1968年1月、山下耕作『博奕打ち 総長賭博』東映

  06, 2016 10:20
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兄弟。俺の意地立てさせてくれ。

チャンバラ劇じゃないのです。三島由紀夫を痺れさせた極道リアリズム。鶴田浩二の個性なしに撮れない。三島がほめたなら佐伯彰一も見ただろうな、などと思いつつ。

タイトルが不謹慎で、どーーしよーーもないですけれども、そこからは想像もつかない、もの静かなヤクザ者の日常風景です。

日常なのです。一般市民から見るとマジでヤバくても、意味不明なことばっかやってても、それがヤクザの日常風景なのです。

津島利章は最高にいいメロディーを持ってるのですが、それを鳴らすまでの間をじっと無音で耐え忍ぶのです。

少しずつ要素を積み上げていく物語同様、絵のほうも人物の適度なクローズアップの切り替えのリズムがよく、逆にいうとそれだけなんだけれども、それが耐えがたいほどの緊張感を生むのです。

対立の構図は『残侠伝』ではあり得なかった型。脚本の笠原は、義兄弟どうしの話がどこでどうこじれてどういう具合に転がっていくのか、ヤクザの世界をよく知っている(怖)

そもそも中井がなまじっか「筋」を通そうとしたばっかりに……という皮肉な話であって、脚本家はたいへん冷静なのです。

物語は昭和10年。いきなり貫禄のちがう鶴田浩二は例によって謙虚な理性派で、この人自身は問題を起こさないので、起こす奴は若山富三郎なのです。

一見するとコメディリリーフのような愛嬌のある風体をしてるんだけれども、顔にも声にも車から降りてくる姿にも、ドスと色気が効くのでした。斬られてもいいって、ちょっと思いますわね。ちょっとね。

鶴田は、その若山を説得しなければならない。差し向かいで話す姿をカメラは真横から撮る。濃密な舞台劇みたいです。鶴田の台詞をいう声の変化がすごい。カメラは何もせずに、それをじっと捉えている。

そして、ここ一番のモンタージュ。鶴田の頬の筋肉がピクリと動く。クレッシェンドしていく音楽。要らん決意をしてしまう若い者。

ドシャ降りの墓地のシーンは天然でしょうか。撮影班は天候に合わせて繰り出したんでしょうか。ヤクザ者も映画人も、仕事にかける男の意地は、バカとプライドで出来てます。

ストイックに撮られた内紛劇のようですけれども、冒頭からひじょうに黒々しく「大陸ゴロ」が描かれておりまして、内紛の背景には庶民泣かせの社会悪を討つという大義名分があるのです。

麻薬を輸入しただけでは利益にならないのですから、日本の若者や女性に売りつける必要がある。それを退治するというところへ収斂して行くので、かろうじて庶民である観客が違和感を感じないで済むものに仕上がっております。

またそれを法律用語で表現してしまうと、じつに野暮なことになる。判決文を引用した新聞・テレビの報道だけ見ていても、世の中のことは本当には分からないぜ……という皮肉も含まれているようです。

クライマックスは、男の着た黒と藤純子の着た赤がいい。その赤がまだ目に残っているところへ映し出される蔦の緑がいい。重要な場面を照らす、あるいは影に沈ませる照明がいい。激闘シーンは、バッサリやる意味が違う。

脚本も脚本なら、監督もまったく腹がくくれてるなァと今さらながらに思ったことです。

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