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1989年5月、佐伯彰一『神道のこころ』

あはれともかけても見めや桜花なれより先に我はちるとも(本居宣長)

梅が咲き、梅が散り、桃が咲いて桃が散り、こぶしが白く咲いて、雪柳が揺れ、桜の待たれる季節となりました。読んだのは1992年の中公文庫版。もとは日本教文社から出ていたようです。

信仰告白というのか。越中、立山の神道の家に発して、それを愧じた青年期を愧じ、異文化との接触を経て、しきしまのやまと心に立ち返り、志賀直哉の主人公の眼を通じて大山の影を見ながら、故郷・立山を仰ぎ見る。かたわらには祖父の面影。

来る朝ごとに、ともに神棚へ向かって柏手を打った。

他人の作品を批評しながら、これほど自分を語る批評家も珍しいんじゃないかなと思いつつ、その自分語りは、かならず神道の再発見に行き着くのでした。

そしてその神道は「死者たちとの連帯」を基盤とし、鎮魂を責務とし、みずからの生命としている。

志賀直哉に関する昭和40年代の自著からの再録の他には、昭和55年から昭和64年の間に新聞・雑誌に発表された記事を集めたエッセイ集。

だから神道をテーマに、あらゆる事象にそのバイアスを掛けて書き下ろしたというものではなく、ここ何年も、なにか書くたびにそのテーマへ行き着いてしまっていた、という。

【戦死者たちとの連帯】

この生まれ年(1922年)の人が「死者たちとの連帯」を訴えるときには、必ず戦争でなくした友人たちへの鎮魂の思いと、彼らを顧みること少ない「戦後民主主義」的世論への怒りと、生き残ってしまった自分自身を問う気持ちがあるはずとは、他の著作を拝読しながら感じていたことですけれども、この本の末尾に至って、明言されていたことです。

「いたずらに自虐的な教科書記述の氾濫」(p.277)という文章の含まれる第15章『死者たちとの連帯』の初出は、産経新聞夕刊、昭和59年8月13日付。ということは、1984年の敗戦(いや終戦)の日の直前。

「死者たちとの連帯の思いを確かめ直すべき季節とくり返さずにいられない。」(p.278)

小林よしのり『戦争論』の大ベストセラーに対して、吉本隆明が『私の「戦争論」』を出したのが1999年7月。15年ほど先駆けていたようです。

日本教文社から1989年に単行本として出たときには、意外なほど好評で、版を重ねたとあるので、ここから10年かけて、小林の熱した調子が受け入れられる世論が準備されたのでしょう。

【旧友】

晩年の尾崎一雄が先立った文学仲間を思いながら大著を編んだと解説しながら、佐伯自身がその尾崎を偲んでいる。そしておそらくこの人は『批評』の同人仲間だった三島由紀夫を片時も忘れたことがない。

その『批評』の特集号(1968年の冬)を責任編集するにあたって、三島・山本健吉との座談会を企画し、その席上で佐伯が開口一番「美的生活者としての生き方、対極的なものとしては、激越な口調で時世を慷慨する慷慨派というものがあって……」と云えば、すかさず三島が「両方ある人もいる」とつっこんで、「まあ、三島さんみたいなね」カッコ笑いになるというのが楽しい。(p.95)

楽しいといっても、この後の三島の行動を思うと笑ってばかりもいられないわけで、入営直前ではねられたことを一生のコンプレックスとした「慷慨派」と、佐世保へ復員した人とは、生き残ってしまった自分たちが何を成すべきか、語り合ったこともあったのか、もっと話し合っておけばよかったと思ったのか。

【山岳と能楽】

「一切の死者たちは弔わるべく、残された生者には、あらゆる死者たちの、とりわけ非運の死者たちの霊魂を和らげ、鎮める義務が課されている。」(p.174)

奈良時代以来、立山の神霊に仕える佐伯一族の末裔における神道への目ざめは、ドナルド・キーンが英訳した謡曲『善知鳥』によって、ミシガン大学の研究室にいるときに与えられた。

これが佐伯流。

能楽は、どこを読んでも「最初は『散楽』という物真似だった」と書いてあって、つまり「お笑いコント」の一種だったらしいんですけれども、今ではその片鱗をワキとアイとの問答などにわずかに留めるのみと云って良いでしょう。

世阿弥という人が古典文学と禅宗を学んだことによって、それまでとは異質な演劇を始めてしまったというのが正解じゃないかと思います。

あえて例えると、ミッキーマウスだったものがオペラの伝統と融合して『ファンタジア』になって、後者にトリビュートした作品が作り続けられているようなものです。

江戸時代には世阿弥という人の存在自体が知られていなくて、仏僧が台本を書いたものと思われていたらしいです。

それほど用語に仏教色が濃く、一見すると仏教の布教を志向しているかのようで、その役割もあるには違いないんですけれども、どうも「シテ」の本質は違う。

荒れた古寺や古戦場に生い茂る植物の間に霊魂がまつわっているように思われる。生前に悪いことをしたから、いまは地獄で責め苦を受けていて、釜の蓋が開いたから出てきたというのとは、ちょっと違うらしいのです。

繁茂する植物の間から、ワキ僧の近づいてくるのを見ていたのです。本人さえその気になれば、地獄の亡者という姿ではなく、生者と見まごう姿で、土地の住民のような顔をして、現れることが可能なのです。

そして彼らは僧侶に回向を頼む。言葉は「回向」であり、「御経読み給へ」とは云うけれども、それによって穢土を遠ざかり、輪廻の輪をも離れて、より輝かしい次元に行けるから嬉しいなっていうんじゃないらしい時がある。

薄や芝、女郎花など、地面から生える植物は、地の下につながっているわけで、霊たちはそこへ帰っていくらしい。そして、それが寂しくてたまらないらしいのです。……あら閻浮恋しや。

やっぱり連想するのは、希臘のデーメーテールとか、騎馬民族が南下する前にさかのぼる、かなり古い時代の神話で、日本にも似たような神話があったはず。

てなことを、お舞台を拝見している内に何度か思うんですけれども、それはやっぱり日本特有の、いや、大昔にはどこの民族も持っていた祖霊信仰が、日本のばあいは完全に仏教に取ってかわられたのではなく、大陸由来の先進文明に対して一歩ひいた形で融合し、寄り添うようにして生きながらえてきた姿そのままなのだと、アメリカの若者たちに日本文学を講義してやるつもりで、アメリカの研究室で英文を読んでいるときに気づいたと、That's 佐伯流。

【キリスト教のこころと、立山のこころ】

序盤はキリスト教を向こうにまわして、神道は(軍部に利用されただけで)もともと暴力的じゃないし、不寛容じゃないし、どこが軍事的だってんだ言えるもんなら言ってみろと啖呵を切っているんですけれども、だんだんにしんみりと自分自身の心の奥へ分け入って、ついに先祖が立山の山麓に住み着いた奈良時代にまでさかのぼるのです。

この構成は岡倉覚三(天心)『茶の本』と似ている。西欧文明の強大な圧迫感に対して、同じ姿勢になるのでしょう。岡倉については『外から見た近代日本』でも全面支援でした。

しかも、その西欧文明の背骨をなすキリスト教の唯一神信仰という性質が、共産主義の背骨をも成していて、骨肉あい食むようであることに、日本の知識人はあまり気づいていなくて、伝統宗教を奉じる資本主義社会が、無神論の共産主義にとって替わられる日が必ずくると本気で信じている。70年安保に向けて、再結集せよとか呼びかけたりしている。

そういう「戦後民主主義」的社会風潮に対して、やっぱり「千万人といえども吾ゆかん」という決意で臨んでいたようなのです。

冒頭に置かれた『神道敵役説を排す』の初出は、雑誌『かくしん』昭和61年11月号です。1986年です。壁が落ちた時には西ドイツ人(当時)が「Unglaublich!」って云ってたものですが、ずいぶんと先んじていたものです。

この人の書くものには、文壇や研究者における主流に疑義を呈するものが多くて、立山の影に抱かれて伸び伸びと育った柔らかな心が、教条主義の胡散臭さを感じ取ったのでしょう。同時に探究心旺盛な、なかなかのいたずら小僧だったんだろうなって気もするところです。

志賀直哉や尾崎一雄の書いたものの中に、小動物や昆虫の姿を認めて、重要なモチーフを感じる人の心には、自分自身の幼い日に住んでいた家屋を、庭を、訪のうた多士済々の虫たちの姿があったんじゃないかと。

追いかけてみたり、つかまえてみたり、飼ってみたり、草むらをかきわけてみたり、木登りしてみたり、落ちてみたり、したんじゃないかなと思われます。

そして東京で生まれ育ち、東京しか知らない文学者たちへの反感と意地があるのです。

若き尾崎一雄の、年上のマダムとの同棲なんていう、いかにも都会的頽廃な私小説的「お約束」(コンヴェンション)エピソードには、珍しいほどの冷笑を浮かべて見せたりするのです。

その東京ローカル的、似非コスモポリタン的視野のせまさに対する反感は、洋行によって、田舎者のやっかみといった境地を脱し、みずからの神道的素質への誇りに昇華されたのです。

しきしまのやまと心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)

関口夏央・谷口ジロー『秋の舞姫』冒頭は、鴎外林太郎が欧州から帰ってきたところで、雲より高い富士の山を見上げる印象的な場面。新東宝映画『戦艦大和』では出撃前夜の若者たちが「恋し日本の山々見れば、母の笑顔が目に浮かぶ」と歌っておりましたね。

異文化に揉まれた日本人の心の帰るところは、山であり、そこに生い育つ木々であり、その梢に咲く花なのです。

桜の名所は仏教に縁があることが多いんですけれども、八幡宮とくっついちゃってることもあることですし、そもそも御仏に帰依する心を表すに桜をもってするというところが、もともと桜に何か神聖なものを認めていたことを示しているのでしょう。

花とは、本来、実を結ぶために咲くのであり、その実は大地に迎えられて芽吹くために結ぶのであり、花は新しい生命の先駆けであり、実りの瑞兆なのです。

それが、なぜ死者を思わせるのか。

なぜ桜の下には死者たちの「あと弔ひてたび給へ」という声が微かに響いているように思われるのか。梢いっぱいに咲く花なら他にもあるのに。

わりと単純に、木が大きくなるので、あの枝張りの下に入って、包まれる感じが、安心感を生むのかもしれません。その安心感が、死者に守られていると感じられるところが日本的なのでしょう。

神の恵みには違いないのですが、その神が遠くにいる絶対神ではないのです。もっと慕わしい。だからこそ、思い出すたびに寂しい。

世界宗教に抵抗する拠りどころとなった日本文学におけるエロス礼賛は、タナトスにぴったりと寄り添われているなんて、今さら申すまでもないのでしょう。

この国では死者は神なのです。すべての死者は弔われるべく、弔われて、生きとし生ける子孫を幸う豊穣の神となるのです。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。