記事一覧

昭和13年、堀辰雄『風立ちぬ』


女は抱きしめてほしい。病気なんか怖くない、きみと一緒なら死ねるといって、貫いてほしい。夫婦なんですから。

でも彼にはできない。同じ部屋にいるのに指一本ふれない。彼女も無理強いはしない。だからジッと見つめている。男は「怖い」という本音を見透かされているのが分かっている。

そうかといって逃げ出すわけでもない。仕事があるなどといって都会へ帰ってしまうわけではない。

ずるい男なんだけど、悪い男ではない。彼を選んだ私の眼に、まずまず狂いはなかった。

女は病んだ胸一つにすべての感慨をたたみこんで、黙って死んでいくわけです。彼は彼女によって許されたんだけれども、自分を許すことができない。山奥に引きこもってしまう。

でも、それにつけても村娘に食糧を運んでもらう必要がある。男とは、独りでは生きていけない哀しい生き物だ……

そういう、言葉にならない、文章として書かれない、伏流水のような心理がずっと流れている。そういう小説だと思います。

実体験に基づいて、その際の心情を的確につづっているようでありながら、自分で自分に嘘をついているような、ずるい男の独り言は、体のいい自己愛表現なんだけれども、後味の悪い作品ではありません。

風景描写が美しいのはもちろんですが、根が良い人たちだからです。せめて愛する人の前で誠実でありたいと思う男と、ヒステリーを起こしたりしない女なわけです。

病気さえなければ、愛らしい若夫婦だった人たちです。

近代化して以来、日本は西欧に優越することができない国になりました。無理に優越しようとすれば戦争やる他ない。もちろん小説家たちは戦いたいタイプではありません。

日本の近代インテリは、なまじ理解力があっただけに、ずーーっと「頭打ち」された感覚、しかも(政府・軍隊によって)西欧と実際に戦うことを求められているという圧迫感、モヤモヤ~~ッとした暗い感じ・病んだ感じを持ち続けていたのだろうと思います。

その結論は「黙って愛しぬくことのできる女は強いが、現実から逃げ続ける男は哀しい」になっちゃうのかな……と思います。


Related Entries

SEARCH

Profile & Caution

Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。