2014/10/31

【ゲイは結婚したくない女性の仲間ではありません。】

彼らは何十年も前から結婚したがっています。遺産分与に預かりたがっています。

愛する人と一緒に何十年も住んだ家屋から、彼の親族によって追い出されることを望んでいません。

子育てに参加したいと申し出る人も増えました。

若者の都会流出・非婚傾向が止まらない現在、「長男の連れ合いとして、親の介護・先祖の墓の世話をする男性」という存在も、可能性が出てきます。

戦後生まれは戦前生まれほど根が丈夫でなく、五十代・六十代で卒する人も多いように思われます。

当てにしていた実家の親なきあと、「女性が働きに出るに当たって、その子供の世話を、兄の連れ合いである男性がみる」という可能性も出てきます。

電通総研調べによれば、日本の総人口の5.2パーセントがLGBTです。

その中で、人生の伴侶を見つけた人、その生家に関する責任まで共有すると申し出る人は、ひじょうに少ないかもしれません。でも、可能性を全否定するのは良くないです。

そのような親戚づきあい・育児などの責任を逃れたい女性が、新宿二丁目へ出かけ、「ゲイはどうせ結婚できないんだから気楽でいいわね(女のほうが大変なんだから、私の話を聞いてよ)」と言ってしまうことは、もはや許されないだろうと思われます。

もし、協力して主張できることがあるとすれば「LGBTに結婚の自由を。ストレート女性に非婚の自由を」でしょう。


2014/10/30

なぜ非婚者が「ノンセクシュアル」を自称すると、ゲイバー遊びを正当化できるのか?

なぜ非婚者が「ノンセクシュアル」を自称するとゲイバー遊びを正当化できるのかというと、自分の口から「弱者の連帯しましょう」と言えば、ゲイ側が喜んで迎えてくれると思うから。

じつは、本人の思い込みにすぎません。ゲイ側が喜んでくれる保障はありません。

じつはLGBTの中でも、G(ゲイ)は人権運動の歴史が長く、規模も大きいので、他から依存されることが多いのです。けれども勘違いしている連帯希望者も多いものですから、ゲイのほうでは警戒しています。ありていにいって、迷惑がっていると思えばいいです。

その程度のことも知らずに、自分本来の仲間に呼びかけて「ノンセクシュアルの人権を守る会」を組織する努力もせずに、いきなりゲイバーに乗り込んじゃう。そういうストレート女性は「チーム・プレジデント」の派生形で、逆ナンパする相手を間違えて、同性愛の男性に甘えたいタイプです。

「ゲイなら女心を分かってくれる」とか「ゲイなら男尊女卑の気持ちを持っていないから安心」とか「連帯と言えば分かってくれる」とか、なんか先入観を持ってしまっているのです。彼らの実態については何も知らない。それまでの人生で、知ろうともして来なかったのです。

なお、ゲイバー自体はご商売ですから「行ってはいけない」ということはありません。「女性もどうぞ」と言ってくださるお店もあります。

だから、もし、ストレート女性がゲイバーへ行ってみたければ、べつに何も言い訳せずに「女性もどうぞ」と言ってくださるお店へ入って、おとなの女性として静かにカクテルを頂けばいいだけのことなのです。

が、わざわざ言い訳するタイプというのは、より特別待遇されたがり、常連ぶった顔をしたがるのが特徴です。さっそく隠語を使ったり、ほかのストレート女性を連れ込んだりします。もちろん同性愛当事者の皆さんのご迷惑です。ゲイバーはゲイのための店であり、ホストクラブの代用品ではありません。女性の客引きは、必要ないのです。

けれども「自分のほうが詳しい」という顔をしたいもんですから、その優越感に酔ってしまっている。ようするに性根が「マジョリティの横暴」のままですから、同性愛者を自分に都合よく利用するという発想から抜け出すことができないのです。

だから、好みの若者につきまとったり、自分の愚痴を聞かせたがったり、相談に乗ってあげると称してプライベートな質問したがったりするのです。

まことに残念ながら、何十年も前から、こういう被害の報告が、ゲイ側から挙げられているのです。マスメディアが取り上げないので一般に認知されていないにすぎません。「お水」の仁義として、ゲイバーの経営者団体が客の悪口を言うということはないので、直接の被害に遭った素人客が散発的に苦情を発してきたにすぎなかったからです。

というか、素人客に被害を与える女性がいるのです。まことに残念です。本人が人権運動家を自称しようとも、指示するには今なお「オコゲ」がベター。「ゲイチェイサー」または「トランスチェイサー」がモアベターです。

なお、この意味で「やおい・腐女子」という言葉を使うと、ゲイ側の「言動を自粛しろ」という要望が「創作物を規制する運動だ」と勘違いされやすく、半期に一度60万人ほどが集まるベイエリア方面から盛大な逆クレームが来るので、GLBT諸兄諸姉はお気をつけください。

2014/10/29

【男児に女児用スクール水着を着せる必要はありません。】

日焼け防止用ラッシュガード型水着というものが、きちんと学生協を通じて売り出されています。

「男児の胸が見られることを望まない」という保護者が危惧するのは、少年趣味の教員が存在する可能性であったり、女子が男子をからかう可能性であったりです。

本人がトランスである可能性も、考慮する必要があります。

性に関わる話題は、本人および保護者にとって、非常にデリケートで、心を傷つけやすい話題です。

ウェブ記者が面白半分に揶揄的な記事を書くことは許されないと思います。

表現の自由とは、保護をもとめる弱者を傷つける権利ではありません。


2014/10/28

【本物のアニメ同人の育て方。】

宮崎駿の原動力は、手塚治虫への対抗意識だったろうと思います。

そのような反骨精神は教えることができない……ことはありません。

「本当にこれでいいのか?」「みんなは勘違いしてるんじゃないか?」と疑いを持つことは、科学の基本です。

「対立概念を提出する」というのは、哲学の基本だろうと思います。哲学とは、神秘的なものをイメージすることではなく、論理です。

山本二三は建築を勉強したので、あれほどの背景画を構築することができました。建築の基礎にあるのは、数学です。

したがいまして……

政府が(まだ)優秀なアニメ作家を育てたいのであれば、子供たちへ、ごく普通に国語と数学の勉強をさせるのが宜しいです。

世界に通用する弁論術と、懐疑と反骨の精神から、まだ誰も見たことのない、しかも世界に通用する作品が生まれます。

もちろん、口先が達者なだけでは映画にはなりませんから、技術を確実に身につけさせることも必要です。

一般教養と、実技教科。

要するに、今やっている義務教育を徹底するのです。

しかも、絵のうまい子供を見つけたら「すごい! 宮崎駿みたいなアニメ監督になれるよ!」と誉めるのです。

少子化だから、40人学級の枠をフルに使って、1クラスに39人を詰め込み、教員1名を当てがうのではなく……

20人ずつの2クラスを設けて、教員を2名ずつ配置し、英才教育するのが良いでしょう。

若い教員の就職口も増えます。

アニメ奨学金の設立も有効でしょう。

美術大学に投資し、学生の自主制作用機材を増やしてやったり、上映館を建てて学生作品を地域住民にお見せするのも良いでしょう。

一般のお客様というのが、いちばん厳しい目を持っているものです。

その金がないなら、国会議員の人数を減らしても良いです。

次世代を育てずに、なんの国家百年の計でしょうか。



2014/10/27

【アニメ同人と二次創作同人を混同しないといいです。】

俳句同人といえば俳句を書きつける人々です。映画同人とは映画を自主制作する人々のことだと思われます。

言葉の本来の意味におけるアニメ同人も、セル画を自分で描き、専用の機材を入手して撮影し、編集し、上映会を開く人々のことだと思われます。

いわゆるコミケに集まって、いわゆる薄い本を取引する人々は、「アニメを主題とした漫画またはライトノベル」を発表する人々であって、それぞれ正体は「漫画同人・小説同人」です。

漫画を発表することを目的として集合する漫画同人に向かって……

「ジブリみたいなアニメ映画を作ればいいじゃないですか」

と言えば、「は?」という返答になるに決まっています。

パロディ同人は、要するに「特殊な漫画にたずさわる人々」であって、ほっといてやれば特殊な漫画を描き続けるだけです。

権利関係についても、雑誌編集部との馴れ合いを自慢してしまう態度はいただけませんが、本来は原作者個人と二次創作者個人が直接話をつけることなので、ほっといてやればいいです。

ジブリみたいなアニメ映画を政府(PTA)主導で作らせたいなら、「政府が出資してジブリみたいな映画会社をもうひとつ建てるので、我と思わん原画描き・背景描きは結集すべし」という広告を打てば良いのです。

「ただし、二次創作漫画同人はご遠慮ください」と条件を書くことを忘れずに。

2014/10/26

【1970年代SFアニメはテレビオリジナル。】

いわゆる同人は、少女漫画家になりたかったので、少女漫画家の権利だけは尊重したという声があります。

では、少女漫画家になりたい人は、少年漫画家の権利なら踏みにじっても良い、となってしまいます。

そうじゃないです。

コミケと呼ばれるイベントの初開催と近い時期に放映されていた男性向けテレビアニメに関するパロディ作品の出展が、事実上公認されたようだったので、「次はどの男性向けアニメにする?」という話が繰り返されているだけです。

当時さかんだったSFアニメというものは、テレビオリジナルでした。有名な『宇宙戦艦ヤマト』も、誤解されがちですが、「松本零士の原作漫画がヒットしたので、数年後にアニメ化されたもの」ではありません。

一般に、テレビ番組というのは、視聴者の意識の上では共有財産です。「カラスの勝手でしょ」と歌っても、誰も「それは志村の著作権」などとは申しません。

登場人物の似顔絵を描いたり、風呂敷マントで仮装することも、とくに若い視聴者にとっては自然なことです。

大勢のスタッフが関わるテレビオリジナルアニメの権利者が誰なのかも明確でなく、裁判が起きたことさえあります。

このへんで鍵を握っている人がいるとしたら、テレビ局、またはアニメ制作会社、さらにはスポンサー企業です。

ビデオデッキが普及していなかった時代には、「似顔絵を上手に描くために放映時間にチャンネルを合わせる」人は、有難い“数字”の一部だったでしょう。

同人誌即売会という密室の中でのみ取引される似顔絵や、戦闘終了後の登場人物たちを描いた番外編が、テレビによるファンサービスの一種として認められた。

最初はそれだけのことだったはずです。

男児が感情移入しやすい日本人の主人公に対して、女性ファン心理をつかみやすい金髪の王子様(という身分を持った敵役)も、1970年代後半から登場しています。

アニメ、その関連活動といえば、1980年代以来が話題(槍玉)に挙がりやすいですが、実際にはもっと早い時期から、いわゆる同人を抱きこんだ形で発展してきたと思えば良いでしょう。






2014/10/25

【アニメを卒業する必要はありません。】

若い人が楽しんでいる作品を、やたらと罵倒しなければ良いだけです。

また、アニメそのものが卒業すべきものなら、宮崎駿や、その盟友である山本二三への高評価はなんなんだ、となってしまいます。

確かに1980年代以来、いわゆる同人調の絵柄が流行っており、かなり稚拙なものもありますが……記憶は美化されているものです。

1970年代の絵柄も、いまの眼で見ると、「あーー……」ってなるようなものでしかなかったりします。

ストーリーが粗製濫造ぎみ・マンネリ気味なのも、1970年代から変わっていません。

1960年代の手塚テレビアニメが、現代人の鑑賞に堪えるとも限りません。

ちばてつやアニメ、永井豪アニメがもう一度見たいのであれば、出資して働いてもらうしかないでしょう。

でなきゃ優秀な若手を発掘して、やっぱりパトロネージュする他ありません。ルネサンスも狩野派も、そのようにして発展してきました。

能楽や歌舞伎の役者は、音感のありそうな児童をスカウトして養子にし、英才教育したものです。

本来、「同人」とは、俳句なら俳句を書く人、映画なら映画を撮る人であって、アニメ同人も自主制作アニメ映画を描いて、撮影し、編集するのが本当です。

本物の「アニメ同人」を育てれば良いのです。

オペラもバレエもクラシックも能楽も崖っぷちですが、好きな人が金と努力を傾注することで生き永らえております。

ゲーム画面で初めて宇宙戦艦ヤマトに接し、その絵柄を真似するようになったという若手が育ってくる可能性もあるので、丹念に探すと良いかもしれません。

2014/10/24

【ヤマトをリメイクしても巨人ほど響かない。】

宇宙戦艦ヤマトは、オイルショックの時代に放映されました。

「日本人の優秀な若者が、海外へ出かけ、最先端技術を学んで導入すれば、まだ何とかなる」

「世界のどこかには、日本に同情して協力してくれる美しい国もある」

という気持ちの表現でした。

実際に、その後、低燃費な日本車や、半導体の時代がきて、一時なんとかなりました。

が……

これをリメイクしても、じつはもう現代人の心に響かないと言えてしまいます。

『進撃の巨人』は、「もう逃げ場がない」という現代日本人の気持ちを表現しているでしょう。

物語序盤に登場した黒髪の一般巨人は「老人よりも中年の人数の多さが問題だ」という若者の気持ちを反映しているでしょう。

皮膚がなく、何人種かも分からない大型巨人は「世界」の象徴でしょう。

災害も、疫病も、包括貿易法案も、海を超え、言葉の壁を超えてきます。

壁の内側では、浅ましい計略や裏切りが繰り広げられるという描写は、たしかに不快ですが、その不快さは、現実の裏打ちがあるからこそ「面白がってばかりはいられない」という焦燥感を掻き立てられることによっています。

まァ確かに絵柄は稚拙で、大人の鑑賞に堪えるとは言いがたいのですが……

記憶は美化されているもので、1970年代のヤマトも、絵的には稚拙なものでした。

2014/10/23

【BLがロマンチック・ラブなのは。】

作者・読者であるところの女性による「美少年が好き」という気持ちが表現されているのだから、当たり前です。

男性向けアクション作品では「強い奴を叩きのめして名を挙げる」という男性の野心が表現されている。

BLに限らず、二次的作品では「このキャラクターが気に入った」という心が表現されている。

官能系の作品なら「愛の行為を無理強いしたいほど、好きになってしまった」という心の表現となります。

華族の令夫人という存在に関心がなければ、それを拉致・緊縛という物語も面白くない。むしろ不快に感じる。

すでに功成り名遂げた人物は、アクション作品を見ても「いつまで作り話に夢中になってるんだ。自分で会社を興してみろ」と思うでしょう。

「女性がゲイの現実を知らずに、受身のゲイに感情移入して、ロマンチックなゲイ・ラブという夢を見るのはおかしい」と指摘する人は……

その人自身のBL観がおかしいわけです。

日本女性が北欧の子役に一目惚れして追いかけて行っても、言葉も通じません。

26歳の漫画家が、音楽の道を進む金髪の子供を好きになっても、今更どうにもなりません。

テレビの登場人物を、そのポスターで部屋の壁を埋め尽くすほど好きになっても、手が届きません。

BLは、ゲイの現実をよく知った上で美化することから始まっていません。

すでに美化して伝えられた美童趣味の複製です。

男神と王家の少年、皇族出身の高僧と稚児、戦国武将と小姓、詩人とそのインスピレーション元となった若者、老いた音楽家と旅先で出会った美少年。

遠く思い起こせば、オイディプス一家の悲劇は、その父が若い頃に家庭教師先の男児に手を出して、抵抗されたので死なせてしまったことに端を発しています。

ここで少年が「先生、大好き」としがみついてくれていれば、悲劇は起きなかったわけです。

暗に表現されているものは何か。「少年への愛(なかんずく性欲)というものは、成就されにくいよね」という少年趣味者の寂しさです。

これに女性が共感を示すことが理解されにくいのであれば、その「分からん」と思う人自身の心の中に「女が男心を理解できるはずがない」という先入観があるからでしょう。

「女性は、成功した男性に愛されることを望むように生まれついているので、自分より年下で頼りない異性を好むということが、あろうはずがない」

こういう風に考えると、BLの構造が理解できないことになります。


なお、「好きなわけないじゃない。私は小遣い銭ほしさに他人の作品をパクッただけよ」という人は、自分が赤っ恥かくだけなので、黙ってるといいと思います。




2014/10/21

【セーラームーンは“やおい”でしたか?】

1992年に放映・連載が同時開始された武内直子原作の大ヒット作『美少女戦士セーラームーン』に接して「これ、やおいじゃん」と思うことの出来た人は、多かったでしょうか。

女言葉を使う男性キャラクターと、もう一人のいかにも少女漫画の登場人物らしい美男子との間に、どうやら恋愛情緒が結ばれている様子を見て、「最近こういうの多いよね」と思った人はいたかもしれません。「ジュネって言うんじゃない?」と指摘することのできた人もいたかもしれません。

が、当時も今も“やおい”という単語は、パロディ同人誌に詳しくない一般人が日常的に使う言葉ではなかったと思われます。(ジュネという雑誌は市販されておりました。)

ところで、当時は「わざわざ二丁目まで押しかけて、ゲイにつきまとう女性」を「おこげ」と称しました。

これは「おかま」を前提にしています。炊飯釜の底にへばりついているから「お焦げ」です。

そして「おかま」という単語は、男子同性愛者の性行為に関する先入見に基づいた蔑称です。

ゲイ当事者は、この単語を採用するなら「最近、俺たちオカマにくっついて歩く女は、おこげって言うんだぜ」と言わなければならない。これは彼らにとって業腹なはずです。

「じゃなくて、ああいう女は“やおい”って言うんだ」という誤用が、どこからか広まったものでしょう。

女性の中には、素敵な男性を見て「彼とおつきあいしたいわ」と思う人もいれば、創作物から連想を働かせて「彼にも同性愛行為の経験があるのかしら」と思う人もいる。じつは互いに他を排するとは限りません。

「同性愛行為の経験がある男性とおつきあいして、その時の話を聞いてみたいわ」という好奇心があり得るからです。「私とどっちが良い?」というナルシシズム満足法もあり得ます。

もともと自分自身がストレート男性に一目惚れしておいて、彼の身に覚えのない行為を連想しただけなのですから、経験談を聞かせてもらうも何もない。

これが「同性愛者に“なってしまった”男性とおつきあいして、その時の話を聞いてみたいわ」と本末転倒すると、焦げつく。

「男女関係で失敗した男性は、ホモセクシュアルになる」という誤解は、今でも完全に撤回されてはいません。

残念ながら、過去の二丁目においても「いつからホモになったんですか?」という質問は、数多く成されただろうと思われます。

二次創作者は、態度が悪いという理由で創作を禁止されることを最も恐れますから、「私達は二丁目には迷惑を掛けていないはずです」と主張します。

ここで行き違いが発生し、そもそも「訪ねて来るな・つきまとうな」という話だったのに、「やおいと呼ばれる二次的創作物を読んだか読まなかったか」という話にすり替わってしまい、議論紛糾となるのです。

議論の前に用語を統一するのは大前提のはずなんですが、この世界には田原総一郎さんのような人がいなかったので、今に至るまでややこしい話が(ときどき)繰り返されているように思います。



2014/10/19

【やおいとは、隠語を必要とした特殊な美童趣味的創作物。】

プロ作家が、お気に入りの映画俳優をイメージモデルに、19世紀の耽美主義詩人の若衆遊びを描けば、それも“やおい”か?

プロ作品は発表に当たって「山も落ちもありません」と言い訳する必要がなく、耽美ロマンと銘打たれて堂々と市販されたことを思えば、特に“やおい”を自称しなければならないのは、そのような創作物の中でも、隠語を必要とする部類となります。

すなわち、二次創作。

既成作品の登場人物名をそのまま利用してしまった作品。法律的には「それ自体に著作権がないことはないが、原作の権利には優先しない」とされています。

昔は「二次創作はまずい」という意識がもっと強く、「当サークルが販売するものは二次創作です」と言えないと思われたから、隠語が必要とされたのです。

現在では「親告罪である」ことの知識が行き渡り、かえって「親告されない以上、事実上の公認である」という理解が広まって、二次創作BLという公称が(つい最近)成立しました。

2014/10/17

【若衆遊びを美化したのは昔の男性。】

中世の若衆は、しばしば当時の男性随筆家によって、生身の女性よりも価値が高いとされました。

が、彼ら若衆の実態は、人身売買された奴隷でした。でなければ、武士社会における身分差・年齢差を利用したパワハラです。

少年たちの多くは、本来は幼馴染の少女に片恋していたような、異性志向だったでしょう。

彼ら犠牲者の証言がほとんど残されておらず、流布している話の多くは、年長者目線で美化されたものです。

「若衆から情けを頂いた、命を賭けても惜しくないと言われた」など。

これは、女郎が腕や脚の内側に「○さま命」と彫ったなどという話と似ています。

日頃、男性中心社会の自己満足っぷりに非難の声を挙げる女性が、この話題に関してのみ、論駁せずに取り入れてしまったところが、BL趣味のアキレス腱のようなところではあって……

断片的・一方的な情報に接し、面白いと感じた女性は「昔の話だから痛みを感じない」という位置に立脚していたのです。

ボーイズラブと呼ばれる創作物においては、そのような断片的で、すでに美化された知識が、彼女自身の「素敵」と感じたストレート男性に適用され、彼の経験談として表現される。

男性がそれを読めば、女性が女郎として売られた女性の話を(花魁の地位に登りつめ、周囲から尊敬されたなどと美化されてあっても)面白がってばかりはいられないように、居心地が悪いと感じるのも当然なのです。

2014/10/15

【ゲイを美化したものが“やおい”ではないのです。】

もし『なんとか用語の基礎知識』のような書籍・サイトで、“やおい”という項目があって「男子同性愛を美化したもの」と書いてあったら、眉に唾つけて下さい。

ゲイを美化したものが“やおい”なら、男性の肉体を最大限に美化して描いた田亀源五郎も「やおい漫画家」になってしまいます。

もともと化粧映えするゲイ男性である丸山(美輪)明宏も“やおい”の仲間になってしまいます。

他にも、センスの良さを活かして活躍したゲイ男性の存在が戦前から知られており、彼らは美少年を描き、花を愛し、瀟洒なクラブを経営し、美青年を起用して撮影しました。

それらは実在した同性愛男性の一部における美形嗜好の証言であって、べつに嘘をついたわけではありませんし、断じて“やおい”でもありません。

そのような成功者・美形スターの陰に、高畠華宵・内藤ルネが描いたような美少年に憧れつつ、百人並みの容姿の一般人が静かに暮らしていることは、ゲイの世界も、ストレートの世界も同じです。

女性が華宵の真似をして学帽姿の美少年を描いただけなら、単に女性による美少年趣味です。

女性が「美少年を愛好した男性詩人や画家」をセンスの良い人物として尊敬することは、彼女自身の美少年趣味をも「センスの良いこと」として自賛しているわけですから、ナルシシズムの一種です。

すでに存在するものへ、ファンとして追随することは、意味のないことではありません。


【美化から始まっていない】

日本のBL分野は、一般人としてのゲイのドキュメンタリーに食傷したので「もっと可愛く描いてあげましょう」というところから始まっていない。

ゲイが自分を日陰の存在と感じ、夜の公園を出会いの場としていた寂しい実態が頻繁に伝えられるようになったのは、1980年代。女性による創作物は、それより前から発生しています。

しかも、実態を元に「ホテルの豪華な化粧室でタキシード姿の紳士同士が」というふうに美化することは(少なくとも初期には)行われていません。

家族に受け入れられなかった同性カップルが、葛藤を経てハッピーエンドという海外映画のような美化も、当初は描かれませんでした。


【本末転倒】

かつて“やおい”と総称され、今ではボーイズラブと呼ばれることの多い創作分野は、「ゲイの中には例外的な美形もいる。ゲイの中には美少女と見紛う美少年を愛好する人もいる」という部分的証言から、非当事者の間に「美男→同性愛」という本末転倒した一般化が生じたことによっています。

「同性愛に関する非当事者」とは、すなわちストレート社会に属しておりますから、彼(女)らの周囲に存在し、彼(女)らが「おお、美しいな」と感じる人物も、ストレートです。

ここがポイント。

「非当事者自身の美意識に基づいて選択されたストレート男性をイメージモデルに」「一部の当事者による美形嗜好を参考に」という、二重のイメージ利用によって成立するのがBL趣味。

登場人物が「ストレート好み」なかんずく「女性好み」に偏っていることがポイント。

さらに、性的描写が詳細度を増したものは、ゲイ雑誌を参考にするとともに、ストレート男性によって高評価された(清純にして淫蕩というような)女性の姿が反映されている。

つごう四重のイメージ利用なわけで、かなり複雑です。そりゃ社会学者による分析も紛糾します。

このへんを踏まえずに、「ゲイを美化したものが“やおい”である」と話を短絡させてしまうと、「現実は美しくないと言われた」という被害者意識が発生したり、「もともと美形じゃないゲイが毎日こんなことしてるってわけだな」という、逆方向の短絡が発生してしまいます。


2014/10/13

【編集部と原作者はおびえている。】

インサイダー取引の話題以来、一部の人だけが便宜を計ってもらっているという話には、社会が敏感に反応するようになったと思います。

1970年代以来親しんできた即売会という密室を抜け出し、インターネットという公共の場に進出しながら、いわゆる同人の発言の脇が甘いのは、編集部が庇ってくれると信じているからですが、時代は変わってしまいました。

編集部が今ごろになって慌てて「著作権者は原作者です」と言わなければならないのは、おそらく「ちゃんと親告しろ」という電話やメールを受けているからです。

「当社には親告する権利がありません。クレームはご勘弁ください」

原作者が「うまくやってくれ」というのは「絶対に見つからないでくれ」という意味です。

たとえば時代劇で悪徳代官が禁制品を横流しして、悪徳商人に「うまくやれよ」と言えば、「絶対に見つかるな」「貴様が縄を打たれても俺の名前を出すな」という意味に決まっています。

即売会という密室に引き籠もっていれば、とくに目立たない。では「見つかるな」とは?

具体的には「ツイッターで宣伝するな」という意味です。

ただし……

二次創作というものも、誰にでも上手に描けるものでもありません。壁サークルなどと呼ばれる人々は、その世界なりの「名人」でしょう。

名人の傑作を入手するために、愛好家がある程度の対価を支払うこと自体は、当然であろうとは思われます。

「世間がマイノリティの心理に無理解なので、我々は不当に犯罪者だと思われてきた。法律のほうが厳しすぎるので、変更してもらいたい」

という申し出は、なされてはいけないことはないでしょう。いくつかの人権問題が、そのようにして解決されて来ましたから。


2014/10/11

【遊びと言えば許される時代は終わったと思うのです。】

成人式で騒いだ若者が逮捕された頃から、世の中すこし変わっただろうと思います。

冷蔵ケースに入った写真をインターネットへ流した人も、本人は「遊びw」というつもりだったろうと思います。

(念のため、ツイッターはインターネットです。)


若者が「みんなで渡れば怖くない」と笑っていられた80年代は終わってしまいました。

年間出生数の多かった1974年までに生まれた人は、今年で全員が40歳以上となります。

そのころ大学生だった人は、還暦です。

1989年に10歳だった人が、もっとも若い「80年代のティーンエイジャー」ですが、この人でさえ、今年35歳です。

35歳以上の多くが、わが子のため、老親のため、受け継いだ会社を存続させるため、自分自身の老後のため、誰にも自分の権利を侵害させまいとして、“一所懸命”だと思います。

ここで「原作者の権利? 法律? なにそれ。二次創作なんて遊びよ」という言い方では、一般社会への申し訳は立たないだろうと思われます。

即売会開催の度に周辺の交通が混雑し、駅構内を走り抜ける参加者によって病人や高齢者が恐ろしい思いをさせられているのであれば、社会は不利益をこうむり、人命さえ脅かされていると言っても過言ではないでしょう。

これからの時代に二次創作同人ができることは……

「二次創作には独自の面白みがあり、表現する意義があります。著作権については、権利者と僕たち私たちが直接話し合う事柄で、ご心配にはおよびません」

と、丁寧な言葉で説明し、その他の点では至って普通に一般社会のルールを守っている姿勢を見せていくことだろうと思います。


2014/10/09

【ロリショタの問題視が終わる日はありません。】

作品内容の性質上、「公認」とか「推奨」とは絶対に言えないからです。

まるで与野党か、労使抗争のように、つねに存在する反対派と闘い続けることになります。

このとき、二次創作者は「僕たち私たちは、誰の権利も侵害していません。社会のルールを守ることができます」と言っても説得力がないのです。

ここ重要です。

「金銭のためなら何にでも手を出す連中だ。次にはもっと悪いことをするに違いない」という危惧に対して、返す言葉がないのです。

だから「現実の子供ではなく、アニメキャラが好きなので、似顔絵を描きたいだけです」「詐欺や窃盗の相談ではなく、アニメが好きなので集まっているだけです」と言い続けることは、わりと大切だと思うものです。

ここで「好きなわけないじゃない。金よ、金」と言ってしまう人は、仲間全体に致命傷を与えるわけでございます。

したがいまして「創作物の権利については権利者と僕たち私たちの直接の話し合いで、ご心配には及びません。創作物に関わる以外のことはしません」と丁寧な言葉で説明していく必要がある。

説明する相手は一般社会です。

「そんなの関係ねェ」「世間は何も分かってねェ」「プロより私らのほうが売れてる」と気を昂ぶらせていられたのは、同人誌即売会が巨大な密室だったからです。


2014/10/07

【TPPに抵抗しきっても同人は崖っぷち。】

TPPにおける知的財産権の「商業的規模」の侵害の一律な非親告罪化という話題は、海賊盤の撲滅と、医薬品という巨代利権が念頭にあります。

かの国のいう“商業”とは、億ドル単位の話だろうと思われます。

アメリカとしても「スターウォーズのファン数万人、コスプレ容疑で一斉逮捕」では困るはずです。

念のため、条文に「ファンアートは“一律な”取締の限りではない」と一言つけ加えれば済む話だと思います。

でも、これはパロディ同人の完全勝利を意味しない。

誰も「親告罪でさえない」とは言わない。

親告罪であり続けるということは、一律ではなく散発的には親告される可能性があり続ける。

海賊盤撲滅のために「著作権を守りましょう」という言葉がたびたび聞かれるようになれば、その権利への国民の関心も高まる。

映画版の脚本を原作者みずから書くという例も増えてきたように思われます。

得手勝手なエピソード追加は許さないという方向が打ち出されつつあるのかもしれません。

対抗するつもりで「売れる」と言えば許してもらえるなら、危険ドラッグも売ればよいことになってしまう。

茶化すつもりで「遊び」と言えば許してもらえるなら、万引きも「遊び」と言えばよいことになってしまう。

だから、引き続き「ファン心理の表現の自由を認めてください」という崖っぷちの話をするしかないだろうと思うものです。





2014/10/04

【アニメもBLも好きではないが、二次創作を書いたという人は。】

そもそも自分が「書いた」と思われないように、黙ってるといいと思います。

「自分はアニオタなんかではない。創作活動に誇りも感じていないが、買いにくる奴らがいたから書いた」と言えば、「そいつらの財布の中身だけが目的だった」ということになり、詐欺のようなものです。

「キャラクターが好きだから買いに来た」「あなたの作風が好きだから買いに来た」というファンの心を踏みにじったことになります。

どのような芸人も、アーティストも、自分の才能を売って暮らしているには違いありません。

彼らはそれを「金が目的」とは言いません。

「好きでこの道に入った自分を理解し、働いて得た金銭を差し出してくださるお客様に感謝申し上げます」と言うはずです。

たとえ二次的作品であろうが、どのような作風であろうが、それはあなたの作品であり、人生の時間の一部であり、それを高く評価して、尊い勤労報酬を差し出してくれた人があったのです。

子供が支払ったものであれば、その保護者の勤労報酬です。

絶対に言ってはならないことが、あるのです。