1984年、佐伯彰一『外から見た近代日本』講談社学術文庫

  26, 2016 10:20
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昭和59年、第一刷。もとは日本経済新聞出版局から1980年に出た書籍らしいです。

「ぼくが、本書で試みたのは、あまり方法論とかシステムなどにこだわらない、いわば気楽で大らかな楽しみとしての、比較あそびです。それにしては、伸びやかさが足りず、何だか気忙しい固苦しさがつきまとっているのは、こちらの不徳の致すところと恐れいるほかない。ゆったりと気ままに楽しむつもりなのに、つい肩をいからせたり、大言壮語に走ったりしている。やはり、まだまだ比較ということが身についていないせいであろう。」(p.245 あとがき)

佐伯彰一、58歳。まだまだ身についていないそうです。この謙虚さが魅力。

初出が東大出版会やHarvard U.P.によるものだったりする論文の全編を、ご本人は「エッセイ」と称しています。すでに1980年には殆んど読まれなくなっていた日米の書を紹介し、丁寧に引用し、比較する。

豊富な引用と、深い読みに基づく要約によって「1分で分かる」の機能も持っており、単純に読物としても、薀蓄話のネタとしても、たいへんに面白い本です。が、もちろんそれだけじゃない。

全体を貫くのは、彼我の比較によって我を知る、彼の眼によって我を見直し、直輸入な普遍主義に対して固有主義の誇りを取り戻すことが重要だという主張。それを訴えるとき、自由闊達な饒舌ぶりが一変、つい肩をいからせたり、涙目ぎみになったりするのです。

文中には、随所に「ぼくは」という一人称が登場します。なぜ自分はこの著者・この著書に注目したか。まず佐伯自身が自分の内情を明らかにする。そして著者の経歴紹介を踏まえて、彼の内面に分け入り、湿潤なまでの共感をもって、その著作をおおいに讃え挙げる。文章は愛誦したいばかりにリズミカル、しかも美文調というのではなく、ちょっと「照れ」を漂わせた謙虚さがあり、失礼を恐れずに申せば、若々しく、愛らしいです。

しかも「こんなに日本を理解してくれた外人さんがいた!」と喜んで終わりにするナイーヴさは欠片もないわけで、彼らが日本理解を通じて自らを確認しようとしていたことを冷静に指摘する。そのキリスト教至上主義を批判することも忘れない。

この自分の愛読書をも容赦しない炯眼と舌鋒は、マルクス主義を偏重する日本の歴史学界や、西欧文学史を形式的に輸入したにすぎない日本の文学史研究に注がれるとき、一閃の刃となるのです。バッサリ。

逆にいうと、偏向した歴史家や文学史研究家、その支持者も大勢いたわけで、それを敵にまわして佐伯一人が万年筆を背に単騎行という趣です。千万人といえどもわれ往かん。

云われたほうは、あるいは悔しまぎれに「佐伯? あんな門外漢はね……」なんて云ったのかもしれません。

もちろん本当の無頼なアマチュアではなく、東大名誉教授なわけで、文庫版巻末には東大教授・芳賀徹による尊敬と親愛をこめた解説が付されております。

これがまた目配り上手な見事な批評となっており、全編の見取り図ともなっているので、先にこっちを読んで概略を頭に入れてから、本文の詳細な引用と佐伯自身の熱情に付き合うのが良いかもしれません。


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