明治20年、山田美妙『武蔵野』

  20, 2015 10:20
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顔ハメ看板のなかに「寛一・お宮」がありましたが、尾崎紅葉や山田美妙がやっていたのも「同人誌」です。与謝野鉄幹や武者小路実篤がやっていたのも「同人誌」です。

じつは、文豪って若いのです。現代人は大家となった彼らの風貌を写真で知っているだけなので、酸いも甘いも噛みわけたオッサンだと思いがちなのですが、じつは20歳くらいで「サークル」に参加して、小説を発表し始めたのです。

で、これはいかにも若い人が書いたらしい、血腥くドライな物語。同人ってやつァ変わってねェなァといったところ。

花の東京で学問に励んでいるはずが、小説を書くほうが楽しくなっちまい、挙句に何もなかった頃の武蔵野に思いを馳せちゃったりするわけです。

当時なりに満員電車に揺られ、卒業のための単位をそろえることに奔走し、ときには教授におべんちゃらを使い、同級生のてまえ見栄を張って散財したりなんかしていると……「みんな逝ってしまえーー」ってな気分になる。

じつは同人誌掲載ではなく、新聞連載小説なんですが、いかにも作風が「同人」らしいわけで、当時の大人読者も面くらったかもしれません。

現代の若い人に「漫画ばかり読んでないで明治の文豪でも読んで勉強しろ」といっても、想像力と世界観に与える影響の点で大差ないかもしれません。

技巧的な台詞からして、キャラクターは能装束を着けている(鬘帯を締めている)ような気がされるけれども、「わが跡弔いてたびたまえ」もないし、「仏果を得しこそ有難けれ」もない。涙・涙の再会劇もない。庶民の好きそうな大団円がない。若いインテリらしい皮肉が利いている。

読後感が何かに似ていると思うと、やっぱりSF系のショートショートかもしれない。高橋葉介や山上たつひこの漫画かな?(似たようなものか)

冒頭に登場した人物の物語が始まったかと思うと終わってしまうというのは西村寿行が『去りなん、いざ狂人の国を』でやっていて、呆気に取られましたけども、はや百年前にやってたですな。

冒頭の戦場風景は舞台劇よりも映画に近く、かといってこの頃の映画は(あったとしても)血の色を表現できないので、小説家の想像力が最大限の効力を有していた時代。

言文一致とはいいながら、まだ地の文にも江戸時代を残しているけれども、分析しながら書いていく技法は進取の気概に満ちている。そうでしょう、読者諸君。

書いている本人は、すごく楽しかっただろうと思います。

進学率の極小だった明治時代、その幸運を得た若きインテリたちは、基本的に裕福な家で行儀よく育てられたわけで、よくも悪くも社会的経験値が低い。かわりに、人が死ぬことや、女のことばかり考えているってところがある。親の期待に応えられず、大臣にも博士にもなれず、でも言われるままに勉強している奴らより、俺のほうが頭がいい、人を見る目が鋭いなんて思っている。コンプレックスだらけです。あげくに裸体画を掲載して発禁をくらったりする。

あるいは当時の青年たちにとっても、「同人誌」という響きは、自分と同世代が大人の目を盗んでやっている「ヤバイ」ものという雰囲気をともなっていたのかもしれません。

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