ゆるいつながりに依存するツイッター廃人。

  25, 2016 10:20
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自虐ジョークではなく、他人から「ツイッター廃人」と呼ばれた人は、本当に人間性に問題があります。ただちに自分の言動を見直しましょう。

一般に、可愛いペット・きれいな風景写真、周囲を和ませるような明るいジョークを適度な回数でアップロードするアカウントに向かって「この廃人め」という人はありません。

云われた人は、もともと自分のほうから他人に粘着していたのです。

被害妄想に駆られて、すべてのリツイートに過剰反応し、他人の話を勘違いして、筋違いなクレームをつけて廻ったり、わざと他人を傷つけるようなメンションばかりしていたので、云われた側がたまりかねて「いい加減にしろ。この廃人め」と云ったのです。

それに対して「でも私はツイッターが好きだし~~」と答えるのであれば、全然反省していないということです。実社会でもそういう態度だから、リア友が少ないので、SNS依存症になってるわけです。

最初にきちんと挨拶できる人間なら、急に我がままを云うこともないわけで、ツイッターの「ゆるいつながり」というのを真に受けて、本当に挨拶なしで殴り込んで行くようなタイプは、要するに廃人まっしぐらです。言い訳も筋違いです。

だって、本人が好きであることは、不快なことを云われた側にとって何の関係もありませんね? 好きなら何をしても良いわけではありませんね? 大好きなツイッターの使い方を間違えたのなら、謝ればよいことですね?

「だって好きなんだもん」と云えば「仕方ないなァ」と笑って許してくれるのは、パパだけです。おうちへ帰りましょう。

【なりやすい人】

依存症になりやすい人は、依存的な人です。「話しかけてくる人がいたので就寝できなかった」なんて言い訳する人です。

過去に「責任転嫁したら、こっぴどく叱られた」という経験をしたことがないわけで、いつでも被害者っぽい顔をしておけば許してもらえるという勝手な期待を抱いているのです。

でも、そもそも遅い時間にSNSにアクセスしなければいいですし、時間を決めておいて「明日も仕事があるので失礼します。明日以降にお返事します」と挨拶すればいいだけです。終電をのがさないように気をつけるのと同じことです。

自分が挨拶できなかっただけなのに「眠らせてもらえなかった」という被害妄想は、「無理して付き合ってやった」という恩着せがましさに通じ、相手から期待通りに謝ってもらえないと怒り出すという、一連のパターンを持っています。

責任転嫁する以上、自分には悪いところがないと思っているわけで、自分が絶対に正しいと信じている。新世界の神になるタイプ。世の中が、なんでも自分の想像通りに進むと思っているわけです。

このタイプの女性とズルズルすると、必ず「こうなったのはあなたのせいよ」と云って来ますから、男性諸氏は注意なさってください。

(レズビアン諸姉は、こんなふうに甘ったれてないと信じます。)

【環境系】

この手の廃人アカウントが、環境問題系に粘着された時には、類友だと思われた可能性があります。

自分自身が誰かれ構わず「知らないなら教えてあげましょうか~~?」と、お節介を焼いていたので、同様に「そういうのはぜんぶ放射能のせいですよ。知らないなら教えてあげましょうか~~?」というタイプから、お友達だと思われたのです。

「怖いわ~~」とか、可愛い子ぶってる場合ではありません。早急に自分の言動を見直しましょう。

【「頭がおかしい」ではだめなのです】

廃人アカウントに対して「頭がおかしい」と云ってはいけません。差別的だからではなく、本人が喜んでしまうからです。

「そうよ。私は頭がおかしいから仕方ないのよ。だからこれからも失礼な粘着メンションを続けてやるわ」というふうに、口実を与えてしまうからです。先手を取って自分から「狂ってる」と称することもあります。

先に言い訳を用意しているのです。本当に狂気を自覚しているなら、病院へ行けばいいのですから、実際には偽装しているだけです。

一種の犯罪予告であり、被害者が増える前兆ですが、若い人が「自分からクレイジーと云うのはカッコいい」と憧れてしまうこともあります。

だから、可能な限り、本人の頭が正常な前提で、自己主張の根拠をつぶしましょう。数字を挙げるのは、わりと有効です。

本人の人格をつぶすわけではないので、間違った自己主張・自己弁護をしなくなれば良いのです。

【コミケ方面】

「二次創作」に親しんでいる人は、原作者に挨拶しなくてよいと思っており、叱られても「えらい人」が守ってくれると思い込んでいますから、社会のルール全体を「なめた」感じになってしまうことがあります。

キャラクター本来の設定・個性を無視することにも慣れているので、現実の話相手の性格・立場なども全く考慮しないことがあります。

「暴力が愛に変わる展開は外せない」という心は、現実においても「挨拶もなく、失礼なことを云ったのに、お友達になってもらえた」という超展開を期待する心です。

そうです。時々、初対面とか会社に入ったばかりで、いきなり「私の薄い本を読んでみたくないですか~~?」っていう、馴れ馴れしいタイプの同人がいるのは、そういうわけです。

相手が著作権者の身内だったり、すでに同人活動に強い反感を持っていたりする可能性を全然考慮してないわけですね。

これは同人のほうで自戒しましょう。

【新宿二丁目方面】

女性が自分に都合のよい勘違いを起こして、ゲイやトランスを利用するということについては、ゲイコミュニティが1980年代からクレームを発し続けています。

だから、SNSを通じて彼らに粘着していた人が、彼らから廃人よばわりされた可能性もあります。

デジタルつきまといは、現代では大きな問題になっているはずです。自分で注意しましょう。

【ツイッター廃人とルサンチマン同人の親近性】

ここまで読むことのできた人は依存症ではありません。自分で何とかしようと思うから、他人の書いたものも参考になるかと思って読んでみるわけですから。

逆にいえば、自分の頭で考えることがめんどくさい。他人の書いたものを最後まで読むこともめんどくさい。誰かに口頭で教えてもらえばいいやと思う人が、タイムラインに依存する。

子どもの頃には、親に云われないと宿題に取りかからなかったタイプ。他人のノートを写してテスト勉強を済ませたタイプ。それを叱られると「みんなやってる」と泣き真似する。

みんながやってるから自分もやっていいかどうかという判断ができない。自分を守るためなら友達を売る。それで余計に叱られるとは思っていない。

親もそういうタイプだった可能性は高いけれども、それを恥ずかしく思って「自分の代で止める」という判断はできない。倫理基準が親しかないわけです。

もし運動部に入っていれば、監督の話を聞く。金銭的な利益を度外視して、チームメイトとともに練習方法を工夫する。そういう経験をしていないってことは、 文系 インドア派なので、このタイプは「同人」になりやすいのです。 (※修正しました)

高校を卒業して、親元を離れると、親の代わりに「サークル」の先輩に依存する。「エロ」さえ書けば簡単にかせげるという話を真に受けてしまう。権利問題の話になると「編集部が~~」とか云っちゃうのは、このタイプです。

でも、他の人は、そう云いながら、いろいろな本をよく読んで勉強しており、自分なりの専門分野を持っている。原作にも詳しい。だから、どんどんアイディアが出てくる。

でも、そういうことは私には教えてくれなかった、だまされた・裏切られた……と逆恨みする。自分が世間知らずなのは親のせいだというところへ戻っていくわけです。そういう愚痴を聞いてほしいから、タイムラインに依存する。なぜか。挨拶しなくていいからです。

厄介なのは「挨拶しなくていいなら、軽い気持ちでどんどんおしゃべり出来るから、ラッキー」と思っちゃう程度には外向的なところです。

本当に引きこもりなら、誰とも会話せずに音楽を聞いたり、絵を描いたりしているわけですが、「愚痴を聞いてほしい、同意してほしい、慰めてほしい」という依存的な気持ちがあって、それを恥ずかしいと思わない程度には明るいってところが厄介なわけです。

だから、根は悪い子ではない。ただし、自分の甘えの心に気づかなさ過ぎる。ひらたく云うと、やっぱり、ちやほやされて育ったほうです。

言い訳が通用しない世界で「血と汗と涙」という経験をしたことがない。他人の心の裏の裏の裏を読んで生き延びる必要がなかった。思ったことをそのまんま云ってしまえば、「だよね~~」「あるある~~」と同意してくれる姉妹や同級生に囲まれて育ってきたのです。

なまじ記憶力が良くて、授業を話半分に聞いていても成績の良かったタイプ。しかも外向的で、誰とでも友達になれる。先生に「ちょっと質問」などと声をかけることも、べつに恥ずかしくない。そういう学級の人気者・優等生が、かえって心の罠に落ちやすいのです。

【ゆるいつながりは、メンション禁止の婉曲表現】

そもそも、ゆるいつながりというのは、「メンション禁止」の婉曲表現だったんじゃないかな、と思うものです。

まず、ツイッターは、フェイスブックありきだろうと思うのです。あれは本来ハーヴァード学生の名刺交換会ですから、有名な研究者と会話したとか、ちょっとしたアイディアがビッグビジネスに結びついたとかいった、おハイソな話題にあふれているのは当然なのです。

日本には「2ちゃんねる」があって、こっちは詳細な情報やアスキーアートの腕前を持っている人々のものです。若者言葉が飛び交い、礼儀作法など無いようで、厳然として存在する。

そのいずれでも「腹へった~~」とか「卒論やばい~~」みたいな愚痴ばかり云っていれば、スマートでない。「荒らし」ということになってしまう。「逝ってよし」と云われてしまう。

本当は、そんなことは一緒に住んでいる人に云えばいいことで、世界へ向かって公開する必要はないんだけれども、若者が学問のために地元を出て(ハーヴァードへ)来ているから、寂しい。どこかでポロッと愚痴をこぼしたいわけです。親に甘える感じを味わいたい。

それに対して、いちいち「イイネ!」や「好き!」がつくことを期待していない。お互いに「自分で料理すればいいじゃん」とか、「くだらないこと云ってる暇があったら卒論に取りかかれ」とか説教しない。

たまたま、その場に居合わせて「自分も腹へった」と思った人が「俺も~~」と発言する(アップロードする)んだけれども、それもその人自身が独りごとを云っただけであって、最初に云った人が「ありがとう。分かって頂けましたか」と返事する必要はない。

要するに、本来は「クレーム無用、説教不要、会話しない約束」だったんじゃないかな、と思うものです。

ツイッター廃人の第一歩は、この「挨拶しなくてよい(ことになっている)」というシステムの簡便さに依存してしまうことです。

そもそも、ゆるいつながりと云われて、真に受けちゃう人は、それ以前の段階で「他人の云うことを信じやすい、他人の判断力に依存する、自分で考えない」という心理的問題を抱えているわけです。

世の中には、いろいろな依存症があります。アルコール依存症もあれば、買い物依存症もあります。自分が病的な状態だと自覚することが第一歩です。「ビョーキだから仕方ないのよ」と喜んでしまってはいけません。

だいたい、手に入りやすい娯楽には依存症が付き物です。もともと気の弱い人が、わざと強い酒を飲んでいるようなものだと思って、自分に酔ってしまわないように、気をつけてください。

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