2015/05/31

【同人作品数千万点を一律には解釈できません。】


コミケと呼ばれる催事が初開催されたのは、1975年だそうです。今年で40周年です。おめでとうございます。

仮に、一回の参加者を50万人としましょう。夏冬2回開催で、年間100万人の人出です。かけることの、40年。

のべ4000万人。

でも、夏冬の参加者の大部分は重複しているでしょう。一回に50万人も集まらなかった時代もあります。そもそも50万人は三日間の延べ人数で、ここにも重複があるでしょう。参加者の全員が出品する側でもありません。

というわけで、絶対数にして、40年間で一千万人くらいの出品者を輩出してきたことになるでしょうか。

(運営組織が出展サークルを記録しているはずですから、正確な数字はそちらへ問い合わせれば分かるはずですが。)

一千万人が、作品を一点ずつ出品すれば、ぜんぶで一千万点です。

一点を読了するに十分かかるとして、計算が確かならば、160万時間。69444日。190年を要します。

実際には、長編1本、短編2本、四コマ漫画または掌編を一冊にまとめて出版するかもしれませんので……

全作品数は、4倍、5倍にふくれ上がります。

さらに、漫画(またはライトノベル)同人誌が即売される催事は「コミケ」だけではありません。

例によって、参加者には重複があるでしょうが、いずれにしても40年間で生み出されてきた同人作品は、数千万点をくだらないでしょう。

そのうちの半数が「やおい」、今でいう二次創作BLだそうです。

かつて「やおい論」を披露した人は、何点の作品を確認しましたか?

一回の参加者から、何万件のアンケートを回収しましたか?

40年間の追跡調査をしましたか?

各年度における参加者の年齢構成をグラフ化できますか?

根拠もないのに、なぜ偏見を広めるのですか?

自分も参加していたという人も同じです。十万人とお話しましたか?

結局のところ、どの時代、どの作品、どの発言を取っても、「そういう人もいる」「そういう作品もある」ということしか言えないのです。



2015/05/31

【同人むかしばなし13 ~個人誌の成立。】


個人誌が売れるのは、当然ながら、個人の描いたものが面白いからです。

が、面白くてもお金がないことには出版できません。買うほうも、お金がないことには買えません。

「よろず」の時代が終わって、1985年頃から個人誌という形態が盛んになったのは……

1.蓄積された(パロディの)技法を駆使して、才能を発揮できる人が増えた。

2.貿易黒字・バブル景気を背景に、保護者からの支援(お小遣い)が増えた。

3.高校を卒業して就職し、その給金を自費出版(の購入)に注ぎ込むことができるようになった。

4.地元就職・結婚などを理由に、平和裏に辞めていく会員があって、残された人が貯まっていた売上金を一人で使えるようになった。

これらが、様々な割合でミックスしつつ、いろいろなところで起きたのでしょう。

第4例の背景には「私は○○さんほど上手くない、描き続けることは苦痛である」と自らの才能を見切ったということもあったでしょう。


【ベビーブーマーの成長。】

いわゆるコミケは、1975年に漫画同好会を糾合することによって始まりましたが、早くも1981年には最初のアニメブームが起きたと伝えられます。

この年に14歳だった人は、1967年生まれ。

以後、1980年代を通じてコミケを肥大化させ続けてきたのは、「ひのえうま」が明けて以来、第二次ベビーブームに至る、出生数の多かった時代に生まれた子供たちです。

そのうちの何割かが18歳に達した頃、同人誌から個人誌への切り替えが、顕著に生じました。

同時に、内容の「過激」化も生じたように思われます。

これは、ゲイリブ運動が盛んになって、彼らのための書籍・雑誌を非当事者も一般書店で手に入れやすくなったことと関わりがあるのかもしれません。

成人が成人向け雑誌を購読することは問題ありません。読んだものの要素を新作の構想に取り入れることは、著作権法もこれを認めています。

どこの業界も同じことで、誰かが「ウケ」を狙って新しいことを始めると、一斉に模倣が生じるものです。

だから、この後から参加した人は「同人誌はエロだ」と思い込んでいる可能性があります。

実際には1975年から1985年まで、十年かけて変遷してきたのです。

戦前以来のプレヒストリーを加算すれば「耽美的アニメ二次創作小説から漫画家の高河ゆん」という結晶を生じるまで、数十年を経ているのです。

同人自身の年齢的・社会的成長。それにともなう市場の成長。

いわゆる「やおい」という存在の実体を、文字通りの少女=未成年者に限定すると、これらの現象は理解できません。

なお、この傍らで「ロリ」畑も豊潤な成果を得ていたはずですが、そこはそちらに詳しい方におまかせ致します。

また、個人による自費出版を指して、今なお「どーじんし」という単語が使用されているのは、単なる慣習であるとともに、衆を恃む気持ちから生じる隠語的用法です。


【収支。】

たとえばの話、実費に百円を上乗せした自費出版誌を十冊売って、同様な他人の出版物を十冊買って帰ると、プラスマイナスゼロです。

でも、百冊売って、百冊買って「よいしょ」と担いで帰る人は少ないので、収支にアンバランスを生じ、余剰が手元に残ります。つまり、ともだち百人できると、利益を生じるのです。千人できれば尚さらです。

才能による自然淘汰と、豊富な資金。それを注ぎ込んだ実費を回収させてなお余りある、多人数の購読者。

これらがそろわなければ、個人誌化は成立しません。

1980年代は、ファミレスの増えた時代でもあります。当然「割高でも外で食べよう」と思う人が増えたことを意味します。学生アルバイトは、外食産業の成長とともに増大しています。

今ふうの同人界の成立というのは、核の傘の下の東西冷戦(による平和)、ヤングアダルト層の急増、貿易黒字、女子就業率の上昇を背景にした、歴史の一回性だったと言えるのでしょう。


【ともだち多すぎ。】

評判が評判を呼んで、出展希望者が増えると、当然ながら、ライバルが増えます。

市場規模としては拡大し、総売上を聞くと一般人・企業が顔色を変えるほどになっても、実際の参加者にとっては、個々の利益が期待したほどではないということがあり得ます。

現代の若者が、高価なフルカラー同人誌の発行を想像もできないからこそ、それがバブル時代の武勇伝となるのです。

思うに、参加人数と収支のバランスがちょうど良かったのが、1980年代後半だったのでしょう。今もその頃を懐かしむ人がいる道理です。


2015/05/31

【同人むかしばなし12 ~よろずから個人誌へ。】


もし、同好会の会費・売上金のすべてを持ち逃げされたら、残った人は新刊を発行することができません。

やむを得ず自腹を切ったら豪華フルカラー同人誌が出てきたのであれば、すでに自腹が肥えていたのです。


【同好会の会計。】

尾崎紅葉の時代から、雑誌を発行しようと思う若い人が仲間を募るのは、お金がないからです。まず会費を集めようと思うわけです。

ガリ版刷りにも印刷用紙を買わねばなりません。印刷所へ頼むとなれば尚さらです。

紅葉は、学業のかたわら編集作業に励み、製本が仕上がってくると勉学仲間に売りつけて歩いたと書いています。

当時から、同人なんてのは変わった連中だと思われただろうと思います。

『硯友社の沿革』にも、自慢と自嘲が同居しているという、今も変わらぬ同人らしさが表現されているように思われます。

とくに当時は尋常小学校より上へ進学できない人が大勢いたのですから、「勉強せずにそんなことばかりしていた」という自嘲は、特権意識に裏打ちされていたと見てよろしいでしょう。

今の同人にも「大学は出たけれど」という気分は残っていようかと思われます。

話を戻すと、売上金は同好会の会員で山分けして、それぞれに夜遊びで使ってしまっても構いませんが、そうではなく、同好会の会計として独立させておき、次回の出版費用に充てれば、売上が伸びるごとに雑誌の体裁が良くなって、人目を惹きつけ、購読者の増加につながるでしょう。

紅葉が書いた通りですが、どこの出版社も、最初はそういうふうに始まったはずです。

仮にその会計をすべて持ち逃げした人があれば、残された人は新刊を出版することができません。

役所にも金融業界にも、ときどき悪いことをする人がいます。同人界にいても不思議はありません。

そのような事件は、残された人に強い印象を与えますから、後になって「なぜ個人誌を始めたんですか?」と訊かれれば、「悪い奴がいてさ~~」という昔話が始まることはあり得ます。それを若い人が真に受けてしまうこともあり得ます。

が、本当にそれだけだったら、個人誌は生まれてこないのです。


【よろずの時代。】

先日、大人気妖怪アニメ番組で、主人公の背景となった店舗の看板に「Yoroz」とあるのを見て懐かしく思いました。

「よろず」とは、いろいろを意味します。よろずサークルとか、よろず同人誌といえば、複数の投稿者から、漫画でも小説でも、ギャグでもシリアスでも、独創でもパロディでも原稿を募集し、一挙掲載するという、まさに雑誌の体裁をとったものでした。

これは個人的に長らく「初期形態」だと思っていたのですが、よくよく考えてみると過渡期形態です。

すでに様々な専門同人誌が出そろったことを前提に「うちは何でも受け付けますよ」と言っているのです。

「コミケ」の初期には、少女漫画が出品されていたという話もあります。当初の主宰者の呼びかけに応えて、女子校の美術部(漫画班)などが参加してくれば、当然そういうことになったでしょう。

その横で、耽美派小説を含むパロディ作品を掲載したアニメファンクラブ会報も成長していたことになります。

そのような、腕に覚えの漫画同人・小説同人・熱心なアニメファンが、それぞれに集まるべくして集まったのが成功したので、次世代が「私たちも何かやりたい」という気持ちから、とにかく仲良しグループのようなものを作って、「なんでも」を名乗ったのでしょう。

そういう下地が整った頃と、コミケが6年間やって来て、それなりの蓄積を得た挙句に分裂した頃とが、ちょうど一致するのかなと思います。

いずれにしても、そのような同好会が人間関係によって崩壊したとして、それぞれの個人誌が面白くなければ誰も買いません。


2015/05/31

【同人むかしばなし11 ~寛容な青田。】


尾崎紅葉(以前)から、創作同人が出版界の青田であるのは当たり前です。

が、日本の創作同人界には、昔ながらの文芸ファンの想像もつかないことが起こりました。

漫画市場に、なぜか漫画ではなく、アニメを素材とした小説が出品され、そこから新しい漫画の才能が育ったのです。


【義務教育と鬼六の直結。】

1970年代に高校生で同人活動を開始した人は、1980年代には成人しています。成人が成人向け雑誌・単行本を購読し、自主制作の参考とすることは、問題ありません。

でも、学校教育しか受けておらず、教科書以外の文芸には親しまずに来た若年者が、漫画をきっかけに耽美派の世界を知って、そのうちの一部がどこから聞いたか「漫画市場」を訪れると……

そこで既に取引されていた「あらゆる意味で耽美派ふうのアニパロ小説」という奇妙なものの存在を知ったから、読み書きできることと、変遷の結果としてのアニパロが直結してしまい、その間にあったはずの本来の耽美派の知識がすっぽ抜けている。

これが「私は漫画しか読んだことないけど、アニメを見て小説を書いたわ!」という訳の分からない主張になるわけです。

確かに浅薄な、今ふうに言うと脊髄反射的な模倣がくりかえされたのですが、逆にいえばそれだけのことでしかありません。

つまり、家庭に問題があるかどうか、トラウマがあるかどうか、トランスであるかどうか、詮索するほどのことでもなかったのです。

だいたい、本当に家庭に問題があったら、コミケへ行って遊んじゃいられません。


【コピーのコピーの漫画化。】

1981年のコミケで最初のアニメブームが起きたのは、すでにその時点で「二次創作」の技法が完成していたからです。

漫画にしろ、小説にしろ、出展に先んじて、原稿を仕上げ、製本所へ送らなければなりません。数ヶ月を要するでしょう。念のため、当時は漫画の台詞も、小説の清書も、すべて手書きです。

ということは、さかのぼって1980年には「だいたい分かったから、私も書いてみよう」と思う出展希望者が大勢誕生していたわけです。

ということは、その時点で、すでにかなり多くの人の手に「お手本」が行き渡っていたことになります。当然ながら、そのお手本を書いた人は、1979年の時点で書くことを決意し、印刷所を見つけていたはずです。

1979年というのは、今に至るまで影響力を誇る巨大ロボットアニメ番組が初放映された年であり、そこには敵役として、妙齢の美男が登場していたものです。

じつは、それに先立つ時代にも、少女漫画の登場人物をほうふつとさせる美男の登場するロボットアニメが存在したのです。

したがいまして、1983年に放映が開始されたスポーツアニメ番組を素材とする二次創作が空前のブームを起こすことができたのは、当然です。

もはやこの時点で、コピーのコピーのコピーのコピーのコピーです。

そしてこのあたりから、漫画化の傾向が顕著になったと思われます。

漫画市場だったところが、アニメ関連小説に乗っ取られたようになって、さらにそれを新世代の漫画同人が漫画化するという、歪んだループが発生し、今度は漫画としての表現が高度化するとともに過激化するという、上昇か下降か分かりませんが、急回転スパイラルとなったのです。

この背景には、単純に漫画そのものの成長があったでしょう。

漫画をスラスラと読みこなすには、せめて小学4年生くらいの識字能力が必要です。

1975年に学童向け雑誌で連載を開始した『ドラえもん』(藤子不二雄・当時)を、10歳のときから模倣しながら成長した子どもは、1983年には18歳に達し、早い人ならプロ漫画家への第一歩を踏み出します。

並行して高橋留美子・あだち充などの活躍もあって「作家になりたい」という若者よりも、「漫画家になりたい」と思う若者のほうが増えたという、切り替えの時期だったかと思われます。

この頃までのテレビオリジナルSFアニメというのは、アメコミ調の絵柄を踏襲しており、それほど華奢でもなければ頭身バランスの悪いものでもありませんでした。

いっぽうで、1980年代初頭に竹宮恵子『地球へ…』が、少年漫画として少年誌に発表されており、この頃にアニメ映画化も成されました。そこに登場する「シュッ」とした青年を見て、カッコいいと感じた男性読者・観客も多かったことでしょう。

ありていにいって、1983年頃から、新世代の漫画同人の絵柄が、男女を問わず「高橋陽一のダイナミズムと、竹宮恵子の繊細さを足して2で割って、小松原一男を掛けたら関節はずれた」というものになって……現在に至ります。

世の中には、今ごろになって「最近の少年漫画は女性向けで面白くない」なんて言う人がいますが、最近どころか、1983年から変わっていません。

ついでに言うと、貿易黒字時代を背景に、子どもがスクリーントーンという比較的高価な特殊効果材を多用するようになった結果、背景を描く技術が極端に劣化し、漫画が水平線を見失って、現在の惨状があります。


【似ていない二次創作漫画。】

男性向け原作漫画(またはそのアニメ版)を知らない人が、パロディとしての耽美派小説だけを読んで、脳内にイメージを描き、それをもともと自分が身に着けていた(少女漫画ふうの)技法で漫画にすると?

原作と共通しているのは登場人物の名前だけ、という漫画作品ができ上がります。

どうも、こういうことが行われたのが1983~1985年頃だったと思います。


【コンテンツ史のブラックボックス。】

一般読者の好むと好まざるとに関わらず、日本の創作界は、ある時期からアニパロによって洗練されて来ました。

同人作品は互いに似ているので、各時代ごとに模倣の起点となった名人がいたはずで、これをつないでいけば、近代文芸史に匹敵する現代同人史を書くことができるはずですが……

今や日本の国策とも言うべき漫画・アニメ、さらにはライトノベルの歴史を後づけるにあたって、大きなブラックボックスが置かれたままであるのは、勿体ないような気がしています。


2015/05/30

【同人むかしばなし10 ~SFファンによる淘汰。】


1975年以来の出品物として考えられるのは、手塚・石ノ森を見習ったオリジナルSF漫画。

それらを艶笑めかしたパロディ漫画。

漫画から派生した新しい表現の可能性を探る、アニメ批評誌。

その「おまけ」としてのパロディ漫画。

さらに、男性による創作物をセンチメンタルな不倫物語に改変してしまうことに慣れていた文芸サークルによる耽美派小説。

この中で、SFファンを最も「その発想はなかった」と驚愕させるものは、どれでしょうか?

最後のパターンです。

これだけは、どこをどう押してもSFファンの漫画家からは、直接には生まれてきません。小説を書きなれたチームの参加が、どうしても必要です。

【落差。】

1975年以来、さまざまなオリジナル作品・パロディ作品が出品されてきたであろう「漫画市場」において、その吟味と淘汰が行われたわけで、最終的に残ったものの備えていた「おかしみ」の最大の根拠は、原作である男性的な作品との落差そのものだったでしょう。

「昔話だと思ったら未来話だった」「未来のロボットには臭覚がない。が高性能センサーを備えている」「陰惨な吸血鬼だと思ったら美少年だった」「戦士だと思ったら女役だった」……

予想を裏切られた、固定観念を崩された、真逆であったという時に、最も面白く感じられるわけです。

思えばSFというのは「進歩の果てはばら色ではなく暗黒だった」「猿が人間より偉かった」「宇宙の果てまで行ったと思ったら地球だった」など、逆転の発想を駆使する分野です。

もとをたどると「大地の果てまで行ったと思ったら、お釈迦様の掌の上だった」なんていうところまで、行き着くのかもしれません。

世界観をひっくり返すという、SFの発想に慣れた人にとって、最も面白く感じられるものを提出し得た人々が、耽美的文芸サークルだったということになるでしょう。

どう考えても最初の時点では、女性の漫画市場参加者というのは、ごく素直に萩尾望都に憧れて、SF漫画を描きたいと思っていた人々だったはずです。

西谷祥子などが少女を主人公にしたSF漫画を描いていましたから、そのアマチュア版が出品されていたと考えるべきだろうと思います。

彼女たち自身が「漫画市場へ出品するために小説を書きましょう」と思う必要はありません。

勝手に小説を書いて出品してきた人々があって、それをSF派の漫画家志望者が見たとき、「やられた!」と思った……ので、次から同じアイディアを漫画にしてみたといったところでしょう。

くりかえしますが、SF・ミステリ・耽美派の融合は、1950年代には生じ得るのです。必要なのは、出品できる場所だけだったのです。

このように考えてくると、ヤマトから突然パロディの嵐が吹き出したというよりは、コミケそのものの開催と時期的に一致したのがヤマトだったので、「すべてはコミケにおけるヤマト関連同人誌から始まった」という印象になりやすいのでしょう。

2015/05/30

【同人むかしばなし9 ~女流におけるSFの受容。】


手塚漫画は映画フィルム(アニメの絵コンテ)を踏襲しているので、何事も四角い枠の中におさめて描かれていました。

古い時代の少女漫画は、手塚流を踏襲していたので、四角い枠の中に人物が納まっていました。

新世代である大島弓子ふうの少女漫画における「コマ枠を無視した人物画と、その周囲に散りばめられた散文詩のような台詞」といった形式は、『少女クラブ』などに掲載されていた、絵入り読みものを直接に継承しているのだろうと思います。

小説や散文詩を書いては、自分で挿絵を入れる、あるいは絵の上手なお友達に描いてもらうといった趣味は、もうずいぶん前から女性の間に根づいていたのだろうと思います。

お金もなく、印刷所を訪ねる伝手もない時代、そのような作品(肉筆原稿)は、お友達と二人だけの秘密の宝物になったのかもしれません。


【女性によるSFとミステリーの受容。】

竹宮・萩尾の作風からいって、その後を追った女性の意識は「少女漫画を描きたかった」というよりも、「女だてらに、少年を主人公としたSF漫画を描きたかった」というのが本当でしょう。

いわば「女流少年漫画」です。手塚・石ノ森を愛読する人が、みずからの性別をかえりみず「ヒーローを描きたい」と思うことは自然です。

現代の同人界において、少年趣味の意味で用いられる「ショタ」という単語は、その語源説を真に受ければ、戦前の探偵小説、または初期のSF漫画作品、およびその動画化である白黒放映時代のアニメ作品に由来します。

でも、結局のところ、女性がSFをきちんと描いた例は少ないものです。探偵もまた、女性は憧れるだけで、本格ミステリを書いた例が少ないものです。

日本の文壇は、私小説を至高としており、女流純文学にも昔から生活苦を描いた作品が多いですから……

もっと空想的・冒険的な作品を男性が書いたものを読んで、ワクワクするという女性もいたのでしょうが、自分で再生産することができず、なんでも三島由紀夫ふうの不倫小説の文脈に落としてしまうという流派のようなものが、かなり早期から発生していたのかもしれません。


【ファンクラブ会報における混淆。】

小説の得意な学生は、いつの時代にも存在しましたが、大学生のアニメファンが決して多くはなかった時代に、「ウケ」を狙って、自分でも知らないキャラクター名を用いて小説を書いてみようという発想は、あり得ません。

CS再放送が存在せず、テレビシリーズのボックス販売など想像もつかず、そもそもビデオデッキが普及していなかった時代に、「書いてみよう」という発想は、当然ながら、オンタイムで番組を視聴した人からしか生まれません。

その目的は何でしょうか?

即売会成立以前には、大きな利益はあり得ません。一人で大学ノートに書いていたという人もいます。大学ノートを友達に読ませて「一回百円」と言えば、友達なくします。

それは、やっぱり、次週の放映日を待ちきれずに、物語の続きを予想したり、番外編を構想したりといった、心の自由から生まれたといってよいでしょう。

でなければ、アニメファンである同級生から話を聞いて、そのファン自身を楽しませてやろうと思った小説家志望者です。

自分自身はアニメに詳しくないけれども、お友達の主宰するファンクラブ会報へ耽美派小説を寄稿した人です。それをお友達が拒否しなかったのです。

「個人誌」という形態が成立したのは、1985年頃のことです。

それ以前には、今でいう二次創作であるところの絵入り小説と、放映回ごとの感想文、独自編纂の用語集や、物語の背景となった歴史的事実に関する考察まで併載した「同人誌」が存在したものです。

その寄稿者は複数でした。小説がうまい人、絵がうまい人、考察記事が書ける人、歴史を調べることが得意な人が集まっていたのです。

それは確かに、アニメ番組そのものの熱烈なファンによる会報でした。

この「他人から見ればふざけているとしか思えない耽美化」と「まともな考察記事」が両立してしまうファン心理は、経験した人じゃないと分からないことなのかもしれません。

2015/05/30

【同人むかしばなし8 ~耽美の死。】

「耽美が死んだ」というのは、1965年だったろうと思います。

文芸における耽美って、本来は、言葉そのものの魔術的な機能を磨き抜くってことだったはずです。

三島由紀夫が自信をもって、見事な比喩と情景描写に満ちた恋愛小説を書くことを続けていたら、その後の文芸の発展も違ったのかもしれませんが、言葉の耽美主義(によって俗世間受けすること)とは、神経をすり減らす作業なのかもしれません。

時代の寵児のようだった三島が大事件を起こした後には、文芸そのものが疑わしく感じられたことでしょう。1972年に入ると、社会は川端の訃報を聞くわけです。


【SF漫画と耽美派。】

ビッグネームを失い、純文学がすたれて、入れ違いに漫画の時代が来たかのように思いがちですが……

手塚が1951年に『鉄腕アトム』の連載を開始したときには、当然ながら地続きに「SF御三家」がいて、その友達には三島がいて、そのすぐ隣に澁澤龍彦がいて、その隣に野坂昭如がいて、1960年代に入ると一緒になって「サド裁判」とかやってました。

SFと耽美主義・ゴシックロマンといった分野は、時間軸で真逆を向いているようでありながら「ここではないどこか」を目指すという逃避性、または挑戦性の点で、よく似ているのです。

現代の同人界において「少年趣味」の意味で使用される「ショタ」という言葉は、第一義的には戦前の探偵小説に由来します。

探偵小説というのも、また空想的・怪奇的娯楽作品の一種であって、それを手がけた江戸川乱歩・谷崎潤一郎・夢野久作・小栗虫太郎などは、同時に耽美派・ゴシックロマン派であったといってもよいでしょう。

そしてゴシックロマンは、ラヴクラフト(またはダーレス)を通じて、宇宙と異次元へ直結していきます……

そしてまた、日本における言葉の耽美主義と宇宙への憧れの混淆の、最高の具現者を稲垣足穂としてもよいでしょうか。

彼はまた、中世以来の「衆道」を軽妙、かつ思い入れ深く詳述した『少年愛の美学』の著者でもありました。

(足穂『ヴィタ・マキニカリス』が鴎外『ヴィタ・セクスアリス』を意識していることも忘れちゃいけませんね。)


【大学生における混淆。】

当時の大学生は、男女を問わず、他に娯楽が少なかったこともあって、様々な作品を精力的に読んでは、模倣・改作に励んだことでしょう。

アニメ化されたことのないはずの、ナボコフの『ロリータ』という作品が、なぜアニメファンに知られているのか?

アニメが流行するよりも前から、SFも読めば純文学も読むという人々がいて、その後輩からそのまた後輩へ、連綿と語り伝えられてきたと考えることができるでしょう。

考えてみれば、かぐや姫というのは「想像を絶する美少女は、じつは宇宙人だった」という話です。

だったら、太陽神のような美青年が、日輪の馬車ではなく、UFOから降りてきても良さそうなものです。

あるいは、地球を脱出した人類が、異星で古代文明のような都市を築き、その宮殿でサド侯爵ふうの乱脈を繰りひろげ、その挿絵が手塚治虫の漫画そっくりである。

ありそうな話です。


【アダルト化。】

またいっぽうには、永井荷風と谷崎潤一郎をこよなく敬愛するくせに自分じゃポルノばかり書く団鬼六という男がいて、彼だけの責任でもありませんが、耽美という言葉はやがて換骨奪胎され、官能作品を表す隠語のようになってしまいました。

並行して、漫画のヤングアダルト化が進行していたかと思われます。

少年漫画というのは、名称からして「少年の心を表現している」と誤解されがちですが、描いている人は成人なのです。ちばてつや『あしたのジョー』は、学童向けとは言えません。

日本の漫画に暴力と性の要素が多いのは、それが(絵本や児童文学のように)職業的な自制心をもって学童向けに描かれたものではなく、子供に読ませることを口実に、描いているヤングアダルト自身を満足させるものになってしまったからです。


2015/05/30

【同人むかしばなし7 ~本来の耽美派。】


もともと耽美派というのは、19世紀末頃から20世紀半ば頃における、男性芸術家の流派のようなものです。

それは自然と人間性を破壊する産業革命・富国強兵の時代に背を向けて、詩的な語句を操り、過去の美術品を賛美し、遺跡の残る東方へ思いを馳せ、古代の奔放な性に憧れるといった要素を持っていました。

少年趣味ばかりでなく、少女趣味・妹趣味・人形趣味・屍体性愛・残虐趣味、近親姦や獣姦といった恐るべきものへの関心も、この人たちのものです。(作家にもよりますが。)

本人たちは産業革命後の近代市民として、電力の恩恵を受けて読書に励みながら、貴族が庶民を抑圧し、地下牢や鞭打刑が現役だった時代を夢見ていたわけです。(作品にもよりますが。)

東洋への憧れは、遠い外国に関する情報が入ってくるようになったこと・旅行が可能になった(=自国民の安全を保障してくれる軍隊が駐留している)ことに基づいているので、じつは侵略的膨張主義と二人三脚なのでした。

存在自体が皮肉であり、高度に知的なようでもあり、軍隊で出世できないタイプの独善のようでもある。

現代の「同人」の直接の祖先といって良いでしょう。


【耽美派の改作。】

なにも、アニメが発展するまで「パロディ」という手法そのものが開発されなかったと思う必要はありません。

まず、三島由紀夫のデビュー作が発表された段階(1949年)で、さまざまな改作が試みられたはずです。改作する人は男性であっても女性であっても構いません。

上手に書かれた小説であればあるほど、読者は我がことのように感じるものです。架空の人生を生きることは、創作物の重要な役割です。

いっぽうで、扇情的な興味から、特殊な性愛の描写だけを追及した人もいたでしょう。この時点では、当然ながら、まだ小説の形態を取っていたでしょう。

構想しただけで終わってしまった人。原稿用紙に清書して、出版社へ送ってみたが、回答を得られなかった人。当時の編集部へ大量の二番煎じが投稿されてきたであろうことは想像にかたくありません。

あるいは、5人くらいの文芸サークルで評価してもらって済ませた人。そんな仲間さえ得られず、ごく親しい友人との二人だけで、交換日記のようなものをやり取りしていた人。

いわゆるコミケが成立した後になって、同人というのはコミケに参加する人のことだと思い込んでしまった人は、本来の文芸サークル活動というものを知らないので、こういった活動をイメージすることさえできないのです。


2015/05/30

【同人むかしばなし6 ~文芸サークルの並行進化。】


少なくとも二十四年組は「アニメ監督の翻案権を侵害させて頂きなさい」などとは言っていないはずです。

また、彼女たちとしては「漫画家になりたいなら、まじめに絵の勉強をしなさい」と言わざるを得ません。

なにもかも二十四年組のせいであるというのは、便宜的な説明、and/or 責任の押しつけです。


【漫画派の危機感?】

少年漫画は、ちばてつや『あしたのジョー』が学生運動のバリケードの中でまで愛読されたという時点で、いったん頂点をきわめてしまったといっても良いでしょう。

入れ違うように盛んになった、ハイティーンを対象としたテレビオリジナルアニメが面白いからこそ、熱心な漫画同人にとっては「漫画を食ってしまう新興勢力」と感じられ、茶化してやりたい対象となった可能性はあるかと思います。

漫画というのは、ポンチ絵というものもあった通り、もともと風刺をテーマにしているものです。

でも、それで生まれるのは、人気のあるアニメキャラクターの顔を、わざと下品に誇張して描いた漫画であるはずです。

漫画家が、アニメを茶化してやりたい一心で筆を折り、くだらない小説を書いて、それを招待してもいないアニメファンが読みに来て、やたら感動したので、自分でも書くようになった挙句に、アニメ番組そのものに関する詳細な解説と、独自編纂の用語集、声優インタビューまで併録した気合充分な「アニメ関連同人誌」を出品するようになった。

……これでは説得力がありません。

「同人誌とはアニパロです」または「アニメ関連といえばエロい個人誌です」と思い込んでいる人は、知らないだけですが、本当にアニメ番組のことを考えた同人誌(ファンクラブ会報)というものが、ちゃんとあったのです。


【俯瞰的イメージ。】

じつは、いわゆる「コミケ」の発展については、調べても「キャプ○やおい」が盛んになった1983年以降のことしか出てこないのが実情です。

それ以前に生じた組織の分裂については、ある程度あとづけることができますが……

「この世で最初にコミケへ出品されたアニメ二次創作はこれだ」という化石が出てこないのが、この地層です。

しかたがないので「当然、起きたであろうこと」をイメージしてみましょう。

広大なファンタジー世界の歴史をみずから構築する若い皆さんには、容易な作業のはずです。


【黄金の六年間の陰。】

コミケは、既述のとおり、漫画同好会の交流場所として、1975年末に初開催され、主宰者による漫画評論を享受しながら発展したものの……

すでに1981年には、最初のアニメブームを経験したという話があります。

このアニメブームとは、アニメ映画の自主制作者が上映会を開いて、第二の宮崎駿が誕生したという意味ではありません。

アニメを素材とした漫画・小説が大量出品され、購読希望者がつめかけて、おそらくは会場キャパを超え、最初の行列を形成したという意味でしょう。

主宰者が本来の漫画のいっそうの隆盛を願って評論活動に励んでいた「黄金の六年間」の陰で、アニメ「関連」勢力も確実に成長していたようです。

テレビオリジナルSFアニメのファンなんて、最初は極少数でした。だからこそ、一箇所に集中し、急激な勢いで情報交換を促進させたものでしょう。


【文芸サークルの並行進化。】

そもそも「パロディ」という技法そのものが、1976年まで発生しなかったと思う必要はありません。

鴎外もいれば、その娘もおり、三島もおり、澁澤もおり、足穂もおり、ヴィスコンティの映画があった以上、女性が「少年愛の美学」という現象に気づくにあたって、『風と木の詩』の発表年まで、のんびり待つ必要はありません。

竹宮をはじめ、漫画家自身がさまざまな文芸作品を読み、歴史を勉強し、その要素を組み合わせることによって、新しい漫画を構想したことは、彼女たちの作品そのものから明らかです。

ということは、同じ時代に、同じ文芸作品を読んで、それを漫画化しようと思わずに、すなおに小説の形で自主制作していた人々もいたことを疑う必要はないでしょう。

多分その人たちは、大学や高校の文芸サークルとして、美術部または漫画同好会の隣の部室で活動していたでしょう。挿絵を入れてもらったりもしていたかもしれません。

この人たちが、1972年くらいの時点で、漫画同好会から「最近のアニメは面白い。かっこいい男がいっぱい出てくる」という話を聞けば、わりと簡単に「耽美っぽいアニメ関連小説」が生まれちゃうのです。

つまり「耽美的な漫画の後から、劣化コピーとして耽美小説が生まれた」という奇妙な進化論ではなく……

もっと手前で分岐して、耽美派文芸の漫画化と、耽美派文芸の派生形としてのアニメ関連小説が、並行進化したという位置づけです。


【近代人の進化論好き。】

Aの次にBがきたという進化論は、ちょっと前まで支配的でした。動植物ばかりか、人間社会も「いつか資本主義が終わって共産主義になる」と信じられていたものです。

最近は「共存、住み分け」という考え方が受け入れられるようになって、クロマニョン人も現生人類と同時期に存在していたことが確認されました。

ここらで「竹宮恵子のせいで二次創作小説が生まれた」という珍説も、見直されると良いと思います。


【評価。】

SFとは現代社会の否定であり、SFを愛する若者は反骨的である、と既述しました。

コミケ初期の主宰者は、二十四年組を高く評価したと伝えられますが、彼女たちが女だてらにSFを描きこなしたからでしょう。

その一部が当時の女性にしては珍しく「性」の描写へ踏み込んだことも、一般常識への挑戦として、高く評価したことだろうと思います。

いっぽうで、SF漫画を高く評価する「漫画市場」へ出品された、SFでもなければ漫画でもない耽美的パロディ小説というのは、どう考えても「もぐり」の状態です。

それが発見されたとき「こういうのは竹宮先生のせいなのよ」と言っておけば、わりと通りが良かったんではないかな、と思われる次第です。


2015/05/29

【同人むかしばなし5 ~アニパロ小説の起点。】


1970年代から1982年にかけて、いわゆるコミケで流行した、いわゆる二次創作の下敷きとなったアニメ番組は、いくつか挙げられていますが、いずれもテレビオリジナルです。つまり原作漫画の単行本がよく売れたので、数年後に動画化されたというものではありません。

1970年代の「漫画市場」に、漫画を原作にしていないテレビオリジナルアニメの関連小説が出品されたという話は、いかにも奇妙です。

これは、もともとアニメファンではない人が、アニメファンの好奇心を営利目的で自分本位に利用したものであって、ファンサービスでもなければ、ファン同士の交流でもなかったと主張する声があります。

「私自身が1989年に参加した時には、最初から金目だったから、昔の人もそうだったに違いない」と、言いたければ言っても良いです。ただし、この説には難点があります。


【作家と顧客の不在。】

1975年に全国の漫画同好会が集結したとき、もれなく小説同人とアニメファンを引き連れてきたということはないはずです。

招待状を受け取ったわけでもないのに、勝手に上京した小説同好会のメンバーが、同様に招待されてもいないアニメファンが早くもコスプレ姿で漫画市場を埋め尽くしたのを見て、「私こいつらを利用してかせいじゃおう!」と思うことは、この時点では不可能です。

そもそも、ガリ版刷りした藁半紙を手で折って、ホッチキス留めで100部がやっとという時代に、大きな利益は狙えません。


【極少数派。】

1979年に初放映されたテレビオリジナルアニメ『機動戦士ガンダム』のファンが、一万人ほども集まって監督を勇気づけたことが語り草になるくらいですから、それ以前のアニメファンの規模、集まり具合というのは、推して知るべしです。

1974年に初放映されたテレビオリジナルアニメ『宇宙戦艦ヤマト』は、1975年の秋に再放送されると、全国的ブームを巻き起こしたと伝えられますが、その映画化は、何度も公開されていながら、2001年の宮崎駿『千と千尋の神隠し』を上回る成績を挙げていないわけです。

ありていにいって、アニメファンなんて微々たるものだった時代があったのです。だからこそ、最近の隆盛ぶりが驚きをもって報道されるのです。

そして、コスプレした人々は、その姿を他人に撮影させて「一回いくら」で稼ごうとしたわけではありません。

コスプレする技量のない人は、アニメキャラクターの似顔絵を掲載した「同人誌」を、ガリ版刷りのホッチキス留めで発行したことでしょう。それを最初から何部発行したと思いますか? 箔押し表紙をつけて、三千部ですか?

せいぜい、50部。それが、おずおずと「漫画市場」に出品されたとしたら、なぜでしょうか。なぜアニメファンは、独自に「アニメマーケット」を立ち上げなかったのでしょうか?

漫画市場の真似をして、全国のアニメ同好会に檄文を飛ばそうにも、受け取る人がいなかったからと考えることができます。漫画同好会にそれが可能だったということは、前もって各団体代表の住所氏名が知られていた、つまり既に交流があったということです。

すなわち、1950年代以来の蓄積を誇る漫画同好会(の人脈)に対して、テレビオリジナルSFアニメのファンなんて、本当に東京の大学生の一部における、アングラ中のアングラ趣味でしかなかった時代があったのです。

いっぽうで、漫画市場の主宰者は「明日の漫画を考える批評雑誌」(漫画ではなく文章をまとめたもの)を熱心に発行し、自ら漫画市場へ出品していたそうですから、その横で、アニメファンが「明日のアニメを考える批評雑誌」を出品することは、わりと自然です。

最初の時点で、極少数派であることを自覚していたアニメ派が、なにも「漫画市場をエロい小説で乗っ取ってやるぜ」と考えていたわけではないことは、言えるだろうと思います。


【ループの起点。】

アニメ番組を知らない人が「自分の頭の中にインプットされていないキャラクター名を用いて小説を書いてみよう」と思うことはあり得ません。アニメ番組を知らない人は、小説を読まされても、それを「パロディである」と認識することができません。

「だから、エッチな小説を読めることだけが目的だったので、アニメファンじゃないって言ってるでしょ」というのでは、話が廻っています。

そもそも、おそらくはゲイ雑誌を参考に、同人作品を勝手に「過激」なものにしてしまったのは、1980年代の同人自身です。過激な翻案ものだから、公式発表できないから、公式発表できないような過激な翻案ものの発表場所にする。

無限ループを廻すことに決めてしまったのは、1980年代同人です。でも、アニパロ同人誌といえども、それほど過激でもないという時代があったのです。

だから、もっと前に進化が始まる「起点」があったはずです。誰かが最初に「アニメを小説の素材にすること」を思いついたはずです。


2015/05/29

【同人むかしばなし4 ~愛、先史。】


いわゆる二次創作は、先に女性から始まって、後から男性が真似をしたという説があります。

でも、1976年に竹宮恵子が『風と木の詩』を発表するまで、すべての創作同人が「パロディ」という手法を封印し、じっと隠忍自重していたと考えるほうが不自然です。

明治20年に版権条例が施行されて以来、それが親告罪であり続けているのは、翻案・改変・引用といったことを禁止するのは不可能であり、意義もないことが理解されているからです。

1975年末に「コミケ」という催事が開催される以前には、アニメファンは存在しなかった、なんてこともありません。

もうずっと昔から、おそらく戦前から、小説を読めば小説から、映画を見れば映画から、漫画を読めば漫画から、白黒テレビで見たアニメから、さまざまなパロディが成立していたはずです。

1949年以来、三島もおれば澁澤もおり、足穂がおり、ヴィスコンティの映画があった以上、女性が「少年愛の美学」という主題を得るにも、1976年までのんびり待つ必要はありません。

交通網という意味においても、情報網という意味においても、インフラが整備されていなかった時代には、サークル間取引が成立せず、それぞれに3~5人くらいの「同人」が集まって、小説同好会・映画同好会・漫画同好会などとして活動していたのです。だから「同人誌」というのです。

版権条例というものは明治20年、旧著作権法は明治32年の施行ですから、当時の文芸同人(紅葉や鉄幹)も、プロ作家の作品を無断翻案しちゃいかんくらいのことはわきまえていたでしょう。

でも、たとえばビデオのダビングのように、個人使用の範囲内で複製することは、著作権法もこれを認めています。

個人使用の範囲内でなら、得手勝手な翻案をしても良いと明言した法律はありませんが、上述のようなわけで、翻案・改変によって新作を書くこと自体は、誰も止めようと思っていません。

書いてもいいが、自分のオリジナル作品のような顔をして公式発表することはできない。ひらたく言うと、自分の名前で売ることはできない。

「仲間に批評してもらうために、同人誌上でのみ発表する(会員以外の一般人には公開しない)」

この建前を崩すことはできません。だからこそ、肉筆回覧(大学ノート)や、小部数発行の会報は、パロディのアイディアの良い実験場だったことでしょう。

そこでは、たとえば有名キャラクター(映画俳優)の似顔絵を描いて、正月が近いから和服を着せてみたなどといった他愛ないアイディアから、ミステリ仕立てで後日談を書いてみたなどといった手の込んだものまで、すでに試されていた……かもしれません。

大好きな連載だからこそ、その最終回を自分で考えてみたいというのも、それ自体は悪気ではなく、熱烈なファン心理です。

いわゆる女性向けは、任意の二人の登場人物の人間関係に、ある種の決着をつけてやるもので、最終回を構想することの一種ともいえます。こうして二人は深く結ばれ、その後はずっと仲良く暮らしました。めでたしめでたし。

それが「コミケ」という催事に出品されるようになったから、互いに認識され、情報交換が深まり、面白いアイディアと今いちなアイディアの淘汰が行われ、一定の流派のようなものが形成されたわけです。

だから「すべてはコミケから始まった」という印象も間違いではないですが、必ずプレヒストリーがあるわけです。

コミケ以前には何もなかったと思うのは、紫式部以前には文章を書く人がいなかったというようなものであり、世阿弥以前に舞台へ立つ人はいなかったというようなものです。

個々のアニメファンに確かめてみれば「白黒放映時代の男の子が好きだった」とか「初のカラー放映アニメに出てきた女の子が好きだった」という人がいるわけです。

子どもがぬいぐるみを持ち歩くように、好きな相手と登校も一緒、宿題やるのも一緒、お風呂も一緒、寝るのも一緒と考えること自体は、べつに異常心理でもありません。

自分が宇宙のヒーローになったような気分を味わうのが、番組制作側の意図した鑑賞態度なら、逆に憧れの彼(女)を自分の学校の生徒として考えてみるというのは、面白い逆転劇にちがいありません。

2015/05/29

【同人むかしばなし3 ~漫画と小説の混同。】

1975年末に、SF大会という組織からたもとを分かった主宰者が、全国に散在した漫画同好会に号令したことによって、同人誌即売会またの名をコミックマーケット、直訳すれば「漫画市場」、略して「コミケ」という催事が初開催されたそうです。

数ヵ月後の1976年春に、竹宮恵子の漫画作品『風と木の詩』が、小学館の発行する漫画雑誌『少女コミック』誌上で発表されました。

すると、アマチュア漫画家の集合体である「漫画市場」では、とつぜんテレビアニメを素材利用したアダルト小説が売られるようになった、というのが定説です。

短絡にもほどがあります。


【必要なのは定規です。】

小学館が発行し、輸送トラックへ載せて全国の少女の手元へ送った雑誌『少女コミック』を読んで感動した少女は……

次号の発行を心待ちにしながら、漫画の登場人物の似顔絵を描くことを手始めに、自分も漫画家になる夢をはぐくめばよろしいです。

必要なのは400字詰め原稿用紙ではなく、定規です。

「わたし、竹宮恵子を読んでたいへん感動したので、漫画家になんか絶対なりたくないから、アニメを見て小説を書くわ」ってのは、話がおかしいのです。

なぜ彼女は突然「わたし、テレビを見て小説を書かなくちゃ!」と思わなければならないのでしょうか。また、なぜ突然「わたし、コミケっていう所へ行ってみなくちゃ!」と思わなければならないのでしょうか。

そこは漫画同好会どうしの交流会であって、小説同人が行くところではありません。

もし身内に、漫画家を目指して自主制作にはげんでいるお兄さんがいれば、一緒に上京して「漫画市場」に参加することは自然です。でも、なぜそこで小説が売られているのでしょうか?

なぜ、あなたはアニメを見て小説を書こうと思うことができたのでしょうか?

あなたに小説の書き方を教えたのは誰でしょうか?

先輩の作品の真似をしたのなら、その先輩は誰の真似をしたのでしょうか?

二十四年組の真似をしても、小説は書けません。二十四年組が与えたのは「少年愛の美学」という主題です。それを絵ではなく文章にしてみようという発想は、どこから得られましたか?


【漫画のパロディ漫画。】

1975年、すでに手塚流漫画道の行き先を失って、アダルト専業になっていた同人(セミプロ)がいた可能性はあります。さらに、有名な漫画作品からパロディを発生させていた可能性もあります。

これは、同様に手塚漫画にあこがれて漫画道をこころざした「漫画市場」の参加者へ披露されれば、ひじょうに面白がってもらえたことでしょう。

アイディアとしては、シリアス作品のコメディ化にエロスの要素を加味した艶笑譚というのが、もっとも非日常的なイベント(お祭り)の気分にふさわしいように思われます。

でも、そういう作品は、原作漫画の登場人物の姿かたちをそのまま利用した「似顔絵の派生形」といったものだったはずです。世の中に物まね芸というものがあるように、上手に真似して描けることは一つの才能です。だからこそ、それは漫画でなければなりません。


【アニメと小説の混入。】

一体どこで、竹宮恵子とは縁もゆかりもないテレビオリジナルアニメが混入したのか。なぜ、小説の形態なのか。なぜ、それが「漫画市場」へ出品されたのか。

多くの「同人」が、1980年代に入ってから、すでに先輩が確立した技法を真似しただけなので、「みんな漫画家になりたかった」と弁解しながら、本人が出品していたのは小説だったという人まで出てくる始末です。

漫画が描けるということは、ちょっとイラストが描けることとは違います。

コマ運びとフキダシの配置を含めた構図の勉強をまったくせずに、小説ばかり書いていれば、漫画家としてスカウトしてもらえると思っていましたか?

2015/05/29

【同人むかしばなし2 ~そもそも同人とは。】


世の中には、同人とは「個人誌」と呼ばれる自費出版物を「コミケ」と呼ばれる催事へ出展する人のことだと思い込んでいる人もいます。

「同人誌とはアニパロです」と書いてしまった人もいます。「アニパロはエロに決まっています」と思い込んでいる人もいます。

いずれも、1980年代以降のコミケしか知らない人です。その人自身が、アニパロに分類される個人誌と呼ばれるエロティックな自費出版物をお目当てにしていただけです。

同人とは、もともと同好会の会員のことです。イギリスのロイヤルアカデミーの会員も同人です。日本の能楽師も同門出身の人々は同人と称します。書道会の会員も同人と称します。日本酒同好会だって、隕石同好会だって、同人と称して良いのです。

同好会とは、こころざしを同じくする人々の集まりで、何かしらの経費をまかなうために、少しずつ会費を出し合うものです。会費によって出版される、作品発表や情報交換のための会報が、本来の同人誌です。尾崎紅葉がやっていたのも、与謝野鉄幹がやっていたのも、武者小路実篤がやっていたのも同人誌です。

個人誌という言葉は、それ自体が、もともとは同人誌だったことを示しています。複数の同人でやっていた中から、一人だけスピンアウトしたから「個人誌」です。その個人誌を指して、今なお同人誌という呼び方をするのが、混乱の元です。

コミケ参加者が、その得意とする作風が一般市民から非難を浴びやすいゆえに、みずから「コミケ派でございます」というふうに名乗らず、同人という一般名詞を隠語化して、自分たち専用の肩書きのように使っているのが、そもそもの原因です。アニメキャラクターの私物化と、一般名詞の私物化は、一脈通じているとも言えます。


【芸術の多義性。】

進学を機に上京した若者が、芸術に憧れて、絵を描いたり、詩を書いたり、劇団を結成したりといったことは、本当に昔からありました。

日本では芸術というものが、西洋人とおつきあいするための基礎教養として、学校を通じて与えられたので、政府ご推薦の「高尚」なものだと思われがちですが、あちらでは少なくともルネサンス以来、王侯貴族の嗜好に合わせて、美女や美少年の裸を描いていたものです。

少し前に、「アニメは文化だ」という言い方がありました。が、自然物に対して人間の作ったものは何でも文化なので、これでは何も言っていないに等しいです。本当に言いたいのは「アニメは芸術だ」でしょう。

ただし「芸術」というと、芸術のために脱ぐといったことが連想され、かえっていかがわしく感じられることもあります。これは日本だけのことではありません。もともと芸術という言葉は、多義的なのです。

いずれにしても、「芸」であり、「術」ですから、それ自体は腹の足しにならない創作活動や演技活動に心を集中させ、練習をくり返し、個性を追求することは、芸術といってよろしいのです。


【最後のアングラ。】

いわゆる「コミケ」に集まる人々は、アニメファンだと思われていますが、アニメ映画を自主制作している人々ではありません。その意味では「アニメ同人」ではありません。

同人誌即売会、またの名を「コミックマーケット」、直訳すれば漫画市場である通り、本来は漫画同人の集まりです。つまり、セル画を撮影するのではなく、紙に「コマ」を描く人々です。今ではパソコンで描いて、必要に応じて紙に印刷するんですが、結果的には同じことです。

彼らの作品は、互いに似ているから、個性を追求しているとは言えないでしょうか? 

でも、コミケ参加者全体が一つの大きな同好会の会員となり、リアリティ重視のアカデミズムに対して「大きな眼を描く」という流派の個性を追求しているとも言えます。

小説のほうも、文学賞などの権威筋が今なお自伝的小説に価値を認めることに対して、ひじょうに空想的なファンタジーだの、官能作品だのを書いているわけです。

それはそれで、芸術には違いないのです。


【コミケ派。】

俳句同人でも、写真同人でも、同人誌を持ち寄って即売するかぎり、「同人誌即売会」を称して良いはずですが……

漫画同人を中心とする同人誌即売会、略して「コミケ」として有名になったものは、1975年に初開催されたと言われています。学生運動の余韻が残る時代に、シラケ世代と呼ばれた若者たちが、シラケてばかりいないで、自分たちの最も面白いと思うことをやろうというわけで、漫画同人誌を売る模擬店の集合を立ち上げたのです。

漫画という表現技法自体の根は古く、戦前からコツコツと描き続けていた人もいたでしょう。

でも、いわゆるコミケに集まる人々の好んで描くものは、『のらくろ』や『フクちゃん』や『サザエさん』ふうの漫画ではありません。『フクちゃん』の原作者は「若い人がみんな自分の後について来ていると思っていたら、隣の山に手塚治虫という大将がいた」と述懐していました。

コミケは、もともと「SF大会」という組織から枝分かれしたと言われています。とすると、SF漫画を描く人々の集まりだったのでしょう。SF漫画の開祖は、もちろん手塚です。1950年代から営々として、手塚流のSF漫画を描くアマチュアが存在し、1975年までに一大勢力となっていたのでしょう。

1955年に10歳で手塚漫画の似顔絵を描くことから漫画修行を始めた人は、1975年には30歳。微妙なお年頃です。この時すでに「トキワ荘」組は、赫々たる名声を得ていたわけですが、いっぽうで、すでにアングラ芸術から足を洗えなくなったという人もいたのかもしれません。

すなわち、一般企業に新卒採用されることを自ら拒んで、芸道を歩み続けたものの、新人賞獲得に至らなければ、「しのぎ」のためにアダルト作品を手がけることは充分にあり得ます。それが「コミケ」に出品されれば、それを買う側も、同じ催事の参加者ですから、これは同業者の相互扶助です。

その後輩たちはというと、スポーツのように、企業におけるクラブ活動としての漫画チーム、あるいは地域社会に根づいた小中学生の習い事としての漫画チームというのは、あまり聞きませんから、やはり大学生・高校生の課外活動として行われているものが中心だったでしょう。

いずれにせよ、それは学園祭の続きのような気分でもあれば、「ペンは剣よりも強し」という反骨の気概も持っていたことでしょう。そこで自治の精神が尊重されたのは当然です。

そこで権力の一種であるマスメディアによって放映された番組を茶化すような作品が愛され、政治家が定めた法律とは違う価値観を代表するに至ったというのも、時代精神であるとともに、普遍的な若者精神の表れだったかと思います。


【特殊な漫画同人。】

尾崎紅葉や与謝野鉄幹の時代(以前)から、芸術をこころざす同人が出版界の青田なのは当たり前です。漫画出版界の青田が、漫画同人なのも当たり前です。ただし、漫画同人のすべてが巨眼派ではありませんし、アニパロ派でもありません。

じつは、現代のインターネット上で使用される若者言葉としての「同人」というのは、ごくせまい範囲の漫画同人活動、または小説同人活動を指しているのです。

素材をアニメ番組にしぼりこみ、テーマを特殊な性愛に限って、起承転結を定型化させた作品というものが、初心者にも模倣しやすいものだったので、数的優勢を生じ、本来の漫画同人を凌駕してしまったかのように見えるのですが、理念的な包含関係としては、あくまで「漫画同人⊇アニパロ同人」です。

ところで、先ほどから漫画市場の話をしているのに、ときどき「小説」という単語が出てくるのは、なぜでしょうか?


【漫画を売らない漫画市場。】

いわゆるアニパロは、最初からひじょうに上手いストーリー漫画が存在したというよりは、いわゆる「やおい」がひじょうに稚拙な漫画を描いている横で、小説のほうはすでに完成形に達していたという、アンバランスな発展ぶりが見られたような気がします。その次の段階として、小説の漫画化が試みられ、1985年頃に完成形に達したのです。

「漫画市場」は、1975年に始まった時には、全国の漫画同好会に号令したものでした。

当時の主宰者は、漫画という表現技法のいっそうの発展を願って、みずからプロ漫画作品の批評をものし、盛んに自費出版していたと伝えられます。少なくとも彼の念頭には、アニメも、小説も、なかったはずです。

そこへ、どうしたわけか「アニメを素材とした耽美派ふうの小説」という不思議なものが出品されてきて、一大勢力となったのです。

この事態の奇妙さに気づく人は、多くありません。



2015/05/29

【同人むかしばなし1 ~そもそもオタクとは。】


1980年代初頭、女子小学生は「大人になってもアニメを見る人のことを、オタクっていうんだって」と恐ろしい都市伝説かのように囁き合っていました……(実話)

たしか「アニメ」って言ったと思います。もう「テレビまんが」ではなかったと思います。


【アイドルオタク。】

最近どこかで「アイドルオタクの風体がまずいから、俺までアイドルファンと言っただけで白い目で見られる」というクレームを読みました。

アイドルオタクへ向かって「もっと小奇麗にしろ」と言いたいのか、世間様へ向かって「外見で差別すんな」と言いたいのか判然としませんが、たぶん両方です。

それにつけても「オタクって実在アイドルファンのことじゃなかったよな」と思った次第です。


【大人のアニメファン。】

冷静に考えると、アニメ番組を統括するプロデューサー・監督たちは50代の大人です。彼らは仕上がった作品を「見る」に決まってるんですが、小学生の言ってるのは、そういうことじゃありません。

高校の制服を着た人は「高校生のおにいさん」でしょうから、この場合の大人とは、私服で歩いてる大学生です。


【アニメのターゲット。】

もともと文芸の世界では、フランケンシュタインも怪盗も、大人が大人に読んでもらうつもりで書いたものでした。

いっぽうで、絵本の主人公は子どもか小動物。学童向け漫画の主人公は学童です。

いつの頃からか、子どもを創作物の消費者と見定め、彼らに近しい年齢の人物を主人公に据えてやるという技法が発達したのです。たぶん18世紀頃の「子どもの発見」ということと関わりがあるのでしょう。

ディズニーが世界初の長編アニメ映画を発表したのが1937年。白雪姫は家事が身についたハイティーン女性で、ボーイフレンドを見つけると、そのまま結婚します。

ディズニーは、最初から「花嫁修業の合間にお父様かボーイフレンドに頼んで“活動”へ連れて行ってもらう」という女性をターゲットにしていたのかもしれません。

それは当時の実写映画が成人男性向けの娯楽だったことに対する「すきま産業」という位置取りだったのかもしれません。


【日本のアニメファン。】

日本でテレビ番組としてのアニメ作品が公開されたのが1963年。アニメーションという技術上の試みとしては、もっと早くから存在したようですが、とりあえず商業的成功例に話をしぼります。

当時すでに10歳に達していた人は、漫画(の文字)を読むことができたわけですが、漫画に替わる新しい娯楽として、アニメに注目したでしょう。

1953年生まれの彼らがハイティーンに達する1960年代末から、テレビアニメには脚の長いハイティーンが主人公として登場するようになります。

アニメ番組を制作しているのは大人です。当時の大人が、ハイティーンをアニメの消費者として見定めたのです。

見せられるほうは、案外なほど素直なものです。身近な大人には反発するくせに、テレビを通して娯楽を与えてくれる大人には従順なのです。

学童期からアニメを与えられ続けてきたハイティーンが、アニメとして描かれた改造車レースや、悪漢退治や、宇宙戦争を我がことのように応援したのは当然でしょう。

同時代の大人が、比較的高い料金を支払って、スパイ映画などを見に行っている横で、若者は在宅で無料放映のテレビアニメによって、似たような「美女とアクション」という物語を享受していたわけです。

この「手近ですませる」感じだけは、今もアニメファンから払拭することはできません。


【SFファン。】

「SF御三家」の登場は、1950年代ですから、これをハイティーンとして歓迎した人は、1970年代には40代の大人になっています。

彼らから新興勢力であるアニメ派を見ると「あれのどこがSFだ、今どきの若いもんは」といったところだったでしょうか。


【語源。】

オタクって、他人へ話しかける時に「貴様」とか「お前」とか「あんた」とか「てめェ」とか「この野郎」とかじゃなくて「お宅」っていうことに由来していたはずです。

この言葉遣いは、大人びているとも言えるし、女性的とも言えます。粗暴というよりは、知的で礼儀正しいとも言えます。

もとをただすと、SF小説を読みこなす人々が、仲間同士で集まった時「この野郎、どっから来やがった」ではなくて、「失礼ですが、お宅はどちらから?」なんて言い合っていたんじゃないでしょうか。

もっと元をただすと、純文学をこころざす人々が、そのようであったはずです。

若者が大人びた言葉を使うということは、親がそのようであったか、学問・技芸の先輩がそのようである時でしょう。息子が「お宅はどちらから?」というなら、両親が粗暴な人々であったとは思われません。

おそらく、中流以上の裕福な家庭に育ち、その援助のもとに上京・進学した大学生。また、その師匠であり、同様な出自である英文学者にとって、むしろ普通の言葉遣いだったんじゃないでしょうか。

渡航も難しい時代に、自分で海外へ(英語で)連絡を取って、SF専門誌を取り寄せたり、原作者へファンレターを書いたり、自分で翻訳出版したりといった人々が、日本SFの興隆を支えてきたはずです。


【知的な無頼漢。】

しかもSFというのは、文壇に歓迎されたという分野ではありません。今なお近代文学史の中心に位置づけられ、大学入試に出るので勉強するという分野ではありません。

少し前に東京で『SF展』が開催された時、筒井康隆が「やっと認めてもらえたらしい」という皮肉な祝辞を寄せていたはずです。

1950年頃からプロ活動を開始した手塚のSF漫画は、当時の世人から「くだらない」と言われたそうですが、SF小説ならくだらなくないってこともなかったでしょう。

当時の大人は、本物の戦争を経験してきた人々で、敗戦から20年足らずで五輪招致を成し遂げた偉大な世代です。彼らへ向かって「未来はすばらしい」または「未来は大変なことになる」と言えば?

「今のあんた達はくだらない」および「今の社会は間違っている」という批判の意味を持ちます。

だから、今の社会を「汗水たらして」懸命に支える大人が、逆にSFへ対して「くだらない」と反撃するのは当然です。

「親の苦労も知らない若造が」っていうわけです。

となると、逆にSFをもてはやす人々というのは、確実に知的レベルは高いんですが、アカデミズムと一般社会に対しては斜に構えるというか、知的な無頼漢というか、冷笑的な独身貴族というか、そういう要素を持っていただろうと思います。

そのような先輩を見てきた大学生で、SF小説も読めば手塚漫画も読めばアニメも見るという新世代が、やっぱり同じように「お宅はどちらから?」と言っていたのが起源なんだろうと思います。

それが「美少女アニメに夢中になりすぎて引きこもり」という意味にすり替わってきたのなら……「コミケ」における世代交代を示していたのでしょう。

だから、1981年頃の流行語だったのです。


【他人が貼ったレッテル。】

いわゆるコミケに集まる人々が「オタク党」を旗揚げしたことはないと思います。

彼ら同士の日常会話で「ってか、俺たちオタクはさ~~」なんて言うこともないだろうと思います。

少し前まで「女のオタクを“やおい”と呼ぶ」という一般的理解があったかと思われますが、女性のコミケ参加者が「私達やおいってゆぅのは~~」なんてこともなかっただろうと思います。

彼らはなんというか……それほど、純朴ではありません。

それは、他人が貼ったレッテルです。「あの一箇所に集まって何かやってる連中はなんだ?」

最初から白い眼で見ながら、どこからか「ああいう連中は、いい若いもんがお互いのことを“お宅、お宅”と言っている」「昼間からテレビまんがばかり観ているらしい」「どっかおかしいんじゃない?」

といった具合に噂が広がるわけです。

それは当然、彼らの人数が増えて、人目に立つようになったこと、なかんずくイベント来場者が会場キャパを超えて行列する姿が見かけられるようになってからのことでしょう。

そこには、1960年代後半からの多子時代の出生者の成長という要素が関わっているのだろうと思います。


【二者択一。】

昔の「サブカル論」(の一部であるオタク論・やおい論)というものは、その存在が問題視されるようになったのを受けて、すでに「ああいう連中は一般人とは違う」という区分ができていることを前提に……

「ああいう若者はですね」というふうに解説を始めるので、他との違いを強調するほうへ向かいがちで、よくよく考えると地続きであるということが、あんまり言われないものです。

かつて「究極の選択」というクイズのようなものが流行ったことがありました。

冷戦時代の日本人は、つねに「アメリカか、ソ連か」という究極の二者択一にさらされていたといっても良いでしょう。

違いを強調すること、どっちがマシかと問いかける(自問自答する)ことが流行だったのです。

社会学者が注目しなければならないとしたら、表現技術の多様化の必然として生じた若者の新しい流行ではなく、それにレッテルを貼って差別したがる社会のほうだったのかもしれません。


2015/05/29

【BLとフェミニズム1 ~話の順序が大事なのです。】

成績優秀で、上京・進学させてもらえるほどの女性は、男性におうかがいを立てるまでもなく、自分からいろいろな本を選んで読んでしまう。

また「彼氏にエスコートしてもらわなければ、書店にも映画館にも怖くて行けないわ」などと言っておらず、個人または女同士でどんどん行動してしまう。

だから、いろいろなことをよく知っている。男性が隠しておきたいようなことまで、よく知っている。男性向けの戦争映画に少年愛を暗示する場面が出てきたことまで知っている。

知ったことについて「私は知っている」と主張したり、「面白かったです」と感想を述べたりすることは、表現の自由です。

「男性にとっては不愉快な話題かもしれませんが、私はエロティックに感じました」と言いたければ言っても良いのが本当です。もともとBL趣味とは、そういうことです。

でも、身近な男性、なかんずく父親に理解がなく、「女に学問をさせるとロクなことがない。早く退学して嫁に行け」と言われたので、ほとほと困りました。

どうか男性の皆さんは、お心を穏やかに、女性の学問と表現の自由を認めてください。もともと男性だって、普通選挙も許されていなかったものを、少しずつ権利を拡大してきたんじゃありませんか……

とはいえ、全ての学問する女性が、特殊な性愛の話題を嗜好するわけではありません。ごく一部の人が嗜好するのですが、その多様性を認める心が、広く言えば世界平和につながるのではありませんか?

こういう順序が正解です。

これを本末転倒させて「お父さん・お母さんが分からず屋だったから、私がやおいになったんだぜ(ざまーみろ)」と言えば?

「私だって本当はこんな世界に来たくなかった」という意味になります。

仲間にしてみりゃ「いやなら出てけ」という話です。

また、お父さん・お母さんが手をついて謝ってくれれば、私はやおいをやめてお嫁さんに行きますって意味になります。

すると、「全てのBL女子、なかんずく二次創作者は、一度ご実家へ帰って、ご両親とよく話し合いなさい。コミケ女性の部は永久閉鎖してもよろしいですね?」

ってことになってしまいます。

男性の口から「くだらない本を書いてないで、化粧を覚えて嫁に行け」と言われれば、「差別よ!」と言い返すことができます。

でも女性の口から「こんなことになったのは私のせいじゃない」と言い出すと、えらく厄介な話になるのです。

これは、やっぱり昔の女性(の一部)の社会的経験値が低かったせいだろうと思います。

社会へ向かって発言することに慣れていなかったから、自分の発言がどこまで転がっていくか、予想がつかなかったのです。

家庭内で「お兄ちゃんばっかりズルイ」というのと同じレベルで、学会(またはメディア)で発言していた時代が、あったのでしょう。



2015/05/28

【アダルトチルドレンはループします。】


「私がアダルトチルドレンみたいなブログを書くのは、もともと私がアダルトチルドレンだから当たり前ですよね! だから私がアダルトチルドレンみたいなブログ(以下くりかえし)」

うかつに専門家の使う学説のようなものを取り入れると、こういう状態を生みます。

人間は「まねぶ」生き物であり、アダルトチルドレンとは何か? という書籍を読んで勉強すればするほど、そのように振舞うという下降スパイラルを描くことは充分あり得ます。

トラウマ、うつ病、自閉傾向に関する自主研究なども同じ結果を生む可能性があります。

(そもそもトラウマなんて言葉は、今どき専門家は使わないと思います。)

身近なところでは血液型占いが危険で、あれは「生まれつき決まっている」という前提ですから、よりいっそう自己暗示にかかりやすく、自分に限界を設定してしまうことになりがちです。

もっとも、逆に考えれば、限界を設けることで「あれもこれも」という頑張りすぎを防いでいるとも言えます。

とすれば「私はどーしよーもないアダルトチルドレンである」と考えることで、「立派な大人になろう」と頑張りすぎることから自らを救っているのかもしれません。

そう思えば、まだまだ本人が、本人の気づかないところで自分を信じています。



2015/05/28

【トラウマは他人を傷つける口実ではないです。】


フロイトは「同じ動作をくりかえす」ことによって、当時では狂人と見なされ、精神病院の片隅で拘束衣を着せられて一生を終わるはずだった人々を「原因のはっきりした病気だから、治すことができるはずだ」と見抜くことによって、救ったのです。

会話を通じて患者の過去へ立ち戻り、一つ一つ証拠を拾い集めることによって、何が起きたのか推理したのです。

同じ時代にミステリという創作物の流行が始まったのも偶然ではなく、たったひとつの真実を見抜くのは冤罪を防ぐためです。

言葉の魔力を神ひとりのものとしておかず、人間が使いこなすことによって、人間自身を救う。そういう人間精神の独立宣言だったはずです。

重要なのは、同じ動作をくりかえす人々自身がそれを「つらい」と感じ、治したいと願ったことです。

当時は一般に「性」を話題にすることが、強く自粛されました。また「親が恥ずかしいことをしていた」「親が悪い人だった」と告発することは、現代人にもためらわれることです。

だから言いたいことがあっても言えない。逆に言えば、本当は誰かに話を聞いてほしい。ひらたく言うと、ともだち欲しい。

そういう心の寂しさの訴えが、くりかえし動作となって表れることを、フロイトという名探偵が見抜いたわけです。

この知識が本末転倒すると「お母さんがトラウマになっているから、私が他人を傷つけるのも当たり前である」という、暴力の口実になります。

フロイトの目的は「治す」ことです。

学説を利用されることではありません。

自分の心に問題があって、周囲に迷惑をかけていることを自覚しているなら、受診しましょう。

フロイトの時代には、脳を落ち着かせる薬剤が存在しませんでしたから、言葉という魔力(の一種)を駆使したのです。

が、薬があれば、彼だって処方したでしょう。

本当に直すべきは、薬をもらいに行く精神科の患者を差別する社会のほうです。

今では「薬そのものは対症療法であって、根本的には話し合うことだ」という正しい知識が広まって、グループ発表会なども行われるようになりました。

ディズニー映画『シュガーラッシュ』冒頭でもやってましたね。



2015/05/28

【同人が先祖を否定する心。】


念のため、同人の「一部」と、先に申し添えます。

いわゆる即売会も、今年で40周年です。夏冬2回で年間100万人超の人出を誇る大イベントです。昔はそれほどでもなかったにしても、40年分となれば、関係者は数千万人に及ぶでしょう。その全員が、同じ人間性であろうはずがありません。

さて……

世の中には、漫画全体の歴史と、自分史を混同してしまう人もいます。

「1970年代の女流漫画には、明治時代の文芸の素養が認められる」

っていうと、「私は漫画しか読んだことないしーー」っていう人がいるわけです。

また「漫画が文学だって言われると腹立つ」っていう人がいるわけです。

おそらく「漫画ばかり読んでないで、本を読みなさい」と言われてきたのでしょう。いわゆる「トラウマ」が目覚めちゃったわけです。

実家の保護者、または地元の学校教員が抱いていた昔ながらの「漫画はくだらない・文芸はすばらしい」という浅薄な二項対立を、いまだに本人が引きずっているわけです。

実際には「漫画が発生する何百年も前から文芸が存在した。漫画家は文芸から様々な要素を吸収することによって、新作漫画を構想した」という歴史の話をしているだけです。

最初の飛行機は木でできていた。設計者は鳥類の骨格を研究したという話と同じですね?

これを否定して「私はジャンボジェット機しか見たことないしーー」という人は、モノには歴史があるということを否定する人です。

当然、人にも歴史があるということを認めたくない人です。

つまり、親を否定する心です。

パロディ同人というのは、物まね芸人と同じで、告訴されずに済んでいるのは本物さんのご厚意によるというのは本当です。

でも「編集部がついてるから大丈夫」って言います。原作者なんか怖くない、というわけです。何を意味するのか。

親の金で上京させてもらい、大学へ通っていながら「お父さんなんか怖くない」というのと同じです。

そのくせ、母親からの仕送りで食いつないでいたりするわけです。

歴史の話をしているのに、自分のことしか頭になく、「うちの親はーー!」という話にもって行きたがる人は、じつは心が実家から一歩も出ていません。

恨み言をくり返しながら、本当はカオナシのように「寂しい、寂しい」と言っているのです。

2015/05/28

【BLにおける著作権と主題の混同。】


著作権上の不透明性による過剰防衛意識と、主題の特殊性による過剰防衛意識は混同されやすく……

包括貿易法案を意識した「なぜ二次創作なのか」という話なのに、「女がエロを書いて何が悪いんですか!? うちの女子校はみんなやおいでしたよ!」

と叫んでしまう人もあります。

一緒にしないでほしいと思っている同級生が大勢いることだろうと思います。まずは落ち着きましょう。

著作権的に不透明であることと、非当事者による創作物であることと、ポルノグラフィであることは、すべて別の案件です。

非当事者は創作してはいけない、というのは、おそらく全ての創作者にとって、最もナンセンスなクレームであるはずです。

また「わいせつ」を法律で裁くことも、つねに論争となります。

以上の二点については、プロ創作界も、出版界も、法曹界も「個人的にBLなんて読みたかァないが、表現の自由という観点から弁護する」と言うはずです。

が、二次創作であることを裁く法律は、実在します。

ここを区別できないと、「女流が性的創作物で身を立てる自由」と、「権利的に不透明な品物で利益を得たことを公言する自由」では全く意味が違うことを理解できないのです。



2015/05/28

【二次創作は金目と言えない訳。】


敗戦国がエコノミックアニマルと呼ばれて勇気を取り戻したので、日本人には「売れる」といえば許されると思う傾向があります。

とくに「同人」というのは若い人の文化なので、大人社会の戯画という要素があります。

つまり「売れる」といえば、大人が恐れ入ってくれると思う人もあります。

が、著作権という言葉が今ほど国民に意識された時代はありません。

ピカソの絵が、次の競売に何百億円スタートで出品されても構いません。盗品ではなく落札し、対価を支払い、次の競売に付すための正しい手続きを経た以上は、正しい商取引です。

でも、著作権者の許諾を得ていない翻案または複製について、誰も「売っても良い」とは言ってやれないのです。

少なくとも「著作権者の許諾を得ていない翻案または複製に該当するかもしれない」という不安がある以上、誰も「いいから売っちゃいなよ」とは言ってやれないのです。

「金のためなら不正なものでも平気で売る」という話を一般国民が聞いたら、どう思うでしょうか。

「そういう連中は、漫画の陰で何を売っているか分からない」という危惧を発生させるでしょう。

最近の「即売会」に報道カメラが入り、画像が公開されるようになったのは何故でしょうか?

監視の必要があると思われ始めたからです。


【自尊心の違い。】

みずからが漫画道へ進まず、現実の問題へ「汗水たらして」懸命に取り組んでいるという自負をもつ人々にとって、創作物とは下らないものであり、その制作・鑑賞は、現実で挫折した人間ががまんして薄い酒を飲んでいるようなものです。

だから「そのうち物足りなくなって、現実の存在に手を出すにちがいない」と考えます。

とくに「自分の子どもを育てるために真面目に働く」ことを感動的な自尊イメージとする人々は「自分の子どもを育てていない連中は真面目ではない」という逆転を発生させやすいのです。

いつの時代にも、若者バッシングの基本には、これがあります。

「親の心が分からない、一人で大きくなったような顔をした連中が、遊び半分な気持ちで悪事に手を染める」

というわけです。


【同人の同級生。】

同人作品の多くが18禁を名乗るようになる以前の同人は、本当に未成年者だったので、同世代のヤンチャと足並みそろえて世間の無理解と闘っているような気分になることができました。

いまや、ヤマト世代も還暦です。1974年の初放映時に19歳の大学生だった人が、今年で60歳です。早い人なら孫がいます。

ガンダム世代は子育て真っ最中。子どもの何割かは、大学進学・上京し、親は「都会で大丈夫かしら。悪い仲間に誘われないかしら?」と心配しています。

自分自身の学業成績が悪く、進学・上京できなかったヤンチャというのは、かつては漫画に出てくる不良に憧れていたわけですが、本屋さんもゲーセンもつぶれた後はなにをしているかというと、地元で親の自動車修理工場や料理屋を継いで、嫁さんもらって、PTA会長になっていたりするのです。


【創作同人の自尊心。】

創作同人は、もともと読み書きが得意な人々です。

スポーツよりも、喧嘩よりも、ディスコダンスよりも、他人より上手に書ける/描ける自信があるから、腕試しに創作イベントへ参加するのです。

そこが彼らにとっての試合であり、全国大会です。

二次創作というものも、ゼロックスコピーではなく、ともかく「創作」であって、二次創作者自身のアイディアに基づき、二次創作者自身の手で、一生懸命に書いた/描いたものです。

まさか「金さえもらえばこっちのものだから、私の書いた二次創作なんて、読まずに捨ててくれればいいよ」という同人もありますまい。

「面白かった。買って良かった。続きが楽しみです」という感想をもらえば、自分も「生きてて良かった」ぐらいな気分になったはずです。

作品の対価を得るということは、作品が評価を得たということであり、基本的にはそれが純粋に嬉しいのです。

そして、創作物の対価を得る以外のことをするつもりがないことは、暗黙の約束をするまでもなく、自明のことに感じられています。

が、自分にとって読んだり書いたりすることが、あまりにもナチュラルなので、世の中には「書こうとも思わない」人のほうが多いことを忘れがちです。

だから、先に「創作活動が生きがいです。この道で身を立てることが誇りです」と前置きすることを忘れがちです。

いきなり「売ってはいけないものを売って何がいけないんですか!?」と訳の分からないことを叫んでしまいがちです。


【もう、みんなで渡れません。】

いまの若い人は、クレバーです。「ともだち少ない」が口癖です。

それは、仲間に累を及ぼさないためであると同時に「あまりいじめないで下さい」という意味でもあります。

分母である出生数が本当に少ない彼らは、実際に友達が少なく、世代としても社会の少数派であることをわきまえています。

対して「みんなやってたんですよ! みんな言ってましたよ!」

と叫んでしまうのは、中年です。

1980年代は、子供の多い時代でした。流行語は「みんなで渡れば怖くない」でした。

もう通用しません。

「みんな」と言われて、「そんな奴が大勢いるのか」と思った一般人は、彼ら同士で団結します。そして、若者文化の規制へ向かって踏み出します。

この「彼ら」とは、「じじ・ばば」のことではありません。今や中年に達した、同人自身の同級生です。


【味方はいません。】

急激なダンス規制は「何月何日にどこで何が発見されたから」というものではありませんでした。

クラブ周辺住民の「なんとなく不安」という声をもとに、警察が古い風営法をひっぱり出してきたものです。

ダンスには坂本龍一というビッグネームがついて、署名活動の中心となってくれました。超党派により、風営法の緩和もなされました。

が、著作権法を緩和しようと言ってくれる作家・学者はいません。彼ら自身が著作物で食っているからです。


2015/05/27

【ヤマトの不運、進撃の中年。】


先日、ジグソーパズルを買いに行ったら『ヤマトガールズ』という絵柄を発見しました。「ヤマトのエヴァ化に何の意味があったのか」としみじみした次第です。

いわゆる同人活動の出発点になったと伝えられる作品が、そのセンスでリメイクされて総決算の観を呈したのは、感慨深いとは言えるのかもしれません。


【若者の誇り。】

満を持して再発進したかに見えた宇宙戦艦の不運は、巨人の進撃と重なったことでした。

比べてしまうと、ヤマトが1970年代精神の産物であることが一目瞭然です。

「オイルショックと公害で、もうどうにもならないようだが、外国まで勉強に行って、最先端技術を持ち帰れば、まだ何とかなる。そのために立ち上がるべきは、優秀な大学生である」

実際に、その後、低燃費自動車と半導体の時代が来て、なんとかなったのです。ヤマト乗組は、寄せ集めの子供たちではなく、優秀な士官学校卒業生でした。

真っ赤なスカーフを振ってくれたのは、一緒に出航した森雪ではありません。郷里に残してきた彼女です。あるいは、妹です。

首都にある最高学府へ進学する若者の全員が、東京生まれの東京育ちではありません。多くが地方の高校で優秀な成績を上げ、地元の期待を背負って、別れじゃないと心で叫びながら上京した人々です。

九州沖の泥に埋もれ、汚れた機体を傾けながら、小さな翼で飛び立ったヤマトは、彼らの誇りでした。


【若者の不安。】

時移って、押し寄せる巨人が象徴したものは、若い世代の「僕らの未来は大量の中年に食いつぶされてしまう」という恐怖でした。

1970年代の時代劇やアニメに登場した悪役は、白髪の老人だったものですが、『進撃の巨人』(諌山創)序盤に登場した普通サイズの巨人は、まだ髪が黒く、腹の出た中年体型でした。

まさに快進撃の勢いで人気が爆発したあの年は、第二次ベビーブーマーが全員40歳に達した年だったはずです。

目を皿のようにして、美少年・美少女を見つけては食っちまう中年は、端的には「オタク」の象徴でしょう。

壁が突破されるという恐怖は、「言葉の壁」を越えてクレームをつけてくる海外PTAや、包括貿易法案や、打ち続いた天災の象徴といっても良いでしょう。

もう、同人も、その作品のファンも、それに反感を持つ若者も、ひとしなみに「中年と世界が壁を越えてくる。逃げ場はない」という恐怖と無縁ではいられないのです。

時代精神の鏡という点で、ヤマトは決定的に外したのでした。


【その後の巨人。】

大型巨人は、髪や皮膚がないので、その色が問題とならず、年齢も人種も包含した、より大きな「世界」の象徴ですが、均整の取れた肉体を持っており、見た目にわりとカッコいいのと、言葉が通じることによって、恐怖が美化されたと言えるので、こっからは純粋なエンタメということになって、体感型アトラクションに納まってしまうのでした。

ホラーというのは怖がってる最中が楽しいので、どっちが全滅して「めでたしめでたし」となっても変な後味ですし、「我々に必要なのは(中年と)愛し合うことだった」ってのは御免こうむりたいと思う若者が多いはずですから、終わり方が難しい物語だと思います。



2015/05/27

【二十五年後のコミケ。】


高齢者の総人口に占める割合が過去最高だそうです。

それでもまだ四分の一くらいです。

いまの四十代が六十五歳以上に達する頃には、過半数を占めることになるでしょう。

去年生まれた赤ちゃんの人数は、これから発表されますが、百万人を割っている可能性もあります。

満期算には新暦で約九ヶ月を要します。すでに五月も終わろうとしていますから、今年生まれる赤ちゃんの人数は、昨年来発行された母子手帳の冊数と、ほぼ同じです。

報告を受けている政府・自治体は慄然としていることでしょう。彼らの危機感は並大抵ではありません。

コミケが急成長した1980年代は、若者の人数が多かったのです。「自分でなくても誰かが」と思うことができたのです。

当時フェミニズムを標榜した大人たちも「この若い子たちの中で誰かが」と思うことができたのです。

これからの人は、キャラクターを借り物で済ませることはできても、それを読んでくれる顧客そのものを、自分で生み出さねばなりません。

そうでないなら、外国語の勉強を始めましょう。

フランス人は独立します。日本人顧客が激減した後を埋めてくれるのは、至近にあるロシア、韓国、中国、東南アジア方面からのお客様です。

同人というのは最先端の国際センスを持った人々として見直される可能性もあります。

もっとも、出展するほうの留学生も増えるかもしれません。日本人出展者は万国博覧会の1ブースに過ぎないみたいなことになるかもしれません。

いちばん気をつけなければならないのは、開催地を海の向こうへ持っていかれることでしょう。政府・自治体との協力が必要です。



2015/05/27

【フランス人アニメファンは独立します。】


『美少女戦士セーラームーン』といえば、フランスでも大人気だそうですが……

日本人は、ドヌーヴなどの映画女優のせいで勘違いしていますが、ふつうのフランス人はブルネットです。彼らも金髪には憧れているのです。

で、ジャポニズムというのは、ポスト印象派が浮世絵を完全に消化したことに意味があるのです。

フランスは、もともと風刺漫画が盛んな国です。高校生がまともな政治活動を行って、国会へ乗り込むお国柄です。いつまでも日本の後追いに甘んじてはおりません。

ご当地の社会状況を風刺するアニメ番組を上手に作るようになれば、意味不明な日本製アニメをもてはやす視聴者は、相対的に減少します。

彼らは日本人ほど勤勉ではないかもしれませんが、ヴェトナム人の協力を得ることができるはずです。

カトリック教国のくせに、その首都は世界最高のゲイリブ意識を誇っております。「男同士はきもちわるい」などとは申しません。

芸術の自由の名のもとに、修正もありません。フェアユース精神も根付いております。

フランス製アニメによるフランス製二次創作が絶好調という時代が必ず来ます。

経験的に、二十年くらい前に「この勢いはもう止められないだろうな」と思ったことは、だいたいその通りになるもんです。

1983年に「キャプ○やおい」というものが流行った時、もう止められないと思った人は大勢いたと思います。その後の日本の漫画界は、今に至るまで、その影響力を脱しておりません。やんぬるかな。

日本の多くの同人が、フランス語をできませんから、自分で売り込みに行き、人脈を広げているというよりは、あちらのプロモーターによって取捨選択がなされ、すでにあちら好みの「OTAKU文化」というものが成立しつつあるはずです。

セーラーVちゃんを始め、日本製品は、興隆する現地製品に対して「極東のディズニー」のような価値を保ち続けることができるか?

なお、アニメミュージカルを欧米へ持って行ってはいけません。オペラもミュージカルもダンスもロックも、あちらが本場です。

現地キャストという話が出れば、本物の青い眼を持った美少年・美少女がオーディションに現れます。その歌唱力は、日本の若者の比ではありません。

日本人ファンが(動画サイトを通じて)向こうに持っていかれて終わりです。



2015/05/27

【BLアジール説の矛盾と会田誠展。】


もし、BLであることを弁護するつもりで、「じつは元々わたしのほうが社会の被害者で」と言い訳すれば、どうなるでしょうか。

すでに自分が意趣返しとしての悪事を働いたことを認めたことになります。

すなわち、BLは「悪いこと」であると認めたことになります。

また、被害がなくなればBLもなくなるはずである、という逆転の予想が立ってしまいます。

「BLは男性中心社会の横暴が生んだ女心の病変です。親愛なる男性の皆さん。今日からジェントルマンに変身し、金曜日にはワインを買って、家事と育児を手伝い、やおい少女の再生産を阻止しましょう」

ってな意味になります。女性に対しては「早くいい人みつけましょう」と言っていることになります。


【会田展の教訓。】

今から数年前に、会田誠の展覧会が物議をかもした時も、似たような主張がなされました。

女性のイメージ搾取被害と児童への配慮を混同したクレーム文書自体も、はなはだ無様なものではありましたが、それに対して美術館側が最初のうちは「表現の自由」で突っぱねていたところ、次に出された声明は、残念至極なものでした。

少年漫画における性的描写の氾濫に警鐘を鳴らすつもりで展覧会を企図したといえば……

「あんな少年漫画がなければ、こんな展覧会もなかった」

すなわち、こんな展覧会は、あるべきではなかったと認めたことになります。

これに関して、会田自身があわてて「漫画には迷惑をかけたくない」と弁解しましたが、そもそも漫画がどうこう言ったのは彼ではありません。

芸術家自身の「世間に何と言われようが、俺は美少女を描いて発表したい」という表現意欲が、美術館によって否定されたのです。

弁護を買って出たつもりで、クレームの勢いが強く、「表現の自由」では押し通せないと思うと、本末転倒したことを言い出して、創作家の首をしめる人がいるのです。

もしかしたら、創作物そのものは、どうなってもいいと思っているのかもしれません。社会学者の研究材料も、美術館の展示物も、他があるからです。

2015/05/27

【会田誠展クレームにおける混同。】


すでに懐かしいような話題ですが……

「子どもに見せなければ何を描いてもいいですけど」というのと、「女性差別を助長しないように、男性の自由な創作を制限または禁止しろ」というのでは、話が違います。

ごちゃ混ぜに書くから「18歳未満閲覧禁止というゾーニングを施したのに、まだクレームがつくのは何でやねん」ということになるわけです。

あえてクレーム側へ戦略をご提案すれば、案件ごとに別の人物を立てるのがよろしいです。

まず「私は女性なので、こんな絵は見たくありません」と言えば、「いやなら見るな」で話が済みます。これに対して……

「検索の際にうっかり見ないで済むように、インターネットプロバイダが配慮してください」と言い返すことができるので、対応すべきは誰なのか、話がはっきりします。

あるいは「閲覧した男性の中で、実際に凶悪事件を起こす人がいたらどうするんですか」と問いかければ、創作者全体・警察・法曹・政府・自治体・教育・精神医療・報道などの専門家を含めた大論争の火蓋を切って落とすことができます。

また「萌えるとか感じるとか思う男性がいると思うだけで許せないです」と言えば、創作者全体(以下同文)です。

いっぽうで「子どもを連れて常設展を見に行ったら、特別展の一部がはみ出してるじゃないですか。子どもに変なもの見せないでください」と言えば……

宣伝目的でゾーニングの境界を甘くした美術館の手落ちです。

もっとも、六本木にあって、常日頃から前衛的な作品を展示する美術館というのは、昼ひなかにお弁当もって子連れで行くべきところとは言えません。

本当は、芸術というのは、成人に鑑賞してもらうことを意図しているものです。

川端康成の作品に「踊り子の夜が汚される」という文章がありますが、わずか十四歳の少女が具体的に何をされることか、子どもに分かるように詳しく述べなさいと言われたら、困る保護者のほうが多いでしょう。

子どもを連れて行くに相応しい大人のための施設というのも、本当はごく限られているものです。

どこにでも子どもをともなう日本人こそ、子どもへの配慮が足りません。

子どもに美術の勉強をさせたいなら、公立図書館で絵本を読んでやるか、絵本作家専門の美術館を訪ねるか、ドイツ製の木のおもちゃの店にでも行くのがよろしいです。おとなの心もなごみます。



2015/05/26

【こだわり女子論は無用です。】


一般に、タイプ別分析ごっこは危険です。読んだ人の自己暗示を生むからです。

人間は「まねぶ」生き物であり、「○○とは、こういう人々である」という類型が与えられると、それに従って振舞おうとします。

「ボーイズラブを読む女性は、子どもである」という定義を与えられると、それに従って、子どもらしく振舞おうとします。

実際には成人向け創作物を消費しているにもかかわらず。

少し前に「女性キャラクターに感情移入できない女性がBLを読む」と定義した“こだわり女子論”なるものが発表されましたが、これもおそらく「私は女性キャラクターに感情移入できない女性なんだ。一生そのように生きる他ないんだ」という思い込みを生みます。

1970年代の少女漫画誌には、少女を主人公にしたものと、美少年を主人公にしたものと、両方載ってました。

娯楽の少ない時代に、せっかく400円も出して雑誌を買ったのに、半分しか読まないってこともなさそうなものです。

「美人はBLを読まない説」が提出されたこともありますが、美人は創作物の多様性に頭脳がついていかないってこともありますまい。

1970年代には称賛された女流における創作の多様性が、1989年の「1.57ショック」を境に、不良少女による病的表現として再定義されたというのが、1990年代の「やおい論」の実態です。

女性が結婚を拒否する自由と、創作物の選択の自由が牽強付会され、結婚したくない「おとな子ども」の女性はBLを読むが、早く結婚したい「おとな志向」の女性は少女漫画(またはレディースコミック)を読むという、二項対立に落とされていったものです。

こういった浅薄な二項対立は、人間の可能性・多様性を頭から否定しており、配慮が足りません。

この少子時代に、若い人が自分に限界を設けてしまうなら、社会的損失です。




2015/05/26

【少女の早熟さを強調したい大人の女性。】


人間は「まねぶ」生き物です。子どもが大人に憧れるのは当たり前です。

小さな男児だって、大人の運動選手に憧れるから、野球やサッカーを始めるわけです。

でも小さな野球選手を見て「男の子は早熟ね。うふふ」っていう大人はいません。

でも小さな女児が大人の女性に憧れると「女の子は早熟ね。うふふ」って言いたがります。

少女とは性的に早熟で危険な存在であるというイメージを広めたがる大人の女性がいるのです。

腹の底では「色気づきやがって」と言っているわけです。

武内直子『美少女戦士セーラームーン』の主人公たちが中学生にしては大人びた体型をしているのは、描いている人が二十代の女性だったからです。

彼女自身が幼女趣味でない限り「大人の女性のほうがイケてるわ」と思うのは、自尊感情として当然なのです。

幼女・少女がこれに憧れるなら、男児が戦士の筋肉に憧れるのと同じで、「立派な大人になりたい」と言っているのです。




2015/05/26

【裏目に出たトランスゲイ説。】


榊原が「やおいトランスゲイ説」を発表したのは、「やおい少女」に関する詮索も終盤、1998年です。

それまでに「奇妙な創作物を消費する少女は、母親との人間関係による“トラウマ”を抱えている」という説が流布されていました。

もし摂食障害から逃れるためにBLという嗜好品の大量購入を必要とするのであれば、これは依存症を意味します。

必要なのは、さらなる嗜好品の大量消費ではなく、それが異常行動であることの自覚であり、受診であり、カウンセラー立会いにおける母親との話し合いです。

つまり、ボーイズラブという創作分野そのものが、存在すべきではなかったものとして否定されたことになります。

1960年代以来、その分野で創作物を発表してきた女流たちは、男性中心社会の横暴に心が折れ、まちがったことをしてしまった哀れな女性たちであり、これもすみやかな矯正と、結婚の斡旋が必要であるということになります。

このような詮索・干渉をふせぐには「傷ついた女性ではなく、もともと男性であって、その性的根源から発した自己表現である」と定義するのが良策となります。

が、今度は(社会が良心的であればあるほど)性適合手術に向けた受診をおすすめされる、ということになるはずです。

また、1980年代以来「女性と我々を混同するな」と主張してきたゲイコミュニティから、いっそう激しいクレームが起こることが予想されます。


【乙女の主張。】

じつは、ボーイズラブを嗜む女性がみずからを指して用いた呼称として、唯一揉め事を起こさなかった、すなわち当事者自身が歓迎したのが「おとめ」だったろうと思います。

これは寺山修司が竹宮作品を一読して「少女の内面を表現している」と言っちまった以上、いたし方ありません。

本当は、少女漫画というのは成人女性が描いているものであり、その自己表現です。

日本では勤労する成人女性をさして「うちの会社の女の子」と言ってしまう習慣があります。

おそらく当時の中年男性から見て、二十代後半の独身女性漫画家も「こむすめ」というふうに感じられたのでしょう。

でも、ふつうの少女漫画だって成人女性が少女に読ませるつもりで描いていることは同じなので、こちらだって少女の内面を表現していることになるはずです。

なのに美少年趣味だけを取り上げて、わざわざ「少女の内面」といったので、お墨つきを与えてしまった格好です。

うっかり分析っぽいことを言うものではありません。

有名なおじさんのお墨つきを得て、安心して購読を楽しんでいた乙女たちが「傷み」を発してしまったのは、「くさっても(男ではなく)乙女です」という必要が生じたからです。




2015/05/26

【男同士はポルノに限らないです。】


世の中には、わざわざGLBT人権集会へ出席しておいて「ゲイってポルノのことしか考えてないんですか?」って質問する女性もいるそうです。

その人自身が、人権集会へ出席するにあたって、解放運動の歴史や、その弾圧の恐るべき歴史について一冊も読まずに、ポルノ雑誌ばかり眺めてきただけですね?

そもそも彼らが人権集会を開いている時点で、ポルノ以外のことも考えていることは明白です。

自分が何を言っているか分かっていないにも、ほどがあります。




2015/05/26

【独身女性がゲイに慰めてもらうことはできないです。】


日本のゲイコミュニティには何十年もの歴史があります。あるところにはあるのです。

彼らは何十年も前から正式に結婚したがっています。

いわゆるカミングアウト済みで、ある程度の年齢に達したゲイには、ステディがいると思えば良いです。

ゲイタウンへ来ているのも、男女のフルムーン夫婦と同じように、「たまには外食しよう」ということで、パートナーと差し向かいでお酒を楽しんでいることでしょう。

そこへ女性が首をつっこんで「どうして私には恋人ができないんですか!? 無料で人生相談に乗ってください!」と騒いでも、「自分の相手は自分で見つけろ」ということでしかないはずです。

風も薫る季節ですが、男女のフルムーンカップルが観光地を散歩しているところへ、つかつかと歩み寄って「どうして私には恋人ができないんですか!?」という女性がいたら、どうですか?

また「どんなプレイが好きですか!? いやらしい話を聞かせてください!」と頼む人がいたら?

変な人ですよね? 怖いですよね? 警察沙汰ですよね?

なぜ、男女カップルには言わないことを、ゲイには言ってしまうのか? 彼らを差別しているからです。

「女に負けてホモになった弱い男どもだから、女の都合で利用してやれば良い」と思っているからです。

また、彼らを「いやらしい目的で夜遊びに来ている独身だから、自分の仲間だ」と思っているからです。

でも、実際には「ぼっち」なのは彼女だけかもしれません。

「話相手のほしいストレートさんは、ストレートの店へ行ってください」と言われるのは当たり前です。

とくに、ゲイは何十年も前から「やおい」を嫌っています。

「私は、二次創作BLを読んだことがあるから、男同士の性には詳しいんだ~~。あなた達も漫画に描いてあるようないやらしいことをするんでしょ!?」

という自慢・質問は、ご自分の両親を始めとする男女カップルへ向かって、アダルトビデオ自慢と、性に関する質問をしているのと同じです。

「いや、男女カップルとゲイカップルではレベルが違うから、ゲイカップルには何を質問してもよい」と考えるなら、くりかえしますが、それが差別です。

なお「やおい」または「腐女子」というのは、もともと、いわゆる同人誌即売会において、いわゆる二次創作BLを取引する女性が使う業界用語です。

これを「新宿二丁目を困らせる女性客全般」の意味で使用すると、本物のやおい嬢、または腐女子嬢が慌てます。

なぜかというと、現実の人権侵害と混同されることにより、創作活動を禁止されると、彼女たちとしては非常に残念だからです。

「描かなければいいじゃないか」という考え方もありますが、これは創作表現の自由という問題で、たとえ裁判所へ持ち込んでも、裁判官も別の案件としてあつかうことになると思います。