2015年、牧村康正・山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』講談社

  03, 2016 10:20
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この国には、西崎義展という男がいたのです。

役者見るよないい男で、絵に描いたようなワンマンで、浪費家で、ケチで、度胸がよくて、寂しがりやで、自分本位で、面倒見がよくて、男惚れされて、殺されてもおかしくないほど憎まれて、クラシックとジャズを理解し、演歌の興行を打ち、アニメにはズブの素人で、だからこそ最高のアニメ映画を作ることのできた男がいたのです。

「この企画は西崎の制作助手を六年間にわたってつとめた山田哲久が発案し、出版メディアから「ヤマト」を見続けてきた牧村康正が構成・執筆を担当した」(p.15)だそうです。

タイトルに「狂気」とつけなければならなかったのがミソ。あまりに破天荒で、お金の苦労をさせられた人も多く、ヤマトファンといえども「ヤマトが作られた頃はいい時代だったね」とノスタルジーに浸っては済まないので、腹をくくってから頁を開いてください、という意味。

もっとも狂気という言葉を使ったのは、もと東映プロデューサーの吉田達で、企業勤めではなく独立独歩の個人プロデューサーには、いずれも非常識さがあるし、必要だというのです。惚れたほうの内です。

法学部出身の牧村が、緻密な調査と豊富な引用によって西崎の人間性を証明するわけで、要素を配置する構成の妙と、明晰な語り口によって、グイグイ読ませます。

西崎自身の人脈がすごかったので、証言者として登場するのは綺羅星のごとき芸能界・音楽界・映像界・出版界・アニメ界の面々です。駆け出し時代の冨野・安彦・庵野など、彼ら自身の人柄のよく分かるこぼれ話として読むのも面白いです。

本人がアニメ界における経歴を虫プロ商事からスタートしたので、その親会社だった虫プロや、日本製アニメそのものの歴史を概観できる書でもあります。手塚先生のお人柄の良さが偲ばれます。

ヤマトの企画が動き始めてからの経緯は感慨深く、1977年の劇場版公開の折には、すでに結成されていた541団体・6万人に及ぶファンクラブ会員が動員されたくだりは涙なしには読めません。

このとき西崎の胸には、自信のある作品だから世に出したい、より多くの人に見てもらいたいという一途な情熱しかなかったはずで、ポスター貼りのために街頭へ出たファンクラブ会員たちの瞳も、まったく同じロマンを映していたでしょう。

その後の西崎の振る舞い、続篇の迷走によって、思い出が汚されたとは云いますまい。初回放映(またはその翌年の再放送)によって得られた感動は、いまもそれぞれの記憶のうちに結晶しています。

あの子が振っていたスカーフは、当時を知る人々の胸を今も真っ赤に染めている。

そういうことでいいと思います。

阿久悠が感動的な詩を書くことができたのも、西崎その人にインスパイアされたからのように思われます。作曲家・宮川泰が起用されたのも、西崎のショービジネス時代の個人的人脈によるのです。読書中、つねに宮川メロディーが脳内に鳴り響いていたことをお伝えします。

西崎ばかりでなく、多くのヤマト関係者が、いまははるばる、星の世界の人となってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

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