二次創作BL同人の心得(2) ~本物に甘えない。

  24, 2016 10:21
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ところで、なぜ1980年代の中学生は、プロとパロを混同したのでしょうか? 「こういうの」とは、どういうのでしょうか?

コミックマーケットは、アニメ関連同人の増大に耐えかねて、1980年代初頭に分裂を経験しており、これ以降は事実上「アニパロ・マーケット」となりました。

この時期にお買い物したという自称ライターが、2006年に「同人誌とはアニパロです!」と書いた自称解説書を発行しちゃった通りです。

つまり、1970年代以来のベテランオリジナル同人を無視して、中学生が短絡を発生させるほど、パロディ作品の出展が盛んになっていたのです。

それ自体は時代の趨勢ですし、だからといって死者・怪我人が出たという事件でもないので、ここは冷静に流していいです。問題は、中学生は、パロディ作品のどこを見て「プロと同じだ」と判断したのでしょうか?

それはプロによるオリジナル作品とは似ていないはずです。プロはアニメキャラクターを無断利用したパロディ作品など描いていないからです。

種明かしをしてしまえば、本人の頭の中に性的興味と差別意識しか詰まっていなかったので「ホモ=エロ=やばい=隠語を使う必要がある」と短絡したのです。

著作権意識はゼロ以下だったので、本質に気づくことができなかったのです。

逆にいえば、プロ作品を指して(いまだに)無反省に「やおい」という言葉を使う人は、ゲイ差別意識を持っています。

だから、そういう人は新宿二丁目へ押しかけて、我がもの顔に振舞うのです。ここ重要です。

挨拶もなく、実在ゲイ男性同士の会話に割り込んで、性的な質問をしたり、顔を指さして笑ったり、跡をつけて歩いたり、説教したり、カミングアウトを強制したり、ショーに口出しして自分好みに変更させたりするのです。

人間としてやってはいけないことばかりやるのです。ゲイが相手なら何をやってもいいと思っているのだから、彼らを甘く見ているのです。

その根拠は「彼らは女に負けてホモになった弱い男だから怖くない」という偏見です。つまり彼らの個性を認めてやったつもりで、自己満足のために利用しているのです。

そして同様に無反省にプロとパロを混同して隠語で呼ぶ点で、社会学者(の一部)も同じ穴のむじなです。

自分じゃ出展していないくせに、パロディ同人の成果を横取りした人々です。弁護するつもりで話をややこしくしてくれた人々です。

ゲイコミュニティからは、1980年代以来、人権運動家を自称する女性に跡をつけられ、カミングアウトを強制されたという被害報告が挙げられています。

考えてみると、彼らは新宿二丁目へ来ている時点で「俺はゲイだ」と云っているようなものです。してみると、女性が強制していることは、彼らが家庭・学校・職場で打ち明けること。女性自身はその場に居合わせないはずなのに、どうしたいのでしょうか?

「あなたの言葉に勇気をもらって、きのう家庭でカミングアウトして来ました」という報告をもらって、「よくやった。ほめてつかわす」と云いたいのでしょうか?

それとも自分と並んで記者会見を開けというのでしょうか?

つまるところ、ゲイに人権運動させて、自分はそのサポート役として、一生(好みの)ゲイにくっついているつもりか、彼らの人権運動を自分の人権運動の補強として利用するつもりなのでしょう。

さらには、彼らに向かって「あんた達はいつまでも男同士で遊んでいてはダメでしょう!」と説教する人もいるそうです。

本人が彼らのことを「男子校でイタズラされ、いやらしい遊びに夢中になって、ホモになった」と信じているからです。

さらには「彼らが女性のステレオタイプを利用するので、私たちが苦労させられている」という責任転嫁型もいます。

いずれも自分自身が偏見にとらわれているのです。

そうです。漫画の読みすぎです。

だから「私たちのものです」なのです。同人はいい迷惑です。同人の作品が実在性的マイノリティに対する人権侵害の原因になっていると思われては、創作物のほうが規制されることになるからです。だから同人は「同人はフェミとは別よ」と云うのです。

でも本当は(ほかの表現規制問題と同じで)、創作物そのものを検閲するよりも、実在男性に迷惑をかける実在女性がいなくなってくれればいいだけの話です。ゲイ側としては、百歩譲って酒を飲みに来てもいいから、おとなしくしていてほしいのです。

ゲイコミュニティは、漫画を回収しろとか、全面禁止しろと云って来たことはありません。彼らとしても「表現の自由」との真っ向勝負は避けるのです。ありていに云って、彼らも読んでいる。とくに二十四年組の作品は、ほかに見るべき要素も多く、「ふつうに好き」とか「漫画家として尊敬している」という男性も多いでしょう。

ただし、実社会のマナーをわきまえていない不躾な読者から、面と向かって揶揄されるのは耐えがたい。あんた達「フェミ」の先生は、学生を、妹を、どういう教育してるんだ。

彼らは当たり前のことを云って来たのです。

が、「フェミ」の先生たちは、その要望に応えることができなかったのです。なぜか「少女」の深層心理研究に突っ走っちゃったのです。

「おなじ女なのに、そんなこと云っちゃダメよ」と云いますか? 

でも、ゲイにも母親がいます。祖母がいます。叔母も従妹もいます。彼女たちが他の女性と一緒になって、我が子・我が孫を差別しているとは限りません。

ゲイの若者を搾取しないことは、彼らの家族である女性を安心させてあげることでもあります。おなじ女性なのに、女性の心を守ってあげなくてよいのですか?

いったい誰のための人権運動ですか?

こうして見てくると、プロと同人とゲイとフェミ。四つ巴の混乱を特徴づけているのは、「混同」という要素です。

素人の中学生はまだしも、学者(の卵である大学生)ともあろう人々が、課題を分離することができないのです。

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