1973年、水木しげる『総員玉砕せよ!』

  21, 2016 10:24
  •  -
  •  -

点描と掛け網の圧力。対照的に白っぽい人物が、軍隊生活と戦闘の意義の虚しさを象徴するかのようで印象に残ります。

講談社文庫、1995年6月第1刷、2015年12月14日第28刷。密林に注文したら少し待たされまして、12月19日に「追悼 水木しげる先生」の帯が掛けられて届きました。

「一体我々はなにしにこんなところで戦うのでしょうか」
「そいつあわしにも分らんなあ」(p.209)

戦争そのものには国防という善悪を超えた意義があるのかもしれない。でもその遂行の方法には良し悪しがある。

現場を知らない若手が指揮官だから、作戦立案ができずに、自らの無力感を転倒させて「こうなりゃやけだ」という気持ちになりやすいのかもしれません。

内地では政治家と協議しながら大局的に事態の収拾を図るというインテリ指揮官が必要かもしれない。現場は古参が知っている。中間管理職を育てることが、最も重要なのに最もむずかしいのかもしれません。

相手は四発の爆撃機と、艦砲と、戦車と、機関銃。着剣して突撃もなにも、敵の前線に触れることさえできない。二百三高地どころか田原坂の頃から戦術が変わってない。

兵隊があっけなく肉塊になる場面が続いた後に、少尉二名が自決を強要される描写にたっぷりと時間をかける。漫画家自身による「あとがき」には、わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がないという言葉があります。

復員将兵や従軍記者による戦記にも、内地にあって民間人として空襲を経験した人の自伝にも、この作品と同様の淡々と衒いのない筆致による名著というのはいくつかあり、そこでは「怒り」という言葉が明言されることはないのですが、じつは一番深いところで通底している感情だろうと思われます。

ラバウルの将兵十万も惰眠と云われちゃかなわない。でも、これを突きつけられて「確かに俺はラバウルにいた」と云える人は少ない。

戦争はいやだ、悲惨だ、語り伝えなければならないというのは内地で空襲を経験した民間人に多く、復員した人はあまり語らなかったというのも無理もないことなのかもしれません。

他が黙して云わないことを赤裸々に露呈してしまうのが、あるいは無学な漫画家ならでは、低次文化(サブカルチャー)ならではの強みなのかもしれません。

足立倫行の解説によれば、もとは1973年8月に発表された書き下ろしなのだそうです。

このすぐ横で、永井豪がハレンチ漫画を描いたり、女流がSFを描いたり、耽美文学を参考にしたりしていたわけです。その根底には必ず「反戦」という意識がある。全体主義の否定、平和と個人主義の賛美がある。どんなに低劣に見えても。

1980年代に入ると、そういうサブカルチャーの根源を忘れて、あるいはあまりにも当たり前のものとして、平和と個人主義のありがたみに自覚のないままに子ども達が「二次創作、二次創作」とはしゃぎ出してしまったのなら……

なにかが壊れたのか、新しく生まれたのか。

水木しげる自身におけるこの作品の意義は足立が言い尽くしており、それも含めて購読なさるとよいので、まだの方はお買い求めください。税込み745円です。今んとこ。

Related Entries