萩尾望都を読んでも、アニパロは生まれないのです。

  09, 2016 10:20
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同じ名前で呼んだことによって、漫画と小説が混同されているというお話。



【1.漫画とアニメの混同】

漫画を読んで感動した人は、漫画のパロディを描けば良いことです。

萩尾望都『ポーの一族』を読んで、エドガーとメリーベルとアランの3点バランスではなく、エドガーとアランが恋人同士だったら、なお一層「印象的」だな、と思って構いません。本人の発想の自由です。

でも、アニメキャラクターを利用するのは、また別のアイディアです。誰が最初に「漫画のパロディを売るとまずいが、アニメキャラクターなら著作権の心配がない」と勘違いしましたか?

「そんなこと云っていいの!? 私のバックには漫画編集部がついてるのよ!」と威張りますか? それはあなたが漫画原作アニメの時代になってから参加したからです。

1970年代のSFアニメは、宇宙戦艦も、合体ロボットも、モビルスーツも、ウルフのマークも、テレビオリジナルです。原作漫画は存在しません。当時の慣例からいって、制作・著作はテレビ局、または個人プロデューサーです。

西崎義展に許可とりましたか? って話です。

【2.二十四年組どうしの混同】

萩尾望都『ポーの一族』という漫画作品は、1972年に小学館から発表されています。

主人公はエドガーという少年で、じつは吸血鬼ですが、昼間の世界でも生きていけるという特殊設定です。普通の少年のように転校した先で、アランという少年に出会い、吸血鬼の仲間にしたいと考えます。

一人で永遠に生きていくのは寂しいので、親友をほしがったのです。あくまで男の子が男の子の友人をほしがっただけであって、恋愛関係を結ぶ様子は描かれていません。

また、かたわらにはエドガーの妹がいて、少年たちは二人とも、この美少女を守ることを最優先に考えています。

もし「自分が少年愛の美学という主題に目覚めるにあたって、最も影響を受けたのは『ポーの一族』だ」という人があるならば、その人自身の中で「BL化」というアイディアが始まっちゃったのであって、『風と木の詩』という作品は関係ないのです。

なぜなら、少年同士の恋愛を明確に描いた『風と木の詩』という漫画作品が小学館『少女コミック』誌上で連載を開始したのは、1976年の春だからです。引き算はできますね? 4年も後です。

世の中には、ただこれだけの話を理解できずに、やたらイライラして「だって私は確かに漫画を読んでアニパロに目覚めたんだもの!」と云ってしまう人もあるのです。

おそらく、きちんと二十四年組作品を読んでいないのです。1980年代に入ってから「アニパロの参考書」として、まとめて読まされたか、噂話だけ聞かされたので、発表年の違いを認識していないのです。

でも冷静な人には、二重に混同が起きていることがお分かりになるかと思います。

【3.漫画と小説の混同】

同人誌即売会またの名を「コミック」マーケットという所は、直訳すると漫画市場です。つまり、もともと漫画同人会が集まる場所です。

つまり、漫画を描くことが好きで、自筆の漫画原稿を持ち寄っては、漫画雑誌を(合同で)自費出版していた人々が、大集合する場所です。

念のため確認しますが、漫画とは、四角いコマの中に、フキダシと呼ばれる台詞と、小さな人物画がいっぱい描いてあるもののことです。使用する紙は上質紙またはケント紙です。大学ノートや四百字詰め原稿用紙ではありません。

ところで、松岡正剛も書評した『やおい幻論』(榊原史保美、1998年、夏目書房)という本があるのですが、その主題は「やおい作家・やおい少女と呼ばれる当事者たちが直面している問題を解説する」ことだそうです。

じゃあ「やおい」ってなんでしょうか? 松岡も書いている通り、榊原自身は『JUNE』という市販雑誌に連載を持っていた小説家です。だったら彼女は「JUNE作家」のはずです。そのファンは「JUNEファン」または「JUNE少女」でいいはずです。

もともと「やおい」とは、同人誌即売会に集まる同人が使った流行語のようなものです。プロは使わないのです。だって、プロが自分の作品を売り出すときに「どうせヤマもオチもイミもないから読まないでください」なんて韜晦することはありません。

それは、あくまでアマチュア同士が、自分たちのことだから、お互いに笑って済ませるつもりで云ったジョークです。でも、おかしいですね? なぜ漫画市場に集まっている人々のことを、小説家が代表して解説するのでしょうか?

また、2006年に同人活動を解説すると称して「同人誌とはアニパロです!」と短絡してしまった書籍が出版されましたが、その中にはインターネット掲示板に投稿された文章が転載されました。

同人活動からプロデビューした人として名前の挙がるCLAMP、高河ゆん、ついでに赤松健のいずれも漫画家なので、勘違いされやすいのですが、多くの人が漫画の話をしているつもりで、じつは「同人活動とは文章表現だ」と思っているのです。

【4.新しい文芸】

テレビとアニメーションの技術の進歩によって、テレビアニメを見ながら小説を構想するという人が出てくるのは当然のことです。

台詞だけが羅列されているのは戯曲の一種と思えばいいですし、西欧の耽美派詩人が遠い東方の古代文明や、その姫君に思いを馳せたように、宇宙の戦士に思いを馳せる小説家(の卵)がいても良いことです。サロメの名を使う人がいるなら、戦士の名を使う人もいるでしょう。

それ自体は善悪の判断をすることではありません。若い人が世相を的確にとらえた例として、文芸史に位置づけてやれば良いことです。

問題は著作権ですが、これも同人みずから「もともと許可なんて要りませんよ。二次創作は海賊版じゃないんですから、著作権侵害を構成しないんです」と言えればいいだけのことです。(言い張る権利はあります。)

ただ気持ちの問題として、原作者が「ヌードはいやだ」と云えば、パロディ作者のほうでそれを尊重する。原作者を敬愛しているからこそです。あくまで、こういう理屈です。

だから富野由悠季が雑誌『OUT』に粋な計らいを見せたというのは、むしろ「法的権利を立証することは難しいが、なめられて終わりたくもないので、やるならちゃんとやれ」という皮肉をきかせたのです。逆にいうと「一生懸命描きましたという限りにおいて応援する」という意味にもなります。

だから同人(の一部)における本当の問題は、大学を出たという人までいるのに、関連する法律を勉強しておらず、「アニパロはヤバイけど、漫画編集部がついてるから大丈夫」という筋違いな噂を広め、それを信じてしまうことです。もう一つの問題は、漫画・アニメそのものと混同することです。

【5.少年漫画家にはなりたくなかった】

コミックマーケット通称コミケにアニパロ同人誌を出展し、「栗本薫よりも私たちのほうが売れている」と自慢していた、という話があります。

なぜ、1人の小説家と大勢の私たちを比べるのでしょうか? 私たちの書いていたものが小説だったからに違いありません。漫画を描いていたなら、竹宮恵子よりも売れていると云ったでしょう。

そのアマチュア小説家たちは、少女漫画家になりたかったので、少女漫画道の先輩には遠慮して、少女漫画をパロディの元にしなかったのだそうです。

では、少年漫画家にはなりたくなかったので、少年漫画道の先輩には遠慮しなかったということになります。

でも少女漫画道の大先輩であり、現代BLの流祖と目される竹宮恵子は1980年代初頭に『地球へ…』という少年漫画(少年を主人公とする漫画)を描いて、少年誌に連載し、アニメ映画化に至る成功を収めています。

(※漫画としての連載は1977年から1980年。劇場版アニメが1980年4月公開でした。修正してお詫びいたします)

なぜ「私も尊敬する竹宮先生のように少年漫画を連載できる女になろう」と思わなかったのでしょうか?

なぜ、もともと少年キャラクターに関心を持ち、題材にしたいと思った人が、少年漫画家にはなりたくなかったのでしょうか?

塀内夏子という実例がある以上、「竹宮先生は例外中の例外で、ほかの人には全く望みがなかった」とは云えないのです。

もし1980年代初頭の時点で「少年漫画家になりたいから少年漫画道の先輩には遠慮する」という姿勢が確立していれば、1983年以降の少年漫画原作アニメによるパロディ小説ブームは起こらず、榊原は「やおい」を論じる必要がありませんでした。

つまり、全く成り立たない話なのです。

【6.それは文芸雑誌です】

明治時代の同人雑誌が小説の扉絵として裸の女の絵を載せたら発禁くらったってのは有名な話ですが。

アニメキャラクターを主人公にした小説が何本か載っていて、その扉絵や本文中の挿絵として人物の顔が描いてあるというのも、文芸雑誌です。人物画がアール・ヌーボー調ではなくアニメ調であるというだけで、それは文芸雑誌です。

文芸雑誌が漫画市場に出品されているのは、おかしいのです。誰もおかしいと思わないことがおかしいのです。

かつての「やおい論」というのは、特殊な恋愛物語という主題にばかり気を取られて、研究者自身が興奮してしまったという性質があり、プロとアマチュア、オリジナルとパロディ、漫画と小説の混同に気づかなかったのです。

でも、最初の時点では、まだ誰も「アニメキャラを利用した小説を出せば必ず客がつく!」という予想を立てることができない。だから書きたい人が勝手に書いてしまった。

もともと小説を読むことが好きで、文芸サークルに入っていた人が、自分でアニメを見たか、同級生が熱心に話を聞かせてくれたので、パロディ小説を書いて、彼(女)が組織したアニメ同好会の会報に寄稿した。

それを、アニメファン側が拒否しなかった。むしろ「この発想はなかったw」とか「続きを書いて」となった。こういう交流があったと考えるのが自然でしょう。

なにも漫画同人会が「皆様! 私たち、もう萩尾先生を見習って漫画を描くことはやめましょう! アニメを見て小説を書かなければ流行に乗り遅れてしまうわ!」って云う必要はありませんね。最初の時点では、まだ流行してないわけですから。

それに、CLAMPや高河ゆんは、1985年以降に漫画家としてデビューしたのですから、漫画はもう古いから小説を書きましょうということでもない。

漫画市場の中で、漫画としてのパロディと、小説としてのパロディが並行して育ったのです。そして漫画と小説の歴史的発生順序からして、おそらく小説のほうが、じつは起源が古いのです。

コミケが1975年に初開催された際には、その参加者を新聞・ラジオで募集したというわけではなく、主宰者みずから全国に散在する漫画同人会に招待状を発送したのだそうです。

この時点では、招待されてもいないアニメ同好会や、それと混合した文芸サークルが乗り込んでくるのはおかしいですから、新たな動きがあったとしたら、1976年以降です。

「誰が1976年にアニパロ小説を出品したか?」という話をしている時に、「私は1983年に漫画を読んだのよ!」では、お話にならないのです。

【7.研究者の錯誤】

1985年以降、第二次ベビーブーマーの成長に基づく同人誌即売会参加者の急増と急激な世代交代(=淘汰)があって、前代の知恵が受け継がれなくなったらしいのです。

研究者・メディアが「少年愛の美学」だの「やおい論」だのと言い出したのは、じつはその後で、1990年代のことです。

だから彼(女)らも専門家っぽい顔をしているだけで、話がよく分かっておらず、「二十四年組に影響されて稚拙な少年愛漫画を描くようになった少女たち」という話から始めたはずが、おとなの小説家に意見を聞いてみようという方向へ、ずれてしまう。

でも小説家だって、自分は『JUNE』誌上でプロデビューするためにオリジナル作品を一生懸命考えて書いてきたんですから、ちゃっかりアニメキャラクターを利用して楽をしたがる少女たちのことなんて知りません。

後から流行に乗った少女たちは、なぜそれをオリジナル作品として完成させ、プロとして独立することを目指さないのか? なぜ、わざわざアニメキャラクターを利用し、その権利者とファンの神経を逆撫でしなければならないのか?

女性同人が女流漫画家を利用しないのは、自発的に遠慮したからではありません。女流漫画家が利用させないからです。なぜか?

若い手をインクと墨汁で汚してきた彼女たちにしてみれば、少女漫画家になりたいと云いながら小説を書いている子ども達は、許しがたい嘘つきでしかないからです。

くり返します。プロ創作家たちが自分の作品を「ヤマもオチもない」などと韜晦したことはありません。出版社がせっかく出版権を得た原稿をそのように宣伝したこともありません。

間違いは、すでに1980年代よりも前の時点で、漫画を原作に持たないアニメ番組に基づくパロディ小説というものが流行しており、それが著作権侵害で訴えられないように、できるだけ目立たないように、プロ作品と区別するために隠語を用い、少女はそれを真似ただけなのに、その流祖がプロ漫画家であるという、とんちんかんな公式説明を誰も疑わなかったことによります。

なお、少女と称しつつ、じつは1970年代後半の時点で、すでに18歳以上の「成人」だったということもあり得ます。東京のイベントに初参加したのが、大学進学を機会に上京した後だったということも充分に考えられるからです。

1969年に安田講堂において学生運動が頂点に達した後、大学に静穏の戻った1970年以降は、大学進学率が急増しているのです。

誰もが無反省に議論の前提としてしまっている条件を疑ってみるというのは大事です。それが学問の第一歩のはずなのですが、研究者たちが気付くことが出来なかったのは残念です。

【8.研究者の仕事】

「初期のコミケには少女漫画が出品されていた」という話もあります。むしろ当たり前です。

女子校の美術部・漫画部などが招待に応じれば、当然そうなるのです。正確には、少女を主人公にした漫画ではなく、萩尾などに影響された美少年ものだったかもしれません。

すべてのスペースオペラ・アニメの基になったと云われる西崎義展作品が再放送によってブームを起こしたとされるのが1975年秋。

それから急いでガリ版切って、年末のコミケ初開催に間に合わせることも不可能ではありません。でも、この時点ではまだ「何がなんでもアニパロをコミケ初開催に出品せねば」というインセンティブがない。

いっぽうで、すでにこのとき『ルパン三世』(緑ジャケット)、『海のトリトン』『科学忍者隊ガッチャマン』などが放映され、ファンクラブもたくさん結成されていたので、その会報が出品されてくるのは時間の問題だったでしょう。この時点では、たんにキャラクターの似顔絵や、漫画版とアニメ版の違いを比較する考察記事が載っているものだったかもしれません。

西崎アニメの劇場版が予想外の大ヒットとなったのが1977年8月。

この頃、テレビでは少年向けロボットアニメに少女漫画ふうの金髪美青年が悪役として登場する現象が相次ぎ、学童期を脱した女性ファンを獲得していました。

いっぽう、1978年以降は『未来少年コナン』『死の翼アルバトロス』『カリオストロの城』など、宮崎駿アニメ(に登場する少女キャラクター)が男性ファンの心をつかんでいました。

1980年頃には、社会も「おとな」のアニメファンがいることを認識しました。みのり書房の雑誌『OUT』は、1980年7月号をアニパロ特集号としました。

だから、これ以降は、ある意味順調に、アニメとアニパロの時代です。

したがって、アニパロ成長を確認する鍵は、1970年代にあります。

コミケに出展されなかった肉筆回覧原稿(大学ノートなど)は、もはや確認しようがないから、1975年・76年・77年・78年・79年に出品された同人雑誌を統計的に有意な冊数集めて比較し、有意差を確認する。

これが出来なきゃ研究者の仕事ではありません。もともと「迂闊に手を出すな。女権団体の政治目的に利用したいからといって、あわてて混同するな」という話なのです。

【9.まとめ:四重の混同】

1.漫画から直接アニパロは生まれない。
2.『ポーの一族』と『風と木の詩』は同じ作品ではない。
3.「やおい」とはパロディ作品のことで、プロ作品と同列には語れない。
4.おなじアニパロといっても、漫画と小説では起源が違う。

区別すべき要素がこれだけあるのに、1990年代に「やおい論」などといって分析ごっこに夢中になった研究者・メディアには理解できなかったのです。また「同人やっていた」と称する人の中にも混同して覚えている人があるのです。

でも本当は、そんなに難しい話ではないのです。当たり前のことが積み重なっただけです。

だから一番の問題は、研究者などの専門家まで含めて、「後から参加した人の視野がせまく、自分で自分の勘違いに気づかない」という、人間心理の弱点というか、日本人特有の議論下手というか、他人の定義におもねって問い直さないまま議論を進めてしまう甘えの構造というか、そういう点なのです。

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