他人の商売をつぶしたがるよりも、本物の弱者に配慮しましょう。

  23, 2016 10:21
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まず、世の中には、本当に性的な創作物が苦手で、BLも読めないという人がいます。

PTSDを刺激され、頭痛・めまい・嘔吐感に悩まされるという人が、本当にいます。

でも彼(女)たちだって、好きなアニメキャラクターの登場する二次創作を読んでみたいと思ってもいいですし、美少年が大勢登場するお話を読んでみたいと思ってもよいことです。美少年・美青年は好きだが、下半身の話は困るという人は、本当にいるのです。

女性とは限りません。二十四年組が盛んだった時代から、少女漫画に分類されていた美少年漫画を好む男性も存在したことです。

さらに1990年代以来、すでに御承知のように、少年漫画の絵柄が女性化しておりますから、それを読んで育ったゲイ青年の中には、田亀・戎橋のようなゲイ漫画をオールドファッションに感じ、女性が描いたBLのほうが好きだという人もいる可能性があります。

しかも彼らは、我がことのように感じながら読むはずですから、あまり過激な展開は好まない。

だから、アニパロといっても性的でない青春コメディのような作品があっても良いのです。BLといっても「告白できないまま卒業してしまったが、良い思い出だ」という程度の物語があっても良いのです。

1970年代に萩尾望都や木原敏江が描いていたのは、その程度のものでした。そういう古い作品を自分で探して読んでみてもいいし、出版社が再版してくれてもいいし、新人が描いてくれれば、オールドファンも喜んで、市場が広がるかもしれませんね。

【1980年代ふう過激BLにはついて行けない】

こんな声もあります。なぜでしょうか? 1980年代ふう過激BLが現在の主流だからだと考えることができますね。

これは、1990年代の不況下に、出版社が1980年代に確立された価値観を取り込むことで首の皮一枚つないだことによります。

じつは、バブル景気の象徴と思われている巨大ディスコ「ジュリアナ東京」というのも、1990年代の開設です。国際経済的にはバブルが崩壊した後です。

1980年代に女性の自由と称して露出的な服装や「ディスコ」で夜遊びすることが流行した。不景気の影が見えてきてから、その「バブルっぽさ」自体が商品化されたわけです。

だから、じつはあれもチャンレジ精神をなくし、ステレオタイプを利用する、デフレマインド商法の一つだったのです。

そして、一見すると羽根扇を廻して踊るお姉さんたちとは対極に位置する、冴えない「女子」の心理的逃避場所と思われがちなBLも、同様の商品として、それも明確に成人向けを意図して、戦略的に展開されたのです。出版社のおじさん達によって。

じつは1992年に、1974年以前の出生者が全員18歳以上に達したわけです。この世代には年間出生数200万人超えを誇る第二次ベビーブーマーが含まれています。

そして、この年に角川書店が青春小説文庫からBL系統の作品を切り離しました。

この当時、女性団体の呼びかけによって男性向け漫画の有害図書指定運動が起きていたので、BLも「やばい」と思ってトカゲの尻尾切りした……のではなく、独立採算の見込みがあるものとして、新しい文庫を設立したのです。

つまり、事実上「成人向けBL」という大市場が開けたことを見越した営業戦略だったのです。さすが角川。

で、他社も成人男性向けからBLにシフトしたのです。

「女性は暴力の実行力がない」という理由と、これからの時代は女性の自由を妨げてはいけないという、いわゆる弱者特権が存分に利用されたのです。

世の中には、したり顔に「BLはジェンダーとか関係なくて、ただのビジネスよ」なんて云う人もいますが、違います。

BLは、ジェンダーを利用したビジネスです。

1980年代に「同人やっていた」少女が、1990年代に成人したので、プロ漫画家となり、男性編集者がついて、成人向けの描き方を指導したというのが、だいたいの順序です。

市販BLは、最初から成人向けの意図を持っていたから、それなりの内容を備えていたのです。

それを明確に成人指定すると「女性は」恥ずかしがって買ってくれなくなるというのが、少し前に年齢指定の話が出た時の出版界の反論でしたね。つまり、プロデュースしていたのは男性です。

で、それが広く市販されたから「BL=過激」というステレオタイプが成立したわけです。だから「帯がひどい」なんて話も出た。男性向けの煽り文句とまるで同じだという声も出た。当たり前です。

でも、「そればかりでは困る」という少数派が、わざわざ声を挙げているのです。まさに「女性の、女性による、女性のためのソフトBL」というものを望む声がある。

そういう話をしている時に、自分のことしか考えない女性もまた、いるものです。

【被害妄想クレーム】

「市販雑誌でエロを読みたがるなんて変よ!」って、急に怒り出す。

何を勘違いしているのでしょうか?

誰も「エロ」を読みたい人の話なんてしていません。PTSDに悩んでいるので読みたくないという虐待被害者の話をしているのです。

「でも、コミケの客はみんなエロ目当てだよ!」という声もあります。何を勘違いしているのでしょうか?

コミケへ行けば欲しい物が手に入るという人は、コミケへ行って、楽しくやれば良いことです。でも行っても欲しい物がないので困っているという人の話をしているのです。

まして、お金がなくて上京できない人、体調不良・身体障碍などでイベントに参加しにくい人は、一般書店・通販が頼りです。

そういう人々も、主流の過激作品で満足できるなら、通販でいいわけです。

でも「過激じゃないものが欲しいのに売っていない」と云って嘆いている。そういう人が、どんなに少数でも、ちゃんと存在しているのです。

クレーマーさんは、条件の不利な人々、希望がかなえられなくて寂しい思いをしている人々、誰からも顧みられない弱者、味方の少ないマイノリティのことを考えてあげたことがないのでしょうか? 

【他人の商売をつぶしたい】

じつはクレーマーさんは、自分の過激同人誌が売れなくなると困るので、市販雑誌が過激化するのを、つぶしてやろうと思ったのです。

勘違いの背景にあるものが重要なわけで、自分だけ得をしようと思ったのです。本人は自覚していません。「私は同人全体のためを思って」とか考えています。

でも、本当に同人のためなら「みんな、少し頑張ってプラトニックも描けば、売上2倍だよ!」というだけのことです。また、すでに「エロ」にはベテランがいるので、私は違うもので売り出したいなという若手にも希望を与えることができます。

そこまで思い至らない人は、自分のことしか考えていない人です。じつは現役出展者ではなく、バブル時代に取りっぱぐれたカネのことを思い出しちゃったのです。

「同人を裏切ってプロになった奴がいたから、私の売上が落ちた」という逆恨みを抱えているので、市販雑誌が自分と似たような過激作品を掲載することが許せないのです。

こういう人の頭の中では、「同人=自発的に草の根コミュニケーションを発達させた善意の庶民」vs.「それを商業利用した出版社=悪の大企業」といった対立の構図ができ上がってしまっています。

だから「BLの根本は、戦前の男性作家が書き残した『衆道の契り』という伝説だ」と指摘すると、顔色を変えて「少女の自発よ! 同人が全てに先んじているのよ!」って云っちゃいます。

そして「だって私は明治時代の男性小説なんか読んだことがなくって、昭和の女流漫画を読んでアニパロに目覚めたんですもの!」とか云っちゃいます。

でも、もうこの時点でダメです。アニメ好き少女の自発ではなく、すでに成人していたプロ漫画家たちから影響を受けたってことですから。

しかも、その昭和のプロ女流漫画作品の中に森鴎外『ヴィタ・セクスアリス』の名前が挙げられていることは、読んだ人ならみんな知ってます。つまり自分自身が二十四年組をちゃんと読んでいないのです。

いきなり「アニパロ」を読んで、その後もアニパロしか読んだことがない。その元祖は二十四年組だという噂だけ聞かされて「どうせみんなエロだ」と早とちりした。それっきり、自分の好きなもの以外の存在が目に入らない。だから関係性を理解できない。

だから「また昔の二十四年組のような作品を読みたいですね」という話を聞くと……

「待ってました! 私の出番ね! そんなにエロが読みたいなら売ってあげてもよくってよ!」と、しゃしゃり出てきてしまうのです。

(昔の不良在庫を抱えているので、売りたくてたまらないのです)

これは「BLはジェンダー論か」という話ではありません。「同人活動は少女の自発か、男性中心ビジネスの掌の上か」を見極めるという話です。

プロ漫画は、もちろん自費出版ではありません。彼女たちの作品に「巻頭カラー」というお墨つきを与えて売り出し、貢献度を認めて表彰したのは男性中心出版社です。

若い人は、まずは自分がコピーのコピーのコピーであることを自覚しましょう。先輩の先輩の先輩への尊敬の念を忘れないようにしましょう。

歴史を知ることは、恥ずかしいことではありません。現在の自分を否定されることでもありません。被害妄想を持つ必要はないのです。

【今はやってない人には説得力ないです】

そもそも「むかし同人やっていたから詳しいけど、同人てゆぅのはみんなエロなのよ」と云うなら、今でもそれを書いて生活費の足しにすればいいですね?

当時も今も、委託販売や通販を利用できるはずです。なぜ辞めてしまったのか。

「エロ」さえ書いていれば大丈夫、ではなかったからですね。

人気のある現役は、いろいろな本をよく読んでおり、専門知識が豊富です。絵も上手です。単なるアニメキャラクターのイメージ利用ではなく、完成した作品そのものが面白いから「続きを読みたい」というので、固定ファンがつくのです。

それに気づかずに、わざわざ後輩を誘って「組み合わせさえ書けばいいのよ。私が教えてあげる」なんて自慢したがる人こそ、真っ先に淘汰されるのです。

自分自身が「エロ」だけを求めてコミケに通えば、周囲が似たような人ばかりになるのは当たり前です。その人垣に埋もれて、その向こうにある世界が見えなかった。

実際には、同人界といえども、そのまま一般向けに通用する能力を備えた作者に人気がある。なめてかかれば、それなりの結果しか出ない。社会と法律の裏をかいて「うまく」やったつもりでも、案外、同人界も「ふつう」にできているものです。

これからの人は腹をくくってください。くくる前に、そもそも参加しないのがモアベターです。

【年上への反感】

「1980年代にはついて行けない」というのは、たんに創作物の好みではなく、バブル中年の差別意識に対する人間的な反感を示しているのかもしれません。

1990年代以来の市販品の過激化を、誰もが喜んでいるわけではなく、プロ創作者の中には男性編集者から「10ページに1回エロを書け」と命令されて泣いている人もあるそうです。

と云うと、バブル中年の中には「編集者の中には同人出身の女性もいる!」と自慢する人もあります。だったら、女性の編集者が、女性の創作者を泣かせているということです。

そして女性の読者も「BLにエロは要らない」という少数派の声を挙げているのに、同人出身の女性が、おなじ女性の要望をまったく聞いてくれないということです。

なぜでしょうか? 中年が優越感に駆られているからですね。

「とにかくあんた達は、私の云う通り、エロを読んでいればいいの! 女は一蓮托生! みんなで渡れば怖くない! そこんとこよろしく! なめんなよ!」と思っているからですね。でも、もう、1980年代ではありません。

【時代は変わるのです】

1980年代ってのは、30年も前です。流行が変わるに決まっています。

試しに考えてみると、1960年代には、過激な新左翼運動や、ゴーゴーと呼ばれる激しいダンスが流行しましたが、1980年代にティーンエイジャーだった人は、それを真似したいと思いましたか?

「もう古い」と感じたはずです。昔の過激というのは、かえって陳腐に感じられるものなのです。

とくに、昔の過激を知っている中年が業界通ぶって、えらそうな顔をしている時は、若い世代が「いつまでやってるつもり?」と、反感を持つのです。

当方は、最初から「BLは何々だと思われたくない」という声を拾った上で、話を始めております。なにごとも偏見にとらわれるのは良くない、少数意見にも柔軟に対応すべきだという話をしております。

そこへ「私の時代にはそんな奴いなかった!」というクレームを頂いても、意味がないのです。「だから今でもあり得ない」とは云えないからです。

若い世代が成長しつつあることに気づかない。新しい動きが起きつつあることに気づかない。

さらには、現代社会全体が多様性を尊重する方向に向かいつつあるから、「昔は云えなかった」という人々が勇気をふるい起こして、声を挙げるようになった。そういうことに気づかない。なぜか?

一時的に成功した人というのは、自分のやり方が正しかったと信じておりますから、その後、情報の更新がまったく出来ていないことがあるのです。

多くの家庭で、学校で、職場で、若い人が「お母さんの頃は」とか「俺の時代には」といった話にうんざりさせられていることでしょう。

クレーマーさん自身も、若い頃には母親のお説教にうんざりさせられていたはずですが、いつの間にか「私の云うことが聞けないの!?」という人間になっているものです。気をつけましょう。

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