1969年3月、マキノ雅弘『昭和残任伝 唐獅子仁義』

  21, 2016 10:20
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流れ流れの旅寝の空で 義理に絡んだ白刃の出入り。

第5弾。冒頭のフェティッシュな血まみれクローズアップが良い。瑞々しい撮影は坪井誠。

役名とキャスティング、採石場という舞台設定に「セルフ・カバー」の要素を持たせて、ファンサービスしつつ、藤純子の魅力を活かした女性映画の要素も加えつつ、若手にも個性的な役柄を与えて、二部構成状態にもなっておらず、まとまりの良い一本だと思います。

監督(1908年、京都生まれ)は、ファンサービスが陳腐なパロディになってしまう、越えてはいけない一線を心得ており、どっかで聞いたような台詞は端折ったり、ロングの絵で流して撮ったりするのでした。

爆破シーンは『唐獅子牡丹』より遥かに効果的。

仁侠映画自体が昭和44年3月の時点で観客にどれほど訴求力があったのかと思うんですけれども、制作陣はたいへん楽しくやっているように思われます。

第二作目以来、昭和初期の背景の風情がよく、これは時代劇の撮影所を使いたかったんだろうなァなんて裏事情も考え合わせつつ、今となってはこの映像自体が財産だと思います。藤純子には、やっぱり赤が似合う。
「悪い女房に、なりたいんです」
えい、女に恥をかかせる色男どもめ。手切れ金って云われた時の池部の顔の寂しげなことよ。

アイシャドウの似合う池部は色気があり過ぎて、軟派の要素があり、妹にしても女の影があったわけですが、露骨にジゴロをやらせてもよく似合う。でも、おそらくそういう役の俳優としては限界に来ており、いっぽう売り出し中の若手だった高倉は経験値を高めて貫禄を増している。

第一作では、若手たちの横で中年の重みを添えていた池部に対して、高倉のほうは俳優としても役柄としても明らかに年齢差があって、死地に乗り込むにもお袋さんを思い出しちゃうほどで、年上の人から「男にしてください」と頼まれて返す言葉もなく、かえって感謝してしまう。

それが説教するようになったわけで、じゃっかん「めんどくせェ!(男に懐かれたくねェ!)」みたいになってるのも面白いところではあります。

でも連れてってくれます。目と目の芝居がいいです。

高倉の横で恰好つけて観客からお邪魔虫と思われない俳優も、なかなか見出すのが難しいわけで、この二人は背丈といい、硬軟の雰囲気のバランスといい、得がたい友ではあったのでしょう。

ほかに監督の手際では、刑務所の長い壁を活かした絵が素敵です。場面転換は黒沢明が『姿三四郎』でやっていた、紙芝居みたいに横にスーーッと抜く手法が使用されました。ルーカスくんも好きなやつ。

雷門一家の若い衆、樺島の代貸しなど、濃い目のいい顔した俳優がいっぱいです。志村喬はいきなり名演技というか怪演技。河津清三郎は例によって悪役の親分さん。着物にトンビはやっぱりカッコいいです。

寡黙だった渡世人コンビにも台詞が増えて、女性キャラクターの動きもよく、せまい町の中でしがらみに悩む人間ドラマに深みと面白みが出たように思います。
「あれ、来ちゃった」
脚本家もシリーズとともに成長したのかもしれません。

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