2013/02/24

1996年『ドラゴンハート』

テレビでジブリ映画などを放映するときは、夜9時からだと子供たちが待ちきれなくて非常に眠そう。月イチか長期休暇の間だけでもいいので、夜7時頃から親子で安心して見られる映画を放映してくれる枠があるといいと思う。

……というわけで微笑ましい作品です^^

1990年代には中世を舞台にしたファンタジー映画、中世をイメージした未来を舞台にした擬似SFがいろいろあったような気がしますが、その中でもアクション要素と笑いどころが多く、楽しめる作品だと思います。チャンバラ要素はあるけど、特殊技術きかせ過ぎな残酷表現は無いです。

笑いの取り方は甘いというか見え透いているというか、子供だましといっては子供に失礼か、ともかく可愛らしいです。個性的な顔立ちのピート・ポスルスウェイト(RIP)が狂言方のような上品なコメディ役者として好演。

世界観とキャラクターの説明および会話のもっていきかたが下手で、とってつけたような場面の連続。とくに前半は「もう少しどうにかならんかったんかい^^;」という部分が多いですが、本気で怒ってもしゃーないっていうタイプの作品。

お話は、かつての師匠と弟子の対決、狙い狙われる者のあいだの奇妙な友情……というのを描きたかったようで、それはそれで成功してますけども、キャラクター設定はやや中途半端な気がしないでもない。

たぶん美少女という設定の女性キャラクターとの恋愛要素がどうせ無いなら、もっと歳をとった“かつての名剣士”(それこそコネリー本人)と、即位したばかりの少年王の対決のほうが引き立ったかとも思うし、日本の作品(とくにアニメやゲーム)だったら主人公・敵役とも少年だったでしょう。

長髪のデニス・クエイドは中年(公開年には42歳)の色気があったからまァいいや。

ロケとセット、衣装・小道具には力が入っており、見た目の安っぽさはありません。エンドクレジットに並ぶスタッフ名は、ものすごい多国籍っぷり。ドレイコ役がコネリーで、長弓隊とアーサー王もご登場なさるとおり、物語の舞台はイギリスをイメージしていますが、ロケ地は東欧のようで、霧にけぶる山なみ、緑したたる森、透明感のある湖など景色が美しく、中世前期のカクカクと四角いお城もすてきです。1996年という時代を考えると“東西”の協力は感慨深いようでもあります。

その景色に溶けこむCGドラゴンの違和感のなさ・質感の高さは、制作年代を知ると二度びっくり。確か2000年の『グラディエーター』のコメンタリーで「(闘技場を広く見せるCGは)5年前ならできなかったね」って言ってましたから、ドレイコ凄い。

コネリーおじさまは大変たのしそうに演じていらっしゃったと思います。コスナーの『ロビン・フッド』でまさかの獅子心王だったり、『ハイランダー2』で粋な中世人を演じたり、この頃いろいろやってましたな。

吹き替えの若山弦蔵氏もすてき♪

ただのハッピーエンドではないラストのまとまり具合と、クエイドの眼に星の光が映るのは美しかったです。あれは虹彩に透明感のある白人ならではの表現かな。最後までとってつけたようなナレーションも微笑ましかったですが、クエイドの溜息が白かったところを見ると、撮影は大変だったと思います。

大量エキストラも含めて、皆様お疲れ様でした^^


2013/02/24

2000年オーストラリア『エンド・オブ・ザ・ワールド』

原題『オン・ザ・ビーチ』のほう。堂々の3時間半。よかったと思う。

1950年代のモノクロ映画版のリメイクというよりは、同じアイディア(原作)による渾身の新作といってもいいと思う。ストーリーに救いがないのは原作がそうだからで、あとは“どこをどう映像化して見せるか”っていう勝負になる。

やたらと人物のアップが多くて「テレビドラマみたいだな」と思っていたら本当にテレビドラマだった。オーストラリア作品なので知った名前はひとつもない。でも主要男女5人から潜水艦の一兵卒にいたるまで、皆いい顔をしていた。オーストラリアのテレビ俳優の層は厚そうだ。どっかの国とちがってアイドル俳優の若さだけが売りではないキャスティングがいい。

冒頭の潜水艦内部のシーンはオーストラリアらしいフェチっぽい映像が良い。飛び散る男の汗! 北半球滅亡のその日から風呂入ってねェんだよ! いいかげん外へ出てェんだよ! っていう切迫感がよく出ていた。広がる青空の下、ハッチの外で吸う煙草はうまい。

オーストラリアの風景の美しさ・カラー撮影の技術が存分にいかされており、ある意味国威発揚作品でもある。同時に“人は滅びるが自然は滅びない”というメッセージにもなっている。特殊撮影も空撮もテレビサイズとは思えないほど頑張った。

セイリングのシーンはスタントと(たぶん)プールでの撮影をうまく組み合わせていた。特殊メイクによるご遺体の描写もなかなかだし(まばたきは光の加減だと思え)モノクロ時代にはできなかったアイディアを全部投入しました、という制作陣の心意気がいい。

賛否の分かれるだろうところはテーマの伝え方で、旧作において“静かすぎる街と人々”が明らかにフィクションであり、一種のブラック・ジョークであり、SFらしい強烈な皮肉である……となっていたのに比べて、こちらは生々しい描写が多い。

難民の流入・軍隊による制止・若者の暴動・とくに米軍軍人への敵愾心など、リアルを心がけてみましたが、どうでしょうかというところ。「やっぱりこういうことが起きるよな」という納得感は、当然こちらのほうがある。映像としての“リアルさ”(いわゆる汚し塗装)もよく出ていたと思う。美術スタッフがんばった。去年の大河への誉め言葉みたいだ。

街は荒れているが、ちょっと郊外へ出るとまだ静かな暮らしがある……というのは“本当の終末ってこんなふう”という説得力があると思う。SF小説の頭脳プレーを再現した旧作と、老若男女が目で見て分かるテレビ報道の説得力。これは手法・話法の違いで、どっちがエライってものではないと思う。

キャラクターは、お硬いが家族思いの米軍艦長(でもちょっと病的になっちゃってる) &“幸福にさえ縛られることがきらいな陽気なオージー”(そのスタイルを貫くことで精神のバランスを取っている)科学者、会社を経営するほど(本人は「小さな」と言っていたがフロアの広さを見ると決して小さくはない)有能だが派手すぎて女としてはイタイ人生になってしまった姉ちゃん & カタブツで地味だが平和な暮らしを手に入れたDIYな妹、というそれぞれの対比が、『渚にて』よりも効果的。“肉体派”エヴァ・ガードナーと清純な新妻という設定より明らかに現代的で、現代っ子は楽しく見られると思う。

どうも脳内で「ワルツィング・マチルダ」が再生されちゃって困ったけれども今回のBGMはクラシック調。トロンボーンによる叙情的な旋律が大作映画のデフォルトになったのはいつからだろう。チェロの独奏もきいていた。

中年男女3人の浮気なような誠実なような恋の駆け引き、若いパパの優しさと、それに甘えたような(一見つよい)妻の自己主張……というメロドラマ・ホームドラマの部分と、潜水艦内部&勤務中の軍人のかっこよさ・からかい合ったり本気でケンカしたり宥め合ったりする男の友情の部分、交互に描かれており、誰が見ても楽しめると思う。

ザッピングしてしまうとそれぞれの緊張感が削がれるので、それぞれのパートごとにある程度の時間をかけて描くのはよい。小さなエピソードからキャラクター性がよく分かり、感情移入しやすい。メロドラマ苦手という人にはその部分が退屈だろうし、ミリタリーに興味がない人にはその部分が退屈だろうけれども、これはまァお互い様。(私は両方好き)

“謎のメッセージ”のサスペンス部分の盛り上げかたは素敵だった。ネタバレを知っているので喜ぶ姿に胸痛んだけれども。犯人はやっぱり(白字反転)コークの瓶

艦長の“暴走”は、その前兆が何回か示されていたので爆発に違和感はなかったし、副長のアクシデントのさりげなさもうまい。“潜水艦は一蓮托生”へ至る流れも、いろいろあってここまで来たという納得感とともに泣けた。

というわけで非常にうまいテレビドラマだったと思う。

ラストはあれだ、(再び白字反転)薬を飲んで眠りに落ち始めた女の幻想ということにしておけ

2013/02/19

1963年『大脱走』

充実の2時間52分。なんて有能な男たち (*´∀`*) 

女子キャラ皆無。モブのみ。正調・男祭り。

マックイーン33歳、ガーナー35歳、アッテンボロー40歳、ブロンソン42歳、レイトン24歳、マッカラム30歳、プレザンス43歳、コバーン35歳、アルベルティ30歳。(公開時)嗚呼男盛り。そして軍服。萌え発動用意。

金髪のお三方(レイトン、マッカラム、アルベルティ)は髪もお肌も輝くよう。ブロンソンが苦みばしった頬の皺と成熟の肉体美を披露しております。知った顔が多いので「おお!」と声を挙げるも楽しく、「誰だっけ^^;」と悩むのもまた楽しいです。

“実話にもとづいていますがフィクションです”と断る歴史物は多いけど、これは真逆で「多少脚色したが、あくまで実話である!」と最初にテンション高く宣言します。

そう言っておかないと「ギャグか」と感じられるほど、「ご都合主義w」といいたくなるほど、脱走将兵たちは有能なのです。“プロ”の仕事ぶりは、その再現を見ているだけで面白く、説明も解釈も情緒もいらないという好例。

なにせ(前半は)カメラが収容所の外へ出ません。“そのころ国許の女たちは”とか“独軍上層部では”というふうにストーリーがぶれません。脱走用の穴掘りは成功するか? ひたすらそこだけに絞り込んだ描写。舞台劇の緊張感はあるかもしれませんが、果たして面白く描けるのか、ちょっと考えると微妙。

それを今回は、ときおりクスっと失笑させられる上品なコメディにまとめましたというところ。

捕虜収容所生活(とくに独房暮らし)の厳しさや、任務の困難さは、文字で説明すると読む者の心にずっしりとのしかかる。でも俳優が皮肉っぽく小首をかしげたり、わざと驚いたように眉毛を逆立ててみせたりすると、観る者の心に小さな笑いが生じる。俳優の実力、芝居の面白み、可笑しみというのはどこに出るか。これはそれをよく知った監督と俳優の共同作業。

そしてまた、明るく健康的に描くことで「彼らはどんな時もタフだった、立派だった、だった」とオマージュを捧げ、「勇士よ永遠に」と深い弔意ともなす。スティーブ、あんたの時代はよかった。

そしてまた、この時代にはまだ戦争の実体験者が多かったので、当時の苦しさをクドクド説明する必要はなかったし、あまり生々しく思い出したくない……という感情への配慮もあったでしょう(スタッフや俳優にも従軍経験があった)これは『史上最大の作戦』などでも同じ。

『プライベート・ライアン』の頃になると、若い世代に追体験させるためにリアルな可視化が必要だった。特殊メイクの技術も上がったし。……というようなことでしょう。

というわけで、実際に起きた連合軍捕虜大脱走を題材にしたエンタテイメント。

マックイーンのバイク・アクションが取り上げられがちだけど、前半からものすごく沢山のエピソードがテンポよく盛り込まれ、長丁場ですが退屈する暇はありません。

脱走常習犯を集めて厳しく監視するための新収容所。到着早々、捕虜の一人であるアイヴスは鉄条網を見て顔色を変える。カベンディッシュは三段ベッドの一番上を選んで飛び乗る。さもない描写が後で効く。

他の捕虜たちは、割り当てられた宿舎へ粛然と向かうふりをしながら、もう地面の土質や監視員の位置を確かめ、鉄条網の外にひろがる森との距離を目測し、「ちっと遠いな」などと言い合う。

掘る気満々(・∀・) 

開始早々目が離せない。こいつらタダ者じゃない、何かが起こる……という期待感・緊張感が一気に高まる中、イギリス式敬礼も美しい空軍士官と誇り高きドイツ空軍士官の礼儀正しい腹のさぐり合いに萌え。

宮崎アニメを思い出す……といえば順序が逆なんだけど、ワイド画面で雄大な景色(と大量のモブ)を写し出すところから始まって、焦点がキュッと主要な人物数人に絞られ、非日常的な状況を次々と繰り出さし、観客の心わしづかみ。無駄口はきかず、といって早口でもなく。淡々と、テンポよく。この語り口が似ている。ということは、宮崎アニメを面白いと思える人にはぜったい面白いです。いやぁ50年前の映画って本当に素晴らしかったんですよ。

(以下、派手にネタバレ)




子供の頃にテレビで見たときの印象は、ヨーロッパの景色の美しさと軍服・背広姿の男たちのカッコ良さ。今見ると、俳優たちのなりきり具合がすごいです。キャスティングの妙味もすごいですが目の芝居がすごいです。景色の美しさに対置された軍装の鈍色の皮肉と、それが現実であったことの怖さがすごいです。重機関銃の発射音。霧にけぶる遠景。すべてを罠とみるもよし(よくはないか)

前半が明るかったからこそ後半の緊迫感と悲劇が胸にせまるわけですが、その描き方も淡々と冷静にテンポ落としてないとこがすごいです。ひと安心の次に悪いこと。悪いことの次にひと安心。

小舟でこぎ出すシーンは美しかったですね。北欧へのがれた二人はあの二人で幸せな家庭を築いてくれるといいな。クローゼットが怖かったという彼は子供の頃にやや特殊な理由で厳しいおしおきを受けたのかもしれません……
というのは色っぽさをからかったギャグのつもりではなく、本当に最初から“なんならその志向の観客カップルがそのつもりで楽しく見てもいい”というようにできていると思う。洋画には時々そういう“配慮”がある(と信じる)

そして製造屋のでかいバッグの中身はなんだったんだ。

なお、チョイ役のアルベルティ登場シーンには「出た♪」と嬉しくなってしまいました。なにしろ一度見たら忘れないお面。彼の持ち味を最大に生かしたのはイーストウッド主演の『戦略大作戦』だと思う(笑)

……なお、ヒルツ(マックイーン)の独房監視係の若いドイツ兵も特徴的な(ドイツ兵らしいと思える)顔立ちで、印象的でした。彼も50年経って素敵なおじいちゃまになってるのかな。

古い映画を観るといつも思うのは、その後たいした活躍もなく忘れられた俳優さんが一杯いること。「俺、この映画に出たんだよ」というのが一生の自慢だった人が大勢いて、彼らに支えられて大作がある。

大掛かりなセット、空気感も美しいロケ。関係者の皆様お疲れ様でした。いい役者、いい場面、気の利いたセリフを挙げていけばきりがないです。

50人に黙祷。

2013/02/10

1974年 『タワーリング・インフェルノ』

黄金の門を開けよ、サンフランシスコ。爽快な空撮オープニングと錚々たるキャスティングがかき立てる大作感。

終わってビックリ。2時間45分が短く感じた! 手に汗にぎるとはこのことだ。

“地獄の高層ビル”の特撮がややご愛嬌で、消防車総出動シーンのカッコ良さは怪獣映画のようにワクワクします。タイトルロゴの70年代っぽさからいっても、もっと娯楽色の強いにぎやかなパニック・ムービーだと思ってましたごめんなさい。静かに興奮する大人の作品でした。

出だしは今みると「可愛い」といいたくなるようなミッドセンチュリー家具で飾られたオフィスでエリート社員たちがラブ・アフェア……なんて軽佻浮薄ぎみ、ちょっとエロティックなメロドラマ調から始まりますが、やがて深刻な事態が明るみに出はじめます。最初は静かに。そして不意なバック・ドラフト。本職全面協力により、火事場で生じうる危険の描写はリアルです。

画面の色調をいじったり、スローモーションをかけたりして(無理やり)情感を高めるという手法はとっておらず、ほぼ撮りっぱなしの実況映像ふう。闇のなか、一方向からの照明に消防士たちのすすけ、疲れ果てた顔が浮かび上がります。カメラの“手ブレ”も利用されておらず、音楽もほとんどありません。高層ビルの特撮は何度見てもやや愛嬌が感じられますが、その丁寧な手作り感がまた良いところでもあります。

俳優たちはどうやら本当に火のあるところで演技をしており、汗だくです。スタントマンの大活躍にも拍手を送りましょう。
そんなこんなのリアル感重視で、無理に盛り上げようとはしていないのですが、子供だけでも助かってほしい……と思うと涙なし、緊張感なしには見られません。

第二次大戦をあつかった映画に実体験のシビアさ、厳粛さ、品格があった頃に似ています。『暁の出撃』『史上最大の作戦』を思い出しました。あれらが実在の部隊に捧げられていたように、これは全世界の勇敢なるファイア・ファイターに捧げられています。

70年代パニック映画の最高傑作というより、アメリカ映画の最高峰といっても過言ではないかと思います。ちょっとした行き違い、成功が生む油断、男の見栄と責任感、女のパニックと勇気、ありそうな混乱、良かれと思って実行したことが次の災難を生む……

モノクロ時代の人間観察、セリフのあつかい・話づくりのうまさ、『風とともに去りぬ』・60年代ミュージカル映画の華やかさ、壮大なセット、エキストラ大量動員、なめらかに移動する品のいいカメラワーク、それを可能にする機材(とアシスタント)の優秀さ、小気味のいい編集。年齢と経験を重ねてきた俳優(女優)の顔がかもし出す説得力。アメリカ映画が底力を発揮するとこうなるという、お見本。

しかも“娯楽”な部分はきちんと確保しており、女優たちは本当に震えてます。助かるために乗り込んだはずのエレベーターが奈落へ降下していくような不安な暗さと、その中央で理知的なフェイ・ダナウェイが本当に震えてるのは美しいです。

高層ビルの落成パーティー中に出火、最上階ホールのセレブたち・豪華な居住区の住人たちをいかに救助するか……という話なので、淑女たちは露出度の高いドレスをビル風にはためかせて震え、おびえ、苦しみます。ラブ・アフェア中のエリート達も“報い”を受ける形。意地悪く言えば庶民の意趣晴らし、“リョナ”的エロスが見てとれる。

いっぽうで男優たちは持ち味発揮120%。ニューマンの正統派ヒーローっぷりよ♪ マックィーンはどこにいるの? と思ってたら後から出てきて一番カッコいい役でした。ニューマン演じる建築家とマックィーン演じる消防隊長のプロ同士の会話はしびれます。セリフは短く、的確。特筆すべきは、誰も怒鳴らない。役者の“目”の演技をスッと回りこんで撮るカメラの冴えること。隊長に“状況”を説明する士官の襟のバッジの輝きがきちんと写し込まれているのが、その状況の酷薄さを高めたり。最上階のさらにその上に“仕掛ける”と聞かされて、受話器を握ったまま天井を見上げて動きをとめていたニューマン最高。

すっかり枯れたアステアの足元に軽やかさが失われていないのが見えるだけでも泣かされます。タキシードが70年代の伊達男ふうではなくノーブルに見えるのは燕尾服を着こなしていた人の余裕なのでしょう(言葉を尽くして誉めたい)

その70年代の伊達男チェンバレンの小物っぷりがまた良くて! 臙脂やディープブルーに黒い襟を着せたファンシータキシードなんて流行りましたっけね。しかもただの小物ではなく、彼なりのつらい事情を抱えていたことがポロッとこぼれた短いセリフからうかがえるあたり。うまい。

観客が「お約束として助かるだろう」と思える人はやっぱり助かり、でも悲劇もあり、それを語るエピローグ部分も美しい。

社長の「繰り返すまい」っていう最後のセリフはちょっと他人事すぎで、あんたはこれから巨大な賠償問題があるだろう……と思っちゃいますけども、観客に向けたセリフとして“責任者”が言っておかねばならなかったのでしょう。それがアメリカ流なのでしょう。

「パニック・ムービー」と銘打たれがちですが、実際にはパニックを起こす人は少なく、セレブのパーティーがバリケードのようになってしまう皮肉も揶揄的ではなく、招待客の多くが粛々として、自分にできることをしようと努力し、互いをいたわり、はげまし合う姿が描かれます。

立ちすくむ招待客に先んじて救助用ロープを確保し、銀髪をふり乱して消防隊に協力するのがセレブたちであるのは(有名俳優そろいぶみの映画的効果を差し引いても)良い絵でした。

消防と海軍もガッチリ連携。だからこその“状況”が生まれてしまうわけですが、消防隊長は軍隊をののしったりしない。

いっぽう、白人エリートが浮かれ気味な裏でしっかりと現場を支えているのが黒人であったり、働く女性が仕事と家庭の両立に悩む姿が描かれたり、手話で子供と話す母親(災害発生時とり残されてしまう)や、彼らに美術を教えて一人で生きる女性が登場したり、彼女は(当時最先端の)ミッドセンチュリー風ではなく古き良きロココ調の家具に囲まれて暮らしていたり。取りこぼしがないというか配慮がきいているというか小技がきいています。公民権運動からここまでの展開が早いのがアメリカ流。

これはエリートの慢心と大きな悲劇を描きつつ、ギリギリのところで発揮される彼らの自省・自制心(=知性)、責任感を讃え、人種と民族と性別を超えた協力(消防隊長は名前の設定からしてケルト系、傷ついた消防隊員を手当てする女性看護師はラティーノなど)を描き出し、サンフランシスコ万歳、アメリカ万歳、消防さん軍隊さんありがとう……! と謳っているわけで、だから後味が良いのですな。

見てよかったです。しみじみ。

あ、なお火事場なので怪我人は登場しますが“特殊メイクやりすぎ”な受傷描写は「ない」と言っていい程度だと思います。リアルな“汚れ”感を重視しつつも、品よくまとまっていると思います。安心してご覧いただける……かと。