1968年10月、内田吐夢『人生劇場 飛車角と吉良常』東映東京

  12, 2016 10:22
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惚れるってのァ、いいことだよ。その代わり、惚れぬかなくっちゃァ、惚れた甲斐がねェよ。

製作:大川博、企画:俊藤浩滋・大久保忠幸・吉田達、脚本:棚田吾郎、撮影:仲沢半次郎、音楽:佐藤勝、編集:長澤嘉樹、助監督:三堀篤

あらやだびっくり。製作年代からいっても、鶴田浩二・若山富三郎・藤純子・中村竹弥・大木実・天津敏・山本麟一・山城新伍・松方弘樹・高倉健という、いつもの東映メンバーからいっても、てっきり二次創作的な娯楽任侠映画の三匹めの泥鰌というつもりで見始めたものですから参りましたごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

カラー撮影ですが、モノクロ時代のような気品あふれる原作尊重文芸調メロドラマでした。男と女だけじゃなくて、男と男の。

尾崎士郎『人生劇場』を真正面から映画化ということのようで、最初に登場するのは辰巳柳太郎演じる吉良常。ちゃんと青成父子思い出の大銀杏も登場します。

以後、舞台劇をそのまま撮る式の、息の長い場面を繰りかえし、台詞のやり取りを大切にして、それぞれの事情を登場人物自身に語らせますから、覚える台詞の分量が多いわけで、役者の技量が問われるのですが、本来が舞台劇専門の辰巳を中心に、映画界の大スターである鶴田が謙虚にお相手させて頂いているという風情。

メロドラマって(四方田犬彦によると)英雄による悲劇ではなく、自分の人生の先行きに何が起こるか分からない、人生を高いところから見ることのできない、神ならぬ身に生じる葛藤を描く物語をいうのだそうです。

おとよさんが、情熱的というよりは男心の分かっていない、自分の感情に流されやすい、甘やかされて生きる他ない愚かな女であることがよく分かります。これは、やや能天気な表情を持っている藤純子の個性にもよるのかもしれませんが、まずは監督の原作理解力によるのだろうと思いました。

男が男に惚れるのは、仁侠映画のお約束ですが、これはそのシーンがひじょうにきれいに撮られております。

吉良常は三州へ帰ってくると、ちょっとは顔がきく。いい格好ができる。その爽快感に満ちた後姿を少し遠くから撮ると、次に何か起こるように感じさせる。映画話法の教科書のようです。

暴力的なシーンは潔く省略され、暗示的な描写に留められており、これは現代演劇の手法のようにも思われます。よくこれを東映が通したなと思うほどでしたが、待ってましたのクライマックスは、ちゃんとありました。しかも映画ならではの技法がフルに投入されております。映画鑑賞中にこれほどビックリさせられた経験も他にないように思います。

あわてて他の内田作品を借りてこようと思ったことです。

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