1977年、篠田正浩『はなれ瞽女おりん』東宝

  24, 2016 10:20
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製作:表現社、原作:水上勉、脚本:長谷川慶次・篠田正浩、撮影:宮川一夫、音楽:武満徹

芸術祭参加作品。タイトルから予想される通りの哀しいお話ですが、水上文学完全映像化という品格を保っております。

瞽女(ごぜ)は盲目の三味線芸人で、北陸の村落共同体の中で一定の尊敬を得ており、立派な組織と家屋があって、女だけの共同生活を送っています。文明開化の世の中ですが、照明を点ける必要がないので、時計の音だけが響く室内は薄暗いです。

阿弥陀仏を信仰しつつ、神さまと三々九度を交わして結婚したと称し、現実の男性と肉体関係を持ってしまうと、秩序を乱した者として組織を追われ、「はなれ瞽女」となります。

そうすると「門付け」をして、食糧などを得ては、鍵のかかっていないお堂などを見つけて、夜露をしのぐ。

物乞いの一種ではありますが、村人からは「瞽女さま」と呼ばれ、ひどい暴力を受けたり、罵倒されたりという場面はありません。いわゆる差別用語は瞽女たちの自称として使用されています。いずれにせよ、そこだけをあげつらって非難すべき作品でもありません。

ただし、結局は春をひさぐことにもなるのを美化して描いております。が、編集が篠田流にスパッと切り上げるので、描写はしつこくありません。

よほどラディカルフェミニズム的な嫌悪感に捉われるのでない限り、男性の手になる純文学の映像化として、女性映画・反戦映画の到達点として、美しい情緒をもって見ることができるかと思われます。

純文学って、成人男性が成人男性に読んでもらうつもりで書いたものですから、本来は勉強のためといっても中高生(とくに女の子)に読ませるものじゃないのです。男嫌いになるに決まっております。

でも、戦争がなければ、貧しいなりに幸せな家庭を築くことができたはずの人々なのです。鋭い社会批判と人間存在への愛惜が籠められ、映像作家は文芸作家の故郷を慕う心に最大の尊敬を捧げている。そういう作品です。

映画としては、篠田流・映像と音の絶賛モンタージュ祭りになっておりまして、あらゆる技法が投入されているので、アニメを含めて映像作家を志す人は必見だと思われます。

盲目の人の世界観を示すために、楽曲ではない「音」がすごく強調されているのが印象的です。

ストーリーは、ヒロインの幼い頃から最期までを描いた一代記で、子役が可愛いです。いくつか思いがけない事件が重なって、早い段階で張られていた伏線が回収されていく、サスペンスの一種なので、あらすじは云ってしまわないほうがいいかと思われます。

ラストは、カラスの群れで象徴するだけでも充分だったような気もしますが、ここまで見せないと観客に通じないという「配慮」だったのかもしれません。この監督は以前にも難解という理由でお蔵入りをくらっておりますし。

なによりも北陸の風景を見る映画ではあって、建物も文化財指定。よくロケハンしたなァ……と溜息が出ることです。スタッフの中には、ロケ隊の世話をする役というのもあるわけですが、本当に大変だったろうと思います。

民間伝承の伝統芸能がいくつも登場するのも印象的で、記録映画としての価値も重要でしょう。

そして、岩下志麻の演技は超絶技巧と云いたいまでに自然でした。

何人もの男と関わってきたと云いながら、学問のない女性のあどけない表情を維持し続けるのです。原田芳雄がいい男でいい男でいい男ですが、こちらも全力で純情一途なのでした。

というわけで基本的にはロマンス映画です。

吹雪が流れ、雨がしたたる寒々しい北陸の大自然の片隅に小さく置かれた寂しげな人物たち。本来、映画の画面からは伝わるはずのない、寄せ合った人肌の温もりが、かえって伝わって参ります。

佐伯彰一も富山に心を置いて来た人でしたが、北陸の故郷を思う人の心には、独特の湿った重みがあるようにも思われます。それはやっぱり、雪の感触なのかもしれません。

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