2012/08/29

【清盛語り】男の仕事ぶりを見たいわけだね・・・

第8回アカデミー作品賞受賞映画『戦艦バウンティ号の叛乱』が面白いのは、単純な勧善懲悪ではなく、残虐非道な艦長が船乗りとしては優秀であることが示されるところだ。

船長・艦長のキャラクターには「実は泳げないので嵐の時はキャビンで震えている」などという人物設定もあるが、彼は自らズブ濡れになって舵を取る。使命感が強く、船内をこまめに見てまわる。だからこそ怠慢・反抗的な水兵に気づく。一人を見せしめ刑に処すことが、海上では結局は多くの者の命を救うことを知っている。短艇に移されてからは、ど根性と航海術で乗員を守る。食料争いを鶴の一声でしずめ、弱った者には優先的に水分を与える……

清盛も、まさに単純な勧善懲悪キャラクターではなく、優秀なビジネスマンであり、(結果的に)公共事業請負人であり、今に至る海国日本発展の礎を築いた大恩人であるところが面白い人物だ。

彼は都にあって、人づてに海峡がせまい話をきき、下調べもせず「掘れば?」と言ったのか? やはり自分の目で確かめたと思いたい。都から一歩も出ない貴族にはできない発想が、自ら馬に乗り、矢を射り、遠目をきかす者だったからこそ可能だったと思いたい。

また当時「やれ」と言われれば黙って人が集まるシステムがあったのか? 律令体制? 口入れ屋? 職安? 
まず人集めからして手腕が問われたはずだ。彼らは何にひかれて集まったか? 都の軍事貴族の名? 宗教心? コメ? 布? 貿易の権利? まさか使い方も知らない銅銭?……

また「都の近くまで宋船を引き入れて荷降ろしさせる」ということは、中間マージンのカットを意味する。既得権益を守ろうとする西国の商人の執拗な抵抗があったかもしれない。血で血を洗う抗争、妨害工作があったかもしれない。彼はそれをいかに乗り切ったか。懐柔したか。

「俺の見たところ、潮が引いた時なら掘り広げることができるのではないか?」そう言われて、実際に工事にあたった者は誰か? 地元民だろう。海峡の危険さを知る彼らは尻込みしなかったか? 海神さまの祟りを恐れなかったか? 彼らを説得するには? 一緒に酒を飲んだかもしれない。泳いだかもしれない。海賊退治を約束したかもしれない。利益の分配を申し出たかもしれない。「それでも、娘を人柱に立てるのが嫌だ」と聞けば「経石を沈めれば十分だ、俺を信じろ、厳島の神様がついている」と豪語しただろう……

彼の人柄を慕って、命知らずな男たちが集まる。水軍の棟梁や名のある豪族が協力を申し出、見る間に作業が組織化され、新しい村ができる。『黒部の太陽』みたいのが見たいわけだ。『音戸の夕陽』が見たいわけだ。「入り日を招き返す手」がカッコイイのは、やはり陣頭指揮に立ったことを表すからだ。彼の姿を見て、その西陽と潮に焼かれた赤銅色の男たちが「ッしゃあ!」と気合いを入れ直しただろうことが偲ばれるからだ。男たちの血と汗と涙、女たちの祈り……そういうもんが偲ばれるからだ。

女といえば「女が後宮で権勢をふるう」とはどういうことか。高い身分出身の姫君たちが、平家出身の女に道を譲る。父が讒言によって失脚させられ、自分は子供を取り上げられ、「あな悔しや」と泣きながら悶絶死する。そういう『桐壷』『葵上』『春日局』みたいなところが見たいわけだ。

平家の金を使って東宮の地位を安定させるとは。賄賂といって悪ければ、寄進。家屋敷や神社仏閣を修理してやる。娘の後見人になって宮中で使ってやる。その仕度を肩代わりしてやる。高僧や貴族から他の貴族=朝廷へ根回しさせる。そういう具体例を見たいわけだ。

「これからがんばるぞー」「よろしく頼むわよ」言葉でいっておしまい、では見ていて面白くないに決まっている。それで具体的に何をしたのか? 下調べ不足・イメージ不足という脚本の限界以上に「書いてもらっても映像化できない」という現場の問題がある悪寒 {{{{( ̄△ ̄;)}}}}


 
2012/08/29

『平清盛』第33回「清盛、五十の宴」

えっここで「入り日を招き返す」をやっちゃうんですか!? 地元からクレームは!?

……とまず叫んでおいて……

「ここはわしの世じゃ」
とカッコつけたくせに任命権を清盛の手に残しておいたのは痛恨のミスでしたね後白河院(・∀・)

色気重視の場面設定は目の保養だけど前後がつながってないのは困りものです。
「わしの世」ならそれらしい仕事でもして下さい。いっそもう嘘でもいいから清盛の邪魔をする陰謀でもめぐらせて下さい。鹿ヶ谷前倒しでいいです。間の抜けた鼓と遊んでないで。

璃子ちゃんは好きですが滋子関係の場面は長すぎです。
「とばたま」の件といい、どうもこのドラマは「清盛」といいつつ源氏物語もどきの宮中男女ロマンを描きたくて仕方がないらしい。後鳥羽院萌えーー! 建春門院萌えーーと叫びたいらしい……

心配はしていたけどまさかこれほど舞ったりまったりしてしまうとは。9%を守っただけでも驚異だと思う。本当に予算不足・時間不足が心配な今日この頃。撮影の段取りという問題かもしれない。俳優に平安装束をつけるだけでも大変だと思うけど、やりくりするのはそこじゃないという気がする。

宮中の参議以上の席に平家の若者がズラリと並んだ様子をまず視聴者に印象づけ、わずかに残る藤原系の公卿たちが時忠の「旨いもんが食えますよ」の一言でじっさいに顔色を変える場面、というのは撮れるはずだけど。

そして場面が切り替わったら、もう音戸の瀬戸の工事が始まっている、ここから新しい日本が始まるんだ!という爽やかな沿岸ロケが出来なくもないはずだけど。第1話の寺院建立、第2話の漁師のような庶民エキストラをそろえることが、もうできないのか。

保元の乱のときに信西と悪左府が同じ孫氏を引きながら違う結論に達したあたり、なかなか面白かったんだけど、その後あのような「男の働く姿を実際に見せる」場面を描けていないはず。

豪華な衣装で座ってしゃべってるだけ。「時忠おじさんが上手いこと言ってくれたからさー」「そうなんだー良かったねーー(^O^)」ってファミレスに主婦が集まってるんじゃないんだからっっ

清盛が今まで忙しそうにしていた様子も描けてないから「五十になったのも気づかなかった」というのも説得力がなくて「大丈夫かこいつ」と思わせるだけだしね……

薩摩守は「今日いきます」ぐらいの連絡はしとけ。藤原さん達はまず案内を乞うべきだと思います。「お客さんです」と言いに来るお手伝いさんの一人もいないのは現代で考えたっておかしいです。どんだけ警備あまいんですか平さん。

思い出したのは教育テレビのマスクプレイ。「あなた、だーれー? 私あなたのこと、知らないわーー。あっ! もしかして、お父様のいっていた、おとうとーーーー?」って大げさに首を傾げるアネム(ミーニャでもいい)……。子供向け番組は子供が分かるようにゆっくりやるのは当然なんだけども……

そして本人は一生懸命やってるつもりだろうから申し訳ないけど松ケン君は自分の顔をビデオで見て勉強したらいいと思う。あのニヤニヤ笑いは虚勢を張って大人をばかにする若者のそれであって、五十男の余裕も色気も出せていない。元より出せるわけはなく、俳優が素で虚勢を張っているには違いないけれども。

たぶん彼はいわゆる新人類、「なにを考えているか得体の知れない若者」の役を感性で処理するのが得意で、様々な体験を飲み込んで年輪を刻んだ顔を型で表す演技は身についていない。
清盛の子供として若い俳優は大勢出演しているが、総じて「してやったり」という笑顔が芝居の形になっておらず、「思わず吹いてしまった」という素顔でしかない。

今回ほっとしたのは平盛国、伊藤忠清、平忠度、源頼政、藤原兼実、そしてピカ一・北条エンケン。(後の)薩摩守と九条殿の和歌対決は悪くないアイディアだったし演技力対決としても悪くなかったし野暮な解説を入れねばならぬのも仕方がないけれども……絵的に美麗とは申し上げにくい(失礼)のと、清盛が事前に情報をつかんでおく政治家ではなくただの勘だけが頼りの博打打ちになってしまっているというのもなんだかな。

そして時忠のいった通り公卿たちは珍しい食い物に弱い、というのは伏線とはいわない(´・ω・`)
そして「公卿顔負けに舞える」ことと「下々まで平等な、平らな世の中」がどう(彼らの中で)両立するのかも分からない。


……困ったな……
2012/08/29

starzドラマ『スパルタカス』第6巻。

レンタルDVDにて。第11話「古傷」・第12話「発覚」

相変わらず展開が早い上に前回のエピソードを受けて流れがなめらか。どんでん返しはまず流れができていなければ意味がない。どうつながるのか引っくり返るのか、続きがすごく気になるドラマ。毎回1枚観終わると「あああ終わっちゃたあァ!」と焦る。全話まとめて購入またはレンタルして観るのがいいかも。

※「一部に18歳未満の視聴には不適切な映像が含まれる」海外有料放送ドラマなので、ご購入・視聴の際はお気をつけ下さい。

以下、ネタバレです。


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2012/08/29

1935年映画『戦艦バウンティ号の叛乱』

面白い。 

帆船・海軍・イギリス人の誇り。そういうものがお好きな方は是非ご覧になるといいです。古い作品ですが全く古くありません。キビキビと早いテンポで引き込んでくれます。一杯に張った帆を見上げる構図は圧巻です。カラー撮影よりも「風」を感じる気がする。どう見ても洋上ロケを敢行しており、それとスタジオ演技(背景の海は当時流の合成)を細かく組み合わせて、海の迫力と人間ドラマを同時に見せる工夫は凝っています。潮の匂いを感じます。アカデミー賞だし。

戦前のモノクロ作品ですがフィルムの保存がよく(うらやましい)、DVDで見てもきれい。

カーク・ダグラスの『スパルタカス』に政治家グラックス役で出ていたチャールズ・ロートンつながりで借りました。我ながら渋い人選だとは思いますが、なにせすごい存在感だったので。この作品公開時には36歳。王立演劇学校金メダルの実力を見せつけてくれます。下唇の突き出た特徴的な風貌と、太い眉毛の下からの目つき、やや斜に構えた立ち姿など、じつに憎々しくてイイ感じ。しかもなんて聞き取りやすいきれいな英語なんだ!そして早口なんだ……!

目玉はもう一人。冒頭から登場する士官役、誰だこの色男と思ったらキングクラーク・ゲーブルこんな感じ)でしたごめんなさい。男盛りの34歳(公開時)、様々な表情とコスチューム姿(とセミヌード)を披露してくれます。ときどき乱れるカールした前髪がすてき。

こちらも早口で熱演です。英語のしゃべるテンポと演出のテンポがぴったり合っている気がする。見ていて非常に気持ち良いです。場面の切り替えは全てフェイド・アウトですが、一つの場面の終わり際、ちょっと物足りないぐらいの腹八分目くらいでスッと切る。

1790年頃のイギリス海軍に起きた反乱事件の顛末。戦艦というか小型の横帆帆船です。二万七千キロの大回り航路でタヒチまで。「互いを理解し合ったな」「完全に」と言いつつ、ロートン演じる艦長の専横ぶりにゲーブル演じる副官がブチ切れるわけですが、叛乱が成功して「めでたしめでたし」ではないとこが良い。そこから先が本当のドラマ。以下もう少し細かくネタバレ。


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2012/08/25

「スガちゃんのコロッケのレシピがほしい」

今ごろ『怪盗アマリリス』を読みました。コミックスの初版発行は平成3年。その時点でもすでに古臭い企画だったはずだけど、さすがに手馴れているなと感心しつつ第1巻を読破。つづく第2巻のネタばれというか楽屋落ちで吹きましたw

アマリリス……いや、花の絵を印刷したカードを残すとかでもいいと思うよ……。花の名を冠する少女怪盗、というイメージに陶酔したあまりの不手際にあわてる男性作家の可愛らしさにほっこり。

「コメディ……よね?」「コメディですよね」

作家が作中に割り込むのは魔夜峰央が始めたかな? ミーちゃんがパタリロ!とタメで話してましたね。和田慎二はもっと前から「漫画家の岩田」として特別出演していたけど、あのようにダイレクトに作家自身として顔を出してしまうのは、少なくともスケバン刑事の頃にはなかった……

そしていざ本格的に連載となったらシリアスなピンチの場面を設定して盛り上げる、新キャラを登場させて次へつなぐ、前話でゲスト出演だったものを活かす、いやうまいなぁ。

転警部(なつかしいと言いたくなる昭和人)の部屋で海くんが料理しているのを見て「ああカップルだったのか」となんのためらいもなく思ったのは私ですはいごめんなさい。いやほらだって白泉社だし。

海くんはスガちゃんの「コロッケがまた食いたい」ではなく「レシピがほしい」なので自作するつもりなんですな。うらやましいぞ転さん。逆にこちらへお裾分けして下さい。母親がアメリカ在住で息子に一軒家を用意してくれるとか、ヒロインがおつきあいする相手は財閥の御曹司とか、ああ古き良きネタがつまっている(*´∀`*)

「青銅の龍」は『ピグマリオン』を彷彿とさせる雄大さで素晴らしかったです。あんな中国人いまどきいないとか申しますまい。ステレオタイプは話を分かりやすくするために適宜利用すればいいんだ元々そういうものだし。

確実に笑えるツボを押さえてはいるんだけど、ズッコケ描写がやや大げさで、量も多すぎに感じるのは、最近のマンガがまったりしているからですね。リアクションのボンヤリしたキャラ多いもんね。すでに若い感性では負ける作家が、若い読者を笑わせようと力押しでコメディを演じたというところか。マンネリ以下に劣化した少女マンガ系ベテランも多い中、気を吐いたといえると思います。

青春時代つねに座右にあったというべき、大恩ある作家さんでした。ご冥福をお祈りいたします。
2012/08/25

ぽにょ、そーすけ、観たーー!

いつもは9時前に閉じるまぶたをこすりこすり、がんばって起きていた子らと3人で「可愛いねーー」を連発しながら楽しく拝見しました、金曜ロードショー。清史郎くんしっかりしすぎ^^; 

子供たちはフジモト氏をさして「悪い人なの?」と質問してきたので、彼らも判断に迷ったもようです。正しく視聴しているというか正しく描けているのでしょう。グランマンマーレ登場の宗教的な雰囲気は、ちょっと怖かったらしいです。彼らが一番ウケたのは、後半冒頭、ぽにょと宗介が起き抜けにおでこゴッツンするところ。

私も「お魚のぽにょも半魚人のぽにょも女の子のぽにょも」みんな好き。妹ちゃん達もおばあちゃん達も、すべての登場人物が可愛くて、頬が緩みっぱなし。「好きー」と言われて「うくくくく」と悶え笑いする、ああ子供の仕草をよく知っている。宗介ちゃんの折り紙が下手くそなのも可愛い。フジモト氏の、あれでそこはかとなく漂う色気と、グランマンマーレの雄大な美貌に陶酔してみたり。

水道水はカルキ抜きしないと魚には危険ですとか世界共通の光モールス信号でBAKAとか打ってはいけませんとか「健闘を期待する!」がカッコ良いじゃなくて子供を収容しろおぉ!とか、観音様だと叫びながら念仏を唱えたり柏手を打ったり忙しい日本人らしさに苦笑するとか、いろいろ楽しくツッコミつつ。
惜しむらくは声優がーーとはもう申しますまい(・∀・)

リサの息子連れ突撃は、我が家を灯台とみなし、その明かりをともすために何としても帰ろうとしたということですが、息子は安全な「ひまわり」に残してもいいわけだし、「帰れる時に帰って」って、
すでに帰れない状況だと思う! もう皆おかしい。

ぽにょが妹たちの助けで水球を脱出し、魔法を発動した辺りから、すべて彼女の思う通りことが運ぶように人間界もセットされた、とでも思うことにします。

「都市伝説」は有名ですが、怖い話というより、むしろ当たり前でしょう。グランマンマーレは生死一如の海の女神。ふだんなら肉体が滅んだ後でしか行けない死後の世界=生まれる前の世界へ、生者のまま降り、厳しい約束を得て帰還するという物語は、オルフェウスでも杜子春でもいいけど、世界中にある。

浦島太郎はなぜ遠い海底の竜宮城まで息が続いたのか? と考えても仕方がない。亀が口をきいた時点ですでに魔法が始まっていたと思うほかない。

リサもおばあちゃん達も、あるいはフジモトの放った魚≒波に襲われて、本人たちはビックリしたけど肉体的には無事なまま、グランマンマーレのお膝元まで連れていかれた……というような状況を想像しておけばいいのでしょう。

まーーるいユートピアは子宮の比喩、なんて言うまでもない。古代魚が泳ぐ海のぬくもり。

グランマンマーレとリサが何を話したのか? 現実的に考えれば、子供が一人増えるわけだから、養育できるかどうか? ということなんだけど、それ以上にリサ自身の育った家庭や、航一との出会い、宗介の教育方針、海への思い……そんなものをとりとめもなく話したのじゃないかな。女性たちは、ほっといても何となく上手いこと話をまとめてくれるものだ。『紅の豚』でもフィオとジーナが何を話したか、なんて場面として表されておりませんしね。

世界のほころびと魔法の関係も説明されていませんが、「女が嫉妬で蛇になる」に似た、人間と自然の垣根が外れた異常事態・呪術的世界を、そのようなSFあるいはファンタジー調の言葉で言い表したってことにしておけばいいことにします。

人工衛星が落ちるほど重力が崩れたなら被害はもっと……などというのも、作家自身が少年時代に宇宙開発のニュースやSF作品に胸躍らせ、よく分かりもせずに「重力が」「磁場が」などという言葉を使っていた、そんな頃を思い出したとでも思えばいいのではないでしょうか。

高齢な男性監督の「あの世」への夢と恐れと、生きている喜びが横溢した微笑ましさに、和めばよろしいのではないかと思います。

なお「押し寄せる波」が思いがけず怖かったです。脳は肉眼で見た映像と、テレビで見た映像を区別できないのだそうで、あのとき視覚から得た恐怖をまだ体が覚えていたようです。でもこの「自然が怖い」という感じが本当なのかも。それでこそ「女の一念」の壮大さ、そこに掛ける監督自身の情念の深さも知れようというものです。

息子が金魚を拾い、それが人面魚であってもビクとも驚かない母ちゃんでいたいものです(・∀・)
2012/08/23

【清盛語り】おとがめはないと信じている。

「タイムスリップして憧れの信長さまにインタビューし、見どころのある少女として可愛がられたい・彼を『おじさま~~』と呼んでみたい、歴女の夢の実現」というレビューは、『江』の時に読んだ。

「今回はとうとうBLになってしまったんだな」とは第1話冒頭で思った。べつにそれならそれで楽しく観ることができる層向けに制作すればいいんだけど、問題は、キャラクターの行動原理が独特なものになってしまうので、辻褄が合わなくなることだ。

第32回「百日の太政大臣」は、絵的な第一印象の美しさで「よし」としたけど、「なにもここで院が手の内をさらす必要はあるまい」とは思った。

「俺を……もてあそんだのですね……」
「やっと気づいたか。お前は永遠に俺のものだ」
「でも、貴男の掌は心地よい……」

あの場面は、こんな感じですか(´・ω・`) 「権謀術数うずまく宮廷社会を武力でのし上がった男の物語」と思って観ていると、ここで清盛がグッとこらえた理由がよく分からないはずだ。

滋子の子は、彼にとって後白河にとられた人質ではない。逆だ。

「太政大臣はたいしたことない」と後で気づいて「しまった!」なら筋が通るけど、院が「お前を大臣にはしてやらねー」と先に言ってしまったなら、清盛としては「お前こそいつまでも居座ってないで御室にでも引っ込んで写経してろ、こっちは高倉をさっさと即位させて俺が摂政になったるわ!おい盛国!みんな呼んで来い!戦争じゃあ!」っていう機会を得る。

仮に公卿を敵にまわしては(宮中のしきたりが分からず)践祚の儀式をとり行うことができないとしても、この機会にすべて武士流に改めちゃってもいいし、もっと簡単なのは、基房を斬っちゃえばいいのだ。誰かがビビって協力してくれるだろう。

源氏は立ち直っていないからむしろ今が好機だ。史実がそれをしなかったのは、その必要がなかった、そこまで追い詰められていなかったからだ。

二度の乱の生き残りは、清盛の動向が権力の趨勢を決めることを骨身にしみて感じたはずだ。清盛のごきげんを取る必要を「末世じゃ」「今にみておれ」と思いつつも、感じていたはずだ。
彼らが平家の武力を恐れていなかったのだとしたら、「強大な軍事力による権力掌握の可能性を示した、日本初の武士政権」という学説が崩れる(´・ω・`)

後白河院は「滋子の子を即位させる」で清盛と思惑が一致してるんだから、「これからもよろしくね♪」と表面をとりつくろっておけば充分だ。
屈辱は陰で「うまく行ったな」と基実の家人をほめてつかわすことで発散しておけばいい、とりあえず。視聴者が「この人はやっぱりタヌキだな」と納得すればいいので、本人にしゃべり散らす必要はない。

大事な宮中儀式とはいえ、夜の酒宴であるし、もともとフリーダムな人間だから、「ひとり仮面舞踏会」状態なのは百歩譲って許すとしても、人前で愚弄しては軍事クーデターをオススメしているようなものだ。

が、源氏が都落ちしている現状では、彼が頼りにできる手勢なんて無い。また一本御書所に幽閉されたら、こんどは六波羅に逃れることもできない。実際に間もなく始まる政変では、福原から長駆してきて疲れた(はずの)軍勢にあっさり幽閉されている。

屈辱的に追い詰めておいて「何も起こりません」ではドラマが成り立たない。相手をハメたと信じて調子に乗り、べらべら喋り散らす者が次の瞬間には一敗地にまみれる、そのように展開しないと意味がない。

清盛がグッとこらえた理由は、「院の権威に屈した」からだ。犬では終わらないと言っていた者が、いちばん犬らしく振舞っている。例えとしては「葵の印籠」の前にひれ伏したようなもので、後白河院自身が「わしの権威に背く者などあろうはずがない」という理屈に立脚してしまっている。

「武士の世・民衆のための政治・宗教的権威なんて屁の河童」みたいなことを言っていた清盛が、急に宮中の段取りを重んじることにした理由は、示されていない。信西が院派の公卿の裏切りで露と消えたいま、もう政治を院と公卿の好きにはさせない!と立ち上がってもいいのだ。ドラマの筋は、もうずいぶん前に破綻してしまっている。



第1話では、平家を滅亡させて一族郎党の意気が上がってるんだから、源氏の棟梁としてはウソでもいいから「お前たちのおかげだ、これからもよろしく頼む」とでも言って、いい気分にさせてやらなきゃならないところだ。

そこで「黙れ、平家こそ恩人だ」みたいなことを言ってしまっては、「俺たち道を間違えたのか? 俺たちに本当に必要だったのは、愛しあうことだったのか?」と家人に動揺が走るじゃないか。

「棟梁は俺たちの働きを快く思っていない?」→「お考えが分からない」→「もうあんな人にはついていけない」→「やられる前にやれ」→反乱勃発。

……ってなっちゃうじゃないか。

いや、むしろそうならないと、ドラマとして意味がないんだ。その場面が設定された意味がないんだ。


「軍記物を読めば分かる場面は、今さら映像化しない」という点では、このドラマは一貫している。それ以外の場面を想像をたくましゅうして描く。それは良い。作家ならみんなやる。とくに清盛の母、最初の夫人など、記録ではぼかされている女性陣を魅力的に描いたのは功績だったと思う。

問題は、すぐれた政治家だったはずの主要な男性キャラクター達が、なぜか「自分の発言の重大さを意識していない」「先が読めない」者として描かれてしまっていることだ。

忠盛は、院にさからった女と、祟りのある赤ん坊をかくまうなら、自分も身分を捨て、命をかけるべきだ。日本の「王家」の権威が届かない外国まで逃げるべきだ。なぜ正盛とーちゃんにかばってもらえると思っているのか。一族郎党に迷惑かけてもいいと思っているのか。「話せば分かる」という判断の根拠はどこにあるのか。

参議になったばかりの重盛が親父の頭越しに二条帝に諫言したことも異常だ。他人の耳目もあるのだから「重盛は清盛と仲が良くない」「ことを構えようとしている」という噂を立てられただけでアウトだ。親父によって「あいつは廃嫡して出家させましたんで、これからは次男のほうをよろしく」って手を打たれる可能性だってある。


このドラマ、第1回から思っていたんだけど、「わざわざ紋服で正装して成人式に出席しておいて騒ぐ若者」みたいなところがある。おとがめを受けると思っていない。大ごとになると思っていない。『江』が歴女の夢なら、こっちは「お父さんが本当にあたしを家から追い出すはずがない」という反抗期の娘の理屈だ。

脚本家の限界なのか、若い視聴者に合わせたのかは分からない。白河院が「示しがつかないと、わしがコケにされる」と自分の口から説明しなければならなかった時点で、「よほど若い視聴者向けなのかな」とは思った……

言わなくてもいいっていうか言ってはいけないはずのことを口走る主要キャラ!重要な伏線が張られた!しかし本人が状況を理解していない! → しかも本当に大ごとにならない → ドラマが展開しない → 起こると予想された悲劇・反乱などが起きない → つまんない、と判断する層がおり、これが視聴率低下の原因と(個人的に)見る。

裏にあった陰謀が暴露された! 刺激的! かっこいい! 色っぽい! 今までになかった!(そりゃそうだ)
……という見方をする層もおり、衣装などの絵的な美しさ(と、もちろん若い俳優陣の人気)によって楽しく見ている。ただしこちらはPC・スマホ・録画機材などを自在に操る層でもあり、その行動がモニター数字に表れてこない。

んだから放映のたびにツイッターやファンブログは盛り上がるのに数字が出ない、という現象が繰り返されている。

ここまで書いている以上、ここのブログ主も「目の保養だ」と思いながら楽しく見てはいるわけで、「それにしてもこれほど脚本家の若さ・世界観がさらけ出されちゃうドラマも珍しいな」と思っている。「こういうのが放映される時代になったのか」と思っている。

というわけで、これからのドラマは、特定層向けの有料放送・ウェブ配信のような形態がいいだろう。1話ずつ課金すれば「今回は何人が観たか」が確実に分かる。1年契約では途中で見なくなった人を把握できない。「1年間観る!」と思うのも実は精神的負担がある。いわゆる1クール、13話でいったん終わらせるのがいいだろう。総集編や関連番組を放送して2回くらい間を置き、第2シーズンを鳴り物入りで始める。その繰り返しで1年間。全話購入した人にはキャッシュバック。


来年は近代の話だからあまり無理もできないはずだけど(鬼が笑っても来年に夢をつなぎたい)
2012/08/21

『平清盛』第32回「百日の太政大臣」

……よかったんでない?

六条天皇が可愛かった(まずそこ?) 
いや、このドラマは赤ちゃんが本当に赤ちゃんで、しかもみんないい顔をしている。眼福。

大人の話をすると、ものすごい駆け足だったけど、前回のようなブツ切り感はなかった。わけ分かんない親子喧嘩もなかったし。もう余計なこというなよ重盛!

松ケンがいい顔見せた。安っぽいシチュエーションコメディみたいなギャグも無く、しっとりした大人の雰囲気と緊張感が持続していた。この味わいは渡辺演出の回の持ち味なような気がする。

構図が面白かった。撮る角度がいつもと違った。望遠カメラがよく動いた。若干カメラ割りが忙しいような気もするけど。撮影の細野和彦さんの名前も覚えておこうと思った。

ジャジーな音楽の多用が、躍動感とほのかなエロス、オトナ感、小粋さを出していた。
燭台の照り返しの中の五節の舞は、ハイビジョン時代の面目。
双六の駒の動きと音楽を合わせた編集もよかった。

保元・平治のあたりもそうだったけど、公卿=悪役とすると話が見えやすくなるようだ(そりゃそうだ)

清盛自身はとうとう最後までお人好しキャラとして昇りつめた。天然バカで打たれ強いのは主人公のお約束だからまァいいや。実は中途半端なモミアゲとヒゲが気に入らないので早く僧体になってほしい。

辞任の辺りはナレで済ませて少々物足りなかったが、エピローグ的な「その頃の伊豆」をつっこむためと、残酷さと脳天気さとの対比がきいていたので良しとするしかない。
大きな恨みを抱く相手(清盛)を、しかし頼朝が武士の先駆けとして評価し直す(第1話に戻る)あたりの心の動きの甘ったるさ(BL臭)にまた少し付き合わされるハメになるのかもしれないと思った。

以下はさらに小言あるいは混ぜっ返し。

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2012/08/20

リアル清盛さんの男の色気を夢想してみる。

彼の魅力は「今から思うとスゴイ人だったんだなァ」ってことで、西日本の沿岸諸都市、ひいては海国日本の大恩人であることと、現代に生きていてもビジネスマンとして突出しただろうと思わせるところだ。

彼自身が都に住まいする貴族ではあるが、歌の道に奉仕するタイプの貴族と違って、自ら弓をたずさえて馬に乗ることができたのだから、山賊などに襲われる心配をすることなく、どこの田舎の海でも山でも実際に歩いて自分の目で見て「ここなら」と道を通し、集落・入り江の形を変え、船を浮かべ、広大な社殿が陽を受ける様子をイメージすることができたのだろう。

道案内・労働力となる現地の人間と直接交渉する胆力、「ここは波が高くて困る」「ここは風が吹き降ろすからやめたほうがいい」「この季節は台風がくるから工事は無理」などの忠告・苦情を聞き入れる耳、吸い上げるシステムも整備したかもしれない。
自分の家臣団の中から現地人との交渉役を選ぶ能力・人を見る目も高かったのだろうし、単純に酒が強かったかもしれない。

肉体の壮健さ、実現可能性を冷徹に計算した上での夢想力、実行力。説得力としての言葉のテクニックもあったはずだ。まだ誰も見たことがないものをイメージさせ、専門家に図面を引かせるには「なんて言うかなーわりと豪華な感じ?」では困る。たとえ話がうまく、謎掛けがうまく、人を引き込む語り口を持っていたはずだ。土木工事について実際的な知識をもち、現場の人間を感心させたかもしれない。

きめ細かさと大胆さの融合。「自分の所領を自分で開拓する」という地に足のついた感。同時に、海外までイメージを飛翔させる脳力。これはやはり古今東西の書を読むことでしかつちかわれない。教養は高かったはずだ。

男のロマンの体現者。多くの者をして男惚れ・女惚れさせる人物だったはずだ。

(だからちゃぶ台返し親父のホームドラマばかり描いてる場合ではなく、「こんな厨二病じゃ困る」と思わせてはいけなかった)

信長は滅びの美学だから、本能寺も安土城も現在では本物が残っていないものを、マット画なりCGなりで視覚的に再現し、ドラマの味付けとすればよいのだけど、清盛のスゴイところは「(平家は滅びたが)彼の功績自体は今も残ってる」ところだ。

だからもしかしたら『宗像教授異考録』みたいに、現代人を主人公として平家の足跡をたどりつつ、時々再現ドラマを交えるというセミドキュメンタリータッチがいいのかもしれない。大輪田泊が完成したら、「できたぞー」で終わりではなく、即座に「後にここが神戸港として発展する」っていう解説ナレーションが欲しい気がする。

ところで、あの人「高平太」とは呼ばれても「悪平太」とは呼ばれなかった。下品だったとか服装の趣味が悪かったとか「容貌魁偉」とか言われていない。頼政とちがって和歌の才能はあんまり聞いたことがないから、取り立てて数寄者ではなかったかもしれないが、ふつうに宮廷人として、そつなく暮らすことができたはずだ。祇園女御がひと通り以上のものを教えたかもしれない。

ついでに「貴人の門の前を高下駄をはいて通ったことが無礼と見なされて」という事件があったことを考えると、「いつも高下駄」というのは案外「いばってる」という意味だった・誰もとがめることが出来なかったという意味だったかもしれない、とちょっと思っている。

白河落胤説と祇園女御の権勢、正盛以来の平家の財力をバックに異例の出世をとげ、本人も堂々と振舞っているが、それ以上には悪く言われない。

保元・平治の乱でもどっかの義朝みたいに無理はしてないわけだし、のぼりつめてからも(成り上がり者にありがちな)「藤原氏を根絶やしにした」「従来の慣行をすべて廃止した」などの暴挙は無いわけで、行政・宮中のしきたり等あるがままに任せ、「よきに計らえ」って感じで無難にこなしていただろう。池禅尼にも逆らってないし。「人にあらず」の状況は最晩年の一瞬にすぎない。言ったの本人じゃないし。

その人生の多くの部分において、わりとふつうに気配りのできる、良い奴だったんじゃないかという気がする。

その代わり、下々に土地を分け与えたとか、施療院・学問所を全国に建てたなんてこともないわけで、基本的には個人的な出世を第一義とした「そこそこいいとこの坊ちゃん」だったはずで、ドラマが革命性を強調したいあまり近代的な人道主義・平等主義を取り込んだ挙句に破綻してるのは、ちょっとさびしい。
革命の方向が違った。
武力が貴族政治の趨勢を握ったのは院政以来の成り行きで、彼自身の革新性は経済の面で発揮されている。政治的に平和で、個人的に金もうけができれば、それが一番よかった人だと思う。後白河院が無茶しなければ武力発動はなかった。

異例の三位昇進は、権勢におそれをなして誰も反対できなかったと思いがちだが、あの時点では武力クーデターを指向していないし、恐怖政治・乱暴狼藉で名をとどろかせていたってこともない。
公卿たちも「東夷じゃ困るが、この人なら末席に加えてやっても私ども仲間うちの恥にはなりませんでしょう」と思ったかもしれない。

六波羅蜜寺に残る木像は、ちょっと目つきが怖いが、鼻と唇がふっくらしていて、大人物の相だ。そういう人物は夜のほうも強いとされている。呪術的な意識の残っていた時代には、子宝に恵まれたのもポイントが高い。一族の長は生殖力旺盛であるべきだ。
『阿部一族』の殿様みたいに「なんとなくいけすかない」というので家臣を重用しないなんてこともあることを考えると、上つ方にも「なんとなくこいつ好きかも」と思わせる品のよい雰囲気、押し出しのよさがあったかもしれない。

(その点では30歳未満の若者が素顔で演じるのは色気が足りないかな、と思っている。)

お父さん(忠盛)は勲功を息子に譲ることたびたびだったので、意図的に清盛の出世を早めてやっていたのだろう。世間も「とーぜん」と思っていたのだろう。仮に白河院の皇子として正式に認められており、忠盛を乳父として育っても、状況はあんまり変わらなかったような気がする。

ただしそのばあい雅仁親王に劣らぬ継承権者として担ぎだされ、立場を悪くしたかもしれないので、「関係ないね」という顔をしつつ「抑え」として働くという絶妙な位置にいたわけだ。

その立ち位置の絶妙さによって出世した1160年から1180年の頃、となりの南宋にも名君があって、穏やかな治世だったから、冷静な貿易ができた。
それが海難事故つづきで廃止されるってこともなかった。台風の当たり年で工事が大幅に遅れ、祟りを囁かれたなんてこともない。

天候まで含めていろいろなことが彼に都合のいいように整っていたので、まずは「幸運な人」「あやかりたい人」として慕われていたんじゃないか。

港の工事は他人の土地をぶん取って強行したものではなく、自分に関わりのある場所から選んだだけで、律令体制の崩壊した当時、貴族が自己責任で所領を開拓するのはむしろ普通だった。できることをしただけだ。人身御供の代わりに経石を沈めるのが画期的だったとすると、当時の人がそれをどのように受け止めたのかが見てみたいところ。

今んとこ、今年の大河では(グラディエーターものが大衆の反応を描きやすいのと違って)社会状況・一般人の心理をほとんど描けてないのが残念。

……とかまぁこれだけ言いたくなるんだからドラマのインパクトは大きかったわけで、ある意味成功。とくに「上つ方」・その周囲の女院たち・平家の一族、家人に優れたキャスティングがなされ、読書の際もイメージしやすくなったのは有難いし嬉しい (*´∀`*)

十二歳で元服して世間を驚かせた時の可愛らしさと生意気さ、三十代で経済発展のイメージを描いた時の眼の輝き、妻と二人三脚、子宝に恵まれた男の福々しい色気、人生五十年の時代に四十代から本格的に出世した者の、一族を背負った慎重さ、しだいにこけていく頬……
一年かけて一人の男の一生を描くなら、子役からベテラン俳優まできめ細かく交替させていくのはどうでしょうね。
2012/08/19

『経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書』 山田 真哉

面白かった!(*´∀`*)

タイトルが「清盛の成功の秘密」ではなく「失敗」であるところがニクイ。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の歴史学科出身の会計士さんが書いた、清盛の経済政策。その先見性、本質的にはらんでいた矛盾、それによる栄達と滅亡。

「モノ」の価値は、それを使う文化によって変わる。

政治権力の駆け引きを叙述する歴史観だけでは説明しきれない藪の中へ会計士の足で踏み入って、キラキラ光る玉を拾い上げ、「ほら」って見せてくれた感じ。

文章は「ですます調」で柔らかく、語り口は軽妙で、非常に読みやすい。一般向け生涯学習企画って感じだ。ソフトカバーで持ちやすく、表紙と章ごとの扉に例の平家の蝶紋が印刷されているのも目に嬉しい。楽しく一気読みできた。

清盛は日宋貿易で巨万の富を得たといわれる。教科書にも書いてある。テレビでも言ってる。みんな信じてる。
でもちょっと待て。なぜ貿易するともうかるのか? 彼はどこから中間マージンを得たのか? また、それは何によって支払われたのか? コメか? 農作物は長期保管=蓄財に向かない。

清盛は宋銭を導入して日本を貨幣経済に導いたといわれる。

でも外国貨幣っていきなり流通するか? 例えば硫黄を売った代金を宋人が「これでいい?」と宋銭で支払おうとした時、日本人が「いらないそんな汚い色の金属板。もっときれいなモノをちょうだい絹とか翡翠とか」って言ったら? あるいは例えば和同開珎が流通している国で他の通貨を「これで払える?」と見せたら? お店のご主人こまるでしょう。怒るかもしれない。

それとも既に日本に宋銭の流通する貨幣経済が成立していたというのか? 話がニワトリが先かタマゴが先かみたいになってないか?

そしてなぜ平家はその巨万の富を使って敵を懐柔する・兵員や物資を集めるなどして、戦争に勝つことができなかったのか? ふつう、金が続いたほうが勝つものだ……

当然の前提とされているものを問い返し、「なぜ?なぜ?なぜ?」とたたみかけ、読者がタジタジとなった辺りで「いいかい?」と、オセロの駒のようにパタンと世界観をひっくり返してみせる。貨幣を貨幣だと思うからいけない。

「モノ」の意味合い・価値づけは、それを使う文化で決まる。川勝平太もいった通りだ。

南宋では「貨幣」だった小さな丸い銅板は、日本では「銅そのもの」、手工芸品の素材として、ある勢力から非常に求められた。

交換価値を保障してくれる勢力があるなら、他の人へ物品や労働力の対価としてこの金属板を支払い、「あっちへ持っていけば、あんたの欲しい絹や米と交換してくれるよ」と教えてやればいい。
清盛はそのようにして、意図的に宋銭を決済の手段として用い、半強制的に(しかし要領よく)流通させた。

ブログ主はここんとこ「大輪田泊などの改修工事の人足に支払った給料は何だったのか、古代ローマじゃあるまいし、塩ってこともないだろう、まさか一日に『米をひと枡」』とか?」と気になっていた。
また、黄金は主要な輸出品だったが、その見返りが白磁器で、自宅で使う(福原の居住地跡から大量出土した)だけでは儲けにならない。赤字貿易だ、と気になっていた。それらの疑問が氷解した。

つまり、黄金を売って銅を買い、その銅を国内でコメに代わる決済手段とした。中納言・大納言時代には、行政官としては大したことをしていない清盛だが、ここで確実に社会変革を起こしている。

しかし銅銭の普及は、農本主義の荘園領主たちをおびやかした。彼らが決済手段としてきたコメや布帛がそれ自体では意味を失ったからだ……

清盛の人間性の特異さ・傑出ぶりをあくまでベースとして、当時ならではの迷信気味な信仰心が舶来品に独自の価値を認めていたこと・日宋貿易が季節風の風向きに支配されていたこと・当時世界的に襲った気候の寒冷化を視野に取り込み、物価の急激な上下動による平家の栄達から滅亡までを一気に説き明かすのは雄大で、爽快だ。読んどいて良かったブローデルって気分にもなる。

富士川の合戦に、なぜ平家は人員をそろえることができなかったのか。そのわけを解明することは哀れを誘うが、しかし逆に、治承・寿永の乱を通じて、兵力が少なかったにもかかわらず、源氏がたを何度も敗走させた平家の武士としての底力、勇猛果敢さを明かすことでもある。ちょっと身震いが出る感じ。

そして歴史に「if」はないといいながら、もし平家の経済力に影がささず、政権を維持できたら、日本が海運業でアジアに雄飛する通商国家として世界史に登場していたら、いろいろな価値観やその後の歴史がずいぶん変わっていたであろうと空想することは、とうぜん、現代の問い直しともなる。

たまに図書館へ行くと、いいことがあるものです。
2012/08/17

1960年映画『スパルタカス』

まだ観ていなかったことに気づいた!(ノ´∀`*)

大ロケーション。大セット。大大大エキストラ。マット画きれい。古き良きスペクタクル映画を堪能したという思いがする。
オペラかバレエの伴奏のような仰々しい音楽がのべつまくなし鳴ってるのが若干あれだが、これは時代だからしかたがない。
以下、ネタバレ含みます。

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2012/08/17

STARZドラマ『スパルタカス』第5巻。

朝風が秋めいて参りました。空が高いです。でも地上は蒸し暑いです(´・ω・`)
湿度の高い日は汗が乾かないので体温が体内に籠りやすく、「低気温なのに熱中症」ということがあり得るそうです。
体調と気候の変化には充分お気をつけ下さい。

マウスをケーブルレスに変えました。購入後「せっかく買ったのに動かない」と思ってしばらく放っておいたのを主人が見つけ、黙って絶縁紙を引っこ抜いてくれました(ノ´∀`*) マウスポインタの滑りが良くなりすぎてまだちょっと使い慣れないです。でもケーブルを気にしなくて良いので手首が楽になりそう。

マヌー・ベネットのクリクススは復活しました。物語は、ほぼ彼を中心に廻っています。本来の主役は存在感をであがなう格好になりました。

以下、十八禁海外有料放送ドラマの話題につき、あらかじめご了承ください。

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2012/08/17

【清盛語り】 小松殿にこまる。

第31回「伊豆の流人」における小松殿こと重盛っちの、二条帝の横っ面を張り倒すかのごとき異常な奏上が忘れられなくて、困っている。

若い医師の
成長を描くドラマの話題を、たまたま新聞で目にした。それ自体はいいのだが、ふと「研修医が指導医と一緒に回診中、意見を求められてもいないのに患者に向かって『この際だから言わせてもらいますけど、あなたはお父さんともっと仲良くしたほうがいいです!』って言っちゃったとしたらどうだろう」と考えた。

たとえそれが病状回復への近道だとしても、言いようってものがある。

「元気な先生だなァ」と笑って終わりでは意味がない。「私には親なんていないものと思ってます!」と患者がふてくされただけでも意味がない。指導医が「余計なこと言うな」と怒るまでは当たり前である。

その患者が、翌日になったら診療を拒否する・急に転院する等と言い出し、騒ぎが院長の耳にまで達し、指導医が叱責を受け、当の研修医は蚊帳の外におかれて、「よかれと思って忠告したことが別の意味をもって周囲の迷惑になる」「自分の立場が自分のものでない」という世間の難しさを知る、しかしそれを別の先輩が自分の似た経験を打ち明けて慰めてくれる……というふうに話がつながっていかないと、場面として挿入された意味がない。

視聴者もそういう展開を期待して「この子こんなこと言っちゃって大丈夫かしら!?」と不安になる・ワクワクするから、チャンネルを変えない・来週も見なくちゃ、という気分になるというものである。それが肩すかしを食らえば結果は数字に出るとまァそういうわけだ。

清盛の立場は
元々の家柄は悪くなく(皇族の末裔)、貯めこんだ財産もあるが、非常勤の警備員ていどに見られていた者が本社の取締役会に出席するまでに漕ぎつけた、というところだ。

それが長男を連れて「こいつも晴れて入社できましたんで、これからもよろしく」とわざわざ社長室へ挨拶に行ったら、その息子が親父の頭越しに「この際だから言わせてもらいますけど、社長は会長ともっと仲良くしたほうがいいです! 会社を分裂させるべきではありません! 私は会社のためを思って言っています!(=自分がいま失礼を働いているとは思っていません)」と言っちゃった、というわけだ。

ふつう相手されないんじゃないか? 「いきなり何いってんの、この若造( ゚д゚)」って顔されるんじゃないか? 言っていることの内容を吟味するよりも、その無礼さ自体が問題とされるはずだ。答える義務はない、と判断されるだろう。

その場では「元気がいいね」等と嫌味を言われ、「下がってよし」と言われ、首の皮一枚つながった気分で自宅に帰り着いたところへ電話がかかってきて、左遷命令……それもお父さんの。 なぜなら、機嫌を悪くした社長へ、タイミングを狙っていた人物が近づいて、お父さんを讒訴したから、など。

重っちの理屈は
「だってお父さんが一人で修羅の道で頑張ってるみたいで可哀想だから、代わりにあたしがエライ人に言ってやったの!」というものだ。「あたしの何が悪いの!? 親子なら仲良くするのが当たり前でしょ!?」

これは家にいる女の発想である。それも、夫の立場の難しさをよくわきまえている妻や、家を助けるために嫁にいく覚悟を決めている娘ではない。気ままに生きてもよい立場の娘だ。
それに対する男の理屈は「他人の家のことに口を出すな」だ。「俺たちはその対立を利用して自分の出世を考えればいいんだ」だ。

「でも納得できない!」

自分が納得してから仕事にかかればいい、エライ人が気分でルールを決める世の中はおかしい、若い人も言いたいことがあれば堂々と言えばいい……悪くない理屈である。「じっと耐える美徳」を訴える時代劇はもう古い、という主張も悪かない。「女の子の目線で世の中を変えていく」結構である。

が、女性であっても、OLとして長く同じ職場で部長の苦労をみてきたという者なら、社長に向かってこれは言うまい。言うとしたら、自分の先見性をアピールしたい・部長をさしおいて自分を売り込み、出世を狙っている……というように思われても無理はない、というかむしろ妥当である。

悪左府と信西
飛ぶ鳥おとす勢いの辣腕政治家が二代つづけて讒訴や裏切りによって失脚するのを平家は見てきた。宮中政治の恐ろしさ・いやらしさに翻弄されてきた。だから参議となった今こそ、親子は心をそろえて、政敵に足元をすくわれないように言動に気をつけなければならない。一番の問題は、重っちがそのことを分かっていないことだ。

蓮華王院の件も港造営のためのご機嫌とりと気づいて不快感を表情に出していた重っちだが、新人政治家(ときに重盛27歳)が、その親父と意見が違うとなれば、ことはただの独善的な正義感あふれる反抗息子の親子喧嘩ではすまない。「政治の方向性の違い」であり、父親は寝首をかかれないように気を引き締めなければならない。敵は「それ見たことか」とほくそ笑み、近しい人は「どっちにつくべきか」と策動を始めるだろう。

百歩ゆずって、義母(時子)など通じてやんわりと忠告を伝えてもらう、金持ち平家らしく宴を開いてお近づきになり、そっと耳打ちする・当時らしく季節にちなんだ和歌に本心をしのばせて届ける……などの手段ならまだ分かる。

が、あのスタンドプレーでは、「重盛は父親の鼻を明かして自分が実権をにぎろうとしている」と作中人物が思うのが政治の世界であり、視聴者もそのようにみなして「きっと良くないことが起きる」と次の展開を期待するのが、政治権力の推移を描く歴史ドラマの約束だろう。

そのような事の重大さに本人が気づいていない。新進気鋭の政治家であり、平家一門の希望の星であるべき人物がその程度である、というふうに描かれている。本当にそのような「人が良すぎて政治家向けではない」人物として描きたいなら、それがしっぺ返しをくらう結果を描かなければならない。が、結局おとがめ無しである。

たぶん、脚本家が「あえて言ってしまう」ことを本当にカッコいいと思っている (´・ω・`)
「親子の対立」という「シチュエーション萌え」の結果が予想されていない。だから「何故おとがめ無しなのか」「影響がなかったのか」も説明されない。「なんとなく平家だから大事にされている」という了解が視聴者との間に無理やり敷かれている。

時子のごちそう
一族郎党にふるまう料理が足りない、という回があったが、あれは跡取りの嫁にきちんと教えておかなかった姑の手落ちでもある。また時子のほうも今までに手伝っていれば分かっていたはずだ。そもそも台所にも経験を積んだ責任者的な女性がいるはずで、彼女と家貞・盛国などの「財布」を握っている者が相談して段取りすればよいことだ。

あの時は清盛も自分の家の所領がどれほどあるかも知らなかったことをさらけ出したが、……「跡取りとして育てる」「家の仕事を継ぐ」「早いうちから教えておく」「見て覚える」ということがなぜ描かれないのか。
そのくせ「親子のきずなを大切に」というスローガンだけ主張される。それを言うことで今まさに父親の首を危なくしている君は何様だ重盛。

日常的な場面に置き換えてみると、かえって事態の異常さがよく分かる。それを天皇陛下相手にやってしまう。このドラマは初回から、最高権力者への幼稚な敵愾心が目立っていた。最も目上の人のさらに上にいきなり立つことで一挙に形勢逆転を狙う。下克上萌えともいい、中二病ともいう。女が男に「かわいそうな人ね」って言って、ラブストーリーでおさまってりゃいいけどね。

すべてのドラマは二次創作であるとも言えるが、捏造ハートフルホームコメディより「確実にあったとされていること」を淡々と絵にするだけで十分おもしろいのがリアル清盛の人生なのだけど……「いっそ本当にアニメなら良かったな」と思う今日この頃。
2012/08/14

アルムおんじにも嫁さんがいたはずだなァと。

『アルプスの少女ハイジ』一挙放送、たのしく視聴中。業界初のロケハンの成果は永久に不滅です。

デーテおばさんの説明によると、ハイジは彼女のお姉さんの子で、アルムおんじの息子の娘だ。

ってことはアルムおんじにも嫁さんがいたはずだけど、変わり者の嫁さんになって苦労したのかなァ、それとも「人は悪く言うけれど私には優しい人だった」みたいなロマンがあったのかなァと子供の頃には考えなかったことを思った。

原作には書いてあるかもしれないが手元にない。実家に古いハードカバーがあったが表紙絵の少女が金髪だったのがショックで読まなかった。アルプスの少女なのだから金髪なのは考えてみれば当たり前で、アニメの彼女はもちろん日本の視聴者が共感しやすいようにデザインされているのだ。

で、「アルムおんじ」で検索したら原作について詳述してくれてあるサイトがいくつかあった。その記事を流用するのもあれなので細かくは紹介しないけれども、アルムおんじ、なかなかハードボイルドな前半生をお持ちだった。アルムはファーストネームではないもようで、単に「放牧地のおっさん」を意味するらしい。デーテが「おじいさん」ではなく「おじさん」と呼ぶのは、年上の男性に対する一般的な呼びかけなのかと思いつつ、若干の違和感をもっていたのだが、実は(山あいの小さな村のこととて)彼女と彼には遠い親戚関係があるのだそうだ。

原作は絶版になっており、入手しにくいとのことだが密林では文庫本が中古市場に出ていた。ありがたい時代。

それにしても昔の小説は、すぐに人がなくなってしまう設定、多い(´・ω・`)

ところでユキちゃんは子供のヤギなのに何故お乳が出るのですか……
2012/08/14

清盛第31回「伊豆の流人」観た。

やっと観た。第3部が若干地味に開幕したような気がいたします。ヤモリは家の守り。こっから源氏のターン。

禅尼様お疲れ様でした。今わの際の目の動きはお見事でした。史実と確実に一致していたのはこの方の存在感。ご主人様と浄土でお幸せに。ああ演技派が減っていく。

役者がみんな若すぎて親子関係がつかみにくいのどうにかならないかな……。たださえ人数多すぎて分かりにくいのに何この学芸会を無理して微笑ましく観る感じ。
日本のドラマに特有の現象のような気がするんだけども。能や歌舞伎なら役者の実年齢と役の年齢設定が逆転しちゃうことさえあるけども。

分からないといえば、蓮華王院が一瞬で出来たのはともかく、上皇と帝の対立の意味が相当わからなくて、そもそも「欲しけりゃくれてやる」って自分から譲位したくせに今さら何いってるんだ松田くん。ふつう上皇は退位したものなんだからもうまつりごとには関わらなくていいんだ。
そしてまた線の細い二条帝は、どこがどう名君だったのか。後白河上皇に任せたら、何がどうやばくなるのか。彼が帝だった時代は世の中がどう乱れて、それを二条の時代にどう正したというのか。

当時の社会の様子・政治の動きがさっぱり描かれていないものだから、対立する意味が分からない。日曜八時路線を捨てて歴史マニア向けならそれでもいいけど、それにしては安っぽいホームコメディばかりやっているじゃないか。

なぜみんなあんなにちゃぶ台返し親父なんだ。そしてなぜ相変わらず平家は意志の統一がとれていないのだ。政治家は息子にスタンドプレーを許しちゃいけないだろう。がんじがらめに逆らえないようにしとけ。そーいえば時忠を窓格子の隙間からのぞいていた伏線らしきものはやっぱり回収されなかった。「このころ二条帝は」この頃ってどの頃だ先刻まで元気だったぞ。

相変わらずというべきか、アルバムをめくるように話運びがブツ切りだ。修羅の道っていうか行き当たりばったりだ。みんなで怒鳴ってるだけだ……。歴史ドラマってこんなものか? あったことを淡々と語るだけだから?

果たして遠い東国からきた他人の目で見て、清盛は恐ろしい政治家なのか。視聴者は彼を恐ろしく思っているのか。イメージ先行、セリフで説明。念のため君は青くそかったぞ清盛(日本中が突っ込んだだろう)

公卿たちが儀式の最中に平気で私語するマンガ演出もやれやれだが、一度もまともに儀式が執り行われたことないのな、この宮廷。

一度、奇をてらう場面作りとナレーションでまとめちゃうことを封じてみるといいんじゃないかと思う。

伊豆のほのぼのカップルは可愛かったけども。
2012/08/13

11日のNHKの大和の特集やっと観た。

なにせチャンネル権ないので。オンデマンドの Flash の動作がカクカクしてるのを我慢しつつ。

インターミッション付き堂々三時間。魅力的な取材・撮り方・構成だった。新しく分かったことは特にない……はずだけれども、質のよい再現ドラマと鮮やか過ぎる米軍資料まで使って満遍なく見せてくれたのが、全体像がつかみやすく、何かしら批判するとか偏った主張をすりこむとかでもなく、「子供にも見せたい・考えさせたい」というようなものになっていたと思う。

「個人の人生の物語消費」という言葉がチラッと頭をかすめるけれども、ドキュメンタリーってそういうものだし、単なる泣きたいための娯楽ではないし、作戦そのものについてはいろいろと分かっているので、個人の思いに焦点を当てるのは、今だからこそ語れる・今のうちに語っておかないと・聞いておかないと、というこのタイミングで、ぜひとも必要だったし、残されるべき記録だと思う。

本当に小さな子が同席していると音声が聞こえなくなっちゃったりするので(奴らは「どーして泣いてるの」などと質問したがる)時間を盗んで独りで観るしかないのが板挟みなところだ。

艦体のCGが見応えあった。艦内の構造が分かりやすかった。
制裁と脱走についてもよく取り上げたと思う。
米側資料を見せられると悔しい気がするのは仕方がない。

戦藻録の原本には興奮したが、宇垣さんはなぜ十二月なのに第二種軍装だったのだろう。
なぜ艦内の射撃盤要員はカモフラ柄でゲートルを巻いていたのだろう。
とか、ちょっと突っ込んでおいてみる。

再現ドラマではきちんと冬は第一種を着ていたので、制作担当部署の違いみたいなものが出たのだろう。
百歩ゆずって「白装束」のイメージを出したかったのかもしれないと言っておく。

瀬戸くんが俳優らしく気分を出してしまったのが若干アレだった。同じ年頃の今の若者が一生懸命ついていこうとしている姿は好感度高かった。が、なきゃなくてもいい視聴者サービスのような気もする。

水族館前の朗読劇は面白い演出ではあった。うっかり声を荒げるような再現ドラマをやらかしてくれなくてよかったと思った。神 重徳の朗読は入りすぎだったけども。

イケメン起用による全体にしっとりしたメロウな雰囲気は、今ふう・女性向けなのかなと思った。

にしても、再現ドラマが上手かった。おかいこさんよく集めたと思った。「何もかもおいて死ににいく」というように美化せず、家族が助け合う生業をしっかり映したのは、無言のうちにも雄弁だった。艦上から見た最後の桜と、復員兵の揺れる気持ちを表した手ブレカメラは良かった。もはや大河がかすんでいく……

再現ドラマスタッフ:強力なメンバーだったらしい。
脚本・演出:正岡 裕之
撮影:夏海 光造
映像技術:池田昌史

証言の内容については、もはや言えることはない。
死にかけたことはある。出産のとき。痛いのは嫌だけど、死ぬこと自体は怖くなかった。奇妙に静かな気分だった気がする。
それを、同じ経験をしたことのない人に「普通そういうもんよ」みたいにひとくくりにされたことがあって、不快だった。
だから「その時の気持ちは分かる」とも「分からない」とも言わないことにしている。
「あの感じはね……」と言おうとして言葉にならないのだけ、分かる気がする。
2012/08/10

『あらしのよるに』

スカパー(アニマックス)で8月中にやるみたいですね(*´∀`*)

原作ではメイがおじさんかおばさんか分からない不思議な感じが新鮮でしたが、
アニメ映画版では可愛らしい男の子になってましたね。
勿論あれはあれで好きです。丸っこくてね。
悪役狼たちの悪っぷりとカッコ良さもよく出ていましたねぇ。
風景がすごくきれいで、音楽も決まっていた、素晴らしい映画だったと思います。

以下、大人なつぶやき。

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2012/08/08

2003年映画『カレンダー・ガールズ』観ました♪

あたしジョージ・クルーニーよりキーラン・ハインズを旦那にもってるほうがいいなァ!!(*´∀`*)

男優萌えで借りたらすごく可愛らしい女性映画でした。ちょっと泣ける。ちょっと笑える。だいぶウットリできる。
ああ、ロケハンて大事。
国土が美しいって大事。
人が許しあうって大事。

キーランは今回は北ヨークシャーの片田舎で花屋をいとなむ冴えないオッサンとして登場しました。よき旦那、よきパパ。「Congratulation, it's CALENDAR」と言われた時の呆然とした顔は忘れられません(笑)

以下、ネタバレ含みます。

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2012/08/05

清盛第30回「平家納経」をしのんでみる。

初めてテレビで観た! 土曜日の再放送で。

新院のB級ホラー化が面白かった。「よくぞここまで」というカタルシスもあった。でも子供が怖がったのでPG-12でお願いします(ノ´∀`*)

経文の制作過程を見せて頂けたのは眼福でした。キラキラ☆
雨中の船上、兎丸配下の筋肉美も目の保養でした。

そして盛国! 盛国お久しぶり! 

すずき丸と呼ばれて眼に野生の光が灯ったのがすごく良かったよ!!

西行まで同行して、「生き残った俺たち総出演」「義朝、信西、見てくれた!?」的な、また清盛が今までは当時の人らしい信心深さを見せたことがなかったのが一心に経を唱えるなど、印象的で、第二部終幕にふさわしい粋な盛り上がりを見せたスペクタクルシーンだった。中島さんあの Funeral March 好きかな(私も好き)CGが若干……とか言わないことにしよう。

以下は本格的に愚痴。


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2012/08/05

海外ドラマ『スパルタカス』DVD第2巻をしのんでみる。

第4話の序盤だったと思うけど、話の運び方・撮り方という点で忘れられないシーンがある。

(※ 18歳未満お断りの海外有料放送ドラマの話題なので「観てみよう」と思われましたら視聴の際にはご注意ください。)


フーガのように

「奈落」(違法デスマッチ闘技場)で心身ともに疲れ果て、昼食をとる元気もなく独りぼっちで中庭に座り込む主人公。

ピエトロス君、お椀をもって登場。「少しだけど食べて元気だしなよ」主人公を気遣う彼のアップを撮る画面の奥に(遠近法により)バルカの全身像が映り込んでいて、「そいつに構うな」と声を掛ける。

ピエ君がバルカをちらりと意識しながら中庭を横切るのを、カメラがワンカットで追っていくと、前景にクリクススの横顔が入ってくる。ピエ君の姿が建物内に消えると同時にクリクスス、カメラのほうへ(=視聴者のほうへ)振り向いて、「浮気か?」とジョークを一言。カメラがちょっと引くと、クリクススの隣にもちろんバルカがおり、「平気さ」と鼻で笑う。同じフレームの奥にアシュール登場、彼に焦点が合うと同時に「俺の調達してやったネックレスは役に立ったかい?」と新しい話題が始まる。

友人の前で秘密をばらされた格好のクリクススは怒ってアシュールを突き飛ばす。バルカはクリクススの肩をつかんでカメラへ向かって(=彼らからすると仲間のいる建物から遠ざかる位置へ)移動、「ネックレスってなんだ、あの女だけはやめとけ」(彼はクリクススが女主人の下女に惚れていることを知っており、バレたら危険だと忠告する)
クリクススはもちろん友人を安心させるために「あんな女」と心にもないことを吐き捨てる。

その頭上、彼らの背景になっていた建物二階のバルコニーへ、彼らの主人が登場。焦点が合うと同時に「支度しろ、(また奈落へ)出かけるぞ」
バルカは主人公に近づいて、先ほどピエトロスが捧げた椀を弾き飛ばし、「立て犬め、死にに行くぞ」と毒づいて、意趣返し終了。
ドラマの舞台は奈落へ移る。

……こう書くと長いけど、観ていると本当にさもない「つなぎ」の場面で、エピソードの一つ一つはベタでもある。
ただ音楽でいう「フーガ」みたいに、エピソードの頭(=その場面の主役の登場)が前の場面の最後に食い込んだ形になっており、次々に話が引き出されるので、視聴者は息をつくひまもない。そして最初と最後がきれいにまとまってる。そして勿論、第3巻で生きてくる伏線がつまっている。

よくできてる! と叫びたくなるのであった。HBO『ROME』も同じようにスピーディで刺激的なドラマだったけど、こういう入れ替わり立ち替わり、「よくできた舞台劇」みたいな進行はなかった。このドラマは少ない登場人物ですごく効果的にまわしていると思う。
2012/08/01

川勝平太『文明の海洋史観』

中央公論社、1997年11月初版、1998年11月6版。 1年で6刷!? Σ(゚д゚lll)

駿河湾を見おろす山間で、蝉の声を聞きながらユルッと一気読み。今回も泣けました。いま正にこの筆者が「富国有徳」をかかげて太平洋沿いの海洋県にあって、県政の要にいてくれることに改めて感動し、感謝しつつ、膨大な引用と多岐にわたる博識に呆然としつつ。

文体が論文らしくなりました。「起の章」はNHKブックス『日本文明と近代西洋』の第1部の復習のよう。実は論文として発表されたのはこっちのほうが早いんだけど、ドライな短いセンテンスで重要な話題を次々に述べていくので、先にこっちを読むと「いいいいきなり何いってんだこの人!?」ってなるかもしれない。英印貿易を中心に数字をあげて丁寧に解説してくれるNHKのほうをやっぱり先に読んでおくといいと思います。

「承の章」は、マルサスの人口論とダーウィンの進化論がいかに根拠薄弱だったか、そのことにマルクスも気づいていたか、エンゲルスとの手紙のやりとり等を例示して明かしていくのが地味に面白い。
そして彼ら人間中心・理論優先・進化上等の世界観に対抗する、フィールドワーク重視・分化と多様化を標榜する世界観として、京大学派をしみじみと深々と紹介していきます。

生死一如の西田哲学が吹く笛に乗って、痩男の面を掛けた三木清の怨霊が暗く舞うのを背中に感じつつ、続く「転の章」では今西錦司の暖かい太陽に照らされて、梅棹忠夫とともに大陸へ旅して乾燥地帯を見渡し「海が見たい」と叫ぶ。(※ イメージです)

梅棹文明地図を「理系らしい天才的作図」と充分に誉めた上で、おもむろに海の色を塗ってみる。線を引いてみる。叙述は至って冷静なんだけど、男の子らしいイタズラっ気を感じないでもない。でき上がった図では日本と西欧が北緯45度線を境に見事な対称をなしています。

寒冷な地方で海に囲まれた西欧なかんずくイギリスは、大西洋を股にかけて産業革命をなしとげ、温暖な地方で海に囲まれた日本は、海外雄飛と敗戦と鎖国を、倭国の時代から繰り返し、独自の文化を発展させてきた。

唯物史観も生態史観も陸地に視点を限っていた。陸地内の階級闘争、あるいは陸地内の遊牧民の移動を文明変遷の原動力とした。が、それでは海洋国家イギリスと日本が産業革命を成功させたことの説明ができない。
海における人と文物の移動・交流こそが辺境にインパクトを与え、文明の変革を生んだことを見逃してはならない、と説く。

「結の章」では、江戸期日本の農村の手入れの行き届いた美観が、いかにイギリス人を惹きつけたか、百万都市江戸がいかに緑にあふれていたか、それを見慣れていたからこそ、イギリスの資本家たちが郊外のマナーハウス周辺に好んで維持した自然美を、岩倉使節団が無視し、「我が国に足りないものは工業都市だ」と即断してしまった皮肉、それが尾をひいて戦後の海浜地区に工業ベルト地帯が建設された環境上・安全上の弊害を述べ、自然景観を活かした国土再建、「庭園の島」づくりを提唱します。

なにしろ前へ向かって希望のある論文て珍しい。1997年だから世界はこの後おそろしいことをいろいろ経験するわけですけども、自然淘汰は根拠薄弱であったことを指摘し、進化論的歴史観はすでに破綻したと言い切り、今西自然学と松井地球学をベースに、百五十億年前のビッグバンより後、宇宙は銀河を、太陽を、地球を、生物を、人間を、次々と分化させ、多様化させてきたと説き、地球自体を宇宙に対して小さな一つの「鎖国」・箱庭と見なし、その七割は海であり、三割の大陸は、七割の海に浮かぶ島々に過ぎず、島々は海でつながり、人々は海を通じて交流し、協力し、住み分けることができると説く、いずれ「東洋」「アジア」という陸地的地域概念が消失し、日本は「西太平洋地域」の要となると予見し、鎖国時代の知恵を世界の指針とすることができるとする、それが説得力を失ったとは思われません(涙)