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カーマと薔薇族の優しい嘘。

東郷健が云った「オカマという言葉は、カーマ(愛)が語源」というのは、イメージを良くするための戦術の一つですから、本来は「釜を掘る」であることに変わりはありません。

「陰間が語源」と云った場合にも同じことです。要するに「春をひさぐ」ことの一種として、女陰ではない部分を提供する男性ということです。

そういう人々が女装していることが多いので、そういう商売ではないのに女装している人々(たんなる女装趣味者・トランスMtoF)まで混同されて「オカマ」と呼ばれるという話です。

つまり、混同が発生しているのです。

それを、一つ一つ丁寧に呼び分けていくのか、まとめて「オカマ」と呼んだうえで「オカマ上等」と開き直るのか。

これは戦略の選択の問題です。選択する権利は個々の当事者にあります。それを「この俺が当事者代表として、どちらか一方の戦略しか認めん」と云えば、当事者コミュニティ内部から「あんた何様のつもり」という苦情が起きるわけです。

かつて論争が起きた原因は「性的マイノリティは一蓮托生!」と思っていたことです。マイノリティ内部のマジョリティ意識という、ひじょうに厄介な問題で、マイノリティとしての抑圧感が強いところほど起きやすい傾向があります。

強敵に対して、被害者意識・防衛意識が強く、「一致団結せんければいかーーん!」と思ってしまうからですね。かつての大日本帝国です。

でも、少数派の基本戦略は「みんな違って、みんないい」しかあり得ません。内部差別が発生すれば、どのセクトがマジョリティと癒着するかという利権争いになるからです。

根本的には、伏見憲明が云ったように「名指した時点で差別」です。

ただし、明らかにマジョリティ(シス・ストレート男女)と利害が相反する、少数派が不利である、生命・生活がかかっているという時には、なんらかの団体名を名乗って、認知運動を起こすことになります。

それに際して「オカマ上等の会」もあれば「トランスMtoFと呼んでほしい会」もあるということで、人それぞれ、個別対応。やっぱりこれが結論になります。

「ゴチャゴチャしてめんどくせェ! はっきりしろィ!」というのは、男らしいわけですが、それもまた、「男らしさの会」という主義主張の一つに過ぎません。

どこかの団体だけが実力(=暴力・武器)を持てば、他が不利になりますから、やればできる腕力を持っている人も、殴ったり、撃ったり、斬ったり張ったりしてはいけないというルールを守ってください、ということになります。

本来、このルールを守り抜くことこそ「男の美学」であり、やせがまんであって、それを先に破る外道がいるから、審判長がレッドカードを出して退場させるというのが、任侠映画であり、残侠映画なわけです。

唐獅子牡丹に泣くほどの漢は、弱い者を守ってあげましょう。

なお「薔薇族」ってのも、優しい嘘です。人目を忍んで密会していた人々を、伊藤文学というストレート男性が憐れんで、きれいな名前で呼んでやったものです。

だから、実際の同性志向男性の中には、それをお節介に感じて、いやがる人もあります。今では殆んど使われておりません。

古代ギリシャの伝説に基づくという話がありますが、ホメーロスにもオイディウスにも、そんな記述はありません。呉茂一が明るく描写したように、少なくとも古代ギリシャの神話・英雄伝説の世界では、男性の貴族が美少年を寵愛することは公認でしたから、わざわざ頭の上で咲いている薔薇の花を探し出して、秘密の愛を誓う必要はありません。

当時だって、成人男性の同性愛者がいたはずですから、奴隷同士が主人の眼を盗んで秘密の愛を誓うことはあったかもしれませんが、これは本当に秘密ですから、伝説にもなりません。

アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』を参照しても、薔薇(rose)に男色の意味はありません。西欧でゲイボーイを意味するのはパンジー(三色スミレ)であって、色としては紫です。赤ではありません。

薔薇は、とくに古代の原種に見られる一重咲きでは、花弁の形状からいって、女陰の象徴であり、各地で愛と生殖の女神に捧げられる花です。

キリスト教では聖母マリアに捧げられる花であり、これも彼女が「母の愛」を象徴し、古代の大女神に通じる性質があるからです。

だからこそ、厳格な(中世の)キリスト教徒にとっては、エロスと聖性の融合という雰囲気が危険な異教として感じられるわけで、日本では澁澤龍彦が「薔薇十字団」という秘密結社を紹介したことと、「under the rose」という英語の言い回しがあるために、薔薇が秘密を象徴するというふうに感じられたのでしょう。

なお「百合族」というのも、伊藤文学が「女性の同性愛は女性の自己愛だから」というので命名したそうですが、そもそも同性愛は自己愛の強すぎる人が「なる」ものではないうえに、古代ギリシャにおいて自己愛の象徴とされた花は水仙(ナルキッソス)であって、百合ではありません。

うなだれて咲く白い花ということで、伊藤が混同したのでしょうし、日本語の言い回しとして、美女を例えて「歩く姿は百合の花」というので、男装して颯爽と歩くレズビアンは百合の花のようだという印象だったのでしょう。

こちらはレズビアン当事者にも、イメージが美しいので、受け入れられているようです。

でも、レズビアンと聞いて「じゃあ百合族ですね」と云ったら、先方から「ちゃんとレズビアンと云ってください」と訂正される可能性は高いので、お気をつけ遊ばせ。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。