2012/07/29

第30回放送を前に清盛第29回「滋子の結婚」をほめてみる。

『トータル・フィアーズ』の内容はアレだがカメラ使いはよかったとほめたので、清盛もほめとかないかんだろうと思った。別に誰にもつっこまれてはいない。

平さんちのご一族が大広間に集まって話し合う場面は、全員が座ってるので単調になりやすい。このドラマは一族の棟梁が主人公なので、もっとも上座にいる彼の視点から庭へ向かって映す構図が多い。そればかりな回もあった。
今回は、清盛の席の右から撮ってみたり、左から撮ってみたり、ちょっとずつ移動してみたりしていた。『トータル・フィアーズ』の序盤でやってた「別の人物の肩越しに列席者を撮る」のもやってたので「おお」と思った。

歌舞伎俳優が白塗りで時代劇の主人公を演じていたサイレント映画の頃は、役者の顔に「影が落ちる」だけでNGになった。いっぱいに光を受けて、きれいに撮れていないと、役者も客もいやがった。
トーキーになってからも、小津作品など昔の日本映画を見てると「画面のど真ん中にどアップ」という構図が多いのはそのせいだ(と思う)
だから、前景に他人の横顔がぼんやりと映って、しゃべってる役者の顔にかぶるような構図は、その頃ならNGだった(と思う)

第1話で「えっ」と思ったのは、実はその「もっとも上座の更に後ろから庭へ向かって映す」構図。

戦国大名が主人公の今までのドラマなら、「上様」に対しては畏れ敬って下座から見上げる形になる。民放の時代劇でも、徳川将軍が謁見ルームの一段高くなったところにいるが、その背後にいる太刀持ちのお小姓などの視点から上様の背中を映すってことはまずなかった。
ので、白河院の背後(=上座のさらに上座)までカメラが踏み込んだ形は新鮮だった。

生出演の劇場公演なら「院が観客に背中を向けて始まる・そのまま舞台の奥へ向かって話し続ける」構図はあり得ないので、これは「背中から映していたのをグルリと回って顔を映す」ってことができる映像ならではの構図のはずで、歌舞伎の舞台をそのまま映すところから始まった日本の映像作品の約束から踏み出した冒険だったんじゃないか。
そもそも、院などを「遠くから・御簾の陰から命令を出すエライ人」としてではなく、ドラマのキャラクターとして、彼ら自身の目の高さで映すことで、その心理描写にまで踏み込んだ冒険だったのじゃないか、などと今更思う。台詞がちょっとめんどくさかっただけだ。

話題変わって、頼政が登場してからは、彼の視点で、宋の物品を広げてはしゃぐ清盛が別世界の人間のように見えた心情がよく表されていると思った。

院御所に移動すると、歌いながら出ていく後白河院の赤い背中を見送るのは、もちろん公卿がたの視点で、にしても大きな声で陰口をいうねェ、公卿がた(笑)

ラブラブシーンはとばして……滋子の妊娠の件で怒った清盛が、大広間の戸口へ飛び込んだところから始めるのではなく、その前に長い廊下をズカズカ近付くところから撮ったのが素敵だった。冒頭で六波羅の広大な屋敷が渡り廊下でつながっている様子が映されたが、その気合いの入ったセットを効果的に見せてくれて嬉しい。

怒髪天をつくべき清盛を下から見るのはもちろん滋子ちゃんの視点、話が移って、彼女の嫁入り行列を窓越しに垣間見る図は後白河院の驚きを表しているわけで、素敵だった。

その場にいる人の視点から、観客が共感しやすく撮ることが意識的に行われていたのだろうなと思いました。演出は、中島由貴さんでした。このかたの演出回、テンポはまったりしてるけど心理描写に優れたようなところがあって好き。保元の乱が始まりそうで始まらない、女性陣の心配げな様子がよく描かれていたのも中島演出の回でしたね。
2012/07/28

清盛第29回「滋子の婚礼」

やっと観た! 忘れてた! あのナレーションを聴くと演技力よりイケメン度を基準にキャスティングせざるを得ない日本ドラマの限界みたいなものを感じて気だるくなるもんだから・・・・・・

今日の再放送のチャンネル権はないので一足先(?)にオンデマンドにて。

今回は少女マンガでしたね(ノ´∀`*) 案の定というか数字は下がったようですが、御の字でしょう。男性は見ていても面白くなかったと思う。でも女心はガッチリつかんだ……で、いいんじゃないのかな。「俺様イケメン逆ナンパ&叱り飛ばし」は現代女性に胸のすく思いをさせたところでしょう。

滋子ちゃんの巻き髪はむしろうらやましいくらいで、くせ毛といってもなかなかあんなふうに綺麗にコイル状になるものじゃないですものね。

頭のお花、かわいかったです。ベルばらでオスカルが女装したとき、トルコ風のドレスを選んだことを思い出しました。
「面白き世・新しき世」をテーマに保元の乱のとき上皇にいじられた清盛が、一矢報いることができたのも、一緒に溜飲の下がる思いがしたし。見てくれたか信西。

ラストの男声デュエットには萌えたと白状しておきます。

二人とも下手だけどね唄(笑)

家貞さま、お疲れ様でした。正盛が唐菓子くれて、若き(子供時代の)家貞がむさぼり食うのを微笑ましく眺める図など想像して、しばしうっとり(ノ´∀`*)
聞こえよがしな Funeral March は無いほうが良かったな。あそこは梅雀さんの演技力だけでしっとり観たかった。

得子さま、お疲れ様でした。待賢門院とやり合ってた頃と表情が違い、確かに年齢を重ねて疲れがにじんだ(しかも美しい)というように見えたので「上手いなぁアップに耐えるなぁ」と拝見しました。

松ケンは眉を寄せると鬼神の像のような、男の能面のような、いい顔をするようになったと思いますが、役者だからその時々で雰囲気を出せればいいさね、うん。清盛がいつの間にこんなに頭が良くなったのか、どーしても分からないのは脚本の不手際のせいさ。もはやしょうがないし。

船と宋、ふたたび。長かったなァ。兎丸一党は、今回はお色直しもしたし、無頼な感じで画面にアクセントをつけてくれて面白いんだけど、勿体ない。ディズニーでいうと動物キャラみたいな感じかしらん。原作には登場しないけど白雪姫やオーロラ姫の周りをチョロチョロしていて掃除を手伝ったり小道具を持ってきてくれたりするような連中。

男の一代記・成長の軌跡を、政治の場面をきちんと描きながら語ることは苦手なんだけど、ちょっとしたアイディアに可愛げがあって現代的に面白い、とそういう脚本なのだろうと思います今年は。やはりアニメ調なのか。あとは好き嫌いの問題。

ところで30年も経ったのなら男の顔には魅力的な皺が刻まれているはずで……役者を取り替えながら撮る大河って一度やってみて頂けないかしらとも思います。

あ、時子ちゃんほか女性陣の唐衣が素敵でした。レイヤード (*´∀`*)
2012/07/28

原作つき映像作品語り。

時代に合わせて、あるいは合い過ぎないように、

設定変更したら後は映像の勢いでよろしく。

・・・・・・ということなのだな、と『清盛』と『トータル・フィアーズ』と『MW』を考え合わせて思っている。

史実では距離を置いていた二人を大親友設定にしちゃったもんだから、「そのくせ大して協働していない」という矛盾を生んでしまった。
信西が辣腕をふるっていた頃、清盛が「平家の金を使ってくれ!」と言っていれば、もっとすごいことが実現できたはずだが、それでは史実と合わなくなってしまう。

中東の砂漠から出土したものを中東の人間が利用した話だったのを、白人至上主義者の仕業にしたもんだから、大国の一方の正規軍にも協力者がいることになり、勝手にスクランブル発進したが、その動きが中央の司令部に伝わって、「反乱だ! 奴らこそ犯人だ!」とバレてしまうはずが、そうはならない。

原作では高官を色仕掛けでたらしこんで基地深部に潜入できたはずが、そうは描けないので、画面きり換わったらもうバイオハザードルームにいることになっている。
また、70年代の話だったのを現代にしたもんだから、セキュリティが生体認証など偽造しにくいものに変更されているはずで、そこをいかに切り抜けるかが一番面白いところでもあるはずなんだけど、そこをスッ飛ばした。

観客は「いま変なとこなかった?」「どうなってんの? なんで作中の人は誰も気づかないの?」などと思うんだけど、絵の美しさとテンポのよい編集で幻惑され、「ま、いっか」と収まる約束になっている。イリュージョンのステージみたいなものだ。

とすると、

辻褄があっていて、しかも情緒に訴えるところがあり、絵的にも美しい作品が「A級」で、
辻褄があっていないが、見るぶんにはカッコいいというようなのがB級で、
辻褄があわず、絵的にも洒落ていないというのを、C級と思うことにしておこうかな。
2012/07/27

2002年『トータル・フィアーズ』観ました。

HBO『ROME』のシーザー役で一目惚れした、キーラン・ハインズ目当て。忘れた頃に届くツ◯ヤディスカス定額予約リスト。
この作品自体の評判もあらすじも原作もチェックしないで、とにかく観てみた。

最近のタイトルは原題のカタカナ表記で話のあたりがつけにくいよね……と思っていたら和製英語でした。
原題は『The Sum of All Fears』 恐怖の総計。
でも日本語で恐怖っていうと、ホラーものみたい。日本では「総計で」を「トータルで」っていうので、これでいいのか。
戦争の契機は正義でも大義でもなく恐怖であるっていうテーマ自体はよく出ていたと思う。

冷戦時代を彷彿とさせる、やや古風な東西対決スパイ・サスペンス。007とは違ってアクションではなく、お色気重視でもなく、リアルっぽさ重視。潜入工作員が主人公ではない、地味にヒネリの入った感がミソ。(と言っておきます)

もしかしたらテレビ予告を観て「映画館に行きたいなァ」と思ったかもしれないのが既に10年前。CGを使ったディザスターものが流行った頃だったかもしれません。
(1996年『ツイスター』・1997年『ボルケーノ』・1998年『ディープ・インパクト』・1998年『アルマゲドン』)
「合成ってことは分かるには違いないけど、迫力のある映像を作れるようになったんだなァ」などと思ったものです。

以下はネタバレ全開なので未見の方はご注意ください。


Read more

2012/07/20

starzドラマ『スパルタカス』第3話・第4話観ました。

昨日は暑かったですね(´・ω・`)
夜も寝苦しかったので、いっそスゴイ勢いで体熱を発していそうな筋肉男たちの饗宴を拝見しました。
暑い日に敢えて辛いカレーを食って汗をかくと気持ちいいみたいなもんです。

さて。DVD第2巻。第3話「伝説」・第4話「奈落の底」

第3話も「モチベーションは嫁」から始動。養成所での訓練の様子がまったりめに映されたので、肉体美はいっぱいです(ノ´∀`*)

相変わらずスタジオ撮影にCGで雰囲気をつけ、朝だか夕方だか分からない雲の流れの早すぎる空を合成しているのが、ファンタジックで素敵です。誉めてます。

教官はじめ剣闘士の先輩たちの猛者っぷりを示す「伝説」が披露されました。それぞれに恐ろしい思いをしてきたようです。ただの嫌味な悪役だと思われていた皆さんへ、視聴者の共感が高まって参ります。石壁に刻まれた落書きが動き出して実写と重なっていくのは、CG時代ならではの楽しい表現だと思います。

それを聞かされて「jest(冗談)だろ」と言ってのける主演アンディ・ホイットフィールドは、剣闘士仲間と比べると体格が小さめ、顔立ちが可愛らしく、表情が泣き虫っぽく、一見弱っちい感じがするのが意地を張ってるところがチャーミング。汗まみれ砂まみれで訓練にはげみ、夜は牢獄のような檻の中で地べたに寝かされている人たちなので、どっかの大河ドラマよろしく顔は常に汚れています。

が、外人さんのずるいところというか、眼だけが澄んだブルーをしているのが印象的です。「夢と希望と純粋さを失わない」みたいに見えてしまいます。

そんな彼が訓練を口実にさんざんな屈辱を加えられるので、お好きな向きには堪りませんでしょう。いやもちろん私も。

今回は(また)パーティーで剣闘士を紹介されて、貴婦人たちが興奮する描写が妖しくて宜しかったです。いいなァ触ってみたいなァ(ノ´∀`*)

第4話。

「奈落」怖ェ! マジ怖ェΣ(゚д゚lll)!! 

奈落とは、下町にあるルール無用の室内闘技場。たぶん違法。いわゆるアングラ。たぶんお目こぼし。公式な闘技場以上の興奮を求める客が集まり、戦士に金を賭ける。「リング」周囲の「装飾」にされてしまっている人体の無残さに目がいって、アクションを見逃すほど(・。・; でもアクションそのものも豪快に痛そう。 

テレビで映せるギリギリ……を超えているんじゃないかと思う……

日本じゃ無理。でもペイパービュードラマだからいいの。日本では子供も見ている時間にふつーに地上波あつかいの刑事ドラマなどで結構なエログロを映しちゃうほうが問題だと思う。
それはともかく、
そういうわけで良い子と苦手な人は観ちゃいけませんが、大人の娯楽として参りましょう。

前話で嫁さん会いたさに功を焦った主人公は、雇い主に恥をかかせた罰として、体で稼いでもらおうというわけで、デスファイトに挑戦させられてしまいます。弱っちい表情がチャームポイントな彼から、抑えきれない怯えた雰囲気が伝わるので、視聴者としてもゾクゾク怖いです(-_-;)

肉弾あいうつアクションシーンは大層な長さと迫力で、ストップとスローをきかせて非常に見応えありました。

主人公が打たれ強いのはお約束で、もうダメかと思った辺りからラッシュを掛けるというものです。今日もカメラに血滴が(笑)
これが臨場感を高めつつ、「CGだよ~~」というフィクション性をも高めているのですね。美術スタッフが用意した本当の血糊がカメラを汚したら撮影続行できなくなっちゃうはずなので、これもCG時代ならではの楽しい演出だと思います。

主人公に関するストーリーは「嫁に会いたい一心」で単純なんだけど、敗残兵として何の後ろ盾もないはずの彼がいつも首の皮一枚のところで生き延びるのは、貴族どうしの権力争い・意地の張り合いからである等、他キャラの裏事情・帝国の裏事情がかいま見えるところが飽きさせません。

とくに主人公の雇い主が、貴族なのに金がなくて困ってる様子が丁寧に描かれるのが意外に面白いです。彼を支える嫁さんは、当時の貴婦人らしく浮気もしてるんだけど、旦那のことはちゃんと好きみたい、という夫婦愛もなかなか良い味です。

また前回と今回は、先輩剣闘士たちの恋も描かれました。いちばん威張ってるスター剣闘士クリクススの意外な純情に視聴者胸キュン。

長髪の剣闘士バルカも出番多め。一番意地悪な奴でしたが、小動物を可愛がる様子や、辛い過去が明かされました。
クリクススが女にモテるのに比べて、バルカは見た目も個性的で良いキャラなのに今いち役どころがハッキリしないなと思っていたら、男の子とラブラブでした。いいバランスだと思います。

と言ったそばから彼を野獣呼ばわりする人物が顔を出したり、そのアシュールへ、クリクススがにらみをきかせたり、挙句に脚の悪いアシュールを突き飛ばしたり、なんか鋭い会話がうち交わされておりました(´・ω・`)

アメリカの視聴者がどう思ってるのか、すげー興奮すると思ってるのか、漫画っぽい・くだらないと思ってるのか、やり過ぎと思ってるのか分かりませんが、そんなわけで複数のストーリーを絡めて操るのがアメリカのドラマは上手いなァなどと思いつつ、続編が届くのを楽しみに致します。(先に返さないと)
2012/07/17

2002年映画『ロード・トゥ・パーディション』観ました。

観るといい映画。

これは素敵。ストーリーも撮影も手が込んでおり、音楽が個性的。暴力がもつ娯楽性と銃の怖さ、ちょっとしたコメディ要素、仁義なき世界に生きる男の身のふりかたの難しさ、それでも守りたい父子の絆、しかもそれが二重三重に絡まったときの哀しさ。男泣き映画といっていいでしょう。

俺と親父の地獄行き。
ぼくとパパの地獄行き。
俺も親父も地獄行き。

Perdition て何だろうと思ったら、意味は「地獄行き」 映画中では伯母さんの住んでいる土地の名前ということになっており、そこまで行く……かと思えば戻ったりもするのですが、その旅を通じて父子の絆が深まり、少年が成長するロードムービー・・・・・・といっていいと思う。
アメリカらしいトレーラーハウス、古びた農家、シカゴの大都市っぷり等、道中の景色が移り変わるのもロードムービーらしいところで、美しく、飽きない。豪快な空撮にはのけぞってみた。
父子の逃避行は子連れ狼やね、と思ったら、原作はアメリカのストーリー漫画だそうで、本当に我らが『子連れ狼』を元ネタにしていたようです。

銃撃シーンはありますが、エロもグロもなく、ある意味安心して見られます。『ゴッドファーザー』『刑事ジョン・ブック 目撃者』に『レオン』『プライベート・ライアン』も入れていいかな。暴力がドラマの契機となる世界を、叙情的に描くタイプ。

1931年、禁酒法時代のシカゴ。

・・・・・・と言えば、どんな世界の話か分かりますわね。当時の風俗が素敵。セピア調の色合いが素敵。古き良き建物が使われて風情を上げている(エンドロールに保存会のような名前があったので本物らしい)

トム・ハンクスが主役ってとこが曲者で、まずは「いいお父さん」と思われるわけですな。それが……
パパの仕事は何? 純真な弟の疑問にも答えるべく、家庭の外の世界に目が向き始めたお年頃の長男が見てしまったものは。

ネタバレしないほうがいい作品。すっごく書きにくい。説明無用のお約束感・ステレオタイプなキャスティングが上手に生かされており、それに基づいて、人間関係が少しずつ明かされていくところがスリリング。

息子の目線から始まるので、最初は大人の世界の状況が、ほのぼのしているばかりでよく分からないところがみそ。それが短い台詞のやりとりから「何かおかしい」と思わせる流れは秀逸です。

まだ全てが明かされない時点での、トム・ハンクスとポール・ニューマンのツーショット、片手ずつのピアノ連弾の静かな色気にアワアワしつつ、その世界の「盃」を交わした義理の父子の深い絆を感得させられ、同時にそれが皮肉な運命に落ちていくだろうことも(平和なだけでは映画にならない以上)予想させるという、名場面でした。

ピアノの譜面台にはショパンぽい肖像画を掲げた譜面が広げられていましたが、エンドロールによると彼らが(実際に彼ら自身が)奏でた曲は、ジョン・M・ウィリアムズ作曲のオリジナル曲、「ピアノ・デュエット Perdition」
トム・ハンクスはピアノ弾けたのね。

Perdition の意味は「地獄行き」 とんだツーショットですな。アメリカ映画(監督はイギリス人)に任侠の世界の色気を見せてもらうとは。

なぜ借りたか忘れていたのでストーリーも雰囲気も何も予備知識なく観たのですが、どうもHBO『ROME』からのキーラン・ハインズつながりだったようです。我ながら渋いところを突いたと思いました。今回は冒頭のみ登場のチョイ役でしたが、やはり一度見たら忘れられないお顔ですね。彼を起用したことでアイリッシュの世界であることをほのめかしたのでしょうか。

絵的に非常に美しく、ところどころにフェチっぽい接写や、サイコサスペンス調の不安な画面、また「新聞を全員で広げる」「葬式で独りだけ斜め上を向いてる危ない奴」など「風刺のきいた一枚絵」みたいな構図がしゃれていると思いました。
外を歩くモブの衣装を黒で統一することにより、「全体主義の近未来を描いた昔のSF」みたいな面白い効果を出していました。戦間期の当時の雰囲気をよく表しているといっていいのでは。
『ロッキーホラーショー』『グリーナウェイの枕草子』を思い出すような気もするので、イギリス人監督らしいといえばいえるのかもしれない。

民族調の楽器・音階、不協和音を生かしたBGMも聞きどころ。

観るといい映画。

2012/07/17

『平 清盛』第28回「友の子、友の妻」

BL系二次創作大河(ノ´∀`*)
嗚呼こういうのが国民的ドラマとして放送される時代になったんだなァみたいな感慨。
男同士が涙さし交わすと視聴している女性が興奮することが分かったので時代劇の新しい方向性が示されたのではないかと思ったり。

どうしても「後に武士全盛の世の中になった」ことを知ってる人間(つまり現代人)の観点から、「王室と軍部と一般市民」という近代的な内乱・革命の図を当てはめて当時を解釈し、当時の人間が意識的に「武士の世」をつくろうとしていた、源平が「武士つながり」で志をひとつにしていた、という設定になっちゃうもんだから「そーかなーー……( ゚д゚)」とポカンとしてしまう感はぬぐえない。

武士ったって元は臣籍降下した皇族だし貴族と同じく荘園経営していただけだし明らかにまだ誰も武力革命を指向しておらず、朝廷で出世する以外の絵を描けなかったはずだし武士の誇りとか言われてもなァ。

けどまァこの「ドラマの筋」としては流れていたからいいや。「高度に政治的な判断」だったはずの頼朝や常磐(というか牛若)の助命も何もかも清盛の情念ひとつで決まったことになってるけどドラマとしてきれいだったからいいや。相変わらず近代人的心理でついていけない視聴者もいたと思うけどそういう人は既に観ていないだろう。

義朝まさかの最後の出演お疲れさま。最後じゃなかったり? ^_^; 三男坊の名前がなぜ「牛」なのか説明していって欲しかったです。赤ちゃん可愛かったね。さすが親父が色男(違)
なお鎌田正清がいい顔をした役者さんだったので、こちらは本当に最後だろうから残念です。あの死に方は痛そう。

伊藤忠清役藤本隆宏氏(いやいい男だね)がオープニングにピンで名前が出るようになって嬉しい今日この頃。直垂の腕まくりに見とれつつ。

塚地信頼お疲れ様でした。最後の「面白うないのう」は美味しかったです。斬首を命じられたときの顔が非常によかったです。
塚地はテレビでコントを見た時いい話を書くし面白い演技力をもってる人だと思って応援していたのにバラエティでいわゆる「いじられる」ようになってしまって勿体ないと思っていたので、今回の起用は嬉しかったです。

チラッチラッと目つきで芝居する松田雅仁は相変わらず魅力的でした。長恨歌の説明は当時の貴族には要らないだろうけどまァこれも仕方がない。

松山ケンイチは怒鳴らない芝居に徹したほうがいいような気がする。Lに戻れ。

師光(西光)の存在感あるいは芝居上手が光った。
池禅尼と家貞のやり取りは何の心配もなく堪能させてもらった。あの二人の表情を正面からとらえたのは良かったと思う。
そういえばオープニングの出演者、トリは家貞さんだった。
元服したてでテンパってる宗盛ちゃんと頼朝の、キャラの格の違いを見せた対決場面は面白かった。頼朝が親父の形見を見せられた場面の顔の演技もよかった。

今回は少年俳優のキャスティングが非常にいいので、清盛が元服前に荒れていた頃も子役にすればよかったのにと悔やまれる。「いい大人が何をグレてんだ」と思わせられたもんね。

今回は音楽が控えめで、静かで良かったと思う。盛り上げ系の音楽がのべつまくなし鳴ってるのは安っぽいので。
柴田さんはELPの「タルカス」の使いドコロが上手いと思う。第6回「西海の海賊王」のラストで都に凱旋する時のBGMがあれで、「おお時代劇にあるまじき思い切りの良さ」と感動した。あの回の演出もいま確かめたら柴田さんだった。あの回は……海賊と平家と両方こ汚いので見分けにくくて困ったけれども(笑)、侍大将伊藤忠清の見せ場でもあった(ノ´∀`*)

どうしても忠正叔父を斬ったとたんに清盛が急に頭まで良くなったことになっちゃってて、「若いころヤンチャだった奴が猛勉強して立派な政治家になった」という男の一代記としては(猛勉強しての部分がスッポ抜けてるので)破綻してるんだけど、おかげでサポート役の盛国の出番も減って、そっちの意味でも残念なんだけど……まァいいや。
なんせ第一部が男の友情ロマン・革命ロマン・宮廷メロドラマで突っ走っちゃってアレだったんで、史実との辻褄はとっくに合わなくなっており、「日曜8時に家族そろって子供の勉強の足しにもなると思いながら観るドラマ」ではなくなってしまい過ぎたのを、少し軌道修正して平治物語のエピソードを加えてゆったりめに参りますってな感じかな。さァあと22回。まとまるのか。
2012/07/16

【犬神家の一族語り】佐清だけを待っていた。

午前中は家じゅう引っくり返して大掃除。嗚呼ちかびれた。

外は富士山麓。お茶栽培が盛んな辺りで湿気が多い。この一週間ほど、まるで今年の大河ドラマのように空気が常に白くガスっている。今日は風があって、戸外はある程度涼しい。なのに、家は和洋折衷の中途半端な文化住宅で風通しが悪いorz 明らかに間取りが間違っている。盛大にリフォームしたいが、まぁ先立つものはない。

信州の湖畔の旧家は涼しかったのだろうなァと思いを馳せながら、ほうきを動かしつつ変な遺言を再考してみる(家事労働中は脳内がヒマ) 基本的には前に書いたのと同じ話。ネタバレなので映画未見の方はご注意ください。

Read more

2012/07/15

【清盛語り】第28話を前に不安にかられてみる。

ばかな子ほど可愛い。何かと気になるドラマには違いない。
下半期を迎えて気持ちがまとめに入っている。
すでに半分過ぎちゃったわけだし。
いま、今夜放送回の粗筋を確かめた。塚地信頼が終わりときいて残念に思った。好きだったらしい(笑)

イケメン起用とBL風味、女性の自我が強いこと、感傷的な盛り上げによって「現代的」な「色気」のついたドラマになっているとは思う。今夜放送の「池禅尼断食の図」「義朝無念の図」も、あの「遊びをせんとや変奏交響曲」とでも言うべき名BGMを添えて、叙情的に盛り上がるだろう。

とはいえ、ここからの平家って・・・・・・。

最終回が清盛の一番いい頃で、「このようにして平家は栄え、後に源氏の蜂起をみるのである」って終わる話なら、ゆっくりやってもいいんだけど、ここから第1話冒頭「成人した頼朝が壇ノ浦の知らせを聞く」までマクるとすると、ドラマも早馬で駆け抜けるしかないのでわ。

ここからは源氏関係の有名なシーン、見どころも多くなるはずだけど。義朝の東国修行のあたりも随分もったいないというか早送り状態だったけど、後半もやっぱり絵巻物をブツ切りにしてつないだみたいになるのか。タイトルロールはどうなってしまうのか。

「入日を呼び返す」はあのバカにふさわしいので盛大にやってほしい気はする。
あとは平家がたの関係者というと女性が印象的なような気もするんだけど、宮廷メロドラマ・平さんちのホームドラマは前半でさんざんやっちゃったからもういいやって気もする。

後白河院との仁義なき抗争は、要するにてっぺんの権力争いで、面白いっちゃ面白いけど、
もともと「清盛・通憲・義朝・義清で下々のために革命おこし隊」をテーマにしちゃったから、実際には「娘を入内させて皇位(と荘園)を私物化する」という藤原氏のパロディみたいだったことと辻褄が合わない。
・・・・・・っていう心配は第1話から既にあった。

若い時は政治にまったく興味がなく、義清か盛国に教えてもらわないと宮中の人間関係を理解できない程度だったのに、忠正叔父を斬って以来急にキャラが変わっちゃって、すっかり立ち回りのうまい策士になっている。べつに信西と今後について協議した様子もなく「忙しい人ねェ」なんてデートをすっぽかされた女みたいなこと言ってただけだったのに。

雰囲気と台詞の癖がやや変わったことを考えると、第1部が終わった辺りから軌道修正がなされているとは思うんだけど。

史実の清盛の面白いところは、生まれ育ちの良さを存分に活かししつつ、頭がドライで海外までにらんだ起業精神に富んでいたことで、ごく当たり前にあった(とされている)ことだけを淡々と描くだけで充分いいドラマになったはずだったんだけれども。

政治に物申したい人間は多いが立候補できる人は少ない。ぶっちゃけ名前を売るには金がかかる。(年賀状を出すことは禁止されているが祝電は禁止されていない)
だから既に基盤のある名家出身の二世・三世の中から有能な人物が出てきてくれないかなァというのが現代人の本音だ。

「いま敢えて清盛」ときいて世人が期待したのは、二世・三世議員が頼りにならない現代社会を射程に入れて、武力革命ではなく既存のシステムを利用し、戦争ではなく交易という平和的な手段を用いつつ野心を遂げた、柔軟なヤングエグゼクティブ、しかも現代人にも受け入れられやすい、部下や家族を大切にする気持ちの持ち主としての男一代記だったんじゃあるまいか。それこそNHKが得意とする歴史ドキュメンタリーだったはずなんだけど。

たーぶーんーアメリカ有料放送ドラマ的な扇情的な感じを狙ったんだろうなァとは思う。
本当はもっとお色気描写や戦場残酷描写も入れたかったのかもしれない。日曜8時じゃなくて「夜中にCS」だったら、かえって「ヤバイから観てみろ」などクチコミによって盛り上がった可能性も……なくはない、などと思っている。

忠臣蔵なんか繰り返しドラマ化・映画化されたわけだけど。落ち着いたらまた別の清盛ドキュメンタリードラマ撮りませんか。(と言いつつ第28回を楽しみに待つ)
2012/07/13

【清盛語り】いっぺん出してみたらいいと思う。

旧作を叩き台に今更なことをクドクド言うのは当ブログの(以下略)

映画『自虐の詩』では、映画で観るかぎり、阿部ちゃん演ずる葉山の東京時代と大阪時代のファッションセンスの違い・行動のギャップについて、説明されていない(笑)

長髪と黒革でゲームヒーローのように決めていたのは「辛すぎて頭に虫がわいた」ゆきえちゃんの妄想かと思われたが、そのまま続きがあったので、彼らにとってのリアルだったらしい。その男が惚れた女のために髪と小指を切って、地味なセーターなんか着て、ごくふつうのカタギらしくなったところまではよい。
それがどーしてああなってしまうのか(笑)
「すべてを愛しています」と告げて足の爪を磨いてやっていた男が、どーしてチャブ台返しになってしまうのか(笑)

「釣った魚に餌は要らない」ということがあるから、数年も同棲するうちに本性が出たのだろうと「なんとなく」理解したような気分にはなれる。
ファッションセンスについては、住んでいる街に感化されたってことなのだろうし、元々感化されやすい男なのかもしれない。
それにしても痛い思いをしてまで足を洗った男がまたどーして、いつから、若者を従えて「兄貴」と呼ばれ、パチンコ店と喫茶店でクダを巻き、という生活になってしまったのか。東京時代は一匹狼っぽかったから「昔に戻った」ってわけでもない。しかも盃は受けないというのだから、立場としては「しろうと」なわけで、かなり危ない状況のはずだ。

元々日本の娯楽作品は整合性を気にしないところがある。「花川戸の助六じつは曽我の」とか普通だ。「いつの時代の話だよ!?」というツッコミ無用だ。
宇宙戦艦の艦長だけが異様に時代がかった軍服を着ていたり、地上勤務者である藤堂長官が航空機搭乗員みたいなマフラーをしていたりする。

『2001年宇宙の旅』は、ミッドセンチュリーが考えた近未来ではあるが、その作品世界中では「部分的に時代錯誤」ということはなかった。洋画だといろいろな様式がゴッチャになっているのはB級扱いだ。

進化論・時間が一方通行の西洋と、霊の世界がいつもこの世の隣にある日本的感性の違いとか、庭園を直線で構成したがる西洋と、大陸渡りの趣味にナチュラルテイストを盛り込むのが好きな日本との違いとか、説明はいろいろできそうだけど、ともかく、

アルセーヌ・ルパンの孫の仲間が今どき袴着用・日本刀所持者だったりする、そういう自由な発想から日本のアニメの隆盛があったことは間違いない。「なんでもあり」の集大成みたいなのが勿論『ワ◯ピース』だ。

『自虐の詩』も今回の大河ドラマも、つまりそういう「その場面だけカッコよく成立していれば前後の関係は説明しなくてよい」「どっかで見たような状況が再現されており、既視感の中で安心して楽しむことができる」というスタンスで出来ており、それを受け入れることのできる層、つまりマンガと、それを文字で表現したというべきライトノベルを読んで育った層にウケている。面白いところを突いたといえばいえる。時代劇の新しい方向性を示したともいえる。

清盛と信西、清盛と義朝の友情ロマンありきで突っ走っちゃったから、史実がそれほどでもなかったことと整合性がとれておらず、「貴族以上の都合で武士以下が泣かされない世の中をつくろう」と約束しあっていたはずの割には、清盛が熱い友情にもとづいて動くべきところで動かない(たとえば信西のために平家の金で大学寮を建ててやるとか、義朝の待遇について信西にうるさがられるくらい掛け合うとか)ので、清盛の人間性がいまいち不明なままだ。大胆さと臆病さを兼ね備えているというよりは、頭が廻転していないという感じだ。

でもそれでいい、「俺は無力だーー」と若い男同士が泣きながら戦う絵ヅラを観て女性視聴者が喜ぶ、というつくりになっている。で、おそらくそれがモニターの数字に表れてきていない、と。

……それならそれで、「なにこれウケる♪」と思ってくれる視聴者が何人いるのか、似たようなドラマをまた作ってもやっていけるのか、調べたらいいと思うんだけれども……
2012/07/11

【清盛語り】王家という言葉が人間関係の理解を妨げたと思うんだ。

旧作を叩き台に今更なことをクドクド言うのは当ブログの仕様です。

念のため、王家が天皇家であってもこの場合おなじこと。ドラマ内の人間関係を理解しやすくする方便として、あえてザックリと「院の命令」なら「院の命令」で統一すればよかっただろう、という話。

第1話序盤、「当時の武士は朝廷の番犬・王家の犬と呼ばれていた」「王家の命令で盗賊の討伐・捕縛にあたっていた」と下手なナレーションが流れる。

これは、「今でいうと機動隊みたいなもんで、権力に従属していました。皆さんよく御存知の江戸時代と違って、武士自体が支配層だったのではありません」て意味だから、視聴者としても「あ、そうなんだ」とあっさり受け止めることができる。絵ヅラは怖かったけど。朧月夜はホラーだった。子供に見せられない。まァそれはそれとして。

朝廷の番犬・平正盛一行は、盗賊・朧月夜を退治し、その一党を捕縛して、都へ引き上げる。すると関白の車と行き会う。
関白・藤原忠実は、貴族の頂点として紹介される。車から化粧した顔をのぞかせ、「血のにおいがする」と嫌味をいう。

「化粧した貴族=自分では戦わないくせに威張ってる人=ドラマ上の悪役」であることは、歴史を知らない人にも了解できる。

これへ正盛は「院のご命令で盗賊を退治し、その報告に上がります」と説明する。聞いた忠実は「血まみれで都を歩くな」と苦言をのべる。

ここは、歴史を知らなくても、「盗賊退治の命令が、この関白から出たものではないこと、院という権力者が別におり、正盛たちはその命令で動いていること、関白はそれを快く思っておらず、『都の美観と治安を守る責任者は自分であることをアピールしたい』現代風にいうと『院の命令だからってデカイ顔して歩いてんじゃねーよ』と言いたい」ことが知れる。藤原家は貴族の頂点であるから、どうやら貴族と「院」との間に権力争いがあるのだろうと推測できる。

じゃ、「院」とは誰か。

洋画なら王家の家長は「王」であり、キングは一貫してキング、古代ローマものならシーザーは一貫してシーザーだ。ここで説明しておくべきは「(ドラマ内でいう)王家の家長が、王ではなく『院』と呼ばれている」ことだったろう。

本来「王家」を補佐して(という名目で)国内政治の中心である朝廷を「300年の長き」に渡って牛耳ってきたのはこの藤原摂関家なのだが、
この時には白河院という「王家の家長」がいて、王家の若旦那(帝)≒朝廷≒藤原家を上回る非公式の権力者として存在感をみせており、平氏はその実効支配を武力で支えている。朝廷の番犬と呼ばれても、藤原摂関家の番犬ではない」
(そのことを藤原家は快く思っておらず、したがって平氏へ嫌味をいっている)
ってことだったろう。

そして「王家の犬」といっても「王家」に属する別の人間(帝や中宮や親王)の命令では動かなかったのだから、ずばり「白河院の犬」でよかっただろう。

このへんが流されちゃって、物語は若き忠盛が生業をばかにされたことを憤る独白と、舞子との出会いに突入してしまう。
白河院が最高権力者であることがナレーションされるのは、だいぶ後だ。そこでは藤原氏との(対立)関係は説明されない。
しかも白河院の周囲の男女関係がグダグダで、白河院と息子・鳥羽帝の間に少なくとも心情的対立があることは明かされる。後の権力争い・戦争の火種になるであろうことが推測される。

だもんだから後に清盛が「王家を守る」っていうが王家ってどこだ、っていうのが分かりにくく、彼の怒りの意味がいまいち不明だ。(初見の時に思った)

これは日本の王家はほんらい天皇家または皇室とお呼びするべきだっていうのとはまた別の「ドラマ上の分かりやすさ」という問題で、仮に「天皇家を守る」ったって外敵(たとえば宋)と戦う話ではなく、明らかに内部対立があり、起こるとしたら当の「王家」における親子内乱であるのに、誰から誰を守るっていうんだ。

白河院の私兵あつかいでよかったものを無駄に話を大きくしたので分かりにくくなった。

忠盛・中井貴一は、よく若々しさを演じていたと思う。後の棟梁らしさ・お父さんらしさと比べれば、彼は気の持ちようで顔つきや声質まで変えてくる立派な役者さんだと思う。

ただし、あの都大路の場面で、藤原忠実が言ってるのは「そもそも盗賊退治が院の命令であることが気に食わん、俺は聞いてない」ってことなので、それへ向かって「血まみれなのは(院の命令にしたがって)頑張った証拠ですんで!」と口答えするのは、火に油だ。忠実自身の命令による頑張りなら「ようやった、褒美をとらす」って言ってもらえるところだ。なぜ忠盛には、それが分からないのか。

後の清盛のばかっぷりと呼応してるには違いなく、この養父にしてあの養子あり、平氏に革命的・近代的な自我をもった人物が二人いたから後の繁栄があった、というふうに一貫性があるには違いないが、……平氏一門の跡取りである者が、父棟梁・正盛の補佐である者が、なぜ当時の政治状況にうといのか。そんなことがあり得るのか。そういう前提で進めちゃっていいのかこのドラマ。という疑問は残る。

史実上の人間関係が実際にややこしかったことと、説明における無駄、それへ人物造形の不可解さが合わさって、「?」なドラマになってしまったことは……まァ勿体なかった。
2012/07/10

2007年映画『自虐の詩』観ましたー

これは贅沢な・・・・・・。

いやすごい貧乏な暮らしを描いてるんだけど、それを面白く見せる工夫がすごくて、映画的に贅沢な時間を過ごすことができます。基本的な人間関係を紹介する冒頭の15分ほどで、とっくに1時間くらい経ったかと思ったほど密度が濃かった。
原作は4コマ漫画だそうで、なるほど意識的な繰り返しが多かったわけです。

マンガをアニメ化するとギャグのテンポが間延びして面白くないということがままありますが、これはギャグマンガのテンポをそのまま再現したという、映像・演出技術の結晶、かな。(アニメはアフレコの関係で掛け合いのテンポが難しいんだと思う)

原作マンガは白っぽく、もっとほのぼのと肩の力の抜けた味わいのようですが、映画は気合いの入った極彩色の堤調になってるので、イメージ違うと思った原作ファンはいらしたかもですね。

原作は1985年から80年代後半の5年間に連載されたそうですが、……っていうと昭和60年から平成2年まで。にしても「いつだよ」ってツッこみたいほど、昭和ど真ん中で時間が止まった舞台が、ある意味すばらしい。よく再現したというより、よくぞロケ地を見つけたというべきか。いや割と大阪の街じゅうにあんな昭和があふれているのかもしれない。平成の裏側って実はこんな感じだよね。

撮影は大変だったろうと思います。とくに序盤はいろいろなアングルから撮ったのを細かく組み合わせていて。

先日『犬神家の一族』を見たばかりですが、あの頃はやはり基本的に肉眼と同じ高さで水平に撮るしかなかったのが、「真上から」という目線が加わったのは、やっぱりマンガやゲームの影響かな、などと思いました。
料理をする手元や青いガス火の接写と音を使って、嫁に背を向けている男の耳にそれが聞こえているのを表した場面はすてきでした。
ストップモーションを加えてアクセントをつけるのは『ツィゴイネルワイゼン』『犬神家』でもやってましたね。洋画ではあまり見たことないかも。あと全体的に思い出したのは伊丹十三監督の作品で……あちらもまた意識して見なおそうと思います。

これは堤監督で借りたと思います。お正月の『格付けチェック』で堤演出のドラマを観て興味深かったのでツタヤディスカスで予約しておいたのが消化順に今ごろ届いたのです。なぜこの作品にしたかは覚えてないです。

原作を読んでないので、ちゃぶ台返しについて予備知識がなく、非常に楽しく拝見しました。スローモーションきれい(笑)寿司はよく飛びますね。「トロおぉッ」
うどんは……一発でOKできたのかな。食材の後かたづけ大変だろうなァと主婦的心配をしました。

すっごい面白いけどこれどうなるんだ? 何回繰り返すんだ? 基本的にはホームコメディでいいのか? まさか『青春の殺人者』みたいに急に笑えない話になるってことは……などと心配し始めた頃、急展開。

そこから雰囲気が変わって、テンポも撮り方も変わり、大らかなカメラ使いで、じっくり見せるいい話に。葉山が見上げていた電車の上の空の開放感が切り替えの象徴でしたね。
タイトルがタイトルだけに、ついていけないほどカルトっぽいのか、すごく暗い社会派ドラマかとも思っていたので、最終的にはきれいな話でよかったです。

白馬ならぬホンダバイクの王子様にグーパンチ。

どうすればバイクが炎上するのか分かりませんが、あのときの阿部ちゃんは「片翼の天使」みたいでカッコ良かったですな。

あらすじを言ってしまえば昭和時代に男性誌に掲載されたにふさわしく「尽くす女とダメ男」「アクシデントによって絆が深まる」なわけで、古くさいんだけど、『青春の殺人者』の原田美枝子を彷彿とさせる中谷美紀と、彼女の少女時代を演じた岡珠希ちゃん、熊本さんを演じた丸岡知恵さん(こっちは「さん」)たち女性陣の、ほとんど「素」な渾身の演技が、非常に好感度高いですねっ

「なぐり合って友達になる男の友情に憧れる」とはよく言われますが、女の子同士も殴りあって友情を深めるというのは新鮮でした。ケンカの仁義を知ってる熊本さんすてき。いや、それだけ追い詰められてるんだけども。漫画だったら七輪ぶらさげて教室の真ん中に立ってるのは笑える最終コマなんだろうけど、映像では凄みがありましたね。平等を訴える者の余裕など、今だからこそイタイというメッセージ(?)もありましたか。

ところで映画的には関係ないけど胎児写真が3Dであることにカルチャーショック。私の頃はあんなんなかった(ノ´∀`*)
中谷美紀の妊婦らしい歩き方は上手でした。お腹の張りを思い出しちゃった。
強面のバンド兄ちゃん達がすごい勢いで席を譲るシーンには笑わせて頂きました(*´∀`*)
ところどころにコメディアンが出演しているのも大阪らしさを高めていたのだろうと思います。

音楽は序盤のギャグパートでは個性的なラテン調が自己主張し、中盤以降は控えめに、しっとりと泣かせる「劇音楽」に徹しているあたり、ああ上手いなァなどと。

上手いといえばもしかしたら竜雷太のじいさん組長役が意外なほど似合っていた。下宿のおばさんがカルーセル麻紀と気付いた時にはのけぞった。「若いときの美貌を残している、化粧が丁寧など女を捨てていない」という役がすごく似合っていた。ポスターがしっかり貼ってありましたね♪ 遠藤憲一と西田敏行の役者ぶりなんてもう言うほうが失礼かしらん。

ストーリーは盛りだくさんだけど「ありそうなこと」に徹しているので意外とシンプル。あまりヒネった物語にしなくていいんだ、笑いと泣きのツボを押さえていれば、という見本みたいな一本。タイトルは、つまり「自虐しないで手の中を見てごらん」という反語。「元気な赤ちゃん」が幸せの鍵なのでそこは人によってはあれだけど、作りの面白さで観ておくといい作品だと思います。
2012/07/10

『清盛』第27回「宿命の対決」

見逃しオンデマンドでやっと観た。

「源氏を滅ぼす!」

摂津は関係ないです、という頼政の声が聞こえた気がしたオープニング。たぶんあのオープニングの編集が一番気が利いている。たぶんあのオープニングを今からでも遅くないから序盤の10回ぐらいに付すべきだ。

清盛が状況説明を述べたのでびっくりした(笑)お利口さんになったね。すかさず念を押す盛国グッジョブ、ダメ押しの家貞はさすが備えある筆頭家人である。

塚地信頼が登場していらい脇役たちの芝居がコミカルになり、また女性陣の扱いが軽くなり、場面に強弱がついて分かりやすくなり、まァやっと子供に見せてもいいかなという感じになってきた。

源氏がたはまるで任侠ものの悪役になってしまっているし。(役者はよく頑張っている)
それにしても「あなた様の可愛がった信頼」であるから、やっぱり信頼=安禄山ではなく楊貴妃である(爆)
貴族がたも上西門院も繰り返し状況を説明してくれているので、……まァだいぶいろいろと配慮がきいているもよう……撮り直せ第1部。

泣き虫きよじゃぶろうは大きくなっても可愛いですな。稚児姿に和みつつ、「なにゆえ清盛は攻めてこぬ」って内裏を攻められるわけないって普通に思ってくれ義朝。
彼と信頼の美醜ツーショットが変に萌えなのだがどうしたものか。(書きたくはない)

梅雀さんありがとう。やっと時代劇らしいものを観た気がします。BGMはもう少し抑え目でもよかったと思います。わりと大事な台詞に音楽がかぶっちゃうんだよねこのドラマ。囃子が気合い入りすぎた能みたい

伊藤忠清役藤本隆宏氏がオープニングで一人立ちするのが嬉しい今日この頃。熊野詣りの小舞(?)は巻き戻して観る! 役者さんとしても役としても明るい人柄が表れた、大らかな舞っぷりがようございました。

ところでオンデマンドは全画面か小窓かしか選べないので若干不便。視聴しながら感想を書くためのブログ画面が隠れないていどの中くらいに拡大できるといい(ノ´∀`*)

コミックリリーフ的公卿の前で清盛が鞘を払うのは、やっとドラマ序盤では鼻についたこいつらしさが生きてきた、という場面。もう少し序盤の話運びが良かったらねェ……(ブツブツ)
たぶん松ケンは型で芝居する人なんだと思う。
そして清盛は大石内蔵助になってしまったらしい。
「それでこそ貴様だ」
いや、そんなにお利口じゃなかった。清盛が急に策を弄するに至った経緯が描かれていない。いつものことだけど。

そしてやっぱり他人ごと風味な摂津源氏(笑)
声変わりしてない帝、よいね。
「すまぬ。少し早まった」「え?」「初陣じゃ」「え?」
宗盛くんいっちょあがり。殿もこんなだったと思ってるはずの忠清。ここは普通に萌えておきます。
清盛は台詞がブツ切りな癖を早く直してほしい。義朝のほうが文節の継ぎ目で息を残している。

合戦シーンはやっと「こういうのが見たかった」という感じになってきたでしょうか。
「わが父より授かった」よけいなこと言ってると斬られちゃうよ。アニメじゃないんだから。
個人的には忠清さまにキャッキャしましたが、若い子が多くて「しまったこの子だれだっけ」状態。矢印つきで字幕を入れてほしいと思ったりしないこともない。
戦略的撤退のタイミングは太陽の角度を見た以外に考えられないけどちょっと分かりにくかったですね。
そしてやっぱり清盛が頭いいことに違和感(笑)

賀茂川のクレーン撮影。じゃっかん勿体ない。リドリー・スコットの緊張感は出なかった。「いざ!」というところでテンポが落ちて、メロウな音楽が入ってしまうのはいつものことだけど。
裏切り御免な摂津いいぞ。彼に従って兵が算を乱して逃げるというふうでないのはそれなりに立派なものだ、河内。
忠清さまの「放てェ!」の勇姿を目に焼きつけつつ、「ダイヤモンドぉ!」と叫びたくなるのは洋画の見過ぎです相すみません。
ってか一旦射程距離外に逃げなさいよ。

……逃げすぎて異空間へ達してしまったもようです。誰もいないところで棟梁を名乗りつつタイマン。鞘を捨てたほうが負けとは思わなかったらしい。
なんだこれは。西部劇がやりたかったのか。(役者はよく魅せてくれたと思った上でネタとしてツッコんでいる)
一番すごかったのは馬上で両手剣をかまえたことであろう。義朝が突きを狙う構えだったのも正しいかと思う。両手剣で日本刀ぶったたきゃスッ飛んでいくのは当たり前だ。っていうかそれで折れない友切 髭切が一番すごかったかもしれない。脇差なげるのよそうね大将。
最後の最後のタイマンは、長尺でずばりようございましたでしょう。「鎧が重いんだよ!」というガニ股な動きが良かったと思います。
いっそここをシリーズ冒頭にもってきて、ここから回想で巻き戻す構成にすりゃ良かったのにな!

「武士とは勝つことじゃ!」
君はいつそういう哲学を身につけたっけかね……後白河にちょっといじられて「武士なんて何も変えられないーー」って挫けてたくせに。
「また会おう」
役者渾身の涙は美しゅうございましたがこの二人の友情ロマンありきなのが不思議でしょうがないんだけれどももうBL歴史館ってことでいいです。
2012/07/09

【清盛語り】オンデマンド待ちのヒマつぶしに振り返ってみる。

遊びをーーおおせんとやーああ生まれーーけむーーーー
たわむれーーええせんとやーーああ生まれーーけむーーーー
遊ぶーー子供のーー声ー聴けばーー我が身ーーさえこそーー揺るがーーるれーーーー

↑ さんざん文句いってるくせに毎日(脳内で)歌っている。声は松田聖子。

聖子は良かったと思う。芝居がうまいかどうかはともかく、真摯に取り組んでいるという雰囲気は伝わってきた。
独特の舌ったらずな語り口が、やはり女優向けではなく、どうしても「聖子ちゃん」になってしまうが、女院対決ほど難しい役ではなく、ゲスト的な扱いに納まっていたのが、ちょうど良かったんでないかと思う。

なぜいわゆるオタク層に人気があるかというと、元々アニメ調、マンガ調にできているからだ。

とつぜん怒鳴る芝居は、マンガでいうと見開きページいっぱいに集中線が描かれているようなコマに相当するし、キャラクターが自分で心情を解説しながら延々とバトルを続けるのも、洋画でも他のドラマ(一般的な時代劇)でも観られない場面だ。『攻殻機動隊』など大人の鑑賞を意識した、海外でも人気の出たアニメ作品でも観られない。

想起されるのは、やっぱり毎週30分ずつ放映の少年向けアニメだろう。主人公が何度なぐられても、岩に叩きつけられても(岩はヘコむが主人公の身体はヘコまない)立ち上がり、「俺は、俺は…!」と自分語りを試みる、あれだ。

開いた口がふさがらない程の画面の凝りようと、ナレーション・台詞・世界観などのズッコケさせてくれる程の幼稚さのミスマッチは、第一話からみられたところで、そーだなー……「世紀末救世主伝説」みたいに、やたら描き込んだ画面と、荒唐無稽なストーリー・演出が両立したマンガ(劇画っていうといいのか)が一番分かりやすい例だろうか。

第1話を見たときに、「ああこういう作り方がなされる時代になったのか」という感慨をもった。

CGアニメのキャラ描写が妙に実写っぽいとか、CG背景と俳優演技を合成したものなら洋画によくあるが、それとはまた違って、「ほぼ100%実写によるアニメ」「アニメの絵コンテを俳優が演じた」というような、ある意味ひじょうに日本的な、世界的にも稀有な作品なんだろうと思う。

それを好む層が、「実写でこれをやってくれるとは」と手を叩いて迎えたことが、視聴率に反映されていないわけだが、視聴率なんつっても、今どきチューナーつきPCや、モバイルや、録画で観る人が勘定に入っていないのでは、イタイとともに、意味がない。

たぶん計測方法を変えると違う結果が出るはずだ。大手メディアが従来の視聴率にこだわるのは、なんか業界同士のお約束みたいなものがあるんだろう。

イケメン大量動員ドラマが女性視聴者を意識してることは確実だが、国勢調査のときの騒ぎを考えると、一人暮らしの女性はモニター調査に協力したがらないかもしれない。双方向通信で視聴情報を集めることはできそうだけど、やっぱプライバシーの侵害ってことになるかもしれないので、むずかしいのかもしれない。

ところで個人的な話をすると、実は一番印象に残ってるのは第7話『光らない君』だったりする。竹やぶや石橋での会話のロケの爽やかさ、美しさが忘れられない。光る君に対するに光らない君というシャレも利いていたし、「犬君が逃がしつる」で最初と最後をまとめたのもきれいだったし、アニメーションも凝っていた上に「分かってる」という感じだった。松ケン清盛のギャグ演技もよくハマっていたと思う。もともと「L」だったし……本当はあまり感情をのせない軽い演技・定型的な演技が似合う人なんじゃないか、とちょっと思っている。

「俺は誰なんだーー!」「誰でもよーーい!」はシリーズ中の白眉だろう(まだ終わってないけど)

あれは、清盛が花道の真ん中で叫ぶ背後に緞帳が下がっていて、その中から声がして、緞帳が開くと(セットの)穴ん中に通憲がいる、という演劇調・ミュージカル調の演出が、うまいことハマった瞬間だったと思う。

眉をつぶし鉄漿を塗るところまで再現するとともに、衣装に現代的なデザインセンスが大胆に生かされてもいることは、宮中が映るたびにハッとさせられたところだ。個人的には白河院の黄金の上着(最上位の高僧が着る裘代(きゅうたい))、堀川の鮮やかな袿、得子がいつも白と紫でパキッとしてること、璋子がいつもボヤッと淡い色を着てるあたり。あと第1話の舞子ちゃんのベビースリングはよくやってくれたと。あと通憲のヘタレ烏帽子の愛らしさは忘れられません(*´∀`*)

源平は……あの直垂のざっくりと毛羽立った感じが非常に好きなんだけど、序盤の海賊退治の場面では、敵味方とも小汚いので見分けがつかないという画面的に致命的なことになっていたとも思う^_^;

烏帽子といえば、藤原忠実が源為義を叱りつける場面で、忠実の立烏帽子よりも高いところから庭(でひざまづく為義)を見込んだ構図があって、あれは素晴らしかった。
……烏帽子よりも高いところから見おろす、というのは、烏帽子の誇らしさに思い入れのない現代人ならではの発想で、これは良くも悪くも21世紀らしい表現だったかもしれない。

良くも悪くも21世紀な部分は他にも一杯あるわけで、そのへんも「なんでもあり」なマンガ的発想、とくに商業出版の約束事にとらわれない同人マンガの流儀が生きているようなところがあり、そのへんが年配者・同人マンガに慣れていない人を非常に戸惑わせるのだと思う。同人マンガのお約束はまた小劇団のお約束に通じるところもある。「客がここで笑う」と台本に書かれているようなものだ。客も分かっていて笑う。

好きだったキャラというと(と話題を変える)、白河院・正盛(平家の先々代)・忠正(叔父さん)・藤原忠実・鎌田通清・信西。だいぶ寂しくなっちゃったなァ……

ここからは若者たちの成長を楽しみにする話となるのでしょうか。明日を楽しみに待ちたいと思います。
2012/07/07

1976年映画『犬神家の一族』雑感:翁は分かってたんだよね・・・

製薬王の無茶ぶりな遺言が頭の体操みたいで面白いので考えてみた。

映像作家が映像作品のみから読み取ってほしいと思ったことを読み取ったつもりになる企画、ということで、あえて76年版の映画のみを叩き台とする。

ネタバレそのものなので未見のかたはご注意ください。
自分の目で見て考えてみると面白い映画、また考えてみたくなる映画です(*´∀`*)


Read more

2012/07/06

1976年『犬神家の一族』雑感。

明治十一年 放浪の孤児佐兵衛、信州那須神社神官に救わる
明治十六年 神官夫妻と十七歳の犬神佐兵衛
明治十九年 犬神製薬工場設立
明治三十八年 工場増築
大正八年 佐兵衛五十三歳 中央政財界に進出
昭和十年 犬神製薬那須本社工場新築
昭和二十二年二月 犬神佐兵衛死亡

(↑映画序盤に表示される字幕から転載)

明治三十八年はもちろん日露戦争まっ最中、大正八年はスペイン風邪の流行があった。医薬品製造はふつうに儲かっただろう。
明治十六年=1883年に十七歳の佐兵衛は、1866年生まれ。
昭和二十二年=1947年には、佐兵衛81歳。

石坂浩二の爽やかさ、脇固めベテラン勢の濃い演技、工夫された映像の前衛性、大野雄二の音楽と、もはや失われたといってもいい日本の風物の美しさが醸す叙情性と哀調、70年代らしいギャグ一歩手前・血糊まみれのおどろおどろしさが綯い交ぜになった傑作。

……であるもののストーリーに敢えてツッコむ企画。

この映画、「すべてが偶然の集積」、理由はともかくその時はそういうふうになっていたので、そういう人がそろっていたので、事件が成立してしまい得たので、あとから言ってもしょうがないです、というふうにできている。

それをミステリとしてはズサンと見るか、現代社会の不確実性を表した新しい形のミステリと見るかが評価の分かれ道。

また、その論理性がないようなあるような、「ふつうそんなことは」と思えるような事件を洞察する金田一の、先入観にとらわれない知性の自由さそのものを味わうための映画でもある。

脚本家(監督を含めた三人)は抜かりなく、作中人物の口を借りて「偶然がなんども重なった」「軍隊では必要な知恵だった」など、要所要所で言い訳を述べており、ツッコミ無用の左うちわ状態なんだけど、ツッコむこと自体が面白いんだから言わせてくれという話。

原作つき映像作品について、原作から情報を補完すべきかどうか。映像作家が「今回は映像化不要」と判断した部分についてはどうしたものか。原作のヒットを受けての映画化だから、原作を知っているファンが見に来るのが前提で、説明を省いて絵的な面白さだけを追求するのは映像作家の仕事としては「あり」だ。

とはいえ原作は1950年に雑誌連載された小説。映画公開は1976年。26年も前の原作など知らずに「テレビで予告編をみて、映画館へ行った」という当時の若い人は大勢いたはずで、彼らはこれをどう観たのか。70年代らしい刺激性に面白く感じ入ったのでしょうか。納得いかないと思った部分についてはどうしたのでしょうか。素人がブログで自説を発表する時代ではなかったから、「映画同好会」など結成してミニコミ誌を自分で発行したのかな。大野雄二のサントラを聞きながら、ハイボールなど飲みながら、夜通し語り明かしたのかな(*´∀`*)

グラスを倒してキーボードを濡らすと「臨終の犬神佐兵衛」みたいな顔色になってしまう(あのメイクは凄すぎて三國連太郎と気づかなかった)ので手元にハイボールはないけども、まァ一杯ひっかけたような、そんな気分で参ります。
ああそういえば古舘弁護士の事務所の隅にゴードンジンぽい黄色いラベルの壜があったなァ。ジンハイボールもいいね……

私的には「映像のみを判断材料とすると、納得いかない」部分が二点。それを叩き台にして映画全体のテーマみたいなことを語ります。こってりネタバレにつき追記にて。未見の方はご注意ください。


Read more

2012/07/05

恐ろしい偶然です:1976年映画『犬神家の一族』

清盛の画面の暗さを指して「横溝映画っぽいかな」などとぬかしていたら、届いてしまいました。
レンタルDVDを監督つながり等でポンポンと予約しておいて、忘れた頃に届くので、偶然なのです。

いや……何度観てもいいですね。大野雄二の音楽がノスタルジー(*´∀`*)

子供の頃は、刺激的な犯罪描写を、おびえながらも面白く鑑賞しましたが、今回は、古館弁護士役:小沢栄太郎、大山神官役:大滝秀治、橘警察署長役:加藤武、梅子役:草笛光子など、ベテラン俳優たちによる、そこはかとない喜劇の雰囲気を楽しむことができました。

女性が一斉に喋り出す際の騒がしさとかね。女性の風景を男性監督が描き出す鮮やかさ・面白さは残酷なほどです。橘署長が粉薬を吹いたりね。わざとズッコけるというのと違って、何を特別にギャグとしてやってるんじゃないんだけれども。役者は充分に狙ってやってるんだけども、自然なのね。

時折ブルージーな大野雄二の音楽は非常に風情がよいわけですが、まったくBGMのない時間も長く、全体に静かな印象です。台詞どうしの掛け合いのテンポがよく間合いがよく、芝居を心得た役者の動きを信頼して撮りっぱなしたシーンと、画像に手を加えて遊んだ部分の対比が面白かったです。
草笛光子の大胆演技と違って、石坂浩二の語り口はうっかりすると平板になるところを、時折ストップモーションを挿入して、観る者をハッとさせたり。

画面は……暗くてもフィルムだと見やすい。フィルムライクなビデオの微妙な質感って……これからの課題なのかもしれない。慣れてしまえばいいのか orz

那須ホテルの主人:横溝正史(!)は明らかに素人でしたが、非常にいい味わいでした。先生、芸達者(^^)

舞台は信州の那須市。栃木県じゃなくて信州上諏訪をモデルにした架空の街だそうで(いま調べた)、犬神佐兵衛が製薬会社を興して成功したことになっており、製薬というのは信州っぽいです。撮影は上田市。湖は大町市にある仁科三湖のうちのひとつ、青木湖。

なにしろ犬神家とされている古い屋敷、街にある古いホテル(という名の民宿)など、黒光りした日本家屋もすてきなら、湖畔にある朽ちた洋館など、建物がすてき。終戦まもない時代に女性たちが着ている銘仙、帯もすてき(*´∀`*)
「湖から出た脚」と「佐清のゴムマスク」が変に有名ですが、美しい風景が見られ、叙情的な面もあり、じつは後味のよい作品です。

冒頭の明治・大正時代の写真を再現したのが見事です。「昭和二十二年二月に犬神佐兵衛死亡」とテロップおよび新聞記事で示され、その後の台詞で「佐兵衛翁は七ヶ月前に亡くなった」といってるので、昭和二十二年九月のはずなのです。

博多引揚援護局は昭和二十二年四月に閉局されたので、それまでには佐清が博多へ着いたことになってないと。古舘弁護士によると「半月ほど前とつぜん博多へ復員したという連絡があり松子未亡人が出迎えにいきました」そうなので、翁の逝去と同時くらいに佐清復員の連絡があって、母・松子が博多までおもむき、その後東京で医者にみせたり、マスクを作る間、何ヶ月か掛かった、ってことになるのでしょう。

事件の関係者は多いのですが、冒頭に親族一同が遺産分配の話をするために本家へ集まったことが示され、各家族とも個性的な母親を中心に、それぞれの客室へひきとり、夫や息子・娘はあっさりめに描かれるという強弱がついており、また、主人公(金田一)到着まもなく弁護士の口から家系について一気に説明されるので、分かりやすいです。

金田一は何か自分なりの論理があって、街じゅうを探り回っているもよう……というのが、警察署長や宿の女中さんとのコメディタッチのやりとりの中で示されます。暗く刺激的な犯罪描写との良い対比。
「ぜーんぶあたしがこしらえたのよ。なにが一番おいしかった?」「生卵」
もちろん金田一が女心にうといことと同時に、味も分からないほど熱中していたことを示している。
で、そんなに熱心に何を調べていたかというと、すぐ次の場面で「伝記に書かれていない話を聞かせてください」と手短に単刀直入に弁護士へ切り込む。

と思うと金田一、次の登場シーンでは宿の女中を物陰から「おはるさん、待ってたんだよ」と呼ぶ。なんだ逢引かと思うと、はるちゃんを医師の元へ派遣していた。その伝言をはるちゃんから聞く時は、またコメディ調で。「ホテルのなじみ客に薬学部教授がいて良かったよ」など説明的な台詞をサラッと流しつつ、しかも「探偵の経費でおとせるんだから」と金田一わりとしっかり者w 
そこからまた弁護士との問答へ。

そのように金田一が冷静に論理的に研究をすすめるのと平行して、本家では感情を揺さぶるように音楽(琴)が、また梅子の不安な様子が描かれ……

無駄なく盛りだくさんなのに、きちんと前の場面を引き継いでおり、流れがきれいだから腹に収まりがよい。先々なにを観るにも書くにもお手本にしたいところですね。

一見無関係にみえる脇役、ちょっとした小道具が後できいてくるというのもハッとさせられるところで、大筋ができ上がったところから逆算して、他のシーンが設定されていることが分かり、繰り返し観たくなります。

犯罪そのものは……(以下、事件の核心部ネタバレにつき追記にて)

Read more

2012/07/05

清盛くんを観てると疲れるのはですね・・・

もはやバカな子ほど可愛い状態で特選ライブラリーを繰り返し視聴しております。

合間にふと1976年映画『犬神家の一族』を鑑賞したのですが、石坂浩二とあおい輝彦、それから先日の『青春の殺人者』の水谷豊もあわせて考えるに、男性監督および観客に愛される若い男性俳優というのは、とくに悪でも善でもない無表情に近いスッキリした顔立ちと、おもいきって感情的な表現ができる吹っ切れ感、根の明るさ、純情さを備えているので、その意味じゃ松山ケンイチは悪くないんだ。

ただ清盛の場合は何ぶん脚本が。

現代的価値観が反映され過ぎて「時代劇」と思って観始めた客が戸惑うことと、
キャラクターの成長・心の変化が順を追って説明されないので視聴者がじぶんで考えなければならないこと、
現代的に考えてもなお、キャラクターの行動が常識はずれなので、更に戸惑わされること辺りでしょうか。

ハードル高いですな(;´∀`)

崇徳上皇が鳥羽法皇のいまわの際に駆けつけたにあたり、清盛っちは、崇徳上皇のおん前で少なくとも鞘を払ってはいかん。それじゃ謀反だ。(第19話)

法王がたの警備主任が上皇へ直接刃を向けたとあっては、その時点で内乱勃発だ。民を苦しめない政治を行うために武士が政権を取ると日頃ほざいてる者が、戦争の引き金になってどうする。

現代劇なら、大統領に面とむかって警備員がピストルを構えたって感じ。こいつ自身がテロリストとして身柄を拘束されるべきだ。

まずは泥に膝をついて、「まことに心苦しゅう存じますが、お通しするわけには参りません」と言葉で申し上げるべきだ。どこの店だって客を断るときにはまず謝るだろう。

しかも清盛くんは先に自分が兄貴ぶって「もう親子仲直りしろよ、会いに行ってやれよ」って言ったんだから、泥に手をついて「こないだは俺が甘かったですーー」と謝るべきだ。「俺バカだから信西に言われるまで気が付かなかったんですーー」あるいは「俺バカだから信西に一言いわれただけで気が変わっちゃったんですーー」でもいいぞ。

仮に信西のいう通り保元の乱が回避不能だったとしても、そのばあい平家は今までの成り行きから鳥羽&後白河に組するのが棟梁として一門を守るための最終判断だったとしても、「俺だって悩んだんだ」という顔を上皇に押しつけてもしょうがないし、どっちみち同じなら臨終の挨拶くらいはさせてもいい。少なくとも当時の習慣なら和歌くらいは届けてもいい。史実はどうあれ、むしろここで清盛が個人的にひと働きして親子の仲だけは取りもった(それでも乱は防げなかった)とすれば、フィクションとしての本領発揮だっただろう。

天皇家への不敬表現は思想的にも問題ありありだが、三百歩ゆずって昔の話だしドラマだからとしても、そのドラマの中がきれいに流れていない。

重盛の結婚式も「皆が喜んでいるから言い出せなかった」「とうとうベッドまで来てしまった」というのがふつうだろう。(第24話)
べつに日本人だから口下手だとか、本音と建前を使い分けると限った話ではなくて、世界中のドラマ・映画に「言い出す機会がなかった」という表現はある。逆に、だからこそ日本人が外国映画を楽しむこともできる。

また、お家騒動がなぜ起こるかといえば、若君たちそれぞれに既に家臣団がついているからだ。生まれてすぐ養育責任者が乳母・乳父として生みの親とは別に定められ、その親戚・姻戚は若君と一蓮托生ってことになる。若君はそれに応えるべく弓馬の道を習い、四書五経と孫氏を読み、宮中での出世をはかり、いい家の娘を嫁にもらう。

とつぜん断れば乳父が腹を切ることになるかもしれないし、嫁の実家と戦争状態になるかもしれないし、みっともない騒ぎが朝廷の耳に入れば自分の実家が減俸・降格なんてこともあり得るし、少なくとも都中の笑いものになって、長く自分の出世にも障るだろう。

それら全てが考慮に入っていないらしい。「いやー……、っていうかまだちょーーっと自信ないんで、棟梁とか他の人にやってもらえればいいかなーと…」と逃げ口上をのべれば許してもらえる、というのは、核家族に育ったモラトリアム少年の発想だ。

この時代の若者はたいへんな責任を背負って耐えがたきを耐え、がんばっていたんだよ、ということを今の若者に教える、というような意味での時代劇になっていない。

どうも絵的なカッコよさだけをテーマに場面が設定されている感がある。視聴者をびっくりさせることをドラマ的な盛り上がりと勘違いしている節がある。
脚本家が小劇団の関係者という噂があり、そう考えるとちょっと分かる気もする。

映画『濡れた荒野を走れ』に、小劇団の稽古シーンがあった。主役へ必要以上にバケツの水をかけ続けるという劇中劇が示された。

あれが小劇団の感覚だとすると、結婚式シーンの最中に、「この結婚やめーー!」といきなり叫ぶ人物がいて、「おま今さら何いっとんねん」とドツく人物がいて、そこで客が笑う、という「段取り」によってのみ場面が設定されている、
……と考えると、『清盛』における唐突なシーンの連続が、ちょっと分かる。

NHK大阪の傑作ドラマ『大仏開眼』では、のちの孝謙天皇と吉備真備の出会いを非常に重視し、内親王(つまり女性)の身でありながら真備とともに野山を歩いて庶民の様子を実見し、(帰朝したばかりの遣唐使である)真備に習って唐の学問を習得する場面がていねいに描かれた。

我らが清盛くんは、何度もいうが、信西と兎丸との出会いを重要なシーンとして描きながら、その後、信西に習って宋の学問を修める様子もないし、兎丸とともに汗にまみれて働く様子もない。宮中のしきたりを無視してはばからない様子を何度も描きながら、信西を上回る大胆な提言によって海外へ飛び出す描写もない。

信西が「宋へ行きたい、大学寮をつくりたいが金が足りない」というなら、平家の実権を継いだ瞬間に「大学寮は俺が建ててやる! 今から船を仕立てて兎丸と一緒に宋へ行ってくる! 信西どののために宋の学者を連れてくる!」と息まくべきだ。「それは無理だ、外国へ行くには朝廷の許可がいる」「そんなのかんけーねー!」

最初から革命的な人物として描き過ぎて、史実がそれほどでもないことと噛み合わなくなっちゃったのだ……
2012/07/03

『清盛』第26回「平治の乱」

チャンネル権も録画権もないのでやっとオンデマンドで観た。

信西入道お疲れさまでした。お蔭様でここ何回か面白かったです。あなたは男でした。

そして主役はもうミュージカルにしちゃえばいいと思います。
「なぜ♪ 俺を待てなかった義朝♪ 二人の約束をーー忘れてーーしまったーーのかーー♪♪」
早まるでないぞおォ! と叫びつつ上手より退場。

……それより密偵を放て。死ぬ気で信西どのを発見させろ。早馬を飛ばせ。盛国に連絡をとれ。信西どのの家族の安否を確かめろ。播磨守の権威と平家の財力をフル稼働させろ。近在で支配下にある荘園すべてに替え馬と食料と武具の用意をさせろ。熊野詣は途中でやめていいのか。代理を立てる必要はないのか。棟梁として一瞬で判断して支持を出すべき事柄が一杯あるはずなんだ。家人たちから目をそむけてスポットライト浴びてる場合か。

映画『青春の殺人者』のDVD特典で、長谷川監督が「市川悦子さんは舞台の人なので、カメラ(≒客席)へ向かって見得を切ってしまう癖があり、何度か撮影をとめた」と言っていたのが面白かった。

それを聞いて、『清盛』に感じていた違和感の正体が分かった気がした。

必ずしも言葉で表現しなくてもよいキャラクターの内面を、大げさかつ抽象的な言葉で語らせてしまい、斜め上を向いてスポットライトを浴びたような演出で大見得を切る的な演技が多かったのだ。
時代劇だからそれでもいいと思ったんだろう……

そして武士が革命を起こすぜロマン&男の友情ロマンありきなもんだから、まず最初に義朝の心配をしている。上皇をたすけ参らせる!ってまず思えよ…… 明らかに自分の留守をついて、ついこないだ一緒に戦った後白河派の全員に内乱を起こされたんだから、「なめやがって~~」と思えよ……

やることやった後で一人になってから月でも見て「……義朝……」って言ってりゃ充分よ。

ご一同も「でもーー源氏のきもちもーー分かる気がするーー」とか言ってる場合じゃないって……。「また戦が? 平氏の立場は? 都に残してきた妻子は?」とかいろいろ心配することあるってば。あそこでビリっと緊張感が走らないのは武士・戦士を描いた歴史ドラマじゃないよ……ふつうに平治物語など読んでいれば面白いのにねェ。

ばち当たり上等で神域へ武具を運び込んだ家貞はグッジョブでした。

そしてあの主役のニヤニヤ笑いはなんとかならないものか。「こんな月の夜」に出会った生涯最高の友人である者が、自分の読みと備えの甘さから窮地におちいって生死も知れないんだ……結婚記念日に「お父さんと出会ったのはね、うふ♪」みたいな雰囲気で昔話してる場合じゃないってば。メロウな回想で緊張感を削ぐところじゃないってば。そりゃ待ってるだけの大将って実はヒマだろうけどさ、確かに。

歴史解釈とキャラクター設定と役づくりと演出の四拍子そろってズレてる感を味わいつつ、やっと出てきた信西は、すでに山科の国にいるって( ゚д゚) 徒立ちで( ゚д゚) 三条からずーーっと走ってきたんかい。

全てが「イメージです」で、都から山科までの距離感が徒歩の場合の日数で示される等ということがないのも、馬や車を使って避難の様子を表現できるはずのドラマであるよりは、とつぜん場面転換する舞台の発想でしょうか。

真言をすごい勢いで唱える信西はカッコ良かったです。素手でタコつぼを掘れはあまりなおっしゃりようと思いましたが。座布団もなく座る土中は寒かったでしょうね。

発見シーンは……感動的かつ納得いかない感満載でしたが、もういい。耳に残る名曲ぞろいのサントラのためのPVだと思って観る。

お最期は、天晴でございました。

そんでまた義朝ちゃんは男のロマンごっこしてるし。待つなよ。戦火ふたたびで京が燃えるだろ。門外で討ち取れよ。

そしてなぜ平家の面々は夜が明けてからチンタラ座り込んで会議しとるのか。殿のお留守に抜け駆けされたんだよッ 「やばくない?」って話なら、夜のうちに集まってしとけよッ 戦装束すでに固めとけよッ 信西と清盛の仲がよく、信西の嫁が駆け込んできてる以上「かくまってるだろう」と言われていきなり火矢を射掛けられる恐れもあるって状況だろッ 信西の館では女子供までやられたって噂は伝わってるだろッ 軍事組織なのに情報収集と状況判断があまりに甘い。「殿のお帰りには何日も」じゃなくて「熊野からなら早くて◯日」って言ってくれェ。その前に信西嫁を差し出すかどうかで大喧嘩するべきところだろッ 

史実はどうあれ作中の状況がそう描かれているのに作中人物が反応していないっていう……

この脚本で唯一評価できる点は早い時点で信西(通憲)を紹介しておいたところだろう。
あれっきり長いこと彼を放っておいて宮廷ロマンに突入することさえなかったならばねェ。

大騒ぎしたくせに西行、影うすいもんねェ。
白洲正子ふう解釈に従えば出家後も待賢門院関係者の間をウロウロしながら乱世のすみっこで歌ってた奴なんで、武家同士の争いとはまた別の視点で当時を描くことができて面白いかもしれないけど、これ以上複眼的になるとまた辛くなるからもういいや。やっと人数減ったのに。

ダークファンタジーふうの暗い画面と霧にまかれたような白っぽい粉っぽい画面が交互に出てくるのは目に優しくないけど、それももういいや。散々言われて直らないんだから、あと半年これで行くんだろう。確かに途中で画調を替えても変だし。

肩で息継ぎしながら語る古今未曾有の下手っぴぃナレーションも、もはや交代することはないだろう。残念だが頼朝自身が登場しちゃってるし仕方がない。

お気の済むようになされませ。

この先、初回シーンに戻るところまでやるとすると、平家が我が世の春を謳歌→源氏が伊豆で挙兵→木曽から乱入→平家都落ち→義経大活躍あたりまで一気に駆け抜けることになる悪寒。
けっきょく清盛は親父の財産を受け継いだボンボンだったという以外の人間性を印象づけることはできるのか。
せめて信西の下で勉強するべきだった。史実でなくても。すでに史実なんて場外ホームラン的な脚本だし。
「お忙しい方じゃ」じゃないだろ。手伝え。
主人公が一般視聴者の代表として感想を述べる立場になっちゃってちゃダメだろ。「もっとお手伝いできることはありませんか」「大学ができると何がいいのですか」「平家の財産から寄付しましょうか」などと興味を示せ。一緒に新しい面白い世の中を作るんだろ……?

不安を含みつつ来週こそ息の長い戦闘シーンを見られることを望みます。
2012/07/01

『清盛』第25回「見果てぬ夢」

鵺の鳴く夜は恐ろしい……

サブタイトルからしてフラグ立っちゃってますが、もうなんかいろんな人が終わりに近づいている模様。
「また後から言うのかーー」とも思いつつ、信西の原動力は(金を工面して)宋へ行きたい(人を遣わせたい)の一念だった、しかも上つ方は誰も他人の話を聞いちゃいない、ということがいっぺんに示された。まとまりは良かったと思う。

床いっぱいの算木で信西の脳内を視覚化するのは画的にも面白く、シリーズ前半では全く示されなかった「男が働く姿」「宮中の公務がどんなものか」が前回に引き続き信西を通じて示されたのは、ここんとこの収穫。

関係者の人数が減ったので、本当に分かりやすくなった。同じ衣装で並んでる公卿がたは悪役だということが一目瞭然。
傾国の塚地がじつにいい!(・∀・) ついにオープニングで名前がピンと思ったら大活躍でした。美男俳優お二方との対比が冴える。

いっそ最初からこういう(ブツブツ

タイトルロール清盛がまるで信西の側近という脇役みたいになっちゃってるんだけども。
『清盛』をタイトルにかかげつつ、なぜ「私」(=頼朝)の成長物語なのか。
むずかしい役である源氏夫妻を力量のある役者にふってるのは正解。熱田の姫は気高いまま逝ったのでした。今わの際の長台詞はいつものことさ。

いっそタイトルを『花の乱』みたいなイメージ的なものにしてしまって「禁断の宮廷ロマン」せめて源平ロマンとして煽っていれば反応が違ったかもしれない。
明らかに信西が「信西」になってからが面白いので、今から御覧になる人は、そうね第18回か第19回あたりから始められてもよろしいかと存じます。大丈夫、オープニング前に解説がつくから。

出演する子役はみな可愛い顔をしており先が楽しみです。主人公も丁寧に子役を入れ替えていっていたらねェと今更思います。せめて出自に悩んで荒れていた頃だけでも、そういう年齢(いわゆる厨二)相応の子役を使っていたら、もう少し共感できたかもしれません。

家を継がせるために養子をもらうというようなことが当たり前だった時代・逆に武家の子だったものが成長してから貴族にのぞまれて養子になり、違う道を進むということもあり得た時代・そもそも乳母に預けられて育てられることが当たり前だった時代に、そんなに悩むか? という疑問は残りますけども。もはや史実をベースに批判しても意味がない作品ですけども。

宮中のうわさ話を利用した状況説明はベタですが、まァ分かりやすいかな……それにしてもなぜこの人たちはいつも宮中の儀式を個人的に騒がせるのか。高位の人の目前で。

主人公以外のキャラクターについては、確かにこんな感じだったろうと思える描き方(というか役づくり)になってると思う。
家貞を始め、どの家も側近を演じる高齢俳優がいい顔を見せ、東国武士を演じる中年俳優が納得の時代劇らしい演技を見せ、せめてもの良心を感じる。

ところで保元の乱のころに気づいたんだけど平氏の館は赤いものが目立つ。
源氏の館は布ものが白く、毛皮が敷かれ、庭に鷹がいて「吾妻」をアピール。

常磐はまたテレパシー的な能力を発揮している。側室だから殿が遊びたい気分のときだけ訪ねてくるのは当たり前なんだけど、またじゃっかん現代的な、難しい理屈を言っている。要するに腹に子がいるから、どっちにしてもお迎えできなかっただけなんだけど。義朝ははげしそうだね……

由良を亡くし、常磐に逃げるなと釘をさされ、平家に頭を下げず、ということは信西にも頭を下げて官職を望むことをせず、……と考えれば藤原一族の囁きに乗るのも分かる、ってことでよろしいかな。
2012/07/01

『清盛』第24回「清盛の大一番」

内裏が白くなった(*´∀`*)
清盛っちが急にお利口になった(*´∀`*)
鎮西が竜宮城(*´∀`*)

一見ほんわかした戦後の風景。少なくとも清盛がバカで苛々させられることはなくなったけど、鎮西のやり取りはふつうに面白かったけど、納得感はうすい(´∀`;)

もう少し前半で清盛が「若いながらも大物」「ゾクのヘッド」みたいに活躍してるところを見せておけたらなァ……
駆け引きの「か」の字もできずに親たちの思惑に翻弄されていたからなァ……
海賊はあくまで兎丸の配下で、清盛に心酔してるってわけではないし……それにしても兎丸というキャラクターは勿体ない。

清っちは宮中の行事・官職についても勉強したらしい。盛国が教えたに違いないきっとそうだ。

セットは組み直したのだろうかと要らん心配をしつつ、
やっと宮中で男が仕事をしている姿が見られた。後宮のメロドラマばっかりだったからね、前半。
帝は相変わらずだらしなく束帯を着て、赤い袴で女装してるもよう。
あまり見かけなかったカラフルな狩衣というものが見られるようになって嬉しい。
黒い束帯に比して義朝の着る五位の赤い袍が屈辱的に見える。いい男をいじめてる気分がして楽しいいやなに。

ああ崇徳上皇と西行はベタな演出でスルーでしたね。船出とか手間のかかる場面はなかったですね。

西行的には、崇徳は待賢門院の不義(?)の子として彼女の苦悩の種だった、それがこのような哀れな仕儀に……と万感胸にせまるところなんだけど、そこは説明抜き。

義清から璋子への変わらぬ想いについては、もうあんまりツッコまないのだろうか。すると(主人公の人物描写をさしおいてでも)璋子であんなに引っ張り、盛り上げた件そのものも、これから西行の登場する意義も「うーーん」な感じになるけどどうなのか。

つまり「白河院が寵愛した中に、美貌だが悪い女がいて、誰の種か分からない子を生んだのが権力争いの元で、さらに妻子ある義清をたぶらかして出家へ導いた」ということでよかったのに、その璋子自身を「本当は心も美しい悲劇の女王」として描くことに夢中になった間に「なんだ武将の話じゃないのか」と客足が落ちたっていうのが、序盤10話くらいの間に起きた事態だったわけだけども。

それはともかく。

重盛くん結婚おめでとう。親役の俳優の顔が若いままなので、子供ばかり大きくなっても時間の経過が表しにくいのは仕方ないですね……

関係者の人数が減ったので、話は分かりやすくなったかもしれない。合掌。
鎮西と相撲節会の件は上手くまとまっていた。やっと普通に話が運ぶようになったというのか今回だけなのか。

このドラマ、鳥羽たまに実は情愛が通じていた件、忠盛の本心、頼長の人柄など、何話も後から「そうだったのか」と分かることが多く、リアルタイムで感情移入しにくいのが難点だった。

ミステリのネタバレと考えれば面白いんだけど、視聴者が先に事情を(本人たち以上に)知っていて、
「本当は愛し合ってる二人なのに、どうにか幸せになれないのかしら」「本当はいい人なのに、なんとか助けてあげられないかしら」とハラハラドキドキしながら観るのがドラマってもんである。

小説を書かせると上手いんだけど、ベタなドラマに慣れてない、みたいなところのある脚本だと思っている。

あ、そうだ頼朝くん元服おめでとう。ちっちゃくて可愛いよ。(あの子役はいい顔するね)

ところであのナレーションの問題点は、息が続かないことだ。
途中で息継ぎするから、溜息つきながら語ってるように聞こえるのだ。
「もうやだなァ、しょーがないなァお父さん達。日本の歴史なんてろくなもんじゃないよ」と若者が言ってるように聞こえるのだ。それが熱い共感・緊張感を削ぐのだ。
ちょっと謡でも習ってくるといいと思う。
2012/07/01

『清盛』第23回「叔父を斬る」

念のためNHKオンデマンドはこちらです。

やっとハラオチするものが観られるように(ノД`)
やっと伏線が残酷なかたちで回収された(ノД`)
やっと清盛くんが状況を理解した(ノД`)

清盛・信西対決が終わった瞬間には心中で「ブラヴォ」を叫んだ。

長うございましたな……

いや確かに話は暗いよ。皮肉に満ちているよ。ってことは、先立って提示された話題を覚えておいて、解釈し直すという、ミステリを読むような息の長さと知性を要求されるよ。ってことは「先週どうだっけ?」と思うようではいけないので、復習を厭わないというマニア性が要求されるよ。そして挙句に、重いよ。

『グラディエーター』みたいに重いものを背負った話でもエンタメになってりゃいいんだけど、これは「身内を斬る」重さを時代劇調のカッコ良さ、泣ける芝居としてではなく生々しい市民感覚で見せるので、なんというか純文学的に重い。A級ドキュメンタリー映画的に重い。

これを日曜8時から観て、そのあと9時からバラエティに切り替えたり、ハリウッド製の娯楽映画に切り替えたり、サイクルロードレースのまったり感に切り替えたりするのは、ギャップがすごすぎる。

観終わった後は、抹香漂うお堂に籠もって手を合わせなければ済まないような、リアルな罪業感がある。
言うよ。日曜8時に家族で観るもんじゃない。(子供にはトラウマ感だけを残す可能性もある)

でもモニターの数字を気にする必要はないと思う。マニアは録画してる。

最初から、セットの本格ぶりと、それが可能にした大胆な構図、装束の気合いの入り方と、それに見合った役者たちの、眉を落とし、鉄漿を塗ってまでの体当たり演技には、歴史マニアは泣いて喜んでいた。
全話録画、永久保存版な勢いだ。
熱心な人はモバイルで本放送を観ているはずだし、PCで観ることもできる。

NHKだから打ち切りの心配はないと思うけどね。

今回に限った話をすれば、師光、解説ありがとう。分かりやすかったよ。ついて行くがいいさ地獄まで。
ひら謝りな成親が起き直った後の顔の演技、また塚地のぶよりのいやらしさが非常にいい。
白河院の血も怖いが、松田優作の血も怖ェ

謝るといえば、忠正にバタバタと近づく頼盛を枠から外れるのも構わずカットなしで追ったのは良かった。

そして明らかに役者として力量の優る玉木宏に大事なパートをまかせて、芝居と声がちょっと浅い主人公はイメージショットで ごまかした 美しく見せた、河原の場面。

行く川の流れは絶えずして、鳴り続けるせせらぎ。それがふと消えたと思ったら、飄々と風が鳴っているのね。討たれた忠正を包む流れ続けるせせらぎ、生きている為義を吹きすぎる虚しい風。

これだけ「音」を意識したドラマも少ないんじゃないかと思われます。それだけ技術が上がった(再現するテレビ側の性能が良くなった)のだろうなァ、など。

逆光にしずむ盛国、愕然とする目元だけ光のあたる清盛、いっぱいに陽を受けて輝く死出の忠正。そのほかの場面・人物も、立場の違いによって光の当たり方が違い、それぞれの表情の画面への収め方をちょっとずつ変え、それを短く連続させるのは、緊張感が高く素晴らしかった。まァ確かに人数は多いけどさ。

宴で皮肉をいわれ、ひざまづくべく袖を広げる清盛と、迎えるように袖を広げる帝の姿を重ねて撮る構図、またその清盛のひざまづいた姿で場面転換をつなぐのは素敵でした。

渡辺演出は安心して観られるなどと敢えて言う。

正義の名のもとの暴力を、お茶の間向けにおもしろ楽しく描ける時代ではない。描きたいなら映画・衛星放送・会員制動画・それらのソフト化など有償提供が望ましい。

またこのドラマ、女性と子供の登場する割合が非常に大きい。大河であるからどちらかの陣営を一方的な悪役として描かないことに加えて、各陣営に属する女子供がそれぞれに描かれていることが、話をさらにややこしくしている。
また親子の情を非常に強調する。「武士の誇り」「男の誇り」を自画自賛しない。むしろそんなものに意味は無いと言い放ち、情に負け、実の父親をたずね続け、それに見捨てられたことが人生を変え(清盛)、自死を決意させる(頼長)

しかしこの複数目線・女性目線が、現代のドラマには必須である。もはや1970年代ではないので男性だけの娯楽として暴力とエロスをテーマにした物語を書き、テレビで垂れ流すわけにいかない。

で……権力争いや戦闘を、女の目線から書くので、皮肉っぽくなる。女性キャラクターの立場から物申すことになって、水をさす。場面が分割される。男が泣いてばっかいる。

画面そのもの、音の使い方の凝りようと合わせて、「現代に撮る時代劇」「男の仕事に女性が参加した時代劇」として、評価されるかどうか、受け入れられるかどうかの瀬戸際にいる……という気がするが、たぶん、実は評価されていると信じる。

たぶんね、モニター家庭の趣味に合わないのだ。
2012/07/01

『清盛』第22回「勝利の代償」今からでも御覧になるとようございますよ。

地を這うような、あるいは天から見降ろすような柴田演出!
いい回でした。
やっと、ここから先の本筋を担当する役者がそろった。と同時に前半を担当した人々が花と散る、演技力の本領発揮というべき難しい場面の連なる「戦後処理」の回。

裏でサッカーの代表戦やってたので数字は底を打った日でしたが、勿体ないです。
これは今からでも御覧になるといいと存じます。
この回を理解するには先立つ21回を我慢して観なきゃいけないんだけどね・・・・・・
特に出だしの10回は頑張ってください・・・・・・
義清とともに散ってはなりませぬ。

(※ あのへんから下がり始めた)

なんだろーなー・・・・・・やっぱ日本映画がいちばん例えやすいかな。平安文学より能かな。暗く耽美な世界、やや突き放した冷たい撮り方を覚悟してのぞむといいと思います。ややカルト。たまにマンガ演出もあるけど。

歴史を知らなくてもついていけるように(特に第13回あたりから)解説がつくようになったので、その点は乗り越えられます。バサッと整理してみせてる部分もあるし、歌舞伎ではないので、「あの有名なシーンがあるはず」という定形表現を期待しないほうがいいと思います。

逆に、白河院をファンタジーのラスボスとして扱う独特な世界観は腹くくっといて下さい。奇妙に説明的な台詞を登場人物自身が口先で述べてしまうライトノベル感覚、アニメ感覚も覚悟しておいたほうがいいと思います。若干BL臭がします。

(ハードル高いな)

主人公が一番あまちゃんで、その甘さこそが、近代市民的な正義感・平等意識として当時に先駆けていた、それゆえに時代の覇者になれた、
が、それを上回る苛烈な暴力といえる源氏が同時代にいた。

ということを訴えるための前フリが長かったのよ……
完全なフィクションとして雄大な構成をもつんだけど、その構成が見えてくるまでが若干つらいのよ……
見えてなお主人公が一番影が薄いのよ……

だから玉木宏めあてで観るのは正解。
義朝と由良の表現力は今回も(可愛くてなんぼの若手の中では)ズバ抜けていた。

よぶんな説明的な台詞がなくなり、余韻を含ませた短い台詞の前後に役者が「顔」「目」で見せる、カメラはグッと寄る。そのつなぎ方、声のかぶせ方が緊張感を高める、いい回でした。

「首に矢」に始まる流血シーンをよく描きましたね。

第21回「保元の乱」のまったり感は、もう「暴力を楽しいもの、子供が真似したくなるものとして表現」できる時代ではない(NHKだし)ので、ああして「戦争なんて本当はないほうがいいんだ、家にいて心配する人もいる、痛い思い・悲しい思いをする人もいる、恥をかく人もいる」と複数視点で描くのは正解で、よく45分間に割り振った、ひとつの頂点ではないかと思います。為朝・伊藤対決、鎌田親子など、カッコ良いところはカッコ良いままに描いていたしね。

それでも流血が少なかったので遠慮してるかと思っていたので今回はよく描いたなと思いました。悪左府の最後の「花」だったかな。信西サダヲは泣いたり声をはげましたり、魅力爆発の回でしたでしょう。後白河が残酷な苦笑を袖で隠すあたりの色気もたいしたもので、松田さんちの息子さんは優秀です。後白河として彼がこの先ずっと出演というのは嬉しいですね。

オウム、名演技。いったん逃されたのにどこにいたんだ。
緊縛の忠正さま素敵。
夏の直垂はきちんと夏用のシボのある生地でできてるとこがすごい。
今回も夏らしい虫の声が終始響いていた。
伝統楽器をつかった暗いBGMが雰囲気を高めました。
きよじゃぶろうは大きくなっても弱虫ですね。泣かないでくださいーー
「お前を友と呼んだのでは」そういうニヤニヤ笑いを誘う場面だけ結構です要らないです。

第1話で頼朝が「あいつが宝剣を持ってるならそれも良い」みたいなことを言っていた(もう少し焦れ)ことを考えると、最終的には清盛と義朝の友情ではなく清盛と頼朝の友情ってことになるはずだけど、これから鬼武者が育って清盛に紹介され、渡り合う場面まで映すのか先は長いぞ。

カメラワークが他の回とちょっと違うのは演出家さんの違いでしょうか。違いでしょう。
同じセットを使って違う角度から撮っている。
手持ちカメラで寄っていく。
廊下から来る人をずっと追いかけ、室内に入って、大事な台詞の直後にグッと顔へ寄る。
会話中の座りっぱなしの人物たちを、ゆっくりと横へ移動しながら映す。

絵巻物を意識したような「止め絵」が多かったドラマでしたが、撮る人によって、時々珍しい動きが観られるものです。

葬送行進曲を意識したBGMが耳に残りますな。サントラ買おうかなーー
と、今回はベタ誉めして次へ。

人物相関図(公式)を貼っときます。薄くなってるのは故人。