1969年11月、山下耕作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』

  22, 2016 10:20
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脚本:神波史男・長田紀生 撮影:林七郎 編集:田中修

お前とだけは、仇どうしにゃなりたくねェな。

シリーズ第6弾。名匠マキノ雅弘って本当は写実性重視の社会派人情路線(小津・溝口みたいの)で、男同士のなんとやらってあんまり好きじゃないよね……

とこう、名匠には違いない泰然たる語り口に感心しつつも消化不良感はあったもんですから、監督替わって、ああ良かった。ここまでシリーズつきあって良かった(涙)

山下監督は1930年、鹿児島生まれ。まずは、男所帯の密度の濃さよ。野外ロケの絵もいいです。音楽が効いてます。悪役も国策を背景に、ちょっとスケールアップ。オープニングに高倉の肉声が帰ってきたのも嬉しいところ。

秀次郎も(不器用な)仁義きって、はなっから渡世人。マキノ版は陳腐なパロディに落ちるところをギリギリで踏みとどまった危うさがありましたが、こっちは王道を踏襲したという思いがいたします。「圧倒的な物量(火力)の前に滅んでいく残侠」というテーマも戻って参りました。

この時代の観客は、戦地から復員してきた人が多かったのです。40歳で予備役編入だったはずなので、「終戦」の年に最年長の39歳だった人が、この年には63歳。最年少の14歳だった人は38歳。

現役バリバリの多くが、耳に軽機関銃の音を覚えている。銃剣を磨き、弾込めをした経験がある。武器を持つ部署にいた人ばかりじゃないですけれども、訓練は受けている。怪我人を見ている。死人を見ている。

人間、いやな思い出をただ忘れようとするのでもないのです。ギリシャ神話も旧約聖書も、大洪水と民族迫害、戦争の記憶を伝えている。能楽師は白刃骨を砕く痛みを何度でも謡うのです。

そして復員してきた人は「終戦の年から5年ごとに日本らしさが失われていった」と嘆く。たかが娯楽映画の裏に、追悼の思いがあったことを忘れちゃいけないだろうと思うのです。

秀&重は、ついに兄弟仁義となりました。つねにアコギなほうから杯もらっちゃってる風間さん、それだけ若い頃は荒れていたということでしょうか。

それにつけても仁義の邪魔しちゃいけねェんじゃねェんですかい。聞いちゃいられませんでしたかそうですか。

二人を難しい構図に叩き込んだ物語がよく、それを撮る構図もいい。風間というキャラクター、池部という俳優を最高に活かした回かもしれません。

片眉だけ器用に動く池部の悲しげな表情は、第1回から印象的だったので、今回はクローズアップで撮ってくれたのがじつに嬉しいです。そしていつもながら、この二人の着物の着付けは良いです。

皆川一家も剣一家も、角刈りの似合う、いい漢ぞろいです。いままで「じっし」は、お人よしの素人というタイプが多かったので、任侠の家に生まれて実力不足で気ばかり荒ぶってるキャラクターがハートブレイク青春映画の要素を添えて、好みの問題でもあるんですけれども、女性映画に流れるよりは、物語がクライマックスへ向けて収斂していくことですし、よほど締まりが良かったと思います。

神津組の清次の頃には、高倉自身があのくらい若かったんですけれども、いい顔になりました。それにつけても、剣持の貫禄。千恵蔵の裏話はウィキペさんで読んでると面白いんですけれども、まさか全文書き写すわけにも参りませんので、ここではその貫禄の活かし方、映し方が最高だった(涙)と申し上げておきます。

義理と人情、秤にかけりゃといいながら、渡世の義理ってだけじゃなく、心情的にどうにもならないところまで追いつめられていく緊密さは、第1話が戻って来たかのようです。最後の最後に我がままを云う女の勇気も良いです。

やっぱりね、女は全力でとめなきゃいけません。それでこそ、振り切っていく覚悟ができるというものです。

適度にクローズアップを効かせる殺陣の撮り方も良く、「終」の文字の入る位置も気が利いていたことです。山下監督ありがとう。

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