2004年『キング・アーサー』

  23, 2012 13:08
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「客を笑わせよう」という意識が無いのは爽やかでいい。

撮影地はイギリスとアイルランド。俳優もそちらの人ばかりで、ハリウッドの皆さんと違ってなじみが少なく、一見すると地味なテレビドラマのような雰囲気だが、そこがいい。

俳優は男も女も若者も中高年も、みな良い面構えをしている。泣かせる男の友情と、活目すべき女の勇気があって、魔法はない。 

アーサーを帝政ローマ末期に実在し、苦悩しつつ離反した外人部隊隊長として描く。ずっしりドキュメンタリー調。生きるか死ぬか、やるかやられるかの実感が胸にせまって、地味に怖い。

ところどころに野暮ぎりぎりのベタさは見られるが、やってる本人たちに観客を笑かそうって意識はない。アーサーの権力への怒りと決起を導くために、庶民の苦難を描くが、その演出も過度でなく、お涙頂戴ってふうではない。

DVD特典のメイキングでは、声を張り上げて陣頭指揮をとる若き黒人監督の勇姿が映っていた。

イギリス人は「近代世界システム」の発明者として、アフリカに住む人々をアメリカに運び、奴隷とした張本人といっていいわけだけど、その心の宝石のような英雄が描かれるにあたり、ユダヤ系ドイツ移民のプロデューサーが、アフリカ系アメリカ人監督を起用したのを迎え、撮影地と出演者を提供したというのは、もはや改めて言い立てるべきことではないのだろうけど、やはり意義深いことなのだろうと思う。

そういう制作の背景と「人は生まれながらに平等であり、自由意志で進む道を決めるべきだ」という映画の主張が重なる、ような気がする。

女性の描き方も、リドリー・スコット作品ではまだしも「女のわりには頑張っている」というふうだが、こちらではもっと積極的だ。といって、揶揄するふうでもない。

じゅうぶんに映画らしいカッコ良さ、物語らしい「あり得なさ」を追求した娯楽作品でありながら、全編を通じて、からかいようのない真剣味、気品、清潔さ、そのようなものを保っているように感じた。

撮影準備は非常に凝っており、メイキングによると、決戦の地である「ハドリアヌスの長城」は4ヶ月・のべ250人を費やして実物大のセットをアイルランドの平野におっ建てた。俳優たちは乗馬と殺陣の訓練に数週間を費やし、侵略する異民族役のエキストラ400人も、軍事トレーナーによる訓練を受けた。氷上戦の水中シーンにはダイバーが投入されたらしい。

「今どきアホか!」と叫びたいほどのマジっぷりである。その「まじめに遊んでる」感じがいい。国の、あるいは母校の威信をかけたスポーツの試合みたいな爽やかな感動がある。

白兵戦の最前線同士が本当に体と体でガツーンとぶつかるのを真横から撮った、というのはなかなか見られない。長尺の西洋チャンバラは思わず正座して見入ってしまった。

今どきといっても既に8年前。VFX(CG)にはそつがなく、見応えがある。しかしそれがメインになる直前の肉弾戦の迫力、最後の打ち上げ花火みたいなものか。

オープニングは、いわゆるアバンタイトルがなく、いきなり「キング・アーサー」と画面中央に表示されるところから始まる。すでに正統派の予感。

「15世紀に成立したとされるアーサー王物語は、その1000年ほど前に実在した人物をモデルにしている」と最近の学説らしきものを簡単に紹介した後、舞台は帝政ローマの末期であることを、地図を使ってかいつまんで説明する。カーク・ダグラスの時代かとツッコミたいほど正統派な語り始めである。

プロのアナウンサー調のキビキビしたナレーションは、帝政ローマによる東欧の異民族征服を語る。あれ、イギリスの話じゃないの? と思ったところで「征服された民族の若者はローマの兵役に就き、遠方へ派遣された。それがこの私、ランスロット」という具合にナレーターが顔を出す。キュッと焦点が合う感じが気持ち良い。そして15年。早いな!

ランスロットはブリテン島の守備隊に組み入れられ、そこでアルトリウス(=アーサー)を隊長にいただき、トリスタン、ガラハッドなど錚々たる面々とクツワを並べ、すでに円卓の騎士として名を馳せている。彼らが15年もの年季奉公を勤め上げ、明日は退役して、ついに故郷へ帰れるという日、ローマ中央から派遣されてきた司祭によって、最後にして最も危険な任務が与えられる……

ローマはすでにキリスト教化されており、キリスト教はすでに権威主義となって退廃しかけている。辺境を守る外人部隊の隊長であるアルトリウスは、中央によって異端とされたペラギウス派を信奉しており、人は生まれながらに平等であり、自由意志によって人生を決めるべきであると信じている。円卓も彼の発案になるものだ。

彼らの当面の敵は、ブリテン島の先住民である「ウォード」(顔を青く塗ったケルトの戦士)だが、北方から更にサクソン人が侵入を開始しており、こちらも金髪を三つ編みにして、異民族ロマンをかきたててくれる。

ローマは退廃した貴族によるキリスト教国家として、先住民を異教徒として迫害し、小作人として痛めつけ、しかも彼らを守らず、サクソン人との正面衝突を避けて退却する。

アーサーは、ローマ軍人を父にもち、ブリテン島の先住民の女性を母にもつ。ローマ軍と一緒に東へ帰るか、母の血に従ってブリテン島にとどまり、北方からの侵入者と戦うか。

敵味方は四つ巴なわけで、やや複雑だ。

「主人として仕えていた偉大なローマが、辺境の庶民をいじめているのを見てしまい、ローマと戦う」なら単純なわけだが、ローマとは戦わない。その代わり、辺境の庶民(を代表して戦う青い化粧の戦士たち)は、ローマ軍にいる間に指導力を鍛えたアーサーを大将に選び、ローマとの戦いの間に覚えた彼らの戦術=「豚の脂肪を燃やす煙幕」と、それを盾にした連携プレー、さらになんと攻城兵器まで利用する。

苦難の歴史は、単に否定されるのではなく、いろいろな形で受け継がれていく。「ローマと戦う話だと思ったのに残念」という肩すかしではなく、うまくまとめられていると思う。

対して、寄せ手であるサクソン人は先進的な武器・戦法を知らず、歩兵による猪突猛進型の戦い方しか知らないが、単なるやられ役として揶揄されているのではなく、勇猛果敢として描かれているには違いない。全員が黒い装束で決めて、こっちはこっちでカッコいいのだ。王と王子の性格の違い・微妙な対立が描かれており、こっちはこっちの深みもある。サクソン王がここで倒れちゃったらイングランド王家はどうなっちゃうのという件は、まぁ気にするなってことだろう(^_^;)

というわけで、話は「アーサーがローマ軍から離れてブリテン王として決起するまでの、ほんの一週間ほど」に絞られており、そのぶん緊張感が高い。四つ巴の成り行きを分かりやすくするために、アーサーの人物・心理描写は単純化されている。ランスロットはもちろん仲間を代表して、アーサーに反対意見をぶつける役だ。

しかし決して出しゃばらない。任務の、決戦の危険さに関して、他の仲間の前では黙っているが、二人だけになってからアーサーと喧嘩する。隊長の顔を立てることを知ってるわけで、観客にはそれだけ二人の絆の強いことが分かる。

「やめてくれ、死にに行くだけだ、友情にかけて頼む」
「友達だからこそ邪魔をするな。俺のぶんもお前が生き延びろ」

別れのセリフは泣かせる。

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