フロイトとアドラーは順序よく使いましょう。

  13, 2016 10:21
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まず、慣れない方には唐突な話題ですが、いわゆる「BL」というのは男性中心社会に対する皮肉だ、という解釈があります。

と云うと「だからもうそういうフェミっぽいのは飽き飽きなのよ!」と、いきなり叫び出す人もあります。

「だから、今その話をしてるんでしょ?」ってことですね?

男性中心社会に対する皮肉という解釈は、社会学者自身のイデオロギーに基づく勘違いであって、根拠に乏しく、不適切ではないか? 不適切な言説が再生産されることを防ぐため、ここらで再検証してみるのが良いのではないか?

問題提起が成されたということは、次に続くのは、根拠を挙げて論理展開して行くという作業です。

それが成功すれば、飽き飽きだと思う人自身も、二度と「BLは皮肉です!」と云っちゃうフェミっぽい人に出会わなくて済むようになるわけです。

話の出だしで、自分自身の立場を間違えて、あわててクレームしちゃう人の心の中には、なにがあるのか?

【自慢したい心】

そもそも、なんの問題提起でも「めんどくさそうな話だな」と思えば、テレビ視聴者ならチャンネルを変えるでしょう。インターネット(SNS)ならブロックしてもよい。音楽サイト・ゲームサイトへ遷移してもよい。

「自分にも関わりのある話題だ」と思えば、最後まで聞いた上で賛成または反論記事を書く。これが人間のやることです。

でも、話半分に聞いて興奮してしまい、あわててクレームする人というのは、そもそも何の話でも半分聞いて「もう分かったわ」と思っちゃう人です。夢判断などの学説を聞きかじって「これは使えるわ」と思ってしまう。

そして他人の話に首をつっこむ人になってしまうのです。物知り自慢したいからですね。「私ぐらいになると、そのくらい分かってるのよ。もう結構よ」って云いたい。

でも、他の人は続きを聞きたいと思っているかもしれないのに、自分のことしか考えてないわけですね。

自分が「もう分かってる」と思ってることそのものを、一から疑ってみるという訓練も出来ていない。なぜそうなってしまうのか。

「途中で困ったら、お父さん・お母さんがなんとかしてくれる」という育ち方をして来たからです。

自分の代わりに謝ってくれる。自分の代わりに説明してくれる。自分の代わりに第三者に問い合わせて証拠を集めてくれる。代わりに抗議してくれる。

子ども自身が熟慮の上で発言するという必要がなかった。子ども社会の中で揉まれていない。

ということは、家庭の中において、父親が厳しければ母親が、母親が厳しければ父親が、あるいは祖父母が「まァまァ、この子だって……」と子どもの気持ちを代弁し、弁護してくれた。

おそらく家族の中で一番の年少者。あるいは唯一の女の子として、たいへん可愛がられて育ったのです。

だから世界観が同心円状に世界>家庭>自分になっており、しかも価値観が逆転している。同心円を立体的に立ち上げた、円錐状というのがいいかもしれません。自分が世界の中心で、頂点。

だからこそ、トラブルが起きると実家のせいにする。

他人の話を怒鳴り声でかき消して「っていうか私の場合はね! お母さんがトラウマだからね!」と、自分の不幸自慢を始めるのです。

じつは、一日中ママの顔ばかり思い出している。

居心地の良かった実家から離れたくないので、なにもかも実家が原因であることにしておきたい。極端に強い自己愛と共依存。比較的裕福で過保護な核家族家庭が目に浮かぶようですね。

【フロイトからアドラーへ】

残念ながら、フロイト式原因分析は、今なお有効です。人は育てたように育つ。保護者の影響は、やっぱり大きいのです。

ただし、本人がいつまでもそれにこだわるべきかどうか、実家を言い訳に利用すべきかどうか、判断する時に、アドラー式が役に立つのです。

「トラウマ、トラウマ」と云う人は、母親のせいにしておいたほうが都合がいいから、わざといやなことを思い出して「ああ、またトラウマが」と自分を追いつめているのです。

つまり「無意識」の存在を前提している点で、アドラー自身がフロイトに依拠しており、その上で本人の説が組み立てられている。

フロイトが先で、アドラーが後。この順番を間違えちゃダメです。

トラウマを利用する人は、フロイトをも、アドラーをも自分の都合に合わせて利用するわけで、適用順序を間違えることもあるのです。

気をつけましょう。

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