2013/08/31

プロと同人の二人三脚。

1980年代アニパロやおいブーム。よく聞く言い回しなような気がするけど、1981年放映開始『六神合体ゴッドマーズ』パロディの時点で既に、内容的にも「印刷所にオフセット印刷・製本を頼む」という点でも手法は確立していたから、80年代から説き起こすんじゃ遅い。

青池保子『イブの息子たち』は月刊プリンセス1976年1月号から連載開始。ということは実際の雑誌を読者が手にしたのは1975年12月初旬と思われる。

映画『ロッキー・ホラー・ショー』の日本公開に先駆けてるとこがすごい。冒頭ですでに「アンニュイな芸術家」と「金髪美少年」がステレオタイプ化されている。

これにカワサキ兄貴まで含めて「ヴァン・ローゼ族」という設定と奇抜な展開が読者に白眼視されて連載中止に追い込まれた……わけでは全然ない。

ゲイコメディという設定にPTAから苦情がくる可能性も二丁目からクレームがつく可能性もゼロではない。基本的には「清く正しく美しく」あるべき少女誌が裁判沙汰などに巻き込まれるのは致命傷のはず。

ということは、当時はその心配がなく、編集部としても「今なら受け入れられる」という読みがあったから企画会議を通したはず。

同人誌が商業誌の青田なのはトキワ荘の頃からで、編集者と作家はすでに素人の世界に充満していた雰囲気を感じ取っていただろう。

1975年秋には『宇宙戦艦ヤマト』の再放送によるリバイバルブームが起きたらしい。同年に始まったコミケでは少女漫画が主流だったというが、これによってアニメファンの参加が増えたという。

……『ポーの一族』も『イブの息子たち』も『風と木の詩』も少女漫画である。おそらく「コミケの初期を占めた少女漫画」の内容を誰も確認していない。

べつに今から掘り返さなくてもいいけれども、時代背景を確認することはできる。

1968年、レッド・ツェッペリンがデビュー。
1969年、映画『薔薇の葬列』公開。
1971年、映画『ヴェニスに死す』公開。
1972年、『科学忍者隊ガッチャマン』放映開始。『ベルサイユのばら』連載開始。『ポーの一族』掲載開始。
1973年、デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』発表。
1974年、クイーンがデビュー。映画『エマニエル夫人』公開。『宇宙戦艦ヤマト』初回放映。
1975年、映画『ロッキー・ホラー・ショー』イギリス公開。

『ヴェニス』の芸術家はゲイだったのか? エマニエルはレズビアンだったのか?

本来ノンケである人が、ひと夏だけのアバンチュールとして同性への恋を経験するという話が美化して語られた。

こういう話はべつに同性愛者をからかうことを意図しているわけではなく、戦争中にはできない話なので、自由恋愛を語ることは「反戦」という意識が底にある。70年代に欧州でこういう動きがあった裏では、アメリカがベトナムに介入していた。(上記の女性的な衣装を身につけた歌手は全員イギリス人だ)

なお、なぜ戦争中にはできないかというと、総力戦を戦う間は次々に新しい兵隊が補充される必要があるので、男女の結婚優先・出産奨励だからだ。

やおいを語る時は常に「少女」という単語が使われるが、コミケを立ち上げたほどの人々が「おこづかいは月に300円」「門限は17時」という小学生であったわけはない。ある程度のお金と行動の自由を持っていた高校生・大学生以上だったろう。その中に洋画ファンがいても、そんなに不思議はない。

飛行機も新幹線の路線も今ほど普及していなかった当時、コミケに集まることのできた人は、もともと都市部に住む人たちでもあっただろう。

「オスカル・フランソワをビョルン・アンドレセンで映画化しちゃどうか」という声が『ベルばら』ファンから挙がったらしい。ファンのごく一部だと思うけど、その人は美少年趣味だったわけだ。ヴィスコンティ監督に実現してもらうのは難しいが自分で漫画や小説に書いてみることなら出来る。ミックスついでに……

「ビョルンみたいな金髪のうら若き近衛兵が、『ポー』のアランみたいに母親がいない寂しさから空威張りしている貴族の少年と仲良くなって、『エマニエル』みたいに密林で秘密の一夜を過ごし、やがてオスカルとアンドレみたいに大人の愛をはぐくむ」

……というプロットを思いつくことは、そんなに難しくない。二人の成長後の外見がロバート・プラントとデヴィッド・ボウイみたいであっても一向に差し支えない。フレディ・マーキュリーみたいでもいいです。

MTVもネット動画も無かった当時、イギリスの音楽バンドの情報を(とくに視覚的に)入手することが困難だったのがネックだけど、まぁ『ベルばら』と『ポー』をミックスしただけでも似たようなストーリーは浮かんでくる。

そしてなぜ思いついてしまうのかといえば「最初から抵抗がなかったから」としか言いようがない。

この話題は、動機をいろいろに説明されてきたが、たとえば他人から「女性キャラが気に入らないから」などと説明されて、試しに自分も男同士で描いてみたが、何が面白いのかサッパリ分からなかった、というのでは意味がない。

「美少年同士のお付き合いって素敵。私も描いてみたい」「エマニエルを男同士でやってみたらどうかしら」と思いついた時点で決まっている。

1976年の『風と木の詩』は、むしろそのような流れの真打ちとして登場した、と思いたい。

あえて言えば『風と木』がなくても同人誌の世界では「SFアニメのロマンス化」という手法が受け継がれた可能性はある。

ネット通販のなかった時代、24年組作品を読んだはずもないアメリカの女性達からも「スラッシュ」というものが始まっているからだ。

文字の読み書きができ、ロマンスを好む下地があり、にもかかわらず「女性向け」と銘打たれた作品ばかり選り好みせず、自由にテレビを視聴し、自分でタイプライターなりワープロなりを叩く技術と時間を有している女性がいれば、いつでもどこからでも発生し得る。(大学ノートに手書きでもいい)

商業発表しにくいと思われたからこその同人誌であり、後に「山なし落ちなし」を名乗って初めて開き直ったかのように思われているが、もともと商業発表の見込みがないままに内向きに結束する姿勢を持っていたのだろう。

「少女の内面」と評された『風と木』は、実際には26歳の女性漫画家の「男なんてえええええ」という魂の叫びであり、わたなべまさこではなく石ノ森章太郎に憧れて少年漫画を描くために漫画家になったのに少女漫画家としてやっていく他ない女性のストレスの表現であり、「私にはここまで出来るんだ」というプロとしての技術と社会性の傾注であったから、純文学的な、えぐるような性質を持った。

……んだけれども、それはプロの仕事として当たり前のレベルでもあって、同人界の底流には、もっと肩の力が抜けた、そのぶん生々しい表現が、それ以前からあり続けたのだと信じる。

さもないと、80年代キャプ翼やおいが、絵は確かにものすごく下手だったけど、キャラクターを扱う手法はすでに確立しており、やってる本人たちにも「お姉さんの真似」という意識があったことの説明がつかないからだ。

24年組の活躍によって80年代やおいが生まれたという進化論的説明は首肯しやすいようだけれども、実際には1970年代初期から様々な要因によって発生し、「プロと同人の二人三脚」によって発展してきた、という読み。