1928年、エドウィン・ミュアー『小説の構造』ダヴィッド選書

  02, 2016 10:20
  •  -
  •  -

佐伯彰一の翻訳で、ダヴィッド社から1954年初版第一刷。

まさかの「です・ます」調。ミュアー自身の小説論の明快さと、佐伯節全開のこなれた訳があいまって、気持ちよく読める名著です。

ミュアー自身はイギリス人の詩人で、ドイツ文学の翻訳者でもあり、とくにカフカをイギリスへ紹介した功績で知られるのだそうです。

「時間、空間という実人生をおしつつむ枠のいずれか一方を断ちきることによって普遍性を獲得するという<小説の美学>は、実はミュアにとっては、たんなる美学の問題にとどまらないのです。」(p.173)

32歳の訳者後記によって作品の意義は言い尽くされてしまっており、それをぜんぶ転載するわけにも参らないので、以下は自由感想文。

翻訳をする人というのは、佐伯もそうなんですけれども、必ず彼我の文化の違いに悩まされる。とくに宗教や民俗的伝統の違いによって、発想が根本から違っており、直訳では通じないということに悩む。

そこで育まれるものは、逆に自分自身を相対化する意識であり、視野の広さです。日本ではこれが「日本人のやることはなんでもダメだ。マルクス様は素晴らしい」という自己採点になってしまったわけですけれども。

話を戻すと、そういうわけでエドウィンおじさんは「小説って面白いですね!」で終わりにできなかった。我々は何を読んでいるのか? と考えてしまった。

彼が大前提にしているのは、小説(novel)とは想像力の産物であり、人生を描いたものであり、なんらかの出来事が連続して生起するさまを読者の関心を持続させるような方法で描いたものである。そりゃそうです。

時代も場所もバラバラな「こんな人もいた、こんなこともあった」という珍しい話の羅列では、たんなるネタ帳であって、小説とは見なされません。明礬の結晶が成長する様子を記述するのは科学であって、そこに人生の比喩を見てもいいけれども、それだけでは警句を含んだエッセイということにしかならない。小説であるためには架空の人物と架空の出来事があって架空の会話が必要です。

で、その架空の人物たちが、作中時間の経過によってどれほど変化したかを基準に、小説を数種類に分類する。いわゆるステレオタイプとしての人物が次々に登場し、読者は彼らを通じて市民生活の諸相を知るけれども、人物の内面性は変化しないというのが「性格小説」。

逆に、ごく限られた場所を舞台に、人間同士のかかわりによって、彼らの内面に大きな変化が起き、読者はその変遷のもようを固唾を呑んで見守るというのが「劇的小説」。

広大な土地を舞台に、多数のキャラクターを通じて人生の諸相を描き、個々人の変化も描くけれども、その変化は特殊な人間関係から生じた特殊な変化ではなく、加齢によって多くの人間が典型的にこうむる変化である。歳を取ると頑固になるとか、情熱を失うとかいったことが、世代から世代へ繰り返されるというのが「年代記小説」。

大雑把にこういうことなんですけれども、だからなんだという気もする。そういうわけで翻訳家でもある著者は目配りが利いていて、頑固者ではなく、すべての小説がこの類型のいずれかに当てはまるなんてことは云わない。どれが良いとも云わない。読者としても、これを読んだからといって、自分にも小説が書けるとは限らない。

そもそも劇的小説を成り立たせるには、葛藤する主人公たちの周囲に、いつも陽気な小間使いとか、いつもケチな下宿の家主とか、そういう人物たちも必要なわけですし、年代記小説の中で例えば駆け落ちなど特殊な事件によって大きく人間性を変えてしまうキャラクターもいるに違いない。

ただ作者が意図した最大のテーマは何かを見抜くにあたって、人間性の変化を指標にすると。

「まずテーマを決めましょう」みたいな実技指導書ではないわけで、エドウィンさんは、そもそも小説の構造を見抜くという「やり方」を示したのでした。

佐伯によれば、後の時代に至っても小説論の古典として愛され、若手研究者のよりどころとなったもののようです。日本では小説論が盛んでなく、この1950年代に入ってようやく兆しが見え始めたので、一助となすために訳出したとあります。

ダヴィッド社はミケランジェロのダヴィデをトレードマークにしているのが素敵です。この頃は銀座に本社を置いていたようです。

Related Entries