鬱は創作物のせいではありません。

  25, 2015 10:20
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むずかしいお芝居のことばかり考えていたから鬱になったのではありません。

それに取り組む以外にやることのない生活だったからです。人間が創作物にのめり込む時は、やっぱり現実の不如意を抱えています。

やることがあるといっても、たとえば教員としての職務が忙しすぎて鬱病になることはあるかもしれません。でも無事に卒業していった子どもたちの将来が楽しみで鬱になるってことは(ほぼ)ありません。

愛玩動物の出産に立ち会って右往左往している時も、鬱にはなりません。なんの生き物も、赤ちゃんは自分が大きくなることしか考えていませんから、大人をも「生まれ変わった気持ちで」という気分にさせてくれるものです。

でも生まれ変わるといっても、女性は就職(中途採用)にあたって「若い子のほうがいい」と言われるから男より不利……と思いがちですが、男性だって新卒のほうがいいと言われることは同じです。

じつは男性でも、小劇団の旗揚げと解散をくり返し、あるいは自費出版で赤字を重ね、借金だらけになって親元へ逃げ帰るなんてことがあるものです。まだ1970年代だったら、黙ってお見合いしてくれる女性が見つかったかもしれません。

でも、1980年代以降に、カタギな就職を蹴って、芸能や作家の道をこころざしたが独立できるほどではなかったという場合、男女とも後が厳しいのです。

でも「鬱になった」と言っていられるということは、死ぬほどではなかったということですから、逆説的な幸せ自慢と考えることもできます。

鬱という言葉は、健康な人が「面白くない、気乗りがしない」という意味でも使われますが、ほんとうに鬱病と診断された上で「怠け、甘え」と勘違いされて苦労する人のことを思うと、あんまり使わないほうがよいのかもしれません。

(あるいは「鬱病」のほうで名前を変えるとよいのかもしれません。)



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