2012/05/30

1957年映画『戦場にかける橋』鑑賞記。虜囚なれども奴隷にあらず。

って誇り高き英人捕虜の演説に、ついもらい泣きする日本人。古い作品なのでネタバレでいきます。



「我々が文明の手本になるのだ」収容所の英人捕虜と日本軍の対立と協調、英軍特殊部隊の苦闘を、真正面から、なんのシャレもコメディっ気もなく雄大に清冽に苦々しく描いた161分。嗚呼イギリス。嗚呼デイヴィッド・リーン。
丁寧な語り口は地味ながら、太いストーリーラインが二本絡み合い、どう落とし前をつけるんだと緊張しっぱなしで顎関節が多少痛くなったかもしれません。

そして戦争映画の格調は、男優のこき使われ具合によるかもしれない……

なにせ「オールロケお疲れ様でした」と手をつきたくなるような作品。
なにが苛酷って監督が苛酷。CGの無い時代に、実際に空の色、光の色が変わるまで撮影したのですね。
酷暑の南方でも和の心を忘れない、我らがセッシュウ・ハヤカワの居間にかけられた掛け軸が、外からの風にフワリとひるがえったのには参りました。

リアル軍隊には整備兵など「戦闘には参加しなかったが行軍はした、暑かった、泥にまみれた、捕虜になった」という人がいるわけで、こういう映画に参加した役者さんは、彼らと似た経験をしたことになるのではないかしらん。
そういう経験の積み重ねが、俳優の面構えをよくするのかもしれません。

『グラディエーター』では、闘技場など半分しかセットを造っていないのを、角度を変えて撮り、つなぎ合わせることで広く感じさせたそうで、また敢えて乱闘の中から撮って臨場感を出してましたが、
こちらは雄大なワイド画面。
広場に整列した兵員すべてと、茅葺き(バナナ葺き?)の兵舎と、その向こうの緑濃い山と、その上の青空までが一望。
泥まみれ汗まみれの兵の列の上に、いつも鮮やかな青い空が映っているのです。
その遠くから撮るカメラの、待ったなしの長回しに耐えるギネスと早川雪洲の、「静中動」みたいな抑えがききつつもテンションの高い演技。
間違いなくだんだんやつれていくギネスと、激しく苛立ち、毒づきながらも、ただの悪役・やられ役ではない威厳を感じさせる早川。
面目をつぶした三浦技師をからかったようには映さず、簡単に倒されてしまった見張りの日本兵にも待つ女性はいるのだ、と敵味方双方の痛みをさりげなく示す。
台詞は短く、掛け合いはスピーディー。
ナレーションなし。
滝川の岩場で三人ほど倒された構図は素晴らしかったですな!

1957年にこれをやられちゃ後が続かないじゃんみたいな。

有名なテーマ曲の明るさと、似た時代を撮った『大脱走』のイメージが重なって、橋の建設そのものにまつわるアクションコメディタッチの映画だと、長いこと思ってましたごめんなさい。
(大脱走もコメディではないんだけども)
実見したところ、『暁の出撃』と印象が重なり、イギリスだなァ……と思いました。実際に部隊が動き出すまでに一時間かけて状況と人間関係をじっくりどっしり描く辺りが。
そして作戦成功を決して喜ばない辺りが。

これを見て育った世代を今のドラマで納得させるのは至難の業などとまで思わせて頂きました。
2012/05/23

反応するホームズ先生が面白い。

今日は『四つの署名』♪

ドルリー・レーンにも神津恭介にも、ついでに神恭一郎にも、彼らの活躍を伝える語り手である友人というのはいるんだけど、彼ら自身はいつでもクールで知的だ。

ホームズ大先生だけが、ワトスンの一語一語に反応し、赤くなってみたり、ふてくされてみたり、ムキになって反論してみたり、知恵だめしに乗ってみたり、調子にのりすぎてみたりする。
またそれをワトスンがいちいち真摯に受け止めて、「こいつ背負ってるな」とムッとしてみたり、「兄を人格攻撃することはない」と憤慨してみたりする。
んでまたそれをホームズが真正面から受け止めて「調子にのって悪かった」と素直に謝る。

この感情のやりとりが、ほかの探偵にはあんまり見られないところだ。

有栖川有栖はかろうじて「いつも一緒」という形が似てるんだけど、本人があまり感情的にならない。風変わりな友人を肩をすくめて見ているだけ、というところがある。読者もそのクールさ、あるいは白けムードが、かえって現代人として感情移入はしやすいんだけど、すごく盛り上がるって気分にはならない。

ホームズだけが、叙述の面白さからいってもホームズ自身の気分の問題からいっても、ワトスンがいるといないで大違いという様相を呈する。だから他の探偵は途中で語り手がいなくなったり交代したりする。

んでこのホムワトコンビ、つまり互いの間で隠し立てがないのである。女だったら身内のことをきつく言われてムッとしても、本心を見せないで、「貴男の推理術ってほんとうにすごいのね」とおだててやるのが婦徳ってものだ。またホームズのほうも「ここで謝ったら男がすたる、以後なめられると困る」などと計算しない。素直である。

ここらへんが「男の友情はうらやましい」って女に言わせるところなのでしょう。



……ちなみに「叙述担当=攻め」というお約束からいうと、このコンビの表記は「ワトホム」が正解ですな……
(この二人の関係のあやしいことは100年前から世界中が取りざたしてるから言っちゃってもいいと思う)
(20年前だけどスラッシュ小説の翻訳も出たし)
(『ブロークバック・マウンテン』を考えると、男の同居に関する英米の温度差の違いも不思議な感じ)
(やっぱカウボーイだからなのか田舎と都会の違いなのか)

あ、ちなみに神恭一郎の友人として和田慎二自身がカメオ出演(?)するのが大好きです。
2012/05/22

犬ではあるが狼ではない。久しぶりに『緋色の研究』

誰かが古い本棚から引っ張りだしてきたらしくて部屋の隅にころがっていたので読んでみた。
延原謙翻訳の新潮文庫版。どうもこの戦前の知性によって書かれた「僕にして誤りなくんば」など漢文調・擬古調・美文調の文章が好きだ。好きだっていうか体になじんでいて、どうかすると現代の散文のほうが違和感がある。それはいいとして。

なんて観察眼にすぐれ、記憶力がよく、冷静沈着で、頼もしい男なのか、ワトスン。
そして感情の起伏が激しく、おだてがききやすく、扱いやすく、可愛い男なのか、ホームズ。
全くいいコンビである。221Bよ永遠に。

ドラマなどではカメラが語り手の役をしてしまうので、ワトスンには実は「役」がない。横で見てるだけの人になりがちだが、原作で読むと実に彼の人柄が生きている。ホームズの心の支えとして。



世界に冠たる大探偵のデビュー作だから、どんな大事件の刺激的な描写から始まるのかと現代的・映画的な導入部を予想して読み始めると、「?」ってなる。

「元陸軍軍医 医学博士ジョン・H・ワトスンの回想録再刻」という凝った仕掛けである。当時はフィクションを語るに際しこういう言い訳をした。当時はっていうか中世以来の伝統だ。パロディにしたのが『薔薇の名前』、ホームズも次の『四つの署名』になると手法が変わって、いきなり映画的にホームズの行動描写から始まる。それはいいとして。

「1878年にロンドン大学で医学博士の学位をとった私は」とワトスンの自己紹介で始まり、えんえん30頁にわたって彼自身とホームズの人物描写が述べられる。

彼自身のってとこがみそで、実はここが「叙述」って観点でいうと一番面白いところでもあり、ワトスン先生、ホームズを詳しく語ることで、自分自身がなかなかに医者らしく観察眼が鋭く、軍人らしく落ち着いて状況を整理するに巧みで、しかも驚くべきことには素直に驚き、(スタンフォード君と違って)受けない冗談で失地回復を狙おうなどという変な見栄のない実直な人柄と、彼本人は隠し立てすることの何もない性根の明るさ・育ちの良さなどを語ってしまっている。
いよいよ事件現場に到着してからも、この観察眼は発揮されるので、凶行のおこなわれた室内の様子や、猟犬のように動きまわるホームズを描写することで、図らずもワトスン(ちなみに延原訳ではワト「ス」ンである)自身の真摯な目つき、またホームズを疑ったり、失敗を期待したりしない、しかもそれを人前で誇ったりしない人間性の良さを表している。

作者ドイルは勿論「地の文」として読者が状況を理解するために必要な描写を展開しているにすぎないのだし、だから余計なジョークなども言わないのだけど、それが全てワトスンの視点てことになってるので、ワトスン自身の寡黙で実直な人柄が行間から浮かび上がってきちゃうのであった。

ワトスンはドラマ・アニメでは中流紳士代表として、ふっくらした白髭のおじさまとして設定されることが多いが、この幻のデビュー作ではアフガン帰りの病み上がり、「からだは線香みたいに痩せてるくせに、顔や手は胡桃のように焦げてる」。
そういえばシドニー・パジェットの挿絵では、ワトスンも割にスラっとした姿で描かれていたような気がする。
そして1878年に学位取得後すこし研修医として働き、すぐに1880年の「マイワンドの戦い」で受傷して復員しているので、実はまだ若い。

思い描くに、『暁の出撃』などを参考にすると、イギリスの士官は丸坊主にはしないから、髪型はふつうに七三分けなどだ。日本人と違って、少しフワリと波打っているかもしれない。口髭などは、おしゃれして出かけるような生活をしていなかったので、あってもあまりきれいに整えていないかもしれない。日焼けした顔は、まだ若く、細かなシワやたるみはないが、げっそりと痩せて、目元も頬も落ちくぼみ、体力が回復していないので、やや猫背気味で、大儀そうにゆっくり歩く。ホームズの研究熱に当てられて軽くのけぞるが、軽口をいう元気はない。

ホームズはこの寡黙な男が一目で気に入ったらしくて、スタンフォード君の証言によると割と誰が相手でも気ままに振る舞うようだが、それにしてもワトスンの前では一段とのびのびとするらしい。よくしゃべる。んで出馬要請がくると「でも警察に手柄とられちゃうからなー」とすねて見せ、ワトスンがその実直な人柄にふさわしく、「僕にゃ関係ない」という顔をせず、ホームズの手腕を既に買っているからこそ真剣に外出をうながすと、機嫌をよくして支度をはじめる。一生やってなさい。

肝心の事件のほうは、メロドラマタッチで割と好きなんだけど、リウシ(ルーシーなんだが延原父訳ではこう)嬢が気の毒すぎる(´・ω・`)
彼女が子供から女へ花ひらくあたりの描写なんか、作家自身がまだ若いとも思えない書きっぷりだし、大陸を股にかけた冒険活劇はロマン派の先行作品のお約束でもあり、遜色もない。なにげに医学の知識が披露されてるところも当時の読者をうならせただろうし、何よりイギリスにいて、まだ西部劇映画もなかった時代に、あの雄大かつ陰惨な西部の様子を描けたのはすごいと思った。大した医者である。なぜこの第一作は人気がなかったんだろう。
ま……少々陰惨にすぎたかもしれない。事件の顛末そのものの後味はよくない。子供に観せられるあれじゃない。
そしてホームズの推理については、やや本人だけが悦に入ってるところがあり(この後も常にそうなんだけど)「読者に挑戦するタイプの推理モノ」として読むと、ずるい感じがするかもしれない。



ドイルはあれだけ推理の理論を語ることができた(ホームズに語らせることができた)のだから、自分自身を天才探偵としてレストレードあたりを相手に高説をぶつように描いてもよかったが、そうではなかった。警察どころか探偵に花をもたせて自分は記録者にとどまったのが、実に功を奏した。

ホームズの個性に憧れた読者によって、似たような探偵は大勢生み出されたんだけど、実はこの「記録者も魅力的」という組み合わせが他にほぼ見当たらない。

ここでドイルに「ワトスン自身の魅力を描き出そう」という意図があったかどうか、今ふうに言うと「ワトスン萌え」が発生していたかどうかが鍵になるわけだけど、そういう二重意識が当時の作家にあったのかどうか……いやなかった、単に自分の代わりとして「素顔」で語らせたことの、意図せぬ結果だったといっていいんじゃないかな……

つまり恩師ベル博士の異能力に驚嘆した素直さがドイル自身の天分であり、これはベルとドイルの出会いという奇跡が生んだ稀有な化学反応といってよろしいのでは、というか言いたい。
2012/05/20

クロウ版『ロビン・フッド』雑感。付:大河とプルー作品の感想。

足で探す時間が取れないので映画DVDはツタヤ◯ィスカスから2枚1組で送ってもらっている。今回は『ロビン・フッド』と一緒に『グラディエーター』を借りたので、なんか「夜が明けても同じメンツで飲み会を続ける」みたいな感じなのである(笑)

次の壜の栓を抜く(← あえて昭和っぽく)前に「娯楽作品で現代的なテーマを語る件」についてまとめておこうと思った。筆の勢いで大河について思ったことと、先日提出したアニー・プルー発言への疑問への一応の解答でもある。(自分で提出して自分で決着をつけるのは悪いことじゃないはずだ)

さて「異教徒の首をはねたとき自分の神を失う」って言葉でアメリカの監督(&脚本家)が何を言わんとしているかは考えるまでもない。

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2012/05/19

そして伝説が始まる。 2010年『ロビン・フッド』視聴記♪

これは……!(*´∀`*) 3Dは酔う感じで苦手なのですが、これの3Dだったら観たいです。
アメリカ映画界はロビン・フッドの「伝説」を語ることから自由になったのですね!
(ほんと言うとそれはディズニーで終わっている)

だから、ロビン・フッドの名を使って体よくなんちゃって史劇を描いたっていう言い方もできるっちゃできるけど、ここはフッドの話であるかどうかをさておいて、当時らしさをよく描き込んだなァ!! でいいと思います。

サー・ウォルター役フォン・シドー、王太后役アトキンスはじめ男女とも並み居る高齢な役者が美しく気高く、彼ら俳優の歩んできた道は映画界の道でもあり、彼らの成熟は映画界の成熟でもある。

非常に気に入りました。農作業がきちんと描かれているところが。 
まずそこ? うん。まずそこ。
有輪鋤もない貧しさよ!ってとこ。斜めがけスリングで種まきする姿とか。藁葺き屋根の小作農の家。高床式倉庫。けして優雅ではない地方豪族の暮らし。修道僧が養蜂と酒の醸造にたずさわっている様子。そして村の中心にケルト時代の遺跡が生きているところ。常に人々の活動を見守るように映し込まれているところ。

ケヴィン・コスナー版は、逆に城主や教会の豪華な内装を映して(古典的なイメージにおける)中世への憧れをかきたて、娯楽活劇として非常に出来が良かったと思うけど、あれから20年の間に歴史研究が進んだこと、一般に広まったこと、それをきちんと受ける映画界の誠実さ、またCGや色合い補正・映像のスピードや効果音の音量を自在に操ること、高速カメラなど技術の進歩によって映画の表現力が増した様子が感慨深く、順番に見て良かったです(*´∀`*)

以下は細かいネタばれになります。

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2012/05/16

アメリカ娯楽映画の「うまいな」と思うとこは、

主人公はあくまで白人男性で、この強力な助っ人として少数民族や黒人、女性を登場させてはカッコいいことを言わせてきたことで、モーガン・フリーマンとかサンドラ・ブロックはそれぞれの代表だったと思う。

トムとジェリーや『風と共に去りぬ』(1939年)のお手伝いさんとして黒人が登場していた時代からすれば、『1408号室』(2008年)のフリーマンみたいに高級ホテルの総支配人なんて考えられなかった。

1978年『ナヴァロンの嵐』では、口数が多く反抗的なハレム育ちというステレオタイプとして登場させ、皮膚の色をからかうシーンを挿入しながらも「対等に扱ってくれ、口のききかたに気をつけてくれ」と断言させた。
1989年『グローリー』が初の黒人部隊を正面から描いた。主人公はその白人指揮官。
1991年『ロビン・フッド』では、白人の知らない知恵をもち、独特の倫理観をもつ者として描き(同時にイスラム教徒でもあるわけだけど)「違う人間だが一緒に戦おう」と言い切った。

1939年から91年と考えれば、52年の間に、こうしてちょっと娯楽作品を観た中でも、アメリカは自分を変えてきたわけだ。

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2012/05/14

んで1971年映画『時計じかけのオレンジ』を観た。

えーーーと……イギリスらしい……のかな? 圧倒的な演技力をもつ俳優陣のアクの強い演技と、少年たちの素人っぽさの両立、スタイリッシュな美術と映像、ツボを抑えた音楽の使い方。

むしろ、これのオマージュとして作られた後続の作品にこっちの感性が規定されているというべきか。ツボを押されつつも古臭い感、どっかで観た感もある。たぶん逆。

暴力(性暴力含む)が盛大かつ変に等身大に描かれているので苦手な方は観ちゃいけません。こういう映画がスタイリッシュと言われ、傑作と持ち上げられる世の中は理解できない、きもち悪いという感想は、大いに言われていいと思う。

以下はネタバレ。作品の性質上、性的な話題を含みます。

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2012/05/12

やどり木の下でkissをしよう。1991年映画『ロビン・フッド』視聴記。

コスナーとスネイプ先生のほうですー(*´∀`*)

伝説の英雄をごく当たり前に明るくカッコよく正面から撮った娯楽大作。冒頭の残酷シーンは流行った感じかな? と思ったら、周囲はこんな感じでした。

『ヘルレイザー』1987年
『羊たちの沈黙』1991年
『イベント・ホライゾン』1997年

なんで今頃こんな古い(90年代は既に古い^^;)作品を、と借りた動機も忘れていたのですが、あれだ。誰かさんのカメオ出演のせいでした(*´∀`*) エンドロール確認しましたが、ノンクレジットでした。ばんざーい。

以下はネタバレにつき、よろしければ追記からどうぞ。


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2012/05/11

絵本『ヘリオット先生とドノバンおばさん』を読みました。

翻訳絵本じゃないのですなこれ。リアル獣医師ヘリオット先生による短編の、日本人画家による絵物語化。
1950年代の映画を観ているような、古き良きイギリスの街を行く紳士淑女(と飼い犬をはじめとする動物たち)の様子が、サッとデッサンしたところへ軽く水彩をはいたというタッチで描かれ、とてもロマンチックです。

原題を直訳すると『ドノバンおばさんと彼女の犬』
獣医師さんから見た、街の世話好きおばさんのエピソード。
子供には(大人にも)ややショッキングな場面が詳述され、その後、おばさんと犬が救い救われて爽やかなハッピーエンドを迎える。

読後感は『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン)に似てます。あれと同じくらい文章量があるので、子供に「読んで」って差し出されたら、腰をすえて下さい。たぶん大人のほうがジンワリ。
うちは次女が幼稚園で借りてきたのですわ。よくぞ見つけた。以下は細かいネタバレです。



ヘリオット先生は街の獣医師さんです、と始まるので、この人が犬を救う物語かと思うと、違うのでした。彼はワトソン役なわけで、絵本には珍しい「額縁」構成と思ったら、手記的なシリーズ小説の一貫なのですね。

ドノバンおばさんはイギリスらしい噂好きの小柄なおばさんで、動物好きで、彼ら用の傷薬やシャンプーまで独自調合し、治療にも口を出す。ヘリオット先生はまだ若い男性として描かれており、この人から見ると厄介な素人のはずなんだけど、飼い犬を連れて街行くおばさんを見守るこの先生の、優しい温かい眼差しが良いです。

犬と人との支えあいに加えて、世代と性別と立場を超えた人と人の友情。
……震災後に出版された(2011年5月)にふさわしい物語かと思いました。

リアルなようでリアルだけでは済ませない、動物たちのおちゃめな様子を描いた、絵的なイタズラがもう一つの見どころです。
手にとって御覧ください(*´∀`*) 
2012/05/06

そういえば『マイ・ブラザー』は戦争映画でもあった。~『ナヴァロンの嵐』雑感

『ナヴァロンの嵐』のレビューをいくつか読んだら「戦争映画の格調」ということが言われていたので、「そーねー」と考えてみた。

『嵐』においてショウとフォードが‘お宝’を掘り返しに行く場面は、『ゴールドフィンガー』における007とゴールドフィンガーのゴルフシーンの、なんかどーしよーもなくまったりした、「この場面まるごとカットしてもいいんじゃね?」と思わせるような、先の見えない感に似ていた。少佐と爆弾屋の会話はボンドと武器屋Qを思わせるしねー。

ついでに、決壊寸前のダムから先を争って逃げる場面で若者が階段からひきずり下ろされるのが2回繰り返されるシーンは、……あれ多分ドリフの『全員集合』的な、体を張ったきっついギャグのつもりだったんじゃないかと思う。笑いを取ったつもり。

たぶんあの監督さんは、既知のキャラクターを組み合わせて和やかにアレンジすること、「敵=悪=やられ役」など既知の要素を組み合わせて娯楽作品とすることがうまい人だったんだな、と。素人的な、二次創作的な目線を持っていたんじゃないかと思っている。

んでまたそれが冷戦下の、表面的に平和で、「あとは心配したってどーしよーもないじゃん」「のんびりすればいいじゃん」という投げやり感を表していたんだと思う。

で、「あの戦争は何だったのか」とか「敵兵にも人権が」みたいな問いは一切なされなかった。

『史上最大』や『ナヴァロンの要塞』には「これほどの困難を乗り越えたのだ」「互いに死力を尽くしたのだ」という緊張感、まだ昂揚してる感じがあったんだ。

で『マイ・ブラザー』は、ギレンホールの色気とポートマンの美しさが目の保養で、「早くくっついちゃえよ」と言いたいような美男美女ロマンスではあるんだけど、なんか不安な感じ、セクシー系の娯楽にはしないぞ、という覚悟のようなのが漂うのは、アフガン帰還兵の深いトラウマを扱う作品だからだ。

たぶんベトナムの頃から戦争映画はシャレじゃなくなった。『地獄の黙示録』は全体に漂う不安感が身上だ。
『嵐』のアポロつながりで言えば、ベトナム帰還兵が大活躍するアクション映画が大ヒットしたわけで、あれは「(全人類が共通して鑑賞できる)肉体的な痛み」を娯楽として売りにした作品の走りみたいなもんだったと思うけど、「あの戦いはなんだったんだ」という重い問いがあったし、観客もそれを「下らない・偽善」とか「メロドラマの味つけ」というふうには受け取らなかったはずだ。

……といっても、実は007の初期と『史上最大』は同時期で、さらに同じ第二次大戦を描いたペキンパーの生々しい『戦争のはらわた』が77年、『嵐』は78年なので、やっぱ監督の持ち味じゃないかと思う。

んで同じ60年代~70年代に、日本では悪の軍団と戦う特撮ヒーローが活躍したですね。機械の体、バイオテクノロジー(的なもの)、分子工学(的なもの)が主人公側のミソで、悪役側は「ハ◯ル!」みたいな敬礼が売りだったもんです。なつかしーなー
2012/05/05

1978年アメリカ映画『ナヴァロンの嵐』鑑賞記。

ハリソン・フォード若い!

とまず叫んで……。

『ナヴァロンの要塞』のグレゴリー・ペックがロバート・ショウに化けました。
デヴィッド・ニーヴンはエドワード・フォックスに変身しました。
この二人の掛け合い漫才を楽しむ要素は強いです。

ショウは亡くなる直前で、すっかり渋くなりましたが、独特のニヤッとした笑いとハイテンションな台詞まわし、やや気取った英国らしい演技は健在。

年下だけど階級が上なフォードとの珍道中ものでもあり、役者としても役柄の上でもベテランらしさを光らせていた、と思います。フォードはいかにも若くて硬いけど、冷たい目つきがいい感じ。

とまず萌え語りをして……。(ショウつながりで借りたので重要なのです)

フォックスって聞いたことある……って鑑賞中ずっと考えていたら、ジャッカルでした。あたふた。
007シリーズのジョーズみたいな人が出てるなァと思ったら、ジョーズでした。
黒人兵士がいい味だしてるなァと思ったら、ロッキーシリーズのアポロでした。
髭のパルチザンがかっこいいなァと思ったら、有名な棺桶ガンマンでした。あたふた。

気になった時すぐ調べられるようになった世の中ってありがたいです。

監督ガイ・ハミルトンは『007 ゴールドフィンガー』の人で、この映画の全体の雰囲気も、あんな感じです。
アクション&サスペンス&ちょっと肩をすくめて笑うような感じのおとぼけコメディというかな。

序盤のまったりした雰囲気に、B級娯楽っぽいのかなと思ったら、展開が二転三転してサスペンスタッチが濃くなっていき、意外や地味に面白かったです。

ユーゴスラヴィア(当時)における対独潜入工作を、米英の将校が協力してってお話。
侘びた山なみの連なる現地ロケは美しく、独軍戦車は旧ソT34がまんま使われてるそうですが、いい具合に汚れており、また砲身の旋回する様子を隊長席から見るなど撮り方がよかったと思ってます。

あ、青い目のきれいな独軍将校がきれいな英語を喋ってるのが印象的でした。独軍は基本的に独語で、パルチザンは現地語で喋っており、雰囲気はいいです。

海外ロケをやるスパイアクション映画の流行に触発された『要塞』の二次創作なのかと思ったら、原作は要塞と同じ人で、正規の続編には違いなかったです。が、ストーリーは「次なる任務が!」ってことで、全然つながってないです。

アメリカ作品らしい、独軍をあくまで悪役モブキャラとして扱った娯楽映画として、気楽に観ていいと思います。

原題は『FORCE 10 from Mavarone』ナヴァロン帰りの第10部隊、なのに冒頭で重爆が撃墜されて部隊壊滅してるのが無念すぎるとか言っても仕方ないです(´・ω・`)

たぶんあの60年代の、まだ戦争の記憶が生々しかった頃の緊張感、悪役を討つときの主人公側の痛みの感覚というのは、もう出せないのです。(『要塞』ではナイフ使いが弱音を吐いてましたね)

黒人兵アポロウィーヴァーが白人の上官へ「対等にあつかえ!」と叫ぶシーンがあるのは『要塞』からの時代の変化が一番出たところかと。
ハレム育ちでケンカとナイフ使いに長けており、反抗的で口数が多いっていう黒人キャラの典型ですが、彼がいなかったら辛い仕上がりになったでしょう。

女性がお色気担当ではなく正規部隊の一員として参加してるのは『エイリアン』他でやったから、次はLGBT兵士が描かれるのかもしれない、など。

ラストは水攻めです。苦手な方はご注意ください。