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1965年10月、佐伯清『昭和残侠伝』

ろくでなしよと、夜風が哂う。

東京オリンピック大成功・カラーテレビ大普及の翌年の世に問う、浅草復興の暗部の実録ふう。残侠伝シリーズ第一作。どういうスケジュールで撮影してるんだと呆れつつ。

戦後日本も若かったが、俳優たちも若かった。シリーズが若かった。熟成される前のアルコール臭の強い酒みたいで、そこがいいです。美術・照明・撮影・編集などの仕事ぶりはベテラン。

舞台は「昭和二十一年頃」の闇市……じゃなくて、堅気の商売を立て直したい露店商たちと、その帳元(ちょうもと)として昔ながらにお役に立ちたい関東神津組と、マッカーサー気取りの新興ヤクザの抗争。

戦争に生き残った任侠と、米国と結託した「戦後民主主義」の戦いなわけで、新左翼運動の広まりつつあった1965年における社会的意義の高さにおいて、後のシリーズ作品の時代劇調とは一線を画して屹立する孤高の傑作かと思われます。

1965年っていうと、1947年生まれが18歳。そろそろ「戦争を知らない子どもたち」が、ナマ云うようになっていた頃なわけです。

暴力沙汰を避けて、帳元としてやって来た組は、当時のインテリヤクザだったわけで、喧嘩慣れしているわけはないのです。世直しフィクションの一種なんだけど、全共闘世代へ向かって、何かしら云いたいことを背負っている。

死地に乗り込むにあたって、お袋さんを思い出してしまう心情は、やっぱり実際の戦場を知っている観客たちを慰めただろうと思うのです。

絵的には地味なわけです。せまい浅草の街を行ったり来たりしている。観光名所をフィーチャーするわけでもない。昭和21年の浅草がいっぱいいっぱいなら、1965年時点のスタジオ撮影も、わりとギリギリでやってるのです。

でも過去への愛惜と、カッコいいものを撮りたい気持ちにあふれている。しかも、映画産業はすでに斜陽化している。

映画の観客動員数は、昭和33年(1958年)がピークだったそうで、テレビの普及によって、昭和50年(1975年)までの間に約10分の1に激減したそうです。この1965年は、すでに東京五輪の後で、カラーテレビが普及している。

それでもヒットさせたんですから、高倉健は偉大だったが、佐伯清もすごかった。

べつに前衛ぶって変わったことをしているわけではないのです。すでに誰かが開発した映像技法と、物語上のステレオタイプを並べているだけなんだけれども、その適用箇所の選定と、出し入れの間合いがものすごく上手い。

高倉健は、役柄に乗り移ったような演技をする人で、声が本当に怒っているのです。泣く時は本当に泣いちゃうのです。ここではまだ若いのに地元の町衆と組員を背負うので怒りも深いです。女の甘えを叱るところもすごくいいです。

池部良の「ご当家三尺三寸借り受けまして」軒下の仁義は、あの手の台詞を歌わずに語るお手本になるかと思われますので、よく御覧になるといいです。

意識的に目線を使い、たっぷりと間合いを取った彼の芝居は、色男だけに許される特権で、その傍らで高倉を含めた若手たちが、まっすぐに頑張ってるのがいじらしいです。

いっぽうに「一生コメディリリーフか、どうせ悪役・やられ役」という人々もいるわけで、男たちは自らの「分」をわきまえることに誇りを見出すのでした。

男と男の死出の道行きは、前衛的なまでに装飾を削ぎ落としたものでした。何をつけ加えたら良いのか、想像力が限界に達してひっくり返っちゃったのかもしれませんし、神話的な「原風景」というに最も相応しい表現なのかもしれません。

池部の役は、いなくても話が成り立つので、陰の主人公なのです。彼の内面で心的転換のドラマが起きないと、最後に同行するということにならない。

他には河原崎長十郎が主演の『河内山宗俊』(監督:山中貞雄 )に登場した金子というのが、こういう立ち位置のキャラクターでしたね。

売り出し中の高倉にベテランをくっつけて支えさせたということだと思われますが、興行的な思惑が成功するかしないかは、脚本家が二枚看板をどのように料理し、どのようなテーマを訴えるかに掛かっているわけで、うまく行ったのなら、何かが観客の琴線に触れたということになります。

わりと重要なのは、この手の作品は、あまり世界的に評価されないということなのです。明らかに余分なキャラクターがいて、ヒーローに同行したい観客の心情を背負っている。それよりは、戦士なら戦士、プリンセスならプリンセスが一人で活躍する話のほうが評価は高いのです。

あるいはここに日本とアメリカの価値観の違いを見てもいいのかもしれません。後者は明らかに「アメリカン・ドリーム」の国だから、強大な敵に対して友を見出すよりも、自分自身の立身出世のほうに価値を置くのかもしれません。

さらにまた、アメリカはあくまでキリスト教の国であって、個々人が神に対して義理を果たそうとするのかもしれません。

そう考えると、世俗化した日本において、「男の美学」に泣くという時の陶酔感は、宗教的法悦に似ているのかもしれません。そう思えば、唐獅子牡丹を背負っていた人は、光背を帯びていたようでもあります。

終盤へ来て脚本が甘いのは、製作陣のほうで若手を売り出したい気持ちが強すぎたのかもしれません。シリーズ化したい気持ちも見え透いてしまいましたが、そのまま続けなかったのは英断だったと思います。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。