笑顔が可愛かったです。悲しいお話ですが、美しい小品でしたね。

個人的には、道成寺ときけば小鼓方の掛け声が脳内に響き渡り、岩船ときけば赤頭のシテが「えいさらえいさ」と舞ってしまい、四国の地図を見れば『屋島』など思い出し、マンガ画面で神社めぐりをするのと二重写しで舞台を観るという豪華な経験をしたような気がしました(ノ´∀`*)
2012/04/27

なんでも腐っていく時がいちばん旨いのさ。映画『ツィゴイネルワイゼン』鑑賞記。

の下には原田芳雄が埋まっている。
「友よ骨まで愛してるぜ」的なことを言われて言い返せない青地さん気を強くもって下さい。
大谷直子はいい女優さんですなァ……

「キモ可愛い」って言葉がありますが、これは「きも綺麗」でしょうかね。夢野久作の小説世界に近いとまず思いました。泉鏡花でもいいや。谷崎の短編もいいかもしれない。

ひとくちに言うと男性視点の暴力的エロス、もひとつ言えば狂気の映像による表現なんだけど、『桜の森の満開の下』のような猟奇的描写があるわけではなく、貧しい門付け等の衝撃映像もあるけど、起きる事柄そのものは日常的に理解できるレベルで、ただその映し方が或る意味でほぼすべてロマンチックです。何よりも作り手が楽しんでいることがよく分かる。

男=死。知性ゆえの狂気。女=生と性。恋の妄執と、それを捧げられる男冥利。物語のつくりそのものは古典的で象徴的。分からないことはありません。

が、共感可能なストーリーはあるんだけど、それを「何がきっかけで何が起きました」と順番に絵解きするのではなく、「なんでわざわざこういう撮り方をするんだろう」といいたいほどの映像・演出の工夫そのもの、発想力を鑑賞する作品。イリュージョンですな。これはアニメではダメで、実際にこういう風景を探してきた、音を録ってきたってことの説得力。贅沢につくられていると思います。

男と女と男。女が妬くのはもう一人の女なのか、夫が本人にだまって娘の名付けに一字もらうほど親しい友人なのか、男が妬くのはもう一人の男なのか、「あいつとうちの女房ができてるに違いない」と思うのは「あいつ」の魅力を自分自身が認めてるからで、もう何角関係だこりゃ。

そして、よく食う映画。とにかく食う映画。その際の咀嚼音、蕎麦や汁をすする音が生々しく録られていて非常に気持ち悪く、だからこそイヤホン推奨。映画館で耐え難い音量で聴くとさらに気持ち悪くてよろしいかも。

役者の演技によって恋心をバーチャル体験するタイプの作品ではなく、観てきれい・聴いて気色わるいという観客の肉体的感覚・官能を直接刺激する野心作っつーか暴力的作品。暴力が描かれてるんじゃなくて作品そのもののありかたが暴力的。Mになりきって御覧ください。じっさい、長いです。
これを145分間観ていられた'80年代はゆったりしたいい時代だったのかもと思うなど。

実は'80年に入ってからの公開というのが意外に新しい作品だと感じられて驚いたくらいで、アングラいわれた70年代の作品かと思ってました。ま、企画・製作は'70年代の間になされたわけですが。

個人的には青地さん(藤田敏八)のセリフ棒読みに近い演技と、洋館に日本人が住んでいる舞台設定が戦後すぐの『安城家』『晩春』を思い出させて、80年代の映画ではなく40年代の映画を観ているような、いっそリアルに昭和初期にとられた作品を観ているような混乱に襲われました。

時代劇の話でもいいましたが、顔立ち・体型の変わってしまった現在の役者が衣装だけ当時のをつけても嘘っぽいんだけど、着流し&トンビがよく似合う原田芳雄、日本美人の代表的になまめかしい大谷直子を始めとする役者さんの存在感がドキュメンタリーを観ているような感覚を起こさせたんだと思います。

あとね、セリフのテンポが素敵でした。

腐りかけて実がぜんぶ蜜になっているんです。どうせ貴男はきもち悪がって召し上がらないでしょう?
蜜の中にね。毒のような苦味が混じっていて、食べ慣れるととても美味しいんですよ。

中途で目が覚めると、枕元の水を飲んで、また眠る。

気は確かか?
狂ってるよ。
2012/04/27

『マイ・ブラザー』と『向かいの窓』私感。

【ご注意】 ネタバレしないと話ができないのでネタバレバレです。



ブロークバックからジェイク・ギレンホールつながりで思い出す『マイ・ブラザー』、どっちもギレンホールという役者の誘惑的な妖しい色気で成り立ってる。

マイ・ブラザーは原題を『Brothers』といい、「兄弟」といいながらも実は兄ちゃんのの物語。
いや勿論テーマは観る人それぞれに受け取っていいんだけれども、ここでは2003年イタリア映画『向かいの窓』との共通点に言及する。

マイ・ブラザーは2009年末にアメリカで公開された映画だけど、リメイク品で、リメイク元は2004年の女性監督作品。つまり『向かいの窓』と時期的に非常に近い。

どっちも「子育てしながら旦那を待つことに疲れた主婦が、身近に現れた若くてきれいな男と不倫にハマリかけるが気を取り直す」というエピソードを主軸とする。

'70年代に『エマニュエル夫人』を通じて「同性愛にも挑戦して自由に生きるといいよ!」と言われた女性たちは、
'80年代には「リフトしてくれる男性なんかいなくたって、独りで踊れるわ」と言い出し(『フラッシュダンス』)、
'90年代には逆に男性を鑑賞するようになって、男性側もそれを逆手にとって不景気の時代を楽しく暮らそうと思い始めた(『フル・モンティ』)。

'00年代に入ると、女性たちは「自分で選んだ相手に責任をもつべきだ」と言い始めた(女性監督)、または男性監督から言われるようになった、というわけだと思う。

実は『ブロークバック』と『向かいの窓』にも共通項はあって、
「同性愛の男は好きに生きることができなかった、愛する人を指名して結婚し、一緒に暮らすということができなかった。その分も女性たちは自由に生きればいいし、自分で選んだ人生は責任をもって全うするべきだ」
というテーマだ。

そして'10年代に入ってブレイクしたのが『glee』だったというわけで、
これからは女性が男性、とくにその中の同性愛の人に協力したり、「勉強させて頂きました」と恩返しをする時代なんだと思う。

なわけで「ホモと目にするだけで嫌な気分になるからやめてくれ」と言われたら「そうですか失礼しました」と受けとめて引っ込めればいいと思うし、

29日の東京レインボープライド2012のご成功・ご盛況をお祈りいたします。
晴れてほしいです。



……ていいながら多角関係メロドラマを書いているのはリアルと物語が「完全に一致」する必要はないと思うからで、ここはお許し頂けると有難いです……
2012/04/22

トラックバックテーマ 第1417回「作業するときに音楽は聴く?聴かない?」

トラックバックテーマ 第1417回「作業するときに音楽は聴く?聴かない?」



聴かないです。聴くときは気分転換か、小説のために気分を出すときです。書き始めると、わずらわしくなって消してしまう人です。また「ぼんやり聴く」というのが苦手で。ちゃんと聴かないともったいないような。浸りたい派かもしれません。

映画のテーマ曲なら、その関連の記事を書いているあいだ、脳内で鳴っています。
『007 ロシアより愛をこめて』とか『エマニュエル夫人』とか、最近ループしてます。

昨日は春休みの続きで大掃除をしていたら『ブロークバック・マウンテン』の原語版と翻訳版がセットで出てきたので一気読みしましたが、ずーーっとあの映画テーマが頭蓋内に響いてました。

原語で読むと、ナタでぶった切ったような地の文が印象的。さらにイニスとジャックの会話文が変。不定詞が変なとこにある。まともな複文になってない。あの朴訥さとシンプルなギター曲が脳内でベストマッチします。あれはできの良い映画でした。

というわけで、聴いてきます。
2012/04/21

ドラッグストアで50年代の映画が500円

……で売ってたので、あれもこれもと欲しいと数え上げたら10本で5000円になるので踏みとどまりました。
「その作品なら観たことあるよ」という経験を買うにはお金が要るですね。

という経験を大ざっぱに敷衍すると「不景気だと文化の共有性が低下する」ですね。

世界中のマニアが保有しているビデオテープやLDから動画サイトにアップすることを低額許可制にするといいと思う。
観るほうも「違法なんじゃね?」という心配をしないで観ることができるほうがいいなと個人的には思いますーー
2012/04/21

『エマニエル夫人』雑感。

作中のパーティーでクリステルを他の女性が「エマニュエルよ」と紹介するので「あれ?」と思ったら、エマニエルはファーストネームなので「人妻であるところのエマニュエルさん」が正解みたいですね。

以下は性的な話題を含みますので苦手な方は回避なさって下さい。



女性客が女性ヌードやそのイク時の顔や喘ぎ声を見聞して「エロいー! 燃え萌えー! 私も濡れるー!」と思うことは同性愛的でおかしいとは言われないんだなぁ、むしろ推奨されるんだなぁ不思議なものだ、と思いました。

男性がAVを観て「女の子の顔よりも男優兄貴の背中がセクシー♪ 腰づかいがたまらない♪」って言ったらいけない(ことになってる)んじゃないか……とちょっと思う。



実はグルメ番組がよく分からないです(´・ω・`)
でき上がった料理や新作スイーツを「ほらこれですよ」と映されれば「わー美味しそう。買いに行くー!」と思うんだけど、なぜそれが他人の口に入るのを指をくわえて眺めなければならんのか。



その理屈でいくと異性愛女性に股を広げたい気分にさせるためにはイケメンの肉体美をいっぱい映せばいいことになるはずなんだけど。

現代では既にかなり「女性客の目を意識して男性タレントを起用する」テレビ番組・映画づくりがなされているので、その目で『エマニュエル』を観ると異性愛者の女性に同性愛経験を促す作品のような不思議なものに見えた、という話でした。

たぶんミッキー・ロークが色男役をやってた時代(80年代=74年のエマニュエルから約10年後)が、「女性の目で見た男性美」という視点が入ってきた時代だったのでしょうね。
(そしてローク自身はそれが嫌だったんだと思う……)
2012/04/20

1974年映画『エマニエル夫人』鑑賞記。

現代:Emmanuelle

ツタヤディスカスから郵送してもらいました。届いてから「さぁ見るぞ」と決めるまで5日くらいかかりました。007は着いたその日に観ました。すごいモチベーションの違いです。

実は冒頭だけ見かけたことがあって、エマニュエルが自分でお茶のしたくをするんだけど、この扉の赤いパリの台所が可愛いのよ! 
キモノスリーブのガウンを羽織りつつ、だっせー赤い靴下をはくエマニュエルも可愛いのよ!

これがなかったら観なかった。
いやでも過去の名作としてチェックはしなければいけない作品なんだけども。

以下の記事には作品の性質上どうにもこうにも性的な表現が含まれますので苦手なかたは回避なさってください。



シルヴィア・クリステルが可愛いです。ぜひ吹き替えなしで彼女の甘ったるいフランス語をお聴きください。萌えます。たぶん。
彼女はファッションモデルだったそうで、無駄のない体は目に優しく、清潔です。

肉体美を披露する女性は、役名のある白人女優が三人、あとはタイ人女性が数名、いずれもほっそりと小柄で愛らしく、アメリカ的「チーズケーキ」と違って日本人女性も親近感が湧く体型。公開当時の人気も分かります。

で、彼女たち同士でイチャイチャしてます。

ストーリーはほぼないです。ウィキペさんにも書いてある通りです。外交官の旦那が年下妻を奔放な女にしたいらしいんだけど、なぜ彼女を選んだのか、彼女自身は元々どんな家の娘だったのか、彼はいかにそのような人生哲学を身に着けたのか、掘り下げはほぼ無いです。
「だいたい予想できるでしょ」って感じで端折ってあります。
っていうか追求するより楽しもう、考えるよりやってみようって姿勢で貫いてます。

よって、基本的にはやってるだけです。そこの展開は非常にスピーディーです。女性たち下着もつけてないし。
日本人的には「平安貴族もこんなもんだ」と思えばよろしいかもしれません。

絵づらとしては、ゆったりと叙情的なバンコク観光案内に、ほんのイメージショット程度に短く性的エピソードが挿入されるバランスが丁度よいです。
行為としては色んなパターンが用意されているので「お好みでお選びください」って感じ。いずれも控えめな喘ぎ声が聞かれる品のいい描き方だと思います。

以下は個人的な感想。



いや女性向けといわれても私にこれをどーしろと(爆
エマニュエルの旦那のほうがよっぽど色っp(ry
ビーさんカッコ良かったです。
マリオさんちのヨーロピアンな調度が素敵でした。エロスがどーの長広舌をふるったわりに行為が簡単すぎて萌えないです、爺さま。
ラストの化粧の濃いのはドラァグに見えました。もはや「女とはこのように成長するもの、つくられるもの」っていうテーマがパロディとしてしか扱えないかな……
2012/04/15

映画『MW』は結城を主人公にしたピカレスク

……と思うのが間違いの元だな!(・∀・) という話。

嗚呼ちかびれた。
暖かくなって体を動かしやすくなったので、やっと新入学に対応して全室家具入れ替え。ひと段落ついたら気分転換に美男の出てくる映画のことでも考えるってものです。
さて。

2009年のあの映画。原作をきれいに換骨奪胎して映画の中で世界観を完結させているので、映画単体として語っていいと思う。
絵画的に美しい映像が多く、カルト的完成度の高い印象的な一本。
とまず誉める。
その上で「アクション映画をチラ見しながらBL系二次創作を読んだので、終わってみたら話がよく分かんなかった」みたいな混乱した印象がどうにかならないかなとずっと考えていた。

結論からいうと、
「友人の大胆な犯罪に衝撃を受けつつも、過去の事件からくる心の傷を彼と共有し、彼の復讐を応援したい気持ちと良心との狭間で悩む若き神父を山田孝之が主役として重厚に演じた現代心理劇。
相方・結城は「暴走する正義」として、伝統的には目隠しをした美女として表される裁きの女神の性別を転換させ、慈悲に欠けることを象徴させた魅力的な造形となっている。独特のほっそりした肉体美が前面に押し出されているのも見どころ」
……てことでよろしいかな、と。

娯楽活劇というのは思考停止したところに成り立っているので、ヒューマニズムと両立しない。
トムとジェリーに向かって「ケンカは良くない」とは誰も言わないし、
ジャイアンが弱い者いじめをしないようにカウンセリングを受けさせようという話もない。
ダブルオー要員なんて本当にいるのか、殺しのライセンスなんてあっていいのか、国家の秘密を守るために手段を選ばないのは果たして正義なのか、
と本気で考えてもしゃあない。野暮だ。

特に50~60年代は「国家は残酷な命令も出すもんだ」少なくとも多くの人がそのように思っていることを自明の前提として、そこから起こる事件を面白く描いて楽しめばいいじゃん、てことだった。
それが学生運動・反戦運動の時代となって、「こんな世の中おかしい」という気持ちを映画の中でも表現し始めた。

ヒッピー時代の反戦気分を「軍人として訓練を受けたことを逆手にとって大もうけ」というナメたストーリーで現したのが『戦略大作戦』だったり、
怖いもの見たさ優先でいいはずの憑依ものの中で「悪魔とは何か」と大真面目に問うたのが『エクソシスト』だったりする。

で、『MW』は冒頭にジャッキー・チェンの香港映画を現代的にしたみたいなキッチュかつクールなアクションで始まったもんだから、華麗な悪役に実直な刑事の手がなかなか届かない「猫とネズミ」のパターン、『セブン』を軽い味わいにした小粋な娯楽活劇かな……と思うと、
途中から犯人と友人のイチャイチャが始まってしまい、なんだこれ男同士のメロドラマだったのか?
といって心中して終わる、または逮捕・収監された犯人へ「俺は待ってるぜ」と言ってやる、等メロドラマとして完結するわけでもない。
大山鳴動して結城のキャラクター性も沢木との関係性も変わらない。結局なんだったんだ。こんな感じか。

残酷華麗な結城の犯罪を娯楽映画として楽しみたい観客にとって、賀来が提出するのは「劇場型犯罪を面白がっていいのか?」≒「こんな映画を面白がっていいのか」ってことで、「いいわけがない」と思うからこそ止めに走る刑事が一方の主役なら客も感情移入しやすく、そのタイプのストーリーならハリウッドでも幾つも作られてきたけども、
そう思いながらも止めることのできない賀来の存在は、「どんなニュースもテレビで観るしかない一般ピープルの代表」であり、観客自身の姿であり、割と興冷めな、うっとうしいもののはずなんである。
いない方がいいもののはずなんである。じゃなんで居るのか。
彼が主人公だから。
結城によって引き起こされる彼の悩みっぷりが本筋だから。

でも実は「悩んでもしゃーない」という結論は出てる。
どこの軍にも政府にも本気で責任をとらせるストーリーは結局できない。
『相棒』劇場版一作目はやったっちゃやったけど取材陣が騒ぐという安っぽい方法によるしかなかった。
毒ガスによる脅しは使ってこそなんだけど『ザ・ロック』でも本気で競技場を襲うことはしなかった。
『デス・ノート』では大人数が倒れたけども、あれは非人間的存在を出演させてしまったファンタジーなんで、結城美智雄はいちおう人間だし、復讐がかんたんには成し遂げられないからこそ彼の知能と大胆さが意味をもつとすると、リアルな世界観を崩すわけにもいかない。

で、そのばあい結局「巨悪は罰されない」というお約束を踏むことが予定されていることは客も分かっちゃってるし、そもそも「非を認めて総辞職」なんていう復讐成功ストーリーは望まれておらず、「どうせこんなもんさ」という苦い味わいがむしろ予定調和として期待されている。

となると、賀来の悩みの意味は。
彼の悩みっぷりを鑑賞することが映画のテーマってことになる。
ぶっちゃけ「萌えーー」と叫ぶのが正解。
と、やっと思った。

007シリーズに登場する悪役の、グラントにしてもスペクターの幹部にしてもオッドジョブにしても、なぜ彼らは悪の道に入ったのか、生い立ちは、心の傷は、と想像をめぐらせることはできる。グラント等はなぜ007を他の相手と同じように銃弾一発でさっさと片をつけないのか、といえば「それじゃ困る」という脚本上の都合なんだけど、そこを敢えて「実は過去のいきさつから来る私怨が」などと憶測をたくましくするのがファンの楽しみってもんで、
これは人間性の切り捨てによって出来上がっている娯楽作品にわざとヒューマニズム、リアリズムを適用してみる遊びだ。
それを遊びじゃなくマジで「観客(読者)の姿勢を問う」ってつもりだった原作を、現代に蘇らせたら、既にどっちも「お約束」の域に達しており、なんか本編アクションとファンフィクションの抱き合わせみたいな印象になった挙句に痛快娯楽にも深い自省をよぶヒューマンドラマにもなりきれなかったのかな……
という辺りで一旦締め。
また他の作品を観たら考えが変わるかもしれない。
2012/04/13

金塊はいろいろに使えます  ~『007 ゴールドフィンガー』鑑賞記。

レンタルDVDにて。1964年英国。映画シリーズ第3作。

えーと……テレンス・ヤングはいい監督だったことだなぁ(詠嘆)

監督が変わって鋭いサスペンスタッチが失われ、B級活劇っぽさが増しました。それだけに一番面白いとも。男の遊びごころ満載。
お色気もやや悪趣味なほうにパワーアップ。秘密兵器と秘密基地はこっから豪華になります。この頃はぜったいにCGってことはなく、ぜんぶ実際につくって動かしていたんだよな、と濃い手作り感にワクワク(*´∀`*)
ただしそこまでが長い。

ストーリーは今までで一番単純で、金塊強奪。
秘密組織スペクターは前作で幹部を失っちゃった格好だからか、独立の敵役がゲストキャラとして登場、ゴールドフィンガーはそのコードネームではなく本名という単純かつゆるめな設定。
彼の重厚華麗な秘密基地までは、まったりとファンフィクションを眺めるような生温かい眼でご覧ください。

ファン心理をくすぐるコメディタッチの演出が大幅に増えたんですが、どうも作り手自身の側に「萌え」のようなものが発生してしまっているらしく、「こういう場面よくあるよねーー」「あるあるーーwww」という素人目線を感じます。まぁそこを上手く突いたといえるかもしれない。

ボンドガールの扱いは粗末になりました(´・ω・`) 

『ドクター・ノオ』『ロシアより』では女は単にお色気担当で、イイ女が出てくるのに今イチ活躍せず物足りませんでしたが、つまりヤング監督がいわゆる男のフェミニストだったのかもしれない。「お嬢さん、お疲れ様、ここからは休んでいていいですよ」みたいな扱い方を感じました。

今回のハミルトンは、ボンドに「女は怖いな」と言わせ、女性キャラのほうにはボンドを(彼が女性を girl というのに対して)boyと呼ばせ、「男に興味ないの」と言わせ、かつ、最後までコキ使いますw

空中サーカスの美女搭乗員せいぞろいシーンにはニヤニヤしてしまった(・∀・)
あの吹奏楽器に変声器をつけたプワワーンという「お色気効果音」がいいよね!

以下は更に具体的な場面に言及するので未見の方はご注意ください。
あと女性目線の萌え語りもしちゃいます。苦手な方はご注意ください。



頭にカモ(爆

俺はカモ。あのシーンは画面を切り替えないで、カモの下から人の顔が出てくるのへズームすると誰だか分かる、という映し方がよかったなw

ウェットスーツの下にタキシード。神恭一郎やムウ・ミサがやっていたのが思い出されて懐かしい(順序が逆)

酒の薀蓄をたれながらゴールドフィンガーの話をするあたりとか。ゴルフ場のシーンとか。あのへんのテンポが、かったるかったです。
たまにゃボンドが英国紳士らしくゴルフに興じる姿も見てみたいというファン心理は悪かない。ゴルフ場の景色とクラブハウスの建物とボンドのフォームは美しく、目の保養だったけど、あの「ボールすり替え」のあたりの脚本はばっさりカットしたいくらい。ヤングならもっとキビキビまとめたと思う!

敵と相対してからは、ボンドが殴られたり、スッ転ばされたりする場面が今までより多く、彼の前髪がチョロッと乱れている可愛い姿をひんぱんに見られるのが嬉しい。独房の隅っこで膝をかかえる姿も萌え。

序盤は「こういうシーンあるある」お色気大盤振る舞いですが、彼のセミヌードには最早みなれてしまった。大の字縛りのレーザー拷問シーンこそ脱いでいてくれないと(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン

エキストラ大量動員のフォートノックス周辺シーンは……笑っていいんですよね?
門扉が爆薬で吹っ飛ぶシーンはなかなかでした。熱線銃は日本の特撮にもよく登場した感じで懐かしかったです(これも順番が逆)

いろいろと金かけられるようになったことがよく分かります。
ヤング監督を「職人肌」などと言うのは、技術は高いんだけど、トーンがやや暗く、こういう明るくはっちゃけた感じがないからですね。
ハミルトンはこのあと3本撮るので、私が子供のころTVで観たロジャー・ムーア版は、このテイストだったのでしょう。

女性機長ガロアは魅力的な存在で、そのくせ名前が「プッシー」なんだから男ってのはしょーがないな(苦笑)て感じ。
彼女がボンドの脚を取ってひっくり返すシーンは爽快でした。よしそのまま馬乗りになっ(違
彼女、あれで爪はちゃんと塗ってるんですな。

アメリカのマフィア達の誇張した演技は微笑ましかったです。
「アメリカってよくこういう奴らいるよねー」「いるいるー」とイギリス人の作り手がまず楽しんでいそう。

ゲルト・フレーベが軍服を着てると安心しますw
くせのある英語が面白いけど、しゃべれたのか?と思ってたら、やっぱり吹き替えだそうです、っていうような薀蓄はウィキペさんをご参照ください。
帰りの飛行機の本来のクルーの緊縛姿を巻き戻し再生してみたり。

そうそう、人間は両生類じゃないので皮膚は呼吸器官じゃありません。化粧品のCMにもだまされないでね。

どうも70年代が子供時代、80年代が少女時代だった者としては、「007か、懐かしい」という気分はありませんで、どーしても『ルパン3世』(赤ジャケのアニメ版)と『エロイカより愛をこめて』を連想するです。「ほんとのスパイの働きっぷりってのはこうじゃないぜ」というのを女性が描いてしまったエロイカ、というかエーベルバッハ少佐は、大した意欲的なキャラクターなのでしょうね。本国(?)ドイツの正規軍にも人気だそうです。

さて次回作はまたヤング監督で『ダイヤモンドは永遠に』
また雰囲気が変わるのかな? 楽しみです。
2012/04/12

思いつくままに主観的に並べる映画史。~男女もののレトロ感。

1977年『スター・ウォーズ』
1977年『宇宙戦艦ヤマト』劇場版
1978年『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』
1979年『エイリアン』

1980年『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』
1980年『ヤマトよ永遠に』
1982年『遊星からの物体X』
1983年『フラッシュダンス』
1983年『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』
1984年『ターミネーター』
1986年『エイリアン2』
1987年『リーサル・ウェポン』
1989年『アビス』

1991年『羊たちの沈黙』
1991年『ターミネーター2』
1992年『エイリアン3』
1993年『ロレンツォのオイル』
1995年『セブン』
1996年『ツイスター』
1997年『エイリアン4』
1997年『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』
1997年『イベント・ホライゾン』
1997年『G.I.ジェーン』
1997年『フル・モンティ』
1998年『ラッシュアワー』
1999年『マトリックス』

2000年『クリムゾン・リバー』
2005~2007年『ROME』(これだけTVドラマ)
2007年『300』

全身に金のスパンコールをまとったピタピタ衣装の男性がセクシーに踊るゲイゲイしいテレビCMを観て、中1の娘が「懐かしい」と申したでございます。「バブルの頃みたいな派手さを感じた」という意味だったらしいです。お前バブルの頃にも生まれてないだろう。
(※あまりにも映像の印象が強くて商品名おぼえてないですw)

脳は実体験とバーチャル情報を区別できないのだそうで、そりゃ視神経・聴神経から入ってくる刺激であることに変わりないですもんね。
だからテレビ・映画で観たことのある風景を実体験したことはなくても懐かしいと感じる。また人間には共感能力があるので他人が懐かしい思いをもって語る話をきくと自分も懐かしいような気分になる。
『トトロ』とか例にあげるまでもないですね。
このリアリティをともなわない懐かしさを最近(?)では「レトロ」と称する、とします。



で、007みたいに男と女が協力して働くとラストはキスシーンという映画も、もはやレトロなんだろうと思った。
ついでに「男同士なんてあり得ない」とキャラクターが自分で言ってしまうタイプのBLも、いずれ「レトロな味わい」と称されるようになると思う。既になってるかもしれない。

ロミジュリや道成寺や八百屋お七みたいのは、ロマンチックがってないで助けてやればいいのに、周りが気をつけて好きな人のところへ嫁がせてやればいいのに、社会が悪いのよ、ということもできる。
失楽園や冬ソナやセカチューなんて流行る(じゃっかん古くてごめん)けど本当は本当に辛いのよ、ってこともいえる。
でも言わない。
娯楽としての悲劇ってことがあって、一定の需要があれば一定の数が制作され続けると思う。
「最近そういうの減ったなぁ」と思う人が自分で書くし。

女性が「男性の肉体美を鑑賞したい」ってことでゲイ雑誌のお相伴に預かり「ごちそうさまでした、次号も楽しみに買わせて頂きます」で済むならBLは発生しない。女性の自意識・恋愛における願望を反映させたいからこそ発生した。けっきょく妊娠こそ至高という価値観をもって描いても、「それ以外の価値観を排除するものではありません」という意識をもった上で異性愛者のための娯楽フィクションという価値づけを明確にすればよろしいのではないかと思うし、現にそのようになっている。



同性婚・LGBT兵士の国軍エントリが多くの国で認められる現在、「同性愛もあり」の時代の恋愛リアリティは、まず相手が自分と同じ性志向であることを確かめなければならない。
でないと『glee』でメルセデスがカートに泣かされたみたいな話になる。あれでLGBT青少年を責めて、また彼/彼女自身が自分を責めて終わりになるようではいけない。『相棒』の「ピルイーター」の回なんてもっとひどかった。

で、確認したら違ったっていう場合は引き下がるのがリアルにおける正解で、それに反してゲイ男子を異性愛女子の魅力で、ノンケ男子を美少年の魅力で、または興味がないというものを俺さまのテクニックで、それぞれの世界に引きずり込むといえば、願望を描いた娯楽ということになる。
そういう需要にこたえたB級作品、好色文芸として開き直り、「差別を助長する意図はありません」と断り書きをした上で楽しむ時代になると思う。



で……「確認したら違う可能性がある」とすると、ドラマが作りにくいわけだ。
「恋がうまくいくかどうか」がスリルになり、アクション映画のスパイスになるのは「ダメという結論が出てる」からじゃなくて「可能性がある」からだ。観客が予定調和を期待するからだ。
でも世の中、性に興味のない人もいれば別の相手を希望する人もある、そこまで描きこまなければ偏った作品ということになる、……というと、もうそこを描かないでアクションに徹したほうが楽だ。

全ての人がロマンチックと思う作品を作りにくい、あるいは「この作品をロマンチックと思わない奴はおかしい」という価値観がまかり通る時代が終わったので、「全ての人が残酷と思う話をつくるほうが楽だ」ってこともある。
地方在住一般人的感覚としては『羊たち』の辺りから一気に「ホラーとは言わないが、大人のための残酷童話」みたいのが増えたように思っている。
「娯楽としての残酷描写」が行き着いた先が『300』かもしれない。

ラノベにおいて人が簡単にしぬのが許しがたい・恐ろしいという文章があった。ラノベの発祥も諸説あるようだが90年代でいいと思う。小説『リング』は『羊たち』と同じ1991年の発表で、同じ「これを受け取ると」という都市伝説型アイディアが00年代には『デスノート』『イキガミ』等のマンガになる。大人から子供へ。緻密な推理小説・高い金払って観る映画から安価なマンガへ。

などと思いながら過去の映画を思いつくままに挙げてみた。
大ざっぱに、
70年代まではアクション・戦争と同時に若い男女の恋愛感情が育つようすを描くのがヒットのお約束だったのが、
80年代以降は女が一人で頑張る、と同時に「既に結婚している」「既に子供がいる」「昔は結婚していた」という話が増えたかな、と思った。
少し後だが『ツイスター』は離婚した研究者夫婦が共同研究活動によってヨリを戻す、というひねったハッピーエンドだった。
タイトル忘れたけどメル・ギブソン主演でやっぱり「遊び相手なら昔の女房がいちばんいい(体の相性も分かってるし)」という話もあった(リーサルウェポンのワンシーンかもしれない)
「いかにくっついたか」を端折って、「すでにある夫婦愛・家族愛を確認する」ってのが増えたかもしれない。

90年代に入ると「男が二人」が増えるようだ。また宇宙船・深海探査船など限られた空間に男女同数ていどのクルーが閉じ込められるが、恋愛感情が育つ様子は描かれない、てことになったかな、など。

揺り戻しがあったのが00年代で、冬ソナとかセカチューとか純愛が流行ったと。ノッキン・オンも日本では男女ものにリメイクされたしね。
男同士のメロドラマである2005年『ブロークバック・マウンテン』も実はこの流れだ。娯楽としての悲劇。あれは映画化までに実は10年程かかっているが、世の中の側にメロドラマとしてなら受け入れるという姿勢ができたのだろう。

個人的には00年代作品というと『スウィングガールズ』みたいに女の子ががんばるもの(といって「涙が出てきちゃう」なんて言わないもの)、『のだめ』みたいに男の子も女の子もそれぞれにがんばってるものが好感度高い。
CG多様の残酷もの・都市伝説型ホラーについては上に書いたので略。
2012/04/09

007雑感。

ショーン・コネリー版公開時は生まれておりませんでしたので、今回が本当に初見です。

ロジャー・ムーア版なら子供の頃にテレビ放映でチラッと見かけました。
チラッとなのは週末夜九時からの「洋画劇場」での放送で、子供は寝る時間だったから。

作りものっぽい宇宙船や秘密基地、奇抜な秘密兵器が登場し、ついでにハダカのお姉さんが出てくる、「大人のための特撮ヒーローもの」みたいなもんだと思ってました。

そう思って考えなおすと、『ドクター・ノオ』『ロシアより愛をこめて』には大した秘密兵器は出てこないのです。

『ノオ』はまだしも秘密基地とロケット発射(モニターしてるだけですが)シーンがあり、あれがシリーズの原点になったことが伺えますが、
『ロシア』はアクションの舞台がイスタンブールの街とオリエント急行の中。各組織の協力者が汽車を待ち構え、ときには体(車)を張って止めるあたりは『史上最大の作戦』にあったレジスタンスの活動など思わせ、ドキュメント・タッチと言っていい異色作だと思います。

ゴールドフィンガーとサンダーボールをスッ飛ばして『二度死ぬ』を観てしまったところ、『二度』は日本の情景が充分に美しく映されており、大事にしたい作品ですが、「美女にもてるスパイが現地人の協力を得て秘密基地に潜入」というアイディアとしては形骸化しているのが伺えます。

毎回思うのはボンドの、っつーかコネリーの、やや甲高い早口の台詞まわしが、失笑寸前の娯楽活劇に緊張感を与えていること。『史上最大』のフラナガン様も熱演だった。あの吹っ切った気障な演技が好き。

グラント役のロバート・ショウは、また輪をかけてハイテンションで、じゃっかん声量も大きかったような気がしました。
英国俳優のあれは舞台で鍛えたからでしょうかしらん。

ジョン・ウェインやロバート・ミッチャムなど米国俳優は同じ英語でも眠たそうな、つぶやくような、口ごもるような喋り方をしますね。あれが飾り気のないアメリカ男の色気ってことなのかもしれません。

たぶん米国人が英国人の真似をしたら気取った口調に聞こえて、逆は礼儀を知らない奴、みたいに思われるのかもしれない。
エリザベス・テイラーはハキハキして英国流に近かった。ジェームズ・ディーンは……。

あ、今は『ゴールドフィンガー』DVDの到着を楽しみに待っているところです。
2012/04/08

you are stuck with me 映画『ジャイアンツ』視聴記。

ツタヤディスカスでDVDを借りてます。
野球の話じゃないです。
そして邦題はジャイアンツだけど原題は『GIANT』で単数形です。

作中の誰が「巨人」なのかと思いながら堂々2枚組を一気に堪能いたしましたが、感想を書く前にちょっとググったところ、1920年代当時の米国では一日五万バレル以上出る油田をジャイアントと呼んだそうです(こちら

一気に堪能できたのは、重い社会問題を織り込んだ25年間にわたる大河ドラマでありながら、惜しみない編集によるテンポの良さと、豪華な建造物・ドレス、エリザベス・テイラーの美しさ、彼女を思い続ける男たちの純情という女にとって気分の良い道具立てで魅せてくれるから。
あらゆる意味で贅沢に作られたことが分かります。

音楽は雄大なメインテーマがテキサスの景色に合っていて素敵だけど、実は作中人物の一人によって繰り返し奏でられるドビュッシーの「月の光」や「オールド・ラング・サイン」など、控えめな音量でさりげなく使われる耳慣れた曲が、懐かしさ・古き良き時代への追想、というようなものを掻き立てるのでした。
また作中人物の一人だけ、その登場シーンに伝統的な西部劇らしい音楽が使用されて、男らしさを演出しておりました。おしゃれです。

そしてワーナーカラーは絵画的に色がきれい。やっぱりセピア、ブラウン系の色が良い。テキサスの広い空に浮かぶ雲の映り具合の美しさだけでも観る価値はある。

そしてテイラーの眼が確かにスミレ色がかって見える……

今日四月八日のリアルな戸外はお花見日和、ちょっと買い物に出たら街はどこも満開で薄紅色に染まっておりましたが、奇しくもこの映画の序盤でも若きヒロインがふんわりと甘い桜色のドレスをひるがえしておりました(*´∀`*)

基本的には彼女の女一代記。緑したたる東部から、惚れた男にくっついてなんも考えずに砂ぼこりだらけのテキサスへ。
最初はまったりした若い男女の甘々ロマンスか、これが2枚組で続くのか…と思いましたが映像の美しさに見とれている内に急展開。

1956年の作品ですから最早「古典」というべきで、ストーリーはヒネリ、ケレン味、遊び、息抜き的なギャグのいずれも一切なく、ごくシンプル。先が読める展開ですが、そのハマる感じが気持ちよく、いわゆる「お約束」が、そう称されてしまう形式化に陥る前の、清新だった時代の骨太さと緊張感にあふれています。

西部を生き抜く知恵と東部の教養、男と女、小姑と嫁、地主と小作、白人と有色人種、牧畜と石油、世代間。
あらゆる対立を皮肉にも笑いにも紛らさず真正面から。しかもそれを豪華な背景のなかで美的に描こうという芸術的な意識の高さのようなものが心地良いのでした。

テイラーはそれに見合う美貌と、知的で誇り高く或る意味残酷で、しかも哀愁を帯びたようでもある表情をもっていたと思う。
最初に予定されていたキャスティングだったというグレース・ケリーだったら、ちょっと清楚なお嬢様っぽすぎたかもしれない。ディートリヒは実はじゃっかん天然ぽいし、とあえて言っておきます。

他の出演者からリアルに頭ひとつ抜きん出たロック・ハドソンの存在感が光る。一見地味な西部男の役で、ディーンの個性的な演技と好対照なんだけど、いぶし銀の太いリングにダイヤモンドが埋め込まれてる様な印象です。

ディーンといえば彼がクレジットタイトルに名を遺した三本のうちの一本でもあり、最終章でもある。自分の出番の撮影終了数日後に自動車事故。この作品中で人生そのものを演じきっちゃったような感じですな……

14年後の『戦略大作戦』(Kelly's Heroes)でケリーを演じたクリント・イーストウッドがディーンとそっくり同じ髪型をしていた上に、つぶやくような台詞まわし等の演技も連想させるところがあるように思います。1930年生まれのクリントはこの映画の公開時は26歳。憧れたのかな? っていうかディーンに憧れなかったアメリカ人はいないかな?

いろいろな役を演じ分ける、というタイプではなく一貫して「あの」調子のまま、いってしまいましたね……。
一歩間違えれば上っ滑りするような難しい(言ってしまえばアルコール以前に自分に酔ってるような)役作りばかりでしたが、彼はこれでいいんだっていう変な説得力がありました。

テイラーに戻ると、『クレオパトラ』は特に衣装などに撮影当時の趣味・流行を反映させすぎた「なんちゃって史劇」でしたが、こっちはず~っと堅実なつくりで好きです。
60年代に入ると映画がテレビに負けて、ヌードそのものなど観て分かるエロスや暴力といったセンセーショナルさを売りにすることに走ったような気がする。

と言いつつこの作品のクライマックスは古き良き西部劇の基本=男の勝負は拳でつけるぜ、なのでした♪

若い男と若い女が出会えば間もなく、そして当たり前のように子供が生まれ、世代が引き継がれていく。
男の財力と権力の陰で女は自己満足的な慈善をほどこすことができるが、男が本気で信念を貫こうと思えば、やっぱ体を張るしかない。女は彼の尻をたたいて自分の理想通りに育てつつ、評価と人生の潤いを与える女神。

先日、有吉佐和子の『紀の川』を読んで、こういう小説はもう書けないだろうな、と思いましたが、この映画も原作は女性。こういう映画も、もう作れないのでしょう。

あとは……更に細かいネタばれになるのでご注意下さい。





何もない大西部の荒野にポツンと建つ、いかにも異質なルネサンス風の暗い邸宅が素敵でしたが、第二部では一転して白を基調にした東部風に改装され、ほこりっぽかった庭にも細い=まだ若い木が植えられて、東部を彷彿とさせる庭をつくろうとしているらしい。
夫の譲歩による夫婦の宥和の象徴。
それまで作庭など思いもせず、汗にまみれて働いていたベネディクト家に、東から吹いた春風。変化を受け入れる兆し。そこへジェットから成される提案。
うまいことつながってるという、ああいうのが台詞で説明されないとこが好き。

酒瓶の棚のシーンは、酒がもったいないと思った。
でも気持ちよかった。
ああいう見どころが長く映されすぎず、さっとカットしてあるところが粋ですね。

そして、日本人としては、自前の国土で石油が出る国、いいなぁ。プールサイドのパーティが「戦時中」だもんね……

ところでアンヘル君の葬儀で旗をたたむ士官の一人が妙に大きく映されていたのがプレスリーに似ていたのは気のせいですか。
2012/04/06

Kiss my foot! 『007 ロシアより愛をこめて』試聴記。

ボンド様に手の甲をひっぱたかれてみたいです♪

いや……これはすごいね。

って今さら言うまでもないのですけど。
グラント vs. ボンドの直接対決シーンはあまりの息詰まる緊張感に逆に耐え切れなくなってコーヒーを一服しに立ってしまいましたわ。

場を支配するロバート・ショウの独特の口調が効いていますね。さすが戦車隊長(違

『史上最大の作戦』のフラナガン様と『バルジ大作戦』のヘスラー大佐そろい踏みというので借りたのでした。その前にまずはシリーズ第一作と思ってドクター・ノオを先にして、こっちの届くのを待った甲斐があった。
乱闘シーンの前評判がいいことは知ってたけど、せまい車内で大ぶり無しの肉弾戦。マジ痛そう。お腹いっぱい胸いっぱいですな。この二人のあれやこれやの二次創作は世界中にごまんとありそう。

これ一本で007の魅力は全て堪能できるってくらいチカラの入った作品ですが、でもやっぱりドクター・ノオから観たほうがいいと思う。いろいろパワーアップしてることが良く分かる。

第1作というのは次があるか分からないので、やりたいことを全部つめこむから、低予算の割にできがよく、そのヒットを受けた「リターンズ」は金かけられるぶんアクションやロケが派手なんだけどストーリーが間延びしてるなんてのはありがち。でもこれはすごかった。いやだから作品そのものの前評判も高いのは知ってたんだけどこれほどとは。

英ソ対決に謎の組織が絡む三つ巴のだまし愛もとい騙し合い、惜しみない編集による凄まじいテンポの良さと最後まで続く高い緊張感、アクションとエロスの饗宴による興奮。もう一人のゲストキャラとしてイスタンブールの協力者がいい感じ、という以外はあらすじなどは詳しく語りますまい。
男も女も脱ぐ!殴る!(いろんな意味で)やる! 
娯楽活劇に徹してドライな残酷さもごちそうのうち。A級に限りなく近いB級、と誉めてます。
メイルヌードや男女のラブシーンに拒否感さえなければ、観るといいと思う!

以下、「こういうシーンが楽しかった」と感想を申し上げるため、じゃっかんネタばれ。

☆☆☆

ベリーダンスの素肌にキャスト&スタッフが映るオープニングのセクシーには手に汗。
すっごい読みにくかったけど。
慣れたメンバーってことでシリーズ2作目ならではなのでしょう。

グラントにサンオイルを塗るおねえさんは脱ぐ必要なかった気もするけど!
喫煙が映されていることとあわせて、いい時代でしたな。
煙草を口実にグラントを引っ掛けるのは今ではできないエピソードでしょう。

ショウのプラチナブロンドが暗い背景によく映え、コネリーとの対比もよく、いかにも冷たい感じで素敵でした。

ロケの雄大さ、イスタンブール観光案内な部分も素敵。『二度死ぬ』よりも都市の造りの特徴がサスペンスフルなストーリーの中にしっかり活かされていて、まったりしなくて良かったですね。
スペクターの訓練シーンは、ああこれが形式化に陥ったのが『二度死ぬ』の武道シーンだったのか、など。
特撮・合成はじゃっかんアレですが、当時としてきれいにできていたと思います。

ホテルのフロント嬢などチョイ役に至るまでボンドガールと称するのですけど、この時代はみなムッチリめのセクシー美人で目の保養。
ベリーダンスを素で楽しむコネリー様もご愛嬌。デューク東郷だったら顔色かえないだろうけど。
ロマ集落襲撃シーンはスティーヴ・リーヴス主演のイタリア製史劇みたいで懐かしい感じ。

007役はそもそも最初に当時欧州で最高ギャラ取り俳優だったリーヴスにオファーがいったのだそうで、ギャラの低さに彼が断ったことがコネリーの台頭を呼んだわけですが、50年代のスターはジーン・ケリーみたいにどんなに男の色気をまいてもダンスという枠の中だったわけで脱ぐことはなかったのが、リーヴスによって肉体美を見せびらかし女にもてるという活劇キャラが確立し、社会派でもフィルム・ノワールでもない娯楽映画という路線のしかれたことが007の映画化を可能にしたので、リーヴスが映画史に果たした功績はもっと評価されていいと思う。
などと最近思ってます。

『ロシア』に戻ると、ヒロインのタチアナが激美人で声も低く大人の色気なのに時々しぐさが可愛らしいのが微笑ましかったです。

BGMが派手なのはこの頃の映画の特徴なんだけど、なにしろあのテーマとこの主題歌。邪魔どころか!
第一作で評判のよかったテーマ曲が何回も効果的に使われていましたね。
007シリーズで最も官能的なのはもしかしたらあのテーマ曲かもしれません。
From Russia with love, I fly to you ♪ はシリーズ通して主題歌のなかで一番好きです。
ショウとの対決シーンは一転して静寂のなかだったのが気が効いていました。

演出がすごいと一番思ったのは、カメラに偽装した録音機越しの会話が英→マネーペニーのデスク→イスタンブールと切り替わる一連のシーン。映像ならではですね。 

あと?

ラストショットのコネリーの長い指がセクシーでした。
にこにこ愛想いいくせに決して美女に心を許さず人生を預けないボンド様すてき。