1977年10月、佐藤純彌『人間の証明』

  21, 2016 10:20
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キスミー、ママ。ハレルヤ!

原作:森村誠一、脚本:松山善三、撮影:姫田真左久、助監督:葛井克亮

読む前に見ました。敗戦の国の自然はなおも美しく、人々の復興は痛みに満ちていたのです。

「フランス象徴詩を日本へ紹介した西条八十」の象徴詩が、まずは原作全篇の象徴。

映画では冒頭から本職のブラック・イズ・ビューティフルなモデル女性たちが、もうひとつの象徴となって、華やかに舞い踊ります。

お衣装提供は寛斎スーパースタジオ。その陰で、戦後の混乱期に生じた小さな出会いと別れを追う1970年代の刑事たち。

1970年代には、1945年というのは、まだ30年前だったのです。まだ制作陣にも俳優にも観客にも、戦争の記憶が濃厚だったのです。

戦争が人間を狂わせるというのは森村誠一のメインテーマで、反戦という基調と、極限状態で起きる刺激的な事件を娯楽として描くという清濁あわせ飲んだ感が魅力かと思います。

なお、ホテルフロント役で原作者がゲスト出演していますが、えらい美男です(驚)

この時期のほかの映画を見ると、そろそろ戦争の記憶から抜け出して、少女アイドル歌謡の流れる新しい時代へ向けて走り出そうとしていた頃ですから、その一歩手前で、公民権運動を乗り越えた黒人俳優たちの協力を得て、ギリギリの一点において成立し得た、「あなたならどうする」と人間の良心を問う作品だったのかもしれません。

というと重いようですけれども、基本的には娯楽サスペンス。一ヶ月に及ぶニューヨークロケ敢行、カーチェイス付き。角川春樹がアメリカ志向だったことは明白で、70年代らしい洋画への憧れに満ちております。

音楽はたいへん大野雄二です。外人さんは室内へ入ったらまず帽子を取るはずなんですが、27分署の署長は演出でしょうか。

人種的違和感を払拭しきれなかった1970年代当時の日本にあって、のし上がって行く女性を描くという、二重に観客の反感を呼びやすいテーマなだけに、感情移入が大切で、佐藤さんには珍しいほど序盤のテンポを落としておりますが、ちゃんと切れ味のよい編集と両立させており、いくつかの事件がどうつながって行くのかと、先が楽しみな思いをもって、面白く見ることができます。

少しずつ「絵」が見えてくる構成は、原作が良いのでしょうけれども、俳優の質の違いを活かして、スリリングです。

他人を非難しても、自分を正当化することはできんぞ!

菊千代は立派なお父さんになりました。甘やかす母親が愚かなら、甘やかされることに甘んじる息子もアホだという親子関係の一面をよく捉えた脚本が良いです。

公募によったのだそうで、王道文芸作品を手がけて来たベテラン脚本家が選出されたということのようです。

豪邸は「セット」と云いつつ、3000万円(当時)を投じて建設した本物だそうで、やっぱ角川春樹はアホです。

(なお「そうで」という部分はDVD特典として拝見した劇場パンフレットによる裏話です。)

長門裕之はコキュの悲哀をたっぶり滲ませてしまいました。べらんめェを活かせる作品が撮れなくなったのは時代の趨勢ですが、残念ですね。彼は高倉健と殴りあいを演じていた頃が一番楽しかったのだろうと思います。

鶴田浩二は仁侠映画やってた中では一番小回りの効く人で、高倉健だと体格も顔も良すぎて画面を支配しすぎてしまうんですけれども、鶴田さんは元々あまり大柄な人じゃないので、ふつうの日本のおじさんを演じることができるのです。

今回は理知的な捜査本部長の役。物語を背負っているわけではなく、要所要所で的確な判断をくだして、お話を先に進めてくれる人。眼鏡を指先で直す仕草が印象的。

対するに松田優作は野性的な勘と手回しの良さで傑出した青年刑事。鶴田の静に対して動と云えるでしょう。腕の振りが小さいアクションシーンはリアリズム路線。新しい表現かもしれません。

つい五年くらい前まで、東映は「なんと詫びようかお袋に」と云いながら男の意地を通す映画を量産していたわけですが、これは女性があらゆる困難を乗り越えて「社会進出」し始めた時代に、やっぱり母親が子どもを捨ててはいかんよというお話ではあります。

同時に「キスミー」という突拍子もない手がかりから地道に犯人を割り出す日本の男たちの端正な仕事ぶりへの称賛でもあります。

が、佐藤監督は罪ある女性に充分な「花」を持たせたのでした。

やや気だるい主題歌が耳に沁みて、読後感ならぬ視聴後感はたいへん美しいものです。

反戦の描き方にも、いろいろあるのです。

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