1978年6月、降旗康男『冬の華』東映京都

  31, 2016 10:20
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脚本:倉本聰、撮影:仲沢半次郎、音楽:クロード・チアリ、挿入曲(チャイコン1番):アシュケナージ&マゼール。

「東映映画の見すぎなんだよ!」

仁義なき1978年。横浜の風景と大物俳優たちへの愛惜と尊敬の念に満ちて、脚本と監督の呼吸が底深いところで一致しております。

男同士の情念というのは、物語上の定型としてさんざん描かれ、拝見もして来たわけですけれども、ここへ来て空前絶後の大仕事を成し遂げた堅気たちがいたことです。

よくある物語なのです。渡世人が惚れちゃいけない女に惚れて、堅気になってやり直すつもりだったのに、義理に駆られて白刃の出入り。愚か者よと夜風がわらう。そういう話なのです。でも。

誰もが任侠映画は終わったと思っていたはずの時代に、ちがう畑を歩いてきた脚本家と、1960年代には考えられなかったほどの「尺」を使って、心理描写を徹底的に掘り下げるという、映画会社的には捨て身の戦法が残されていたのでした。

それを見ていられるだけ、観客も歳を取ったのでしょう。

網走を出た人々が堅気のふりしてる1970年代後半には、ムンクやシャガールとピンクレディーが流行っていたようです。メールではなく手紙、コールバックというもののあり得なかった黒電話が効果的に使われております。

まずは、池部さんが出てる高倉さん映画をぼちぼち確認する会というつもりで借りてみました。
「おめェとは、長い付き合いじゃねェか」
足かけ13年くらいですな。秀さん重さんの最終局面。

『残侠伝』1本目の清次がそのまま年を取っていたらこうだったのかもしれない、というのを(当時の助監督だった人が)今あらためてやってみた感。

と思ったら藤田進が出てました。相変わらず朴訥な台詞まわしに人柄がにじみます。
「秀、斬った張っただけのヤクザはお前ェ、古いよ」
不器用ですからね。

任侠という言葉は、まるでジョークのように額縁の中に飾られておりますが、着流しをスーツに替えた男たちの胸には、まだ義理と人情が脈打っておりました。

女はきらいじゃないし、据え膳を頂けるはずの機会もさんざんあったんだけれども、不器用なまま山本麟一の挨拶を受ける秀さんは、設定年齢46歳。撮影時の実年齢と同じだと思われます。

不器用といいつつ、あしなが任侠おじさんの表情は良いわけで、脚本を直感的に深く理解する人だったのかもしれません。

池上季実子は顔も声もきれいですけれども女子高生役には無理があったかもしれません(汗) 撮影時には実年齢18歳で、まちがってはいないんですが、ちょっと出来過ぎのきれいさ。素人を動員したらしき同級生たちとの落差がいろんな意味ですごいです。

北大路欣也はビックリするほど若いですけれども、声がよく、いきなり大物の貫禄。あと夏八木勲、小林稔治、指のきれいな岡田真澄。俳優名鑑みたいで目に優しいです。

小池朝雄は美男とはいえないけれども、一度見たら忘れられない顔で、癖のある個性が最高に活かされていたかもしれません。

工夫を凝らしたカメラワークにチアリの情感あふれるギターを響かせて、歓迎されつつも馴染みきれない出所後の寂しさを淡々と描き、しかしこれどう動くんだと観客が心配になってきたあたりで配った札がめくられる。倉本脚本は、説明的な台詞もナチュラルで耳に優しいです。

唐突に場を支配する倍賞メリーさんが楽しい。高倉をかすませる女。抱かれたいじゃなくて「愛してあげる」はいい台詞です。そこで軍艦マーチw ハマの女ってことなのでしょうね。

そして最後に、脚本家の仕掛けた罠が口を開けて、主人公と観客を待っていました。こっから先は云うだけ野暮なようなものですけれども……(適宜、読み飛ばしてください)



松岡と山辺じゃ加納における意味がちがう。15年前なら、若も子どもだったはずで、義理も人情も知る松岡の選択は、それが一番被害が少ないという判断だったのです。

そう思わせるには『残侠伝』9本分の蓄積が必要だった。あちらのシリーズの最後を飾った雪割りの花は、ここにも咲いていました。

撮影現場にいた誰もが、東映映画を見すぎて育ったのでしょう。

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