2010年7月、堀切和雅『なぜ友は死に俺は生きたのか』新潮社

  01, 2016 10:20
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副題:戦中派たちが歩んだ戦後。

ああ、これはなんと危うい瀬戸際なのだ、無言のまま、彼らは去っていこうとしている。なぜ彼らが無言なのか、人々が考えもしないうちに。(p.183)

この国の夏は鎮魂の季節です。「終戦」後55年の節目に合わせて刊行されたように思われます。カバーには法政大学壮行会後の行進(昭和18年10月15日)のセピア色の写真が掲げられています。約190頁。ポイント数が大きく、読みやすいハードカバーです。

筆者は1960年生まれ。発刊の年には50歳。早稲田卒の劇団員で、岩波書店のもと社員。1993年に『三〇代が読んだ「わだつみ」』を、土井庄一郎の築地書館から出版しています。

土井と同じ大正十四年生まれのお父様をなくした後、その生き様を振り返り、言葉少なく愛情深かった人の奥底にあったものを理解しようとする。それは自らの若き日々の過ちの懺悔でもある。

この歳になると、振り返るのです。ひとかどの仕事を成し遂げて、親をなくし、少年時代からの親子の記憶をたどり直す。親父の云いたかったことが今なら分かる、気がする。

人間が若い頃にたくわえた記憶どうしを結びつけて考え、意味を見出すことができるようになるのは三十歳を過ぎてからなのだそうです。(参考:新潮文庫版『海馬/脳は疲れない』池谷 裕二・糸井重里)

序盤は岩波版『きけ わだつみのこえ』、続いて吉田嘉七『ガダルカナル戦詩集』(1972年、創樹社)から、数多くの引用がなされています。特攻将兵の遺書、戦地で物された詩文は、それ自体が圧倒的です。

誰も死にたくはないのです。死ぬ時は痛いに決まっているのです。死の向こうには極楽があるのかもしれません。でも、死ぬということは、この世の生が、この肉体が、存在が「終わる」ということなのです。

終わりは、誰にとっても嬉しいことではないのです。だからこそ、彼らは考えた。なぜ自分が死ぬのか。なんのためなら死ねるのか。母のため。妹のため。生地の村に残る子ども達のため。

まだ自らの子も得ていない若者たちが、わずか数ヶ月の自問自答の果てにすっかり老成し、後に続くを信ずといって、「帽振れ」に送られ、出て行った。何人かは還ってきた。乗機の故障などによって、突入に失敗して。蒼白な顔をして。

70頁め以降は、還ってきた人々の肉声が続きます。これもさすが筆者が劇団員というべきか、生々しい臨場感をもって迫ります。長々と引用したい衝動に駆られますが、そうも参りません。

出陣前の若者たちの心持ちを『わだつみ』から響かせ、ガ島の荒磯(ありそ)べに佇んで祖国日本を遠望し、復員船の中で上陸を待ちながら新憲法二章九条二項を読んで号泣し、上陸して五年ごとに日本らしさを失っていく社会を目の当たりにする。

死者たちの遺した言葉さえも自らに都合よく編集して利用する「戦後民主主義」の世を。

一生の恩人である土井氏を最初の案内役に、原爆投下から振り返ってさかのぼり、そこから逆に現在へ向かってほぼ時系列に並べた構成が良く、深甚な感情移入を呼ぶ……と思います。

が、拝金主義な戦後社会への批判は、真摯な怒りと嘆きに裏打ちされたものであっても、やや紋切り型で、具体的に何が気に入らないのかには立ち入っておらず、最初から筆者同様に現状を嘆く気持ちのある人を対象読者にしていると思われます。

つまり、逆に「お金が好きで何が悪いんだよ」と思う人は、ムッとするかもしれません。

高度成長、三里塚、オイルショック、バブル、その崩壊。走馬灯って例えも古いので、次々に切り替わるデジタル編集動画のように、戦後史を簡単におさらいできる本でもあります。

2010年のこの頃には、その後の混乱が、狂騒が、耐え難いまでに高まっていると感じられていたのかもしれません。

そのような心性が、世の中が、戦中派の心の底にあるもの、あるいは「無い」ものから眼を背け、彼らを愚弄し、沈黙させることによって成り立ってきたことを、丁寧に丁寧に証明する。彼らを語りながら、我らの本質を解き明かしているのです。

「ほとんど時間は残っていない」と書かれた発刊の年から、さらに5年が経過してしまいました。

1945年8月に14歳で海兵団へ志願入隊した人が一番若い兵隊さんで、今年で敗戦後71年めですから、85歳になられます。その10歳年長で、実際に外地へ行かれた方は、95歳。

彼らの名誉を回復する試みは、ほとんどなされなかったのです。

では、2010年に至って、その試みがやっとなされたことには何の意味があるのか。堀切自身にとっては、お父様の追悼という意味があります。そして自らの晩年へ向けて、正しく生きたいと思っているのであって、社会を右傾化させたいと思っているわけではない。これは戦争反対の書であって、軍隊賛美の書ではありません。

でも、これが出せるようになった背景には、小林よしのり以来、左傾したヒューマニズム、いわゆる戦後民主主義への反感が高まったという事情が、やっぱりあるでしょう。それがまた単純な右傾的陶酔に利用されないように、冷静に受けとめられるべき一冊なのだと思います。

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