1992年、水木しげる『のんのんばあとオレ』第二巻

  25, 2016 10:20
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「ガキ大将は強いばっかりじゃいけん 小さい子も面白く遊ばせる才覚がなくっちゃみんなはついてこん」

いいこと云うね、田舎の小学生。

講談社コミックス、1992年10月第一刷。妖怪に好かれた落第王の巻。

1970年代に描かれた『総員玉砕せよ!』のほうは、話法に荒いところがあって、じつはやや読みにくいのですが、こちらはコマ運びが滑らかです。作者70歳。

境港の落第王における異世界への興味は、逃避的な趣味として好事家が妖怪絵を蒐集するというのとはちょっと違って、抜きさしならない人生経験に裏打ちされている。

妖怪は、ゲゲ少年が「打ちどころが悪ければ死んでいた」という怪我をしたり、異性の存在感に神秘を感じたり、子どもながらに人間社会の難しさを感じたりしたときに出てくるのです。違和感の象徴というのか。

戦場の実際も知らずに戦争ごっこしていた時代から、ゲゲ少年は平和主義者で、プライドがあり、かならず勝てる戦術の立案能力があった。

のんのんばあは文字も読めないけれども、正しいと信じることのためなら雇い主にも抵抗する気骨があった。

上梓された順序は『総員』よりも、こちらのほうが後なんですが、この少年時代は、まっすぐに、あの丸山二等兵のドライさと、ちゃっかり加減、戦争への「わけのわからない怒り」につながって行く。

鬼太郎というのも、滅びゆく種族の最後の抵抗だったのでした。

第一巻に引き続き、少年時代最大の関心事は、子ども同士の戦争ごっこと同時に、特定の異性。美和ちゃんは良い旦那に出会えたと信じたいです。

鴎外にしろ、漱石にしろ、近代文学というのは、男性がみずからの無力さを見つめ、救うことのできなかった女性たちに詫びる懺悔の書という要素を持っていたと思われます。

漫画は高次元か低次元かというなら、これは前者に限りなく近づいた後者。作者個人の内奥にまっすぐに根ざしているからこそ普遍性を持つという好例。

基本的には空想の産物として、娯楽の種でしかあり得ない妖怪という存在と、自伝を結びつけるという創作技法のお手本としても最高位に位置する作品の一つかと思われます。

それにつけても、社会的には無力といってもいいお父様の名台詞の数々が心を打つことです。

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