2013/04/29

Eテレにて能『求塚』

NHKで能『求塚』拝見できました。チャンネル権をくれた家族のみんな有難う~~

録画機材はCSの江戸川くんに占拠されました。能は一期一会(・∀・)

どこで書こうかと思ったけど前に能の話題をここで出したことあるし……興奮さめやらぬので箇条書き的に……

落ち着いたアナウンサーさん(石澤典夫氏)の話の振り方が良かったです。松岡先生のお話も分かりやすかったです。大人の男の時間がいいです。和服の“きれいどころ”とかフラワーアレンジメントとか要らんです。背景となっていた低い舞台がどこか気になりました。笹の葉と壁の板目がきれいでしたね。

観世能楽堂の虹梁には蟇股がふたつある、と(メモ) 青々と若い鏡松は枝ぶりが大きく二つに分かれており、「観・世の親子」をちょっと連想しました。

出演者は開いたくちが塞がらないほどの豪華メンバー。この十七日に収録だったと伺いましたが亀井先生がお元気で嬉しかったです。銀髪がまぶしい。すばらしい掛け声。これが聞きたかった。忠雄先生の掛け声は癖になると思ってます。鼓は作り物の陰からのせいか、曲なりにそういう音であるべきなのか、丸く籠もった音色がすてきでした。いや単にうちのテレビのせいかもしれません。源次郎先生もいい面構えになられましたね。

※ 歌舞伎役者は「仁左衛門」みたいに呼び捨てのほうが親愛の情が湧くのだけども能の先生には馴れ馴れしく先生とつけたくなる。

福王 茂十郎は初めて拝見できました。そもそも福王流を初めて拝見できました。生きててよかったです。NHKさんありがとう。福王の謡、いいですね。今更というべきか、かえって失礼なのか、体格もお顔もお声も素敵。自分が逝ったらあんなお僧に弔ってほしいです。化けて出ようかな。若草摘みの話に合わせたのか、緑色の水衣が鮮やかでした。

やわらかな笛が導くまだ雪の残る肌寒い早春の空気が心地良い。

シテツレのお二人が同じ(少なくともよく似た)朱色と白の段になった縫箔を着てるのが可愛くてたまらんでした。ふたご萌え♪ 歌舞伎の女形は足元をスッと見せますが、能の女性は水衣を着て丸っこいシルエットとなり、短足なのが可愛いです。中身はおっさん(失礼)と分かっていながら彼女たちが可愛く見えてきたらあなたも通(かもしれない)

お僧に「ここがどこだか分かってんなら訊くことないでしょ」というように突っ込む二人のハイトーンな謡が楽しかったです。“若い女性が坊さんをいじる”というのが前場にはよくありますが、当時の観客にとっていくらかエロティックな笑いを誘う部分だったのではないか、と思っています。滑稽劇だった頃の名残りなのかもしれません。

シテの気魄は最初からものすごく、全身がブルブル震えておりました。いい面だなと思っていたら(番組終了後の解説によると)ご流儀でもっとも大切な面だそうです。なにかと「失礼しました」と頭をさげたくなります。

カメラの撮る位置もよかったのでしょうが、お僧に向けてチラリと流し目したあたり、ぞくぞくしました。

うないちゃんは「少女」と書いて乙女ですが、元は万葉集にもある伝説だそうで、その頃の結婚適齢期というと十三歳から十六歳くらいでしょう。求婚者は「男」といわれると立派なますらおを想像しますが、彼らも未婚だっただろうことを考えると、十八歳くらいの血気盛んな頃、突っ走りやすいお年頃だったのでしょう。

ロミオとジュリエットの日本版のようなところもあるのかもしれません。そう考えると彼我の違いというか、仏教を取り入れたゆえの凄惨さ、女性としては「そこまで女の罪にしなくてもーー」となじりたくもなりますが(・∀・) それと早春の清冽な空気を対比させた劇作家の手腕の冴えを見よってところでしょう。

前場の詞章の優雅さは、なるほど世阿弥流で、それに比べりゃ確かに後場は書いた人が違うと思われるほど男前でした。うないちゃんに二人の男の霊が乗り移っちゃって男の声で謡ってる(には違いないんだけど)かと思いました。父ちゃん骨太。

“美少女の案内で地獄めぐり”という趣向はなんか外国にもあった気がする……などとも思われ、彼なりのエロスが籠められているにも違いないし、観客にとっては怖いもの見たさな部分もあったはずで、全体を悲哀感でまとめたのは世阿弥の手腕と趣味でしょうが、根っこには見る人を楽しませようというエンタメ魂、観客をわしづかみにしようという役者・脚本家の図太く熱い野心のようなものも感じます。

何を申し上げても僭越なんじゃないかと思われるのがこの世界ですが、ご宗家は芝居っけのある人で、能らしい暗さと重い緊張感、息づまる悲哀感の中にも、稲妻のように輝くハッキリと見分けやすい演技がさわやかでした。

前場のシテの語りは「乙女のありしに」と他人ごとのように始まったのに、途中でふいに「わらは」と主語を使ってしまう。静謐ながら、そこへ向けて盛り上がっていく。引き込まれました。

地謡も終始しずかに柔らかく物悲しく、「さし違へて」の部分だけがふと湧き上がった、地頭の力量なのだろうなと思いました。……地頭、いい男だったな……(脇正面からオペラグラスを使いたい人)

「よく知らないんですけど」と言ってからが長いアイ語り。東次郎の唇の色が美しかったです。谷崎潤一郎が書いたとおりです。長袴の裾も美しかった。さまざまに角度を変えて狙ったカメラ万歳。

カメラといえば、後場の冒頭、囃子方をアップで捉えたのにはドキッとしました。笛方をじっと動かずに映したのはブラボーでした。しっとりと胸をしめつける笛でしたね……

初めて拝見したので「太鼓つきかーー。途中ではっちゃけるのかな」ぐらいに思ってましたが、なんと贅沢な太鼓の使いっぷりでしょう( ゚д゚) 

ほんのわずかな舞の型が目にも心にも残りました。今更ですがご宗家の型は美しいです。鬘扇の骨の「黒」が効いてる、と初めて思いました。メタリックブルーに輝く求塚扇と渋い紫の色大口の対比が効果的でした。他の曲のときも思ったけどご宗家は色のセンスがいい。何を申し(ry

一貫して伏し目になってる霊女がまばたきしたり涙をたたえたり、わずかに生気をにじませて僧を見たりするようであるのも不思議なものです。声がお若く霊女にしては張りがあるので枯れてくるとまたいいかななどとまた僭越な。それまで自分が元気で生きてないと。生きがいをくれる能。

そして地謡は一度も(松風のようには)盛り上がることなく、解放感を表す明るい舞が舞われることもなく、そのまま帰っちゃうのかい!? と思ったら本当に帰っちゃいました。しかも彼女、暗闇のなかで塚を探して歩くんだから、あれを自分の「すみか」だと思ってるわけです。

男たちも自分の罪を悟ってさし違えたはずなのに、あの世でまだ彼女を争っているのだから、本来の自分の心を忘れて彼女を責めるための鬼になりさがってるわけです。

でも彼女は其処へ戻る。いつすすがれるか分からない前世の罪を背負って。よろよろと、しかし一心に。悲しい……。というか何しに出てきたんだ、お僧……

これは確かにシテにとっても地謡にとっても難しい曲で、しかも登場人物が多い、異様な豪華さを備えた地味な曲という。たぶん滅多に出る曲ではないでしょう。ご宗家の意気込み。

番組終了後の解説コーナーでは、ご宗家がはっちゃけてましたね。面白すぎます。能楽堂の敷居をけずるカンナを一気に五往復くらいさせた気がします。

僭越ながら彼が「我々の世界にはエンタメが足りない」って言ったのは納得で、面白くしたい! というアイディアとやる気が充満しているとお見受けいたします。今日の舞台にも俗っぽくする・リアリティ重視で分かりやすくするというのとはまた違った意味で「面白くやる」という気持ちが溢れていたように思います。たぶん、世阿弥の精神の正当な継承者なのでしょう。

それにしてもまさかご宗家に「チケットどこで売ってますか」って訊く人いるの。ぴあで売ってます。観世能楽堂は渋谷の奥にあります。場所的にアクセスしやすいのは水道橋の宝生能楽堂(JR駅至近)で、どちらもふつうに洋服着ていって大丈夫です。ご宗家の意気込みに応えて、Let's お能。


追記:後見の祥六先生が立ち上がるたびに心中で「がんばれーー」と応援。グランシップで拝見した『砧』のお仕舞、すばらしかったです。


2013/04/12

1979年『さらば青春の光』

邦題をなんとかしたほうがいいと思う。なぜ素直に『四重人格』にしなかったのかが悔やまれる。音楽がカッコいいので救われているが、音楽がカッコいいのは当たり前といえば当たり前……

そしてファーストシーンに戻る」という構成になっているので、2回見るといいです。

プログレ・バンド(でいいよね)ザ・フーのコンセプト・アルバムの映像化なので、特に終盤で歌詞と映像がぴったりシンクロしており、“地謡”みたいで面白かったです。これがロックオペラってやつかーー。白い岸壁がまぶしい!

個人的には「ロッカーズの次はモッズ」というわけで『乱暴者』とペアで借りました。青春暴走ムービーですが『時計じかけのオレンジ』ほど残酷・犯罪的ではなく、たんに若い子が自滅的にさわいでるだけで、そうかといって映画の出来としては『トレインスポッティング』ほどとんがってはいない。ふつうに面白く見られる作品だと思います。でもくれぐれも真似はしないでね(・∀・) あの飲んでも飲んでもオーバードゥーズしない青いカプセルはなんなんだ。

別にしたくもないというか、今となってはモッズのイタさが微笑ましいですが、バックミラーが左右対称にあしらわれたランブレッタやヴェスパは、さすがというか洒落てます。仲間の愛車が故障しても素通りしていってしまうモッズども、友達がいのない奴らですw

1979年はもはやモッズの全盛期ではないので、少し前を思い出して再現したわけで、音楽そのものとともに「懐かしネタ」に分類されるかと思います。身に覚えのある人が苦笑しながら見たのかもしれません。風俗はよく再現されていると思います。

“事件”の勃発からはじまるハリウッド式と違い、イギリス映画にはよくありますが、出だしから1時間くらいはストーリーがたいして動かず、ひたすら風俗描写が続くので、しばらく辛抱が必要かもしれません。いいことなのか悪いことなのか、道徳的評価を加えずにドライに映すのがあちら流。

主人公役の若手俳優が有名人ではなく、日本のお笑いのアンガールズの田中くんに似ています。ふつう(以下)っぽさが非常にいい味です。惜しむらくは、その主人公が四重人格らしく映しだされていないことかもしれません。たんに自信のない若者がむだに荒れてるだけです。よくある話になっちゃってます。

それだけに大ヒットするという映画にはなってない……ですが、どう見ても街の住人である素人さんをそのまま撮ってる街頭ロケ、欧州映画らしいぶっつけ本番ぶり、とくにモッズとロックと騎馬警官隊みつどもえの乱闘シーンのちからのはいり具合などからいって、もっと評価されるべき作品かと思います。あと、ヒロイン可愛いです。身勝手でムカつく女かもしれませんが可愛いから許す(・∀・)

『乱暴者』の作り物っぽさは、逆に壮大なセットを使いこなすアメリカらしくて興味深いのですが、現代人なら……こっちのリアルタッチのほうが好まれるかな。リアルすぎて引くかなーー……^^;

非常にカッコいい役でスティングが出てます。映画デビューだそうです。「このいいオトコは誰だっけかなーー」としばらく考えたのは私です。革もロングコートにしたてればモッズ御用達だったようです(ほんとか)

この当時は男の子と女の子が組になって踊ってましたね。女の子をつかまえられるかどうかが若者の運命の分かれ道でした。

世の中いつの間に“横一列に並んで前を向いてダンスする”ようになってしまったのでしょう。余談でした。




※ 久しぶりに映画の話題にもどったのを機会に、ここんとこ続いていた映画以外の話題によるエントリを下げます。お騒がせしました。


2013/04/03

1953年『乱暴者』(あばれもの)

大物すぎて敬遠していたマーロン・ブラント、やっと辿り着きました。

先にプレスリーやディーンを知っておいて、かえって良かったと思ってます。先にブラントを知っていたら彼らを見て「なんだ、二番煎じか」と鼻で笑っておしまいにした可能性なきにしもあらず。後から事情を知って「彼らもブラントに憧れたんだ、鏡の前でポーズを真似してみたりしたのかな」と想像を逞しゅうするほうが微笑ましいってもんです。

それにしてもカッコつけ過ぎで可愛かったですマーロン。革ジャン、ジーパン、トライアンフ。あえて「ジーパン」と言ってみる。キャスケットを斜にかぶるのも、サングラスも革手袋も……流行ったんでしょうねぇ(*´∀`)

うぶっぽくて根は素直そうで、急に強がってみせる。子供みたいな唇。旭も裕次郎もみんなこの人の流れを汲んでいるのでしょう、ええそうでしょう。

当時の暴走族(いわゆる「ロッカーズ」)がどれほど社会問題になっていたのか……リアルな気分はもちろん体験した人にしか分かりませんが、冒頭に“悲劇である”と銘打って、若者をいたずらな興奮に導かないように、また大人の観客が「なんだ不良の話か」と頭ごなしに拒否反応を起こさないように、配慮されていると思います。

主人公の声で「女を覚えている」と言わせるのもテクニック。

序盤からまるでボンドガールのように可愛い女性がチラホラと散見され、「この子かな?」と観客の注意を惹きつけます。ついに真打ちがカフェのカウンターの奥にひっそりと佇んでいるのを見つけたときには観客の脳内で花火が上がる感じ。キャスティングというのはある意味残酷なもので、「今まで見た中で一番きれいなこの子がヒロイン!」と一目見て分かるようになってるんですな……

いや本当に可愛い、ヒロイン。雛には稀な、とはこのことです。んでまたこのお嬢さんが肝心な場面でハッキリしなくてさ! 中途半端に押したり引いたりして男心を困らせるのさ!

夜の公園における若い男女の会話はまるで方向が食い違っており、女性のあつかいにくさを描き出す脚本は「筆がさばけている」というべきで、またブラントの「女って分かんねーー……」と不気味なものを見る目つきが実にいいです。ってことは、彼は脚本の内容をしっかり理解してるんですな。

演劇ではなく映画である、役者の表情の細かい変化も、下を向いてしゃべるセリフも、カメラとマイクで拾うことができる。今までと同じである必要はない。十分に状況を理解したうえで独自路線を突っ走った彼の頭の良さ、センスの良さ。反抗心旺盛で面白い男が面白い映画をつくる……ってのは他にも例のあることですが、彼をカメラの前で自由にやらせた監督たちの大人っぷりも素敵。可愛かったんでしょうね。

可愛いといえば、「あばれ者」とはいえ、描写は抑えめで可愛いもんです。『時計じかけのオレンジ』みたいな凶行には及びません。ほぼ無改造のモーターサイクルに乗って、ろくに荷物も持たずにどこへ行くやら街から街へ。冒頭シーンはアメリカらしいまっすぐな道ですが、撮影はほとんどスタジオ内、原作は写真からイメージをふくらませただけだったそうで、確かにバイカー描写はややファンタジックです。(あの街が丸ごとセットか!と驚かされますが……モノクロ撮影で正解)

意味不明な集団は、立ち寄ったところで大人をからかうだけ、本人たち同士でケンカするだけ。アクシデントは起きるけど、あんなふうに街のメインストリートに荒くれ者が乗り付けて、バーを占拠して騒ぐというのは西部劇にもありそうで、アメリカ人にはお馴染みの光景なのかもしれません。

本当に怖いのは中途半端な正義感にかられた一般市民、街を守るというアメリカ男性最高の誇りが裏目に出る……というのは……これはどうかな、いま見るとよくあるパターンのようですが、逆にこれがお初なのかも。流行の“イメージ”を取り入れた不良描写と、典型的・伝統的な心理劇を組み合わせた……と分析できてしまえば収まりがよいのですが。

個人的には「これが『イージー・ライダー』につながっていくのねぇ」と思いました。また、ちょっと阪妻の時代劇や大岡裁きなども思い出しました。

途中から照明や背景がまるっきり舞台劇のようになってしまい、でもかえってその作り物らしさがよかったです。どこ行ってたんだよ暗黒団、とか街じゅうにイカレタ若造があふれてるのに夜の散歩してるじいさん変だろ、とかツッコミたくなる御都合主義もありますが、それが舞台劇っぽさで緩和されていたように思います。

他のエントリで書いた吹奏楽の件との絡みでは、この映画におけるBGMがブラスバンドだったのが印象的でした。ロッカーズ(の源流)だけど、まだロックじゃないのねーー。1953年。終戦から8年。終戦前には(『シンドラーのリスト』にあったみたいに)タンゴがいちばん流行っていたように認識しています。アメリカではスウィング・ジャズだったのかな。プレスリーが登場する直前。なんにしてもこの時代にこれなんだから“外人のかっこよさは異常”ってなもんです。真似したくもなるさ。日本の学校教育における吹奏楽偏重も、あるいはこの時代へのノスタルジーが底流にあるのかもしれません。余談。

チノ役のリー・マーヴィンも素敵ですね。「ジェームズ・コバーンだ♪」と思ったのは内緒……にしなくてもいいでしょう。こちらもアメリカ的いい男のひとつの典型なのでしょうね。黒革でスタイリッシュにそろえた主人公チームと、チノのほうの(どうもフランス戦線帰り崩れっぽい)衣装の違いも魅力的でした。

……ところで男が男に「I love you」っていうときは、ケンカ売る時なんですな……

ヒロインの(直訳すると)「私は彼から逃げたんじゃないわ、私が逃げようとしていたのよ」(=駆け落ちしようとしていた)っていう対句になったセリフも英語っぽくて印象的でした。

早合点でお嬢さんの名誉をも危うくした、おためごかしなおじちゃん達の憎みきれない小市民ぶり、その中にも良心派もいること、ギリギリのところで突っ張る保安官、最後を締めてくれた警察官。また序盤に登場したレースの係員など、中には年齢的に「弾の下くぐってきた」と言える人もいるはずで、若者を描く作品なはずがじつは大人たちの凄み、個性を描いてるとこが素敵。

逆に若者たちは一人ひとりにあまり個性がありませんが、彼らの騒ぎ方の描写は、多分ひとつの典型になったのでしょう……。これ以前に似たような作品がないかどうか、これ以前を見てみると、比較上勉強になることが多いような気がするので、さかのぼってみます。

それにしても時々いい(?)仕事をするタイヤ・アイアン(´・ω・`)