2016/03/29

見もせぬ人や花の友、見もせぬ人や花の友。

雲を集める不二の山の麓の春は光に満ちて、高い梢にこぶしと桃が、低い地際には水仙が咲いております。この国は人心を和らげる美を備えております。

災害も多いですけれども、海があるから悪い、山があるから悪いという人もあまりおりません。

日々を生きる人心は偏狭で、恨みがましく、詮索好きです。噂を立てられることは義経でさえ恐れました。が、花が咲けば、見もせぬ人(今まで会ったことのない人)も友となるのです。

花も咲かない砂漠で厳しい暮らしをする人々に比べれば、やはり大きく恵まれているという他ありません。幸せは誇るものではなく、自虐することもありませんけれども、平和の花を分けてさしあげるという思いを国是としたいものです。

【美の咲く国】

梅は花の兄と呼ばれ、桃は仙郷の彩りとされ、梨は美人に例えられ、古来より大陸ではさまざまなバラ科の花を満遍なく詠ってきましたけれども、日本人は、まだ冬のくすんだ色合いを残す山の緑のなかに、ひときわ高く白や薄紅の花の咲くのを見て、美の観念を知ったのでしょう。

「美」って、羊が大きいと書くので、美味しいこと、それによって人間が生きていけることの価値に通じているのです。

いっぽうで、花は穀物の実りの瑞兆であり、未来の希望です。集落の守り神です。

平地の少ないこの国は、武士の国でもありましたけれども、やっぱり、あまり騎馬民族の国というふうではない。植物の恵みを待ち望み、はぐくみ育てる国です。

山桜崇拝と祖霊崇拝の結びつきは、単純に「いちばん美しいものをいちばん懐かしい人に捧げる」ということでも良いのでしょうけれども、たんに回想であるばかりというよりは、やっぱり自分自身の、子どもたちの、未来の平穏を願う心に通じているでしょう。

【サブカルの未来】

同人誌即売会が安全に開催できるのも、国防を担当してくださる方々があるからです。万が一の災害・事故に際して、救助に来てくださる方々があるからです。

彼らをはぐくみ育て、こころよく送り出してくださったご家族があるからです。

行列が乱れることなく、会場内で器物損壊行為が横行するということではないのは、義務教育水準が高く、若者さえも礼儀正しく、穏やかだからです。

過激な作品に興奮し、反社会的な気分になっても、それを自慢するものではありません。変な具合に憧れて、暴力性を真似する若者のほうが増えれば、結局のところ、即売会を開催できなくなるのです。

次世代が勉学を忘れてしまえば、漫画も、小説も、読んでくれる人がいなくなるのです。

おそらく、すでにゲームや音楽を求める若い参加者のほうが増えており、「二次創作」さえも衰退の途をたどりつつあります。それは1980年代を知る中年の、老後の楽しみのようなものになりつつあります。

過激ぶって、いたずらに注目を集め、結局のところ規制を呼びこむという方向で自己アピールが成されるべきではありません。

【外交の財産】

一切の死者たちは弔わるべく、永遠に顕彰されるべきであると信じます。

が、今ある若者を神苑の花としてしまってはなりません。

70年間一発も撃たなかったというのは、すでに巨大な外交財産です。それを今まで有効活用できなかったならば、シヴィリアンのほうが幼稚だったからです。

武力を出すことができるようになったけれども、出さない。

このギリギリの判断を、あやういバランスの上で続けていくことが、政府と国民を大人にしてくれるでしょう。

2016/03/27

1989年5月、佐伯彰一『神道のこころ』

あはれともかけても見めや桜花なれより先に我はちるとも(本居宣長)

梅が咲き、梅が散り、桃が咲いて桃が散り、こぶしが白く咲いて、雪柳が揺れ、桜の待たれる季節となりました。読んだのは1992年の中公文庫版。もとは日本教文社から出ていたようです。

信仰告白というのか。越中、立山の神道の家に発して、それを愧じた青年期を愧じ、異文化との接触を経て、しきしまのやまと心に立ち返り、志賀直哉の主人公の眼を通じて大山の影を見ながら、故郷・立山を仰ぎ見る。かたわらには祖父の面影。

来る朝ごとに、ともに神棚へ向かって柏手を打った。

他人の作品を批評しながら、これほど自分を語る批評家も珍しいんじゃないかなと思いつつ、その自分語りは、かならず神道の再発見に行き着くのでした。

そしてその神道は「死者たちとの連帯」を基盤とし、鎮魂を責務とし、みずからの生命としている。

志賀直哉に関する昭和40年代の自著からの再録の他には、昭和55年から昭和64年の間に新聞・雑誌に発表された記事を集めたエッセイ集。

だから神道をテーマに、あらゆる事象にそのバイアスを掛けて書き下ろしたというものではなく、ここ何年も、なにか書くたびにそのテーマへ行き着いてしまっていた、という。

【戦死者たちとの連帯】

この生まれ年(1922年)の人が「死者たちとの連帯」を訴えるときには、必ず戦争でなくした友人たちへの鎮魂の思いと、彼らを顧みること少ない「戦後民主主義」的世論への怒りと、生き残ってしまった自分自身を問う気持ちがあるはずとは、他の著作を拝読しながら感じていたことですけれども、この本の末尾に至って、明言されていたことです。

「いたずらに自虐的な教科書記述の氾濫」(p.277)という文章の含まれる第15章『死者たちとの連帯』の初出は、産経新聞夕刊、昭和59年8月13日付。ということは、1984年の敗戦(いや終戦)の日の直前。

「死者たちとの連帯の思いを確かめ直すべき季節とくり返さずにいられない。」(p.278)

小林よしのり『戦争論』の大ベストセラーに対して、吉本隆明が『私の「戦争論」』を出したのが1999年7月。15年ほど先駆けていたようです。

日本教文社から1989年に単行本として出たときには、意外なほど好評で、版を重ねたとあるので、ここから10年かけて、小林の熱した調子が受け入れられる世論が準備されたのでしょう。

【旧友】

晩年の尾崎一雄が先立った文学仲間を思いながら大著を編んだと解説しながら、佐伯自身がその尾崎を偲んでいる。そしておそらくこの人は『批評』の同人仲間だった三島由紀夫を片時も忘れたことがない。

その『批評』の特集号(1968年の冬)を責任編集するにあたって、三島・山本健吉との座談会を企画し、その席上で佐伯が開口一番「美的生活者としての生き方、対極的なものとしては、激越な口調で時世を慷慨する慷慨派というものがあって……」と云えば、すかさず三島が「両方ある人もいる」とつっこんで、「まあ、三島さんみたいなね」カッコ笑いになるというのが楽しい。(p.95)

楽しいといっても、この後の三島の行動を思うと笑ってばかりもいられないわけで、入営直前ではねられたことを一生のコンプレックスとした「慷慨派」と、佐世保へ復員した人とは、生き残ってしまった自分たちが何を成すべきか、語り合ったこともあったのか、もっと話し合っておけばよかったと思ったのか。

【山岳と能楽】

「一切の死者たちは弔わるべく、残された生者には、あらゆる死者たちの、とりわけ非運の死者たちの霊魂を和らげ、鎮める義務が課されている。」(p.174)

奈良時代以来、立山の神霊に仕える佐伯一族の末裔における神道への目ざめは、ドナルド・キーンが英訳した謡曲『善知鳥』によって、ミシガン大学の研究室にいるときに与えられた。

これが佐伯流。

能楽は、どこを読んでも「最初は『散楽』という物真似だった」と書いてあって、つまり「お笑いコント」の一種だったらしいんですけれども、今ではその片鱗をワキとアイとの問答などにわずかに留めるのみと云って良いでしょう。

世阿弥という人が古典文学と禅宗を学んだことによって、それまでとは異質な演劇を始めてしまったというのが正解じゃないかと思います。

あえて例えると、ミッキーマウスだったものがオペラの伝統と融合して『ファンタジア』になって、後者にトリビュートした作品が作り続けられているようなものです。

江戸時代には世阿弥という人の存在自体が知られていなくて、仏僧が台本を書いたものと思われていたらしいです。

それほど用語に仏教色が濃く、一見すると仏教の布教を志向しているかのようで、その役割もあるには違いないんですけれども、どうも「シテ」の本質は違う。

荒れた古寺や古戦場に生い茂る植物の間に霊魂がまつわっているように思われる。生前に悪いことをしたから、いまは地獄で責め苦を受けていて、釜の蓋が開いたから出てきたというのとは、ちょっと違うらしいのです。

繁茂する植物の間から、ワキ僧の近づいてくるのを見ていたのです。本人さえその気になれば、地獄の亡者という姿ではなく、生者と見まごう姿で、土地の住民のような顔をして、現れることが可能なのです。

そして彼らは僧侶に回向を頼む。言葉は「回向」であり、「御経読み給へ」とは云うけれども、それによって穢土を遠ざかり、輪廻の輪をも離れて、より輝かしい次元に行けるから嬉しいなっていうんじゃないらしい時がある。

薄や芝、女郎花など、地面から生える植物は、地の下につながっているわけで、霊たちはそこへ帰っていくらしい。そして、それが寂しくてたまらないらしいのです。……あら閻浮恋しや。

やっぱり連想するのは、希臘のデーメーテールとか、騎馬民族が南下する前にさかのぼる、かなり古い時代の神話で、日本にも似たような神話があったはず。

てなことを、お舞台を拝見している内に何度か思うんですけれども、それはやっぱり日本特有の、いや、大昔にはどこの民族も持っていた祖霊信仰が、日本のばあいは完全に仏教に取ってかわられたのではなく、大陸由来の先進文明に対して一歩ひいた形で融合し、寄り添うようにして生きながらえてきた姿そのままなのだと、アメリカの若者たちに日本文学を講義してやるつもりで、アメリカの研究室で英文を読んでいるときに気づいたと、That's 佐伯流。

【キリスト教のこころと、立山のこころ】

序盤はキリスト教を向こうにまわして、神道は(軍部に利用されただけで)もともと暴力的じゃないし、不寛容じゃないし、どこが軍事的だってんだ言えるもんなら言ってみろと啖呵を切っているんですけれども、だんだんにしんみりと自分自身の心の奥へ分け入って、ついに先祖が立山の山麓に住み着いた奈良時代にまでさかのぼるのです。

この構成は岡倉覚三(天心)『茶の本』と似ている。西欧文明の強大な圧迫感に対して、同じ姿勢になるのでしょう。岡倉については『外から見た近代日本』でも全面支援でした。

しかも、その西欧文明の背骨をなすキリスト教の唯一神信仰という性質が、共産主義の背骨をも成していて、骨肉あい食むようであることに、日本の知識人はあまり気づいていなくて、伝統宗教を奉じる資本主義社会が、無神論の共産主義にとって替わられる日が必ずくると本気で信じている。70年安保に向けて、再結集せよとか呼びかけたりしている。

そういう「戦後民主主義」的社会風潮に対して、やっぱり「千万人といえども吾ゆかん」という決意で臨んでいたようなのです。

冒頭に置かれた『神道敵役説を排す』の初出は、雑誌『かくしん』昭和61年11月号です。1986年です。壁が落ちた時には西ドイツ人(当時)が「Unglaublich!」って云ってたものですが、ずいぶんと先んじていたものです。

この人の書くものには、文壇や研究者における主流に疑義を呈するものが多くて、立山の影に抱かれて伸び伸びと育った柔らかな心が、教条主義の胡散臭さを感じ取ったのでしょう。同時に探究心旺盛な、なかなかのいたずら小僧だったんだろうなって気もするところです。

志賀直哉や尾崎一雄の書いたものの中に、小動物や昆虫の姿を認めて、重要なモチーフを感じる人の心には、自分自身の幼い日に住んでいた家屋を、庭を、訪のうた多士済々の虫たちの姿があったんじゃないかと。

追いかけてみたり、つかまえてみたり、飼ってみたり、草むらをかきわけてみたり、木登りしてみたり、落ちてみたり、したんじゃないかなと思われます。

そして東京で生まれ育ち、東京しか知らない文学者たちへの反感と意地があるのです。

若き尾崎一雄の、年上のマダムとの同棲なんていう、いかにも都会的頽廃な私小説的「お約束」(コンヴェンション)エピソードには、珍しいほどの冷笑を浮かべて見せたりするのです。

その東京ローカル的、似非コスモポリタン的視野のせまさに対する反感は、洋行によって、田舎者のやっかみといった境地を脱し、みずからの神道的素質への誇りに昇華されたのです。

しきしまのやまと心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)

関口夏央・谷口ジロー『秋の舞姫』冒頭は、鴎外林太郎が欧州から帰ってきたところで、雲より高い富士の山を見上げる印象的な場面。新東宝映画『戦艦大和』では出撃前夜の若者たちが「恋し日本の山々見れば、母の笑顔が目に浮かぶ」と歌っておりましたね。

異文化に揉まれた日本人の心の帰るところは、山であり、そこに生い育つ木々であり、その梢に咲く花なのです。

桜の名所は仏教に縁があることが多いんですけれども、八幡宮とくっついちゃってることもあることですし、そもそも御仏に帰依する心を表すに桜をもってするというところが、もともと桜に何か神聖なものを認めていたことを示しているのでしょう。

花とは、本来、実を結ぶために咲くのであり、その実は大地に迎えられて芽吹くために結ぶのであり、花は新しい生命の先駆けであり、実りの瑞兆なのです。

それが、なぜ死者を思わせるのか。

なぜ桜の下には死者たちの「あと弔ひてたび給へ」という声が微かに響いているように思われるのか。梢いっぱいに咲く花なら他にもあるのに。

わりと単純に、木が大きくなるので、あの枝張りの下に入って、包まれる感じが、安心感を生むのかもしれません。その安心感が、死者に守られていると感じられるところが日本的なのでしょう。

神の恵みには違いないのですが、その神が遠くにいる絶対神ではないのです。もっと慕わしい。だからこそ、思い出すたびに寂しい。

世界宗教に抵抗する拠りどころとなった日本文学におけるエロス礼賛は、タナトスにぴったりと寄り添われているなんて、今さら申すまでもないのでしょう。

この国では死者は神なのです。すべての死者は弔われるべく、弔われて、生きとし生ける子孫を幸う豊穣の神となるのです。

2016/03/25

1925年、エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』

兄弟よ! 誰を撃つのか!

おかげさまで100円レンタルで映画を観て幸せです。庶民が安価に芸術に触れられることこそ真の革命ではないかと思われます。わずか1時間14分ほどですが、映像美術としての密度がものっっすごく濃いです。

グリフィス作品のカメラは基本的に長廻しで、俳優の動きにまかせており、まだ『イントレランス』でも接写の挿入の間合いに難があったんですけれども、こちらはたいへん意図的に「カット割り」と編集作業を行っており、自覚的に「絵で語る」ということが、ものすごく進歩しています。現代映画はここから始まったんだなと感じました。

IVC社のDVDには監督紹介が収録されておりまして有難いんですが、それによると、土木専門学校と工兵養成所で学んだ人なのだそうで、なるほどメカニックの描写にこだわりがあるわけです。1898年生まれで、この公開年には27歳。どうも、20代後半から30代前半の時期に、男の子らしい「遊び心」を活かして画期的な作品を制作するアーティストが多いようです。

ロシア赤色革命中の1コマをドキュメンタリー調で撮った、モノクロサイレント作品。全面的に労働者(ここでは水兵)視点。洋上の戦艦内における待遇の悪さから暴動が起き、陸にも波及するのですが、たぶんこれだけ見るとよく分からない。

オフィサー達が興奮しやす過ぎるように思われるからですが、基本的に世界大戦中で、すでに革命も始まっており、士官(=貴族)がピリピリしていたことと、水兵のほうが強気になりつつあったという実際の歴史を知っておいてから見るべきもの……なんですが、1925年という公開年からして、1917年の革命から8年しか経っていないので、当時の世人にはほぼ実録として感じられたことでしょう。

日本は大正末年ですが、自由の赤旗をひるがえす労働者の蜂起を上映したがらなかったかもしれませんね。

(※これを書いた後に調べたところでは、やっぱりフィルム自体が輸入禁止になったそうです)

ほぼ素人と思われる水兵や、オデッサの町の人々の表情を、極端な接写によって生々しく映し出しており、革命賛美のテーマを掲げてまっすぐに突っ走る骨太さは爽快ですが、テーマ性以上にその「物語のターニングポイントを観客に気づかせるために接写を使う」という技法というか、話術というか、そこの面白さ・監督のアイディアの冴えを見る映画だろうと思われます。

砲塔の旋回や、それを支える機構の接写は現代的と云いたいまでに洗練されており、金属の光り具合に工兵の誇りも感じます。波をかき分ける軍艦の舳先は、よくぞ撮ったと思います。真下から仰ぎ見るラストシーンも印象的でした。

お名前からいってユダヤ系かと思われますが、陸での暴動は民族的差別発言がきっかけとなったのでした。そして興奮に巻かれて老いた女たちが叫ぶ。確かフランス大革命も女たちの行進から始まったのでした。命に直結する台所を預かるとともに日ごろ気晴らしの少ない主婦を怒らせると怖いのです。

陸の小銃隊は横一列(いや二列)で、その表情を映し出さずに、不気味で非人間的な雰囲気を保ったのが効果的でした。

大階段、ころぶ子ども、ふり返る母、せまりくる小銃隊、乳母車の中の赤ん坊、若き母、血染めの美錠、傾く車輪。クローズアップとモンタージュの技が冴え渡りますが、できれば子どもは抱えて逃げましょう。

それにつけても、オデッサ町民の人海戦術のものすごさよ。

なお、ショスタコーヴィチがのべつまくなし鳴っているバージョンで、本当はもう少し整理したいところですが、曲調は間違ってはいないです。ショスタコは映画音楽らしいなァと思ったことですが、よく考えると逆でした。

淀川氏の解説映像つきで、それによると監督はパリに暮らした人なのだそうです。当時の前衛美術はもちろん影響したでしょう。グリフィスあって、エイゼンシュテインあるんですが……交流はあったのかどうか。左右の壁なく対談させてみたい二人かもしれません。

2016/03/24

1967年、石ノ森章太郎『ジュン 1』ポット出版

これもポット出版の目録を見て取り寄せてみました。まさかのハードカバー。約340頁。物理的に重いです。A5版。漫画はこのくらいの大きさで読みたいものです。2011年9月、第一版第一刷。紙質が良く、印刷も美しいです。

>本書は「COM」(虫プロ商事)1967年1月号~1969年2月号に連載された「章太郎のファンタジーワールド ジュン」を一冊にまとめた。

だそうです。昭和42年度小学館漫画賞受賞作。作者は1938年1月生まれ。執筆時は30歳前後。

漫画にできることを1967年の時点で全部やっちゃった、アニメの原作(事実上の絵コンテ)ではなく、コマ割りという漫画表現技法の限界に挑戦してしまった人がいた、という作品。ご本人も「この作品はマンガで描いた詩」と云っているようです。(あとがきより)

ピンクフロイドのデビューアルバムを聴きながら、同時代気分に浸ってみるのです。

漫画というのは描くとき手間がかかって読むとき一瞬なので、最高にコストパフォーマンスが悪い表現技法で、好きでなきゃやれない仕事だと思うのですが、石ノ森も「多かれ少なかれ楽しみのために描いている」のだそうです。

夢幻能ならぬ夢幻漫画というべきか、若者として美化された作者自身である漫画家志望の主人公の心に浮かぶよしなし事を、そのまま絵にしてみましたということのようです。原稿用紙の縦幅をいっぱいに使った細長いコマが印象的です。

台詞がほとんどなく、絵で語る。時おり美女(または美少女)の口からこぼされる人生哲学が印象的です。無力な僕と導き手になる美少女という、後の「サブカル」お得意のテーマも、すでにここに示されているようです。

片目を隠した美少年を描く現代の漫画家・イラストレーター・その志望者たちは、そのルーツを知っているでしょうか。(女流の場合は、直接的にはジルベール・コクトーでしょうけども)

「ロリータ・コンプレックス」という言葉を最初に使ったのは和田慎二という説もあるようですが、ここには漫画家志望の若者と、小さな女の子が登場します。

「ウフフ ごめんなさい でもわかってほしいわ 自由はかならずしも自由じゃないということ 自由を得るためにはそれそうとうの代償がいるということ 自由のもっている冷たさにちゃんとたちうちできるだけの力がつくまで がまんすること……」(p.56)

石ノ森自身は早い内から才能を認められた人だったので、じつはこれは苦節ン十年という人の魂の叫びではないところがミソです。楽屋落ちのジョークが見られるコマもあって、肩の力は抜けています。

石ノ森の一番弟子である女流の作品には「美少年と、そっくりな美青年」が並んで出てきたわけですが、師匠のほうでは幼稚園サイズの少女が若者の肩に乗ってしまうほど小さくなったり、急に成長して妙齢の美女になったりします。大人といっても多分18歳くらいですが。

少女の背が伸びたり縮んだりという要素には『不思議の国のアリス』に試みられたような精神分析的解釈を適用したものでしょうか? (発表当時に流行したかもしれませんね。)

基本的に石ノ森の絵って稚拙なのですが、その稚拙さが却って「あふれるアイディアに手が追いつかない」という若々しい熱意として感じられ、それがシュールレアリスムらしさの重要な要素になっているように思われます。きっと作者自身が漫画制作の合間に、精力的に展覧会などに出かけていたのでしょう。

じゃあ、これを油彩画として描いたら認められるのか。たぶん、それだとダメなのです。ピカソやダリやエルンストに並ぶためには、油彩画なりの筆さばきやナイフの使い方を覚える必要がある。色彩の使い方も、油彩絵具を練るところから始めなければならない。

これはあくまで黒インクとGペンという漫画の枠のなかに、当時流行の前衛アートを取り入れたという立ち位置なのです。

漫画が、この人を通じて「漫画」としての自己満足から脱しつつあった。つまり、30歳の大人が10歳の子供に描いてやる・売ってやるという発想を脱して、創作家自身の内面表現、青春の回想として立ち現れてきた。

夢のようなという意味でナンセンスには違いないんですけれども、「笑える」という意味ではなく、興趣深いという意味での「面白さ」を最優先に、さまざまな他分野の成果を取り入れつつ、意欲的に取り組んでいることが感じられる一方、商業的成功はあんまり考えていなかったかもなって気もいたします。

手塚はやっぱり芸術家肌で、その子会社が出していた『COM』という雑誌も苦戦したようですが、だからこそ創作家の個性が活きたのかもしれません。これを評価した当時の漫画読者界・同人界も偉大だったと思います。早くに旅立ってしまわれた先生でした。ご冥福をお祈りいたします。

「いまのうちにからだいっぱいに夏をためておくのだ ……やがて秋がきて冬がくる」(p.77)

2016/03/23

1916年、D.W.グリフィス『イントレランス』

Out of the cradle endlessly rocking.

不寛容と闘う愛の物語。

今では撮れない映画って一杯あるんでしょうけれども、これは……! 『國民の創生』とは別の意味で、筆頭に挙げるべきかもしれない。

バビロンもすごかったけど、「暗黒の木曜日」を経験する前のアメリカもすごかった。高さ90メートルの壁に囲まれた宏大な中庭を一望する絵をどうやって撮ったんだ!? 呆然とすることしばし。

淀川長治の解説映像つきのDVDで、まずは自分の眼で本編を確認した後にそちらを拝見したところ、やっぱり言及なさってまして、気球にカメラを載せて撮ったんだそうです( ゚д゚)ポカーン

タイトルの意味は「不寛容」。嫉妬と偽善がひき起こす悲劇と、市井の人々の抵抗を描く。サイレント。DVDはIVCの162分版です。現代(1916年当時)と古代ベツレヘム、シャルル9世時代のフランス、紀元前539年のバビロン。4つの時代を得意のモンタージュで。それぞれの時代に合わせた音楽がたいへん魅力的です。

不寛容と闘う「愛」は、もちろん十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かった人によって象徴されます。娯楽と宗教が一体化している。アメリカらしいところです。

いっぽうで、グリフィス作品には「女性映画」という要素もあって、四つのうち三つの時代にはヒロインがおり、いずれもすごく可愛らしいです。拳を突き上げ、両腕を振り回すオーバーアクションは古風な芝居ですが、むしろ20世紀後半以降の女優たちよりも生き生きしているように感じられます。

序盤は明るいコメディタッチで、富裕階級のおばさん達が労働者の飲酒とダンスを公衆道徳の「向上」と称して取り締まる様子が描かれ、「ああ風刺的な喜劇なんだな」と思わされますが、バビロン(のセットと衣装)の壮麗さに呆気に取られているうちに、だんだん深刻な話になって参ります。

各時代の間にゆりかごを揺らす若き母(リリアン・ギッシュ)の姿を挿入して、ゆりかごの対極にある墓場を暗示しつつ、おとぎ話のような印象も与えながらも、はっきりと現代を諷刺している度胸の良さがグリフィス流。

ついつい「戦前」の映画と云ってしまいがちですが、当時の人々にとっては戦争まっただ中なのです。日本の溝口が『残菊物語』を撮った頃も、すでに日中戦争が始まっていたわけで、そういう時代に監督たちは女性の姿を通じて「真・善・美」を表現しようとしていたんじゃなかったかと思います。

山口淑子主演『蘇州夜曲』も、一見すると占領政策美化映画ですけれども、真の意図は反戦なのです。

それに比べると、1970年代の若者たちが撮ったSF映画は、いかにも女を知らないトッチャン坊やの仕事のようですけれども、彼らにしてみれば、ストッキングとともに強くなり過ぎた戦後の女性は、とても平和の象徴のようではなく、ともに新左翼の時代をすごした後で「もういいよ」って感じだったのかもしれません。

話を戻すと、中世フランス宮廷文化の再現もたいへん魅力的です。バビロン、ベツレヘムともども、考証としても素晴らしいものだと思います。監督は1948年に亡くなってるんですが、本当はこれをカラーで撮りたかったでしょうし、拝見したかったです。

現代で生じた重大事件を皮切りに、いずれの時代も急展開し、桁違いのエキストラ動員による分厚い奥行き感を観ている側に向かって押し込んできます。CGではありません。くり返します。CGではありません。鉄道や自動車も登場し、モンタージュの間合いも詰まって緊迫感マックス。四本の映画を一度に見せられているわけで、ものすごい豪華さです。

日本は大正時代なんですけれども、観客はバビロンやカトリーヌ・ド・メディシスを知っていたでしょうか。なかなか激しい接吻や、官能的な女性の姿態も見られますが、向上と称する規制はかからなかったかな?

出演者は19世紀末の生まれ。監督は1900年代から映画を撮っていたそうです。人物の動きは、ややチョコマカしておりますが(フィルムの回転数の違いで致し方ないらしいです)、保存は1910年代という数字を聞くと信じがたいほど良いです。なんだこの敵わない感。

2016/03/22

1915年、D.W.グリフィス『國民の創生』

美しい女性は美しい少年に似ていると云ったのは稲垣足穂なんですが、リリアン・ギッシュの妖艶さが却って崇高な天使に見えます。ドナテッロやレオナルドに見せてやりたかった。

近所のホームセンターで買いました。株式会社コスミック出版から500円。何よりも、リリアン・ギッシュ主演の文字に惹かれました。堂々3時間5分。サイレント。映像の合間に黒地に白い文字で説明書きが表示される式です。日本語字幕が良い出来です。翻訳はWise-Infinity Inc.。

これだけの長さのサイレントを見たのは初めてだったので、まずは「クチパクしてる役者の云ってそうな台詞を自分で考えながら観るのは自由にできていいようだけれども結構つかれる」と分かりました。

1915年という年数が信じがたいほど保存がいいのはアメリカ映画のうらやましいところ。日本映画に雨が降ってるのはフィルムが古いからではなく、映画文化の価値が理解されておらなかったので保存が悪かったからだそうです。

すべての映画は広い意味で娯楽なのですが、これは格調高い歴史大作。南部で綿花農園を経営する白人家庭に同情的な視点から、civil war とその後の凄まじい南部の混乱、その陰にあった悲劇を描く。一見すると上品なクラシック作品ですが、エピソードの豊富さ、手の込んだ撮影によって飽きさせません。

白人・黒人相和して暮らす「古き良き」というふうに美化された南部暮らしを描く序盤から、南北戦争に巻き込まれていく家族の心理を丁寧に描き、観客の感情移入が頂点に達したところで、緊迫感と過激さの度合いを強め、クライマックスは物量とスピード感で押しまくる。エピローグは神秘的に。

要所要所で歴史的記録の出典を示すという、映画には珍しいことを行っており、格式と制作姿勢の真摯さを証明しております。

リンカーン、グラント将軍、リー将軍の再現度は高いです。リンカーンの執務室は活人画のようで美しいです。

構図は多くの場合、舞台劇なま撮りふうですが、時おり画面奥から人物が歩いてきて、画面手前へ斜めに抜けるのが、洗練されていると感じました。手ブレやチラつきもないので、機材も良かったのでしょう。

芝居は女優が両手を差し上げて恐怖を表すのが、えらい古風でロマンチックですが、そのほかはたいへん自然で、舞台劇を脱していると思います。ヴィクトリアンなお衣装がたいへん魅力的で、主人公の妹のお転婆な可愛らしさも印象的です。

黒人俳優(のほとんど)の生々しさは、1915年時点でも完全解放というわけではなかったはずですから、素人の存在感そのものなのでしょう。小道具としてのプラカードに書かれた「EQUAL RIGHTS, EQUAL POLITICS, EQUAL MARRIAGE.」の文字は、当時の現実社会にもそのまま通用したのだろうと思います。

前半の白眉は渾身の会戦シーン。空間の広がり感がすごいです。煙幕もすごいです。1860年代の戦闘を再現しているのですが、撮っている時点で第一次世界大戦の頃ですから(!)、特撮も何もなく、生々しいです。

というわけで、映画としての熱っぽいまでの出来の良さと、テーマの非現代性の落差がものすごくて、じつは論評にも悩みます。タイトルは皮肉じゃないのかと思われるくらい。

Liberty and union, one and inseparable, now and forever!

が、対立のあるところ、どちらかの視点から描けば、対立する側に共感的な人からは見ちゃいられないものになるのは当然です。ここは「敢えて一方に視点を固定して、映画作品としての一貫性を追求して成功した例」という分析にしたいと思います。

どのみち単純な善悪二項対立ではないのです。南部の黒人部隊の糸を引いてるのが北部の白人政治家ですから。

歴史的大事件と個人の人生を接続して描いた文学性、アメリカ映画人における社会参加意識の例証の一つという価値も高いのだろうと思います。

2016/03/18

1939年、溝口健二『残菊物語』

原作:村松梢風
出演:花柳章太郎、森赫子、高田浩吉
監督:溝口健二

これが溝口作品かァ……。清冽な余韻にひたることしばし。

役者を信じた長廻し、やや窃視的な斜めからの構図、フェードアウトによる上品な場面転換。

梨園の御曹司と下働きの女性との身分違いの恋が、哀切ながらもややご都合主義なエンディングを迎えるメロドラマですが、撮り方の見事さに「締まりが良い」と感じました。

溝口自身が父親を当てにできず、芸者となった姉に育てられたのだそうで、彼女たちの姿をちょっと離れたところから見ていた幼い日々の記憶が構図の取り方に表れているように思われます。

ランプと人力車が現役だった明治時代の話のようです。七三になでつけた男たちの黒髪が美しいです。女性はまだ日本髪。芝居小屋から始めて、スタジオセットはいずれも大掛かりです。町並みは江戸情緒が濃厚です。演技の向こうに常に物売りの声が響いているのが風情です。

2時間超えの大作ですが、場面転換の間合いの良さと「ワンシーンワンカット」の緊張感によって飽きさせません。

ヒロイン「おとく」さんはひじょうに頭のいい女性で、芸術を見る眼があり、胆力もあり、こういう人が生まれが低いというだけで社会に出られないのは勿体ない。

森赫子は、甲高い声でしなしなと喋る「昔の女優さん」と感じられますが、理知的な美女で、台詞廻しも抑制が効いており、場面を支配する力量のある人だと思います。

章太郎はなかなか芝居がうまくならずに地方廻りへ落ちぶれていく役で、天性の「つっころばし」にも見えますが、じつは肝の据わった役者さんとお見受けいたします。終盤は黒紋服姿が美しいです。

もともと『清水次郎長伝』に出てきた高田浩吉の出演作を探して、タイトルに惹かれたのですが、菊はとくにモチーフになってないです。上田秋成とも関係ないです。

全体としてロングショットが多く、あくまで「おとく」と菊之助の二人に描写を絞りこんで、他の俳優がアップになることはありませんが、それでも浩吉の美貌は目が眩むばかりです。白塗りが眼福。

男が女を演じて「男になる」とか「男を上げる」とか云うんだから不思議な世界です。女装の男性が手に手を取り合って舞台の成功を喜ぶのを、外人さんはどう御覧になるのか。ドラァグ・クイーンのサクセス・ストーリーではないのですよ。

各場面ごとに役者の動きも最低限に抑えられており、歌舞伎よりも能楽の舞台を連想するほどです。撮影現場を想像するに、役者の立ち位置などは事前に綿密に打ち合わせがなされ、準備万端ととのえて、カチンコ鳴ったら役者もスタッフも一切の粗相が許されない。緊張感が漲って空気がピリピリしていたことでしょう。

見るほうも、まばたきしてはいけないような気分にさせられます。

もっとも、舞台はそれが当たり前なので、歌舞伎・新派・新劇から役者をひっぱってきて映画を作ることの行き着いた果ての贅沢だったでしょうか。

日本映画は早くから、カメラをレールに乗っけて横にズーーッと移動させる技法を多用するようですが、洋画では少ないような気がします。いや実際には使ってるはずですが、襖を開ければ一続きという日本建築の構造が最大限に活かされている面白さが印象的なのかもしれません。西洋建築では壁にぶつかってしまいますもんね。

昭和14年。「松竹株式会社京都撮影所」の文字が右から書かれています。『残菊物語』の題号を記した行書が美しいです。モダニズム時代の叡智と技術を結晶して撮り上げた明治情緒でした。

そういえば宮崎駿は(アニメのくせに)ワンシーンワンカットに近い演出をすることがあるように思われます。彼の頭の中には古い映画がいっぱい詰まっているのでしょう。

2016/03/17

1977年、スティーヴン・スピルバーグ『未知との遭遇』

『さらば宇宙戦艦ヤマト』が洋画・邦画を問わず配給収入を比較して第5位だった1978年の、第2位。

真っ暗な画面に不安な音楽が流れる冒頭からして大作の雰囲気。砂嵐を突いて次々と現れる自動車、いわくありげな男たち。

「スピルバーグって奴ァセンスいいなァ!」と思ったことです。

基本にあるのは、カントリーな暮らしを長い息遣いで丁寧に撮るヒューマンドラマと、ひたひたと緊迫感を増していくサイコ・ホラーの手法で、こちらは(『スターウォーズ』の監督・脚本とちがって)映画術をよく勉強した人の作品なんだなと感じられました。

あっちがチャンバラごっこの好きなヤンチャ坊主なら、こっちは文学好きの優等生でしょう。そうか、そうか、二人とも黒澤のおじちゃんも好きか。いいとこに眼をつけたな、えらいぞ~~。

なお、トリュフォーの髭がいい味すぎて漫画のキャラクターみたいです。

あらすじは本当に「クロス・エンカウンター」の一語に尽きるわけですが、それまでに何が起きたのかを重視したわけで、どちらの家庭でも子役がいい演技をすることです。

『スターウォーズ』がそこら中でキャラクター展開されていることに比べて、「あの形」がパロディになっているのはあんまり見かけたことがないですから、愛され方が違うのでしょう。こちらはやっぱり文芸派・心理描写重視型に深く共感されるタイプかと思います。

『激突!』も怖かったですけども、『ジョーズ』も同じことで、人間が他の存在から「見られている」という不安が主題なわけで、それがここへ来て昇華されたかと。音楽が宇宙の共通語であったことには涙を禁じ得ませんでした。新生人類を胎児の形で表した『2001年宇宙の旅』(1968年)への応答になっているようにも思われます。

研究チームの第一人者がフランス語を使うことで、アメリカ社会の常識にとらわれず、公平に見ることのできる人という役回りを象徴していたかと思います。序盤の航空管制局で中心的な役割を果たす人物が黒人であることも、1977年という時点を考えると印象的です。

When you wish upon a star, Makes no difference who you are, Anything your heart desires will come to you.*

この複眼的な視点の温かみを知った後では、日本人しか参加していない地球防衛チームというアニメ作品(の数々)が陳腐化したのは致し方ありません。

逆にいえば、アメリカこそ地球の代表であり得た時代の華かとも思われます。ボイジャーがゴールドディスクを載せて飛び立った直後の公開。「科学的空想」とは、よくぞ云ったものです。Spielberg。おおいなる遊びをせんとて、生まれてきたのでしょう。

なお、映画の作風にふさわしい、やや前提的な音楽も印象的でした。ウィリアムズも引き出し多いなァと思ったことです。

(* Lyric by Ned Washington, from Pinocchio)

2016/03/16

同人活動を自慢したがる人には困るのです。

同人はライバルが増えやすいので、脊髄反射クレームしないように気をつけましょうというお話。男性の同人さんも気をつけましょう。



同人誌即売会というところは、出展に当たって資格審査がありません。でも会場のキャパシティには限りがあるので、出展希望者が多ければ抽選となります。

したがって、注目されればされるほど、個々の出展機会が減ります。だから昔の参加者は、若い人に向かって「足が洗えなくなるからやめておけ」と云ったのです。軽く脅しておくくらいで丁度いいのです。

これは、じつはどこの業界でも同じことです。

とくに芸術・芸能の世界の先輩は「甘く見るな」とか「子どもの遊びじゃない」とか「親を泣かせることになる」とか「堅気になれるなら堅気がいいぜ」とか、必ず云うものです。

それは自慢ではありません。カッコつけてるのでもありません。ライバルを増やさないための生活の知恵なのです。

【プロ作品の批評はできる】

読者側としては、二十四年組などのプロ作品について、「当時の作者の人生観と時代精神が表れている」といった作品分析が出来ます。

もともと批評されることを承知で、一般公開するために出版社から発行したものだからです。また、プロがそれによって生計を立てていることは確認するまでもありませんから、本人も批評家も「こういうのはカネのためですよ」なんて、わざわざ云う必要がありません。

生計のために描いたものに、どれほど本人の人間性が表現されて(しまって)いるのか? それを敢えて見抜いて、わざわざ「俺はこう読んだ」という自分自身の内面表現にするのが批評家です。

じつは批評家というのは、二次創作と似たようなことをやっているのです。だから批評家は「パロディ」という表現技法について否定的ではありません。

アニメ『おそ松さん』がやらかした時も、制作サイドは謝ったのに、批評家は「萎縮せずにやってほしい」と云いましたね。

批評家が世間体を気にして、「原作者の気持ちに配慮してパロディを萎縮させろ」というようでは、自分自身の批評文だって世間様から「原作者が機嫌をそこねると良くないから甘めに採点してあげれば?」と云われることになってしまうからです。

話を戻すと、もし栗本薫の作品(の一部)が過激だ・不適切だという人があるならば、やはり女性が「フェミニズム」の理論的支柱を得て、驕慢なまでのナルシシズムにとらわれていた、1980年代精神が表現されていると云うことができるでしょう。

なぜ男性キャラクター、または男性キャラクター同士を描写しているのに、女性ナルシシズムの表現なのか?

それは、男性キャラクターが女性化することが、作者自身が「女性のほうが美しい・すばらしい・愛される資格がある」という価値観を持っていることを表しているからです。なお「narciss-ism」なので「ナルシシズム」が正解です。

【同人やっていた自慢】

では、「プロの話ばかりしていないで、もっと同人活動にも注目してよ」と、わざわざ云って来る人はなんなのか? 先に云っておくと、誰もそんなことは望んでいません。現役同人は注目されることを望んでいません。

今まで同人活動を知らなかった人に、何を書けばいいのか、客が何を求めているのか、書き方のコツを教えてあげるなんてのは、もっての外です。理由は、もはや云うまでもありませんね?

にもかかわらず、わざわざ云って来る人は、要するに自分自身が注目されたいだけです。自分が「同人やっていた」ことを自慢したいのです。なぜか? 今よりイケていたと思うからです。あの頃の私は輝いていたと思うからです。

でも、暴露したければ自己責任において、自分のブログでやればいいです。ただし、現役から恨まれます。

【フェミとは別という意義】

もともと、女性の同人が「フェミとは別」というのも、社会学者などの研究論文の材料となることによって、メディアの注目を受けることを恐れるからです。百歩ゆずって、著作権問題は話し合いで解決できる。でも、模倣的な出展希望者を増やしてしまうことは止めようがありません。

そもそも、1970年代に漫画同人会の集まりとして始まったイベントが、アニメを題材に小説を書く人々によって乗っ取られたような形になって、次にそれが漫画としての「アニパロ」を描く人々(による豪華フルカラー誌)によって駆逐されたという変遷を経ているのです。

それぞれの時代に、ほぞを噛まされたという人々、あの時の中学生の大群への恨みを忘れない……という人々がいるはずです。

(その中学生だった人が、自分は当時の流行の最先端にいたと思うもんだから、いまだに自慢したがるのです。)

【用語の峻別】

二十四年組や専門誌『JUNE』に連載されていた作品が市販の単行本となったものについては、上述のように「じつは女性の自己愛が表現されている」といった分析が可能です。その論文は堂々と発表していいです。

創作物そのものについても、その論評文についても、それぞれの表現の自由が十全に認めらるべきである・これは女性解放運動の一環である……といった、フェミニズム的主張も可能です。

でも、ここで、プロとパロを混同して、「やおいはフェミではありません! アニパロは人権運動ではありません! おカネのためです!」って云っちゃう人がいると、現役同人が「うあああああああ」と思うのです。

だから、女流による少年趣味という特殊な表現を分析批評したい時は、もともとパロディ同人を示す「やおい・腐女子」という言葉を使わないのが基本であり、鉄則です。

勘違いして「同人の話なら私のほうが詳しいです!」って飛び出してきちゃう人がいるからです。

もし、あなた自身がパロディ同人に恨みがあって、わざと同人活動に言及し、裁判に引きずり出したいとか、コミケを閉鎖してやりたいとか思っているなら、止めはしません。それはそれで、あなたの表現の自由だからです。

でも、わざと迷惑かけるのは、あんまり良いことではありません。自分の作品が人気を失くした恨みを晴らすためであれば、尚さらです。

社会学者というのは、社会のことをよく知っている人々のはずなのですが、用語の定義を見極めることさえ出来なかったのは残念です。

本人たちの研究態度としても、同人のためにも、さらに「アニパロを教唆した」かのように思われたプロ作家・漫画家たちの名誉のためにも、痛恨のミスです。

【プロとパロ、創作と現実、女と男を区別してください】

当ブログにおける同人論・BL論は、もともと竹宮恵子の京都精華大学学長就任に際して、代表作として『風と木の詩』が新聞に取り上げられていたことを契機としております。(そうです。だいぶ引っ張ってるのです)

そこに「少年愛は切ない」とあったので、ゲイ差別との混同を避けたいなと思ったのが直接の動機です。

それは男同士だから悪いのではなく、子ども同士だから不適切だったのであり、彼らが生き急いだから切ないのであり、さらに日本人の女性として、金髪の未成年者に憧れても、いかんともしがたい。

そういう漫画家自身の不可能性・不自由感の表現だから、切ないのです。

それは竹宮自身が云った通り「女性の内面表現」であり、さらに栗本などの作風から云って、女性の自己愛表現であることを指摘できます。

にもかかわらず、漫画と現実を混同して、わざわざ新宿二丁目まで押しかけ、実在ゲイ男性に向かって「漫画みたいなことって本当にあるの?」と質問する人が、あとを絶たないという。これは1980年代初頭以来、二丁目サイドから何度も挙がっているクレームです。

今でいう「BL」を読んで、実在ゲイに会いに行く女性というのは、ロリコン漫画を読んでいるうちに我慢できなくなって小学生を追いかけまわす男性と同じことです。

それじゃ困るのです。大勢の人が。とくに、同人が。

【やおい論の罪】

1980年代初頭というのは、1976年に連載を開始した『風と木の詩』を15歳で読み始めた人が、ちょうど成人して、夜のお店にお酒を飲みに行けるようになった頃と一致するのです。

だから、すでにこの時点で、女流の少年趣味という特殊表現は、少女の問題ではなくなっていたのです。この点からも、1990年代における社会学者などによる「少女」に話題をしぼり込んだ分析は不適切です。

それは、むしろ彼ら自身の少女趣味を表現してしまったものだったでしょう。

「少女の性の秘密」という話題に彼ら自身が興奮してしまい、まだセーラー服(またはピンクハウス)を着た少女の心を裸にし、世間の好奇の眼にさらすことに、彼ら自身が夢中になってしまったのです。

また、女流学者の一部は、自分自身を少女と混同し、自分の少女時代のトラウマを露出することに興奮してしまいました。

「女のくせに新宿二丁目へ来るな」って云われたから、「私の少女時代には女のくせに大学へ行くなって云われて悔しい思いをしたんですよ!」ってね。

恨む相手を間違えて、思い出話を始めてしまったのです。痛恨のミス、その2です。そして、BL(と今では呼ばれるもの)を読むのは「少女に限られる」という先入観を作ってしまったのです。

そこから、「どうせ少女のやることだから、逮捕されないから、何をやってもいい」という不遜な態度を生んでしまったのです。

【二丁目トラブルの抑制】

「女性と新宿二丁目」という問題が先鋭化したのは1990年代ですが、それはゲイコミュニティが堪えがたきを堪えてきたからです。まだまだ彼ら自身が差別されていて、誰にも話を聞いてもらえないと思っていたからです。

でも、すでに1980年代初頭には、彼らの被害が増え始めており、それが創作物の影響だった可能性が高いわけです。研究者たちは、その創作物を読んだり書いたりしていたのは少女に限られるという。

でも、新宿二丁目は夜の繁華街であって、子どもの行くところではありません。昼の間にコミケで買い物していた中学生が、その足で行ってみるところではありません。

だから、ここでは細かく年数を挙げて、関係者の年齢を計算してみることを提案してきました。BL(と今では呼ばれるもの)の読者が実際に少女ではなく、BLが(意外にも)女性中心主義の表現であることを証明できれば、ゲイを安心させてあげられるからです。

「BLは女性のための人権運動の一種です。女性の表現の自由は、ゲイとは直接の関係がないのですから、女性が新宿二丁目で騒ぐのは自粛しましょう」という話ができるからです。

もしかしたら、ほんとうに騒いだのはコミケ参加者ではないのかもしれません。他人から「アニパロ」を借りて読んだだけの人かもしれません。アニパロではなく市販の雑誌や文庫を購読しただけで、コミケには行ったことがない人かもしれません。

でも同じことです。「私たちは、大人の女性同士で、女性の表現の自由を、創作物の形で楽しむだけ。外出先では、ごくふつうに対人マナーを守りましょう」という約束ができれば、新宿二丁目には被害がありません。

でも、その途中で、「同人はフェミではありません! アニパロは人権運動のためではありません! おカネです!」という人があると、同人が別の意味で頭かかえちゃうわけです。話がつながりましたね?

なお、ご自分のアカウントから「ちょっと、それ私のこと!?」などと叫んでしまうと、周囲の皆様に「なんだ、お前のことだったのか」と気づかれてしまいますから、黙秘する権利があります。自分に不利な証言をしない権利があります。

静かに反省してくださればいいので、あわてて言い訳を始めて、恥の上塗りをしないように、充分にお気をつけください。

【明日のために】

そういうわけですから、当ブログは、TPP関連の社会的な話題の一種として「二次創作」に言及した際には、必ず「うまく行くとは限らない」という注意を申し上げております。

これからの若い人は、できれば同人なんかになるよりも、日本語教師になって、海外の若い方々に日本の漫画の良さをお伝えするほうが、世のため人のためです。

日本人は確実に減っていきます。スマホの普及により、ゲーム・動画で時間を過ごす人が増えています。漫画の台詞を読むのもめんどくさいという人が増えつつあります。

出版社を通じて、東南アジアの直営店で売ることのできるようになったプロ作品は、必要なら翻訳者を調達できますが、同人の薄い本は、個人的に協力者を見つけられない限り、先がないのです。

栄光ある現役同人の皆さんは、若い人々を励まして、「同人なんかになるよりも頑張って勉強してね」と云ってあげてください。

2016/03/15

1977年、ジョージ・ルーカス『スターウォーズ』

ピーター・カッシングとアレック・ギネスを直接対決させたかった……。

ライトセイバーは一振り欲しいですが、撮影現場には日本から殺陣師を送り込みたいです。

『さらば宇宙戦艦ヤマト』が公開された年(1978年)の配給収入第一位(四十四億円)がこの作品なのだそうで、劇場公開を観た記憶もあるので思い入れはあるんですが、あらためて観てみると荒っぽいですなァ!

セットと特撮とCGがすごいから観ていられるんですが、もし見慣れた西部劇や第二次大戦ものだとしたら、そうとうアレです。お話だから主人公の成長ぶりが御都合主義なのはいいんですが、その見せ方が。

脚本は行き当たりばったりだし、編集は雑と云いたいまでにブツ切りだし。ものすごく金持ちの学生が勢いだけで作っちゃったという感じです。

ルークやハン・ソロの初登場シーンはもう少し間をもたせて印象的にやっちゃどうだとか、R2に機密が仕込んであることが分かるまでにミステリーの面白さを持たせるってわけでもないし、ケノービはどんどん自己紹介しちゃうし、ルークにまともに稽古つける前にいなくなっちゃうし、ルークに特別に高い能力があるようにも描けてないし。

要するに、脚本術とか殆んど知らない素人が「宇宙戦争」というアイディアと、それまでに観てきた西部劇や大戦ものや(日本の)時代劇の記憶だけを頼りに書き飛ばしちゃったのです。

でも、その「めんどくさいからどんどん行くよ!」という若々しさが最大の魅力。テンポが良いことだけは間違いなく、このドライブ感は若い鼓動そのものなのだろうと思われます。

これは、公開当時には昔気質な批評家からは渋い顔をされたけど若い人には大人気! というものだったのでしょう。

アシモフの『ファウンデーション』を読んだ時も、すごい勢いで話が進むので呆気に取られた覚えがありますが、これがSFの語り口なのかもしれません。「細かいことはいいよ」っていう男の子らしさ全開。だとしたらSFという分野自体が日本の文壇で評価されなかったのも納得です。深みが足りないとか、情緒が足りないとか云われたに違いないのです。

冒頭「宇宙船内で銃撃戦とかアホか!」と思ったんですが、これは確かに男の子が真似したくなるわなァと、なかば呆れ、なかば微笑ましく。当時の女性も「男ってほんっっとこういうの好きよね!」って云ったかもしれません。

ルークは士官学校に入ると云っていたから16歳の少年ということなのでしょうが、幼い観客の眼には、とうが立っているように感じられたものです。今回は(自分が歳くったので)だいぶ可愛らしいと思いながら観ることができました。

もうちょっと肌がきれいだと良かったですが、砂漠で暮らしていた話ですから、あれで合ってるのでしょう。砂漠で何やって生計を立てていたのかも、あまり細かくは描写されていないところで、もうとにかく飛ばして参るのです。

ハン・ソロが大学を出た後ヤクザな道に入ってしまった兄ちゃんなら、監督そのものなわけで、それが弟を連れて冒険の旅に出たのでしょう。男の子冥利です。ハン・ソロを大好きな女流漫画家がいたような気がしましたが誰でしたっけね。

なお、初見当時から、リーア姫(俳優はこう発音してますね)が可愛くないのが不満で不満で……。

じつは同じ1978年には宮崎駿が『未来少年コナン』を手がけており、美少女の神秘的な能力(と少年の超人的な能力)を活かした物語作りの点で、一枚以上上手だと思います。

このあと日本では安彦良和が『クラッシャー・ジョウ』を監督したり、山本優が『J9』シリーズを手がけたりするです。懐かしいですね。もうね、日本人は物量作戦でかなわないから手先を動かしたわけで、それでも俺だってSFやりたいと思った人々のことは、まっすぐに評価してあげなくちゃなりません。

ルーカス作品に戻ると、音楽が抜群に良いことは云うまでもなく、使いどころも良くて、だいぶ救われてるだろうと思います。メインテーマについては1998年のフランス・ワールドカップの際のエンディングに使用されて唖然とした思い出がありますが、あの時はもう「ラ・マルセイエーズ」をここぞとばかりに流してくれて良かったんですが。それはともかく。

航空機の出撃シーンにたっぷりと尺が取られてるのはアメリカ魂でしょうか。航空機にやられたこちらとしては複雑ですが、レベリオンの四発単座戦闘機はカッコいいです。

『インディペンデンス・デイ』の特攻シーンには号泣させてもらったんですが、こちらは少年冒険ものの楽しさを満喫できる仕上がりでした。ドラえもんの長編映画も連想されたことです。やっぱ男の子心。

Then man your ships, and may the Force be with you!

2016/03/14

1953年、阿部豊『戦艦大和』

総指揮:田邊宗英
監督:阿部豊
原作:吉田満『戦艦大和の最期』(創元社)
脚本:八住利雄
教導:能村次郎(元「大和」副長)
美術:進藤誠吾
音楽:芥川也寸志
出演:藤田進、舟橋元、高田稔、佐々木孝丸

守るも攻むるも黒鐵の、浮かべる城ぞ頼みなる。浮かべるその城、日の本の皇國の四方を守るべし。

九州徳之島の西方、二十浬。水深、四百三十メートル。昭和二十年四月七日、午後二時二十分。戦艦大和、ここに轟沈す。

緊密な1時間40分45秒。宇宙戦艦のほうに「よく見ておけ」という台詞があったので、よく見てみようと思ったのと、芥川也寸志の文字に惹かれたこともあって借りたのですが、静かなのです。

オープニングだけは後期ロマン派ふうの壮大なオーケストラ曲が芥川らしいのですが、「天一號作戦関係綴」の表紙が表示された後は、粛々と静かなのです。

映画としては実直な作りで、肝心な大和が稚気あふれる模型なのも明らかですが、冒頭の長い巡検シーンによって、総排水量七万二千トンの内部の広大さを表現する工夫をいたしました。

数人の将兵に焦点をあてて人間ドラマを描くので、乗組が少ないように感じられ、まるで駆逐艦のような一体感ですが、それによって吉田原作の精髄を表し得たと思います。

原作の精髄。それは実在将兵への無尽の尊敬と哀悼の念です。

命令くだり、死の不安を胸に、苛立ち、迷いながらも、海軍士官たちは紳士でありました。兵は純情でありました。

キャスティングがたいへん良いです。青年たちはまだ演技が生硬で、下士官を演じる中年は生々しく、少年兵はほぼ素人です。実際にこんな人々が亡くなったかと思うと、涙を禁じ得ません。

上級仕官を演じるベテラン俳優たちは、一触即発の若い士官たちを宥めるために、淡々と訓戒しながら、わずかに声が震える。心で泣いているのです。「終戦」後8年の時点にあって、役者の体内を演技以上のものが満たしていたように思われます。

でも感極まって男泣きする奴は一人も出てきません。死の緊迫感と持ち場への責任感が強すぎて涙も出ない。実録映像ではなく、あくまでフィクションなんですが、ドキュメンタリーのドライさを再現し得ています。

前半は、ベタな長台詞が多く、編集に甘いところがあって「昔の映画だな」と思わされますが、だんだん良くなります。ややファナティックな甲板士官が老兵相手に気遣いを見せるところなどは上手いです。

広い艦内で吉田もすべてを見たわけではないでしょうから、これは脚本が良いのでしょう。

長台詞の例:「いままで大きいと云われた長門・陸奥は四万トンだが、大和は七万二千トンだ。長門の主砲四十サンチ八門に対して、大和は四十五サンチ砲九門を積んでいるんだ。弾丸一発の目方が約一トン半。それが一分半で四万二千メーター飛ぶ。一回の発射で九発出るから、つまり、一度に十三トン半の鉄塊が飛ぶ。長門級の戦艦なら、大和の主砲一発で撃沈できる。大和一隻は、陸の七個師団に相当する実力があるんだ」
「そんなこと、俺たちよく知ってるがな」
「いや、国民の大部分はまだ大和を知らん。俺は、日本にはまだこんな強力な軍艦があることを国民に知ってもらいたいんだ」

実際に大日本帝國臣民は聯合艦隊が壊滅したことを知らされていなかったらしく、ただの日本国民となった今、あらためて知ってもらうことになんの意味があったかというと、その価値を否定するためではなかっただろうと思います。

しかも続けて青年たちは、航空機の時代に大艦巨砲の特攻する意義を問う。納得してから死にたいという。それは愛国心の否定でもない。彼らが勇気と理知を兼ね備えた優秀な若者たちであったことを伝えたいのだと思います。

「征く我々が国のためなら、残るお前たちも国のためなのである」

未熟を理由に退艦させられる候補生たちに藤田進演じる副長が送った言葉。

「恋し日本の山々見れば、母の笑顔が目に浮かぶ」

車座になって酌み交わし、歌声を重ねる将兵。慈父のごとく休養を勧告する艦長。

まだ裾の短い上着を着た候補生たちと傷病兵が退艦していく行列も、省略なく粛々と。実直なドキュメンタリータッチを貫きます。

「帝国海軍部隊は陸軍と協力、空海陸の全力を挙げて沖縄島周辺の敵艦隊に対する総攻撃を決行せんとす。皇国の興廃は正にこの一挙にあり。ここに海上特攻隊を編成し、果敢なる突入作戦を命じたるは、帝国海軍力をこの一戦に集結し、光輝ある帝国海軍の伝統を発揚するとともに、その栄光を後世に伝えんとするにほかならず。各隊は、いよいよ獅子奮戦、敵艦隊をこのところに殲滅し、もって皇国無窮の礎を確立すべし」

豊田連合艦隊司令長官から全軍へ訓示が発表されるまでに、46分を要しております。(なお「ししふんせん」と云っております)

上甲板にて君が代を斉唱すると、まだ女を知らない者を含めて、総員三千三百ふた名、淡々と出撃。宇宙戦艦とは違うブリッジの狭さが印象的です。どの部署も人口密度高いです。復唱がいちいち生々しいです。万里の波濤を乗り越えて、勇壮な軍艦行進曲がこれほど悲しく響くとは思いもよりません。

海戦シーンは美術・特撮陣が頑張りました。敗戦後8年の時点で出来ることを全部やりました。広角砲も機銃もちゃんと旋回します。火薬すごいです。撮影・編集も手が込んできて、見ごたえが高まります。

せっかく観客が感情移入した将兵は、さえぎるものもない甲板上で、一人また一人と倒れて行きます。いずれ砲弾が当たれば沈むのが軍艦の定めですが、機銃でバリバリ撃たれることは全く想定になかった。そういう時代の産物だったことが、わが身に沁みるように分かります。

海軍士官の理想形というべきスリムな佇まいの美しい高田稔演じる伊藤第二艦隊司令長官が「もはや傾斜復元の見込みなし」と告げられて浮かべる表情は、演技であることを忘れて、胸に迫ります。なお、まだ四月初頭なので冬服と略帽です。海軍士官が艦内に持ちこむ刀剣は短いようです。艦長以下は第三種です。

傾斜した甲板を人員が滑り落ちていく様は生々しく再現されております。洋上の生存者へ機銃を放つ米機ゆるすまじ。

陸の砲台になるはずが、沖縄へ到着することもできなかったのです。沈没地点を改めて地図で示されると、こみあげてくるのは悔しさです。今なお埋没する三千余の骸。誰も死にたくはなかったのです。だからこそ尊いのです。死者は美化されて良いのですが、模倣がなされてはなりません。

「戦争に生き抜いた者こそ、真実、次の戦争を欲しない。太平洋よ、その名の如く、とこしえに静かなれ」

2016/03/11

二次創作に親しんでも、構成の勉強にはならないのです。

「組み合わせ」だけではお話が進まない、というお話。プロになりたい人は気をつけましょう。



2012年度のNHK大河ドラマ『平清盛』は、その前年の夏から撮影に入っていますから、企画が練られ、脚本に着手されたのは、その数か月前の春。つまり東日本大震災がスタッフにも巨大な精神的インパクトを与えた中で制作されたのです。

誰もが「自分はなぜ生きているのか。ドラマやってていいのか」と思い悩み、苦しんだことでしょう。その心のうねりが、主人公の自分探しというテーマとなり、自分は誰なのかという叫びに結実した。そう思えば、時代を、社会を、確実に反映した象徴の一つとしての意義は大きいと信じます。

と、前置きした上で、その内部の整合の悪さを「日本のサブカル」に還元してしまう記事でございます。

【二次創作の弊害】

「日本の二次創作」というのは、あくまでパロディとして成り立っている限りにおいて、その内部でのみ整合性が取れるのです。つまり?

男同士でも、女同士でも、なに同士でもいいですけれども、任意の有名キャラクター同士に新しい人間関係を与えて描く。でも当人は「もともと交際していた相手を裏切った」というふうには悩まないわけです。なぜか?

制作動機が、アマチュア作家・読者にとってのジョークだから、新しい人間関係を一時的なものとして、原作の基本設定との整合性を無視するわけです。

つまり、「もしもザ・ドリフターズが忠臣蔵だったら?」というコントを演じているようなものです。「生きている時代が違う」とか「相応しくない」とか云っても仕方がないですね? もともと、それが分かっているからこそ、そのギャップが面白いので、新作コントとして成り立つわけですから。

だから、二次創作というのも、本来出会うはずのないキャラクター達が一時的な共演者となって、その二人の間で会話が弾むか、ウマが合うか合わないかという話を進めることはできます。でも原作の文脈へ戻してやった時には矛盾が生じる。でも、そこで悩んだ経験がないと「ま、いっか」で終わらせてしまう作家になってしまうわけです。

そのまま、何かのきっかけで一般向けの脚本に着手する機会をつかむと、書き始めは本人も視聴者も「男の友情って憧れちゃうわ」と思うけれども、話の後のほうで困ることになるのです。

【歴史が成り立たない】

歴史上で対立していた男たちの間に、じつは熱い友情があったというのは、魅力的な空想です。教育目的としても良い話です。でも、義朝と清盛、清盛と信西の間に熱い友情があったなら、平治の乱は起きない。

でも、それじゃ困るので、清盛は熱い友情を感じているくせに、義朝が出世できるように働きかけてやらない。友達がいのない奴です。

また、信西が暗殺されないように根回ししたり、徹底的に警護してやったりしない。気のまわらない奴です。とても将来の大物とは思えない。

むしろ、先に政敵を暗殺しておいたっていいくらいです。六波羅を怒らせると怖いぞっていうところを見せつけておけばいい。信西政権は安泰です。日本の歴史が変わったでしょう。それじゃ困る。

だから、清盛が宮中で根回しのできる政治力も、先見の明も、持ち合わせていなかったものとして描く他ないんだけれども、それでは彼を商売繁盛・出世の神様として慕ってきたビジネスマン達を納得させられない。

おそらく実際には、白河院の七光りで順調に出世しただけで、しかも武力を持っていたわけです。落胤がふつうの臣籍降下ではなく、降った先が強力な武家だったことによって、空前絶後の出世街道が敷かれたのです。いや、後の武将が真似をしたのです。

でも、本人が「これから武士の世を作るぞ」と考えていたわけではない。異常な権力は、むしろ彼に取り入ろうとした周囲の卑しさを表すものであって、本人は福原へ行っちゃったくらいだから、自由人ではあった。

でも、当時の武士の一人として「家」を最優先に考えていたのであって、おなじ武士だからというので誰とでも親しくつきあってくれるというタイプじゃなかったのです。どっちかってェと「源氏ごときと一緒にしてもらっちゃ困るぜ」と思っていたかもしれない。

そもそも、あの時代は、じつはそれほど父権集約的ではないのです。

家長の一存によって、それぞれの家の子郎党を引き連れて合従連衡というふうになっていない。「一個人=一家の代表としての有権者=成人男性」というのは、近代の発想です。

でもあの頃は、それぞれの実母の実家や、乳父・乳母とのつながりが強く、おなじ家の中で帰属意識と利害がモザイク状に入り混じっている。

創作物に当世風の脚色を加えることは認められているから、そのような社会史をバッサリ無視して、落胤であることをスティグマと捉え、「武士の世」を口に出し、義朝との友情を描いてもいいけれども、それなら源平が糾合して貴族に対して反乱を起こすという話にならなければおかしい。

あるいは、一緒に東国へ走って独立政権を樹立する。それをマネジメントできるほどの男でなければ、国際ビジネスマンの先駆者とは云えない。

しかし、それではもちろん史実とズレてしまう。史実ありきの大河ドラマは、「男の友情って憧れちゃうわ」というだけでは進まないのです。

脚本家は、明らかに「同人」的な世界を知っている。それをあえて起用して、若い視聴者を取り込もうとした放送局の目論見は、あるていど奏功した(ツイッターではブームが起きた)んだけれども、決して忘れてはならない昔ながらのお客様を取りこぼしたのでした。

【同人の将来性】

念のため、「だから二次創作なんか禁止しろ」という話ではないことはお分かり頂けますね? 

そればかり書いていても良いプロにはなれませんよ、同人誌即売会で50年間「壁サークル」として君臨することも、ほぼ不可能ですよという話です。な、なぜ50年間?

だって、もし本当に同人活動だけで食っていくつもりなら、退職金がありませんから、いま20歳の人が70歳になるまで、同人活動だけで稼ぎ続け、老後の貯金も作らなければならないからです。

もともと「創作さえ出来れば楽しい」という芸術家肌でもなく、さりとて本当に商業主義的に男性向けも女性向けも児童向けも並行して描いていけるというほどでもないという人が、アニパロを売れば楽ができると思って、迂闊に関わって、やっぱりダメで、社会を恨むようになる。

こういう事態は、先に「そんなに甘い世界じゃない」と知っておくことで、防ぐことができます。

さァ、あなたの一生分の生活費を計上し、それを一冊千円で割ってみましょう。毎年何千冊完売しなければならないか分かりましたか? 楽勝ですか? 一人で会場へ搬入できそうですか? 

客観的とは、自覚的であるということです。自分で自分が見えているということです。

大世俗化の時代に、宗教の代わりに「セラピー」というものが流行るのは、もともと「祈る」という作業が「神に感情移入し、高いところにいる神の視点で地上の小さな自分自身を見てみる」という作用を持っているからです。

それが気分転換となり、発想の転換が生まれ、迷っていた心が自分から次にやるべきことを見つけ出すから、昔の人には、それがありがたい神のお導きとして感じられたのです。

神を信じられなくなった現代人は、神の代わりに「セラピー」と称して、自分を離れたところから見てみましょうと云うのです。

同人活動で重要なのは将来性です。安倍総理の云った「失敗した人にも優しい社会」は嬉しい言葉ですが、そもそも失敗しないに越したことはありません。

遊びをせんとや、生まれけむ。たわむれせんとや、生まれけん。

二次創作は、適度に楽しむ遊びです。

2016/03/10

漫画同人会と個人の混同。

漫画と小説を同じ名前で呼んで混同することによって、同人が将来の道を踏み誤ってしまう、というお話。漫画家になりたい人は漫画を描きましょう



「漫画を原作とするテレビアニメを素材とするパロディ作品という特殊な創作物を同人誌即売会という催事に出品する」

という活動は、ひとつ決定的な弊害を生みました。いえ、著作権問題ではありません。それは話し合いで解決が可能です。

社会問題として、もっと重要なのは「小説を出品するために参加した人が、隣りのブースに座っている漫画同人会の会員と自分を混同し、漫画編集部に人脈ができたつもりになって、いずれ自分も漫画家にしてもらえると期待しちゃうもんだから、小説の勉強をしなくなる」ということです。

もとより漫画は描けない。

当然ながら、いつまで待っても漫画編集部から「デビューしませんか」という話は来ません。漫画同人会の先輩に教わって、まじめに漫画の描き方を練習していた人は、漫画家としてデビューしていきます。

取り残された小説派は「だまされた」と思う。社会が悪いと思う。親の育て方のせいだと思う。プロになった奴はズルをしたに違いないと思い込み、悪口を言いふらす。

でも「自分は『同人誌即売会に出品したのと同じものじゃダメなんだ』と思って諦めたのに、同人時代とおなじ作風でデビューした漫画家はズルイ」んじゃなくて、自分は小説を書いていたから、漫画編集部から相手にされなかっただけです。

【漫画は職人技です】

漫画を描くには、コマ配置・フキダシ配置・トーン削りなど、身につけるべき約束事・技術がたくさんあります。

背景画は、人物のじゃまをしてはいけないので、風景画・静物画それ自体を作品として成り立たせるためとは違う独特の約束事を知っておく必要があります。

「手に職をつける」という言い方がありますが、漫画というのは特殊な職人技なのです。

どんなに奇抜なエログロのアイディアを持っていても、「あえぎ声」のオノマトペなら何行でも書くことができても、それだけでは漫画家にはなれないのです。左向きの顔のイラストしか描けないのでは絶対になれないのです。

きちんと漫画を描ける人というのは貴重なのです。

だから優遇されるのです。原作をつけてもらえるのです。でも文芸派は条件が違うのです。漫画編集者だって期待されても困るのです。

編集者としては、文芸派がオリジナル小説を完成させてくれないことには、漫画の原作として採用してやることもできません。文芸雑誌・文庫の編集者に紹介してやることもできません。

アニパロ小説を何本書いても将来性はないのです。

編集者がオリジナルアイディアをくれて、文体も赤ペン添削してくれて、内申書も書いて小説家デビューさせてくれるなんてことはありません。進学校じゃないのです。自分からオリジナル作品を投稿してくる人を採用したほうが早いです。

【温故知新と申します】

古い時代をふりかえってみましょう。そもそも同人とは、同人会の会員です。同好会という言い方でもいいです。同人誌とは、その会誌。

尾崎紅葉がやっていたのも、与謝野鉄幹がやっていたのも、村岡博が岡倉天心の『茶の本』を翻訳して10回に分けて連載した『亡羊』も、佐伯彰一と三島由紀夫と日沼倫太郎が参加していた『批評』も同人誌です。現代の俳句誌・短歌誌も同人誌です。新聞に載っていますね。

なお、国語辞典には「同人雑誌」の形で載っています。文豪・研究者たちも「我々が出していた雑誌」という言い方をします。同人誌という言い方自体が、いつの頃からか発生した流行語的な用法なのかもしれません。

もともと俳句がきらいだから俳句同好会に入ったって人はありません。諸般の事情によって会誌の発行が停止されても、心は何々会の同人のままで、一生、句作や歌詠みを続けてよいわけです。

批評同人は批評を続けるし、漫画同人なら一生かけて長編漫画を描いて「ライフワーク」と称してもいいのです。手塚・石ノ森などは、一生「トキワ同人」というつもりだったかもしれません。

誤解されがちですが、プロになったから「もう同人ではない」ということもありません。金沢市を拠点とした漫画サークル『らぶり』は、ポスト二十四年組とも称されるプロ漫画家のグループでした。

さかのぼって、白樺派に属した人々も、それぞれに単行本を上梓する作家や詩人、個展を開く美術家だったわけです。

制作の時点で一人で頑張るのは当たり前です。それを合同誌として発表し、あの有名な『白樺』だから面白いものがそろってるだろうと期待するお客さんを待つか、たった一人で単行本を発行するかの違いです。

薄い単行本を発行しただけなら、それは単なる私家版・自費出版であって、本来、同人活動ではないのです。つまり、グループ活動ではないのです。

【同人の約束】

同人活動とは、本来、出版社とは関係のないところで、自由な作品発表を楽しもうというものです。硬直したアカデミックなメインカルチャー、あるいは陳腐化した商業主義に対して、新風を吹かせようというものです。

それが、やがて近代文学の名作として認められ、出版社が発行する全集に収録されて、出版社の利益となったわけですから、出版界にとって同人界が青田なのは、明治時代から当たり前です。

が、本人たちが同人誌を発行している間は、むしろライバルです。紅葉が美妙を引き抜かれたことを愚痴ったみたいに。

だからこそ、お互いに知らん顔するのが原則です。出版社は、同人会の会員自身が一般販売・プロ化を望んで原稿を持ち込んでくるまで手を出さない。

同人側は、自由を愛する心が過ぎて、度を越えた冗談のようなものを発行してしまい、それで逮捕されそうになっても、「自分の遊び心から思いついたものだ。俺の芸術だ。誰の世話にもなっていない」と言い張るもんです。

もし同人を自称する人が「出版社のお情けでやらせてもらっている」かのように云うなら、恥だと思えばいいです。

【コミケの個人化】

そもそも、同人誌即売会またの名を「コミック」マーケットというところは、漫画同人会が集まるところです。漫画の同人誌をお互いに審査する。優勝賞金の代わりに同人誌の売上という形になるわけです。

同人会が個人化するのは簡単で、高校・大学の同級生を基盤としていた同人会が、3人いた会員のうち、1人が地元就職し、1人が転勤すれば、残るは1人です。「サークル何々の代表Aです。いまは1人でやってます」となります。

もし、残った人が一番下手な人だったら、サークル自体が有名だったとしても「面白くなくなった」ということで売れなくなりますから、即売会からは撤退。本人によほどやる気があれば売れなくても描くこと自体は続けるでしょうが、多くの場合は描くこと自体をやめてしまい、サークルは自然消滅となるでしょう。

もし、一番うまい人であれば、即売会で生き残ることができ、年々「クチコミ」によって評判が高まり、ファンの数が増え、行列が長くなるということになります。

だいたい、さっさと辞めちゃう人というのは熱心ではなかった人でしょう。また芸術家肌の度が過ぎて「なかなか描けない」なんて人も続きにくいものです。

だから残った人は、あるていど割りきって、周囲の流行も取り入れながら、どんどん描いていくようなタイプ。だから「前のジャンルは忘れます」となるのです。

真面目なアニメファンは「アニメファンでもないのにアニメを素材にするのは許せん」と思うから、前のジャンル忘れる発言も許せないと思うものですが、世の中に物まね芸人のファンというのがいるように、「あの同人作家が次はどんな素材をどんなパロディとして仕上げて来るかな」という、パロディそのもののファンという「ありかた」もあるわけで、そう思えば、次々に新作を生み出す同人は、たいしたもんなのです。

【個人参加】

個人参加した人というのは、そういうふうに淘汰された状態を見て、真似した人です。

つまり、本人も「乗り」が良くて、他人に調子を合わせることが上手いんだけれども、どこの同人でもない。どこの同人会にも入会させてもらっていない。

まだ同人じゃないのに、コミックマーケットまたの名を同人誌即売会というイベントに参加したから、自分も同人だと思っちゃった人です。

1983年のブームの頃には、まだサークルの形態を保っていました。お兄さんお姉さんの真似をしただけで、漫画の描き方をわきまえない中学生の仲良しグループのようなものでしたけれども、ともかく「何人かで集まってやるものだ」という原則の意識が生きていたのです。

1985年頃からプロに転じたCLAMPも、もとは学校の同級生が数人集まったものです。だから、それさえ知らずに「最初から個人でやるものに決まってる」という人が現れたのは、これ以降。

つまり、何も知らない人が「簡単に稼げる」というマルチ商法のような話に引っかかったのが、1980年代後半だったのです。泡沫同人と云えるのかもしれません。

【同人と個人の混同】

1985年頃までは本当のサークルの形態が残っていたわけですから、その出身者で出版社に就職し、漫画編集部に配属された人が、同じ漫画サークルの後輩に声をかけるということはあったでしょう。

日本の出版社は、創作家が読みきりを完成させて投稿してくるのを待っていない。しめきりを設けて連載を要求する。雑誌の体裁を整えるために執筆者の頭数をそろえる必要があるのです。

で、個人参加した人は、歴史ある漫画サークルの隣のブースにいただけで、本来はその同人会の会員ではありません。お隣さんの先輩は、こっちの顔も知りません。でも自分もついでに目をかけてもらえるつもりになっちゃったわけです。

ここ重要です。

これは、おなじ「アニパロ」同人だからという理由で漫画同人と文芸同人を混同した「コミケ」という場所でしか起こり得ない異常事態なのです。

本来、漫画家になりたいなら出版社に初出オリジナル漫画原稿を持ちこむべきです。小説家になりたいなら文芸雑誌の新人賞に初出オリジナル小説を投稿すべきです。

でも、アニパロ小説をやってるうちに漫画編集部から声をかけてもらえるという噂が噂を呼んだ挙句に、同人誌即売会参加者だというだけで、もうすっかり業界人になったつもりの人を生んでしまった。

ふたこと目には「編集が~~」と云う人は、このタイプです。業界の裏事情に詳しいつもりです。でも同人の約束は知らない。プロに迷惑をかけない、編集だの何々先生だのと名前を出さないという大原則を知らない。

【同人と個人の対立】

これは実際に肉弾戦があったということではなく、潜在的なものですが、昔ながらの漫画同好会の会員にとっては、部外者に入ってきてほしくないという気持ちがあったはずです。

彼らから見ると、アニメを題材に小説を書いている人々は、たとえそれが小説としての高い完成度を誇ったとしても、部外者です。漫画じゃないんですから。

軒先を貸したら母屋を取られた。この恨みが初期のコミケを知る人々の胸から晴れることはないでしょう。

対するに、個人参加した人は自己正当化したいから、「同人誌とはアニパロです! アニパロとは文章です。同人とは個人です。オリジナル漫画同好会など実在しません!」と云いたがるわけです。

もちろん、実在したのが事実です。

じつは、過去を知ろうとしない心は「いまの自分が一番可愛い」という心です。いまの自分が一番えらいから、他の人の云うことは聞かないという心です。

地方都市の住宅街の核家族の共依存的母子関係のなかで醸成された根拠なき過剰な自尊心。わりと簡単に背景が浮かんできますね。

この心は、当然ながら謙虚に修行するという姿勢を生みません。自分から作品を鍛え直していくということをしません。本当にヤマなしオチなしイミなししか書けません。いつまでたってもデビューできません。同人誌も毎年おなじようなものばかり出しているから、3年くらいで飽きられます。

もし、1990年頃に急に売れなくなったという人がいたら、凶悪事件のせいで同人誌即売会が永久閉鎖されたわけではないのですから、ちょうどその頃に自分の(努力不足による)才能の限界が来ただけです。

せめて最初にイベントを立ち上げた人、それよりも前から存在していたサークルに失礼のない言動を心がけましょう。それは同人の掟というよりも、人間としての礼儀です。

逆にいえば、本物のプロではなく、プロ気取りになって礼儀さえ忘れてしまう。これが即売会のもう一つの弊害なのかもしれません。

(本物のプロなら、リップサービスとしてだけでも「親に感謝、社会に感謝、先輩に感謝しています」って云うのです)

【「同人やっていた」】

もし、あなたの周囲にこれを云う人がいたら「オリジナルでしたか? 二次創作でしたか? 漫画を描いていましたか? 小説でしたか?」と確認しましょう。

そして、もしその人が「同人ってゆぅのはアニパロに決まってるの! 栗本薫よりも売れたの! そんなことも知らないの!?」って答えるようだったら、そんなことしか知らないんですかと溜息まじりに云い返してやっていいです。そして、そっと離れましょう。

同人という言葉で「イコール二次創作BL小説」と思い込んでいるようであれば、他の話題についても短絡的で、なにかと早飲み込みで、要点を勘違いしているくせに、無意味な優越感に駆られている人です。

そもそも「同人やっていた」という言い方が、すでにおかしいのです。

本来どこかの同人会に属するものですから、かつての文豪や批評家たちのように、ぼくは何々という雑誌の「同人だった」というのが正解です。

「やっていた」って云っちゃう人は、つまり最初から「同人とは個人的にアニパロを出品する活動のことだ」と勘違いしていたわけです。

【明日のために】

漫画家になりたいと云いながら漫画を投稿せず、栗本薫に対抗意識があるくせに、ミステリー新人賞に挑戦しない。

はかない期待を抱いていた人の根本には、「自分だけ特別あつかいしてもらえると信じる心」があったということになるでしょう。すなわち、都会的な最新流行の活動に参加しているつもりでありながら、実家の親に甘やかしてもらっている気分を再現したかったのです。

じつは、これは明治以来、親元を離れて都会で学問する若者が陥ってきた、心の罠です。

学生の分際で「女郎屋通いを自慢」し、賭け事にふけり、活動写真を観て、学費を使い果たしたといっては、実家に請求する。親が何度でも甘やかしてくれることを信じていた。挙句に放校処分になった奴が大勢いたのです。

もし現在の日本政府が(まだ)コンテンツ産業育成に力を注ぐつもりなら、漫画家になりたい子には確実に描画力を、小説家・脚本家になりたい子には確実に文章力・構成力をつけさせましょう。

そして漫画は漫画雑誌の新人賞に、小説は文芸雑誌の新人賞にそれぞれ投稿すべきこと、アニパロ小説を漫画編集部に見せてもどうにもならないことを教えましょう。

2016/03/09

萩尾望都を読んでも、アニパロは生まれないのです。

同じ名前で呼んだことによって、漫画と小説が混同されているというお話。



【1.漫画とアニメの混同】

漫画を読んで感動した人は、漫画のパロディを描けば良いことです。

萩尾望都『ポーの一族』を読んで、エドガーとメリーベルとアランの3点バランスではなく、エドガーとアランが恋人同士だったら、なお一層「印象的」だな、と思って構いません。本人の発想の自由です。

でも、アニメキャラクターを利用するのは、また別のアイディアです。誰が最初に「漫画のパロディを売るとまずいが、アニメキャラクターなら著作権の心配がない」と勘違いしましたか?

「そんなこと云っていいの!? 私のバックには漫画編集部がついてるのよ!」と威張りますか? それはあなたが漫画原作アニメの時代になってから参加したからです。

1970年代のSFアニメは、宇宙戦艦も、合体ロボットも、モビルスーツも、ウルフのマークも、テレビオリジナルです。原作漫画は存在しません。当時の慣例からいって、制作・著作はテレビ局、または個人プロデューサーです。

西崎義展に許可とりましたか? って話です。

【2.二十四年組どうしの混同】

萩尾望都『ポーの一族』という漫画作品は、1972年に小学館から発表されています。

主人公はエドガーという少年で、じつは吸血鬼ですが、昼間の世界でも生きていけるという特殊設定です。普通の少年のように転校した先で、アランという少年に出会い、吸血鬼の仲間にしたいと考えます。

一人で永遠に生きていくのは寂しいので、親友をほしがったのです。あくまで男の子が男の子の友人をほしがっただけであって、恋愛関係を結ぶ様子は描かれていません。

また、かたわらにはエドガーの妹がいて、少年たちは二人とも、この美少女を守ることを最優先に考えています。

もし「自分が少年愛の美学という主題に目覚めるにあたって、最も影響を受けたのは『ポーの一族』だ」という人があるならば、その人自身の中で「BL化」というアイディアが始まっちゃったのであって、『風と木の詩』という作品は関係ないのです。

なぜなら、少年同士の恋愛を明確に描いた『風と木の詩』という漫画作品が小学館『少女コミック』誌上で連載を開始したのは、1976年の春だからです。引き算はできますね? 4年も後です。

世の中には、ただこれだけの話を理解できずに、やたらイライラして「だって私は確かに漫画を読んでアニパロに目覚めたんだもの!」と云ってしまう人もあるのです。

おそらく、きちんと二十四年組作品を読んでいないのです。1980年代に入ってから「アニパロの参考書」として、まとめて読まされたか、噂話だけ聞かされたので、発表年の違いを認識していないのです。

でも冷静な人には、二重に混同が起きていることがお分かりになるかと思います。

【3.漫画と小説の混同】

同人誌即売会またの名を「コミック」マーケットという所は、直訳すると漫画市場です。つまり、もともと漫画同人会が集まる場所です。

つまり、漫画を描くことが好きで、自筆の漫画原稿を持ち寄っては、漫画雑誌を(合同で)自費出版していた人々が、大集合する場所です。

念のため確認しますが、漫画とは、四角いコマの中に、フキダシと呼ばれる台詞と、小さな人物画がいっぱい描いてあるもののことです。使用する紙は上質紙またはケント紙です。大学ノートや四百字詰め原稿用紙ではありません。

ところで、松岡正剛も書評した『やおい幻論』(榊原史保美、1998年、夏目書房)という本があるのですが、その主題は「やおい作家・やおい少女と呼ばれる当事者たちが直面している問題を解説する」ことだそうです。

じゃあ「やおい」ってなんでしょうか? 松岡も書いている通り、榊原自身は『JUNE』という市販雑誌に連載を持っていた小説家です。だったら彼女は「JUNE作家」のはずです。そのファンは「JUNEファン」または「JUNE少女」でいいはずです。

もともと「やおい」とは、同人誌即売会に集まる同人が使った流行語のようなものです。プロは使わないのです。だって、プロが自分の作品を売り出すときに「どうせヤマもオチもイミもないから読まないでください」なんて韜晦することはありません。

それは、あくまでアマチュア同士が、自分たちのことだから、お互いに笑って済ませるつもりで云ったジョークです。でも、おかしいですね? なぜ漫画市場に集まっている人々のことを、小説家が代表して解説するのでしょうか?

また、2006年に同人活動を解説すると称して「同人誌とはアニパロです!」と短絡してしまった書籍が出版されましたが、その中にはインターネット掲示板に投稿された文章が転載されました。

同人活動からプロデビューした人として名前の挙がるCLAMP、高河ゆん、ついでに赤松健のいずれも漫画家なので、勘違いされやすいのですが、多くの人が漫画の話をしているつもりで、じつは「同人活動とは文章表現だ」と思っているのです。

【4.新しい文芸】

テレビとアニメーションの技術の進歩によって、テレビアニメを見ながら小説を構想するという人が出てくるのは当然のことです。

台詞だけが羅列されているのは戯曲の一種と思えばいいですし、西欧の耽美派詩人が遠い東方の古代文明や、その姫君に思いを馳せたように、宇宙の戦士に思いを馳せる小説家(の卵)がいても良いことです。サロメの名を使う人がいるなら、戦士の名を使う人もいるでしょう。

それ自体は善悪の判断をすることではありません。若い人が世相を的確にとらえた例として、文芸史に位置づけてやれば良いことです。

問題は著作権ですが、これも同人みずから「もともと許可なんて要りませんよ。二次創作は海賊版じゃないんですから、著作権侵害を構成しないんです」と言えればいいだけのことです。(言い張る権利はあります。)

ただ気持ちの問題として、原作者が「ヌードはいやだ」と云えば、パロディ作者のほうでそれを尊重する。原作者を敬愛しているからこそです。あくまで、こういう理屈です。

だから富野由悠季が雑誌『OUT』に粋な計らいを見せたというのは、むしろ「法的権利を立証することは難しいが、なめられて終わりたくもないので、やるならちゃんとやれ」という皮肉をきかせたのです。逆にいうと「一生懸命描きましたという限りにおいて応援する」という意味にもなります。

だから同人(の一部)における本当の問題は、大学を出たという人までいるのに、関連する法律を勉強しておらず、「アニパロはヤバイけど、漫画編集部がついてるから大丈夫」という筋違いな噂を広め、それを信じてしまうことです。もう一つの問題は、漫画・アニメそのものと混同することです。

【5.少年漫画家にはなりたくなかった】

コミックマーケット通称コミケにアニパロ同人誌を出展し、「栗本薫よりも私たちのほうが売れている」と自慢していた、という話があります。

なぜ、1人の小説家と大勢の私たちを比べるのでしょうか? 私たちの書いていたものが小説だったからに違いありません。漫画を描いていたなら、竹宮恵子よりも売れていると云ったでしょう。

そのアマチュア小説家たちは、少女漫画家になりたかったので、少女漫画道の先輩には遠慮して、少女漫画をパロディの元にしなかったのだそうです。

では、少年漫画家にはなりたくなかったので、少年漫画道の先輩には遠慮しなかったということになります。

でも少女漫画道の大先輩であり、現代BLの流祖と目される竹宮恵子は1980年代初頭に『地球へ…』という少年漫画(少年を主人公とする漫画)を描いて、少年誌に連載し、アニメ映画化に至る成功を収めています。

(※漫画としての連載は1977年から1980年。劇場版アニメが1980年4月公開でした。修正してお詫びいたします)

なぜ「私も尊敬する竹宮先生のように少年漫画を連載できる女になろう」と思わなかったのでしょうか?

なぜ、もともと少年キャラクターに関心を持ち、題材にしたいと思った人が、少年漫画家にはなりたくなかったのでしょうか?

塀内夏子という実例がある以上、「竹宮先生は例外中の例外で、ほかの人には全く望みがなかった」とは云えないのです。

もし1980年代初頭の時点で「少年漫画家になりたいから少年漫画道の先輩には遠慮する」という姿勢が確立していれば、1983年以降の少年漫画原作アニメによるパロディ小説ブームは起こらず、榊原は「やおい」を論じる必要がありませんでした。

つまり、全く成り立たない話なのです。

【6.それは文芸雑誌です】

明治時代の同人雑誌が小説の扉絵として裸の女の絵を載せたら発禁くらったってのは有名な話ですが。

アニメキャラクターを主人公にした小説が何本か載っていて、その扉絵や本文中の挿絵として人物の顔が描いてあるというのも、文芸雑誌です。人物画がアール・ヌーボー調ではなくアニメ調であるというだけで、それは文芸雑誌です。

文芸雑誌が漫画市場に出品されているのは、おかしいのです。誰もおかしいと思わないことがおかしいのです。

かつての「やおい論」というのは、特殊な恋愛物語という主題にばかり気を取られて、研究者自身が興奮してしまったという性質があり、プロとアマチュア、オリジナルとパロディ、漫画と小説の混同に気づかなかったのです。

でも、最初の時点では、まだ誰も「アニメキャラを利用した小説を出せば必ず客がつく!」という予想を立てることができない。だから書きたい人が勝手に書いてしまった。

もともと小説を読むことが好きで、文芸サークルに入っていた人が、自分でアニメを見たか、同級生が熱心に話を聞かせてくれたので、パロディ小説を書いて、彼(女)が組織したアニメ同好会の会報に寄稿した。

それを、アニメファン側が拒否しなかった。むしろ「この発想はなかったw」とか「続きを書いて」となった。こういう交流があったと考えるのが自然でしょう。

なにも漫画同人会が「皆様! 私たち、もう萩尾先生を見習って漫画を描くことはやめましょう! アニメを見て小説を書かなければ流行に乗り遅れてしまうわ!」って云う必要はありませんね。最初の時点では、まだ流行してないわけですから。

それに、CLAMPや高河ゆんは、1985年以降に漫画家としてデビューしたのですから、漫画はもう古いから小説を書きましょうということでもない。

漫画市場の中で、漫画としてのパロディと、小説としてのパロディが並行して育ったのです。そして漫画と小説の歴史的発生順序からして、おそらく小説のほうが、じつは起源が古いのです。

コミケが1975年に初開催された際には、その参加者を新聞・ラジオで募集したというわけではなく、主宰者みずから全国に散在する漫画同人会に招待状を発送したのだそうです。

この時点では、招待されてもいないアニメ同好会や、それと混合した文芸サークルが乗り込んでくるのはおかしいですから、新たな動きがあったとしたら、1976年以降です。

「誰が1976年にアニパロ小説を出品したか?」という話をしている時に、「私は1983年に漫画を読んだのよ!」では、お話にならないのです。

【7.研究者の錯誤】

1985年以降、第二次ベビーブーマーの成長に基づく同人誌即売会参加者の急増と急激な世代交代(=淘汰)があって、前代の知恵が受け継がれなくなったらしいのです。

研究者・メディアが「少年愛の美学」だの「やおい論」だのと言い出したのは、じつはその後で、1990年代のことです。

だから彼(女)らも専門家っぽい顔をしているだけで、話がよく分かっておらず、「二十四年組に影響されて稚拙な少年愛漫画を描くようになった少女たち」という話から始めたはずが、おとなの小説家に意見を聞いてみようという方向へ、ずれてしまう。

でも小説家だって、自分は『JUNE』誌上でプロデビューするためにオリジナル作品を一生懸命考えて書いてきたんですから、ちゃっかりアニメキャラクターを利用して楽をしたがる少女たちのことなんて知りません。

後から流行に乗った少女たちは、なぜそれをオリジナル作品として完成させ、プロとして独立することを目指さないのか? なぜ、わざわざアニメキャラクターを利用し、その権利者とファンの神経を逆撫でしなければならないのか?

女性同人が女流漫画家を利用しないのは、自発的に遠慮したからではありません。女流漫画家が利用させないからです。なぜか?

若い手をインクと墨汁で汚してきた彼女たちにしてみれば、少女漫画家になりたいと云いながら小説を書いている子ども達は、許しがたい嘘つきでしかないからです。

くり返します。プロ創作家たちが自分の作品を「ヤマもオチもない」などと韜晦したことはありません。出版社がせっかく出版権を得た原稿をそのように宣伝したこともありません。

間違いは、すでに1980年代よりも前の時点で、漫画を原作に持たないアニメ番組に基づくパロディ小説というものが流行しており、それが著作権侵害で訴えられないように、できるだけ目立たないように、プロ作品と区別するために隠語を用い、少女はそれを真似ただけなのに、その流祖がプロ漫画家であるという、とんちんかんな公式説明を誰も疑わなかったことによります。

なお、少女と称しつつ、じつは1970年代後半の時点で、すでに18歳以上の「成人」だったということもあり得ます。東京のイベントに初参加したのが、大学進学を機会に上京した後だったということも充分に考えられるからです。

1969年に安田講堂において学生運動が頂点に達した後、大学に静穏の戻った1970年以降は、大学進学率が急増しているのです。

誰もが無反省に議論の前提としてしまっている条件を疑ってみるというのは大事です。それが学問の第一歩のはずなのですが、研究者たちが気付くことが出来なかったのは残念です。

【8.研究者の仕事】

「初期のコミケには少女漫画が出品されていた」という話もあります。むしろ当たり前です。

女子校の美術部・漫画部などが招待に応じれば、当然そうなるのです。正確には、少女を主人公にした漫画ではなく、萩尾などに影響された美少年ものだったかもしれません。

すべてのスペースオペラ・アニメの基になったと云われる西崎義展作品が再放送によってブームを起こしたとされるのが1975年秋。

それから急いでガリ版切って、年末のコミケ初開催に間に合わせることも不可能ではありません。でも、この時点ではまだ「何がなんでもアニパロをコミケ初開催に出品せねば」というインセンティブがない。

いっぽうで、すでにこのとき『ルパン三世』(緑ジャケット)、『海のトリトン』『科学忍者隊ガッチャマン』などが放映され、ファンクラブもたくさん結成されていたので、その会報が出品されてくるのは時間の問題だったでしょう。この時点では、たんにキャラクターの似顔絵や、漫画版とアニメ版の違いを比較する考察記事が載っているものだったかもしれません。

西崎アニメの劇場版が予想外の大ヒットとなったのが1977年8月。

この頃、テレビでは少年向けロボットアニメに少女漫画ふうの金髪美青年が悪役として登場する現象が相次ぎ、学童期を脱した女性ファンを獲得していました。

いっぽう、1978年以降は『未来少年コナン』『死の翼アルバトロス』『カリオストロの城』など、宮崎駿アニメ(に登場する少女キャラクター)が男性ファンの心をつかんでいました。

1980年頃には、社会も「おとな」のアニメファンがいることを認識しました。みのり書房の雑誌『OUT』は、1980年7月号をアニパロ特集号としました。

だから、これ以降は、ある意味順調に、アニメとアニパロの時代です。

したがって、アニパロ成長を確認する鍵は、1970年代にあります。

コミケに出展されなかった肉筆回覧原稿(大学ノートなど)は、もはや確認しようがないから、1975年・76年・77年・78年・79年に出品された同人雑誌を統計的に有意な冊数集めて比較し、有意差を確認する。

これが出来なきゃ研究者の仕事ではありません。もともと「迂闊に手を出すな。女権団体の政治目的に利用したいからといって、あわてて混同するな」という話なのです。

【9.まとめ:四重の混同】

1.漫画から直接アニパロは生まれない。
2.『ポーの一族』と『風と木の詩』は同じ作品ではない。
3.「やおい」とはパロディ作品のことで、プロ作品と同列には語れない。
4.おなじアニパロといっても、漫画と小説では起源が違う。

区別すべき要素がこれだけあるのに、1990年代に「やおい論」などといって分析ごっこに夢中になった研究者・メディアには理解できなかったのです。また「同人やっていた」と称する人の中にも混同して覚えている人があるのです。

でも本当は、そんなに難しい話ではないのです。当たり前のことが積み重なっただけです。

だから一番の問題は、研究者などの専門家まで含めて、「後から参加した人の視野がせまく、自分で自分の勘違いに気づかない」という、人間心理の弱点というか、日本人特有の議論下手というか、他人の定義におもねって問い直さないまま議論を進めてしまう甘えの構造というか、そういう点なのです。

2016/03/08

同人・BL論の意図と、日本の研究者の難点。

当ブログの同人論・BL論は、もともと研究者に向かって、研究の基本姿勢を問い直すものです。ひらたくいうと「大学の先生のくせに、言ってることがおかしい」と指摘するものです。

「同人活動を禁止させろ」と言っているのではなく、同人に突撃インタビューしているのでもありません。

にもかかわらず、同人活動経験者が被害妄想にかられて、自己弁護するつもりで暴露話を始めてしまい、「語るに落ちる」ということが時々あるので困るのです。

もっとも、その自己中心的なクレームのつけ方自体が、一体どういう人が勘違いしたまま同人活動を始めてしまい、人生の道を誤るのかというサンプルの一つではあります。

栄光ある現役同人の皆様には、あわてて墓穴を掘ってしまうことのないように、くれぐれもご自愛ください。

【研究者の場合】

海外の最新学説を翻訳紹介することを自らの責務と心得てきた日本の学者は、その輸入物の鋳型に日本の現実のほうを押し込め、はみ出した部分をカットして、見てみぬ振りをしてきました。

また仲間による翻訳の間違いに気づかぬまま「この語句はどういう意味か」と長いこと議論するということも、やらかしてきました。

一つには、ドイツ語・ロシア語を読める人が少なかったので、自分の眼で原典を確認できなかったということがあります。また一般人の中から「マルクスを原語で読んでみたが、そんなことは書いてなかったぞ」という指摘があることは、全くの想定外でした。

だから、外部から批判されるということに慣れておらず、自己批判も下手なのです。

ここの趣旨にそって例え話をしてみると、大学の社会学ゼミで現代の市販BLを題材にして「なぜ昔の女性はプロ作家まで自分の作品を『ヤマもオチもイミもない』などと自虐したのでしょうか?」という問題を出す。

これに対する正解は「昔の女性は差別されていたので自虐せざるを得なかったが、いまの女性は社会進出がすすんだので、自分から堂々とボーイズラブというようになった」です。一種の誘導尋問です。でも、そもそも問題の立て方が間違っていますね?

プロが自虐したことはありません。編集部がせっかく原稿料を支払って出版権を押さえたのに「当社が自信をもってお勧めするヤマもオチもない駄作」などと宣伝することもありません。

また「少年・愛」を直訳した和製英語である「ボーイズ・ラブ」も女流作家が自分から言い出したのではなく、男性の編集長による命名とされています。

「ヤマもオチもイミもない」というのは、アマチュアが著作権問題を隠蔽するために用いた隠語です。

用語の定義を確認せず、前提を間違えたまま問題を立ててしまい、それに対して正しい解答を出したつもりで内輪ウケする。日本の学者にはよく見られる態度です。

そして、その態度は大学へ通っていたという同人にも受け継がれてしまっており、その口癖は「だってみんながゆってたもん」です。

自分の頭で考える学生を育てることができなかった。これは研究者の怠慢です。もとより学業に落ちこぼれたから学生の分際で同人活動を始めてしまうわけですが、研究の道に進んだ者もおなじ迎合性を身につけたままなのです。でも、学者が学生と一緒になって「少女ごっこ」していた時代は、終わったのです。

(第一、大学生なら18歳以上だから少女じゃないですね。)

2016/03/07

2016年、NHK『真田丸』第7回「奪回」

奪回ならずw ああいうおばあちゃんになりたいです。

昨年から三谷脚本と聴いて期待しつつも、取りまぎれて一回も視聴していなかったのですが、やっと時間が取れました。機器操作上の手違いで、まず最初に第7回を始めてしまったので、そのまま拝見しました。

ホッとしました。


『黄金の日々』や『獅子の時代』の頃の大河ドラマがデジタル技術でブラッシュアップされて戻ってきたという思いが致します。

大河ドラマは、じつは昔っから話題の若手を起用してみたり、シュールな演出を試してみたり、いろいろやってはいるのです。今年は演出に凝りすぎて陳腐になることもなく、カメラ割りがうるさ過ぎることもなく、力量のある脚本をすなおに活かして、芝居の面白さで見せる方針とお見受けしました。英断です。

なにをさておいても草刈正雄が目と耳の保養です。演技最高です。堺雅人はまだ若いのに倍返ししか出来ない人になっちゃたらどうしようと思ってましたが、これもホッとしました。大泉のいっぱいいっぱいぶりが良かったです。

いずれの家でも、ご子息に目つきの鋭い細面の俳優を配して円熟した父上と対比させたのが効果的に思われます。今回はコメディリリーフがツボの分かってる役者さんでしたし、いつかの平家みたいに力押しの芝居する人もいないし(重要)

いつかの平家は、要するに会話が書けなかったわけで、各キャラクターが独り言ばかり云っており、男同士の関係に過度に思い入れる女流脚本家の情念がいちばん目だってしまったのでしたが、今回は戯曲を分かってる人の筆で、頭のいい父上から云われた通りにお仕事を頑張りながら自らの未熟さに悩む若者の爽やかさと愛らしさという、全方向に視聴者取り込みの網が発射されているようです。これは気持ちよく引っかかれます。

長澤まさみちゃんの役は、もっと若いと愛嬌が出るのでしょうが、まァ仕方ないです。嫁入り前の行儀見習いという立場でしょうから、本当は15歳くらいなのでしょう。いや女優自身はうまいです。

こういうのも脚本家自身の性別がちゃんと出ちゃうところで、男性から見た現代的な気の強い女性の鬱陶しさがよく表れていたかと思います。女流は男のふりして男性を主人公にしても、自分(同性キャラクター)を美化して賢い女のように描きたがるもので、なかなかここまで書ききれませんね。

衣装が見事で、男性陣の戦装束も、女性の着た絞りの小袖も、とても美しく魅力的でした。

ひき続き頑張ってください。見るほうも頑張って追いつかないと。エンケンはまた損な役っぽいです。

2016/03/04

1977年、西崎義展『宇宙戦艦ヤマト』

無限に広がる大宇宙。1974年10月6日、日曜夜7時半。地球は突如として滅亡の危機に瀕してしまったわけですが、日本アニメ界の作画力は極致に達していたようです。

手描きなのです。すべて人間が、日本人が、手で描いて、手で彩色していたのです。個人用コンピュータなど想像もつかない時代だったのです。

開始まもなく沖田艦が回頭するとか、ドメル軍空母の飛行甲板が反転して砲台が出現するとか、手書きの巨大戦艦が垂直方向に半回転するとか。「ヤマトには潜水艦機能も備わっているのだ!」 

開いた口が塞がらないとはこのことです。なに考えてんだ。

これを「描け」って云った西崎もすごいけど、なによりもまず実際に描いた人々がすごかったのです。金属の塊である兵器の重量感を、セル画で表現し得たのです。

「お前、なんでアニメーターなんかやってんの? カネを稼ぐなら他の方法もあるだろ?」と云われたとき、やっぱり「描くことを仕事にしたいから。絵が好きだから」と答えるしかないだろうと思うのです。

(そもそもアニメーターの給料は、昔も今も良いものではありません)

そういう人々が「カネに糸目はつけないから最高のものを描いてくれ!」と云われたら、「おう、任せとけ!」と答えたくなるだろうと思うのです。

リアルタッチのアニメというと、早くも1968年に『巨人の星』があり、戦記アニメというと1971年『アニメンタリー決断』があり、SFアニメでは1972年に『科学忍者隊ガッチャマン』がありました。

1974年には、すでに制作現場にはある程度の技術の蓄積があったわけですが、そのレベルが西崎の我がままともいう芸術家気質につきあう内にどんどん上がって行っちゃったわけで、吉田竜夫も長浜忠夫も宮崎駿も呆気に取られながら(あるいは歯噛みしながら)放映を見つめていたことだろうと思います。冨野由悠樹は嫉妬で燃えたぎっていたようですね。

人物のほうの輪郭線も、回を重ねるごとにペンさばきが洗練されていくのが分かります。

【同人精神】

物語のほうは明らかにご都合主義です。思いつきの寄せ集めで、キャラクターの発言は辻褄が合っていません。ドメルの誤算はヤマト艦内に真田という男がいたことに尽きます。また、サンプルを採取していないアナライザーが、どうして艦外の空気や水質を分析できるのか。

制作者に科学知識が欠如しているか、わざと無視しているのは明らかで、まともなSFファンから見れば「しょせん子供の見るもの」というレベルでしかありません。

でも、テレビ放映時以来の古参ファンは、この劇場版の公開にかける製作総指揮者の熱意にふれて、自分たちが同人誌を作るのと同じだと感じたそうです。

また彼らは、翌1978年に公開された続篇『さらば宇宙戦艦ヤマト』がメディアによって「愛」というテーマだけを強調された時には、違和感を覚えたといいます。でもテレビ第1シリーズの企画書の時点で、西崎自身は人類愛を強調しています。

ということは、ファンにとっては、ヤマトの醍醐味は愛というテーマではなかったのです。

それは、やっぱり男の子らしいミリタリー趣味であったり、マニア心を興奮させるメカニック描写の緻密さであったり、敵将への尊敬の念による高揚感であったり、宇宙の神秘の情緒であったり、その研究への意欲をかき立てられる知的刺激であったりしたのでしょう。

また、資金さえあれば自分の思いつくままに映画を作ることができるという、個人プロデューサーの姿勢・立場そのものが憧れとなったでしょう。

この作品にこめられた熱意が、技術が、多くの人のクリエイター魂を刺激したことは疑う余地もありません。

こののち、続篇はその公開が若手による『新世紀エヴァンゲリオン』や『ONEPIECE』の公開と重なって惨敗を喫するということを続けるわけですが、それらがヤマトの提示したものを継承していることも疑いがありません。

【反面教師】

西崎自身は最初の時点で「シリーズを温存する」という発想を持っていなかったわけです。

もともと歌謡曲の歌手を地方巡業させていた人なんだから、できるだけ手持ちの駒を活かして長続きさせるという発想があっても良かった。高倉健などの映画を見ても、シリーズ化は容易に思いつく。

でも、第1シリーズに入魂したのです。日本人らしい金髪コンプレックスにせよ、戦中派らしい戦争への複雑な思いにせよ、父親との個人的な葛藤にせよ、すべてを表現しきって、「なにもかもみな懐かしい」という感慨のうちに幕を閉じたのです。

もし最初から打算があったのであれば、無事に帰投したヤマトが、宇宙のヒーローとしてどこへでも人助けに行くという話を続ければ良かった。いや事実続けたんですけれども、もっとうまくやることができた。

若いキャラクター同士に掛け合い漫才を演じさせ、女性キャラクターのお色気場面も毎回登場させ、有名人をイメージしたゲストキャラも登場させ、最後は何か決め台詞を云わせて、学童の間で流行らせる。笹川ひろしがやっていたんだから、できたのです。

でも、そういうシリーズ構成とか、業界のテクニックをまったく知らなかったのです。やっぱり芸術性の高い素人だったのです。だから若いアマチュアが「俺たちの同人誌みたいだ」と感じた。応援したくなった。

だからこそ、後になって「あのキャラ生かしておけばよかったな」ということも起こる。

宮崎駿は続篇を作らない人で、その代わりといっちゃなんですけれども、キャラクターを印刷したグッズを展開させる。西崎は、あの時点ではそこで踏みとどまることができなかった。

主人公は、古代進。とても人間的な過ちを犯す若者でした。

逆に、現在のアニメ製作は、彼の二の轍を踏まないことを金科玉条としている。シリーズ化を念頭に、それに耐えられる原作を見つけ出し、一定のレベルで満足することを「プロ意識」というふうに価値観を逆転させている。悪いことではありません。もともと大手映画会社・老舗アニメ会社がやっていたことだし、同じような負債を生み出し続けるわけにはいかない。

でも、西崎と格闘することになってしまった人々が「もっとおとなしくしていれば、もっと無難な作品で済ますことができたのに」と云うことはないのです。

【超ド級テレビ用】

というわけで、この映画は、1974年秋からテレビ放映された第1シリーズのダイジェスト版。監督は舛田利雄がクレジットされてるんですけども、ここは西崎の名前で。

テレビ放映の際は、アナライザーなどのコメディリリーフ的活躍があって、コミカルな場面も多かったように思いますが、毎回最後に「地球滅亡まで、あと何日」と表示されるので、ドキドキしたものです。

そうです。本来、劇場用に作られた絵ではないのです。テレビ用なのです。なのにガミラス本土決戦の迫力と奥行き感の物凄さは映画の域さえ突き抜けているのです。

これを現代にデジタル技術で再現することは不可能じゃないですが「ぜんぶ手描き」という衝撃だけは、もう取り戻すことができないでしょう。

冒頭、沖田さんが退却を決意する場面の色の使い方は、実写でも珍しい前衛的な表現で、ハッとさせられます。ワープの際の工夫も(まさに)出色です。

1974年。公害とオイルショックに喘ぐ日本で、これを自己資金でまかなっちゃうって。

この年数はつねに頭に置いて観るといいと思います。『スター・ウォーズ』よりも『未知との遭遇』よりも早いのです。編集の元になったテレビ放映用フィルムは、1974年に完成しているのです。

【少年少女】

原作にあたる(ことが裁判で認められた)西崎の企画書によると、地球を救うために立ち上がる少年少女の物語なのだそうです。古代と島は「訓練学生」なのです。

現代の学生は在学中に成人しちゃうわけですが、大学進学率の低かった当時は、視聴者として高校生を想定していたのかもしれません。

当時は第二次ベビーブームで、その親が団塊世代だとすると、まだ26歳前後。出産に先立って結婚式・婚活期間があることを考慮すると、少なくとも当時の女性は23歳くらいで結婚を決意して、お見合いを始めていたのです。というわけで、スターシァはそのくらいの設定。雪が5歳くらい若くて17、8歳というところでしょうか。

『科学忍者隊ガッチャマン』も、男は男くさく、女はやたら色っぽく見えますが、18歳以下の少年少女という設定なのです。アニメの絵柄がアメリカンコミック調だった当時は、大人っぽく描かれていたのです。

【西崎イズムのアナクロ化】

物語は、シリーズを通して、主人公の自分探しや恋愛など、人間関係上のドラマをあまり追求しなかった作品で、ひたすらに任務を追求する人々を描いております。

沖田もドメルもデスラーも、用意万端整えて、部下に作戦を説明した上で敢闘精神を発揮しているわけで、打つ手がないゆえの特攻志向・玉砕志向ではないのです。

部下に説明するのは、もちろん観客に説明する都合上なのですが、この手回しの良さと思いきりの良さの両立が西崎イズムなのだろうなと思わされることです。

1974年時点で現場のベテランとして働いていた人々は、戦中派です。彼らにとって、たとえ意識の上では西崎とのつきあいに疲弊しきっていたとしても、多勢に無勢のヤマトが連合軍に立ち向かう日本軍、あるいは欧米に立ち向かう日本の姿として、奥深いところで響いていただろうとは、云うまでもないかと思います。

この後の時代においても、上述のように、宇宙の敵と戦う少年少女というモチーフや、船旅が男のロマンであることには変わりがない。

最も変わったのは、主人公がより少年らしくなったことや、女性キャラクターの活躍が目立つようになったことや、動物キャラクターを活かしたコミカルなエピソードが加わるようになったことでしょう。

その可愛らしさという新要素が、全社員一丸となって西崎に忠誠を誓う制作現場をそのまま反映していたヤマトワールドというか西崎ワールドの熱っぽい魅力を、若い世代において凌駕したのでしょう。

【もう一度評価されるべき】

ガミラス軍国主義の表現は「枢軸国が今さら何やってんだ」と云いたいところで、海外からのクレームを想定せずに好きなようにやれた時代だったんだな、と思わされますが、これをアメリカへ売り込もうとしていたというなら、まったくもって良くも悪くも無邪気な製作総指揮者ではありました。

でも、もう一度評価されていい作品だと思います。

1974年の時点で、日本人は、すべて手で描くことによって、これほどの表現を可能にしたのです。劇場で拝見したいものです。

2016/03/03

2015年、牧村康正・山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』講談社

この国には、西崎義展という男がいたのです。

役者見るよないい男で、絵に描いたようなワンマンで、浪費家で、ケチで、度胸がよくて、寂しがりやで、自分本位で、面倒見がよくて、男惚れされて、殺されてもおかしくないほど憎まれて、クラシックとジャズを理解し、演歌の興行を打ち、アニメにはズブの素人で、だからこそ最高のアニメ映画を作ることのできた男がいたのです。

「この企画は西崎の制作助手を六年間にわたってつとめた山田哲久が発案し、出版メディアから「ヤマト」を見続けてきた牧村康正が構成・執筆を担当した」(p.15)だそうです。

タイトルに「狂気」とつけなければならなかったのがミソ。あまりに破天荒で、お金の苦労をさせられた人も多く、ヤマトファンといえども「ヤマトが作られた頃はいい時代だったね」とノスタルジーに浸っては済まないので、腹をくくってから頁を開いてください、という意味。

もっとも狂気という言葉を使ったのは、もと東映プロデューサーの吉田達で、企業勤めではなく独立独歩の個人プロデューサーには、いずれも非常識さがあるし、必要だというのです。惚れたほうの内です。

法学部出身の牧村が、緻密な調査と豊富な引用によって西崎の人間性を証明するわけで、要素を配置する構成の妙と、明晰な語り口によって、グイグイ読ませます。

西崎自身の人脈がすごかったので、証言者として登場するのは綺羅星のごとき芸能界・音楽界・映像界・出版界・アニメ界の面々です。駆け出し時代の冨野・安彦・庵野など、彼ら自身の人柄のよく分かるこぼれ話として読むのも面白いです。

本人がアニメ界における経歴を虫プロ商事からスタートしたので、その親会社だった虫プロや、日本製アニメそのものの歴史を概観できる書でもあります。手塚先生のお人柄の良さが偲ばれます。

ヤマトの企画が動き始めてからの経緯は感慨深く、1977年の劇場版公開の折には、すでに結成されていた541団体・6万人に及ぶファンクラブ会員が動員されたくだりは涙なしには読めません。

このとき西崎の胸には、自信のある作品だから世に出したい、より多くの人に見てもらいたいという一途な情熱しかなかったはずで、ポスター貼りのために街頭へ出たファンクラブ会員たちの瞳も、まったく同じロマンを映していたでしょう。

その後の西崎の振る舞い、続篇の迷走によって、思い出が汚されたとは云いますまい。初回放映(またはその翌年の再放送)によって得られた感動は、いまもそれぞれの記憶のうちに結晶しています。

あの子が振っていたスカーフは、当時を知る人々の胸を今も真っ赤に染めている。

そういうことでいいと思います。

阿久悠が感動的な詩を書くことができたのも、西崎その人にインスパイアされたからのように思われます。作曲家・宮川泰が起用されたのも、西崎のショービジネス時代の個人的人脈によるのです。読書中、つねに宮川メロディーが脳内に鳴り響いていたことをお伝えします。

西崎ばかりでなく、多くのヤマト関係者が、いまははるばる、星の世界の人となってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

2016/03/02

2002年、ポット出版『「オカマ」は差別か』伏見憲明ほか

副題:『週間金曜日』の「差別表現」事件。

季節の変わり目らしく片付け物をしたら、ポット出版の目録が出てきたもんですから、取り寄せてみました。「差別か」というんだから、「いや差別ではない」という反語を含んでるですな。

「オカマは差別だ」というなら話がシンプルなわけですが、これは一見すると「そのようなクレームに対してメディアの自治を主張し返し、対話の通路を開く」という話。初版2500部。崖っぷちでがんばるポット出版。

なお、当記事はあくまで書評・分析という位置づけで、今さら議論に加わろうという意図ではありません。

【経過】

まず及川健二が東郷健を取材して、その反骨精神と、したたかな愛嬌と、いくらか老いた現在の姿をあますところなく書き表した。その記事を雑誌『週間金曜日』が掲載するにあたって、扉に「伝説のオカマ」というキャッチフレーズを掲げた。(2001年6月15日発行、367号)

これに対して、東郷自身とは関係のない当事者団体が「オカマという言葉をメディアが使うな(影響力が大きく、差別を助長するから)」とクレームした。

これに対して、『週間金曜日』が当事者団体寄りの特集記事を組んだので、本多勝一による「問題の立て方が問題」(p.126)という内部批判があって、さらにまた別の人々から、それぞれの立場による投書が相次いだ。

最も重要なのは、東郷自身が「そんなタイトルで雑誌に載せるとは聞いてないわよ」と云ってないことです。他人が横槍を入れた。今ならツイッターで瞬間沸騰するような話なんですが、この頃にはまだ3ヶ月かけて誌上討論してます。

で、ポット出版が、この議論の一部始終の再現を試みた。ということのようです。

【再現の努力】

A5版ソフトカバー。装丁はなかなか煽情的ですが、中味は冷静で、序盤において通常なら参考として巻末に付されるような細かい文字で、『週間金曜日』にそれぞれ思うところを投書した人々の名前が著名人・一般人の別なく、すべて収録されています。

ポット出版が『週間金曜日』+一部当事者団体連合に対立する意見もあったことを重視する姿勢を示し、公平であろうとしているわけで、まずポット出版の編集姿勢を高く評価したいと思います。

ただし『週間金曜日』側がほとんどの記事の転載を認めてくれなかったそうで、巻末にはポット出版による長い恨み節が掲載されています。本文は対談が二段組み、投稿記事は四段組みで、決して読みやすくはないです。どうしてこうなった。

(たぶん頁数を抑えるためと、週刊誌・新聞報道のような効果を狙ったんでしょう。)

【シンポジウム】

伏見憲明の呼びかけによって、2001年9月に新宿で行われたシンポジウム(または居酒屋におけるトークライブ)には、渦中の当事者団体が出席しなかったもんだから、事実として『週間金曜日』社長兼編集長の黒川宣之を「なんで奴らの肩だけ持ったんだよ」と糾弾する会になっちまっており、さらに東郷健という存在そのものへのコンプレックスが表明されたり、ほんというと同性愛という言葉もいやだ、ゲイという言葉もいやだなど、積年の恨みがまとめて噴出したクレーム大会という様相を呈し、伏見はこのプレッシャーを軽減するために笑いにまぎらすというポーズを取ったのだろうと思われます。

いかにこの時まで、多くの当事者が自らのセクシュアリティを名指すことに悩み、議論さえも成り立たなかったかが察せられます。その意味では21世紀の幕開けにふさわしい事件であり、シンポジウムだったと云えるのかもしれません。

なお、ポット出版が噛んだ時点で、記事を融通できないという出版業界の問題・著作権の問題にもなったわけで、それだけ話題が豊富だからこそ一冊の書籍として成り立ったわけですが、これはもう売上だけが目当てで関われることではなく、ポットさんの出版者魂を見たと云ってもいいのだろうと思います。

【シンポジウム後半】

黒川が予定通り2時間で退座すると、コミュニティ内部の話し合いとなります。最も突きつめて考えているのは野口勝三のようで、示唆的です。

>言論にとって大切なことは、自分には正しいと思えることを感覚の異なる不特定の他者に合理的に納得させる努力をいとわないことなんです。(p.80)

差別されたと思う側が「この痛みは誰にも分からない」と高圧的に引きこもることをせずに、説明していく努力が、やっぱり必要だというのです。

これに対して「説明責任などない!」と突っぱねるのは1990年代的で、これからはそれだけじゃ立ち行かないというのでした。援護するのが松沢呉一。

>結論が先にある「抗議」ということではなく、本来は「自分たちはこういう考えを持っている。その場を表明する提供してください。みんなで考えましょう」という要求であるべきなんじゃないかっていうことですよね。(p.81)

なお、引用文の乱れは「ママ」です。ちょっと誤字などが多いです。がんばれポット出版。

会場からは『ジャパン・ゲイ・ニュース』の春日亮二が手際の良いまとめを見せました。最終的には、おなじく会場から発言した元TBSの下村健一による「個別対応する自由を守ること」(p.89)に集約されるかと思います。やっぱり本職は違う、といったところです。

【内輪揉め】

「一見すると」ってとこがミソなわけでございまして、これ要するに、同性志向者コミュニティの内輪揉めなのです。

同性志向者どうしで話し合いができていないことと、ストレート主体のメディアが彼らを取材・報道する時どこに気をつけるべきかという話がゴチャ混ぜになっているのです。

現代だったら、ツイッターで「オカマって言葉を使いたい人もいるんですよ! 勝手に禁止しないでください!」って云えば済むことなのです。そこから大炎上が起こるでしょうけれども「使いたい人もいる」という前提は動かない。

でも、当時はまだ「ディスクールの権力」なんて直訳的な概念を使わないと話ができなかったのです。

日本のサブカルも、ツイッター的な話法をいきなり自分たちで発明したわけではない。ミシェル・フーコーなどが特殊な人生経験を学問の領域に接続することに成功し、それを見て他の人々が「あ、その発想はなかった」というように気づいたわけで、やっとこの頃から、それが現実に生かせるようになってきたのでしょう。

だから、この時点では、最大の問題は「それが云えない」と思っていた人々がいたということ。つまり「性的少数者は一連托生」と思っていた彼らの心の問題だったのです。

そしてその内実を探ると、友愛精神に基づいて協力体制ができていたというより、彼らの中にも男女差別があって、より女らしい人々が「私たちもいます!」と声を挙げると、より男らしい人々が「お前らと一緒にされたくない。オカマは黙ってろ」っていう。少なくとも、より女性的な人々自身がそのように思って恐れていた。

だからこそ東郷健への違和感も表明されちゃうわけで、それを言われちゃうと「自分も東郷さんと似たようなもんだ」と思っている人は、声を挙げにくくなる。

だから、この時点で最も鋭かったのは平野広朗で、それをシンポジウムという形で顕在化しようと思った伏見憲明には、やっぱり行動力があった。また雑誌ではなく書籍の形で残そうとしたポット出版には、社会に対する責任感・報道魂があったと。

【フェミニズム】

平野の云う通り「オカマは黙ってろ」というのは「女は黙ってろ」というのと構図が同じですから、確かにここで女権団体が一枚噛んでもいい。

「女らしいことの何が悪いんですか! 私たちはオカマさんを応援します!」

でも、たぶんこの時点では、まだ女性のほうが男らしくなることにこだわっていた。髪を切って、ズボンをはいて、「心は男」と称することに自分で感激していた。

「やおいはトランスゲイ」と称する書籍の発刊は、意外に遅くて1998年。ここでは「想像の中で男を抱くことができる」と云っているわけですから、女流が男役の男性キャラクターに自らをなぞらえているわけです。

で、この頃はまだフェミの先生方が「やおいは私たちのものです!」と云っていた。

女性が女権拡張の行き着く先として、男になることを夢みていた間は、女性的な男性との共闘路線は見えてこなかったでしょう。女性がKABA.ちゃんなどのタレントを応援する、おなじスタジオに立つというのは、この後から目立ってきた現象だったかと思います。

そして、さらにその後から、やっと女性の政治家・新聞記者などが「おなじ女性として主婦の起業を応援します」ということが増えてきたのじゃなかったかと思います。

【当事者意識】

それにつけても論者が口をそろえて云うことは、単語ではなく文脈を見て判断するということ。

『週間金曜日』の担当編集者だった女性は、長々と弁明記事を寄せているんですが、これはこれで当然なのです。そもそも「タイトルのつけかたが不適切だった」というクレームだったんですから。

でも、じつは伏見ほかシンポジウムに出席した人々は、記事タイトルのつけ方が間違っていたとは思っていないのです。だからこそ「勝手にお前らだけクレームするな」という内部クレームになった。

じゃあ、その判断基準は何か? やっぱり、当事者を傷つける意図があるかないか。だったら、当事者意識優先であることに変わりはないわけです。

とすると、該当記事の場合、それをオカマ自認者100人が読んで「私、これはとってもいい記事だと思うのよ。タイトルも問題ないわ」と云って、1人が「俺はぜったいいやだ! オカマと一緒にされてたまるものか!」と云えば?

前者の勝ちってことになるのです。少数派内部の多数決絶対主義。そして「オカマと一緒じゃ気に入らないってどういうこと?」という糾弾が始まる。

でも、おそらく心優しき女性的男性の皆様は、そういうふうに対立の構図に持っていくことを好まない。だから、これからは誰かが「言説の権力」を持つのではなく、いくらでも対話できる雰囲気づくりを進めていきましょうという結論になる。

この意味でも女権団体を入れないほうがいいんじゃないかな……と思われるところです。

【考える人々】

この混乱ぶりは「日本人の議論下手」ということに還元しちゃってもいいのですが、重要なのはこれだけ考えるに考えることをゲイ(を始めとする性的少数者)が余儀なくされているということです。

彼らだって心穏やかに暮らしたいだけなのに、差別があるから、それに対してどう闘うか、いかに現状を把握するか、世界を切り取るかということに、ものすごく頭を使わせられる。

ここで「ゲイって頭がいいなァ。憧れちゃう。私の人生相談にも乗ってくれないかな」というところへ落ちてしまうならダメだこりゃなわけで、彼らのこれほどの思考の努力にストレートは応えられるのかというのが大事な問題なのだろうと思います。

2016/03/01

【ルサンチマン同人】【BLの本質】【BLの自戒】【明日のために】

以下は以前に用いていたカテゴリ名ですが、「同人・BL論」として発表年順に編成し直しましたので、カテゴリ名としては表示されなくなったものです。けれども、基本理念としてご一読頂けますれば幸いにございます。

【ルサンチマン同人】

一時期「同人誌即売会」に出展していたのに、人気をなくして、不良在庫と赤字を抱えて撤退し、今でも同人の世界全体に対して恨みを持っている人。

「同人」という言葉を眼にしただけで興奮してしまい、恨みごとを並べ始めるとともに、業界の裏事情を暴露し始めてしまいます。もちろん現役同人を困らせてやりたいからですが、本人は無意識的です。

自分が人気をなくした理由を分析できておらず、まだまだイケたはずなどと思っているので、時期的に一致した刑事事件や、就職氷河期といった社会情勢、さらには母親に責任転嫁していることもあります。

【BLの本質】

1960年代・70年代に発表された、日本におけるBL分野としては最初期の作品群から、共通する要素を抽出することにより、そこに表現された女流の意識(半意識)の解説を試みたカテゴリ。

「作家は同じ演技をくり返すわけにはいかない」とは、永井荷風が言った通りで、時代をくだるにつれて、ここから離れていくのは当然です。

とくに1990年代以降は、申すまでもない大不況でした。不況のときにはポルノグラフィを売るのが出版界の鉄則です。だから「ボーイズラブ」の名で赤裸々なものが売られたので、偏見が生まれているわけですが、思い切って50年前までさかのぼって源流を訪ねると、こういうことだという話です。

くれぐれも「私はエロしか読んだことないんですけど!」という自分中心のクレームは、ご遠慮ください。

【BLの自戒】

BL読者による社会批判・男性批判が度を越えることがあるので、自戒を促すために、あえてBLの欠点をあげつらっておくカテゴリ。

べつに誰にも失礼なことを言うつもりはないから、夢を壊さないでほしいと仰る方は、お読み頂くにおよびません。

また、これに基づいてBL読者をからかうことは、ご遠慮ください。誰しも、誰からもからかわれたり脅されたりせず、好きなものを好きなように読んだり、夢を見たりする権利がございます。

【明日のために】

過去に投稿した同人論・BL論を総括して、未来への提言とする記事群。やや長文です。

基本的に、サイト運営者などのアマチュアを含めて、研究者に向かって「問題の立て方」の反省を促し、政治家へ向けて柔軟なコンテンツ産業政策を提言し、教育関係者へ向けてあるべき人権教育を問いかけ、同人活動志望者に向かって失敗しないための心得を説くものであって、「同人活動は危険だから全滅させろ」と要求するものではありません。

同人関係者は、被害妄想にかられて、あわてて自己弁護するつもりで一般国民の皆様の敵意を強めてしまうような暴露話を始めてしまうことのないように、くれぐれもご自愛ください。

2016/03/01

2010年7月、堀切和雅『なぜ友は死に俺は生きたのか』新潮社

副題:戦中派たちが歩んだ戦後。

ああ、これはなんと危うい瀬戸際なのだ、無言のまま、彼らは去っていこうとしている。なぜ彼らが無言なのか、人々が考えもしないうちに。(p.183)

この国の夏は鎮魂の季節です。「終戦」後55年の節目に合わせて刊行されたように思われます。カバーには法政大学壮行会後の行進(昭和18年10月15日)のセピア色の写真が掲げられています。約190頁。ポイント数が大きく、読みやすいハードカバーです。

筆者は1960年生まれ。発刊の年には50歳。早稲田卒の劇団員で、岩波書店のもと社員。1993年に『三〇代が読んだ「わだつみ」』を、土井庄一郎の築地書館から出版しています。

土井と同じ大正十四年生まれのお父様をなくした後、その生き様を振り返り、言葉少なく愛情深かった人の奥底にあったものを理解しようとする。それは自らの若き日々の過ちの懺悔でもある。

この歳になると、振り返るのです。ひとかどの仕事を成し遂げて、親をなくし、少年時代からの親子の記憶をたどり直す。親父の云いたかったことが今なら分かる、気がする。

人間が若い頃にたくわえた記憶どうしを結びつけて考え、意味を見出すことができるようになるのは三十歳を過ぎてからなのだそうです。(参考:新潮文庫版『海馬/脳は疲れない』池谷 裕二・糸井重里)

序盤は岩波版『きけ わだつみのこえ』、続いて吉田嘉七『ガダルカナル戦詩集』(1972年、創樹社)から、数多くの引用がなされています。特攻将兵の遺書、戦地で物された詩文は、それ自体が圧倒的です。

誰も死にたくはないのです。死ぬ時は痛いに決まっているのです。死の向こうには極楽があるのかもしれません。でも、死ぬということは、この世の生が、この肉体が、存在が「終わる」ということなのです。

終わりは、誰にとっても嬉しいことではないのです。だからこそ、彼らは考えた。なぜ自分が死ぬのか。なんのためなら死ねるのか。母のため。妹のため。生地の村に残る子ども達のため。

まだ自らの子も得ていない若者たちが、わずか数ヶ月の自問自答の果てにすっかり老成し、後に続くを信ずといって、「帽振れ」に送られ、出て行った。何人かは還ってきた。乗機の故障などによって、突入に失敗して。蒼白な顔をして。

70頁め以降は、還ってきた人々の肉声が続きます。これもさすが筆者が劇団員というべきか、生々しい臨場感をもって迫ります。長々と引用したい衝動に駆られますが、そうも参りません。

出陣前の若者たちの心持ちを『わだつみ』から響かせ、ガ島の荒磯(ありそ)べに佇んで祖国日本を遠望し、復員船の中で上陸を待ちながら新憲法二章九条二項を読んで号泣し、上陸して五年ごとに日本らしさを失っていく社会を目の当たりにする。

死者たちの遺した言葉さえも自らに都合よく編集して利用する「戦後民主主義」の世を。

一生の恩人である土井氏を最初の案内役に、原爆投下から振り返ってさかのぼり、そこから逆に現在へ向かってほぼ時系列に並べた構成が良く、深甚な感情移入を呼ぶ……と思います。

が、拝金主義な戦後社会への批判は、真摯な怒りと嘆きに裏打ちされたものであっても、やや紋切り型で、具体的に何が気に入らないのかには立ち入っておらず、最初から筆者同様に現状を嘆く気持ちのある人を対象読者にしていると思われます。

つまり、逆に「お金が好きで何が悪いんだよ」と思う人は、ムッとするかもしれません。

高度成長、三里塚、オイルショック、バブル、その崩壊。走馬灯って例えも古いので、次々に切り替わるデジタル編集動画のように、戦後史を簡単におさらいできる本でもあります。

2010年のこの頃には、その後の混乱が、狂騒が、耐え難いまでに高まっていると感じられていたのかもしれません。

そのような心性が、世の中が、戦中派の心の底にあるもの、あるいは「無い」ものから眼を背け、彼らを愚弄し、沈黙させることによって成り立ってきたことを、丁寧に丁寧に証明する。彼らを語りながら、我らの本質を解き明かしているのです。

「ほとんど時間は残っていない」と書かれた発刊の年から、さらに5年が経過してしまいました。

1945年8月に14歳で海兵団へ志願入隊した人が一番若い兵隊さんで、今年で敗戦後71年めですから、85歳になられます。その10歳年長で、実際に外地へ行かれた方は、95歳。

彼らの名誉を回復する試みは、ほとんどなされなかったのです。

では、2010年に至って、その試みがやっとなされたことには何の意味があるのか。堀切自身にとっては、お父様の追悼という意味があります。そして自らの晩年へ向けて、正しく生きたいと思っているのであって、社会を右傾化させたいと思っているわけではない。これは戦争反対の書であって、軍隊賛美の書ではありません。

でも、これが出せるようになった背景には、小林よしのり以来、左傾したヒューマニズム、いわゆる戦後民主主義への反感が高まったという事情が、やっぱりあるでしょう。それがまた単純な右傾的陶酔に利用されないように、冷静に受けとめられるべき一冊なのだと思います。