悪役不在時代の自己責任アニメ。

  04, 2015 10:20
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『おそ松さん』面白かったです。コピーのコピーのコピーじゃダメだと言われりゃ逆手に取る若い制作者たちもいることです。

絵柄がアーティスティックかつ、声優の使い方も含めて演出のセンスがひじょうに良く、まずは驚嘆の思いをもって楽しく拝見できます。

が、たぶんオールドファンには不愉快だろうと思います。いかにも現代的に暴力的すぎて、赤塚不二夫の域を越えてしまっているだろうと思います。暴力が悪者退治のために使われるなら「良い」とされてきたのがアニメの世界ですが、これは仲間内のイジメを描いています。

昔のように洋行帰りの金持ち(を気取るイヤミな奴)を悪役にして、そいつを「ギャフン」と言わせることで物語に落ちをつけることのできた時代はよかった。早稲田に対抗して、俺たちはばっかだーばっかだーーと歌っていられた時代はよかった。

現実としても、赤塚ワールドとしても、上流社会・インテリという仮想敵がいた時代はよかったのです。抵抗勢力ごっこが出来た。今の若者は、本物の上流に対しては潔く負けを認める。

おそ松さん達も、女の子が慶応ボーイに憧れ、合コンやりたがることは認めている。しゃくにさわるから慶応ボーイを待ち伏せして殴ったれということではないし、女どもに思い知らせてやれってことでもない。

結果的には女性の期待をも揶揄したことになるんですけれども、それ以上に本人たちの関心があるのは、抜け駆けした仲間に私刑を加えることです。

もはや女性にあまり失礼なことは言えないし、本物の上流に逆らったら本物の粛清が始まる。「世界」という巨人が我々を見おろしている。自由と自己責任という金看板の陰で、小さな俺らの攻撃性はお互いに向かう。ルサンチマンとは言うを要しません。

でも、じつはニートを描いている人はニートじゃないのです。脚本を買ってもらっている以上。

監督以下のアニメーターも、もちろんアニメ会社に就職できている。たとえ、生卵の値段以上に給金が据え置きされていようとも。

不良少女の内面を中年男性作詞家が描くように、もはやニートではない人が、ニートの鬱憤を晴らす物語を考え、ヒッキーにありがちな台詞を並べてみせている。これを見て感動しちゃってる奴とかいるんだろ? ぐらいのことを言われている覚悟をしなきゃいけないのが現代の視聴者です。

たぶん世界中に共感してくれる奴はいる。日本のアニメを愛し、そのツボを理解してくれる「フランスの俺ら」は確実にいる。でも、これを感動したと言えば言うほどダメな奴あつかいされることも分かっている。

というところまで、脚本家のほうで読んでいる。

6人の性格付けも明瞭ですし、たいへん出来の良い作品です。ただし不愉快です。視聴者を不愉快にさせるツボをよく心得た、出来のよい作品です。

一見すると、ほのぼのホームコメディで、ファミリー向けのようだけれども、完全に逆手に取っている。こういうのが日本でも出てくるようになったか……といったところです。この作品をもって「アニメは完全に大人のものになった」と言ってもよいのかもしれません。

子どもが性的描写や残虐描写に憧れることは、わりと簡単にできるのです。学童だって昔からエロ本を覗き見したり、怖い話を読んだり、「シュール」なギャグを面白がってきたものです。でも、それを面白がっていられるうちはまだまだ自分の未来に夢があるって気づいちゃった時が大人です。

デカパンさんと、だよ~~んさんは、気楽に生きてる(ように見える)中年世代への風刺なのでしょう。昔はべつにコンビじゃなかったような気がしますが、もしかしたらBL趣味への風刺なのかもしれません。(ゲイへの風刺ではないことにしておく必要があります。)

久しぶりに独身ストレート男性の逆説的ナルシスムが横溢したアニメと言えるのでしょう。その点では赤塚マインドで、先生もあの世から御覧になって笑ってくださっている……かどうか。

もしかしたら、なくなった大家たちというのは、対抗意識を燃やして「俺にも描かせろ!」と思うのかもしれません。


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