創作者は、あまり国粋主義的な気分になるものではないです。

  16, 2016 10:21
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表現の自由といいますが、土門拳や土方巽も表現者です。

彼らの作品(パフォーマンス)は、いかに前衛的で過激で人間存在の最奥をえぐるようであっても、実際の被写体や自分自身の肉体に基づいているので、一定の良識の線を踏み越えないのです。

つまり実際に人間をサツガイして、それを撮るとか、ショーにするということではない。いっぽう、創作というのは想像の産物ですから、最大限の自由が保障されていないと、うまく行かないのです。

創作の範囲では、現実にはあってはならないこと、例えば家庭内虐待や軍隊におけるパワハラなんてことも描かれる。任侠の殴りこみだって、実際にあっちゃ困る。悪役のチンピラだって、現実なら地元に親御さんがいて、都会へ出た息子を心配してるんですから。

たしかに、新しい憲法はGHQからの貰いもんです。起草スタッフは左傾していたともいう。若い女性が参加していたという話もある。

だったら、日本の女性は、アメリカの女性のおかげで、参政権を保障され、表現の自由を楽しんできたのです。結婚も、べつにしなくても良いことになってます。

それが気に入らないなら、もっと新しい憲法では、女権を制限することになる。

この困難な時代に、御国のためというなら、男子は徴兵・女子は無理にも出産というのが適切だからです。

でなきゃ、女性も徴兵に同意するのです。腕力がなくても、通信・衛生・主計などの分野でお役に立つことができます。でも、それくらいなら、現時点で志願すればいいという話になります。

小林よしのり『戦争論』を読んで、「個人は公のために『ひらく』べきだ」という思想に感動したというほどの人は、男女を問わず、猛勉強して防衛大学へ入るのが本当だということになります。

その後、地元町内の清掃ボランティアに参加しましたか? いざというとき、ご近所に何人のお年寄りが住んでいて、手助けが最も必要なご家庭はどこか、知っていますか? 

男女とも、強い軍隊という幻想を抱くことは容易です。でも「誰かがやればいいじゃん」では、お話にならないのです。

敗戦後71年。実際の徴兵を経験せず、創作物にばかり慣れ親しんだ戦後民主主義的戦争を知らない子どもたち・孫たちには、独特の弱点があります。

自分のことだと思っていないのです。

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