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1961年、森茉莉『戀人たちの森』新潮社

三島由紀夫で思い出したので、あらためまして。

初出は月刊『新潮』昭和36年8月号。9月には単行本の初版が発行されています。帯には「禁色の戀を描く傑作」とあります。推薦文が三島。

「少年パウロが戀人の死を忘れるあたり。女性は決してこのやうな残酷で明澄なナルシスムに到達することがない。それは男性のもつ最も奥深い祕密である筈だが、それを女性の作家が發掘したといふのは、驚くに堪へた出來事である。文句なしに傑作として推す。」

「禁色」とは誰の作品にもとづくフレーズか、申すまでもありません。新潮社による宣伝文はこちら。

「愛される少年。愛する男。男同士を嫉妬しながらも少年を母のやうに抱く少女。そして、戀人を美少年の魅力から取戻さうとする黄昏れの女の破滅的情炎。頽廢と純眞の綾なす官能の、瀨となって戀人たちを押し流した一夏の果て。……慘劇にも燃え熄まぬ戀の火を、大膽不敵な言葉の贅を盡して白晝夢のやうに描く、野心的傑作」

ぜんぶ言っちゃってますな。これ書いた人は楽しかったでしょう。

でも、じつはそんなにおどろおどろしい物語ではありません。むしろ愛される少年と愛する男は、お気楽といってもいい。あるいは、それこそが編集者をはじめとする庶民にとっては貴族的怠惰・退廃というふうに見えるのかもしれません。

三島のほうは、あたりも何もラストシーンなんですが、果たして男性に特有の意識かどうかは怪しいところです。あるいはそれまで外聞をはばかって描写されずにきた女性の酷薄なナルシスムの真髄を女流の筆が表し得た瞬間だったのかもしれません。

なお、帯は紛失されやすく、図書館から書籍を借用する際にも目にすることができないことが多いので、研究目的として、全文転載には意義があると信じます。ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

で、三島の言い分には(いつもそうですが)彼自身のナルシスムがこってり詰まってるので、これ自体をネタに小一時間できそうですが、今は本文。

物語としては、まさにアラン・ドゥロンを主人公にしたモノクロ時代のフランス映画で、読者に挑戦するていのミステリーでもホラーでもなく、豪華な道具立ての中で、不安をはらんだ「頽廢と純眞の綾なす」恋愛心理が時系列順に語られ、唐突に暗い結末を迎える。

ちゃんと伏線はきいているわけで、小説としての形が整ったうえで、美少年が鏡をのぞきこみ、その鏡に映った顔が詳述されるなど、視覚的な描写が多いのが特徴です。

作家の情熱が、もう明らかに男たちの美貌を描き出すことに捧げられており、このこと自体が当時として快挙なのだと思われます。

なお、耽美とは美に「ふける」であって、もとより良い意味ではありません。作家自身も、その筆を通じて読者が架空の美少年に見とれることも、もとより大人の娯楽なのです。だから「頽廢」だったのです。ここ重要。

というわけで、登場人物の外見を映し出してから内面へ入っていくという手法が繰り返されており、まさに映画を見ている気分にさせられますが、年長の男の職業が分かるのは開始20分(もとい)約20頁め。仏蘭西文学の助教であることが分かるのは、じつに終盤に至ってから。

設定紹介のミスってことではなく、親の金で暮らしている遊蕩児であることは序盤で明かされております。事実上の主人公というべきギドウは趣味のように翻訳物を出版したり、背徳の匂いのするエッセイを刊行したりしているそうで、肩書きなんかものの数ではないのでしょう。『葡萄祭り』拝読したいです。(ほぼ『私の美の世界』なのだと思われます。)

どんな作家も、知らない世界を描くことはできない。新聞記者の経験があって調査力のある人は、調査したことを元に社会派作品を書くけれども、調査していないことは書けない。たとえ百年前の霊魂が乗り移って書かせたとしても、百年前の人も知らないことは書けない。

だから作家が自分と同じ世界に属する人物を主人公にするのは当然なのです。ドイルとワトソンは同じ医者だった。新聞記者をやっていた人は新聞記者を案内役にすることが多いものです。

というわけで、作家自身と同じ文筆の世界にいる異性を最高の存在として、「言葉の贅を盡して」読者の眼に見えるように構築している。男性の彫刻家が自分自身の近代人としての目覚めを表現するにあたって、理想の美女を彫り上げるようなものでしょうか。

が、じつは叙述の白眉は中年女性の内面の焦燥を描くあたりだと思うのです。

男たちは基本的に充足しているので、その感情はその時々の相手次第で風に吹かれた水面のように揺れ動くだけで、そのさまを端的に描写する筆は見事なわけですが、「植田夫人の」から唐突に始まる女の内面描写は、一気呵成に彼女の内面へ潜行して止まらない。

他の頁では、明らかに「カメラ」が美しい男の外見を映し出していて、そこへ作家が注釈をつけていくような感じですが、ここでは鏡の前で、いや鏡を見ることさえもいやになった女が眼を閉じて自分の内面を追っている。

三島がなんと言おうとも、この生々しさなくて田村俊子賞の受賞はならなかったと思われます。(『木乃伊の口紅』は女流の私小説です。)

どのみち作家というのは、一人で何役も演じているようなものです。離見の見をあやつるのは、能役者だけではないのです。読者だって、誰にしか感情移入しないなんてことは、ないのです。

なお、作中で「希臘の昔の男色の貴族」と(アプロディーテーの愛人だったアドニスではなく)「ナルシスのやうな少年」と、ジャン・コクトオと、マルキィ・ド・サドゥに言及しているので、やっぱり発想源、あるいは作家独自の思いつきの保障はそのへんだなと知ることができます。

(参考として、呉茂一『ギリシャ神話』は、1950年に中央公論社から刊行されております。)

なお、手持ちの版は1974年12刷です。13年間ほぼ毎年増刷されていたことになります。契約の履行に過ぎなかったかもしれませんが……たぶん、売れたんでしょう。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。